6.晴々しい船出

 そうだ、ヴォダに話をする途中だったよな。

 俺が振り返ると、ヴォダは落ち着きのない様子で珍しくパタパタしていた。

 ……何だ? 話の続きが、そんなに気になるのか?


「ヴォダ、待たせたな」

「ニュウ」

「えーと、何だっけ。……あ、そうか、ホムラの話か」

「ニュウ、ニュウ」


 ヴォダが違う、というようにバシャバシャと水面をヒレで叩いた。


「へ?」

“……ミズナ”


 モーゼとは違う……少し高い声が響いてきた。


「……今、ヴォダが喋ったのか?」

「ニュッ」

「――ミズナの話が聞きたいのか?」

「ニュウ」


 水那の話か……。

 俺は思わず考え込んでしまった。


「ミズナの話は……口にするのは難しい……けど……」


 どこから……何て話せばいいのかな。


「ミズナは……俺の幼馴染で……初めて会ったのは、もう28年前……ってことになるかな」


 なのに……一緒に居たのは10歳の頃とジャスラの旅、合わせてもわずか1年ぐらいだ。

 ……でも、不思議だよな。水那の記憶は、少しも色褪せない。


「ニュウ……」


 俺の思考も読みとったらしいヴォダが――少し淋しそうに鳴いた。


「ミズナは、ずっと独りで自分の身を守っていた。……そんな感じかな。俺はミズナを守って少しでもミズナの負担を軽くしたかったけど……肝心な時に……ミズナが本当に辛かった時に、俺はちゃんと支えられてなかったかもしれない。でも、俺にとっては……何て言うか……」


 喋っている間に、いろいろ思い出した。


 小5のとき……父親に虐待されていて、辛そうにしていたこと。

 ジャスラで再会して、自分でもびっくりするぐらい惹かれたこと。

 デーフィの森で、水那を守り切れなかったこと。……ハールの祠でのこと。

 ラティブで……トーマのことがわかってすごく泣かせてしまったこと。


 闇に消える前の――幸せそうな笑顔。

 闇に消えて……ずっと姿も見えなかった、7年間。

 久し振りに姿が見れたとき、嬉しかったこと。


 長い、長い――ジャスラ中を歩く旅。

 水那を神殿の闇から解放する――そのことだけを考えて、ジャスラの涙の雫を拾い集めたこと。


“――ずっと、ダイスキ”

「えっ……」


 ヴォダの、高い……幼い子供のような声が響いた。

 俺がびっくりしてヴォダを見つめていると……ヴォダは俺の船のまわりをぐるぐる回り出した。


“ソータ、ミズナ、ダイスキ”

「へっ……」

“ダイスキ、ダイスキ”

「おっ……おう……」


 そんな連呼されるとかなり恥ずかしいんだが……。


「……というか、急にたくさん喋るようになったな」


 ヴォダはピタッと回るのをやめると、じっと俺を見た。


“……ソータ、キライ”

「え……」


 さすがにそんなまっすぐに言われると傷つくな……。


“それで、黙ってた”


 ……ん?

 ヴォダがじっと俺を見つめるので、俺もじっとヴォダを見つめた。


「……喋れたけど、俺が嫌いだったから喋らなかったってことか?」


 どうにか解釈して聞いてみると

“うん。ケーヤク、したから、本当は、喋れる”

とカタコトで返事をした。多分、まだ子供だからなんだろうな。


「なるほど……」

“角、ケーヤク前、ダメ”

「あ、そっか、やっぱりそれか……。本当に、ごめんな」

“でも、ミズナ、大事、わかった”


 ヴォダがヒレでぱちゃぱちゃと水面を叩いた。


“ヒコヤ、と、テスラ、同じ。じいじ、教えて、くれた”

「ん……?」

“ヒコヤは、テスラ、ダイスキ、言ってた”

「……」


 ――女神ジャスラはヒコヤに懸想したが振り向いてはもらえず、やがて心を壊して闇と化した。


 そうだ。ジャスラに来た最初……ネイアがそう言っていたような気がする。

 つまり、ヒコヤは女神テスラをずっと愛していたってことか。

 それで、女神ジャスラは……そして恐らく女神ウルスラも、失恋して……。

 ヒコヤは多分、女神テスラしか見えていなくて、それが結果として――三つの国の隔たりを生んだのかもしれない。


 でも……女神ウルスラのあのときの形相は、そんなものじゃなかった気がする。

 まるで、何かにとり憑かれたような……。


 ヒコヤはだいぶん後になって――ジャスラともウルスラとも離れてから、自分の行いを後悔していたようだったが……。

 本当に、ヒコヤのせいだけなのか?


“じいじ、ヒコヤ、ここで待つ、言ってた”


 ヴォダの声で我に返る。


「どういうことだ?」

“とと、使命で、旅立った。でもヴォダ、じいじの傍、待ってた”


 そう言えば……モーゼは、今パラリュスを廻ってるのは自分の子だって言ってたな。

 俺がずっと海で待ってるのがわかって、ヴォダを手元に残したってことか。

 多分、俺が廻龍に会いに来てるってわかってたんだな。


「そっか……ありがとな。モーゼにも改めてお礼を言いたいけど……多分、もう眠ってるよな」

“ヒコヤ、テスラにスキ、いっぱい、言った。でも、ソータ、ミズナに、言ってない”

「――ん?」

“ソータ、ダイスキ、言ってない、ぜんぜん。ミズナ、言ったのに”

「……」


 意外なところから意外なパンチをもらって俺は絶句した。

 いや、無理だろ……。前の――闇に消える前のアレが、俺の精一杯だぞ。

 そうそう。……多分、ヒコヤの後悔が俺にそうさせるんだろうな。


“ゼッタイ、違う”

「聞こえてたのかよ……」


 ヴォダが再び船の周りを回り出した。


“ミズナ、言う”

「へ?」

“ミズナ、助ける。ダイスキ、言う”

「マジか!」

“じゃないと、ヴォダ、ソータに協力、しない”

「え……」


 ヴォダが嬉しそうにくるくる回る。


“ヒコヤと、テスラの話、スキ”


 子供がおとぎ話に憧れるっていう……やつだろうか……。

 モーゼに聞いた二人の話を聞いて、興味あったのかもな。


 ――そうか……そもそも、最初はヴォダから俺に近付いたんだもんな。気がついたら俺の顔を覗きこんでたしな。

 モーゼに言われて、俺の顔を見に来たのかもしれない。


“ミズナ、会いたい”

「そうだな……会いたいな……」


 言葉にすると……無性に切なくなる。

 俺とヴォダの声が……静かに海の中に沁み込んでいった。


   * * *


 それからしばらくの間は、ヴォダと一緒に居た。

 ヴォダに乗る練習をしたり、ヴォダの言葉の練習をしたり……。

 そして食料も尽きかけた頃、俺は一度ジャスラに戻った。


 ネイアにヴォダの報告をし、セイラにもしばらく休んだら旅立つことを告げた。

 すると「エンカとレジェルがようやく結婚することになったらしい」と教えられたので、俺はハールのレッカの城に向かった。

 ……俺の身を削った甲斐があって、本当によかった。関係ないかもしれないけどな。


 途中で海に寄り、ヴォダと話をした。

 ジャスラでの用事をすべて終わらせてから旅立つことを告げた。

 遅くなってしまうけどごめん、と謝ると素直に頷いていた。

 悠久の時を過ごす廻龍にとって、それぐらいは遅いとは言わないらしい。


 レッカの城に行くと、ホムラやセッカ、その子供たちも来ていた。

 ジャスラでは結婚式なんてないけど、みんなで宴会をして祝福しよう、ということになったようだ。

 相変わらずにぎやかな家族で、俺は大いに笑った。


 ――そして俺は……再び、ヤハトラに戻った。


   * * * 


 カツン、という……俺の足音が響いた。

 神殿には、俺と水那の二人きりだった。ネイアが気を利かせて席を外してくれていた。


 ――いよいよ今日、俺はウルスラに旅立つ。

 17年振りに水那の声を聞いてから――1年近く経っていた。


『……水那』


 水那は瞳を閉じて……祈りを捧げていた。意識はないようだ。


神剣みつるぎを手に入れるため……そして浄化者を探す旅に、出る』


 そう呟くと……俺は胸に手をあてた。

 勾玉の気配……そして俺の意思を感じたのか、水那がうっすらと瞳を開けた。


“颯太……くん……”


 ちゃんと目を合わせて落ち着いて会話するのは……どれぐらいぶりだろう。


“……行くの……?”

『ああ。しばらく顔を見れないかもしれないから……水那に会っておきたかったんだ』

“……”

『起こして、ごめん』

“……ううん”


 水那がゆっくりと瞬きをした。

 多分、身体までは自由に動かせないから……首を振る代わりだろう。


『――じゃ、行ってくる』


 名残惜しいけど……あまり長く時間を取らせる訳にはいかない。


“…………”


 すると……水那の周りの闇が揺らいで、薄くなった。

 俺を見送るために……水那が目の前の闇を浄化したのだろう。

 ずっと霞んでいた水那の姿が、ようやくはっきりと俺の目に映った。


 水那は……微笑んでいた。――最高に奇麗な笑顔だと思った。


“気をつけてね。――行ってらっしゃい”




                        ~ Fin ~




Continue to 「Kaeru,Tokoro」・・・






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


読んでいただき、ありがとうございました。


そして物語は、『旅人たちの永遠』第1部『還る、トコロ』へと続きます。

 →https://kakuyomu.jp/works/1177354054891926370

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旅人達の錯綜 加瀬優妃 @kaseyou

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