魔女見習いルリと暗い森の住人たち

斑鳩 環

第一章 史上最悪の誕生日

いち

 十月二十一日。丸宝まるとみ瑠璃るりにとって、この日は一年で最も特別な日だった。


 いつもより少し早めに目覚めたルリは、ベッドから飛び出すと、弾むように階段を下り、キッチンで朝食の準備をするお母さんに向かって元気な朝の挨拶をする。


「お母さん、おはよう!」


「あら、早起きね。おはよう、ルリ。それから、お誕生日おめでとう」


 エプロン姿で振り返り、にっこり笑ったお母さんが、特製のシロップをふんだんに掛けた甘いパンケーキをテーブルに用意した。一緒に添えてあるフルーツには生クリームもついている。今日だけ特別なバースデースペシャルだ。


 期待通りの朝食に、ルリは目を輝かせ、急いで席に座った。すぐにマグカップに淹れたあったかいココアも用意され、ルリの前に並べられる。


「十歳おめでとう、ルリ」


 向かいの席でコーヒーを飲んでいたお父さんが優しい声を掛けてきた。顔を上げたルリは満面の笑顔で「ありがとう!」と返す。


 そう、今日は待ちに待ったルリの十歳の誕生日なのだ。


 他所の家の子供たちがどうかは知らないが、ルリにとって、誕生日は一年の中で最も特別なものであった。


 お正月のお年玉も、バレンタインも、ひな祭りも、こどもの日も、ハロウィーンも、クリスマスも、そのどれもが心の弾む楽しい行事イベントであることに変わりはない。


 けれど、やはりどうしたって誕生日に敵うものではなかった。特別は譲れない。年を重ねることに慣れた大人には意外に思えるかも知れないが、覆しようのない事実である。


 甘くて蕩けるようなバースデーケーキには、砂糖でできた可愛い人形と、ルリの名前が書かれたチョコレートプレート。そして、お父さんたちが一生懸命選んでくれた最高のバースデープレゼントがルリの手に届けられる。


 何ヶ月も前からお父さんとお母さんがルリのためだけに企画して、この日のために一番のプレゼントを用意してくれるのだ。おっちょこちょいなサンタクロースのように、頼んでいたものを間違って運んでくることもない。


「サンタさんは世界中の子供たちのところへプレゼントを運ばなくちゃいけないし、忙しいから間違っちゃうこともあるのよ」


 七歳のときのクリスマスに、プードルの家族が増えるのを楽しみにしていたのに裏切られ、ルリは暫くへそを曲げたことがある。困った顔でサンタクロースを庇うお母さんに免じて許してあげたのだ。


 あまり記憶にないが、あの時はなかなか機嫌を直してくれなくて大変だったとお父さんが言っていた。きっとお父さんが何か言ってくれたのだろう。あとでサンタクロースから謝罪の手紙とお菓子が届いたことだけは覚えている。


 しかし、誕生日であれば、そういう間違いが起きる心配もなかった。


 もちろん、お父さんたちには、子供なりに考えた無難なプレゼントを注文するのだから当然といえる。ルリだってお父さんやお母さんのお財布事情は知っている。ほどほどのものを選ぶくらいの良心はあった。


 サンタクロースに豪華なものを頼むのは、自分の家では手が届かないと思えばこそ。親切なサンタクロースなら無茶なお願いも叶えてくれるに違いないという期待からだ。


 とはいえ、あまりに凝り過ぎると、サンタクロースは決まって注文とは別のプレゼントを運んでくる。お母さんが言ったように、きっと担当の子供たちが多過ぎて、どれが誰のものか途中からわけが分からなくなるのだろう。


 年を重ね、少なからずサンタクロースの事情を察したルリは、みんなが欲しがるような『普通のもの』を選ぶようになった。これならサンタクロースも間違えないはず、と。


 サンタクロースにまで気を遣わなければならないクリスマスと違って、誕生日が素晴らしいのは、何といっても、この時だけは主役になれる唯一の日であるというのがあった。子供だからと、ひとまとめにされてお祝いされるのは、嫌なわけではないが、何となくつまらない。


 ところが、誕生日なら自分が世界の中心となる。その日だけは、どんなことにおいても一番でいられるのだ。


 そして、何よりルリの心をくすぐるのは、大好きなお父さんとお母さんがルリのために忙しい仕事を早めに切り上げ、ルリの誕生を心から祝福してくれる――ただその一点にあった。


「ごちそうさま!」


 頬が蕩けそうなパンケーキも最後のひときれを飲みこみ、至福の時間が終わりを遂げる。夜にちゃんとしたケーキが食べれるとはいえ、折角の朝食をあまり味わえないのは残念だ。


 休みであればゆっくりできたのだろうが、仕方ない。いくら娘に甘い両親でも学校を休むことは許してくれないのだ。


 急いで顔を洗って学校の支度を済ませると、ルリはお父さんの車で学校へ向かった。


 普段は他の児童と一緒に歩いて登校するのだが、毎年この日だけはお父さんが送ってくれることになっている。誕生日の朝は、お父さんと車デート。これもルリの家の習慣だ。


 校門の前に車を停めたお父さんは、すぐに降りようとするルリを引き留めた。


「学校に行く前におさらいだ。今日の夜は誕生日パーティーをやるわけだが、明日は?」


「遊園地!」


 座席の上で跳ねながらルリは明るく言った。


「そう。だから、学校から帰ったらすぐに宿題を済ませて、明日に備えておくこと。宿題が出来てなかったら遊園地は中止だぞ」


 わざとらしく厳しい顔で言い含めるお父さんに、微かに青ざめたルリは懸命に頷いた。先月からずっと楽しみにしていたのに、中止になんてなったらショックどころの話ではない。


 まさにその脅しは効果覿面てきめんだった。首がもげそうなほどがくがくと振り続けるルリに満足し、お父さんはそっと背を叩いた。


「よし。それじゃあ、頑張っておいで」


 浮かれている娘に釘をさすのが上手い。お父さんに見送られながら車を降り、ふらふらと昇降口へ向かったルリは、既に興奮も冷め、いつもの落ち着きを取り戻していた。


 とはいえ、子供らしく誕生日にはしゃぐ娘に冷や水どころかブリザードを噴き掛けるとは、なかなか鬼畜な父親である。お蔭でそわそわしながら授業を受けて先生から叱られることもなく、その日の授業を真面目に受けることができたので文句は言えるはずもない。


 そうして学校を終えたルリは、急いで宿題に取り掛かり、祝日分を含めた宿題の量に半泣きになりながら、どうにかお父さんの帰宅までに仕上げ、遊園地への切符を勝ち取るのだった。

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