第3話 サンマとマグロと嫉妬?
女がキーボードを叩く音だけが響く部屋で携帯電話が着信を知らせた。キーボードを叩いていた女、百合子は面倒臭そうに顔を上げた。はぁ、とため息をついて机から離れる。
携帯画面に表示された名前に先程までの面倒臭気な顔がぱっと明るくなった。
「もしもし、美沙緒」
「っあぁあ、百合子ぉ」
受話器から聞こえる泣き真似をするような声音に相手が百合子と親しい間柄であることが感じられる。百合子は少し耳から受話器を遠ざけた。
「なぁに?もううるさいなぁー。叫ばないでよ」
「そんなこと言うなよぉお姫さん!嫁に行き遅れるぜ」
「今はいつ結婚してもいいんですー、美沙緒ちょっと頭が古臭いんじゃない?」
ポンポンとお互いを小突く様な言葉を交わす。一通りからかいあったあと、百合子は美沙緒に訊ねた。
「ところで、今日はどうしたの?」
美沙緒が息を詰めるのを感じた。
「え、と、うん!ちょっとね!電話したくなっちゃって」
電話口でもゆり子は美沙緒が無理に笑顔を作る様子を容易に想像することができる。しかし、言いたくないならば、自分から言わないならばわざわざ掘り下げる必要もないだろう、と百合子は美沙緒が何故電話をかけてきたのかを言及する選択肢を放棄する。子どもじゃあるまいし、百合子は軽くため息をついた。
「あ!そうだ!あの子元気?なんだっけギター弾く子!」
美沙緒の声に百合子は時々タジタジとしてしまうことがある。
「あぁ、シマね。あの子元気よ。元気すぎて困ってる」
友人である小柄な少女シマとの時間を思い出し百合子は楽しい気持ちになる。
「へぇー!ギタリストなんでしょ!個性的?会ってみたいなぁ〜!絶対楽しそう」
この声、と百合子は思う。昔からそうだ。美沙緒には人を惹き付ける魅力がある。明るくて、可愛くて、相手の意図を汲み取りたいという気遣いが見受けられる心地よくて、優しい声音。自身も美沙緒のこの愛らしい所に惹かれたのだ。なんとなくシマと会ってほしくないと思ってしまう。いい歳こいてなにを思っているのか、と自分でも呆れてしまうが、なんとなく会ってほしくないと感じてしまうのだ。
「えぇー、私がとりもつのも嫌よー。美沙緒とシマの間に挟まれるなんて、騒音のなかに自分から飛び込んでいくようなものじゃない!うるさいのが想像できるぅ」
冗談を交えるように言った。美沙緒をシマに会わせたら、シマが取られてしまうような気がしたから。
「なによそれぇ!ひっどぉい!!」
「あら、美沙緒さん、ご立腹?」
プッと美沙緒が吹き出すのが聞こえる。百合子は良かった、と思う。
「まぁ、何でもいいや、百合子と話したらちょっと元気でたわ!ありがとー!もう切るね」
電話口から明るい声が聞こえる。
「切り替え早っ!!!」
「人間そんなもんだってぇ!んじゃおやすみぃ」
電話がプツリと切れる。自分が楽しければいいのかぁ!とツッコむのを忘れたなぁ、と百合子は携帯の液晶画面を見て失敗した顔をする。
切り替えが早くない人間もたくさんいるのよ。美沙緒に言おうとして呑み込んだ言葉が、美沙緒に向けたものだったのか、それとも、自身に向けたものだったのか百合子にはわからなかった。
百合子と美沙緒は高校時代から仲が良かった。美沙緒の人当たりの良さ、可愛らしさに何度か嫉妬したことはあったがずっとうまくやってきたと思う。美沙緒と自身のプライドのどちらが大切かと考えたときいつも秤は美沙緒の方に傾いたから。
同じ大学に合格して、1年目、百合子が好きだと言った人が美沙緒の事を好いていることを知ったときも彼が美沙緒の事を好きになっただけで美沙緒には罪は無いと素直に思えた。美沙緒はバカみたいに謝ってきたけど、百合子とは本当に気にしなかったのだ。同性の百合子も認めるくらい美沙緒は魅力的だ。仕方ない、という思いのほうが強かった。もっとも、美沙緒には好きな人がいたからそこもうまくはいかなかったけれども。
ただ、少しだけ、突然の失恋で手持ち無沙汰な感じがして、小さいバンドのライブに行った。特に意味はなかった。たまたま貰ったチケットがあったから、なんとなく気になったから、暇だったから、一時間くらい聴いてかえろうと思ってたのに。
ぱっと魅せられた。舞台の上でギターをかき鳴らしながら、へんてこりんなロゴの(確か、サンマって書いてあるのになぜかマグロのイラストがプリントしてある)Tシャツで楽しそうに歌う小柄な女の子。美沙緒みたいな慎ましやかな感じはなかった。だけど、小さな体で声を張り上げて口を大きく開けて楽しそうに身体を揺らす少女はとても魅力的だと思った。
こんなふうになりたいな、とじっと見つめてしまった。バチリと目があった。心臓の鼓動が早くなる。音楽が遠ざかる。女の子の目が私から遠ざかり、ジャンっ!と言う音とともにメンバーが全員でありがとうございましたぁ!と叫ぶのが聞こえた。
さて、みなさん、ここから小柄な少女はなにをしたでしょうか?
彼女はあろうことか、マイクをもう一度握り直し、百合子の方を指差し、一言。
「ビビビビ!!!!!!!」
帰ろうとした百合子が止まったこと、全観客がこちらを見たことは言うまでもない。
その後のことはあまり覚えてない。彼女がギターをしまい、こちらにかけてきて、メンバーの人が、呆れながらも、楽しそうに笑って、それで
今に至る。
花はどこにも見えないのに 三枝 早苗 @aono_halu
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