蝕まれる日々が愛しい

木材本舗

第1話

「ありがとうございましたー」


 最後の客を見送った私は足早に自分の席へ戻る。営業時間はとっくに過ぎていて、時刻は十五時四十五分。今日の客はやたらと自分の話ばかりしてきて疲れた。お年寄りの人は皆総じて”過去の話”を”昔の栄光”として話したがる。ああ、そうなんですね、素晴らしいですね。警戒心を与えないように口角を上げて、お客様に満足いただけるように、丁寧に、丁寧に。銀行という仕事は誰もがお堅いというイメージを持ちがちであるけれど、実はそんなことはない。顔見知りになってくればある程度融通が利くし、客商売なのでこちらも預金を確保するのに必死だ。でも、それでも未だに店頭で怒鳴りつけるお客さんはいるし、私がこの仕事をしていて唯一役に立つことといったら、札勘定ができることでむしろそれくらいしか思い浮かばない。


「今の方、年金一本取れました」

「ああ、お疲れ様」


自分の席に着席しデスクトップパソコンに噛り付いてメールを作成している上司に報告する。大森係長と一緒に仕事をして、三年は経った。金融機関は近隣住民との癒着を考慮して数年ごとに異動があるのだが、大森係長は私が二年目の時に来た上司で今担当している係の仕事も分からない全くの素人だった。というのも前の支店では渉外担当で外回りが中心だったそうで書類の見方も、報告書の上げ方も分からないとのこと。来たばかりの頃はよく色々な質問をされたっけ。私は当時、人と会話をしたりプライベートで食事に行くのが苦手で避けてきたのだけれど、この係長はそうもいかないみたいで、今では仕事中にも色々な話をしてくるようになった。そう、銀行なんてぺちゃくちゃお喋りしながらでも仕事ができるんだから、お堅いなんて言葉は似合わないのだ。


「今の内から勧誘しておけば、焦らなくてすむよ。なにしろ、下期の目標達成できなかったら、カットだからね、カット」

「はーい」


行員は預金テラー、融資テラー、後方、渉外と一人一人にノルマが課せられるわけだが、その評価はボーナスに反映してくる。目標を大幅に上回る数字を取ったらS評価。目標達成値と同等の数字であればB評価と。ここが金融機関の嫌なところで、目標を達成したとしても”それを上回る結果”でなければ評価されないのだ。なので、SとBの間のAは「目標より少し上を達成、仕事もちゃんとこなしてます」という評価になる。実際、SもAも大した差はないのだが。なので私たち行員は毎日電話勧誘や手紙での勧誘を怠らない。昔はサービス残業なんて当たり前で渉外は数字が取れるまで帰ってくるな、は当たり前の世界だったらしい。今ではマイナス金利の影響で定期預金利率も大幅に下がってきているし、何故か銀行で投資信託購入や保険申し込みができる時代だ。意味が分からない。だが事実そうしないと金融機関も生き残れないのだ。正直、目標を達成するために仕事をしているわけでもない私にとっては、それがかったるいと感じてしまう。仕事だから、と割り切れる人は本当の意味で大人だと言えるし素直にそこは尊敬する。


「(はあ、疲れたなあ)」


銀行勤めで嬉しいところは15時に支店のシャッターが閉まるところだ。シャッターを閉めてしまえば後は現金の照合、伝票の精査、まあ早い話今日の勘定を合わせて終了となる。シャッターが閉まってしまえばお客様からの視線も気にせずあとは自由だ。…自由という言い方には語弊があるけれど、客商売をしている私たちにとっては客からのイメージを崩すわけにはいかない。デスクの引き出しから飴を取り出すと包装を開けて口の中に放り込む。疲れた身体にレモン味が染みる。


「南さん、お菓子あるよー」

「えっ、いいんですか。ありがとうございます」


同じ係の藤原先輩がお菓子をくれる。色鮮やかな箱を抱えて、中には小さな和菓子が入っていた。お礼を言いその中の多く残っているものを手にする。いやあ、こう毎日甘いものを配られてしまうと、流石に太っちゃうかなあ。机に溜まっている渉外の預り物を確認していると大森係長が「そういえば、」と声を掛けてきた。


「明日はうちが協賛してる商店街のイベントだよな」

「そういえばそうでしたね。お店回ってチケットでご飯食べられるってやつでしたっけ」


金融機関によっては地元企業や個人店が企画するイベントに協賛する形で毎年開催されるイベントに参加する風習というか、”決まり”がある。そのほとんどはうちの取引先で勿論「いつも贔屓にしてもらってるので」とお呼ばれすることは必然だ。明日は商店街の振興組合が企画するイベントで、お店をはしごして街を活気づけようといったような内容である。


「”うち”は…藤原主任と南さんと…、課長は行くかな」

「課長どうですかね、あんまりワイワイ飲むの好きな感じではなさそうですけど」


私がいる本店は人が多いため係ごと分かれてお店を回ることになっている。全体の人数は総勢60名を超えるのでさすがに大人数すぎる。といっても内部係でもさらに細かく係が分かれている。渉外の今日の預りをジッパーケースに入れてキャビネに戻して、今日の伝票の精査に入る。日付、名前、金額…。はじめの頃は1枚精査するのにもとても時間が掛かっていたのに、今となっては流れるように精査できるようになった。昔は科目の中で、支払い、入金ごとに分けて精査していたため、勘定が合わなかった時のその日の伝票の流れを見つけるのに苦労していたけれど、今は新システムへの入れ替えにより端末ごとに伝票を取りまとめるようになったため前ほど違算が減った。一応ダブルチェックを兼ねて見終わった伝票はクリップに留めて大森係長にパスする。大森係長も流れるように精査していく。あー、今日伝票多いな。


「明日水曜だから定時か。どの店行きたいか決めといて」

「はーい」


イベントパンフレットを見ながら、食べたいものに目星をつける。お肉…イタリアンも良さそう。伝票精査をしながらパンフレットをチラチラとみていると、副部長が近づいてきた。



「南、勘定締まったらちょっといいか」

「あ、はい。ちょっとお待ちください」


なんだろう。定期面談には全然先だと思うのに。







「いやあ、悪いな。忙しいのに。適当に座って」

「いえ、全然。どうしたんですか」


伝票精査も早々に切り上げて小さな応接室へと移動する。副部長とこうして向かい合って話すのは久しぶりな気がする。何か特にやらかしては無いと思うんだけど…。


「一応こういう時間をとったのは、そろそろ定例異動があるからさ」

「ああ…。なるほど」


そうか、もう3月だしな。

金融機関は大体4月の春と10月の秋に大規模な定例異動が行われる。大体発令日の夕方に人事異動の辞令がメールにて全体発表されるのだが、ある意味金庫の一大イベントでもある。ずっと同じ支店にいることはできないので、やれこの人はこうだ、この人はキツイからちょっとやばいとか真実がどうか分からない噂が回る。結局は異動があっても会社という一つの組織の閉鎖的な空間であるから、噂は着いて回るのが常だ。


「何か希望とかあるか?」

「希望ですか…。通るのであれば、あんまり家から離れていなくて落ち着いた店舗がいいですかね」


私自身ももう5年目で4月で満期になるため、異動のことは勿論考えていた。新しい店に変な人がいないように…というのは勿論だが。というかそれが一番だ。5年いたこの店だけでもお腹いっぱいになるくらいいろんな人間関係に巻き込まれた。


「そうだなあ。まあ南は仕事もよくやってくれてるし、今は後方でも預金テラーのフォローも良く入ってくれてるから、どこでも大丈夫だと思うよ」

「はあ、ありがとうございます。…でも本当、私なんか目の前の仕事に黙々と取り組んでただけなんで…」

「俺も長くいろんな店経験してきたけど、仕事が合わなかったり人と合わなくて辞めていく人は何人も見てきたけど、南はそれでも続けていて偉いと思うよ。前に転職したがってた時に俺が止めた時も、残ってくれたしな」

「その節は…お世話になりました」


当時の情景が思い出されてなんだか恥ずかしくなってしまい、机の下で指を絡ませたりしてしまう。一時期仕事が嫌で辞めたかった時があったのだ。真剣に、課長にも転職をしようか相談したし、そのまま副部長にもありのままの気持ちを伝えた。その時は仕事が嫌で仕方なくて、私に向いている仕事だと思っていなかったのだ。でも結果的に辞めなかった。辞められなかったというのが正しいか。


「俺が話をして止めた中で辞めなかったの南だけだったよ」

「え、それ本当ですか」

「うん。辞める時は会社は止めてくれない、いつでも辞めることはできる。俺が出来ることは、これだけだからさ。それでも辞めていく人ばかりだった。南は根性あって、俺もそれはずっと見てきたから分かる。だから今回の異動も変なとこに飛ばすとかはしないつもり」


なんだか胸の中がじーんと温かくなるような、目頭も熱くなってきた。

こうやって不器用だけどちゃんと私の努力を見てくれて面と向かって褒めてくれるのは、きっとこの人だけだなあ。


「まあ、取り敢えず安心してよ」


そう言われて、4月の人事異動では何故か私は東の果ての完全なアウェー店舗の小型店に異動することになったのだった。

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