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「♪ハッピーバースデー、トゥーユー ♪ハッピーバースデー、トゥーユー」
少し音程のずれた『ハッピー・バースデー・トゥー・ユー』を歌いながら、お父さんが大きなお皿に乗った誕生日ケーキを運んでくる。頭には厚紙で作ったキラキラする三角帽子を被り、鼻と口ひげのついたオモチャのジョーク眼鏡も掛けていた。こういうイベントには、家族の中で人一倍張り切るのがお父さんだ。
お母さんは歌に合わせて手拍子を打ちながら、すごく発音の良い英語歌詞を口ずさんでいた。最近聞きながら覚える英語のCDを買って、レッスンしているせいだろう。同じ歌のはずなのに、二人が口にするのが全く別の曲に聞こえて、ルリは面白くなり、くすくすと笑った。
全員が席に着くと、家中の電灯が消され、リビングにも夜の闇が入り込んでくる。明かりはろうそくに灯る小さな炎だけだ。ケーキの上で円を描くように並んだ火は、全部で十個。白いクリームの浜辺でフラダンスを踊っている。
ぼんやりと浮かぶお父さんとお母さんの顔の向こうでは、この日だけの特別な上映会が催されていた。
橙色の明かりが壁に幻想的な世界を描いている。小人があっちにこっちに跳ね、立派な鬣のライオンが唸り、クジラが飛沫をあげた。天井にはオーケストラの楽団がぐるりと囲んでいて、彼らの演奏に合わせて動物たちが思い思いにダンスしていた。
お父さんやお母さんには見えないらしく、ルリはいつも不思議で仕方なかった。自分の想像の中だけの存在なのかも知れない。だが、それなら尚更、特別なものと思えて嬉しくなる。彼らが毎年のようにお祝いしてくれるのはルリだけだ。
「ルリちゃん。願い事は考えた?」
お母さんがにっこりと笑って訊ねた。ルリの家では決まってろうそくを吹き消す前に願い事を思い浮かべるのだ。
「うん」
「それじゃあ、頭の中で願い事を唱えながら、思い切り吹き消して」
言われるままに、思い描いた願い事を頭で繰り返しながら、頬いっぱいに吸い込んだ空気を、ろうそくに向かってふぅーっと勢い良く吐き出す。ルリの口から押し出された風を受け、横に倒れ込んだ火は、次の瞬間には掻き消えて、煙となって舞い上がった。
「お誕生日おめでとう」
お父さんとお母さんが拍手しながら声を揃えてお祝いすると、頬を紅潮させたルリは照れ笑いを浮かべた。こうしてお祝いされるのは嬉しくもあり、少し気恥ずかしくもある。
お父さんが立ち上がり、部屋の電気を灯すと、見慣れたリビングが顔を出した。誕生日だけにやってくる不思議な光景は、ろうそくの火と一緒に吹き飛び、魔法の世界が嘘のように現実が戻ってくる。
「さあ。ケーキを分けましょうか」
明るくなった部屋で、お母さんが表面のろうそくを抜き取り、ナイフを手に取った。
この家でケーキを切り分けるのは、決まってお母さんの担当だ。六歳の時に一度だけお父さんが切ったことがあるが、パイ生地も生クリームもドロドロのグチャグチャになってしまったのだ。
可愛いドワーフや動物たちが無惨に刻まれ、潰された苺が血痕のように白いクリームにシミをつけ、まるで殺戮の起きた事件現場になっていた。あまりの恐怖にルリは泣き出し、それ以来、ケーキは絶対にお母さんが切ることになった。
オモチャ会社に勤めるお父さんはとても手先が器用で、流行りのDIYも軽くこなしてしまえるくらい物作りの才能があるのに、どうしてかケーキを切ることだけはへたっぴだった。そういえば、組み立てたブロックのオモチャを解体するのも苦手だ。
仕方なく、ケーキのときだけ不器用になるお父さんに代わって、お母さんが切り分けるのがこの家での通例となった。
プレゼントを渡されるのはケーキの後だ。お母さん曰く「最初に渡すとプレゼントばかりに気を取られて、折角のケーキが干乾びてしまうじゃない」とのこと。反論の余地もないのでルリは黙ってケーキが配られるのを待つしかない。
しかし、この日はいつもの誕生日と違った。部屋の明かりを灯し、お母さんがケーキにナイフを挿し込もうとしたところで、それが起きた。
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