よん

「お願いです。考え直して下さい。ルリはまだ十歳なんですよ」


 お母さんが縋り付くような声で言っているのが聞こえた。もう一度顔を覗かせると、おばあさんが素っ気ない顔で首を振るのが見える。


「だからいいんじゃないか。何事もプラスに働く年だ。何のためにこの日まで待ってやったと思うんだい」


 どうやらお父さんが器用な理由は魔法によるもので、お母さんもそれを知っていたらしいことが窺えた。仲間外れにされたことにルリは少し不満を覚えたが、そんなことを言っている場合でないことは、流石に理解できる。


 あのおばあさんは、お父さんの母親で、ルリのおばあちゃんであるらしい。魔法とか何とか話しているところを見るに、彼女は魔女なのだろう。それか、気候が暖かくなると現れる、空想の世界に暮らしている人だ。


 ものすごく怪しいが、ルリはおばあさんが言っていることは嘘ではないと直感した。お父さんとお母さんの様子から見ても真実を語っているように思える。


 ただ、問題はおばあさんがルリを何処かへ連れていこうとしていることだ。弟子にすると言っていたので、ルリを魔女にするつもりなのかも知れない。少しだけ心が惹かれるが、お父さんやお母さんと離れ離れになるのは嫌なので、隠れていようとルリは決心した。


 ところが、その思いはすぐに崩れ去ることになる。おばあさんが手を一振りすると、たちまちお父さんとお母さんが氷のように固まって動かなくなったのだ。本能的に、おばあさんが魔法を使ったのだと分かった。


「これで良し。さあ、ルリ。出ておいで」


 ルリの心臓が跳ねた。おばあさんは最初からルリが見ていたことに気付いていたようだ。このまま気付かないふりでやり過ごそうと思ったが、おばあさんがパチンッと指を鳴らした瞬間、ルリは玄関に移動して、おばあさんと向かい合っていた。


 あまりに突然のことで目を剥いたルリは、言葉も出せず、金魚のように口をパクパクとするしかなかった。おばあさんはスーパーの野菜でも物色するように、ルリの頭のてっぺんから爪先までじっくりと眺めてくる。


 おばあさんはルリの後ろに二つあるおさげの一方を枯れ木のような指で摘まみ上げ、反対の手で頬を挟み込んでルリの目の奥を覗き込む。暫く好きなだけルリの姿を点検した彼女は、何処か不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「まずまずだね。外の世界にいた割にはあまり浸食されていないようだ」


 表情とは裏腹に、おばあさんの基準としては合格点であったことが分かった。魔女の素質があるということだろうが、この状況では喜べない。


「お父さんとお母さんに何をしたの?」


 ルリが震える声で問うと、おばあさんは少しだけ目を丸くしてから、ニタァと笑った。


「なぁに。ちょっと静かにして貰っただけさ。気にしなくても数分もすれば動き出す。それより、行くよ」


「行くって何処に……ですか?」


 おばあさんの笑顔に身震いしたルリは、声がひっくり返らないように気をつけながら、なるべく丁寧に聞いた。すると、おばあさんは呆れた視線を向けてくる。


「どんくさい子だね。聞いていたんだろう。お前は今日からわたしの弟子として暮らすのさ」


「でも……」


「反論は聞かない。これは決まったことだ。いいかい。これまではお父さんやお母さんから甘やかして貰っていたかも知れないけどね。今日からわたしがルールだ。口答えはなし。お前は黙ってわたしについて来るんだ。いいね?」


 目を吊り上げたおばあさんがぐっと顔を近づけてくる。廊下から見ていたときは、背の高いお父さんの陰に隠れていて分からなかったが、ここまで来ればおばあさんの容姿がはっきりと見えた。


 長い鼻は曲がっていて、肌にはイボやシミがそこら中にあり、口から覗く歯は疎らで黄ばんでいる。まるで物語に出てくる悪い魔女のようだ。


 あまりの恐ろしさに震えたルリは、振り子のように首を縦に振ることしかできなかった。ここで反抗したらどうなるか分からない。カエルや野獣に変えられてしまう可能性もある。


――どうしてこんなことになったんだろう。


 ルリは心の中で嘆いた。最高の誕生日になるはずだったのに、これでは真逆である。


 この日、生まれて初めて出会ったおばあちゃんからの誕生日プレゼントは、史上最悪な思い出としてルリの記憶に深く刻まれることになった。

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魔女見習いルリと暗い森の住人たち 斑鳩 環 @ikarugatamaki

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