序章 

「──ええ⁉ どうして僕は中に入っちゃいけないの! 盟主の傍を離れるなんて十二勇士の名が廃るじゃないか!」

「我儘を言わないでくれ、フローズ。ここから先は王家の血筋の者しか入室を許可されていない隠匿の場だ。君は鍛錬に戻れ」


 腰まで伸びた緑色の長髪を左右に振って、フローズは嫌々と僕の命を拒否した。

 彼はこう見えて、十二勇士の一人だ。そも、『十二勇士』というのは僕こと『神霊フランカ王国』現君主、シャルロット・フィヨルド・アトリアを盟主として十二人の文武に長けた騎士を結集させた、端的に言えば僕の護衛だ。

 戦線では『王の左腕』として活躍する彼も、剣を執らない平時はまるで付き人のように僕の傍から離れようとしない。今日も朝から視界の左側には常にフローズの姿があった。

 しかし、流石にここから先に彼を入れるわけにはいかないのだ。


「鍛錬なんか、つまんないー‼ 折角お昼ご飯を食べ終わって今度こそ暇になった君と遊ぼうと思ってたのに、これからサミットなんて聞いてないよー!」

「言ってないからね」


 十二勇士はあくまで戦地における護衛であって、このウェザー宮殿内での付き人としての役割は与えていない。騎士という誉れを背負う人間なら、王にかまけるのではなく、国民を守るため日々心身向上に励むべきだと僕は考えている。だけど、フローズはどうも一般的思考とは乖離しているようで、何かと僕に近寄ってくる。

 彼はよき親友だと思っているが、ここまで添われると多少……かなり、面倒だ。


「そういえば、インサニアが模擬戦闘の相手を探していたよ。十二勇士内で彼と互角に戦えるのは君くらいだろうし、どうせ暇を持て余しているようだから付き合ってあげるといい」


『狂乱の騎士』として名高い十二勇士のインサニアは、フローズとは正反対で常にその三白眼をぎらつかせて獲物を探している。神霊近衛騎士団の騎士達は皆彼を前にすると揃って敬礼し、その品定めによって選出されないように必死になる。


「やだ。だってあいつしつこいんだもん。僕がすっ飛ばしてもすぐに起き上がってくるし、地味に筋肉質だから一発掠っただけでもまあまあ痛いんだよ」

「十二勇士ともあるものが情けないぞ。民の苦労を思えば、四肢の一つや二つは安いものだ。決闘は必ず勝利を収める、これはアトレア家の家訓だ」

「その爽やかな顔で結構スパルタなこと言うんだね……」


 だがフローズはようやく納得してくれたのか、短く吐息をついた。


「インサニアに捕まる未来の誰かのためにも、仕方ないから僕が犠牲になってあげるよ……」


 苦笑して、フローズは左手を上げた。


「じゃ、いってらっしゃい!」

「ああ」


 僕も手を上げて応答し、ドアノブを捻って部屋に入った。

 中は外の華美な作りとはかなり異なる。カーテンが閉め切られて陽射しの通らない薄暗い部屋で、一見何もないように思える。しかし部屋の隅には鏡台、その上に設置された縦長の三面鏡がある。『魔道具』と呼ばれ、非常に希少な王家の宝の一つだ。

 これは『対話鏡』と呼称されている。遠く離れた人間との対話を、この鏡越しに可能にしてしまうというまさに夢のような道具だ。相手が『対話鏡』を所持していなければ効果はないが、何せこれを使って対話する相手は限られている。


「予定より少し早かったか……」


 昼食を取ったのが三十分前、壁に掛けられた時計は午後十二時半を指している。

 サミットまでは三十分の猶予がある。彼らも何かと忙しいから、会談が遅れて始まることも珍しくない。

 ふと、鏡に目をやると、そこには黒い眼帯を付けた金髪の青年が映っていた。まだ王となるには若すぎる歳だ。幾たびも複雑な事情が渋滞した挙句、僕はこうして君主のみしか着席を許されない椅子に腰を落としている。


「──やっぱりだ。お前は早すぎるんだよ」


 突然三面鏡の内、左側の鏡が中心から波紋を広げ、徐々に鏡の向こうの人物を映し出す。やはり相手側も薄暗い部屋に籠っており、辺りには誰も控えていない。


「昨日ぶりだね、アザカ。そういう君もまだ予定より充分早いけど大丈夫なの?」


 鏡に映ったのは着物姿の少女だ。垂れた黒い前髪から覗く澄んだ瞳は真っすぐに僕を見ている。俺、という一人称が不似合いなほどの端正な顔立ちだ。

 彼女の名前はアザカ・コウヨウ。彼女の国の言葉では『鮮花・紅葉』と表記するらしい。僕達の北東、東の土地に建国された『炎帝ヒノクニ』、彼女は節度使が起こした反乱を治めて史上初の女帝の座に即位した。僕達と同じく主要四ヶ国の一角を担う国だ。


「さあね。どうしてこんな早くに起動させたと思う?」


 悪戯な笑みを浮かべて、鏡台に肘をついてそこに顎を乗せたアザカは尋ねた。


「暇、だったから……?」

「は?」


 一瞬で豹変したアザカは高圧的な視線を僕に浴びせる。痛いくらい刺さるその視線を手の平で遮り、僕は「分からない」と諦念を率直に伝えた。


「相変わらず鈍感な奴だな、お前」

「人間の感情のベクトルを汲み取るのは至難の業だからね。僕も少しは民に寄り添えるような王になりたいと思ってるんだけど。……ところで、さっきの問題の答え合わせをしよう」

「な、何言ってんだ! お前が自分で考えろ馬鹿!」

「先の君の口ぶりから推測すると、まるで僕がこの時間に鏡の前に着席することが分かってたみたいだ。それでどうして君が狙ったかのようにタイミングよく『対話鏡』を起動させたのか……」

「真面目に解説してんじゃねえ! 察しろ唐変木‼」


 アザカは立ち上がって鏡を割りそうな勢いで僕の推理に割り込んで止めさせた。息が荒いことから相当パニックになったのだろう。唐変木と罵られるほど、僕は人の気持ちが分からない人間なのだろうか……。


「……それはそうと、あいつらが来る前に言っときたいことがある」


 呼吸を整えたアザカは椅子に座り込むと、真剣な眼差しを向けた。


「聴こう」


 それだけ言うと、アザカは頷いて話を始めた。


「北西の節度使から連絡があった。鞍が装着された魔獣の群れが俺の領土の近くまで来ていたらしい。偵察にしては堂々としすぎだ。……もしかしたら、近いうちお前に援助を求めるかもしれない」


 深刻そうに眉を顰め、アザカは機密情報を明かした。

 魔獣遊牧民とは、非定住生活を送っていた人間が魔獣に魂を売ったことで誕生した馬術に優れた民族であり、彼らは戦争を仕掛けて領土を略奪しようと企んでいる。遥か昔に四ヶ国が同盟を締結してからは援軍を派遣することで幾度も撃退してきたが、それでも魔獣遊牧民と僕達との戦争の歴史は長い。

『ヒノクニ』の北西には魔獣遊牧民の住処である『アルゲオの森』がある。無論、距離的には北の土地に建国された『凶バーサーク帝国』の方が近いのだが、その方面に魔獣遊牧民が現れたとあっては穏やかでない。昨年僕とアザカは平等な条件のもと『安全保障条約』を結んだ。アザカが僕に情報を明かしたのはそのためであろう。近いうちに遊牧民と戦争が勃発するかもしれないという危惧を伝えたのだ。『ヒノクニ』が戦う場合、僕達も加勢して事態の収拾に務めることになっている。


「いざって時は頼りにしてるぜ。浪士も強いけど、数で攻め込まれれば必要以上の犠牲者を出しちまうからな」


 鏡の向こうでアザカは苦笑した。戦前というのは不安に圧し潰されそうになる。彼女も疲弊しているのだろう。目の下にクマがあった。


「……っと、そろそろ時間か」

「そうだね。一時だ」


 掛け時計に目をやると、短針は一時丁度を指していた。

 今日はどうやら全員時間を厳守したらしく、中央、そして右側の鏡もゆらゆらと波紋が広がってきている。


「さあ。定例会議を始めようか──」

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