序章1

「──今日は酉の刻から会議がある。そこまで長引くとも思えないが、まあ頭に留めておいてくれ」


 右の鏡に映った筋骨隆々な上半身を一糸纏うことなくさらけ出した稀有な異種族の彼、アラン・F・フィールド・アウグストゥス・コンドッティエーロが口を切った。丸刈りに剃った頭部で、彫りが深く巌のようなアランは『四本』の腕を器用に組んでいた。

『凶バーサーク帝国』の現皇帝であり、スパルタ部隊の傭兵隊長でもある。力が全ての『バーサーク帝国』ではスパルタ学院と呼ばれる施設があり、五歳を迎えた男児は強制的に入学し、そこで二十歳まで過ごす。『学院』といっても、言語以外に学べるのは殺人の方法くらいだ。卒業後はスパルタ部隊という帝国の傭兵隊に所属し、祖国の護衛から他国への援軍などを任務としている。ちなみに卒業式では実際に殺人を経験するらしく、そこで人殺しへの抵抗を緩めるのだそう。

 単純なシステムだが、その伝統こそが『凶バーサーク帝国』を主要四ヶ国たらしめているのだと僕は思う。


「シャル君、私も今日は研究員の貴重な人体実験の助手をすることになっているんで、できれば早めに終わってもらえると助かります」


 次に口を開いたのは中央の鏡に映っている白衣を着用した桃色の長髪の彼女、デラ・パラケルススだ。『カガク王国メンシス』の国王である彼女は手首に巻いた腕時計を碧眼で一瞥して言った。

 彼女の王国は主要四ヶ国でも一風変わっており、かつては何の変哲もない科学などとは無縁の王国であった。しかし、彼女の曽祖父が王位に就いていた時代に『異界人』を自称する人間が現れ、その人物が持っていた知識を教授されたことで科学技術が飛躍的に発展し、現在のように『カガク王国』と呼ばれるに至った。一番影響が大きかったのは医療の発展だろう。当時世界中で流行していた疫病のワクチンを開発し普及させたことで患者数は激減し、やがて根絶させた。その際多額の資産を得たことでこの先財政に苦しむことはないと思われたが、彼女の父親が誤って地方研究所を爆発させてしまい、それにより資産以上の負債を抱えてしまったのだ。今でも『メンシス』は財政難だが、彼女はそれに無頓着なのか立て直す気はないようで、未知の開拓に耽っている。

 ……言っておくと、僕より年下なのは彼女だけだ。アザカは僕と同じ十九歳で、アランは二十三歳と年長。──察しの通り、主要四ヶ国は全員が若輩。近年色々あったとはいえ、綯い交ぜになったものを解いた結果こうなってしまったのだ。それでも彼らが王や皇帝としてあれるのは、それぞれが相応の実力を持っているからに違いない。僕も然り、常に祖国を慮り、民を最優先に考えている。


「長話をするつもりはない。定例に準じて会談を進行していこう。まずは魔獣遊牧民の動向に関してだが、先ほど君達が来る前にアザカから話を受けた。『ヒノクニ』の国境付近に鞍付きの魔獣が出没したらしい。近々戦争が起きるかもしれない。各自、辺境の警備に力を入れておくように」

「そりゃあ厄介だな。おいアザカ、俺の鍛え上げられた傭兵部隊を幾人か派遣してやろうか?」


 僕とアザカのように『安全保障条約』を結んでいない『バーサーク帝国』の支援を受ける場合は必ず報酬を支払わなければならない。十五年鍛え上げられ、統率のとれたスパルタ部隊はかなりの屈強揃いだ。


「いいよ。お前んとこのスパルタ兵は指揮がなきゃあ動けない傀儡じゃねえか。賃金に対して働きが割に合わなきゃ、こっちが損を被るだけだ」


 アザカは手を振ってアランの提案を軽くあしらった。

 確かに軍隊としてはスパルタ部隊はかなりの脅威だが、アザカの言う通り、彼らは指示がなければ動き方を知らない兵だ。一度彼らの救援のため『バーサーク帝国』に出向いた際、彼らは【ファランクス】と呼ばれる陣形を組んで一糸乱れぬ総攻撃で魔獣遊牧民を圧倒していた。一人もその動きから外れることなく、後ろで構える兵は声を上げて鼓舞するばかりで戦闘には参加していなかった。その集団はかなり手ごわいが、それは人数あってのもの。たった数人の兵士が役に立つのかと言えば、頷けるものでもなかった。


「お前のとこの浪士は頭が悪い連中が多いから統率が取れんだろ。実力主義で警備組織を結成するなんて、とても正気とは思えんな」


 その物言いに、アザカの眉が上がった。


「……なんだ、喧嘩売ってるのかお前」


 不穏を感じさせるどころか、アザカは逆に驚いたような表情をして鏡越しにアランを見つめた。


「そこまでにしてもらおう。王たる僕らが熱くなって論点から逸脱する行為は恥ずべきと知れ。アラン、君も時間がないというなら挑発をするな。アザカが冷静じゃなければ、君の発言は咎められていた。今は見過ごす。次はないぞ」


 僕が忠告すると、アランは肩を竦めてため息をついた。


「……分かったよ。だけどそれなら、俺も話しておくことがある」


 アランは肩甲骨辺りから生えたもう二本の腕を使って、紫色の物体を見えるようにぶら下げた。


「魔獣の、鞍?」

「そうだ。実は俺のところにも鞍付きの魔獣が出没した。念のために深追いして始末したが、もしかするとお前達のところにも行ってるかもしれないぞ」

「……そうか。注意しておくよ」

「私は大丈夫です。『逆鱗』の力が働いているので……」

「はっ、ずりぃぜ全く。俺達が殺すべき『白竜』に安泰を保護されてるってのはなんて皮肉だ」


『逆鱗』というのは、アランの言った『白竜』と関係している。三千年前、この世界に魔獣が棲息していなかった時代だ。──人の世は『白竜』の到来とともに終わりを告げた。『白竜』とはその名の通り、純白の飛竜だ。伝説によれば体長は四十メートルとも言われ、殺戮の末世界の人口を半分まで減らし、この世に『濃霧』を発生させた史上最悪の生物。その『濃霧』は世界の彼方を人類から奪い、そして魔獣を発生させた。現在、世界には果てがある。東西南北、『濃霧』までだ。その先、霧の中には夥しいほどの魔獣が棲息しており、更に奥には『白竜』がいるとされている。だが二十年前、再び『白竜』はこの地に姿を見せた。その際に破壊活動を行うことはしなかったらしく、竜は何の気まぐれか地上に『鱗』を落としていったらしい。それを偶然にもパラケルススの父が拾って『メンシス』に置いたところ、なんと魔獣が領土内に侵入してこなくなったのである。以来、『メンシス』だけは魔獣遊牧民と戦争をしたことがない。


「『白竜』を殺した場合、この恩恵の効力もなくなってしまうのでしょうか……」

「竜を殺せば蓋然魔獣もいなくなるだろうな。そうすれば多分濃霧は晴れるだろうし、万事解決には元凶を始末する以外道はねえんだきっと」

「その通りだ。都合よく白竜が再び大地に姿を見せる日が来る可能性に期待するより、直々に濃霧を抜けて討伐するのがベストだ。どの方角にいるのかさえ、皆目検討もつかないが、これは僕達、いや、生きとし生けるものの使命だ。先人が費やしてきた時間を僕達が継ぐ。そして僕達で終わらせる。王位に満足している場合じゃないぞ」


 主要四ヶ国同盟の最終目標は『濃霧』を乗り越え、魔獣の母である『白竜』を討伐すること。そのために人類は力を合わせなくてはならない。たとえ何を犠牲にしても、かつて存在した世界の彼方を拝むために。


「分かってます。……でも、私は怖い」

「馬鹿か、お前」

「……え」


 恐る恐る告白したパラケルススの一言を、アザカが即答で一蹴した。


「俺だって怖いさ。多分ここにいる全員が怯えてる。……だからなんだ。そこで足踏みするので精一杯か? そんなことなら王なんかやめちまえ。死に物狂いで足掻くことを恐れるなら、一生引き籠って研究に耽ってろ。ただし、同盟は抜けるな。その場合は『ヒノクニ』が旗上げてお前の領地を奪いに行く」


 突き放すような冷酷な言い方だ。それはパラケルススの逃げ道を完全に断ち切っていた。恐ろしく人情味の欠けたやり方だが、無理やり背水の陣に立たされてはパラケルススも首を振るわけにはいかないだろう。


「安心してくれ。君の国は『フランカ王国』に近い。危機を訴えてくれたら、駿馬に跨ってすぐに駆け付けるよ。勿論、勝利を約束するから」

「……シャル君がそう言うなら、信じます。頑張って信じてみます。……でも、どうか違えないでください」

「ああ、分かった」


 僕が力強く頷くと、パラケルススは少しだけ笑みを浮かべた。

 隣の鏡でアザカが「どろぼーねこ」とぼやいた。その言葉の意味が釈然としないまま、話は次の話題へ進んだ。


「シャル、お前に頼みたいことがある」

「僕にできることなら答えよう」

「よし、俺が選抜した精鋭部隊を定期的に『アルゲオの森』に送り込んでいることは、全員承知してるな?」

「ああ、あれか。唯一スパルタに属さない綺麗な輩か。俺も何回か見たことあるぜ」

「私もあります。重傷を負われた方が何人か訪ねてきたこともありますし」

「僕も魔獣駆除を手伝ってもらったことがある。スパルタ部隊とはまた違う、相当な手練れの集まりだったよ」

「そうだ。月に一度『アルゲオの森』に行かせて隠密偵察をさせていたんだが──そいつらが全滅した」

「なんだって⁉」


 彼らの実力を間近で見たからこそわかる。あれは十二勇士と張り合えるといっていいほどの集団だった。それが、全滅。誰一人として生きて帰ることはできなかったというのだ。


「森の中で殺されたのか、帰路で殺されたのかは定かじゃねえが、精鋭部隊の身に着けていた衣服や武器を魔獣遊牧民が持っていやがったっつう情報が今日入ってきた。遺体は回収できてねえが、ほぼ確定だろうな」

「罠に嵌められたか。あるいは、純粋に敗北したかのどちらかだろう。だがこれは軽く見ていい問題じゃないな。……アザカ、やはり今日の内に手練れの騎士を何人か派遣しておく。君も充分に警戒してくれ」

「ああ、分かった。お前も気を付けろよ。俺に気を配りすぎて自分を蔑ろにしてたら話にならねえからな」

「勿論。『フランカ王国』は我が身に誓って守り抜くつもりだ」


 本来、今日の会談では『濃霧』攻略に向けて遠征費の貯蓄、そして武器や食料の貯蔵について話すつもりであったが、それどころではないようだ。


「一先ず今日はここまでにしよう。皆防衛に尽力してほしい。アザカとアランは何か新しい情報が入り次第連絡を。パラケルスス、君は予定通り回復薬の開発、完成次第大量の調合を頼む。可能なら新しい武器の開発を願いたい。資金は僕らに一任してくれ」

「分かった。みんな、気を付けてね」

「お前だっていつ白竜に愛想尽かされて『逆鱗』の恩恵が消えるとも分からねえんだ。警備は怠るんじゃねぇぞ」


 こくりと顎を引いたパラケルススを見て、アランは少しだけ口角を上げた。


「では退散の形をとろう。次回の開催は追って使者を送って連絡する」


 アラン、そしてパラケルススが三面鏡から消えた。


「……面倒が起こりそうだな」

「仕方ないさ。どうせ僕らは全員波乱万丈な人生を送る星の下に生まれたんだから」


 最後に残ったアザカは不安を隠すように無理やり笑っていた。


「全部終わったらさ、食事会に招待するよ。料理の上手い奴を採用したばっかりなんだ」

「それは楽しみだ。是非事が片付いたら招いてくれ」


 とりあえずは目先の問題の解決に努める。魔獣遊牧民との戦闘は『濃霧』攻略における弊害だ。放っておけば国を攻め落とされかねない脅威になっている。事実、主要四ヶ国が成立する以前はいくつもの国が興亡を繰り返した。まだ、僕達は若い。故に一切気を緩めることなど許されない。何かが破綻すれば、待っているのは絶滅なのだから。


「じゃあな。精々死ぬなよ」


 そう言ってアザカも『対話鏡』から退出していった。


「……こうなったか……」


 現実は思う通りにいかないものだと、今日の会談を持って改めて痛感した。

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異世界クロニクル:ロストワールド こまち @komachi_0824

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