最終話)奈美の優矢

 些細な事。たとえそうだとしても、それがそっくりそのままそのとおり些細な事として済むのかどうか、それは千差万別。或いは、十人十色。同じ些細な事であっても、その時その時の状況や環境によって些細な事は些細な事ではなくなるかもしれない。いついかなる時でもどんな時でも必ず多数決の多い方に倣うとは限らないし、誰もが誰も模範解答に準じるとも限らない。答えが先に見えていたとしても、そこに向かって歩みを進めているようでいて実のところ、それぞれがそれぞれに弾き出した答えを集め、そしてそれを振り分けただけだったりする。決して、人ならざる何方か様に導いていただけたワケではないのです。多い方が○、或いは常識、若しくは正解だという捉え方、それはきっと集団で生活していく上では最も効率の良い決着の付け方で、そしてそれがたぶん社会という枠組みで平和的に纏まる為の手っ取り早い方法なのでしょう。だからこそ数の論理というある意味では暴力的とも言える筈のそんな押し付けが、それでもこの社会では真っ当でありそれこそが普通で当然の事だと言えるまでに長く、常識的で模範的な基準となっているのでしょう。それは判るし、理解もしている。けれど、でも………それでも、些細な事は些細な事でしかないと風化させてしまえるかどうかは別のお話しだとは思っている。たとえそれが許されざる願いだったとしても、たとえそれが淫らで愚かな望みだったとしても、たとえそれが多数決なんかでは肯定してもらえないだろう祈りだったとしても。

 きっかけ。それは、些細な事でした………なんていう言葉が一切の出来事に対して真実味を帯びるとするならば、少なくとも私が感情を激しく揺さぶられてしまったきっかけは些細な事でしたと言えます。けれど、環境とか状況とかが特異性を何一つ持っていなかったとしても、少なくともこうして溺れてしまっている私からしてみれば、この想いが芽生えたきっかけは決して些細な事なんかではなかったのです。だって、運命とか必然とか赤い糸とかいうロマンティックとかドラマチックとかセンチメンタルとかの類いの言葉のどれもこれもに強引にでも当てはめて、あとは知らん顔で見ないフリしていたいくらいに、アタシというアタシの何もかも全てが隙間なく彼で埋め尽くされたのですから。胸がたまらなく締め付けられ、それと同時に身体が火照り、更には心が熱を帯びていく。アタシというアタシの至る箇所が、あらゆる部位が、彼のみにしか反応しないと表現しても些かの間違いもないくらい一途に、彼だけを求めて止まなくなってしまう………詰まるところそれこそが、うん。

 浮かんだ答えが答えとして、ぴたり。と、ハマると感じた嬉しさは更なる強烈な実感となり、脳が唯一の指令以外の一切合切を中断し、それ以降その唯一の指令以外を却下し続け、アタシはそれを一身に浴び尽くす事のみに全精力を傾けているのです。その時になって漸くアタシは、疼く身体と潤む瞳の理由が脳内で妄想する靄々によってではなく、心が欲する夢想によってなんだという事を、完全に、完璧に、えっと、理解? ううん………違うわね。認識をした。の、かな。結局のところ、そうなんだと思う。求めていたモノと発していたモノは、たぶんまるっきり同じモノだったんです。だからアタシは思う。それがたとえ許されない恋情だとしても、それがたとえ愚かな淫欲でしかないとしても、それがたとえ肯定しがたい背徳行為なのだとしても、たとえ数の論理で自らが正しいと上から目線で何度罵られようとも、それでもアタシはアタシが辿り着いた答えに十全なる言い訳を乗せ、強引に押し通し、或いは覆い隠して、徹底的に理論武装してやろうと決めたのです。たとえば、そう。誰にも迷惑をかけてなんかいないじゃないか、と。誰も傷つけたりなんかしていないじゃないか、と。苦しませてもいないじゃないか、と。悲しませてもいないし困らせてもいないし泣かせてもいないし何も危害を加えていないし何一つ悪くない悪くないよ悪いもんか何がイケナイんだ私の勝手でしょアンタ達には関係ないじゃないかぁー! と、おもいっきり胸を張ってそう言ってやるんだ。目を逸らさずに言いきってやるんだ。


 だってそうでしょ?


 アタシを支配するこの感情は、一人に向けてのみ放出され続けている心情であり、その人を、彼をおいて他の誰にも触れてもらうつもりのない事なのだから、彼にしか見せつける事なんてないし、判らせるなんて事もないし、誰に気づかせる事もなく彼にのみただただ溺れ続けるという事が叶えば、それさえ叶うのなら続くのなら終わらないのならアタシはそれでイイんだもん。アタシにとってはそれが全て。それだけ。それだけでイイ。だから、許してもらうつもりなんてないの。だから、認めてもらわなくても構わないの。話すつもりもないし、聞かせるつもりもない。これは彼とアタシだけの事。二人だけで、二人きりで、通い合っていればイイの。それが私の望みだし、それが揺るぎない願い。だからそれでイイし、それだけで構わない。それさえ与えられれば、アタシは充分すぎるくらいに幸せなの。だからアタシの邪魔をしないで。だからアタシ達の仲に入ってこないで。邪魔なの。邪魔でしかないの。邪魔という名前の邪魔でしかない邪魔という存在なのだから、決して跨がせはしないし絶対に洩らしもしない。それを覚悟というのなら、アタシはそれこそに命を懸ける。理論武装は他者へ向けてもモノなんではない。いくらそれを施してみたところで、多数決の多い方の側に入れてもらえるワケがない。そんなの判りきっている。理論武装は自分自身への、ううん。彼に向けてのモノ。バレたら最後、アタシ達は引き離されてしまうだろうけれど、バレずにいても彼が屈してしまえば彼はアタシから離れてしまう。それはつまり、アタシの終わりを意味する。彼と離れる苦痛を実際に経験してきたのだから尚更、あの頃のあの絶望感にはもう耐えられない。だから、結局のところ命懸けなの。


 そんなの、判ってる。

 判りきってる事だし。


 誰も理解なんてしてくれないし、賛成なんて望めやしない。少し油断しただけで、ほんのちょっと目を離しただけで、アタシが間違っているとアタシですらアタシを蔑むくらいなんだもん。少しでも油断していると不意に現れて目障りな看板を掲げ、ほんのちょっと目を離しただけで耳障りな自己主張を吹聴しようと動き回る。アタシの眼前で、アタシの耳元で、アタシを虐め、アタシを苛み、アタシを蝕もうとする。だからアタシは、今日もこうしてアタシと対峙している。もう諦めなさいという意を常識だの何だのという作られた価値観を披露する事で突き刺してくるアタシと、そんな事はアタシの価値観ではないと激しく抵抗するアタシ。アタシとアタシが激しくぶつかり合う。世間というアタシ以外の住人の常識という価値観に対し、世間という枠からはみ出たアタシは丸裸で応戦している。向こうのアタシは剣を持ち、此方のアタシは丸裸。此方のアタシにあるモノは、想いの強さ。深さ。大きさ。けれどそれはアタシにとって、唯一にして最強の盾でもある。だから、こうして凌げている。聞く耳を持たないヤツだと揶揄されようと、この想いから目を背ける事なんてアタシには出来ない。それは不可能な事。だからアタシは思うに至った。


 絶対は絶対にある、と。


 この想いを棄てるなんて絶対に無理。この想いを諦めるなんて絶対に無理。この想いを抑えつけるなんて絶対に無理。そんなのハナから無理なのよ。元を正せば一つ身体の中に存在しているアタシのクセに、どうしてそんな事も判らないの? アタシは攻め込む。そして、勝つ。ならば、次は彼だ。そんなの判っているよね? 気づいてくれているよね? 知らない筈ないよね? だからこれからはずっと、アタシの傍に居てくれるよね? アタシはアナタさえ居てくれればそれで幸せなの。アナタが居ないと不幸でしかないの。アナタの傍に居ないと不安でしかないの。アナタに棄てられてしまうという悪夢を一身に浴びてしまったアタシは、それをまた経験するのが怖いの。イヤなの。耐えられないの。だからもう、アタシはアナタから離れないよ。それはずっと、これからも変わらないよ。変えられないよ。この先たとえどんな事をされても、アタシはアナタを失いたくない。


 ねぇ、ユウヤ………。


 アナタがアタシに与えてくれた、アナタにとっては些細な事なのかもしれない数々はね、アタシにとってはどれもこれも大切な事で、いつしかアタシはアナタに恋をしてしまいました。最初はさ、最初のうちは吹けば飛ぶような脆いアタシだったよ。これは恋情なのだとはっきり気づいてから暫くは、早く諦めなきゃって思っていたのよ。だってアナタは、アタシの弟なのだから。けれど、抗うアタシを見つけてしまったのよ。そしてアタシは、抗うアタシの方を真の自分自身としたの。アナタを求めて止まないアタシが本当のアタシなのだから、アタシにとってそれは当たり前の事なのだけれどさ。ねぇ、ユウヤ………アナタはアタシを愛してくれたよね? アタシははっきりと覚えているよ。たしかに愛してくれたと。心が、脳が、身体が、ね。アタシは知ってしまったの。何度も浴びてしまったの。アナタがアタシに与えてくれる至福を。アタシはそれに溺れてしまったのよ。アナタのせいで、アタシはそこから抜け出せなくなってしまったの。たぶん、これがそれを知る前だったとしたら………ううん。それでもきっと無理かな。それならそれで、それでも何か理由を見つけ出していると思う。作り出していたと思う。絶対に、ね。だって些細な事が、些細な事ではなかったのだから。たぶん、恋というのは自己犠牲なのだろうね。だからアタシは、ユウヤの気持ちを優先させてきた。けれど、アタシはアナタを愛してしまった。アナタがアタシのモノであり続ける為にはどうすればイイのか、アタシの思いどおりになるには何をすればイイのか、愛というのは自己満足なの。


 こんなアタシ、どう思う?

 壊れていると思いますか?


 そうね、アタシは壊れているのかもしれない。たしかに一度、アタシは壊れてしまったから………アナタのパパのせいで。アナタのパパは、アタシを犯し続けていたのよ。まだ中学生にもなっていなかった頃から、まだ子供のカラダだった頃から、アナタのパパはアタシを性欲処理の道具にしていたの。アタシはママの連れ子だから何をしても逆えないし逆らわない、誰にも言えないし言わないだろうとでも思っていたのでしょうね。たしかに、そう。アナタのパパの思惑どおり、アタシはアナタのパパの玩具になる事を拒めなかった。抵抗して叩かれたり殴られたり蹴られたり怒鳴られたりするのが怖かったし、家を追い出されるのも怖かったし。それに………言う事を聞いていればそこそこ気持ち良かったし。抵抗して痛い思い怖い思いをするよりも、渋々だろうと嫌々だろうと受け入れて、そこそこだろうと少しは気持ち良くなれた方がマシだもん。色々な事を強要してきてアタシが上手く出来ないと怒られるし、上手く出来るようになったらそれはそれで何度も強要してくるし、そのクセ意に反して満足させられてしまうような事は一度としてなかったから、心待ちにしてしまうような事は全くなかったけれど。思い出したくもない事なのだけれどこうして思い返してみれば、自分勝手で粗暴だった記憶しかないかもしれない。アタシに一度お口で逝かせておいても、それでも挿入すればすぐに達してしまうような不甲斐なさだったし。実のところアタシは、達するに至らせられた記憶がない。おかげでユウヤともこうなるまでは自分でする頻度が多くなったくらいに、ね。あんなのでママは満足していたのかな………夫婦仲は良いように見えたし、アタシは玩具だから、ママにはちゃんとシテあげていたのかもね。それとも、愛があれば気にならないのかな。ユウヤが早く逝ってしまっても、ユウヤならアタシでそんなに気持ち良くなってくれたのねって嬉しく思うし。けれど、嫌々ながらでも逆らわず我慢して仕込まれたおかげで、最初からユウヤを満足させてあげられたのだし、それもあってユウヤはアタシとの関係を求めるようになったのだろうし、愛していると言ってもらえるようにまでなったのだから、ちょっとくらいは感謝してあげてもイイかも。死んでくれて清々しているけれど、ね。ママを道連れにされたのは許せないけど、事故の原因は酒気帯び運転で追突してきた誰かさんだから、恨みに思うのは孕まされて堕胎させられた事くらいかな。そのせいでアタシは中学校さえ満足に通えないまま、誰にも本当の事を言えなかったから大好きなママにまで軽蔑され、それでもアナタのパパは相変わらずアタシを玩具にし続けて………ホント、もしもユウヤが居なかったらアタシはどうにかなっていただろう。って、あの時アタシのお腹の中に宿ったのはユウヤの子だったのかもしれないし、どっちなのかはアタシにも判らないのだけれど。ユウヤは自分のパパがアタシを弄んでいただなんて知らないままだから、自分のせいでアタシを傷つけてしまったと今でも思ってくれているみたいだし、その気持ちを利用しているアタシは………うん。誰のせいでもなく、やっぱり壊れているのだろうね。


 ねぇ、ユウヤ………。


 それにしても、だよね。その日にアナタのパパと、アナタ。入れ替わりで立て続けになんて事も沢山あったのに、鉢合わせはただの一度だってなかった。アナタのパパは用心に用心を重ねていたのか、それともママが居る時はママの相手でそれどころではなかったのか、いつだってママが留守にしている時のみだったっけ。アナタのパパもアタシのママも共にお仕事を持って忙しくしていたからすれ違いも多かったし、たぶんママよりもアタシとの方が回数は多かったのかもしれない。それにママには流石にあんなにも身勝手な抱き方はしなかっただろうし、ホントはこうシテみたいこうシタいという欲求をアタシで全て消化していたのだろう。ううん………アタシと言うよりも、何でも言う事を聞く逆らわない玩具で、かな。人間の尊厳なんてどこにもない、アタシ。お口の中に、あそこの奥に、そしてお尻までも、アタシは玩具にされ続けていた。それなのにアタシは、アナタのパパを憎むまでは思っていない。あんな事をするような人をパパだとは認めないし、蔑んでもいるのだけれど、どうせならもうちょっと早く死んでくれたら良かったのに。と、思っている程度の存在でしかない。思い出したくもない記憶ではあるのだけれど、ママも道連れにして死んでくれたからユウヤと二人きりになれたし、少しの間だったけれどユウヤと夫婦のようにすごせたからなのかな。アタシはずっと、ユウヤとのこの先しか考えていない。あの頃はあの頃でその先を、そして現在も現在でこの先を、ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとそれだけしか考えていない。やっぱりアタシは………壊れているのだろうね。でもね、アタシはユウヤにならそう思われてもイイ。ホントだよ。ホントにそう思っている。だって、アナタのモノになれた時にはもう既に、こんなアタシだったのだから。アナタのモノでいられた時にはとっくに、こんなアタシだったのだから。それでもアナタはアタシを愛してくれた。そんなアタシを求めてくれた。そんなアタシを抱いてくれた。何度も、何度も、何度も、ね。勿論の事ユウヤは、アタシのそんなアタシなんて知らないのだけれど、きっと知られたら終わりなのだけれど、だからアタシは幸せを知ったのだし、だからアタシは幸せでいられたのよ。だからアタシは、こんなアタシのままでイイ。壊れていると思われてもイイの。ねぇ、ユウヤ………アタシは少しも諦めてなんかいないよ。アナタを諦めた事なんて一度もない。アナタを逃がさない。誰にも渡さない。知ってしまった幸せを忘れる事なんて出来ない。アタシは永遠にアナタだけのモノなのだから、アナタは永遠にアタシだけのモノなのよ。アナタを永遠に独り占め出来るのなら、アタシはどんな事だってするよ。もう、アタシは間違わない。間違えたりなんかしないの。アタシが幸せになる為の答えは結局のところ、何一つ変わってはいなかった。ずっと一つだったの。だからアタシ、だからアタシね、幸せになる為ならどんな事だって………してやるんだからね。これからも、ずっと、ずっとずっと、ずぅーっと。


 ずっとこのまま、ね。


 今日もまた、アタシは横になっているユウヤに囁く。そして、明日も明後日も。ずっとずっとずっと囁き続ける。誰よりも優しいアナタがどんな状態であろうとも、アタシから離れられなくする為に。たとえ死んでから先も、ずっとずっとずぅ~っと、アタシから離れられなくする為に、ね。アタシが姉であるかぎり、ユウヤはアタシを見捨てない。見棄てる事が出来ない。だからアタシは隠し通す。血は繋がっていないという事を。アナタのパパとアタシのママは、共に再婚だったという事を。共に、子連れだったという真実を。あの頃まだ幼すぎたアナタは、理由があって別居していたという嘘を信じたままでいる。疑ってもいないままでいる。アタシだってそうだった。実は違うんじゃないかなんて、同じようにまだ幼かったアタシも思いもしなかった。けれど、真実を知ってしまった。知らされてしまった。アタシを性欲処理の道具とする、アナタのパパによって。もしもこの事実をアタシが晒せば、きっと後ろ指を指される事は無くなるでしょう。けれどそれで、アナタに棄てられてしまえばアタシは終わり。もしもアナタが何かの機会に、たとえば戸籍抄本を取り寄せるとかで知り得てしまえば、アタシは赤の他人なんだとまで見離されてしまうかもしれない。だから、絶対に知られてはならない。ユウヤに露見しないように、隠し続けなければならない。


 まさに、諸刃の剣。

 まさに、ジョーカー。


 けれど、

 だから何なの?


 ………、


 ………、


 ………、


 ユウヤぁー、

 愛してるよぉおおおー。




        最終話 奈美の優矢  完

     嘘はたったヒトツだけ  終わり

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嘘はたったヒトツだけ 野良にゃお @Nyao8714

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