異世界クロニクル:ロストワールド

こまち

終章~Feature story~

──絶望を知ってるか。


 理不尽に一切合切を奪われ、日常の喪失……眼前が闇に覆われ、かつての情景が瞼の裏に蘇る。


 どうして守れなかったのだろう。

 どうして約束を破ってしまったのだろう。


 ……どうして、こうも世界は残酷なのだろう。


 若き王は後悔に打ちひしがれる。

 彼の周りには無数の屍の山。たった数時間で築かれた、親愛なる友の、尊き民の、そして事の元凶である遊牧民の亡骸の堆積。

 長年にわたって繁栄を続けてきた祖国は、砂のようにこの手の平をすり抜けて、残っているのは『あった』という確かな残像。


「──シャル‼」


 後方で僕の名前が叫ばれる。それすらも叱責のように聴こえた。

 でも、実際は僕を心配してくれる優しい彼女の声音。力なく首を向けると、そこには悲痛な面持ちのアザカが立っていた。肩で切り揃えられた濡れ羽色の髪が揺れている。


「シャル……」


 その声には深い同情が孕まれている。だけど彼女は決してそれを口にしない。その気遣いが、僕の心臓を直に掌握するほどの衝撃を与えた。


 ──遠方から僕を招く声。

 そこには強制力が働いている。此方へ来い、と脳裡に信号が送られた。僕は抵抗せずに、引き留めようとするアザカの手を払って半壊した、今なお黒炎にその身を焦がしているウェザー宮殿に足を向けた。




 玄関ホールを抜けて、崩れた廊下を不確かな足取りで歩いていく。端には僕らの帰りを信じて奮闘した近衛騎士の痕跡が見られた。無残に斬り殺された彼らを横目に、僕は唇を強く噛んだ。血の味が口内に広がる。自分の血を飲んだのは久しぶりだった。


 とある隠し部屋に入ると、地下へ続く階段が見えた。そこには、初めて部屋の外に出た妹の姿があった。何かに縋るように伸びた血だらけの右手は、もう力なく石造りの床に落ちている。うつ伏せになったシオンの胸を中心に血の池を広げていた。魔獣遊牧民は王族の胸を開いて内臓を持ち出し、それを戦果として掲げる風習があると聞いたことがある。

 僕は救いを求めるように階下へ歩を進めた。


『──その体を蝕む悔恨、最早救済の手は届かず』


 円卓の奥に黒い外套を羽織り、顔を隠した巨大な生物は、晩鐘を告げるような重々しい声音で説いた。影から覗く鋭い眼光が僕を射抜いている。


『約束を違えたな。……だが、我が汝を糾弾することはない。故にたった一撃を持って、汝を冥府へ送る』


 彼は持っていた大剣を振りかぶった。


「……どうか、僕に永遠の苦しみを」


 それは願望。主への嘆願だった。


『乞うならば、瞑目せよ』


 僕は瞼を下ろし、その時を待った。

 やがて、その刃が僕を斬らんと──


「──馬鹿野郎‼」


 突如、背後で女性の声が弾けたかと思うと、直前で鈍い音が響いた。同時に、僕の左腕を細い指が鷲掴みにした。


「……どうし、て……?」


 何故、ここにいるのか。この場所を知っているのは、アトレア家の人間だけなのに。 


「……俺じゃあ、だめなのかよ」


 彼女は、アザカは涙を堪えるように強く、しかし震えた声でそう言った。そして僕の腕を摑んだまま走り出そうとする。


「──ぁ」


 アザカの右足が床を踏んだ瞬間、彼女は生命の糸を断ち切られたように頭から倒れた。眦から零れた涙が、その頬に軌跡を描いていた。


『誠、罪深き君主よ。懺悔し、終局を待て』


 そう告げて微かな猶予の後、僕の魂は彼の手によって葬られた──。






 ──そんな未来が、見えてしまった。

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