●←タピオカ
大宮コウ
●
1
「僕は、タピオカは、絶対に飲みに行かない」
妹にそう宣言したのが、昨日の夜のこと。
2
「お兄さん、一緒にタピオカを飲みに行きませんか?」
妹の友人にそう持ち掛けられたのが、今日の午後のこと。
3
「お兄さん、お帰りなさい」
木枯らしから逃げるように帰宅した僕を、自宅の居間で礼儀正しく迎えた長い黒髪の少女。彼女は僕の妹ではない。妹の友人であるユカちゃんであった。
「ただいま、ユカちゃん。アオは?」
「アオちゃんは、ちょっと用事があるみたいで。少し時間がかかりそうだったので、お先にお邪魔させていただいてます」
ユカちゃんは、妹のアオにとって保育園の頃からの友人である。中学二年生になった今でも、その付き合いは途切れていない。むしろ同じバドミントン部に入ったことで、その友情はより固くなったとは妹の弁なのだが、果たして迷惑をかけていないか兄としては不安であった。
彼女はワイシャツの上にセーターを着ていた。制服のブレザーは椅子の背もたれにかけられている。いつも通りに、学校帰りに直接家に来たのだろう。
「部活は……休みなんだっけ?」
「はい、テスト前ですから」
「そっか。いつもの勉強会?」
「はい。わからないところがあったら、お兄さんに聞きに行きますね」
「うん、いつでも来てね」
「頼りにしてます」
「あはは……」
ユカちゃんはよく家に来る。僕は中学の頃から部活に入っていないから、よく家にいる。必然、彼女とはよく顔を合わせることになる。
僕が中学生だったころまでは妹と三人で遊んだものだけど、僕はもう高校二年生で、妹たちも中学二年生。無邪気に遊ぶ子供からは、互いに足を洗った頃合いだ。
たまにゲームを一緒にするくらいで、しかし昔ほど何かするほどではない。それを気にかけてか、ユカちゃんは気をつかって時折話しかけてくれているのだ……多分。
付き合い自体は長くなるのだが、妹の友達という距離感、それに加えていくつかの事情も重なって、僕は彼女の内面をいまだに捉えることができていなかった。
台所で手を洗う。弁当箱を洗い終えて、居間のソファに座る彼女を見る。自分のものであろうノートを読みながら、彼女は透明なプラスチックの容器に入った何かを飲んでいる。
と思えば、ユカちゃんが急にこちらを向いてきた。自然、目が合う。彼女の唇が僅かに弧を描くのが見えた。
「お兄さん、一口飲みますか?」
彼女はそう言って、手に持つそれを頬に寄せるように掲げる。
ベージュ色の液体、その底に沈殿する黒い粒。
紛うことなきタピオカドリンクであった。
「い、いや、大丈夫」
「まあまあ、そう遠慮なさらずに」
集中が途切れてしまったのだろうか、勉強なんてそっちのけでぐいぐい来るユカちゃん。
ユカちゃんは、こうして僕をからかってくることがある。いや、からかう、というのもまた違うのかもしれない。彼女が何を思って僕に構ってきているのか、僕にはわからないのだから。
彼女は表情に乏しい。しかし何一つ変化がないわけではない。目の開き具合、眉の曲がり方、声の抑揚、その他諸々。付き合いが長いぶん、いまではおおよその違いが見分けられる。だが、表情の変化に気づくことができても、どうしてその表情になったのかがわからない。
もっとも、彼女の行為の対処に困っているのは、僕自身の問題もあるのだけど。
僕はユカちゃんの正面のソファに座った。
「ユカちゃん、アオから聞いた?」
「聞いた、とは、なにをですか?」
彼女はぼんやりとした顔のまま、わざとらしく首を傾げる。
妹は、ユカちゃんにやたらと僕の話をする、らしい。それ自体は可愛いものだけれど、第三者に話が流れているというのは、いささか恥ずかしいものがある。流石にもう慣れた……とまではいかないけれど、ユカちゃんだからいいかなぁ、と諦め半分だ。
ということで、妹とたいへん仲のいいユカちゃんは、妹からそれはもう僕についてあることないことを吹き込まれている。主語を欠いては伝わらないのも仕方がない。
「僕がアオに、タピオカを飲まないって言ったことだよ」
「ああ、そのことですね。はい、もちろんお聞きしました」
ユカちゃんへの問いは、予定調和みたいに肯定される。彼女の表情は変わらない。しかし声はどうしてか、ほんの少し弾んでいた。
事の発端は、タピオカの話を振られたことだった。ちょっとした口論は、兄妹の仲にはよくあることだ。それ自体は問題ではないのだが、売り言葉に買い言葉の結果、
「もし僕がタピオカを飲むことがあれば、お前の言うことを何でもきいてやる」
などという恐ろしいことを、僕は口走ってしまったのだ。
「聞いているのなら、わかるよね。僕は天に誓って、タピオカは飲まないことにしてるんだ」
「でもお兄さん、前に自分は無宗教なんだーって言っていましたよね」
「あくまで物の例えだからね?」
「はい」
「ともかく、僕はタピオカを飲まない主義なんだ」
「そうですか」
表情を変えないまま、なるほどと頷くユカちゃん。
「わかりました。では、お兄さん、一緒にタピオカを飲みに行きませんか? ちょうど先週、近くにまた新しいお店ができたんですよ」
「いや行かないって僕いま言ったよね!?」
「お兄さんは相変わらず頭が固いですね。アオちゃんに内緒にすればいいじゃないですか。そうすれば解決です」
「いやいやいや」
静かで大人しくて賢いと昔から近所で評判だったユカちゃん。しかしその実、けっこう頑固というか、獰猛なところもある。そのことを、付き合いの長い僕は知っていた。
その頑固さが、どうしてこんなところで使われるのかは分からない。大方、僕をからかっているだけだろう。
「私、口はけっこう堅い方ですよ?」
確かに彼女の話に乗るほうが合理的なのは確かだ。それに、世間一般では女の子と一緒にタピオカを飲みに行くのは学生の青春の誉れだ。ユカちゃんの言う通りにするのが賢いに違いない。
「それでも、遠慮しておくよ」
「どうしてです? 私のこと、信じてくれませんか?」
そんな風に年下の女の子に言われてしまうとたいへん弱い。変な意地にユカちゃんを巻き込んでいるわけで、罪悪感も湧いてくる。できるだけユカちゃんの顔を見ないようにして、僕は答える。
「いや、ユカちゃんは悪い子じゃないって知ってるよ。でも、そんな卑怯な真似はしたくはないかな。僕は正々堂々、タピオカを飲まない」
「お兄さん、それあんまりかっこよくないです」
「ユカちゃんは厳しいね……」
「私、お兄さんのことは好きですけど、そういう変に頑固なところはちょっとなーって思います」
ユカちゃんは、普段の会話の中でさらっと好きだと言ってくる。これも彼女と話すとき、よく言われていることだ。他愛ない言葉だ。ほら、彼女の表情は何でもないことを言っているように変わってない。
意識して、意識しない。特別なことではない。それが健全な交友関係を保つために必要なことだと僕はもう知っている。僕は曖昧に笑って、その場を流す。
何も無理をする必要もない。要はタピオカと同じだ。わからないものには手を出さなければいい。
どこかつまらなさそうに口を尖らせるユカちゃん。しかし何かを思い出したように、彼女は口を開く。
「そういえば、お兄さんはどうしてアオちゃんが遅れていると思います?」
「え? さ、さあ……」
あっさりと話を変えられて、僕は気もそぞろに返事をする。ユカちゃんがいつ来たかわからないけれど、そろそろ帰って来ていい頃合いではないか。
「男の子に呼び出されたんですよ。きっと告白ですね」
「あ、あいつがぁ?」
アオの恋愛話なんて聞いたこともしたこともない。そりゃあ兄妹でそんな話をすることもないだろう。それでも、アオには色気より食い気という言葉がぴったりだから、あいつがモテるというのがいまいち結びつかない。
「意外ですか? アオちゃん、けっこう人気あるんですよ」
「まあ、見てくれだけはいいもんなあ」
「部活のエースですし、性格もいいですし、自慢の友達です」
「そういってくれてなによりだよ。今後とも仲良くしてやってね」
「はい、もちろんです……それで、アオちゃんが男の子に人気があるって聞いて、お兄さんとしては複雑な気持ちになったりしたりします?」
「え、いや、そうでもないかな……」
実感が湧かないから、さしてなんとも思わない。でも、もしアオに変な男を突然彼氏として連れて来られてしまえば、僕は自分がどうなるかわからない。
ユカちゃんがソファを立って、わざわざ僕の隣に座ってくる。
「じゃあ、私もそうだって言ったらどう思います?」
改めて、ユカちゃんを見る。顔立ちは中学二年生にしては大人びている。黒の長髪は、彼女の聡明さを引き立てていた。普段は無表情だけれど、これで分かりやすく微笑みかけられでもしたら、いくらでもアホな男子は落ちていくのではないだろうか。
「いや、まあ、アオよりは納得ではあるかな」
「ありがとうございます……じゃあ、もし彼氏がいるっていったら、どう思います?」
「……いるの?」
「ふふ、どうでしょう」
彼女が何を考えているのか、僕にはやはり分からない。
4
「ねえ、一緒にタピオカ飲みに行かない?」
幼馴染が僕にそう提案したのは、翌週月曜の下校中のこと。
5
揺れる電車の中、隣に座る彼女に、僕は思わずため息をついた。
「アホみたいなこと急に言わないでよ。自分の状態を考えてから話しなよ」
「アホじゃないもん!」
「いや、アホじゃん……」
幼馴染のコクトー、彼女のスカートから出る日焼けした右足は、ギプスで固定されていた。テニス部のコクトーは足の骨を疲労骨折でやってしまい、こうして強制的に休部する羽目になっているのだ。
松葉杖を抱きしめて、コクトーは半目でこちらを見てくる。
コクトーとは、家が歩いて三分程度しか離れていない。小学校は同じ、中学校も同じだったが三年連続別のクラスで疎遠になり、高校二年生になったいま、再び同じクラスとなった。
親同士の仲がいいため、暇な僕は骨折した幼馴染の荷物を持つために、一緒に登下校に駆り出されているのだ。
「行くなら他の奴らと一緒に行けばいいだろ」
「行けるなら行きたかったよー。でも、みんなで行く日に病院の検査が入っちゃってさー」
美味しかったーってみんな自慢するんだよー、などと拗ねたように話すコクトー。こういう子供っぽいところは昔から変わらないな、と懐かしさを感じる。
「だいたい、タピオカくらいいつでも行けるんじゃないの」
「キミはタピオカをわかってない!」
確かに、タピオカのことは何もわからない。ましてや、女子高生たちのタピオカにかける執着もわからない。僕は大人しく拝聴する。
「日に日に新しいお店ができているんだよ。だから、いちいち飲み終わった店には行けないの!」
「でも、美味しい店なら何度も行ったりする……よね?」
「それはそうだけどー」
ぶつくさと言いながら、コクトーは短い髪の先を弄る。そもそも、買いに行きたいタピオカの店というのは帰路から真反対である。言うにしても遅すぎる。
それにしても、と思う。
どうして彼女は、あるいは彼女たちはタピオカに執着するのか。コクトーも昔はそんなキャラではなかったはずで、その齟齬が、僕らの間に新たにできている距離を意識させてくる。
短く切った髪を指先で弄りながら、彼女は言う。
「それにほら、いま、松葉杖だし……他の子たちと一緒に行くと迷惑かけちゃうかなって」
「僕はいいのかよ」
「キミは、だって、幼馴染じゃん?」
幼馴染だ。それは事実だ。そしてそれ以上でも、以下でもない。
小学生の頃は、よく一緒に遊んでいた。中学に上がって、別のクラスになって、彼女が部活を初めてからは疎遠になってしまった。
偶然同じ高校に入って、同じクラスになって。
以来、コクトーはたびたび僕に話しかけてくれる。それこそ、昔の頃みたいに。しかし疎遠だった頃の距離を僕は引きずってしまっている。おかげでどうにもぎこちない。
「あ、少し待ってもらっていいかな」
「なぁにい、タピオカは行ってくれないのに、自分の用事には付き合わせるのかなキミは」
「すぐ終わるからさ、頼むよ。新作のゲームの発売日なんだ」
電車を降りて、商店街前まで来て、僕は思い出した。生まれる前から流行っている人気ゲームの新作だ。予約は忘れてしまっていたが、寂れた商店街のゲーム屋になら、きっと残っているだろう。
「あ、ちょっと」
商店街に入って少し歩いた先のゲーム屋。昔からお世話になっているその場所に、僕は意気揚々と向かう。そのせいで、僕を引き止める声に気づかなかった。
そして僕は、ゲーム屋の前で足を止めた。
ゲーム屋だった場所の前で、足を止めた。
「た、タピオカ屋になってる……」
「あー、やっぱり知らなかったんだ」
遅れてきた幼馴染は、どうやら知っていたらしい。
「先月くらいかなー、潰れて空いてた場所にできたんだ。けっこう美味しかったよ」
コクトーの声もどこか遠い。いまの僕には、ある種の走馬燈が浮かんでいた。小学生の頃、カードゲームの新パックの発売日に朝一で駆けこんだこと。誕生日に買ってもらったゲームソフト。中学に入ってからもらい始めた小遣いを貯めて買ったゲーム機。
想い出は遥か向こうだ。呆然とする僕に、コクトーはなぜか申し訳なさそうに声をかけてくる。
「ほ、ほら、タピオカ奢るから、元気だしなよ」
「断タピオカ中だからいい……」
断つどころか、一度も飲んだことがないのだけれども。
6
タピオくんに裏切られた。
旅に夫と書いて、リョフくん。クラスの中でのあだ名はタピオ。
タピオくんは同じクラスのオタク仲間であり、オタクの間では呂布にちなんでバーサーカーだのと言われることもあった。しかし、本当に彼が裏切り者になるとは思っていなかった。
「俺、彼女、できたんだ」
昼休み。ふっくらとした顔を、いつも以上にほころばせてタピオくんは話してくれる。そんな彼を、僕と、サバくん、ゴンちゃんの男三人で囲む。タピオくんだけ座っているから、まるで圧迫面接だ。
「それ、きっと騙されてるよ」
友情に厚いサバくんが、真っ先に忠告する。決して嫉妬から来た言葉ではないと僕らは知っているので、僕とゴンちゃんは深く首肯する。
「美人局? とかいるみたいだし……ほら、悪いこと言わないから、まだ何もないうちに別れたほうがいいって」
「そんなんじゃないって。ほら、これ証拠」
ゴンちゃんの助言に、タピオくんはスマホを取り出し、写真を見せてくる。覗き込むと、女子が一人、それに頭の上にタピオカの入った容器を乗せたタピオくんが映っている。
ピントは女子に向いていて、タピオくんはぼやけている。しかしこのふくよかさは間違いなくタピオくんに他ならない。写真はSNSに投稿されたもので『♯タピオカ奢りありがとう』と文章が添えられている。
そしてその女子は、僕らも見覚えがある人だった。タピオくん以外の僕ら三人は、視線を前の席に向ける。いるのは普段はそこまで関わりのない、イケてる女子筆頭のナタさんだ。
「俺とナタさん、文化祭実行委員じゃん? それで色々あってさ、一緒にタピオカ飲みに行ったりして、この前付き合うことになったんだ」
僕のクラスは、男子にクラスをまとめる陽気なキャラクターがいない。奥ゆかしい男子たちで占められているのだ。必然、こういう事故が起こり得る可能性は否めない。
タピオくんに彼女ができたというのが事実であるのなら、それはめでたいことだ。祝福されるべきことだ。しかしそれよりも、僕には問うべきことがあった。
「タピオくん、タピオカは飲まないって言ってたじゃないか……」
タピオくん、サバくん、ゴンちゃん、そして僕。仲良くなった僕たちは、四人でタピオカ飲まない同盟を作ったはずだった。
しかし、おずおずと残り二人も手を小さく上げる。
「じ、実は俺もさ、この間……」
「お、俺も……」
「お前ら……」
今度一緒に飲みに行こうね、などと話すタピオくんサバくんゴンちゃん。男同士の友情はかくも儚い。
ナタさんの方を見る。ナタさんと話している幼馴染に目を向ける。
昔のコクトーは、あんな風に笑っていただろうか。もう思い出せない。
特に視線に気づいたわけじゃないだろうけど、コクトーがこちらの方に顔を向ける。僕は、つい、目を逸らしてしまう。
タピオカを飲もうと誘って来た彼女。
もし、僕が意地を張らなければ何か違っただろうか、とは思わない。彼女への心の整理は、あの日からまだついていない。
7
小学生の頃、幼馴染のコクトーは、僕のことを好きだとよく言ってきた。それは友情から来るものだと知っていた。それでも、歳を重ねるごとに恋愛的な要素が脳裏によぎってしまい意識するようになったのも、子供にとっては致し方ないことだ……と、思いたい。
転機は小学六年生の冬だ。いつも通りに彼女の部屋で二人で遊んでいたとき、コクトーはなんでもないみたいに話す。
「――に告白されて、付き合うことになったんだ」
彼女の言葉に、僕は、ふうん、となんでもないみたいに僕は返事をして。
本当は、彼女の言葉が自分への裏切りみたいに思えて。
でも、友情を恋愛と錯覚していた自分が一番の裏切り者で。
それから、なにかと理由をつけて、僕は彼女といままで通りに遊ばなくなる。ちょうど中学に上がる直前だ。距離を置くのも、なんとなく仕方ないで片付けられた。
中学で同じクラスではなかったのは幸いだった。自分のやましさと向き合わずに済む。
同じ高校、同じクラスになることは予想外で。
あの頃みたいに接してくる彼女が理解できなくて。
僕はいまだに、コクトーにどんな顔をすればいいのかわからない。
8
タピオくんとナタさんの交際判明から翌日、昼食は僕らのグループとナタさんグループで囲んで食べるようになった。すると翌々日の今日、余波なのか、はたまた隠れていたのが噴出したのか、男女で食べる集まりが点々とできるようになる。
この状況がタピオカによるものかと思うと、なんとも釈然としない。
女子高生三人と、僕を除く男子高生三人はいずれもタピオカ好きだ。今日はどこにタピりに行く、だなんて話している。僕にも話が振られるが、いやちょっと、と答えれば、ノリ悪いーとナタさんが明るく笑う。ナタさんに続いてタピオくんサバくんゴンちゃんもノリ悪いーと輪唱する。
ほんの二日のことなのに、友人たちがどこか遠くに行ってしまった気持ちだ。せつない。
僕は幼馴染に目を向ける。彼女もナタさんグループで、目の前で弁当をつついている。
「わ、私もちょっと……今日はいいかな……」
再びノリ悪いーの輪唱。あははと笑うコクトー。その笑い方は、心なし、力がない気がした。
手持ち無沙汰な中でスマホへと目を向けると、メールが来ていた。
差出人はユカちゃんだった。
9
「今日はありがとうございます」
「暇だったし、僕も楽しめたから。こちらこそ、誘ってくれてありがとうね」
制服姿の彼女が礼を言うので。僕も返す。学校から帰宅して、そのまま来たので互いに制服だ。
ユカちゃんに誘われたのは映画だった。『タピオカじゃなければいいんですよね?』なんて言われてしまえば、先日断った身としては弱い。
テスト直前に映画なんてさぞかし余裕と思うが、中学生ならこんなものだろう。わざわざ注意することもない。なにより僕もテスト期間は、いつもより昼寝の捗る期間だと思っている。
「それならよかったです。なんでしたら、今日だけと言わず明日も明後日も付き合ってくださってもいいんですよ?」
「それは……いいかな……」
ユカちゃんが誘ってくれたのは、B級に属する類の映画だった。上映館が少ないため、少し遠くの映画館まで足を運んだ。こちらの方が年上というのもあり、映画の代金は流石にこちらが出したので出費が大きい。
映画を観るというのも結構体力を使うものだ。帰る前にどこかで休みながら映画の話でも、と二人でフードコートを物色していた。
それにしても、映画館に来たのは久しぶりだけど、けっこう楽しめた。しかし、映画館でもタピオカを売っていることには驚きを通り越して呆れてしまう。それをユカちゃんは買っていたので、試しにどんなものかと聞いてみたら「まあまあですね」と何でもなさそうに感想を述べてくれた。女子中学生の舌は肥えているのだろう。一口飲むかと聞いてくれたが、僕は前と同じように断った。
映画が終わって、もう夕方も過ぎている。いまからユカちゃんを送って帰れば、だいたい七時くらいか。そう頭の中で計算していると、ユカちゃんがおもむろに腕を組んできた。
「お兄さん、行きましょう」
彼女の視線の先には、クレープ屋があった。
「映画館のあとはクレープ、これは常識ですよ」
「そうかな……?」
「そうです」
「そうか……」
そもそも映画館に中々行く機会がないのでいまいち馴染みがない。しかし、僕みたいなタピオカさえ飲まない流行弱者よりは、ユカちゃんの方がよっぽど知識が豊富に違いない。僕は大人しく、ユカちゃんと一緒に列に並ぶ。
並んでいるというのに、ユカちゃんは組む腕を離さない。
「こうしていると、恋人みたいだと思いませんか?」
いつもみたいに、笑って誤魔化そうと思った。それでも、じいとユカちゃんに見つめられて、僕はたじろいでしまう。
どうしてか、幼馴染のコクトーが重なる。
「ユカちゃんは……」
「はい、なんですか?」
「……いや、なんでもないよ」
「そうですか」
結局、僕は誤魔化してしまう。コクトーのことを思い出してしまうのは、最近よく一緒にいるからか。
彼女は僕をからかうのに飽きたのか、僕から離れてメニューへと目を移す。
「私はこれを注文しようと思いますけど、お兄さんも同じものでいいですか?」
「ああ……うん……」
ついコクトーのことを考えていたから、反応が遅れてしまった。列もだいぶ進んでいた。改めてメニューを見て、僕は気づく。
「いや、タピオカじゃん!」
メニューはタピオカ一色だった。おかしい、クレープ屋に来たはず……!?
「ちっ」
「いま舌打ちしたよね!?」
「気のせいですよ。そんなはしたないことする訳ないじゃないですか」
「それもそうか……ごめんね」
「いえいえ」
よくメニューを見ると、クレープもちゃんと売っていた。僕はチョコバナナクレープを注文する。可愛いですね、と言われるが知ったことではない。タピオカでなければ何でもありだ。
フードコートの一角で向かい合って座って、ユカちゃんと一緒に食べる。
「お兄さん、それ、一口食べていいですか?」
「……いいよ」
彼女の要求に対して、僕は大人しくクレープを差し出す。ユカちゃんの小さい口に、僕のクレープが齧られる。避ければいいのにわざわざ歯型のついた部分を掠めていた。
「ではお礼にこちらを一口どうぞ」
「その手には乗らないからね?」
差し出されたタピオカに、僕は笑ってノーと答える。僕はノーと返えすことのできる男なのだ。
「そもそも、どうしてそんなにタピオカが嫌なんですか?」
「むしろ、ユカちゃんはどうしてそんなにタピオカが好きなの……?」
ユカちゃんは困ったように首を傾げた。それでも、すらすらと言葉を紡ぐ。
「美味しいとは思いますが、好きというのとはまた違う気もしますね。タピオカが人気だから、とか、みんな飲んでるから、とかはあまり関係ないんですよ。ただ、手が届くものに手を伸ばさないと、気が済まない性分なだけです」
「そうなの?」
「お兄さん、私が写真撮ってるの、見たことあります?」
「ない気がする、けど」
「そういうことです。さあ、次はお兄さんの番ですよ」
そういうことだと言われても、レベルが高すぎて僕にはいまいちわからなかった。それでも、彼女がそう言うのなら、そうなのだろうな、と受け入れてしまう。
タピオカを啜りながら、ユカちゃんは僕に問いの答えを求める。まるで珍獣を前にされているみたいだ、と思った。改めて聞かれると、なんと答えればいいものか悩ましい。
「……笑わない?」
「私はお兄さんとの会話ならいつでも笑って聞きますよ」
「無表情で言わないで」
「いつもの顔です」
「そうだね……」
「それに、お兄さんなら、気づいてくれるでしょう?」
「善処させていただきます」
「精進してくださいな」
ユカちゃんが表情に乏しいことは、彼女自身も知っているのだ。そして、僕がほんの少しだけ、彼女の表情の変化に気づくことができることも。
彼女は誠意をもって接してくれている。多少なりとも信頼してくれている。だから僕も、包み隠さず話そう。
「新しいものに挑戦するのが怖い……のも、違うかな、なんだか気後れしちゃうんだ」
「気後れ、ですか。では、質問を変えます。タピオカと、今日注意散漫なことには関係ありますか?」
「……そう見えた?」
「お兄さんのこと、いつも見ていますので」
ユカちゃんの言発現に面食らう。彼女の表情の変化は気づいていると自負があった。しかし一方で、まさか自分が観察される側でもあったなんて、思ってもみなかった。
「まあ。ちょっと、色々あって……」
「色々、ですか」
「そう、色々」
色々というほどではないけど、適当にはぐらかすには最適な言葉で。
しかし、そんな僕の思惑も、ユカちゃんには筒抜けらしい。
「お兄さんって、そこそこめんどくさい人ですよね」
「耳が痛い」
僕はクレープを食べる。彼女はタピオカを飲む。こんな会話も、ユカちゃんとなら、多少は気が楽だ。
「女の子とのデート中に、他のこと考えてたらいけないんですよ。減点です」
「減点ですか」
「でも私としては、今日はお兄さんの新しい一面を見ることができて嬉しいので、それで相殺です」
「甘い採点で助かります……」
ですが、と彼女は続ける。
「お兄さん、知ってますか?」
ユカちゃんは、ずい、と身体を前のめりにして言う。普段より近い距離。隣り合って座ることもあったが、彼女の顔をこんなに近くで正面から見るのは、初めてかもしれない。
彼女の長く伸びた睫毛とか、二重のまぶたとか、僅かに膨らんだ小さい鼻とか、艶のある唇とか、喉の動きとか。そういったユカちゃんを構成するものが、視界いっぱいに映っている。
これだけ情報量が多い状況になれば、きっと彼女のことをいつもよりも知ることが出来る。いまなら彼女の見えざる内側に、手が届きそうな気がした。
しかし僕は身体を少し仰け反らせ、距離を置いてしまう。僕の挙動に彼女は気にもせず話し続ける。
「タピオカが人気になるのは、何も今回が初めてじゃないんですよ」
「そうなの?」
「そうなんです。タピオカが最初に日本で流行ったのは、私たちが生まれるよりも前。二十年以上前のことだそうです。そしてタピオカドリンクとして流行ったのはおよそ十年前の二〇〇八年。つまり、全然新しくないです」
「……詳しいね」
「女子中学生にとっては当然の知識です」
「おおー」
「というのは嘘で、あんまりにもお兄さんが嫌がるので調べました」
「おおー……」
「というわけで、お兄さんの苦手意識はまったくの見当違いだったということですが、いかがですか?」
そうは言われてみたものの。
根付いた隔意は容易に抜けてくれない。返答に窮している僕に、彼女は再び口を開く。
「では、どうしてタピオカがまたこうして人気が再び出たと思いますか?」
「……マスコミのおかげとか?」
「それもあるでしょうけど、結局のところ運ですよ、運」
ユカちゃんは、ばっさりと言い切る。
「でも、確かなことがあります。店や商品を出した人たちがいなければ、ブームは起きなかったでしょう。つまり、偶然をモノにするには、まず行動が不可欠なのです」
彼女はそう締め括り……自分が普段より饒舌になっていたことに気づいてか、椅子に座り直した。ほんのわずかに照れている姿は、年相応に見えて微笑ましい。
「……と自説を述べましたが、結局のところ、私はお兄さんの好きなようにすればいいと思いますよ」
「そうかな……」
「はい。それはそれとして、私はお兄さんにタピオカを飲ませようとしますけど」
「なんで?」
素で疑問が声に出てしまった。
「行動が不可欠、ですから」
うまい具合に、話にオチがついてしまった。
それから、ユカちゃんを家まで送った別れ際のこと。
「早く悩み事を片付けて、今度はお兄さんからデート、誘ってくださいね」
「……善処します」
「ええ、心待ちにしております」
にこりとも笑わずに語られる彼女の言葉は、どこまで本心なのか分からない。それでもいまは、彼女の変わらない態度にほんの少しの元気と、それから勇気を貰えた。
10
翌日。
「じゃあ、また明日」
と素知らぬ顔で幼馴染を家まで送り届けたのち、僕はUターンして歩いた道を戻る。
電車に乗り、そして僕はやってきたのだ。そう、コクトーが話したタピオカドリンクの店へ。
自分で飲むためではない。あくまで彼女が飲みたいと言ったからだ。だから、妹との約束はセーフ、だと思いたい。
今日も心なしテンションの低いコクトーは、きっとまだタピオカを飲めていないに違いない。
タピオカ軍団の会話には、僕はタピオカ軍団のタピオカ飲まない枠として、それ相応の役割がある。
それはさておき、僕はメニューを確認して気づいた。
「何を買えばいいか、わからない……」
メニューに書かれた内容が思ったより多い。たかがタピオカドリンクと高を括っていたことを思い知らされる。
ドリンクとしてはミルクティーから抹茶やココナッツ、挙句の果てにはピーチにオレンジにグレープフルーツ。
ジュースだけではない、トッピングもバリエーション豊かだ。黒タピオカだの白タピオカだのある上に、ナタデココだの小豆だのがトッピングとしてもある。セットで投入したり、量も選べるようでたいへんややこしい。こんなにも種類があるとは聞いていない。いっそ全部盛りでいいのか? なんて投げやりになる。
そもそも、だ。
そもそも、一度は疎遠になった関係で急にタピオカを渡しに行くのは、相当変なことなのではないだろうか? 今からでもやめようかなと、真剣に悩んでしまう。
「お兄さん、こんなところで奇遇ですね」
聞き慣れた声に、振り返る。黒のブラウスにベージュのスカートを身に纏う、ロングヘアの少女、ユカちゃんだった。
私服を見たのは、彼女が小学生だったとき以来か。着るものが違うとだいぶ印象が変わるなあ、とぼんやり思ってしまう。
「本当奇遇だね……ユカちゃんは、タピオカを飲みに?」
「そうですね、お兄さんと会えないかなーと歩いていました、って言った方が、お兄さんとしては好感度高いですか?」
「あはは……」
最近いつにも増してエンカウント率が高いからか、なんだか慣れてきた。そんな反応が気に入らないのか、ユカちゃんはどこかムッとした顔になった、気がする。
「お兄さん、タピオカは飲まないんじゃないんですか? アオちゃんに言いつけちゃいますよ?」
悪戯っぽく咎めてくるユカちゃん。しかし、僕にとっては渡りに船に他ならない。
「ユカちゃん。聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
「はい、内容にもよります」
「その、お見舞いにタピオカを持っていくのはおかしいと思う?」
僕の質問に、ユカちゃんの目がすっと細められた。
「その相手は、女性ですか?」
「えっ、女性っていうか……いやそうだけど、いやまあ、幼馴染っていうか……」
「なるほど。その方とは、仲のいい幼馴染なんですか?」
「仲は……どうだろう。昔はよかったけど、今はそんなに……かな……」
「なるほど、ちなみに私と比べたら、どちらの方が仲のいい幼馴染ですか?」
急に何を言われたのだろう、と思ってしまった。それはユカちゃんがあくまで妹の友達という認識だったわけで、つまり幼馴染という感覚が一切なかったわけで。
よくよく考えれば、確かに幼馴染の枠組みに入る。あるいは僕にとってはそうでなくとも、ユカちゃんにとっての僕は、少し年の離れた幼馴染みたいなものなのだろう。
「ユカちゃん……かな。この間も一緒に遊んだ仲だし」
「そうですね。一緒にデートした仲ですからね」
わざわざ言い直すユカちゃん。彼女は深く頷いた。
「つまり、その幼馴染さんとは、仲直りがしたいということですか?」
仲直り。
ユカちゃんに言われて、その言葉がしっくりきた。腑に落ちた、といってもいい。
僕は、コクトーと仲直りをしたかったのだ。
仲直り、なんて大仰なものではなくてもいい。ただ、少しでも昔みたいに一緒にいられたら、なんて未練がましく思ってしまっているのだ。
結局のところ、何かきっかけや口実が欲しくて、こうしてタピオカに縋っているのだ。
「そう、だね」
彼女はむむむと深く思案して、言葉を紡ぐ。
「幼馴染相手なら、タピオカを手土産にするするくらいは普通のことでしょう……いえ、もし普通じゃないとしても、お兄さんがしたいと思ったのなら、しない理由にはなりません」
「そっか」
「そうです。行動することは、よいことなのですから」
きっぱりと断言するユカちゃん。
彼女のこういう行動力が、僕はどうにも眩しい。歳の差とか、幼馴染とか、妹の友人であるとか関係なく、もっと見習わなければならないと思わされるのだ。
「ユカちゃんは、すごいね」
「……すごくはありませんよ。あくまで自分のためです。それに、思ったより成果は出せていませんから、全然です」
「そっか……うん、そうだね。じゃあ、僕も自分のために行動するよ」
「はい、それが一番です」
そのとき。
彼女が、笑った気がした。口角が少し上がる程度ではない。仮面が割れたようにはっきりと、確かに、笑顔になったように見えた。
けれども、瞬きの間に、彼女はいつもの無表情に戻っていた。
彼女の笑顔が、瞼の裏に残る。気になるが、今はもうひとつ聞くべきことがあった。
「それでもう一つ聞きたいんだけど……タピオカって、どれ買えばいいと思う?」
「……普段、その方と一緒に飲んでいる人とか、知人にいませんか?」
その後、僕はタピオに連絡して、ナタさんに取り次いでもらう。コクトーの好みのタピオカを聞く中で発生した変な勘違いは、必要経費だと思うしかない。
「ありがとうね、ユカちゃん」
「いえいえ、いつもお世話になってますので」
返信を待つ間、ユカちゃんもいてくれた。心ばかりのお礼として、先に彼女にタピオカドリンクを奢って、傍のベンチで時間が過ぎるのを待つ。
「でも、タピオカを買っているので、これはアオちゃんとの約束に対して半分ルール違反ですよね?」
「そう……なるのかな」
「なります」
「なるかあ」
もうなんだか、この際別にいいかな、と思えてきている。タピオカに振り回されているのが、そろそろ馬鹿らしくなってきた。しかし中学生の欲望は際限がなく、また中学生の要求に歯止めもない。
想像の中の妹の架空の要求に対して武者震いする僕に、ユカちゃんは手を差し伸べる。
「でも私は優しいので、アオちゃんには内緒にしてあげます」
「ユカちゃん……!」
持つべきものは、優しい妹の友達だ。そう無邪気に思ってしまった僕は、ユカちゃんが続ける言葉を予想できない。
「その代わりに、私のお願い、ひとつ叶えてくださいね?」
11
「タピオカ買ってきたけど、飲む?」
コクトーにそう尋ねたのが、疎遠になってから、四年も経った今日のこと。
12
「キミって、やっぱり変だよね」
コクトーのお母さんから匿われるみたいに、僕はコクトーの部屋に通された。久しぶりのコクトーの部屋は、だいぶ様変わりしていた。
ゲームと漫画くらいだった部屋にあるものは、部活で得た賞状と、少女漫画と、ぬいぐるみと、不思議といい匂い。
「あんまり、じろじろ見ないでよ」
「ああ……ごめん。なんか、変わったなって」
僕の言葉に、ベッドに腰かけるコクトーは目を落とす。
「変わるよ、当たり前じゃん」
「まあ、当たり前だよなあ」
四年ぶりだ。僕らは大きくなって、互いに知らない人生を歩んできた。
「キミは、変」
学習机の椅子に座って郷愁に浸る僕に、念を押して繰り返すコクトー。どうやら彼女にとって、それが世界の真理みたいだ。
「……そう?」
「そうだよ。急にタピオカ持ってくるとか。確かに飲みたいって言ったのは私だけどさー!」
「迷惑だった?」
「嬉しかった! ありがとう!」
「どういたしまして」
嫌がられなくて何よりだった。正直、普通に気持ち悪がられてもおかしくない。渡したあとでは、むしろよくもまあやったなあ、と自分で自分に引いてしまう。
「キミは昔から変だよ。だから今日は、昔みたいで安心した」
「その安心のされ方は釈然としないんだけど……」
抗議も気にした風ではない。コクトーは、溜めていたものを吐き出すように、話を続ける。
「キミは、昔から自分の中で完結しちゃうよね。勝手に盛り上がったり、勝手に落ち着いたり。振り回される方の迷惑だよ」
「それは、うん、ごめん」
わざわざ言われずとも、流石に気づくことはできた。疎遠になった原因は、間違いなく僕だ。上手く誤魔化せた、だなんて大間違いだ。
「ねえ、どうしてか、聞いていい?」
「いいけど……単純に僕がバカだっただけというか……」
「誤魔化さないでちゃんと聞かせてよ、説明責任!」
「政治家か?」
タピオカを渡す最難関は乗り越えた。この際だ、恥だろうとなんだろうとぶちまけよう。半ばやけになって、僕は腹をくくる。
「冬休みに入ったあたりでさ、コクトーが、ほら、付き合うって言いだしただろ」
「え、う、うん。そんなこともあったね。結局直ぐに別れちゃったんだけど」
「……とりあえずその話は置いておいて、昔は、その、コクトーが僕のことを好きだと思ってたんだよ。だからその、幼心に嫉妬心が芽生えたというか」
「……ふ、ふうん」
「照れるなよ、こっちまで恥ずかしくなるだろ。あくまで昔の話だからな。昔の」
「そ、そっか、昔のね、うん、昔の」
ちらりと、上目づかいで見てくるコクトー。
「ねえ、いまはどう思ってるの?」
「また、前みたいな友達になれたらと思ってるよ」
僕の返答に、彼女はどうしてか、釈然としないみたいな百面相をする。
それから、仕方ないなあ、みたいにコクトーは笑った。
「六十点」
「……その心は?」
「幼馴染のお情けで三十点、親友としてのお情けで三十点」
「お情けでしかない」
コクトーは、タピオカミルクティーを一口飲んで、また口を開く。
「ほんとはさ、もしかしたら買ってきてくれるんじゃないかなーって思ってたんだ」
「以心伝心だな」
「半々くらいの確率で」
「思ったより低い」
「ねえねえ、どうして買ってきてくれたの?」
「そりゃ、コクトーがわざとらしいくらいに元気なかったからだろ」
「え、いや、元気がなかったのは……その……まあ、結果オーライだしいっか! よし!」
「いや、よしじゃないんだけど。説明責任は?」
「バーリア!」
「小学生か!」
そんな風に、馬鹿みたいに馬鹿な話をして。わだかまりを消していく。
「そうだ! タピオカ持って一緒に写真撮ろうよ!」
「ええ…………」
「ほら、仲直り記念だと思って」
「いいけど、ネットに上げるなよ」
「二人だけの秘密だね!」
「タピオとナタさんにはコクトーにタピオカ買ったの知られてるから」
「情報漏洩が早い!」
昔のままとはいかないけれど、くだらないことで笑える。十分すぎるくらいだ。
二人で写真を撮らされたあと、コクトーは、僕が渡したタピオカミルクティーを押し付けてくる。
「一口、飲んでいいよ。買ってきたのは一応、キミだし」
コクトーの好意に、僕は当然、こう返す。
「いや、僕は甘いものは苦手だからいいかな」
13
ユカちゃんの家に来ていた。
タピオカ屋に行くのを妹に内緒にする代わりに、妹の友達の頼みごとを聞くことになるのは我ながら本末転倒な気がしてならない。
ユカちゃんの家に来るのは、僕が小学生の頃以来だ。ユカちゃんのお母さんにどう挨拶しよう、と考えていたのだが、ちょうど留守らしい。
というか、ユカちゃんに来る時間まで指定されていた。頼みごとを一つ聞くとはいったが、僕はこれから何をされるのだろう。
僕は居間で椅子に座らされている。彼女は台所で作業していたが、すぐにやって来た。
「それでは、こちらを飲んでください」
と、彼女の言葉と共に机に置かれたのは見覚えのあるものだ。ブラウンの液体。そこに沈殿する黒い粒。タピオカドリンクであった。
「罪を重ねさせられている気がする」
「まあまあお兄さん、そう焦らないで、聞いてくださいな」
ユカちゃんは、そう言って胸を張る。
「こちら、私が作ったものです」
「……ユカちゃんが?」
「はい、私が、です」
心なし、自慢気なユカちゃん。
改めて、タピオカのカップを見る。以前、妹からカップに見せ特有のマスコットキャラクターがありインスタ映えが云々、などと講釈を受けたことがある。いま、目の前にある容器は無地だ。ただただ透明なだけの容器だ。
「お兄さんは、タピオカのお店で買って飲まないとアオちゃんに言いました。そうですね?」
「た、多分」
「これは私の家で、私が作ったタピオカドリンクです。なのでセーフです。合法です。合法ドリンクです」
「そうかな……」
「そうです」
「そうか……」
本当にそうだったかなあ、と思いつつ、受け入れてしまう。なんだか最近ユカちゃんに言い包められるのが常習化している気がする。
「お兄さんは甘いものが苦手と聞きましたので、甘さ控えめで作りました」
アオからの情報だろうか、というかそんなことまで話してるのか。我が妹は、他に話すことがないのだろうか。余計な心配とはわかりつつ、少し妹が大丈夫か不安になってしまう。
さて、目の前にある合法ドリンク、もといタピオカドリンクだ。
ユカちゃん手ずから作ったというのだ。流石の僕でも、飲まない、なんて選択肢は取れるはずがない。
僕はおずおずと、カップに手を伸ばす。通常より大きめのストローに口をつける。おそるおそる、液体とタピオカの混合物を口にする。
「どうですか?」
「おいしい……と、思うよ。うん、本当に」
ユカちゃんの質問に、僕は正直に答えた。すっきりとした紅茶の味。グミとはまた違う、柔らかな弾力のあるタピオカ。
それぞれ単体でいいじゃないかと正直思っていた。しかし実際に飲んで、その認識は覆される。二つを一緒に飲むことで、緩急ついた味覚体験になっていた。こんな味なら、人気があるのも納得だ、と不覚にも思ってしまった。
「というか、これって自分で作れるものなんだね」
「ええ、まあ紅茶にタピオカを入れてるだけですし、けっこう簡単ですよ。タピオカは粉を丸めて茹でればいいだけなので、コツが掴めれば簡単ですし……美味しい紅茶を淹れることができるようになるまでは、結構時間がかかりましたが。まあ、愛があれば容易いことです」
「愛」
「愛、です」
恥ずかしげもなく断言するユカちゃん。そんな彼女は、変わらず眩しい。
そして僕は、彼女のこういうところが好きなのだ。
「なんにせよ、お兄さんの問題が解決したみたいでなによりです」
「僕まだなにも言ってないんだけど……」
「見ればわかります」
「……そんなに僕ってそんなにわかりやすい?」
僕が尋ねると、ユカちゃんは心底不思議そうに首を傾げる。
「好きな人のことをよく見るのは、当然のことじゃないですか」
彼女の言葉を真に受けるには、彼女の表情に変化はなくて。
その鉄仮面の下で、彼女が何をどう考えているのかわからなくて。
けれどもいまは無性に彼女のことが気になって。
だから僕は、ふと思いついたことを、思いつきのまま口にする。
「ユカちゃん、タピオカを作ってもらったお礼ってわけじゃないけど、今度、一緒にどこかに遊びに行かない?」
「それは」
彼女の表情が凍っていた。彼女の変化を察することができる僕でも、いままで目にしたことがないくらい固まっている。
一拍置いて、彼女は言葉を続ける。
「それは、まるでデートのお誘いみたいですね」
「みたい、じゃなくてもいいんだよ」
返事は僕の最大限。
そして彼女の顔に浮かぶのは、雪解けの始まりみたいな小さな変化。
●←タピオカ 大宮コウ @hane007
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