V.
V.
六名が最後に顔を合わせたのは、その三日後、健司の家だった。
健司の兄が調達してくれた一番搾りの缶ビールを手に、六名は乾杯した。
「いやあ、幸男を敵に回すと怖い怖い。もうお前とはチェスはやらんよ」
昇は言った。幸男は口辺に薄い笑いを浮かべて、
「そんな、怖いことはないさ。ただ、時局の読み方を覚えれば後は簡単に答えは出る」
と言う。
「ねえ竹下くん、こうなることは予想していたの?」
美智子が問うた。美智子は幸男を真っ直ぐ見つめていた。昇は「嫉妬」ゲージが上がるのを感じる。
「そうだね」幸男はビールに口を付け、「幾通りか、計画は立てていたけど」
伸治が、
「例えばどんな?」
と問うと、
「そうだなあ。例えば、王宮内に病原体を持った蚊を入れて、王を熱病に罹らせて、体力を消耗させ、それからアバスとカイムを激突させて打撃をくわえる、とかね。でも、今回は源田の精神が思ったより脆いことが判ったから、そんな面倒なことはせずに済んだ」
健司は首を振って、
「いやあ、策士というのは、幸男のためにあるような言葉だな」
と言った。
「いや、まあ、計算ばかりしている、というのも、案外つまらんもんだぜ」
幸男はピザポテトを摘みながら面白くなさそうに笑った。
夏期講習は終わり、二学期が始まった。始業式の折、校長が長い訓辞の後で、
「ところで、源田先生は先月付けで退職なさることになった」と切り出した。「後任には甲村先生が就くことになったので、お知らせする」
そして、新任の甲村という若い男性教師が短く自己紹介し、
「今度からわたしが二年B組の担任に就きます。どうかよろしくお願いします」
と述べて式は終わった。
昇は、
――あれ? 源田はどうしたんだろ?
と思った。そこで、G組の教室に戻ってから、健司や伸治を呼び、
「どーしたんだろなぁ、ゲンちゃんの奴? 退職したって?」
等と噂した。昇のざっと見たところでは、クラス中は源田の話題で持ち切りのようだった。昇は、その事情に恐らく間違いなしに自分たちが関わっていることで鼻高々、大満足だった。併し、このことはおいそれと他言する訳には行かない。
健司は、
「まあ、反省したんじゃねえの?」
と悠長な態度で言い、伸治は、
「退職を強いられたんじゃないかなぁ?」
と言うばかりだ。
が、昇は真相を知りたかった。ことのシンソーを突き止めるには、先ず宮島だ。放課後になったら宮島を化学準備室に訪問しましょうね、と思った時、ふと幸男の顔が浮かんだ。
――そうそう、幸男なら…。
「おい、幸男」昇は教室の隅にいる竹下幸男を呼んだ。「ちょっと用があるんだけどさ」
「何だよ?」と幸男は問い返すが、微笑を浮かべた顔を見れば、全て先刻承知だ、と言う態である。幸男は小声で、「源田のことだろ?」
「そ」と言ってから昇も声を低めて、「それでさ、宮島なら事情を知ってるんじゃないか、と思うんだけどさ。でも、今回の件はちょいビミョーだろ?」
幸男は、うんうん、と頷いて、
「それなら、放課後、一緒に宮島の所に行かないか? おれ、独りで行ってみようかと思っていたんだが」
「でも、きっと教えてくれないぜ」
昇は腕を組んだが、幸男は確信のこもった声で、
「いや、おれと行けばきっと教えて貰える」と言った。「おれと行けば、だけどな」
昇は怪訝の表情を浮かべて、
「お前と行けば? どうしてさ?」
と問うたが、幸男は、
「どうしてもさ。但し、おれと行けば、だがな」
昇は、そこで漸く気付き、
「ははあ、お前さん、宮島の何かを掴んでいるんだな?」
幸男は、
「さあな」
と嘯いたが、口辺にはまた笑みを浮かべている。昇はそれ以上追及するのを止め、矢崎が教室に戻って来たのを潮に、
「判った。じゃあ、放課後な」
と言って自席に戻った。
長いながい訓辞が済み、二年G組は放課になった。本格的に授業が始まるのは、大聖寺学院では二学期の二日目からだ。矢崎が教室を去ると、昇は幸男のところに行った。
「さあ、行こうぜ。――お前、今日から部活あんの?」
「ああ。今日から始まる。急ごう」
二人はB棟に向かい、昇が化学準備室のドアをノックした。すると、間をおかずドアが開き、宮島が顔を出した。
「何だ、脇田か。――まあ、大体用向きは判るが、今回はお前のご希望には添えないぞ」
と、昇の背後から幸男がのっと顔を出し、
「おれがいても、ダメですか?」
と問うた。宮島は竹下幸男を見て一瞬ややのけぞり気味になったが、直ぐに我を取り戻したらしく、
「何だ、竹下もいるのか。仕方ないな。――併し、このことに就いては、一切他言は無用だ。これは先に言っておく。このことが知られたら、おれの立場どころかこの学院自体が存亡の危機に立たされることは間違いない。良いか、誰にも言うなよ。堅く約束、できるか?」
二人は口々に、
「誰にも言いません」
「約束します」
と言った。二人とも真面目な顔をしているので宮島も信用したらしく、
「よし」
と頷いて、二人を化学準備室の中へ導き入れ、ドアを閉じ、鍵も回した。
それから、勿体ぶった仕草で咳一咳し、
「実はな、源田先生は…、失踪なさった」
と言った。昇は思わず、
「ええーーーッ!?」
と声を立てたが、宮島は口に一本指を立て、
「シーッ」
と制した。
「何時ですか?」
幸男が問うと、
「夏休みの終わりだ」
昇が、
「失踪、って、何処へ?」
と訊くと、
「その行き先が判らんから失踪、と言ったんだ。――先生の自家用車は、長野県内で見付かった。山の中だよ。蓼科の辺りだ。が、先生そのひとは、未だ見付かっていない。家族から捜索願いが出て、目下警察当局が捜索中らしいのだが、二週間経っても皆目居場所が判らないのだ。そこで、やむを得ず学院は源田先生を解雇した」
いいか、誰にも言うなよ、という宮島の言葉を背中で聞いて、二人は化学準備室を後にした。
二人は暫し無言だった。が、昇が先に口を切った。
「もしかして、おれら、もの凄く残酷なことしたんじゃね?」
幸男は、一つ吐息をもらし、
「うん」と応じる。「ちょっと、度が過ぎたのかも判らないなぁ」
「けど、おれらのやったこと、間違いではなかったよな?」
昇が確かめると、幸男もその言葉に力を得たようで、
「ああ。それは、間違いじゃないと思う。おれたちは、決して間違ったことはしなかった。ただ、源田が繊細すぎたのかも知れんなあ」
二人は分かれ道に来た。幸男は右手に行って英語部の部室へ、昇は左手に進んで生徒昇降口へ。幸男は、じゃ、と言って手を挙げたが、昇は一つ思い出して幸男を呼び止めた。
「なに?」
「あ、あのさ、桜台高校の夏目さん、お前に関心があるらしいぜ。気が乗ったら、連絡取ってみたら?」
昇は嫉妬の感情を自らの矜持を以て必死に押し隠して言った。幸男は、
「ああ、そう。判った、さんきゅ」
と言って、歩みだした。昇はその背中に向かって、おい、と声を掛けた。
「何だよ?」
「お前、夏目さんと付き合うの?」
すると、幸男は眦に笑みを漂わせて、
「そうするかも知れない。そうしないかも知れない」と言い、改めて手を挙げ、「じゃ」
と言い置いて歩き出した。
昇はその背中を見ながら、内心で、
――チェッ、カッケーじゃねえか、幸男のヤツ!!
と叫んでいた。
昇はゆっくり歩いて行く幸男の背を見送り、その小柄な姿が廊下の角を曲がって見えなくなるまで見届けた。
それから、昇降口へ向かって歩き出した。
――ま、おれらは勝ったんだな。それで良しとするか。
と思った。
と、その時、ご自慢のレス・ポール・カスタムを担いだ健司と伸治が下駄箱のところにいるのが目に留まり、
「おーい、そこの二人! 良かったらメシ食って帰ろうぜぇっ!」
と声を張り上げた。
スビタスと王 深町桂介 @Allen_Lanier
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