SS5 ステイツへの一時帰国(5~7日目:ナイアガラの滝)

『まえがき』

お待たせしました。

長いです。

単行本半分くらいあります。


『あらすじ』

ステイツへの一時帰国

会長が同行

ミスターと会食

 ***


 ナイアガラフォールズ市の鉄道駅。

 会長と俺は、長い旅を共にした電車から降りる。


「とうちゃーっく! さてと、ナイアガラの滝はどっちかな」

「会長。もうすぐ夕暮れです。観光は明日にしてホテルに急ぎますよ」


 今回の一時帰国では、7日目に帰りの飛行機のチケットを購入してあるので、観光に使えるのは実質残り2日だった。

 ステイツに来てからずっとニューヨーク市に滞在していた俺達だが、一週間でその全てを網羅もうらすることは不可能。

 だけど広大なステイツに来ておいて、一か所に留まるのはもったいない。

 せっかくなので、旅行の後半はマンハッタンを離れ、ナイアガラの滝観光をすることにした。


 これは会長の要望ではなく、俺からの提案。

 もちろんホストとして、存分にこの国を楽しんでもらいたい気持ちはある。

 しかしそれ以上に、あのままニューヨークで過ごすことに何か不吉を感じとった。

 直感というものは、あまりないがしろにできない。

 経験的に外れることの方が多いが、稀に九死に一生を得ることもある。


 ここで新たな問題がひとつ発生した。

 ナイアガラフォールズ市に行く方法はいくつかあるが、最短経路は間違いなく飛行機。

 高価な当日券だが、今回の旅なら経費で処理できるので、空路を選ばない訳がない。


『陸続きならば、飛行機に乗る必要はないでしょ。後輩君はお馬鹿さんなの?』


 という会長の独特な考えによって、陸路を強要された。

 意外と飛行機を怖がっているだけなのかもしれないが、指摘したところで得るものは何もない。


 結局、本来ならば3時間程度で済む移動が、マンハッタンから電車で9時間の旅をすることになった。

 会長の転移魔法ならば数十分だろうが、さすがに無粋なので口にしなかった。


 ただ列車に揺られる半日だったが、会長が一緒だったので退屈はしなかった。

 周りを巻き込むような派手に騒ぐことはなくても、車内でじっとしているはずもない。

 彼女の話はいつ聞いても目新しくて、突拍子のない話題が多い。

 いくら付き合っても飽きることがない。


 カジノを諦めた昨日に引き続き、2人でトランプもやった。

 昨晩のリベンジを掲げていた会長様だが、相変わらず感情が視線や呼吸だけでなく、顔にすら出ていてとても弱かった。


『まだ、私は負けていないんだからね!』


 俺も読むことなら得意だが、自身の感情を隠す方はあまり上手くない。

 普段会長に対して、ポーカーフェイスができていないことを自覚しているが、ゲームだと割り切れていれば、一歩引いた視線で身体を動かすことができる。

 しかしここまで一方的な展開になるとは予想していなかった。

 もしかしたら彼女は、カードゲームではなく、感情を表に出すことを楽しんでいたのかもしれない。


 一段落してからは、会長がカードを使った手品を披露してくれた。


『後輩君分かる? 分からないでしょ。何も見えなかったでしょ』


 意外な特技だと素直に感心していたのだが、過剰なまでに自慢して、あおってくる姿に少しだけ腹が立った。

 調子に乗った会長様が同じマジックをもう1度披露したので、そのタネを見破らせてもらった。

 視線誘導に騙されない技術は、格闘技に通じるところがある。

 そこからマジック対決が始まったのだが、最後のコイン貫通マジックだけは見抜くことができなかった。


『後輩君。まだまだだね』


 遊びとはいえ真剣勝負だったので、とても悔しかった。


 他にはひとつのタブレット画面を共有して、一緒に映画鑑賞をした。

 会長が選んだのは、男女4人による四角関係の恋愛模様を描いた邦画だった。

 さばさばしたクライマックスだったのだが、問題はその後。

 2時間黙っていた俺達は、当然のごとく感想を話し始めた。

 そこで彼女が推していたカップリングと、俺が推していた組み合わせが対立したのだ。


『どうして後輩君は、ツンデレちゃんのいじらしさを理解できないの』


 議論は平行線のまま、決着は帰国後に持ち越しになった。


 交代で昼寝もした。

 会長が互いに膝枕をすることを提案してきた。

 いつも通りに1度だけ反発する態度を見せてから、その後は素直に従った。

 これが東高なら、羞恥心しゅうちしんの方がまさって、最後まで反対していただろう。


 昼寝なんて、護衛としては不適切な行為に思われるかもしれないが、敵意が近づいたら寝ていても対応できる。

 15分ほどの積極的仮眠パワーナップは、効果的な休息方法として近年着目されている。

 そもそも眠れるときに眠るのが、戦士としていにしえからの教訓。


『寝ているときの後輩君は、とっても可愛いのに』


 それはこちらの台詞なのだがな。

 元気いっぱいに騒ぐ姿の彼女は嫌いじゃないが、無垢むくな寝顔も可愛らしかった。


 電車の中の時間を楽しんでいたら、たとえ9時間の移動でもまたたく間に感じた。

 遠いところまで来たつもりだが、ここはまだニューヨーク州の西端。


 ナイアガラフォールズ市は、その名の通りナイアガラの滝を中心にした都市。

 かつては滝を用いた水力発電のおかげで、工業地帯として栄えていた。

 しかしエネルギー事情の転換や、交通網の整備によって、工場を運営するメリットがなくなりすたれてしまった。

 ここ数十年で観光産業を中心とした街へと再生しつつある。


 ホテルやレストランの質はニューヨーク市に引けを取らない。

 人々の大半は観光客か、観光客を相手に商売している人間のどちらか。


 明日は朝から観光予定。

 とりあえずは、予約していたホテルのチェックインを済ませて、早めに就寝したい。


 ナイアガラ川はキャナダとの国境沿いに流れており、キャナダ側の方が絶景スポットとしてよく取り出される。

 入国に必要な書類がそろっていれば、日帰りできる。


 今からでも移動を済ませることは可能だが、宿泊中に不測の事態が生じた場合、ステイツにいた方が対処しやすい。

 それにこの時期は、夕方から滝がライトアップされていて綺麗だが、それを先に見てしまうと、日中に滝を見たときの最初の感動が半減してしまう。

 ということで、国境越えは明日。


 ***


 今回ナイアガラ市で、俺が予約したホテルは観光客向けの中堅どころ。

 ニューヨークで拠点にしていた部屋に比べてしまうとかなりグレードが落ちる。

 当然、隣同士のシングル2部屋。

 広さは無くても、泊まるだけなら不自由しない。


 さっそくチェックインのためにロビーへと入る。

 木造のレトロな雰囲気の宿屋を演出しているけど、実際は近年造られた建物で、壁の奥は鉄骨仕立て。

 しっかり隅々まで掃除の行き届いた清潔感があり、ガイドブックでの評判も悪くない。


 そんな中、少し暗めの照明でシックな空間に、溶け込んでいる先客がいた。


 少女が背を壁に預けて、退屈そうに片脚をぷらぷらさせながら、うつむいている。

 そんな彼女は俺の接近に対して、顔を上げる。

 こちらを認識すると、パッと明るい表情へと切り替わる。

 真っ直ぐにこちらの胸元へと飛び込んで来る。


 見知った顔なので、怪我をさせないように両腕でしっかりと受け止める。


『フヨウ遅い! せっかくニューヨークまで行ったのにホテルにいないし。追いかけてナイアガラまで来たら、なかなか来ないし』


 至近距離でキャンキャンと高い声が響く。

 事情は分からないが、彼女が辿たどった今日一日の流れは推察できた。

 おそらく飛行機で先回りされたのだろう。

 予感していた不吉は、彼女のことだったか。

 せっかくニューヨークを離れたのに、残念ながら逃げることができなかった。


 とりあえず抱っこした状態の彼女を床へと下ろす。


 背丈は俺と比べて頭2つ分小さい。

 低い位置から大きな瞳がこちらを見上げている。

 黄の色素が強めの金髪を後ろで2つに束ねているが、ツインテールと呼ぶにはまだ長さが足りない。

 それでも結んでいるのは、癖毛が激しいから。

 デニムのオーバーオールを可愛らしく着こなしており、白い肌を少しだけ見せている。

 荷物は肩から掛けたポーチだけ。


 突如乱入してきた少女だが、今の俺が気にすべきは、共に旅をして来た連れのほう


「ちょっと後輩君! 誰なのよこの女は!」


 会長様が分かりやすいリアクションを放った。

 これが嫉妬しっとならば多少嬉しくもあるが、自分のお気に入りのおもちゃを取られたことによる、条件反射のようなものなのだろう。


 さて、どうやって説明したものか。


「とりあえず、ここで騒ぐと周りに迷惑なので、部屋に荷物を置いて、場所を移しましょう」


 ***


 パトリシア・メーサー・ハワード。

 愛称はパティ。

 今年で12歳の少女。

 あまりおおやけにされていないが、ホワイトハウス現主げんあるじの血の繋がらない娘。

 しかし彼女には、そんな稀有けうな出自がかすんでしまうほどの凄まじい肩書きがある。


 パティは、ステイツ最強の魔法使い。

 これは政府側の人材だけに限らず、公社所属の正規魔法使いや、アウトローな連中の全てを含めて最恐最悪。


 九重紫苑の“絶対強者”は東高での2つ名でしかなく、ニホン最強とは断言できない。

 高宮、安倍、草薙といった歴史のある魔法結社だけでなく、西高の一ノ瀬ノエルといった対抗馬がいる。

 しかしステイツ最強は間違いなくパティ。


 俺がこの国のエージェントになっても、自信過剰にならずに、謙虚けんきょに鍛錬を積めたのはパティの存在が大きい。

 彼女がいたからこそ、この世界には俺より若くて強い連中なんていくらでもいると思い知ることができた。


 とは言え、パティがこの街を舞台に喧嘩騒ぎを起こせば、絶対強者の会長はもちろん、俺にすら勝てない。

 彼女の強さは対人戦では発揮できない。

 俺が対魔法使いのエキスパートであるように、彼女もある分野に特化している。


 たった2つの固有魔法を組み合わせることで、パティはこの国の頂点に至った。

 その力は都市単位を照準に合わせ、一瞬で人間が住めない環境へと変貌へんぼうさせる。


 ゆえに、パティは文明破壊のエキスパート。


 会長や俺はあくまでも個での強さでしかなく全力を出しても、単純な破壊目的ならば現代兵器には敵わない。

 しかしパティの魔法は、どんな兵器よりも効率良く殺戮さつりくと破壊を可能にする。

 もしかしたら精霊王の契約者すら上回るかもしれないが、さすがに検証したことはない。

 パティの魔法ならば、精霊界にある王の本体にダメージは通らなくても、チキュウに顕現した仮初かりそめの肉体を吹き飛ばすくらいならば、十分に想像できる。


 本人の戦闘能力自体は大したことなくても、ステイツ最強の称号は間違いなくパティのもの。


 ステイツの部隊には、俺クラスはごろごろいる。

 しかしパティは、裏部隊にすら収まらないトップシークレット。

 そんな彼女にかくみのとして与えられている表の顔が、大統領の養女。

 国家が公的に魔法使いを保有することは、国際法で禁止されている近代だが、大統領の娘がたまたま魔法使いだったならば、とがめられることはない。

 この国の魔法使いの取り扱いにおいて、最悪、フレイさんや俺のことを切り捨てるシナリオも想定されているが、パティのことは手放せない。


 条文の裏をかくようなグレーなやり方だが、ある問題が残っている。

 今の大統領が任期を終えた際に、彼女の扱いをどのようにするのか、まだ定まっていない。


 配置が違うので、本来ならば知り合うはずのない、パティと俺の出逢いは3年ほど前。

 ステイツ大統領の政敵が彼女の正体を知らずに誘拐をしでかした。

 その際に秘密裏に救出を命じられたのが、マックス


 助けた際に、当時9歳だったパティが感情を決壊させてしまい大泣きしだした。

 俺は傍でただ寄り添うことしかできなかった。

 それが彼女の気に障ったのか、事あるごとに俺に勝負を挑んで来るようになった。

 しかし何度奇襲きしゅうされたとしても、彼女の戦闘能力では負けることの方が難しい。

 戦いだけでなく、料理やお菓子作り、クイズ、ゲームなんかでも競ったが、どの対決でも圧勝した。

 年齢の差は当然あるが、真祖に育てられ、定期的に軍のキャンプに合流している俺は、魔力がないことを除けば、大抵のことは並以上にできる。


 当時は、俺も大人気おとなげなかった。

 成人達に囲まれて仕事をしていた俺にとって、彼女は年の近い数少ない友人だったので、外面を取りつくろううことをしなかった。

 俺のことをマックスではなく、この国では馴染みのない発音のフヨウと呼んでくれるのは、親しみの現れだと思っていた。

 だからこそ本気で相手をしてしまった。


 そしていつからなのか、パティは俺に愛想を尽かしたのか、勝負を挑むまれることが徐々に減っていった。

 こちらから会いに行く名目もなかったので、ニホンに赴く頃には、ほとんど顔を合わせることがなくなっていた。


 疎遠だったパティだが、突然の登場で想定外の展開になっている。


 結局、俺達はホテルのロビーでは荷物を預けるだけにして、部屋には入らずに場所を移した。

 話し合うために移動したのは、大衆向けの喫茶店。

 料理にも手が込んでおり、ニホンだとファミレスの枠に近い。

 店内は客や給仕でガヤガヤしているし、音楽も大きめなので、多少騒いでも迷惑にならない。

 ついでに夕食も済ませるつもり。


 店員に案内されたのは、向かい合った2つのソファーがテーブルを挟んでいる席。

 俺は女性陣の後に座ろうとしたのだが、会長によって強引に隣へと引きずり込まれた。

 そしてパティがその後を追った。


 結果として左に会長、右にパティ。

 2人を想定した席に3人で詰めて座っておきながら、対面の空席には誰も現れることのない奇妙な状況。

 幸いなことにテーブルを前方へ押して、少し余裕を作ったのでそれほど窮屈きゅうくつではない。

 はたからは両手に花に見えるかもしれないが、渦中の俺自身からしてみれば、針のむしろに座らされている思い。

 人間関係にうとい俺でも、この状況がまずいと分かる。

 ちなみにホテルを出てからずっと、パティの護衛の女性が気配を隠して同行している。


「さて、後輩君。まずはそちらの女の子を紹介してくれるかな」


 とても静かで平坦な口調なのに、その声はしっかり通っている。

 まだ料理を頼める雰囲気ではないので、3人分のアイスコーヒーだけ先に注文した。

 飲み物で口を湿らせた頃に、会長が口火を切ったのだ。


 パティは無理に俺達に合わせて苦い嗜好品しこうひんを選んだようだが、そもそも会長だってコーヒーはそれほど得意ではなかったはず。

 なのに2人は、砂糖やミルクを加えずにブラックのまま飲んでいる。

 俺を挟んで両人共に、ちびちび飲んでは『べー』っと舌を出し、眉間にしわを寄せて苦みと奮闘している。

 彼女らの互いに背伸びしているところが、微笑ましく思えるが、表情に出さないように気をつける。


「会長。こちらはMissパトリシア。ちょうど昨晩話題に出たステイツでの友人で、魔法使い見習いです」


 パティが魔力持ちなのは一目瞭然なので、隠す必要はない。


『パティ。こちらはMissシオン。ニホンのハイスクールで1学年上の生徒だ。フレイさんの客人でもある』


 パティは護衛任務のことを知らないし、俺の口から明かす訳にもいかない。

 それでもフレイさんの名を出したことで、裏の仕事絡みなことは十分に伝わったはず。


 なお、会長は俺の左腕にしがみついているが、パティの方は接触しない最低限度の間隔を空けている。

 以前から交流のある彼女は、俺の体質のことを知っている。


 先に会長が身を乗り出し、パティに向けて自己紹介をする。


「紫苑よ。紫苑お姉さんか、紫苑お姉ちゃんと呼んでね」


 毎度のことながら、もう少しまともな挨拶はできないものか。

 紹介した俺が恥ずかしい。

 彼女は本当に年上なのだろうか。


 訳す言葉を迷っていたら、俺より先にパティが動いた。


「パトリシアです。ワシントンに住んでいます。勉強は得意だけど、運動はちょっと苦手です」


 パティの口から、違和感の少ないとても綺麗なニホン語がつむがれた。

 以前に少しだけ教えていた時期があるが、記憶の中の光景よりもかなり上達している。


「ちょっと後輩君。こんな仕打ちあんまりだわ。卑怯よ。こんな可愛い子がいながら、私のことを口説くだなんて」


 実際に思ってもいないことを、よくも流暢りゅうちょうに言えたものだ。

 そもそも俺がいつ、会長のことを口説いたのだろうか。

 改めて振り返ってみると、暴走した彼女をなだめるために、鼻に付くような恥ずかしい台詞を何度か言った気がする。


 会長が遊んでいる間に、パティのターンが再びやってくる。


「あと、フヨウのガールフレンドで、とても仲良しです。シオンおばさん」

「お、おば、」


 ニホン語を披露することで、不意打ちをしたパティがさらなる爆弾を投下した。

 いつもなら先手を取ることの多い会長様が、驚きで絶句しており、余裕を失っている。

 ちなみに会長も2日ほど前に、フレイさんに対して似たような失礼をしている。


 パティはさとい娘なので、会長の不気味さに気づいているはず。

 魔力を解放していない彼女はただの一般人なのだが、俺に対して強引な態度を崩さない。

 それに九重紫苑の名は、東高の“絶対強者”として、この業界ではそこそこ有名なので、パティだって知っているに違いない。


 そういえば誘拐からの救出後、パティと改めて顔を合わせたときも、彼女は俺に対してかなり喧嘩腰だった。

 俺と同じく、パティも幼少期に特殊な環境で育ったので、コミュニケーションに難がある。

 もしかしたら彼女なりの挨拶で、相手を試しているのかもしれない。


 とりあえず俺のことをしにして、会長に喧嘩を売るのは止めてもらいたかった。

 パティのことを友人と呼んだとしても、『仲良し』とはちょっと違う。

 一方的に因縁を付けられて、毎度絡まれているような関係性だった。


 パティに言いたい文句はたくさんあるが、この場で注視すべきは、どちらかと言うと会長の対応。

 売られた喧嘩を流すか、真っ向から応戦するか。


「パトリシアちゃん。生意気な子って、私は結構好きよ。でもね、おばさんは使ってはいけない言葉なの。紫苑お姉ちゃんよ」

「シオンおばさん」


 パティが、感情をあまり乗せずに平らなイントネーションで返す。


「リピート、アフター、ミー。紫苑お姉ちゃん」

「……シオンおばさん」


「もう! 後輩君。この子生意気よ! 投げ飛ばしてもいいよね」

「いいわけあるか!」


 会長にそのつもりがないことは分かっているが、適当に流すとムキになるので、真正面から受け止める。


 俺を挟んで会長が身を乗り出そうとする。

 一応抑える素振りをするけど、彼女だって本気じゃないのですぐに諦める。

 普段から暴力に訴えることが多い彼女だが、加減はしっかり分かっている。


 とりあえず一歩リードされた状態の会長様は、攻め方を変えるしかない。

 その場で立ちあがり、パティの方を向いて中腰の姿勢になると、腕を寄せて胸元を強調した。


「分かるわ。お姉さんのバストに嫉妬したのよね。パトリシアちゃんと比べて大き過ぎるから、年が離れていると思っちゃったのよね」


 まったく大人げないな。

 パティは九重院で俺に張り合った久遠くおんよりも年下で、身長や体型は地獄の門で出会った女神ヘルに近いが、正真正銘の12歳。


 パティも立ち上がり、低い位置から顔を会長へと近づける。


「私の成長は、まだまだこれからです。それに、それに、胸に脂肪が多くても動き難いだけです」


 パティは年齢的に、もう二次性徴が始まっているはずだが、肉体面での成長は出会った頃からとても緩やか。

 胸部に限らず、身長も同年代の平均よりも大分乏しい。


 一方会長はヒールで底上げすれば、男性の俺と同じ目線になるくらいに女性としては高身長。

 さらに本人の自己申告によれば、胸は未だに成長中だそうだ。


 パティには悪いけど、年齢の差を考慮しても、会長に追いつく未来は見えてこない。


「パトリシアちゃん。残念だけど男はみんな、大きい胸が好きな生き物なのよ」


 どうして俺を見る。

 静観を決め込むつもりだったが、会長様が強引に俺を巻き込みだした。


 彼女の胸から目を逸らそうとするが、正面の視界大半を埋め尽くされているので不可能。

 首を曲げて拒絶してしまうと、逆に意識しているようにも見えてしまうので、完全に袋小路。


「フヨウもそうなのですか」


 パティが頬を膨らませて、詰め寄って来る。

 もう他人を疑うことを知っている年齢のはずなのに、綺麗な真っ直ぐの瞳を向けて来る。

 ステイツ最強とはいえ、まだ子供。

 しれっと嘘をつけば、信じるのだろう。


「……たしかに戦闘では邪魔なだけで、特に良いとも悪いとも思わないな」


 会長の肩を持つことよりも、自分の体裁を守ることにした。

 紳士として当然の対応だな。


「良かったです。フヨウは見た目で女性を選んだりしないのですね」


 心がとても痛む。


 これまでの人生で交際経験はないが、異性に関して人並み程度には好みがある。

 もちろん整った顔立ちや、スタイルが良い女性がいれば、自然と目を惹かれてしまう。


 まぁ、実際に関係を結ぶならば、性格の方を重視したい。

 以前までは物静かな人物像を求めていたが、最近は騒がしいのや、めんどくさいのも悪くないと思っている。


「ムッツリスケベな後輩君は認めることができないのよね。お姉さんはしっかり分かっているのだから」


 あながち間違いでもないので、ばつが悪い。

 2人きりならば即座に否定するのだが、先ほどパティ側に寄せたばかりなので、再び会長に反抗するのはまずい。


「ムッツリ、スケベ?」


 パティは耳に慣れないニホン語に対し、ポーチの中のスマートフォンを取り出して調べようとする。

 俺はすぐに手を伸ばして控えさせる。


 パティは素直に静止を受け入れる。

 どうやら会話中にスマホを取り出したことに対して、マナーを指摘されたと思い込んだようだ。

 俺と会うときはいつも慌ただしい彼女だが、普段は上流階級の娘として窮屈きゅうくつな生活を強いられている。

 そんな彼女が反射的に行儀ぎょうぎを注意されたと、勘違いしても無理はない。


「とりあえず後輩君は私のものだから、そこだけは譲れないわ」

「コウハイクン? フヨウのこと?」


 こちらへと確認をするパティに返事をする。


『“コウハイ”は同じ学校の学年が下の生徒を指す』


 俺の説明を聞いて、パティの顔が明るくなる。


「つまりフヨウとシオンは恋人ラバーじゃないのね」


 どうして人は、男女がいれば色恋に繋げたがるのだろうか。

 パティはそういうことに興味がないと思っていたが、会長と俺の関係を気にしていたのか。


 俺が選ぶのは沈黙。

 恋人でないことは確かなのだが、この場で明確に否定すべきではないし、肯定するのも違うと思う。

 俺としては、はっきりさせずに曖昧なままにしておきたい。

 一方で会長がどのように考えているのか、知りたがっている自分がいる矛盾も自覚している。


「私と後輩君の関係は、恋人なんて言葉では説明できないほど、とても複雑だわ。だからさっさと離れて、そっちの席に行きなさい」


 それっぽいことを口にしているようだが、薄っぺらな内容で適当に誤魔化した感じだな。


 けむに巻かれたと思ったのは俺だけじゃない。

 パティは、会長と俺の間に流れる微妙な空気と言うか、温度差を感じとったのか、まだ引き下がらない。


「ぽっと出て来ておいて何を言っているのです。たった数ヶ月でフヨウの何を知っているのですか」

「えっとねぇ。キスはもう済ませたし、お風呂にも一緒に入ったよね。今回の旅行中は彼のベッドで寝たよ。2人の共同作業もしちゃったしね」


 会長は嘘を言っていないので、かなりたちが悪い。

 彼女と唇を重ね合わせたのは、“魔法狩り”の発動のために血を分けて貰ったとき。

 一応、吸血鬼から凛花先輩を助けたことへのお礼であり、他意はないということになっている。

 お風呂の件は、霊峰で掘り当てた温泉にどちらが先に入るのか揉めた結果に過ぎない。

 ベッドは彼女が俺に悪戯いたずらをしようとして、そのまま寝てしまっただけで、一緒に寝てはいない。


 共同作業は、一体どれのことだろうか。

 第5公社の仕事のことか。

 他にも一緒に料理を作ったり、リルの散歩をしたり、バカンス中の女神様に会いに行ったりと色々としているな。

 傍から見れば、デートと呼んでも差し支えない2人きりのお出かけも何度かしている。


 それにしても、どうして会長はパティに対して自慢げに話すのだろうか。

 俺としてみれば、2人だけの秘密として共有したかった。

 会長が無理に張り合おうとするのは、俺がテトラドの本部で佐参さざんの登場に動揺したのと似たようなものだろうか。

 せめてもの救いは、ここがステイツの地で、周りに聞かれていたとしてもニホン語なら通じないこと。


「フヨウは交際をしていないのに、シオンとそんなことをしているのですか?」


 当然の疑問だな。

 クラスメイト達からも、度々似たようなことを言われているし、俺だってそう思う。

 3ヶ月前の俺なら、そういうことは告白が済んだ後だと思っていた。

 基本的に会長スタートのイベントばかりだが、それに毎回付き合う俺にも問題があるよな。


「パトリシアちゃんは、まだお子ちゃまだから分からないの。大人の情事はこういうものよ」


 一体全体、彼女は何を語っているのだろうか。

 俺が一方的に振り回されることに、情事という言葉を使うのはあまりにも不適切。


「でもフヨウだって、絶対に若い娘の方がいいはずです。あと5年もすれば、シオンは捨てられて、私になびくのです」


 パティの方も論点がズレてきているな。

 会長のペースに呑まれてからなのか、俺に対して謎のアピールをしてきている。

 そもそもパティから好意のようなものを、これまでに感じたことがない。

 会長と張り合う姿は、恐いもの知らずのパティらしいが、俺に対する態度がかなり反転しており、以前の彼女と同一人物なのか疑いたくなる。


 とりあえず俺の恋愛感において、年齢差はあまり深く考えていない。

 年齢を気にしてしまったら、ローズかあさんは数百年単位で年上。

 それでも親子でいられたのだから、人の縁に、生きてきた時の長さは関係ないのだろう。


「ニホンにはね。“あねさん女房は金の草鞋わらじいてでも探せ”という言葉があるのよ」

「アネサン? ワラジ?」


 また難しい言葉を選んだものだ。

 稀にだが、たどたどしいニホン語を使うパティに対して、独特な感性で会話のペースを握ることを得意とする会長が何度も通じない単語を使っている。

 そのせいで互いに負けを認めないのに、会話のテンポが悪くて、議論が平行線のまま失速している。


 これはわざとやっているな。

 もし決着を願うのならば、俺に選ばせるのが早い。

 それをしないということは、結論を望んでいないから。

 おそらく彼女の狙いは、対立構造を残したままこの場を一旦収束させること。


 俺としても、その落としどころで構わない。

 ニホンに行けば、パティとは当分会うことがないので、この2日間を乗り越えれば問題を先送りにできる。

 今の彼女の周りには同世代が誰もいないので、突然現れた会長の存在に、過敏に反応しているだけ。

 俺が東高の寮生活で徐々に周りの影響を受けているように、パティもいずれ環境が変わればもう少し大人しくなるはず。

 問題があるとすれば、彼女の養父がどのような教育を考えているのか


「会長は素敵なお姉さんなのですから、今回はパティのわがままに付き合ってくれますか」


 俺の言葉に対して、会長がその大きな瞳を見開いて、強めの眼光で返事をする。

 1度合った視線を離さないように、こちらもにらみ返す。

 後程の補填は大変なのだろうが、この場を治めるためには引くことはできない。

 視線で訴えている会長だが、彼女の意図した通りに進めているので、ただ俺に甘えているだけなのだろう。

 女心の矛盾に毎回頭を悩ませていたら、こちらの身が持たない。


 そっと会長の膝を2回タップしてから、俺は立ち上がる。

 彼女との交渉はとりあえず持ち越し。


 隣に座るパティを連れて向かいの席へと移る。

 もちろん俺は会長の正面を意識して腰掛ける。


 パティの方も最終的に俺が肩入れしたことで、大人しくなった。

 これでようやく料理を注文することができる。


 食事中、話題には事欠かなかった。

 好きな食べ物から始まり、ファッション、音楽や映画についてなど他愛もない内容ばかり。

 俺が余計なことを口にしなければ、会長とパティは喧嘩することなく和気あいあいと夕食を楽しんでいた。


 おしゃべりをする2人の姿は、少し元気のありあまった普通の女の子にしか見えない。

 むしろ男の俺がいない方が、上手くやれるのかもしれない。


 会長は黙っていれば清楚な美人系だが、喋り出すと五月蠅い。

 パティは見た目から明るく、中身も明るい。

 そんな2人が組み合わされば、にぎやかにならない訳がない。


「パトリシアちゃんも〇NE PIECEが好きなのね。やっぱり王道よね」

「はい。最新話が待ちきれなくて、ニホン語で読んでいます」


 パティはニホンの漫画やアニメが好きだけど、これまでに話の合う相手が身近にいなかった。

 会長も結構詳しいので白熱していた。

 どうやら2人共、冒険系のフィクションが好みで、一致したようだ。


 話しに付いて行けず黙って聞いていたら、2人から課題を大量に言い渡される羽目はめになった。

 俺もここ最近漫画やゲームに手を出しているが、由樹の勧めが主流から徐々にマニアック路線に脱線してきている。

 東高に戻ったら、生徒会ハウスにあるコミックを速読することになりそうだ。


「流行りの異世界でチート無双とかはどうなの?」

「なんでもできるのって憧れます。私はどの属性にも適正がないから……」


 そういえば術者3人がいて、3人とも固有魔法しか使えない無属性というのはとても珍しい。

 職業としての魔法使いは限られていても、人類の大半が精霊王の恩恵を受けている現代で、無属性はとても稀有けう

 扱える魔法がないので無属性だと自己申告している者でも、微量な魔力は何かしらの属性に偏っているのが一般的。

 しかしここにいる3人は、精密な検査を受けても完全に属性を持たない。


 3人そろって、よくもまぁ、精霊王に嫌われたものだな。

 俺はそもそも自身の魔力を持たない。

 聞かされている話だが、パティは能力開発のために、後天的に魔力の波長を調整されている。

 会長については詳しくは知らないが、あの強力な固有魔法の代償だと言われても、納得がいく。


 明日の観光計画についても話題に上がった。


「やっぱり滝行とかすると、強くなれるのかしら」

「シオンお姉ちゃん、それはさすがに無理です。でもクルーズ船に乗れば、水飛沫みずしぶきでびしょ濡れになるくらいまで近づけるみたいです」


 意外なことにパティは、ナイアガラの滝に訪れるのは初めてだそうで、楽しみにしていた。

 フットワークが軽いように見える彼女だが、ステイツ最強の肩書きのせいで、大幅な行動制限を課せられている。

 俺のところに会いに来ることは、数少ない外出許可を得られる名目になっている。

 彼女の養父と直接の面識はないが、彼は俺がミスター配下の魔法使いだと知った上で、信頼してくれている。


 そしていつの間にか俺のことも話題にされていた。


「後輩君の昔ってどうだったの」

「うーん。ボケは駄目だけど、ツッコミは80点です」


 何の評価なのか。


「でもでもフヨウは昔から、大人相手でも物怖じしないカッコいいお兄ちゃんでした」


 パティにそんな風に思われていたのか。

 素直に嬉しい感想だな。


「へ~。後輩君がね」


 会長の方は疑っているというか、からかっている口調。

 これ以上何も言ってこない辺りが、意味ありげだ。


 食事を終えた俺達は、寄り道せずにホテルへと戻った。

 会長と俺は予約をしておいたシングルルームに入った。

 パティは護衛と共に、同じホテルの別のフロアに泊まった。


 部屋で寝る用意を済ませた頃に、スマートフォンにポップアップで通知が表示された。

 メッセージアプリを起動すると、会長からの言伝ことづて


『後輩君。早朝に静かに出かけるわよ。もちろん2人きりだからね。6時に迎えに来て』


 女って奴は怖いな。

 ホテルに戻るまでパティと仲良くしていたのに、ちゃっかり出し抜こうとするだなんて。

 楽しく談笑していたようで、内心では嫌っていたのか。

 それともちょっとした悪戯心いたずらごころなのだろうか。


 しかし残念なことに、パティをくことは不可能。

 彼女の能力の片方は、追跡にとても向いている。

 滝の観光を諦めるならば、対策を考えられないこともないが、屋外での行動は簡単に捕捉ほそくされてしまう。

 たとえ会長が転移魔法を使ったとしても、名所を巡っていたら、簡単に追いつかれてしまう。


 いくら考えを巡らせいても、彼女らの化学反応は、俺の想像の範疇はんちゅうを軽く超えるのだろう。

 流れに身を任せるしかないか。


 助けになるとは思えないが、一応フレイさんに相談メールを送信しておいた。

 彼女もパティの襲来しゅうらいを把握しているはず。

 女性であり、指揮官の立場でもあるフレイさんならば、2人を上手くコントロールする手管を持ち合わせていることが期待できる。

 しかしこれまでの経験だと、俺のことを困らせるために、わざと不適切なアドバイスをする可能性も考慮しなければならない。


 体力を回復させるためにも早めにベッドの上に寝転がる。

 夜間の警備を考えると、あまり熟睡はできない。

 護衛の立場としては、同じ部屋で寝ている方が楽だったと、部屋を分けたことを少しだけ後悔した。


 ***


「会長起きてください。もうとっくに朝ですよ」


 会長様は見事なまでに寝坊した。


 もう何度目のノックだろうか。

 部屋の電話もすでに3回鳴らしてある。


 会長が朝に弱いことはお馴染みなので、あまり心配していない。

 ドアの向こう側にいる人の気配は、寝ている会長1人だけのようだし、夜中に何度かホテル内を巡回したが、不穏なことは何もなかった。


 問題があるとすれば、そろそろ起きてもらわないと、予定していた観光のタイムスケジュールを消化できない。


 フロントにお願いして鍵を開けてもらうこともできるが、眠り姫を起こすことは難題だ。

 真横で大声を出しても起きないし、その御身おんみに触れようものなら、寝ぼけた状態の彼女から魔力の放出による反撃を受けることになる。

 過去に凛花先輩が彼女の生活リズムを矯正きょうせいするために、大量のゴーレムを動員した作戦を試みた。

 結果は、全てを返り討ちにされて断念せざるを得なかった。


 時刻はすでに午前8時を回っている。

 俺はというと、昨晩の会長の指示通り6時に出発できるように、しっかり早朝に起床した。


 厳密にはパティに起こされた。

 彼女も会長を出し抜くことを、企んでいたのだ。

 長らく顔を合わせていなかったが、てっきり俺はパティに愛想を尽かされたと思っていた。

 しかし会長の出現のせいなのか、パティは手のひらを返したように懐いている。


 朝目覚めてから、2人だけで抜け出そうとするパティをなだめるのには多少の苦労をした。

 それでも会長と比べれば、彼女の扱いは大分楽だ。

 いくら騒がしくされても、単純な腕力ならば、パティは大したことない。

 それに警護の女性が見えないところで、軽率な行動を控える説得してくれていたようなので、心労は半分といったところか。


 パティの護衛とは3年前から何度も顔を合わせているが、じかに言葉を交わしたことはまだない。

 向こうも俺のことを、副大統領の食客しょっかく程度には把握しているようだが、直接関わる必要はなかった。


 見た目は20代の華国系で、額の右側に深い切り傷が目立つ。

 短く刈り上げた髪は、最近の流行りなのか透明感のあるミルクティーベージュとかいう色に染めてある。

 ボディーガードとしての正装ではなく、黒のノースリーブにショートのデニムパンツ。

 その胸元には大胆にサングラスを引っかけてある。

 彼女の風貌から、粗野そややからだと断じるのは早計。

 カジュアルな服装が許されているのは、実力と信頼を兼ね備えている証。


 脂肪の少ない引き締まった体をしているのはもちろんとして、鍛え抜かれた筋肉が両腕に載っている。

 そして堂々とショルダーホルスターを装備しており、姿勢と微かな物音から、ファッションではなく本物の銃が収納されていると推察できる。

 魔力は大したことないので、魔法使いではないと思うが、身のこなしや視線の動かし方から、先日会ったミスターの護衛達よりも格段に上。

 おそらく大統領の私兵なのだろうが、たった1人でパティの身辺警護を任せられているほどなので、かなりの実力者なことは間違いない。

 パティを説得していたエイ語の発音から、ステイツに住んでからかなり長いか、この国の産まれなのだろう。


 会長もパティも別行動を企んでいたようが、そのわがままは受け入れられない。

 実際のところ俺にとって、会長は護衛兼監視対象だし、パティはこの国の秘密兵器なので、どちらもないがしろにできない。

 あまり気乗りしないが、今日1日は2人まとめて案内するしかない。

 どうしても無理ならば、パティの強制送還だが、さすがにそこまでは会長の本意ではないはず。

 むしろそんな判断をしたら、会長は俺のことを失望するかもしれない。


 ちなみに昨晩、フレイさんにアドバイスを求めてメールを送ったのだがその返事は、

『いつもお世話になっております。その件につきましては、担当者の意見を聞いて、改めて返事をさせていただきます。今後ともどうかよろしくお願いします。フレイより』


 まるで質の悪い自動返信機能だな。

 俺の切実な相談を、あからさまな形で断られた。


「おふぁよぉ~。こうふぁいくん」


 欠伸あくび混じりの気の抜けた挨拶。

 ドアの先で、眠り姫がようやく目を覚ました。


「会長、聞こえていますか。食事はブランチとして外で済ませるので、とりあえず滝の観光に行く格好をしてロビーに来てください」


 必要事項を事務的に伝えた。


 パティと共にロビーで待つこと10分。

 すぐに会長様がやって来た。


「後輩君、グットモ~ニング。パトリシアちゃんも、ごきげんよう」


 本日の彼女は珍しくスカートではなく、動きやすいズボン姿。

 たしかフレイさんとのショッピングで買った衣類。

 色の抜けた青のダメージジーンズ。

 紺色のシャツには、黄色で何かのロゴがでかでかプリントされている。

 さらに黒く長い髪もいつものストレートではなく、グレーのリボンを使って後頭部で1本に結って垂らしてある。

 動き回るたびに尾がぴょんぴょん跳ねている。

 普段の清楚系も好きだが、本日の活発な雰囲気も悪くない。


「会長。準備が大分早かったようですが、お化粧はいいのですか?」


 本来ならば、スマートに褒めるべきなのだが、なぜだかガラリと変わった彼女に驚かされてしまって、失礼な言葉が先に出てしまった。

 すぐに後悔と撤回したい気持ちでいっぱいになった。


「後輩君は一体全体何を言っているの。化粧よりもナイアガラ1番乗りが重要よ」


 予想と違って、あっけらかんと返されてしまった。

 たしか数日前に朝の準備で、化粧について怒られた気がするが、それを引き合いに出すのはさすがにまずいと分かっている。

 そして今からだと1番乗りはもう間に合わない。


 ようやく3人揃った俺達は、ホテルからナイアガラの滝を目指す。

 タクシーに乗ろうと思っていたが、パティの護衛がレンタカーを用意していた。

 彼女は会長と俺に、『レクシー』とあっさり名乗るだけの自己紹介を済ませて、俺達については何も聞いてこなかった。

 パティによる補足だと、彼女は家の使用人ということになっているそうだ。

 守護者レクシーとは本名ではなく、仕事のためのコードネームなのだろう。


 ナイアガラの川はステイツとキャナダの国境沿いにあり、両国が滝を観光名所にしている。

 実際にはステイツ滝、キャナダ滝、そしてブライダルベール滝の3つの滝がある。

 最も水量が多くて迫力があり、ナイアガラの滝として写真や映像になる代表はキャナダ滝。

 もちろんここまで来たからには、キャナダに入国して眺めるべき。

 午前中に国境を越えて、昼過ぎには戻って来るつもり。

 ステイツ側の残り2つの滝にも、楽しめる観光スポットがあるが、それは後回し。


 レインボーブリッジ。

 ナイアガラ川の上で国を繋ぐ橋。

 徒歩だと眺めを楽しめる観光スポットでもあるが、車で一気に駆け抜ける。


「後輩君。見て、見て、凄いよ。ほら、こっちに寄って」


 そんなに何度も言わなくても分かっている。

 この橋からは、進行方向左手にステイツ滝とキャナダ滝の両方を同時に眺めることができる。


 後部座席に並んで座る俺達だが、景色を見やすい左側へと会長を誘導する形になったが、もちろん理由がある。

 左ハンドルの運転席には当然ドライバーのレクシー。

 警護の観点から、対角線上の右側後部座席に俺。

 自然と助手席にパティで、俺の隣に会長様。


「私も見たいです」

「お子様にはまだ早いわ。パトリシアちゃん」


「会長。あまり大人げないことをしないでください」

「もう! 後輩君はどっちの味方なのよ」


「どちらかに肩入れするつもりはありませんが、今回はパティに1票ですかね。今朝は会長の寝坊に大分付き合わされたのですから」

「そんな~」


「フヨウはとっても優しいです」

「こ、後輩君の裏切り者!」


 裏切りなんて、そんな大仰なことはしていない。

 パティが喜んでいるのはもちろんだが、会長もなんだかんだ言って楽しんでいるようだ。


 何というか、パティをハムスターのような小動物だとしたら、会長は気まぐれな猫を装った豹。

 そんな感想がチラついたが、口にしないでおこう。


 一応補足しておくが、会長はパティのことをお子様だと言うが、俺が彼女の年齢の頃にはすでに殺しを経験していた。

 まだ心が子供でいられるというのは、とても幸せだと思う。

 そしてパティは、大人達の権謀術数けんぼうじゅっすうの中で暮らしているので、実年齢以上に賢い。

 俺といるときの彼女は子供に戻っているようだが、会長のおかげでいつも以上に子供になっている。


 ニューヨークを発つ際に、事前に天気予報を確認してあったが、無事に晴れて良かった。

 滝まではまだ距離があって遠目でしか見えないが、かなりの迫力が伝わってくる。

 しかしそれは間近で見たことのない人にとっての話。

 滝の本当の姿は十二分に届いていない。


 あっという間に国境越えを終えて、キャナダのオンタリア州に入る。

 4人分の入国に必要な書類がしっかり揃っていることは、何度も確認したので、審査はスムーズだった。


 実際のところ、パティが出国することには、上層部でひと悶着もんちゃくあったそうだ。

 一応俺が同行するということと、半日で戻るという条件で承認された。


 今回の旅行は突発的なものなので、襲撃はないと思うが、ホワイトハウスでは前代未聞の大事になっている。

 もし彼女の身に何かあれば、良くて俺やフレイさん、さらにミスターとパティの養父等の関係者が社会的に死ぬ。

 そして最悪の場合は、人類の滅亡。

 パティは歩く核発射ボタンみたいなもの。


 会長の護衛任務では、俺の命を代償にしてはならないと命じられている。

 しかしパティを守るためならば、命を張れとミスターに念を押された。

 それほど彼女の存在は大きい。

 さらに言うと、パティと出逢ってから俺には、順守すべきある1つの勅命が発令された状態が継続している。


“もしパトリシア・メーサー・ハワードの力が、悪用される事態が想定されるようならば、躊躇ためらわずに彼女のことを抹殺せよ”


 パティ本人も了承した上で、俺との関係を続けている。

 この国で自由と平等を得るためには、支払う責務がある。

 そして力あるものほど、代償が大きくなる。

 この勅命は彼女の代償であり、俺の代償でもある。

 同時にこれは彼女にとって救いでもある。

 パティに全てを負わせずに、大人達が一緒にその責任を背負っている。

 だから彼女から会いに来ることはあっても、俺の方から出向くことは1度もない歪で一方通行な関係が出来上がった。


 ***


 轟音と共に、世界が断絶される。

 俺に目の前の光景を語る表現力が乏しいことがとても惜しまれる。


 エリー湖からオンタリア湖までの間、ステイツとキャナダの国境を形成する河川が流れている。

 水のための道路が突然、壁のような急激な斜面を作っている。

 水面は重力よりも、自身の運動エネルギーによって、空中へと放り出されている。

 もし船にでも乗って、川の上流から下ったならば、世界が途切れるように見えるのだろう。

 側面から滝を見ているので、その全体像を立体的に一望できる。


 平凡な形容になってしまうが、断崖で強烈に水が流れ落ちている。

 車を降りてから、歩いて徐々近づくことで、耳を慣らしていなければ、音で潰れそう。

 その水量は毎秒100万リットルを超えると言われている。


 そんなナイアガラの滝を生で初めて見た会長様はというと、


「とっても高いね。ニホンでは清水の舞台から飛び降りるとか言うでしょ。ナイアガラの滝でも似たような言葉はないの?」


 自殺行為だぞ。

 規模があまりにも違いすぎる。

 清水寺はせいぜい15メートルほどなのに対して、目の前の滝は3倍ほどの高さがある。

 ちなみに毎回俺が会長に投げ飛ばされている高さが、この滝と同じくらいで、もし魔力で身体強化をしていなければ即死だな。


「飛び込まないでくださいね」


 さすがにそんなことはないと思うが、一応注意しておく。

 そもそも会長は泳げないはず。

 自由の女神の観光に行った際に、船の上でそんなことを言っていた。


 晴れている日だと、水飛沫によって屈折した太陽の光が反射して、常に虹が出来上がっている。

 そして滝の底はまったく見えないが、滝つぼにはゴツゴツとした岩が露出している。

 会長が冗談で口にした滝行も、飛び込みも、自殺行為に他ならない。


 長らく観光名所となっているナイアガラの滝だが、厳密にはナイアガラの滝跡地。

 この川は魔法の力によって1度失われている。

 そう、精霊王の顕現で。


 19世紀に精霊王が人類に接触した当初、まだ魔法公社はなく、魔法使いをりっする規則も曖昧だった。

 社会の急変に対して、古来より受け継がれていた魔法結社の関係者は沈黙を守っていたが、精霊王の恩恵によって目覚めた新世代の魔法使い達は正義と無法者にはっきり分かれていった。

 そんな魔法黎明期、火の精霊王の初代契約者はステイツの地にいた。

 そしてステイツは王の力の巨大さを、どの国よりも早く知ることになった。


 当時の契約者が代償にした魔力は、全体の1割程度だったそうだが、顕現された精霊王の能力の余波だけで、ナイアガラ川がからび、滝は消滅した。

 もし十全じゅうぜんの場合、単純計算で10倍の熱量を発することができるとしたら、州ひとつが更地になってもおかしくない。


 このナイアガラの一件がきっかけで、社会が魔法と真剣に向き合う必要があるという世論の流れが生み出された。


 精霊王に個人で対抗できる魔法使いなど存在しない。

 数百単位の人員を動員したとしても、数合わせの並みの使い手では役に立たない。

 超一流が100揃えばどうにかなるかもしれないが、あまり現実的じゃない。

 そもそも精霊王には実体がなく、本体は異世界にあるので、攻撃を防ぐことはできたとしても、反撃ができない。


 この事件は今でも、ステイツ政府の公式発表では、実証実験ということになっている。

 しかし議会図書館の裏資料室を調べた際に、当時内紛があったと記されていた。

 そもそも実験ならば、海や、砂漠を選んでいたはず。


 ナイアガラ川跡地だが、目の前にはしっかり水が流れており、滝もある。

 これは上流で溜まった水によって復活した川ではなく、人工的に復興されたもの。

 もちろん自然に任せる案もあったそうだが、同じ川の流れに戻らない懸念けねんを拭えなかった。

 さらにあまり悠長ゆうちょうに待つことができない事情もあった。

 人の営みのために、そして生態系の保全のためにも、川の再生が急務だった。

 水と土属性の魔法使いを大量に招集して、連日連夜の作業の末に、今俺達の目の前の滝へと生まれ変わった。


 だからこそこの滝からは、魔法の危険性と人類の英知の両方を読み取ることができる。


 そしてこの精霊王による痛手によって、ステイツは魔法だけに頼らない軍備増強へと走る。

 これが後のマンハッタン計画かくかいはつに繋がることになる。


 ***


「この辺りで、食事にしましょうか」


 人によっては、ただ滝を眺めていても丸一日過ごせるのだが、会長もパティもそういうタイプではない。

 せっかくキャナダに来たのに、とんぼ返りではあまり面白みがない。

 一方で予定にない行動をすると、護衛プランの組み立てに支障をきたす。

 こちらの国にもステイツからの派遣員がいるが、大統領の娘がお忍びで観光しているとしか通達していない。


 とりあえず俺とレクシーが滝の近くで警護しやすい公園の芝生を見繕みつくろった。

 まだ昼食には早いが、朝食も兼ねたブランチとしてなら丁度良い時間。


 レジャーシートを引いて、車から運び出したランチボックスを中央に広げる。

 それらを囲うように4人で座る。

 滝は見えなくなってしまうが、音だけは聞こえ続けている。

 こういうのもいきなのだろう。


 用意したサンドイッチの具材はシンプルな4種類。

 レタスとハムチーズ、ツナマヨネーズ、照り焼きチキンそして卵。

 見た目は少し崩れてしまったが、味には自信がある。


 また耐熱水筒から温まったままのコンソメ味の野菜スープを、各人の紙コップへと注ぐ。

 全員にスープがまだ行き渡っていないのに、会長が先んじて鶏肉が挟まれたパンへと手を伸ばす。


「いっただきまーす」


 言い終わりとほぼ同時に、口の中へと入れる。


「会長。行儀が悪いですよ」


 一方パティは略式だけど、祈りの言葉を唱える。

 魔術的な儀式ではなく、カトリック系の一般家庭で行うようなもの。

 おそらく今の家での習慣なのだろう。


 4人目のレクシーはというと、パティの提案で一緒に座ってはいるが、食事は先に済ませており、味見をする気配すらない。

 警護の観点から、俺と同じ食べ物を口にするのは避ける判断なのだろう。

 意図的な毒物の混入はなくても、食事をきっかけに調子を崩す可能性は常にあり得る。


 パティと俺が2つ目のサンドイッチを食べ終えた頃には、会長様は4種類をコンプリートしていた。


「やっぱり後輩君の手料理はいつも美味しいわ。性格に似合わず、繊細な味なのよね」


 少し失礼な言葉もあったが、作った料理を喜んでもらえるのは、毎度嬉しいものだ。

 会長の豪快な食べっぷりを眺めていたら、また作りたくなる。

 しかし今回は補足しなければならないことがある。


「本日の料理は、パティと一緒に作ったやつですよ」


 2人の間で、明暗がくっきりと分かれた。

 言葉に詰まる会長に対して、無い胸を張るパティ。


「ぱ、ぱ、パトリシアちゃんも料理がお上手なのね」

「いえいえ。フヨウが丁寧に教えてくれたからです」


 起床時間から始まって、本日はこのままずっとパティの優勢なのだろうか。


 今回のブランチは、寝坊した会長のためだけに計画した訳ではない。

 彼女を置いて出発することを何度も主張するパティをなだめるために、俺は一緒に料理をすることを提案したのだった。


 食材は割高になってしまったが、スーパーマーケットのネット注文と配達サービスを使うことで、早朝でも調達できた。

 調味料なんかはホテルのコンシェルジュにお願いして、調理場から少し分けて貰った。


 肝心の場所だが、会長や俺の部屋には調理スペースはなかったが、パティらが宿泊していたVIPルームにはキッチンがあったので使わせてもらった。

 2人で使うには、少々手狭だったが、小柄なパティは器用にぴょこぴょこ動いていた。


『フヨウとのお料理は久しぶりです』


 初めてパティに料理対決を挑まれたとき、彼女の腕前はかなりポンコツだった。

 幼少期には能力開発にだけ時間を費やし、養女として引き取られてからは、家事をする必要などない生活環境。

 料理なんてしたことないのに、見様見真似だけで、俺に喧嘩を売ったのだ。

 最初はコテンパンにしようとしたが、さすがに見てはいられず、こちらから半ば強引に教えることになった。


 それ以来、彼女の襲撃を退けた後は、一緒に料理をすることが習慣になっていった。

 パンの焼き方や、野菜の切り方、肉や魚への火入れ等。

 基礎ができてきたら、その日のテーマ食材を決めて、いくつもの料理に挑戦した。

 一緒の時間以外でも、練習しているようで、その腕は会う度に上達していった。


 今朝の調理では、初めから安心して任せられた。

 最終的な味付けの確認だけ2人でやったが、他の作業はその場の流れで次々に分担した。


『手際いいな。最後に2人で料理したときに比べて、また上手くなったな』

『ありがとうです。でもフヨウにはまだ届きません』


『それでも、もう1、2年もすれば追い越されそうだ。かなり頑張っているのじゃないか』

『家庭教師のお時間以外は、お屋敷の中なら自由に過ごせます。お料理のおかげで、お義母様とも仲良くなれました』


『そうか。楽しく続けることが上達の1番のコツだな。魔法だと俺達にできることは限られている。だけど魔法以外ならなんだって挑戦できるし可能性がある』

『はい。料理も、手芸も、格闘技も、ニホン語も全部フヨウが教えてくれました。どれだって大切にしたいです』


 そして話題は、久しぶりに会った近況報告へと移った。

 おしゃべりが止まることはなく、パティと俺はブランチを作り上げた。


 パティは何を教えても、昔からすじが良かった。

 言ったことを素直に吸収するので、教師役も気分がいいものだ。

 彼女自身が熱心だったこともあるが、幼少を過ごした能力開発の施設で、学習の基礎をしっかりと叩きこまれているおかげでもある。

 心なしかパティの扱うニホン語も、久しぶりに会った昨日よりも、今日の方が滑らかに感じる。

 たった一晩でも、彼女の感性を甘く見てはならない。


 パティと一緒に作ったランチボックスにぎっしり詰まっていたサンドイッチだったが、3人でしっかり完食した。

 会長がその体格に比べて多く食べることはもう見慣れているが、パティだって負けていなかった。

 俺の記憶の中のパティよりもたくさん食べていた。

 彼女とは大分身長差があるので、小柄のままという印象だったが、会わないうちにしっかり成長しているようだ。


「ごちそうさまです。後輩君。パトリシアちゃん。とっても美味しかったわ」


 会長がしっかりとお礼をした。

 意外と律儀だと判断すべきか、それとも嵐の前の静けさだと受け取るべきか。

 パティは単純に喜んでいるが、俺は警戒を強める。


「パトリシアちゃんは、朝から後輩君のことを独り占めしたのだし、午後は私が独占してもいいよね」


 手料理を食べておいて、良くもまぁ、言えたものだな。

 自分はただ寝坊しただけなのに、ほとんど盗賊の発想じゃないか。


 パティが何か言い返そうとするが、手を伸ばして制止する。

 ここで昨晩同様に2人に喧嘩をされては堪らない。

 それに今回は秘策がある。


 俺は後ろに隠してあった、小さな保冷バッグを取り出す。


「そんなこと言う人には、デザートの、フルーツサンドはあげませんよ」


 バッグの中身を一気に披露する。

 せっかくなので、甘いパンも用意したのだ。

 フルーツだけは、スーパーマーケットの配達ではなく、早朝から開店していた青果店でしっかり吟味した。

 カットした苺、ミカン、キウイをふんだんに用いている。

 さらに生クリームの代わりに、クリームチーズを溶かして使っているので、甘さ控えめでほんのりと酸味がある。

 その分、フルーツの甘さが際立つように仕上げてある。


「パティ。先に好きなのを選んでいいぞ」

「いいの?! どれにしようかな」


 それぞれの果物単独と、トリプルミックスを用意してある。

 会長様もモノ欲しそうな目をしている。


「後輩君のいじわる~」


 会長は、なんだかんだ俺が彼女に甘いことを知っている。

 だからもう少し絞ることにする。

 彼女のことは無視して、パティの相手をする。


「パティ美味しいか」

「うん。クリームたっぷりなのにちょうどいい甘さです。食後でも食べられちゃいます」


 甘いものを食べるパティの表情からは、喜びの笑みがこぼれている。

 年相応の子供の姿。

 むしろ大人しいくらいだろうか。


 普段から大分背伸びをしているのだろう。

 彼女にとって平穏に生きていくことだけでも、プレッシャーのかかる仕事であり、今は数少ない羽休めの時。


 パティとの出会いのきっかけは任務だし、これまでの関係性も良好なのか怪しい。

 それでもまだ途切れていないのは、彼女が俺に手を伸ばし続けているからなのだろう。

 愛想を尽かされていなかったことは、素直に喜ばしい。


 会長の登場のおかげなのか、久しぶりに会うパティとぎくしゃくせずに済んだ。

 東高での仕事が無事に終わり、ステイツを拠点にした生活になれば、元の関係に戻るのだろう。


 そして心配な子供がもう1人いる。

 とても大きく手のかかる子供だ。


「ちょっと後輩君。無視しないでよ」

「何か言いましたか」


 まだ暴力で訴えられることのないラインということは、これまでの付き合いで分かっている。

 むしろ俺が少し冷たくした方が、彼女は喜ぶきらいがある。


 だから茶番はもう少しだけ続く。


「何か申し開きはありますか」

「後輩様。いえ、お代官様。もうわがままを言いませんから、私めにフルーツサンド恵んでいただけませんか」


 いくらなんでも、卑屈ひくつ過ぎやしないか。

 まともな交渉を受け付けない会長様だが、食べ物で釣るのが最も簡単なのかもしれない。


 俺の対応はパティを優遇しているようで、実は会長の相手にいている時間の方が長い。

 彼女もそのことを狙って、俺に構ってもらうために、わざとパティに意地悪をしているのではないか。

 会長は凛花先輩や俺の苦言を楽しんでいる節がある。


 食べることに夢中なパティには聞こえないように、会長に耳打ちする。


「パティは友人であると同時に、俺にとって弟子のようなものでもあります。彼女の前では、できる男でいさせてくれませんか」


 偽りのない本心でもあるが、会長を退かせるための方便ほうべんでもある。


「フルーツサンドに免じて、聞いてあげるわ。でも後輩君とパトリシアちゃんの願いを半分ずつよ」


 どういう意味だろうか。

 俺としてみれば、会長のパティに対する大人げない態度を控えてくれれば、それだけで十分。

 それはパティの望みにも沿うのではないか。


「後輩君は、パトリシアちゃんのことを全然分かっていないわ」

「……どういう意味ですか?」


 もちろん俺がパティのことを理解しているなどと傲慢ごうまんなことを言うつもりはない。

 むしろ分からないことだらけだ。

 しかし会長にしか見えていないものが何かあるようだ。


「私の口からは言えない。ただ、彼女が私との対決を望むならば、本気で相手になるということ」


 会長は保冷バッグへと手を伸ばすと、フルーツサンドを1つ取った。


 会長は事あるごとにパティを引き離そうとしているし、昨日はパティの喧嘩腰に対して大人げなくムキになっていた。

 ただのわがままだと思っていたが、会長なりの意図があるのかもしれない。

 しかしなぜそれがパティの願いに繋がるのかは想像できない。


 フルーツサンドを手に持ちながら考え事をしていたら、俺が1つを食べている間に会長もパティもぺろりと残りを完食していた。

 キャナダで予定していたことはここまで。


 ***


「一体全体どういうことなのよ!」

「フヨウ。どうしましょうか」


「会長、パティ。ここは一旦退きますよ」


 ブランチを終えた俺達はキャナダ滝を見納めてから、再びレインボーブリッジを通って、ステイツへと戻った。

 パティの要望で、帰りは車ではなく徒歩で橋を渡った。

 行きの道中で車からだと、あまり景色を楽しむことができなかったのが心残りだったようだ。


 ナイアガラ川の上流から両方の滝を眺めるだけでなく、備え付けられている望遠鏡を覗いてみたり、記念撮影したりと、1時間近く掛かった。

 そこからはレクシーの運転する車に拾ってもらって、ステイツ滝の方へと移動した。


 迫力こそキャナダ滝に劣るものの、また違った楽しみ方がある。

 クルーズ船の“霧の乙女号”で滝の間近まで遊覧できる。

 会長やパティはこちらの方が好みだろう。


 さらにステイツでは、風の洞窟どうくつが有名だ。

 実際には洞穴ほらあなではなく小さな島。

 この島では、ブライダルベール滝の真下を通ることができる。

 水飛沫や突風を肌で感じることができる人気のある観光スポット。

 全身を風が吹き抜けていくので、風の洞窟Cave of the Windsと名付けられている。


 まずクルーズ船のチケット売り場に寄ってみたら、当日券を購入できた船の発着まで大分時間があったので、風の洞窟へ向かうことになった。

 しかし問題はそこからだった。


 風の洞窟への道が閉鎖されていたのだ。

 整備などのために以前から予定されていた処置には見えない。

 今回の観光ルートは、入念に下調べをして決めている。

 しかも大まかな行動予定は、フレイさんにも報告してある。

 優秀な上司が入場できない現状を見逃す訳がない。


 目の前に広がる光景からは、物々しさを感じとれる。

 島への入り口を封鎖しているのは、コーンとテープによる急造のバリケードだけだが、周辺道路のあちこちに警察車両が並んでいる。

 おそらく突発的に何かが起こったのだろう。

 捜査官と思わしき人物達からは、緊張が走っている。

 レスキュー隊の出動数がそれほど多くないことから、おそらく事故ではなく事件。


 会長はガイドブック片手に残念そうな顔をしているが、ここは余計な首を突っ込まずに離れるべき。

 彼女だけならばまだしも、パティも一緒になってあたふたしている。


 どう説得すべきか最初の言葉を悩んでいたら、懐のスマートフォンが振動した。

 表示されている相手はフレイさん。


「会長、少し静かにしていてください」


 通話ボタンを押すのと同時に、頭の中のスイッチをニホン語からエイ語へと切り替える。


『予定通りならば、そろそろ風の洞窟かしら』

『はい。少し離れた位置にいます。九重紫苑、パトリシアとその護衛も傍にいます』


 フレイさんは仕事中に意味もなく連絡をするような人物ではない。

 おそらく目の前の事態を把握しているはず。


『デート中に悪いのだけど、芙蓉君にお願いしたいことがある』


 そういう前置きは止めてもらいたい。

 面倒なことは間違いないが、とりあえず聞くしかないし、おそらく聞いたら断れない。


『なんでしょうか』

『まだ公表されていないけど、州の魔法規制に反対活動をしているレジスタンスの1つが風の洞窟を占拠して立てこもっている』


 ステイツに限らず、多くの国が魔法の使用について制限をしている。

 大まかな共通認識としては、公道では全ての魔法が使えないし、人に対する攻撃魔法も禁じられている。

 例外はいくつかあるが、その恩恵を受けられるのは魔法公社に属する勢力であることが大半。

 現実問題として、公社からあぶれた魔法使いは、合法的にできることがほとんどない。


 政府による魔法の統制に反対する勢力に、当然ながら職に就けなかった魔法使いはいるが、どちらかと言うと少数派。

 締め付けの結果として、アウトローな連中が増えてしまったことが社会問題になっており、規制緩和を訴えている団体がある。

 また思想や宗教の観点から、魔法の自由化を主張するグループも一定数ある。

 中には有識者や政治家も含まれているので、規制に反対すること自体が悪だとは一概に決めつけられない。


 1つ言えることは、どのタイプの団体が立てこもっていたとしても、ステイツ政府は盤石な制圧能力を有している。

 もし魔法使いが加わっているならば、政府機関から公社にプロの魔法使いの派遣を要請すれば、それだけで事足りる。

 それくらい魔法公社とその他の勢力には絶対的な実力差がある。

 この状況で、フレイさんが俺に何かをお願いするということは、よほどの強敵なのか、それとも公社に頼ることのできない事情があると考えられる。


『ナイアガラの滝が1度消滅したことは知っているな』

『火の精霊王の件ですね』


『そうだ。当時、川の復興を早急に行うためにステイツは、大量の魔法使いを導入した。しかし地面を整えて、水を流すだけでは元に戻らないことが予想できていた。そこで水量を制御する自律魔法を設置した。そして魔法の核になる魔道具が風の洞窟にある』


 ようやく話が見えてきた。

 確かにこれは国防の観点から、公社の介入は避けたいはず。


『レジスタンスの連中が魔道具の存在をどこまで知っているのかは分からないが、悪用すればナイアガラ川を枯らすことも、氾濫はんらんさせることだってできる』


 どうしてそんな大切なものを、観光地の風の洞窟に設置したのだろうか。

 もっと厳重に警備すれば良いものを。


『魔法の構造上、ブライダルベール滝の下に設置する必要があった。その後の政府の判断で、あえて観光名所にすることで隠蔽いんぺいを行った。保険として、島には軍属の魔法使いを交代で配備していたが、先刻より定時連絡が途絶えている』


 現状、情報が不十分だな。

 レジスタンスの最終的な狙いが分からないし、川の制御装置についてもまったく知らない可能性もある。

 さらに連中の戦力規模も不明。


 政府側に俺以外にも、動ける人員はいないのだろうか。

 会長の護衛を一時的に離れるほどなのか見極めるには、不確定な要素が多すぎる。


『島内の状況が分からない以上、中途半端な戦力は投入できない。信頼のできる対策チームを結成して送るにしても、早くて2時間は要する。そこでミスターの判断で芙蓉君に任せることになった。さらにプレジデントからパトリシアの協力も許可されている。彼女の能力があれば、敵の配備は筒抜けになる』


 先ほどまでの想像以上に、緊急性の高さが伺える。

 大統領、副大統領の両名が関わっているならば、断ることはできない。


 任務は了承するとして、まだ確認すべき事項がいくつか残っている。


『風の洞窟の制圧がミッションでしょうか』

『そうね。ただし殺しは無しよ。もし連中が制御の魔道具のことを知っているならば、どこから漏れたのか探るためにも尋問をしたい。それにメディアがすでに事件に食いついている。犯人達は司法で裁く必要があるので、全員捕らえてくれるか。護送車の手配はこちらでしておく』


 なかなか面倒な注文だな。

 捕縛ほばくよりも、殺してしまう方が大分楽だ。

 並みの魔法使いや、素人が相手ならば問題ない。

 しかし銃火器で武装した兵士なんかがいたら、こちらの身も危ない。


『九重紫苑は、パトリシアと共に後方待機でよろしいでしょうか』

『できれば彼女にも協力してもらいたい。ここで一枚噛ませておけば、この国での株を上げることができるだろう。高い接待費を支払っているのだし、目に見える形で有用性を示してもらいたい』


 悪くない考えだが、会長をどのように説得したものか。

 観光のためと言えば、意外と簡単に手伝ってくれるかもしれない。


『電話を紫苑ちゃんに変わってくれるかな』


 1度は、躊躇ちゅうちょするが、携帯電話を耳から離して、手持ち無沙汰にしている会長の方へと向く。


「会長。フレイさんが話したいことがあるそうです」


 多少の不安はあるが、会長との交渉をフレイさんがしてくれるならば、任せた方が気楽で済む。

 俺はこれから行う突入作戦について、ありえるパターンを頭の中で整理し始める。

 手持ちの装備は、精霊殺しの短剣のみ。

 拳銃くらいならば、突入前にどうにか調達できる。

 国家安全保障局NSAのIDを使えば、店や一般家庭から一時的に接収できる。


 車の中で待機しているパティとレクシーだが、何やらどこかと通信しているようだ。

 おそらくプレジデント側からの指令なのだろう。


 意識していなくても、会長の話声が耳に入ってくる。


「……分かった。貸し1つでいいわ……聞かせてみなさい……やっぱりあなたのこと嫌いだわ……もちろんよ。……いえいえ……さて、仕事の話だけど正式な依頼として、処理してくれる……そう。公社経由で私と後輩君に指名依頼を出して。名目はなんでもいいわ。それじゃあよろしく」


 長い話の末に、どうやら交渉は無事に済んだようだ。

 しかし『貸し』とやらが気になる。

 フレイさんはどんな譲歩をしたのだろうか。


 会長が通話を切ってから、電話を返してきた。

 最初は彼女らしい勝手な判断かと思ったが、すぐにフレイさんからの発信がなかったので、おそらく必要な用件はもうないということか。


「会長。フレイさんからの依頼は了承していただけましたか」

「大丈夫よ。風の洞窟で、盗賊相手にトレジャーハント競争をするのよね」


 一体全体、フレイさんはどのような説明をしたのだろうか。

 こんな言い訳で、だまし通せるとは思えない。


 パティ達の方も現状把握を終えたようで、2人とも車から降りてきた。


『シオンと俺で突入する』


 パティの方を向いて話すが、レクシーにも配慮してエイ語。

 年長者のレクシーだが、彼女の役割はあくまでもパティの護衛でしかない。

 彼女が裏の事情をどこまで知っているのか分からない。

 フレイさんからは、あくまでも協力者はパティとしか聞いていない。


『フヨウ。私も一緒に行きたいです』

『駄目だ。パティはここでレクシーと待機していてくれ。ナビを頼みたい』


『シオンは連れて行くのに、どうして私は駄目なのですか。フヨウから習ったトレーニングは今でも続けています。足手まといにはなりません』


 困ったものだ。

 パティはこういう場面では、聞き分けの良い娘だと思っていた。

 ちょっと体を鍛えている程度では、いきなり実戦に連れては行けない。

 時間が惜しいので、丁寧な説得をする余裕はない。


 俺は左手で、ズボンの内側に隠してある短剣を握る。

 そして殺気のボリュームを0から100へと一気に回して、無防備なパティに叩きつける。


 すぐさまレクシーが殺意の牽制けんせいを返して、ホルスターに収まっている拳銃へと手を伸ばす。

 当のパティは一歩も動かない。

 呼吸が早くなっているが、一回一回がとても浅くて、まともに空気を取り込めていない。


 戦いへと向かう姿をパティに見せるのは今回が初めて。

 過去に彼女を誘拐した犯人を制圧した際も、本気の殺意は出していない。


 短剣から手を放して、殺気を引っ込める。

 パティの両目の焦点は未だに合っていない。

 ゆっくりと彼女に近づくが、まったく反応できていない。


 正面からパティの右肩を軽く押す。

 抵抗なくよろけた彼女の身体を、レクシーが横から支える。


 大統領の養女として、日頃から悪意にさらされることの多いパティだが、俺の殺気の前に何もできなかった。

 さすがに身の危険を感じさせられるような経験はそう多くもないか。

 もし耐えることができたなら、連れて行くことも考えなくもないが、やはり足手まといでしかない。


 ちなみに会長に対して同じことをしていたら、すぐに殴り返される結果が想像できる。

 彼女は甘いところもあるが、プロとしての最低限の訓練は受けている。


『パティ。自分の適性はしっかり理解しなさい。俺達のいる世界は、判断を誤れば一瞬で唯一のチップを失う。ターゲットとの距離が関係ない能力こそがパティの強みじゃないか』


 実戦経験に乏しく、今回のような捕縛ミッションに単独だと不向きなパティだが、それでもステイツ最強なことは間違いない。

 組み合わせることで、凶悪になる2つの固有魔法を保有しているが、その片方だけでも反則級の性能。


 うつむくパティの頭に、できるだけ優しく手を載せる。


『パティのサポートがあれば、俺の行動は各段に楽になる。さっさと済ませてくるから、また観光に戻ろう。だから頼むぞ』


 これでも俺なりに気を使った方。

 プライベートでは奇襲を返り討ちにしたり、一緒に料理をしたりする仲だが、本質的にはパティは同僚。

 俺達はステイツ所属の非合法な魔法使い。


『レクシー。パティのことを頼めるか。魔法で感覚を広げている間は、本体が無防備になることは知っているな』

『もちろん。こちらのことは心配いらない』


 レクシーも俺がパティを説得するために、脅したことは理解している。

 だから余計な文句は言ってこない。


 会長と俺は、風の洞窟の地図を頭に入れながら、作戦を確認する。

 最終目標は川の制御装置だが、敵の戦力を見極めながら、魔法使いを優先的に無力化する。

 魔法による抵抗がなければ、警察と州軍で十分に制圧できる。

 そんな中、パティが俺にカナルタイプの通信機を手渡した。


『フヨウ。言われた通りに、今は私にできることをします』

『分かった。地図に座標を振っておいた。ポイントを通過する度にこちらから連絡する。接敵する人数と配置の報告を頼む』


 通信機は1対1のペアなので、俺だけが装備する。


 レクシーの方からも餞別せんべつがあった。


『これを使いな』


 レクシーが辞書のように分厚い本を取り出した。

 表紙を見れば誰であっても、魔導書だと想像できる。

 さらにあからさまに封がされている。


『助かる。突入前に調達したいと思っていた』


 受け取った書物は見た目よりも大分重たい。

 左脇でしっかり抱える。


「会長。準備は大丈夫ですか」

「もちろんよ。トイレも済ませておいたしね」


 確かに重要だが、緊張感がないな。

 実際問題、あまり不安はない。

“絶対強者”の会長の弱点は不意打ちだが、パティと俺がいる以上、先手を取られる可能性はほとんど無い。

 唯一気にすることがあるとしたら、時間。

 連中がナイアガラの川を制御する魔道具を悪用するならばまだしも、もし破壊なんてされたら災害に発展する。


『パティ。落ち着けば大丈夫だ。頼りにしているぞ』


 そう言い残して、会長と俺は出発した。


 まずは風の洞窟の入り口を封鎖している捜査官の集団に接触する。


『第1公社の魔法使いだ。暴徒の鎮圧の依頼を受けて来た。こちらがライセンスと依頼の電子書面』


 事前に打ち合わせをしていた台詞を口にした。

 ライセンスも依頼も公社が発行した本物。


 第5公社は4つの魔法公社の上層部の信任によって、立ち上げられた公社の内部監査機関。

 その役割の性質上、架空のライセンスを発注することくらいは簡単にできる。

 第1公社を選んだ理由は、この国で最も力があるのが第1なので、政府が緊急で依頼するならば、他の公社は後回しなのが自然。


『確認できました。どうぞお通りください』


 島へ渡るための小さな橋の前まで案内された。

 事件に駆けつけたのが東洋の若い男女だったので、周囲から好奇の眼差しは感じるが、疑ってはいないようだ。

 魔法使いとしての実力に、人種や年齢、性別は関係ない。


『こちらでも突入部隊の選抜が済んでおります』


 これは面倒だ。

 会長と俺の戦い方を見られるのは困るし、川を制御する魔道具について知る人間は少ない方が良い。


『悪いけど、俺達の依頼の中に警察の護衛は入っていない』


 生意気な俺の言葉に、あからさまに嫌な顔が返ってきた。

 しかし捜査官は引き下がらない。


『それでも我々が守る市民の中には、あなた方も含まれております』


 立派なこころざしだが、そういう言葉は血で汚れる前の俺に言って欲しかったものだ。

 これ以上無意味な問答をするつもりはないので、返事をせずに島へと足を進める。


 エイ語が得意ではない会長は、静かに俺の後ろを付いて来るだけで、とても大人しい。


 島に入りすぐに、脇に挟んでいた魔導書の封を破り取る。

 開いた本のページは、中央部分がごっそりとくり抜かれている。

 そして紙の代わりに入っているのは、M1911。

 軍で使われている拳銃と弾倉カードリッジが2つ。


 普段俺が好んで使う回転式リボルバーではなく、自動式オートマチック

 自動式の方が、装弾数が多く弾倉の交換も早い。

 一方で、自身で整備することが難しいので、劣悪な環境での任務で扱うには心許ない。

 回転式ならば自分で分解して、組み立てることができるので、長期の遠征でも安定した品質を保つことができる。


 俺が拳銃を取り出したことについて、会長は何も口にしない。

 彼女の前で発砲をしたことはないが、霊峰で吸血鬼相手に銀の弾丸を撃ち込んだ場面に凛花先輩が立ち会っているので、会長に伝わっていてもおかしくない。


「会長。射線上には立たないように気を付けてください」

「分かっているわ。後輩君こそ間違って、撃たないでね」


 射撃の心得はあるつもりだが、戦闘中での拳銃の命中率などたかが知れている。

 あくまでも中距離での牽制にしか使わない。


 次に通信機の確認をする。


「こちらフヨウ。聞こえているか。現在B7を通過した」

『パティです。座標の確認も問題ありません』


 通信環境は良好なようだ。


「敵の状況はどうだ」

『1番近くで、J21に3名。魔法使いではありません』


「了解。まずはその3人にアタックして様子を見るか。連中が移動したり、他に接敵があったりしたら、たとえ戦闘中だとしても教えてくれ」


 これこそがパティの固有魔法の1つ。


 ステイツでは様々な分野の天才達を集めて、能力開発を行っている。

 その中でもパティは変わり種の突然変異。

 生来の力を活かすために、ステイツはありとあらゆる叡智えいちを集結させて、2つ目の能力を開花させた。


 パティは魔力に対する感受性がとても高く、空間把握能力に長けている。

 高位の魔法使いならば、魔力を介して、自身の感覚を広げることができる。

 しかし彼女の場合は、その規模が広大。

 効果範囲は、なんと地上全て。

 屋内になると精度が大分落ちるそうだが、屋外であれば建造物の配置から、人間サイズ以上なら物体の移動まで感知することできる。

 いわゆる千里眼系の魔法だな。


 チキュウ全体を効果範囲にするのにあたって、自身の魔力をほとんど使わない仕様になっている。

 あくまでも周囲の魔力を介して感知している。

 自然界の魔力と同化するという点においては、富士の霊脈と一体化する高宮家の“神降ろし”に似たところがある。


 実用的には、全てを同時に認識すると、脳の処理が追いつかないので、パティは並列処理のトレーニングを受けている。

 俺が冴島由樹さえじまよしきの戦い方を見て、すぐに並列処理の天才だと判断したのは、彼女のことを知っていたから。

 彼女は大半の情報を無意識の海へと漂わせておいて、興味のある事柄へとアクセスすることができる。


 本人曰く、全体はぼんやりとしか見えていなくて、焦点を合わせたときだけくっきりするそうだ。

 同時に見ることはできるのは、最大3か所だけど、その距離にも細かい制限がある。

 モニターを3つ開いて、同時にG〇〇leのストリートビューのような映像を、リアルタイムで見ているようなもの。

 魔力を視覚情報のように変換しているので、魔法使いの判別も可能。

 もちろん屈折率を操作して姿を眩ますような術では、攪乱かくらんできない。

 ちなみに魔力を吸ってしまう俺のいる位置は、真っ黒に映るそうだ。


 そしてこの能力の効果範囲なら、パティはどこにでも自由に魔法を発動することができる。

 そう、ステイツの能力開発によって後天的に得た力に過ぎない。

 もう1つの固有魔法である文明破壊の力を生かすために選んだ能力。


 2つの固有魔法を組み合わせたパティの能力はとても強力だが、問題は効果範囲をあまり細かく制御できない。

 最低でも都市ひとつを丸ごと破壊する威力。


 文明破壊の魔法は、パティの意思では使うことができないようになっている。

 安全のために2段階の封印が為されている。


 1つ目は精神干渉系の魔法式を用いて、トリガーとなる人物の許可なく発動できないようになっている。

 ちなみにこの魔法の核は余所にあるので、俺がパティに触れることで一時的に無力化はできても、解除はできない。

 そもそも俺に触れられていたら、パティは魔法を発動できない。


 2つ目の封は外科的手法。

 詳しいことは分からないが、パティの脳の中に小さな機械が埋め込まれている。

 もし彼女が自身の意思とは関係なくても、能力を使おうとしたら激痛を走らせて妨害することになっている。


 鍵の片方はおそらく大統領が持っているのだろうが、もう片方の候補は数名いる。

 だから今のパティにできることは、遠隔からの監視やナビゲートくらい。

 しかしその精度と早さは人工衛星の比じゃないので、これだけでも優秀な魔法使いだ。


 さて、パティに指示された座標へ向かったら、さっそく敵を発見した。

 先行する俺はハンドシグナルで、後ろの会長に知らせる。


 見た目ではティーンの男2人と女1人。

 情報通り、魔力の気配はない。

 一丁前に武装しているが、動きは素人丸出し。

 効率を考えていない普通の洋服を着ており、警戒を緩めて談笑している。

 まともな訓練を受けているとは思えない。

 あれでは背中のアサルトライフルを抜くのに10秒は要するし、そもそも発砲できる技術があるのかすら怪しい。

 他に武器があるとしたら、せいぜいナイフか拳銃くらいだろう。


 少し迷ったが、俺だけ先に姿を現すことにした。

 拳銃も短剣も懐に入れて、無手で出ていく。


 素人相手に奇襲を仕掛けると、味方内の攻撃で怪我をさせてしまう可能性がある。

 戦闘能力に大きな差があるならば、正面制圧こそが確実。


 会長と俺が組んでそうそう負けることはない。

 しかもパティのナビまである。


「後輩君。読者のみんなも疲れることだし、このくらいの連中はダイジェストで倒してしまいましょう」


 せっかく会長のことを隠しておいたのに、勝手に出てきてしまった。


 ***


 レジスタンス達が現れた。


 フヨウの攻撃。

 レジスタンス男Aに10のダメージ。


 レジスタンス男Aの攻撃。

 フヨウはひらりとかわした。


 シオンの攻撃。

 レジスタンス男Aに9999のダメージ。

 レジスタンス男Aを倒した。


 フヨウの攻撃。

 レジスタンス男Bに10のダメージ。


 レジスタンス男Bの攻撃。

 フヨウはひらりとかわした。


 フヨウのカウンター発動。

 レジスタンス男Bに30のダメージ。


 シオンの攻撃。

 レジスタンス男Bに9999のダメージ。

 レジスタンス男Bを倒した。


 フヨウは攻撃をしなかった。

 レジスタンス女に0のダメージ。


 レジスタンス女は怖れて何もできない。


 シオンの攻撃。

 レジスタンス女に9999のダメージ。

 レジスタンス女を倒した。


 レジスタンス達を倒した。

 シオンは経験値3を手に入れた。


 ***


「俺の攻撃意味ねぇ!!」


 せめて別の相手を狙って欲しかった。

 今日は珍しく会長との連携が噛み合わないな。


 前衛の俺に合わせてもらわないと、こちらはまともに動けない。


 会長はほとんど遊び気分だ。

 相手が弱いのは確かだが、実戦で余裕を見せるのはあまり褒められない。


「大丈夫ですか。殺してないですよね」

「失礼ねぇ! ちゃんと手加減できているわよ」


 手加減をしていることを分かってはいるものの、会長の攻撃は派手なので、どうしても心配になってしまう。


「パティ。状況は見えているな。連中はほとんど素人だ。敵の魔法使いを優先して制圧する。雑魚を避けられるルートを頼む」

『任せてください……確認できているのは1名だけで、滝の真下付近にいます。制御装置らしきものも近くにあります……AH27まではそのまま進んでも大丈夫です』


 ***


 魔法使い男が現れた。


 魔法使い男はサンドアックスを唱えた。

 しかしフヨウには効かなかった。

 フヨウのMPが10回復した。


 フヨウが掴みを発動した。

 フヨウは魔法使い男から、MP30を吸い取った。


 魔法使い男は行動できない。

 フヨウは魔法使い男から、MP30を吸い取った。


 シオンが魔弾による砲撃を発動した。

 魔法使い男に99999のダメージ。

 フヨウにも99999のダメージ。

 魔法使い男を倒した。


 フヨウはオートアビリティ『しぶとさ』を発動。

 HPが1残った。

 フヨウのMPが99999回復した。


 魔法使い男を倒した。

 シオンは経験値1を手に入れた。


 ***


「楽勝ね」

「雑過ぎです! いくら俺が耐えられるからって、巻き込まないでください。そもそも俺にぶつかって威力が減弱していなければ、相手を即死させていましたよ」


 滝の音が激しいので、かなり大きめな声で叫ばなければ届かない。


 魔力を固めて放つだけの砲撃だが、威力だけなら四元素の最上級魔法に匹敵する。

 1発くらいならばなんとか吸収できるが、衝撃が結構痛い。


「勝ったのだし。結果オーライよ。急がないとお宝が逃げてしまうわ」


 そういうモチベーションなのか。


 唯一確認されていた魔法使いは制圧したが、レジスタンスの指揮官らしき人物は見当たらない。


「パティ。状況は」

『現在レジスタンス内の指揮系統に乱れがあるようです。数名が島から逃げ出して、警察に捕まりました。島内だけでなく、周辺にいる魔力持ちを調べましたが、不審な行動をする人物はいません』


 おそらく今回の黒幕は、この場に来ていない。

 魔法使いを倒したので、残りの連中は警察なり州軍に任せても大丈夫。


「会長。こいつを連れて引きましょう」


 気絶させた魔法使いだが、この場に放置することはできない。

 縄で縛ったとしても、目が覚めたら、魔法で簡単に逃げられてしまう。

 フレイさんが手配している護送要員に引き渡すまでは、俺が傍にいた方がすぐに対応できる。

 それにこいつが制御の魔道具の詳細を知っているならば、警察には渡せない。

 この際だから他の連中は諦めて、魔法使いだけ確保する。


「後輩君。お宝はどうするの?」


 地面に突き刺さっている石碑せきひのようなものを、いとも簡単に発見できた。

 魔力を発しているが、おそらくダミー。

 多少は隠蔽いんぺいされていたようが、あからさま過ぎる。

 おそらく本物の制御装置は近くにあるのだろうが、探すことは任務に入っていないし、そのことを会長に伝える必要はない。


「これは魔道具のようですね。俺が触れたら破損してしまいます。会長が運びますか」


 実は、先日研究所でクレアさんから貰った鑑定用の手袋があるので、触れることができるのだが、わざわざ言う必要はない。

 地面から引き抜くだけならば、会長でもできるだろうが、これからの行動の邪魔になるだけ。

 それは彼女も同意しているようだ。


「つまり、“俺のポケットには大きすぎらぁ”ってやつね」


 聞き覚えのない言葉。

 どの偉人の引用だろうか。


「まぁ、滝を私達2人きりで占領できたのは悪くないね。記念撮影しておく?」


 残念ながら、そんな気分にはなれないな。

『2人きり』と言われても、俺達の足元に今さっきKOした魔法使いが倒れている。


 ***


 風の洞窟を脱出した俺達は、一時的に別行動をとった。

 会長をパティらと合流してもらっている。


 俺は捕らえた男を連れて、護送車を待った。

 捜査官らも、魔法使いを拘束できるのは魔法使いだけなことは理解しているので、余計な口出しはしてこなかった。


 十数分で青色の警察車両がやって来た。

 しかし中身は魔法使いを想定した特殊仕様で、所属も異なる。

 車内の護送スペースは上級魔法でも破壊が困難。

 魔法式によって強度を増した金属板を何層にも重ねてある。

 さらに犯罪者が暴れた際には、内側に催眠ガスを噴き出す機能もある。

 罪を犯した魔法使いだけでなく、魔獣を輸送することもできる優れもの。


 そして車から降りてきたフレイさんが手配した男女2人組は顔見知りだった。


『マックス。久しぶりだな。いつ帰って来たんだ』

『今回の帰国は休暇みたいなもん。明日には任務でまた発たなきゃならない』


『それにしても、随分派手にやったな。お前らしくないじゃないか』

『今回は協力者がいてな。俺はほとんどお目付け役だ』


 運転を担当している男の方は、俺と同じアジア系ステイツ人。

 そしてその相棒は引き締まった肉体をした軍出身の女隊員。

 丹念たんねんに手入れしたドレッドロックスの髪がトレードマークの黒人女性。


『あら、あなたがフレイ以外の女と一緒なんて珍しいじゃない』


 協力者が女性とは一言も口にしていないし、会長もパティもこの場にはいない。

 どうして分かったのだろうか。

 自身の袖を嗅いでみるが、別段匂い移りはしていない。


 彼女のにやけ顔を見て、鎌を掛けられたと分かった。


『てっきりあなたは、女より仕事だと思っていたけど、ようやく色気付いたか。なんなら私が手ほどきしてあげようか。あなただったらいつでも歓迎よ』

『……冗談が過ぎるぞ』


 今の俺にできる唯一の抵抗。


『そっか。そこまで彼女にぞっこんなのね』


 久しぶりに会って軽口を叩く彼らだが、優秀なのは間違いない。

 魔法使いの護送任務は、誰にでもできる仕事ではなく専門のスキルがいる。

 それに信頼も厚くなければならない。

 裏の案件に限定すると、数名でニューヨーク州全体をカバーしている。

 さらにこの2人は、余所に出張することもあるようなプロ中のプロ。


 今の俺は会長の護衛をしているが、本来のポジションは、チームミッションでの対魔法使いのワンポイント。

 結果として、護送担当と接する機会が多くなる。

 だからといって、積もる話を消化するほどの余裕はない。

 捕らえた魔法使いの収容が終われば、それで別れる。


 魔法使い以外の風の洞窟にいたレジスタンスメンバーは、全員警察に捕まった。

 準テロ案件として処理することがすでに決定しており、大統領の勅命を受けた人員が尋問をすることになった。

 とりあえず島での情報の封鎖はつつがなく行われた。


 さらに風の洞窟を警備していた術者は、気絶させられていただけで、軽症で済んだ。

 事情聴取はまだだが、ほとんど素人なレジスタンス相手に、非情になれなかったそうだ。

 単純な実力でまさっていても、結果が決まっているとは限らないのがこの業界。


 現時点で、ナイアガラ川の制御装置について、どこから漏れたのか判明していない。

 レジスタンスの関係者が自力で辿り着いたのか。

 それとも政府側に裏切り者がいるのか。


 もしかしたらミスターやフレイさんは、すでに解決の糸口を掴んでいるのかもしれない。

 だけど俺が関わるのはここまで。


 この国の社会基盤には様々な問題があり、大小の組織が暗躍している。

 今回の規模の事件ならば、月に数回あるので、気にしていても仕方がない。


 ***


 とりあえずレジスタンスによる事件は一旦収束したものの、風の洞窟観光は諦めるしかない。

 本来のスケジュールに戻って、“霧の乙女号”のクルーズから再開したい。


 捕らえた魔法使いを引き渡し、捜査官らの現場検証にも途中まで立ち会ったせいで、会長達を1時間ほど待たせることになった。

 ようやく解放されてスマホを確認したら会長から、滝つぼ近くでを楽しんでいると、メッセージがあった。


 かなり予定が狂ってしまったが、特に急ぐ用事でもないので、歩いて待ち合わせ場所へと向かった。

 ナイアガラ市の街並みは、ピリピリとした緊張感が漂っていた。

 風の洞窟の事件の余波がまだ残っている。

 そのせいもあって、ステイツ滝の方でも、観光客が少なく閑散としていた。

 慣れない旅先だからこそ、ホテルにこもるのが正しい判断なのだろう。


 普段ならば、人混みで簡単には合流できないのだろうが、到着してすぐに、水の近くにいる会長とパティの姿を見つけた。

 たしか会長は泳げないのだし、さくの無い川沿いに近づかないでもらいたい。


 そもそも俺からしてみれば、プールで泳げる程度では泳げるとは言えない。

 その程度だと着衣のコンディションで、川に流されたら、大抵の人間は地上に戻ることができない。


 2人以外に周辺に人影はない。

 護衛のレクシーは、邪魔にならないように身を潜めているのか、気配がない。

 とりあえず会長とパティのもとへと、ゆっくり歩く。


 近づくつれて、何か違和感を自覚した。

 会長にしても、パティにしても、俺が近づけばすぐに何か反応を示すはず。

 向かっている間、合流したらいわれのない文句が跳んでくるとばかり想像をしていた。

 しかし2人は川に落ちそうなほど近くで、何やら体を密着していて、俺には反応を示さない。


 30メートルほどまで接近して、ようやく何が起きているのか分かった。


 もう疲れた。

 帰りたい気分だ。


 パティが会長の後ろに回って、片腕で対象の両腕を巻き込みながら腹部を締め上げ、反対の手で喉元へと刃物を突き付けていた。


「後輩君。助けて~!」


 何の茶番だろうか。


“絶対強者”の会長様だが、決して無敵ではない。

 普段は並み以下の運動能力の女子高生でしかなく、特に奇襲に対してめっぽう弱い。

 裏を返すと、姿を見せた時点で、会長を攻略することはとても困難。

 ナイフで脅すことなど無意味だし、人質にするなんて不可能。

 彼女が魔力を解放すれば、パティは簡単に吹き飛ばされてしまう。


 一瞬だけ、フレイさんや俺とは別の勢力が、パティに命令を下した可能性が頭をぎった。

 しかしステイツにとって貴重な彼女を、俺と面識があるからという理由だけで、リスクの高い刺客にするとは考えられない。

 そんなことを大統領が許す訳がない。

 裏で糸を引いている人間はいないのだろう。


 だからこの茶番の首謀者は、会長か、パティ。

 もしくは2人の共謀。


「フヨウ! シオンのことなんて忘れて、ステイツに戻って来てください。私にはフヨウしかいません。もうニホンに行かないと約束してくれるなら、彼女のことを解放します」

「後輩君。ここで私のことを救い出して、ニホンへと愛の逃避行よ」


 どういう状況なのだろうか。

 彼女らには大分身長差があるので、会長はパティに合わせて窮屈きゅうくつそうに中腰になっている。

 いつからスタンバイしていたのだろうか。

 おそらく任務終了後も俺の行動は、パティの魔法に監視されていたのだろう。


 とりあえず恥ずかしいので、今すぐ止めてもらいたい。

 事件のせいで、観光客がほとんどいなくて助かった。


「面倒なので、もう帰ってもいいですか。張り合うのは結構ですけど、暗くなる前にはホテルに戻ってくださいね」


 あからさまな敵前逃亡。

 2人を置いて帰ることを決めた。

 突発的な任務で疲れていたところに、面倒なイベントということもあるが、それだけではない。

 答えを出したくない案件を突き付けられたからだ。

 現時点で、今以上に会長との関係に踏み込むつもりはない。


 パティについても、思い違いでなければ、彼女は俺に執着を見せているようだ。

 しかしそれは彼女の周りで最も年が近かったのが俺だけだったからで、そのうち変わるのだろう。

 それを言ったところで、素直に受け入れる娘ではないことも分かっている。


 だから2人がそれぞれ求めている答えは返せない。

 あえて言うならば、無視して帰ることこそが返事。


「フヨウ。どちらかを決めるまで返しません。レクシー、お願いします!」


 パティの視線を追いかけて振り返ると、そこにはレクシーがいた。

 大分距離があるけど、背後を取られていたことにまったく気がつかなかった。


 目が合うと、分厚く沸騰しそうな闘気とうきが伝わってくる。

 流すことも、反撃することもせずに、正面から受け止める。


 レクシーは気を緩めることなく、ゆっくりとした足取りで間合いを詰めてくる。


『こんな茶番に付き合うタイプとは思わなかった。俺にはあんたと戦う理由はないぞ』


 できる限り平静を装って言葉を吐く。


 レクシーは右脚を大きく前に出すと、腰を低く降ろして、下半身に大きな溜めを作る。

 同じ方の腕を正面に出すと、手刀を構えている。

 この国の戦士ではあまり見ない独特なファイティングポーズ。

 古武術や華国拳法の系統なのだろうが、俺がかじったことのある功夫カンフーとはまた違う。


『まぁ。私としても、お譲さん方の痴話げんかはどうでもいいが、あんたの実力は見ておきたくてな。せっかくの機会だ』


 き出しになった闘争心だけでなく、言葉遣いも荒くなっている。

 どうやら避けられない戦闘のようだ。


 こちらは様子見のつもりで、スタンダードなスタイルを選ぶ。

 両腕を上げて、左右対称に構える。

 どこから攻撃されても対処できる防御重視の態勢。


 懐には精霊殺しの短剣とレクシーから渡された自動式拳銃もある。

 しかし彼女もショルダーホルスターには手を伸ばさず、無手で挑んできているので、同じ条件で応える。


『それがあんたの本性か。そういうことなら、俺も手合わせをしてみたいと思っていた』


 技比べは嫌いじゃない。

 未知の武芸を探求することは、趣味のようなもの。

 それに力尽くというのは、あれこれ考えるよりも、しょうに合っている。


 会長とパティのことは頭の片隅へと追いやる。

 そしてレクシーの闘気に応えるために、俺も睨みを効かせる。

 もう余計な言葉はいらない。


 肩を揺らしながら軽いステップを刻む俺に対して、敵は徹底したり足。

 じりじりと間合いを詰めながら、互いにフェイントを駆使して、有利な攻め方を組み立てようとする。

 筋肉の緊張、視線の動き、そして呼吸を読み合っているのだが、互いに隙を与えない。

 相対するレクシーは、間違いなく実戦慣れしている達人級。


 互いに腕が十分に届く距離へと至っても、まだ攻めあぐねている。

 まずはレクシーの技を見たいので、先手は譲るつもりだが、簡単には許さない。

 しっかり牽制して、手を抜いた攻撃はさせない。


 これまで地面から足を離すことのなかったレクシーが、後ろの方の足で地面を強く蹴り急接近する。

 低い姿勢を保ったまま、身体同士がぶつかりそうなクロスレンジ。

 彼女は正面に構えていたはずの右腕を瞬時に、後ろへと引いている。


 レクシーを捉えるために視線を下へと向けるが、彼女の頭部に邪魔されて、ほとんどが死角になっている。

 視界を保つためにバックステップで距離をとろうとする。

 しかし攻撃が想定よりも早く、回避動作が間に合わない。

 ガードの上から打撃を受けた。


 自ら跳んだこともあって、実際の威力以上に後方へと押された。

 偶然だが、上手く受け流せた。


 広がった視界でレクシーの姿を確認すると、どうやら掌底しょうていを放っていたようだ。


 間合いが開いたが、仕切り直しになるのではなく、レクシーが追撃を企てる。

 前に出した右足を軸足にして、最も遠くの後ろに控えた足を一気に回してくる。


 掌底はフェイク。

 正面を意識させて、大外からの回し蹴り。


 右腕のガードを外へと回して、しっかりと対応する。

 しかし予想したタイミングには、蹴りの衝撃がまだ来ない。


 接近していた蹴りは、その膝を曲げることで、俺のガードをすり抜ける。

 彼女は流れる様な動作で、大胆にもそのまま背中を見せて、バックキックへと繋ぐ。

 こちらは残っていた左腕を強引に内側へと引き寄せて防ぐ。

 体重の載った蹴りを、片腕で受け止めてしまったら、ダメージは避けられない。

 まるで金属の棒で突き上げられた様な痛み。

 とても固く、芯を貫く蹴りだ。


 レクシーは俺の反応を見てから、後出しで技を分岐させた。

 まるで鞭の様にしなる足。

 それに評価すべきは蹴った方の足ではない。

 片足で全身のバランスを支えながら、技を切り替えるなんて、体幹がしっかりしていなければ成立しない。

 攻撃を受け止めた左腕は、さすがに骨は折れていないようだが、痺れてまともに力が入らない。


 数秒の接触だったが、身体強化を意識する間がまったくなかった。

 俺は自身の魔力は持たないが、何もしていなくても空気中の魔力を吸収しているので、定常状態でも気づかない程度の微量な身体強化を発動している。

 自動的に全身へと割り振られている便利な強化能力だが、意識することで拳を固めたり、踏み込みを増したり、視力を向上させたりと、実用的な能力にすることができる。

 しかし今は、集中力の全てを目の前の戦闘に振るために、身体強化は自動操縦に任せておくしかできなかった。


 とりあえず仕切り直しだが、まだこちらからは攻めない。

 レクシーは最初と同じく、再び掌底から攻撃を展開しようとする。

 しかし今度は下の死角からではなく、ガードよりも高い位置にある顔面を狙ってくる。

 ダメージがまだ抜けきっていない左腕が間に合わない。

 外側へと首を振ることで、確実に回避する。


 これで終わりな訳がない。

 顔の真横を通過した拳の行方は見えていないが、手首の動きだけで次を察知する。

 あごを引いて姿勢を深く下げる。

 レクシーの掌底がバックナックルになって、俺の頭部があった場所を通過する。

 軽く反撃をするために、右のアッパーを放とうとするが、それよりも彼女の左の手刀が早い。

 せっかく作った右の溜めを諦めて、守りに使う。

 わざとではなく、受けに回るしかない。

 しかしガードさえすれば、威力は大したことない。


 今度はこちらから、お返しとばかりに、コンパクトな左ジャブを繰り出す。

 いとも簡単に外側へと軌道を逸らされてしまう。

 まだこちらの攻勢は終わらずに、左から右へと繋ぐワン、ツーへと入る。

 本命の右ストレートは、ガードの上からでも、しっかりと叩きこむ。


 強打ならば引き離せると思ったが、レクシーは一歩も引かずに殴り返してくる。

 かなり気が強いようだ。


 戦闘フェイズが変わった。

 互いに足を止めて、打ち合いの応酬。

 雑な動きは1つとしてなく、ガードをすり抜ける攻撃なんてほんの一部。

 攻守が目まぐるしく切り替わる。


 外からは互角に見えるかもしれないが、徐々に形勢が傾いている。

 俺の方が、被弾が多い。

 パワーもスピードも彼女の方がわずかに上。

 しかし攻撃の回転率を比べるとかなり差がある。

 レクシーは技から技への流れがとてもスムーズで、戦闘の組み立てもとても上手い。

 まだクリーンヒットは許していないが、ガードの上からの被弾は避けらない。

 俺側から攻勢に出る際は、回避を諦めなければならない。


 レクシーはこのまま戦いを続ければ、いずれ俺のミスで、勝利条件を満たすことができる。

 まるで俺がいつも会長相手に、技を用いて攻撃をさばき、持久戦へと持ち込むのと同じことを、逆にされている。


 長引くにつれて、こちらが不利になるのは目に見えている。

 積極的に状況を打開しなければ、敗北に向かっていくだけ。

 現状、互いに決定打になるような技を繰り出していないが、勝ちが見えているレクシー側に無理をする必要はない。

 今度はこちらが試される番になってしまった。

 もう少しレクシーの技を引き出したかったのだが、自身の実力不足が惜しい。


 これが実戦ならば、ナイフや拳銃を抜くか、一度逃げて罠を張る。

 しかしそれはレクシーとの暗黙のルールに反する。


 打撃では俺が劣っていることを認めるしかない。

 これまでに様々な武術を学んだが、ボクシングはもちろんのこと、空手やカンフーにしたって、打撃を主体にしている。

 パンチや蹴りといった打撃は、見た目にこそ派手さがあり、華やかかもしれないが、1撃で相手を制すことは難しい。

 あくまでも体力を削る技でしかなく、効率が悪い。

 相手の芯に上手く当てなければ、一撃必殺にしかならない。


 レクシーの打撃は、鋭さはあっても、重さがない。

 これでは一撃に命の危険を感じないので、数発貰ったところであまり恐くない。


 一方、締め技や極め技は、残り体力に関係なく、技が入れば勝つことができる。

 特に俺の能力は、敵に触れている間は魔力を吸収できるので、組み技との相性が良い。

 だから柔術やレスリングの鍛錬に重きを置いてきたし、実戦でも多用する。


 俺はパンチを繰り出すタイミングで、今まで軽く握っていた拳を開く。

 右手でレクシーの胸元の服を掴む。

 すぐにもう片方の手で、彼女腰にあるベルトを握る。

 彼女は無理に抜け出そうとせずに、同じく組んで対抗する。


 レクシーと拳を合わせてみて、勝気かちきなところは分かっていたが、予想通りに真っ向勝負をしてきた。

 彼女の魔力は一般人程度なので、吸収したところで身体強化への影響は微々たるもの。

 魔力の急激な減少による気絶も期待できない。


 手始めとして左右に揺らす。

 レクシーの体はとても軽く、簡単に崩せるような手応えだが、だと判断して見逃す。

 彼女は無理に抵抗せずに、俺の崩しの方向に合わせて器用に自身の体重を振っている。

 これでは技とのタイミングが上手く噛み合わない。


 前後に揺らしても同じような結果。


 今度は上下の動き。

 これに対してだけは強く抵抗された。

 まるでレクシーの足が地面に縫い付けられているような手応え。

 これまでの打ち合いで感じ取っていたが、彼女の流派は足元がしっかり安定している。


 単発で崩せなくても、簡単には諦めずに、何度も試す。

 今度は予想されないように変則的な順番。

 レクシーが受け流せないくらい、激しく揺らす。

 一瞬だけ彼女の足が地面から浮いた。

 その隙を逃さない。


 すぐに左手でレクシーの右肩を掴んで押すと、ほぼ同時に自身の右足を、彼女の足元の外側から後ろへと回し、一気に引き戻す。

 さらに強く押し込んで、地面へ向けて投げ飛ばす

 単なる足払いではなく、崩しから、刈り、そして投げへと繋ぐ。

 大外刈り。


 投げて終わりではなく、寝技へと持ち込むために、わざとおおい被さるように一緒に倒れ込もうとする。

 しかし俺の直感が危険だと警鐘けいしょうを鳴らす。

 すぐに追撃を諦めて手を放す。


 足を刈り取られたレクシーは、背中が地面に付きそうな擦れ擦れな状態で、一瞬だけ静止すると、一気に跳び上がる。

 バク転。

 いや、バック宙から派生した蹴り。


 サマーソルトキックなんて、生で初めて見た。

 魔法の補助なしで、実戦で使える武道家がいるとは思わなかった。

 もしそのまま寝技を狙っていたら、後頭部から首に掛けて、強烈な打撃を受けていた。

 詰めが甘かった。

 決着を急がずに、投げ技だけにこだわっていれば、一定のダメージを与えられていたかもしれない。


 間合いを離し、互いに構えを作り直す。

 しかし振り出しに戻った訳ではない。

 互いにダメージや疲労の蓄積がある。

 それに技も見せあった。


 俺がステイツ正規軍の近接格闘CQCを軸に雑多な武芸を取り入れているのに対して、レクシーはシンプルに華国拳法の一流派ひとりゅうはだけで完結している。

 ここまでは彼女に優勢な展開だったが、その武芸はさほど強力ではない。


 そもそも最強の武術なんてこの世に存在しない。

 その時代の頂点はあったとしても、すぐに研究されて攻略されるもの。

 レクシーにあるのは、鍛え抜かれた肉体と、経験に裏付けられた勝負強さ。

 無理な姿勢でも体重の載った技を繰り出せるのは、体を支える足元がしっかりしているから。

 単純な格闘能力だけならば、ステイツでの俺の師であったアックスを上回っている。

 彼女の技にこだわりすぎない点は、見習わなければならないな。

 今の俺が目指すべき形の1つ。


 強い奴が勝つだけならば、この世はつまらない。

 俺はこの場での勝利をまだ諦めていない。

 肉体が完成しきっていない未成年の俺でも、軍の近接格闘訓練で、正規兵を相手にした1対1での勝率は8割を超えていた。

 そのときにも多用していた常套手段じょうとうしゅだんを選ぶ。


 人間にはいくつもの弱点があり、首や関節を締め上げれば、一撃で勝負が決する。

 他にも目や口、頸椎なんかも剥き出しな弱点。

 心臓、肺、腎臓がある位置を強打するのも悪くない。


 防御を固めたファイティングポーズを解除して、両腕を大きく広げる。

 さらにこれまでのステップを止めて、走り抜けることで一気に間合いを詰める。

 レクシーの真横をすり抜けると、90°を超える方向転換をしてから、急に足を止める。

 ドリフト走行で敵の後ろへと回り込む。

 頸椎けいついを狙った手刀で、彼女の首元を打ち抜く。


 威力はそれほどないが、どんなに鍛え抜かれた人間であったとしても、体の自由や意識を奪うのには十分。

 しかしレクシーの足元は崩れない。

 最小限の動きだけで、ヒッティングポイントをズラされたようだ。


 だけど俺だって、まだ次の手を持っている。

 背中バックを取っている状態を活かして、後ろから頸動脈けいどうみゃくを締めるために腕を伸ばす。


 受けに回るレクシーはとても冷静で、振り返ることよりもまず左腕を上げて、自身の首のすぐ隣に並べることで、俺のチョーク・スリーパーを阻止する。

 それからこちらへと振り返る彼女は、その動作と同時に上段の回し蹴りを放つ。

 何か攻撃が来ることを予期していたので、小さなバックステップで難なく回避する。


 彼女の蹴りは、1度避けてもまだ安心できない。

 最後まで振り切らずに、空中で止まると軌道を変化させてくる。

 後ろに下がった俺に対して、まだ曲げたままの膝を伸ばしてくる。


 ステップしたばかりで、次の回避が間に合わない。

 防御を固めて、蹴りを斜め上へと弾き飛ばす。

 かなり強めに力を加えたのだが、片足立ちの彼女は姿勢を崩さない。

 それどころか、踵落かかとおとしへと繋いでくる。

 体重が最大限に載った足を受け止めるのは危険と判断して、また後方へと避ける。


 回し蹴りという横の攻撃から、縦方向の2連撃への動きは絶妙だが、その分隙が大きくなる。

 俺はここぞとばかりに、勝負の大技を選ぶ。


 両腕を前に出すと、できる限り上半身を低くして突進する。

 レクシーの腰元をしっかりと掴んでそのまま押し倒す。

 相手の体を床に付ける1点において、どんな投げ技でもタックルには敵わない。


 技終わりを狙われたレクシーもさすがに抵抗できずに、背中から着地する。

 俺はタックルで倒れる勢いを利用して、下半身を前に出すことで、そのまま彼女の胴にまたぐ。

 マウントポジションでしっかりと、相手の足技を封じる。

 レクシーはまだ自由な両腕でファイティングポーズを作って対抗をする。

 ここにいたって、彼女の顔面を殴ることに躊躇ちゅうちょはないが、これ以上勝負を長引かせるつもりはない。


 片腕をレクシーの首の真横に配置すると、体重を移動させて頸動脈を締め付ける。

 十字絞めは強力な技だが、約7秒継続しなければ、意識を奪うことができない。


 レクシーは首を絞める俺の腕の下に、自身の腕を滑り込ませると、上へと押し返す。

 体重を載せているこちらが有利なはずだけど、彼女の脈を上手く絞められていない。

 このまま強引に力勝負に徹することは得策じゃない。


 抵抗している腕とは別の方を捕まえると、すぐさま自身の片足を相手の肩の上へと回す。

 彼女の腕を掴んだ状態でその下に回り込み、両足を彼女の胴体の上に載せる。

 腕挫十字固うでひしぎじゅうじがためが完全にまる形に持ち込んだ。

 俺の全身の力を、彼女の肘の関節に本来なら曲がらない方向へと、加えることができる。


 人体の構造を理解していれば、格上相手でも最小限の力で制することができる。

 もちろん多くの格闘技の流派が必殺の技を研究している。

 なかでも極め技サブミッションこそ、


「さすが後輩君。関節技サブミッションこそ、王者の技ね」


 人質にされているはずの会長が何かを言っている。

 彼女は脅されているという設定を忘れているのじゃないか。


 これが試合ならば、審判のジャッジによって俺の勝利が確定。

 実戦ならば、容赦ようしゃなく腕を折る。


 レクシーが自由な方の腕で、降参の合図としてタップをしてきた。

 しかしこれで簡単に放すのは、あまちゃんだ。


 技を少しだけ緩めると、俺は腰元から短剣を抜き取る。

 その刃をレクシーの顔の真横の地面へと刺す。

 一瞬だが、彼女は目をつむる。


 掴んでいた腕を外して、レクシーを地面に抑えつけていた足を退ける。

 先に大事な短剣を回収してから、彼女に手を貸す。

 起き上がるくらいの力は、まだ残っているはずだが、これくらいは戦士としての礼儀。

 彼女もそのことが分かっているので、手を掴むが、ほとんど自力で立ち上がる。


『完敗だよ。まだ若いのに、修羅の道を歩いてきたのだな』

『いえ、こちらも勉強になった。体幹のトレーニングで何かおすすめがあれば、後で教え欲しい』


 実際のところ、どちらが勝ってもおかしくなかった。

 もちろん何でもありの実戦ならば、互いに譲るつもりがないが、本日は手を合わせただけ。


 満足したことだし、そろそろホテルに帰るとするか。


「ちょっと、後輩君。こっちのこと忘れていない?!」


 むしろ積極的に忘れたかった。

 レクシーと俺の対決の最中、互いに手を握って見守っていた会長とパティの2人だが、決着を終えてから大急ぎで元のポジションに戻った。

 再びパティが会長の後ろから喉元にナイフを回している。

 まだ茶番を続けるのか。


「フヨウ。よくもレクシーのことを殺しましたね」


 いや、殺していない。

 レクシーにも説得を手伝ってもらおうと、目で訴える。


『敗者に口なしだ。お嬢さん達の相手は任せた』


 勝ったはずなのに、何故だか損した気分だ。

 何を口にすれば、会長とパティの両方を同時に納得させられるだろうか。

 むしろ簡単には納得して欲しくないという自己矛盾がある。


「フヨウ。どちらかを選んで!」


 無理な注文。

 任務の都合上、俺には会長を選ぶしかない。

 極論として、ステイツとたもとかつならば、会長を見捨てることもできる。

 まぁ当然の結果として、パティと会うこともできなくなるので、やはり彼女を選ぶ選択肢はどこにも存在しない。

 だけどそんな理詰めの答えを、2人とも望んでいないことくらい分かっている。


 もう力尽くで連れて帰るか。

 先ほどの戦闘で分泌されたアドレナリンがまだ残っているのか、思考が雑になっている。

 そのせいで安易に近づいてしまった。


「フヨウの馬鹿!」


 刺激してしまったパティは、会長を連れてナイアガラ川へと近づく。


「ちょっとパトリシアちゃん。それはやりすぎよ」


 突拍子のない行動をするのは、会長の方だと思っていたが、パティも爆弾持ちだった。


「いくらフヨウでも、救えるのはどちらかだけだよ」


 パティは会長を道連れにして、川へと倒れ込む。

 水面を揺らした飛び込み音は、滝でほとんどかき消されたが、目の前に2人の姿はもうない。


 俺はすぐにズボンを脱いで、余計な装備は地面へと落とす。

 この2、3秒の間にどちらも浮いてこない。


 後を追って川へと飛び込む。

 流れはそれほど激しくないので、すぐに追いつけるはず。


 水中で目を開けると、沈んでいく2人の姿が見える。

 どちらも、もがくことすらできておらず、水の流れに従っている。


 追いつくためには、余計な浮力が邪魔。

 咄嗟とっさの判断で、肺の中の空気を半分ほど切り捨てる。

 一掻ひとかきするたびにスピードを上げて、沈んでいく2人へと接近する。


 右手でパティ、左で会長の服を掴む。

 だけどまだ安心できない。

 予想はしていたが、何か手を打たなければ、3人まとめて沈んでしまう。


 いくら力を込めて足を蹴っても、地上へ進まない。

 2人の魔力を吸っているが、身体強化の影響も虚しい。

 しかも都合の悪いことに、会長が魔力を解放していないので、吸収効率がとても悪い。

 何より体を動かすための酸素が足りない。


 今回の一時帰国で、初めての命に関わるピンチ。

 俺1人なら、もちろん浮上できる。

 もう1人救うことすらも五分五分。

 2人両方は無理。


 何度もキックを試すが、これ以上沈まないように現状維持を続けるのが限界。

 このままだと時間経過と共に、生存率が指数関数的に減少する。

 もう決断を強いられるギリギリラインは目前。

 早く事を起こさなければ、片方すら救うことができない。


 これまでに後ろ指を指されるような非情な行動を何度もしてきた。

 しかしプライベートの顔を知る人間の命の取捨選択は初めて。


 決断の時はもう間近。

 見捨てる方の手を放そうとする。


 そんな中、急に左手に外からの力が加わった。


 会長が動き出して、自らの意思で顔を上へと向ける。

 そして手足を動かすと、綺麗なフォームで急浮上し始めた。

 さっきまでの彼女が嘘のように、真上へとスイスイ泳ぎ出す。


 女狐めぎつねめ!


『いるのよねぇ。無駄に泳げることを自慢してくる人って。人類は陸上生物なのだから水に入らなくていいのに……』


 彼女自身が泳げないとは、一言も口にしていない。


 俺は残るパティを抱えて上を目指す。

 しかし驚きのせいで、余計な体力を使ってしまった。

 さっきよりは大分マシだが、なかなか進まない。


 すると後から飛び込んだレクシーが追いついて来た。

 彼女は俺のことなど気にも止めずに、パティのことを奪い取ると地上を目指した。


 救出のために川に入ったはずの俺は手ぶらで、しかも最後に浮上することになった。

 大分情けない姿だな。


 ***


「後輩君はしっかり反省しなさい」


 レクシーとの戦いを終え、会長達を追って川に飛び込んだ俺を待っていたのは、会長による理不尽な説教だった。


「パトリシアちゃんのことを軽く見過ぎ。正面からしっかり向き合えば、それほど難しくないことよ」


 今回俺は会長達の茶番に巻き込まれて、パティの暴走の被害者のはず。

 俺が2人の優先順位について、曖昧な態度をしていることは理解している。

 現実問題として会長のことを選ぶしかないが、そんな理由で2人が納得するとは思えない。

 それに会長にはついこの間、答えを待ってほしいと話したばかり。


「やっぱり後輩君はぜんぜん分かっていないわ」


 といういわれのない説教が続いている。


 川から上がって、すぐにこのお叱りが始まった。

 俺は飛び込む前に脱いだズボンを、未だに履かせてもらえていない。

 体はかなり冷えているが、勝手に焚火たきびをするわけにもいかない。


 幸いなことに天気がとても良く、濡れた衣類が乾き始めている。

 自分の体のことなのだが、かなり臭いと自覚している。

 早くホテルに戻ってシャワーを浴びたいものだ。


 俺を見下ろして説教中の会長様はというと、魔力を解放して、器用に余分な水分だけを吹き飛ばした。


 そして少し離れた位置では、大きなタオルで身を包まれたパティがレクシーに怒られている。


「そこ! よそ見しない!」


 会長は不機嫌ではないのだが、満足もしていない。


「後輩君がパトリシアちゃんのことを子供扱いしすぎるから、彼女を思い詰めさせたのよ。外から見ていて、今の2人の関係はとてもいびつ。今回は私が背中を押して、爆発させてあげたけど、このままはもう無理よ」


 今回の騒動は2人の共犯だと思っていたが、パティをそそのかした会長こそが主犯格だったか。

 とりあえずはパティの鬱憤うっぷんは晴れたのだろうか。

 俺が会長のことを優先しているのに対して、パティは溜め込んでいたのだろう。

 しかし任務なのだから、同僚として割り切ってもらわなければならない。


「わざわざ、私の口から言わせないでよ」


 会長が言わんとすることは、ちゃんと分かっているが、それは勘繰り過ぎだ。

 これまでのパティとの関係からは、あまりにも飛躍があり過ぎる。


 久ぶりの再会で、会長に対抗して何かと俺にくっついてくるパティだが、俺達の間に特別な好意はない。

 パティはかつて俺が仕事で救出した娘であり、ステイツに属する魔法使いとしての仲間。

 将来のライバルという言葉がしっくりくる。


「後輩君が女心に歩み寄れないのは、お姉さん的に許せないわ……あ、でも、だからといって、後輩君のハーレムなんて認めてもいないからね。私は好きなものを誰かと共有なんてできない」


 女心とは、なんとも難しい注文だな。

 少なくとも俺はハーレムなんて望んでいない。

 1人でも大変なのに、群れられたら男に勝ち目はない。


「ハーレムは駄目だけど、妹としてなら何人いても大歓迎よ」


 会長の趣味はよく分からないな。


 ちなみに俺の最愛の妹マイ スイート シスターは従妹の陽菜ひな1人だけだ。


 ***


「後輩君、パトリシアちゃん。ちょっとあっちのお土産屋さんを見てくるわ。ここで待っていてね。付いてき来たら駄目よ。絶対だからね」


 ラガーディア空港。

 ナイアガラ観光を終えた俺達は現地でもう一泊した後、ニホンに帰るために空港を訪れていた。

 パティとレクシーも見送りとして、ここまで一緒に来てくれた。

 飛行機のチェックインまで、まだ1時間近く余裕があるので、空港内の施設を回っていた。


 そんな中、会長が1人でぐいぐいと進んでいく。

 レクシーは離れた位置で見守っているので、必然的にパティと2人きりになってしまった。


 本日のパティはとても大人しい。

 昨日の川への飛び込みで、レクシーにかなり絞られたからなのだろう。

 彼女とゆっくり話す機会は今回に限らず、今までにもあまりなかった。


『フヨウはニホンに行ってから、とても変わりました』


 パティが軽く話題を振ってきた。


『そうだな。任務とはいえ、ハイスクールでの生活は新鮮なことばかり。周りと歩幅が合わなくて、大変なこともあるが、楽しくて充実していることは確かだ。だけど、そんなに変わったか』

『やっぱりフヨウは変わりました。そういうことを自分から認めませんでした。昔のクールだったフヨウも好きだけど、今のフヨウはもっと素敵だと思います』


 今の方がもっとか。


 俺はニホンで、守りたいモノができて、毎回矛盾ばかり。

 エージェントとしてなら、確実に弱くなった。

 だけどパティはその方が良いと言ってくれている。


 以前の俺は肉体を鍛え、技術を身に付け、知識を蓄えることこそが成長だと思っていた。

 だけどこの3ヶ月は、そのどれにも該当しない分野で、着実に伸びている。

 この変化を俺自身は好ましく思っているし、それを肯定されるのは悪くない気分だ。


『パティにもいずれ、機会があって欲しいと思う。プレジデントとはあまり交流がないが、ミスターやフレイさんになら、俺の方からも説得を手伝う』

『……だったら、私もニホンに行きたいです。東高がいいです』


 これはちょっと予想外。

 東高の名が出るか。


 ステイツの上層部は彼女が、州の学校に通うことにすら反対している。

 当然、ニホンへ赴くことなど許可するとは思えない。


 そもそもパティの適正は東高に合っていない。

 東高の受験資格は、ミドルスクール水準の学習を終えていること。

 彼女は家庭教師の指導で、すでにハイスクールの勉強をしているので、来期にでも挑戦できる。

 しかし東高は1対1での対人戦に重きを置いている。

 パティの能力とは相性が悪い。


 ステイツ最強の彼女だが、自分の身を守る魔法を持っていない。

 過去に多少の格闘技の手ほどきはしたが、俺と違って魔法に対する対抗手段が乏しいのは、大きなハンデになる。

 むしろ実際の案件を想定したり、魔法使い同士の連携を重視したりした訓練をしている西高の方が、パティの適正を伸ばすことができる。

 だけどこの場で、そんなことを説明するのは無粋。


 さらに言うとステイツにだって、魔法公社運営の魔法高校がある。

 ニホンは第1、第2公社による2校だけだが、この国には4つの公社全てがハイスクールを持っている。

 特に第1公社の本部があることもあって、1校だけ頭が抜けており、東高の10倍の規模。


『興味を持つことは悪くない。東高は年中留学生向けの見学プログラムを用意しているし、年に1度ある西高との対抗戦はステイツでも放映される。ニホンにこだわらずに、色々と調べていると良い。それだけでも世界が広がるはず』


“ニホンにこだわらず”辺りから、パティは少しだけ残念そうな表情を浮かべた。


『どの道、俺が東高に通うのは任務の間だけ、早ければ数ヶ月、どんなに長くても2年間。それ以降の拠点は決めていないが、とりあえずは今まで通りニューヨークになるだろう。俺の未来が定まっていないように、パティの将来だって、誰のものでもない』


 俺と違って、パティには縛りが多い。

 しかし彼女が本気になれば、ステイツ政府に対してたった1人でも交渉できる。

 たとえ魔法を使わなくても、彼女の存在そのものが劇薬のようなもの。


 少し互いの心の内を知ることができたが、他にも話しておかなければならないことがある。

 会長の気遣いを無駄にはできない。


『パトリシア。今まで曖昧にしていたが、』


 パティが真剣な眼差しで、俺の言葉に耳を傾けている。


『俺はパトリシアのことを、同じステイツのために働く仲間だと思っている。魔法使いとして唯一無二なのは分かっていても、プライベートだと危なっかしいところが多くて、子供扱いばかりしてしまっていた』


 俺にしては長めの語りだけど、まだ続く。


『だけどいつの間にか、大きくなっていたんだな。余計な気遣いはパトリシアに失礼だった。昨日の仕事ぶりだって悪くなかった。これからも頼りにしている』


 伝わっただろうか。

 本音を口にするのはとても難しいものだ。


 彼女は俺の言葉を受けてから、1度視線を下げて、考え込んでしまった。

 無理に返事を急がせない。


 空港の雑踏の中で、2人の空間だけは静か。

 別れ間際なのに、彼女の機嫌を損ねてしまったかもしれない。

 でも後悔をするつもりはない。

 これで破綻するような関係ならば、固執する必要もない。


 ようやく少女が顔を上げた。

 実際は20秒くらいだが、体感だとその3倍くらい。

 表情からはどちらとも読み取れない。


『パティでいいですよ。しばらくはまだ子供でいてあげます。でも、いずれ、嫌でもフヨウが意識するようなレディーに、魔法使いになってみせます。素直に甘えられるのは今だけだから、しっかり楽しみますよ』


 パティが少しだけ大人びた笑みを浮かべていた。

 だけどすぐに、良く知っているいつもの彼女へと戻った。


 そんなパティを見て気を緩めた瞬間、彼女は俺の胸元へと飛び込んでくる。

 彼女の体重は軽いので、押し倒されることはない。

 怪我をさせないように、しっかりと両腕で受け止める。


 周囲からは兄妹に見えているのだろう。

 確かにパティが成長したら、こんなことは気軽にできない。


「ちょっとパトリシアちゃん! そこまでは許してないわ」


 席を外していた会長様が戻って来た。


 何故だかろうか。

 浮気現場を見つかったような気分だ。


 パティは俺の首にしっかりしがみついている。

 支えている腕の力を抜いても下りてくれない。


「シオンも後でやってもらえばいいのです」

「後輩君。交代よ。交代!」


 さすがに会長とだと、周りの目が気になる。


 ***


 パティとの別れは、あっさりしたものだった。

 内心、再会が楽しみである。


 そろそろチェックインの時間。


 俺は預けるような荷物はないので、機械で済ませれば、後は出国ゲートで旅券を見せるだけ。

 1週間前と同様に、機内へ精霊殺しの短剣を持ち込むので、ファーストクラスのチケットで、外交官として搭乗する。


「ちょっと後輩君。何かがおかしいみたい。予約番号を入れても、チケットが出ないの。代わりに試してみてくれる」


 俺とは違って機内に持ち込めない大きなキャリーケースのある会長だが、機械でのチェックインを選んだ。

 その後、カウンターで荷物を預けるだけ。


 彼女が触っていたタッチパネルを確認するが、ちゃんとニホン語表記になっていた。

 一体何を間違ったのだろうか。

 会長は決して機械音痴ではない。

 ニホンを発つときだって、1人で搭乗手続きを済ませていたはず。


 彼女のスマホの画面に表示されたスクリーンショットの予約番号を見ながら、俺が入力を進めてみる。

 しかし『該当する番号がありません。最初からやり直してください』と返されてしまった。


「会長。予約に間違いはありませんか」

「そんなことないわ。凛花に任せたのだもの」


 完璧超人の副会長に、こんなケアレスミスはないか。


 そんな中、会長のスマホの画面が切り替わった。

 メールアプリの通知に、“クソジジイ”と表示された。


「あっ。ちょっと、後輩君。返して」


 会長はパッと俺の手からスマホを取っていく。

 とりあえず見なかったことにしよう。


 メールの文面が長いのか、会長はスマホからなかなか目を離さない。

 いや、スクロールの指は大分前に止まっている。


「……やられたわ」

「会長?」


「後輩君……第5公社の経費で、ファーストクラスの切符を購入したことが、総長にバレちゃった」


 そういえば会長の懐事情は並の女子高生相応なのに、行きの飛行機で俺の隣に座っていたな。

 帰りの便も同じだと聞いていたが、往復のチケットを自腹で支払うことはとても難しいはず。


 半日のフライトとなると、ファーストとエコノミーの金額には雲泥うんでいの差がある。

 俺だって、ステイツの支払いでなければ、利用する機会など存在しない。


 第5公社の副長の権限がどの程度かは分からないが、さすがに総長の意に反することはできないだろう。


「あのクソジジイ。帰りの切符を差し押さえやがって!」


 完全に会長様の自業自得じゃないか。


 俺は任務の一環としてステイツに一時帰国したが、彼女はほとんど旅行。

 本来ならば、来る必要などなかった。


 第5公社の仕事ではないのだから、経費を使うのは不適切。

 副長として彼女が自由に使えるお金が多少あるのかもしれないが、それほど余裕はないはず。

 第5公社のメンバー達は経費を激しく使うので、資金繰りはあまりよろしくないと聞いている。


「後輩君。どうすればいいかしら」


 一通り怒り終えた会長様は、現状を理解したのか困惑モードへと突入した。


 さて、どうしたものか。

 1.代わりに飛行機代を支払う。

 2.一緒にステイツに留まる。

 3.この場で見捨てる。


 どれも違うな。

 1は甘やかし過ぎだし、2は問題解決になっていない。

 3に至っては任務放棄だな。


 となると、やはり

 4.凛花先輩に相談する。


 ニホンは今、夜か

 困ったときの副会長。


 さっそくメッセージアプリの通話機能を使う。

 呼び出しから、3秒ほどで繋がった。


「工藤凛花だ。芙蓉だな」

「はい。現在、会長とニューヨーク市の空港にいるのですが……」


 今の状況をつまんで、簡潔に説明する。

 その間、凛花先輩は聞きに徹する。


「あまり俺が助け過ぎても良くないと思うのですが、どの程度が妥当だとうでしょうか」

「実は航空券の手配を手伝ったこともあって、私もさっきクソジジイにこってり絞られたばかり。今回の件ではあまり力になれない」


 期待していた凛花先輩のサポートを得られなかったことよりも、2人から“クソジジイ”と呼ばれる総長のことがどうも気になる。

 たしか以前にも、凛花先輩の口から似たような言葉を聞いた気がするが、いつのことだったか思いだせない。


「まぁ、格安航空会社なら、紫苑の貯金でもニホンまでの飛行機代を支払えるはず。手続きは私の方でしておく。ついでにステイツでの行動で、紫苑が使ったお金は明細を作っておいてくれ。仕事を大量に割り振って払わせるから」


 さすが凛花先輩だ。

『力になれない』と口にしておきながら、しっかりアドバイスをくれた

 さらステイツが支払った接待費の大半を回収できるな。

 公社の魔法使いは稼ぎの多い仕事なので、会長が本気を出せば1カ月ほどで返済できるだろう。


「会長、ニホンでお待ちしております」

「ちょっと後輩君!」


 会長を置いて、1人でゆったりとファーストクラスでニホンへと飛ぶことにした。

 こうしてステイツ旅行が幕を下ろした。


 帰国後しばらく、会長は大量の請求を期限までに支払うために、仕事で東高の授業を欠席し続けた。

 空港での置き去りによって、今回の旅のエスコートで、俺が稼いだ点数は全てチャラになった。

 結果として俺達の距離は、旅行前へと戻った。

 今は会長との関係を曖昧のままにして、あまり距離を詰めたくないので、このくらいの塩梅あんばいがちょうど良いのかもしれない。



 ***

『おまけ1』風の洞窟突入前


紫苑「貸し1つよ」

フレイ「できるだけ早めに返したいのだけど……“囚われのお姫様作戦“なんてどう?」


紫苑「聞かせてみなさい」

フレイ「定番よ。要はね……」


紫苑「やっぱりあなたのこと嫌いだわ」

フレイ「ありがとう。それで、やるの?」


紫苑「もちろんよ。でも私なりにちょっとアレンジするわ。パトリシアちゃんのガス抜きにも使いたいしね」

フレイ「不甲斐ない部下達で申し訳ないわ」


紫苑「いえいえ。後輩君のちょっとズレているところも可愛いから」


 ***

『おまけ2』ステイツ編の整理


芙蓉

・右腕の魔法式が消えない。魔法分解能力が強化。吸収能力は変化なし。

・魔法式を隠す人工皮膚、魔力を通さない鑑定用の手袋を入手。

・紫苑への好意を自覚し、ローズとの決着を終えたら、想いを伝えることを決める。もし答えを急がされたら、断るつもり。


紫苑

・相変わらず芙蓉のことを振り回すが、本来のネガティブな一面を見せることが増える。

・フレイとの会話で、芙蓉に対して異性として好きだと認める。一方で最後の一線は彼に任せたいと遠慮がち。

・残された時間が少ないことを自覚しており、暴走前に自害することを決めている。

・芙蓉が自身を殺める存在だと知っている。


フレイ

・咲夜の指輪の騎士だった軍神の弟子。

・全面的に芙蓉の味方。

・結末を芙蓉と紫苑に委ねたい。


ミスター

・ステイツ副大統領で、芙蓉とフレイの上司。魔法に関しては素人。

・九重紫苑との協力体制を願う。

・フレイの行動を疑っている。


パトリシア

・ステイツ最強の魔法使い。文明破壊のエキスパート

・生来の固有魔法は2重の封印を受けている。

・後天的に能力開発で目覚めた魔法は、地上全てに感覚を飛ばせる。

・芙蓉に対して特別な感情を示すが、異性としてかは不明。

・東高入学を希望。


 ***

『あとがき』

ようやくステイツ編が完結です。

全5話で単行本1冊分を超えてしまい、おそらく4章のメインだったテトラド編を上回っております。


4章全体としては、ようやく予定していた3分の2です。

まだまだSSが続きます。


さて、しばらく更新ペースが遅くなりそうです。

更新時に通知を受け取れるように“作品フォロー”をしていただけると嬉しいです。


次回から、舞台は東高に戻ります。

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俺が無双できないのはチートな生徒会長様のせいだ ザンブン @zanbun

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