第90話 善か悪か
「おにいちゃん……なんで……?」
ぐったりとした様子で壁に寄りかかるアメリもそれには驚きを隠せなかった。
あれほどの絶望的な状況で現れた救世主の姿は喜ばしい。だが、それ以上に疑問が浮かんだ。
いったい、どのようにしてあの人形たちの軍勢から逃れ、箱庭を脱出したのか。
「なんだ死人が蘇ったみたいな顔をしているじゃないかアメリ。……ふむ、それはそうと派手にやられたみたいだね」
ナルキスは懐から一本の小瓶を取り出すとアメリに投げよこした。
「アルケスト家に伝わる薬だ。味はヒドイがよく効く」
幼い少女を危険と知りながら囮に使ってしまったせめてもの罪滅ぼしなのだろう。
「……どうして……だッ!? どうして外に出てるのよッ!?」
ボタボタと夥しい量の血液を斬られた腕から流し、苦悶の表情を浮かべていたエミージュがよろよろと立ち上がり、激昂する。
「どうして? そうだな。欲望に駆られたキミの過ちのおかげ、とでも言っておくかな」
ナルキスが不意に視線を後ろに流す。そこにはあの大きな箱庭が横に倒れていた。中にいたはずの人形たちも箱庭が傾いたことにより床に四散し、それらのいくつかは肉眼で捉えられるぐらいに徐々に巨大化し、元の人間の様相に戻っていくのがわかる。
「わざわざ僕が馬鹿みたいに目立つような真似をして壁を登ったには理由があるに決まっているだろう。僕ははなから壁をよじ登ってここを出ようなんて考えてはいなかったのさ」
倒れた箱庭、内から脱出を阻む高い壁。エミージュは察し、下唇を血が滲むほど強く噛んだ。
「……わざと人形を一箇所に集めて箱ごと倒したのね」
「そう、目立ちたかった。それがよかったんだ。壁に近付くまでこそこそ行動していたのはある一定の高さに辿り着くまでに人形に捕まってしまうことを避けるためさ」
「そして彼女は私に箱庭が不審な動きをしていると悟らせないための囮……見た目と同じく心までキレイとは言えないわけね」
「何を言っている? 僕は内外共に美しいさ」
挑発や冗談で言っているわけではないとその不服そうな顔を見ればわかる。エミージュは忌々しげに舌打ちをして床に落ちた木槌を拾い上げた。
腑に落ちない点はある。
確かにエミージュは欲望のまま、中には意図せずしてせざるを得なかった者もいるが、長年に渡ってたくさんの人々を人形とし箱庭に監禁していた。だが、重厚な箱庭が傾くほどの人形は明らかに大まかにだが、把握していた数と異なる。
ナルキスもまた同じ疑問を持っていた。いったいあれだけの人形たちはどこに姿を隠していたのだろう、と。一国の軍隊と思しきあの軍勢が箱庭内に蔓延っていたのならば、壁際まで一体にも見つからず行動をするなぞ不可能に近いはず。
知らぬうちに誰かの力添えを施されたのか。もし、そうだとすれば……。
「……ナルキス様ご無事でなによりです。あとは自警団の私が」
人形化も大して進んでいなかったおかげか、元の姿に戻るのもさして時間がかからなかったのだろう。音もなく現れたレイラがナルキスの前にさっと歩み出た。
気を失っているが、ロイドの姿もある。極度の緊張状態が続いて疲弊してしまったのだろう。
「……捕まるわけにいかないの。捕まってたまるものですかッ!!」
なり振り構わず、腕から鮮血を噴き出させて木槌を振りかぶるエミージュ。
「すまないね。僕は割と聞き分けのない性格なんだ」
煌めく銀色の閃光がエミージュの残った腕を縦一線に切り裂いた。
「ひぃぎゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」
耳をつんざくような痛々しい悲鳴、それが止むのを待たずしてナルキスの蹴りがエミージュの腹にめり込み、突き飛ばす。勢いはそのままに激しく後方に吹き飛んだエミージュは自分が今まで人々を閉じ込めていた箱庭へと吸い込まれるように消えていった。
「壊れたら人形が直してくれるんだろ? なら、その斬られた腕だってすぐに元通りになるさ」
「ナルキス様……あなたは……」
倒れた箱庭を優しく戻し、ナルキスは恭しく前髪を揺らした。
「い、いったい今の悲鳴はーーあ、あなたたちいったいどこからっ!?」
いくら人で賑わう美術館とはいえ、これほどの騒動が起これば幾人かは気付く。騒ぎを聞きつけて駆け込んできた美術館員の横をさっと通り抜けてナルキスは笑う。
「彼女の処理や人形だった捕虜の救護はキミに任せるよ。なんせキミは自警団、なんだろ?」
傷を負ったアメリを背負い、姿を消したナルキス。
奇妙な巡り合わせから出会ってしまった彼の存在にレイラは説明を求める美術館員を前にして首をひねった。
「ギルド所属者でない一般人に危害を加えた彼はこの場合、悪なのでしょうか」
異世界任侠生活 〜 極道親分、美少女になっても漢気忘れず頑張る! 〜 むむむろく @0613mao
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