さん

――ピンポーン


 突然、来訪を報せる音がリビングに響いたのだ。


 お父さんとお母さんが顔を見合わせた。この家の誕生日は、家族でのみ過ごすのが基本の形である。休日ならお昼にともだちを招待してパーティーをすることもあるが、夜は改めて家族だけでお祝いする。


 何か宅配を頼んでいたわけでもない。時間も夜の七時を回っていて、学校帰りにルリのともだちがお祝いに来るにしても不自然なタイミングだ。


「きっとまた何かの訪問販売か勧誘だろう。放っておけばいいさ」


 条件反射で立ち上がり掛けていたお父さんは、そう言って居住まいを直す。不在だと知れば諦めて帰ると思ったようだ。


 ところが、応対しない家主に、来客は諦めるどころか、呼び鈴を連打することで応えることにしたらしい。


――ピンポンピンポンピピピピピピンポーン。


 こちらを急かしているのは間違いない。出なければ永遠に鳴り続けるであろうことは誰にでも判断できた。


「はいはい。分かりましたよ」


 顔を顰めたお父さんが「ちょっとごめんね」と一度ルリに謝ってから席を立った。はっきりと追い払うことにしたようだ。


 玄関に向かってから数分。お父さんは素っ頓狂な声を上げたかと思うと、何やら怒鳴り散らしているのがこちらまで聞こえてきた。押し売りでも来たのかも知れない。


「少しお母さんも見て来るわね」


 不安を見せるルリを宥め、お母さんも立ち上がった。


 二人ともが席を外してからどれくらいが経ったのだろう。お母さんまでが加わって、ずっと言い争うような声が聞こえている。暫くはじっとケーキを前に黙って待っていたルリだが、そっと椅子から降りた。


 なるべく足音を立てないように廊下を進み、曲がり角に差し掛かると、壁から顔だけ覗かせて玄関を確認した。我が家の玄関だというのに、緊迫した空気から、何処か別の場所のようにも見えた。


 お父さんとお母さんが並んで立っている後ろ姿がある。その向こうにいるのがお客さんだ。


 白髪を緩く編み込み、デザインの古い、色褪せた緑のワンピースを着ている。背中が曲がっていて、手足も棒のように細い。初めて見るおばあさんだ。


「だから、そういう問題じゃないだろう!」


 お父さんがまた怒鳴った。顔を真っ赤にして、唾を飛ばしながら大声を上げる。癇癪を起こしたように、いつもならきっちり固めている黒髪をぐしゃぐしゃに掻きまわしていた。


 温厚なお父さんがあんな風になるなんて。ルリは信じられない気持ちでその光景を眺めていた。


「うるさいねえ。決まったものは決まったんだから、横からグチグチ言うんじゃないよ」


 おばあさんが煩わしそうに手を振っている。皺だらけの指は小枝のように細くゴツゴツして見えた。


「ルリは絶対に行かせないからな。だいたい、いきなり来て弟子にするなんて勝手過ぎる。これまで連絡すら寄越さなかったくせに」


「それはお互いさまじゃないか。わたしの存在をなかったことにして素知らぬ顔で暮らしていたのは何処の誰だい。孫が生まれたことすら内緒にしてね。あの子の存在を知ったとき、わたしがどんな思いだったか」


 皮肉げな笑みで彼女が口にするなり、お父さんは言葉をつまらせた。孫ってどういうことだろう。しかし、ルリはすぐに思い当たり、おっかなびっくりしたようにおばあさんを見つめた。――ひょっとしてあの人がわたしのおばあちゃん?


 こちらに気付かないお父さんは苛立たしげに舌打ちして、おばあさんを睨み付けた。


「俺があの森から飛び出したとき、捕まえようと思えば捕まえられたはずだ。放っておいたのは母さんじゃないか。それに、あんなものが科学の発達したこの時代に何の役に立つっていうんだ?」


「よく言うよ。わたしが知らないとでも思ってるのかい?」


 にたにたと笑ったおばあさんは、尖った爪をぐっとお父さんの胸に押し当てた。


「お前がどうして会社で昇進できたか当ててやろうか? どうしてお前の作る製品にはのか連中は知ってるのかい、え?」


 途端にお父さんは勢いを失くし、一歩後退りした。その顔は明らかに青ざめている。


「そうさ。お前があの森を飛び出したのは、魔法を見限ったからじゃない。才能のない自分に恐れて逃げたんだ。魔法のない場所でなら、お前は落ちこぼれとは言われないからね」


 魔法?――ルリは驚いておばあさんを凝視した。


「うちの家系は、女にこそ優れた力が宿る。お前も男の中ではそこそこやる方だったが、その能力は物をことにしか発揮されなかった。それ以外は普通の人間と変わらない。お前はそれに堪え切れなかったんだ」


 お父さんは悔しそうに唸ったが、反論はしなかった。


「魔法のない外の世界で、お前はその唯一の力を使い、周りを欺いて伸し上がってきた。流石はわたしの息子だ。承認欲求も満たされ、可愛い嫁も貰って、さぞや良い気分だったろうね。わたしも満足していた。多少のズルくらいで目くじら立てやしないさ。お前が上手くやっているならそれでいいと思った」


 けどね、と、おばあさんは続ける。


「孫が生まれて報告すらないなんて、酷いじゃないかい。それも女の子だ!」


 おばあさんの茶色い目がギラギラと輝いた。まるでテレビで見た、獲物を狩る前の肉食獣のようだった。怖くなってルリは陰に引っ込む。

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