5.難しい仲直り
モーゼに海面まで押し返されたあと、俺はすぐに辺りを見回したが……乗っていた船は全然見当たらなかった。
ヴォダはかなり遠くの海底まで俺を連れて行ったようだ。
幸い俺はカナヅチではないが、このままだといつか泳ぎ疲れて死んでしまう。
「マジか……」
呆然としていると、不意に下からドンと突き上げられた。
「うおっ!」
思わず掴まると、ヴォダの背中だった。目の前の海面から角がにょきっと生えている。
「ヴォダ?」
「……ニュウ……」
ヴォダは低い声で鳴くと、そのまま海面上を滑るように泳いで行った。
やがて……俺が乗ってきた船が見えてくる。
「ヴォダ……案内してくれたのか」
やっぱり廻龍の海の方向感覚は確かなんだな……。
感心していると、船の前に着いたヴォダが身体を横に向けてペッと俺を船の上に転がした。
かなり乱暴だったのでごろごろと転がってしまう。
「どわっ……」
「……ニュウ」
ヴォダは契約だから仕方ないよね、とでもいうように低く呻くと、そのまま海の中にザブンと消えて行った。
やっぱり、最初にちょっと乱暴したせいでかなり警戒されてしまっている。
笛を吹けば呼べるようだし、言うこともある程度なら聞かせられるみたいだけど……やっぱり、まずはちゃんと心を通い合わせないとなあ……。
それからは、夜が明けて起きるとまずヴォダを大声で呼ぶ、というのが、俺の日課になった。
しかし呼んでもまったく姿を現わさない。小さく笛を吹くと、ひょこっと海面から顔だけ出した。しかもだいたい……かなり遠くに居る。
一応、俺の命を助けてくれた訳だし、俺に近くにいて従わないといけません、ということはわかってるみたいなんだけど、まだ子供だし……何だか、拗ねてる感じだ。
「ヴォダ、話をしたいんだがー!」
「……」
「そっちに行くからなー!」
俺は自分で船を漕いでヴォダに近づいた。
「ニュウ……」
俺が近付くと、ヴォダがピューッと逃げて行く。
「あ、待てって……」
「ニュウ!」
「まったくもう……」
「ニュウー!」
これじゃまるで鬼ごっこだ。
一応、俺から離れてはいけないとは思っているらしく、見えないところまで行くことはないが……追いかけても追いかけても届かないので、かなり疲れる。
――最初の2週間は、ヴォダとの鬼ごっこで1日が終わった。
* * *
「おい、ヴォダー! そっち行くからなー!」
船で追いかけても逃げるばかりなので、おれは直接海に飛び込んだ。
「おりゃあー!」
必死でクロールで追いかける。ヴォダは驚いたらしく
「ニュッ!」
と一声鳴いたが、俺が近付くとやっぱり遠くへ逃げ出した。
泳ぐ速さは圧倒的にヴォダが早いから、当然追いつかない。
「ちょ……待……」
頑張って追いかけるが、微妙な距離を保ったままヴォダは逃げて行く。
しばらくの間はそれを繰り返していたが、やがてだんだん身体が重くなってきてしまった。
「く……」
体力の限界を感じて、俺はゆっくりと船の方に泳ぎ出した。
「ヴォダー、ちょっと休んだらまた行くからなー!」
見捨てた訳じゃないぞ、という気持ちを込めて叫ぶと、少し離れた所から顔を出したヴォダが「ニュウ……」と小さく鳴いた。
俺は船に戻ると、浮き輪みたいなものはないか必死に探した。俺の場合、船を漕ぐより泳いだ方が早いが、いかんせん体力が続かない。
日本の浮き輪みたいなドーナツ型は見つからなかったが、四角い板状の水に浮くものが見つかった。
これなら、休みつつ追いかけられるな。
食事をして少し休んでから、俺は浮き板を抱えて海に飛び込んだ。
「行くぞー!」
「ニュー!」
――そんなこんなで捕まえることができないまま……さらに1週間が過ぎた。
ある日、浮き板が破れて危うく溺れそうになるという事態になり、ヴォダが助けてくれた。
最初の時と同じように俺を背中に乗せると、船の近くまで運んでくれた。
そして、またもや乱暴にごろごろっと転がされた。
「おう……ありがと……」
「ニュウゥ……」
ヴォダが若干迷惑そうに唸った。
「わかった、わかった。もう無茶しないから」
「ニュウ……」
浮き板も壊れたし、泳ぐのはもう無理だな……。
「じゃあさ、また船で行くからさ。ちょっとは話を聞いてくれよ」
「……」
ヴォダは「いい」とも「嫌」とも反応しないまま、トプンと海の中に消えた。
* * *
正直、どうしたらヴォダが俺に心を開いてくれるのかさっぱりわからなかったけど、笛で強引に従えてしまうのは違うと思った。
俺の記憶の中で、ヒコヤとモーゼは仲間として確かに心を通わせていたと思う。
やっぱり、そうあるべきだよな。
それに……言ってみれば、俺はモーゼからヴォダを預かっている訳だから、いい加減なことをする訳にはいかない。
俺は懐から茶色の横笛を取り出すと、じっと眺めた。
これは、ヒコヤとモーゼの契約の笛。
俺とヴォダの契約の笛でもあるけど……何だか呼び付けるみたいで、あまり好きになれない。
遠くに居るなら仕方ないけど……見えるところに居るんだし、使いたくないよな。
しかしその次の日……呼びかけると、笛を使わなかったが、ヴォダはひょっこり顔を出した。
船で近付くと、俺がまた溺れるんじゃないかと心配なのか、じっとこちらを凝視している。
一応話は聞こえるかな、と思う距離で止まると
「これぐらいならいいか? 俺の話をしたいんだ」
と話しかけた。
ヴォダは「ニュウ……」と小さく鳴いた。
多分OKということだろうと思い、俺は自分の話をした。
親父の話とか、弓道の話とか、ジャスラに来た時のこととか……。
わからないことが大半かもしれないが、少しでも警戒心を解いてもらわないとな。
とりあえず話は聞いてくれるようになったので、俺はそれから毎日、いろいろな話をした。
ヤハトラの話とか……闇の話とか。
――どうしてウルスラに行かなければならないか……とか。
* * *
そうして……ヴォダとの鬼ごっこが始まってから、2か月近く過ぎた頃。
「おーい、ヴォダー」
周り360度、すべて海。
その真ん中……俺は船の上で、ヴォダを呼びながらぐるりと辺りを見回した。
少し先で、ヴォダがひょっこり顔を出した。
しかし……こちらに泳いでくる気配はない。
だいぶん慣れたとは思うけどな……。やっぱり自分からは来ないな……。
そして俺はいつものように船を漕いで、ヴォダの近くまで行った。
「……ヴォダ、元気か」
「ニュ……」
今は俺が近付いても大人しくその場で待っている。
ヴォダを触れるぐらいの距離まで近づいても、逃げなくなった。
……少しは、進歩したかもしれない。
「今日は、何の話をするかな……」
「ニュウ……」
「そうだ、ホムラの話にするか。海で漁をしてるから、見たことあるかもな」
「ニュ……?」
ヴォダは俺の言葉だけでなく、想いも読みとれるらしい。
いろいろな話をするうちに、だいぶん警戒心がなくなったようだった。
俺のことがわかって、少しは安心したのかもしれない。
声も聞こえないぐらい遠くまで逃げていた最初の頃を考えると、かなり嬉しい。
「ホムラは二メートルぐらいの大男で……最初会った時は、てっきり敵だと思ったな」
「……」
「実際、豪快だし大雑把なんだけど、すごく懐が深いというか……だから俺は、かなり救われた」
「ニュウ」
最近は相槌らしきものも打つようになった。……いい傾向だ。
「それで俺を試すために三番勝負をするとか言いだして……」
“――颯太……くん”
急に、水那の声が聞こえてきた。
「ニュ……?」
ヴォダにも聞こえたのか、少し不思議そうな顔をしている。
「あ、悪い。ヴォダ、ちょっと待ってろ」
俺はヴォダに謝ると、自分の胸に手を当てた。
ヴォダは「ニュゥ」と小さく鳴くと、じっと大人しくしていた。
『水那、また目覚めたのか? 前から2か月ぐらいしか経ってないぞ』
“……嫌……?”
『――そんな訳ないだろ』
俺はちょっと頬が熱くなるのを感じた。
『ただ、身体は大丈夫かって、心配になるからさ』
“うん……大丈夫”
そうは言っても……水那の声は、前と比べて少し疲れている様な気がした。
“何か……ずっと勾玉が反応している気がして……気になってしまったの”
『……ああ……』
多分、ヴォダと親しくなるためにずっとヒコヤの記憶を探っていたからかもしれない。
『廻龍のヴォダと会話するのにヒコヤのことを考えてたから、そのせいかも。ごめん。もう、しないから』
“カイリュウ……?”
『水那がそこから出たら、紹介するよ』
“うん……”
『だから、心配するな。ちゃんと休んでろ』
“……ん……”
今度は特に前触れもなく意識が途絶えた。
多分、無理矢理起こしてしまったのかもしれないな……。
俺が頻繁に勾玉の力を使うと、水那の意識もことどとく揺らしてしまうことになるんだ。……気をつけないと。
水那の声は聴きたい。でも、それは……生の声を、ちゃんと俺の耳で聴きたいからな。
「ニュウ……」
パチャパチャと水音がする。
見ると、珍しくヴォダが何か言いたそうにヒレをパタパタしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます