SS5 ステイツへの一時帰国(4日目:カジノ)

『あらすじ』

ステイツへ一時帰国

会長が同行

クレアによる診断終了

***


 4日目のニューヨークだが、生憎あいにくの雨で行動に制限が加わることになった。

 会長は少しむくれていたが、天候に振り回されるのも、また旅の醍醐味だいごみ


 ゆっくりと起きて行動を始めた本日は、黒い雲の下で公園や美術館巡りを中心に、静かに観光をしていた。

 しかし次第に雨が強まり、少しの移動でも服がびしょ濡れになる勢いだったので、1度ホテルに戻ることになった。

 会長と俺は順にシャワーを浴び、再び外出用の服へと着替えた。


 ちなみに今朝から、さっそく研究所でクレアさんより支給された人工皮膚を右腕に着けている。

 数に限りのある消耗品だが、あまり出し惜しみをしても仕方がない。

 むしろステイツ滞在中に使ってみて、感想をクレアさんに伝えておいた方が、次の生産の際に改良してもらえるかもしれない。

 装着時は伸縮性が高く、肌に密着するゴム製のような手触りだったが、すぐに馴染んで着けていることを忘れてしまいそう。

 見た目にあまり違和感なく地肌のようだが、さすがに水に濡れると光の反射加減によっては薄い膜が見えてしまう。


 本日の余った時間の使い道に困った会長と俺は、とりあえずホテルのエントランスへと繰り出した。

 2人で観光案内のパンフレットやガイドマップを眺めている。

 求めるコンセプトは雨でも楽しめる屋内施設。

 すでにピークは脱したようだが、空はまだ灰色でぱらぱらと雨粒が降り続いている。


 基本的に俺がリードしてきた今回の旅行だが、会長と共に行き先を考えるのも楽しいかもしれないと思っていた。

 しかし彼女が選ぶと、面倒な要望を提案する確率が高いことをすっかり失念していた。


「カジノに行ってみたいわ。ステイツと言えば、やっぱりカジノでしょ。ルーレットとかポーカーで旅の資金ゲットよ! スライムレースも観戦したいわ」


 スライムレースって、何の漫画の影響だろうか。


「それに、それに、カジノで身包みを全部がされた後輩君に私が恵んであげるの。そうしたら、後輩君は私に頭が上がらなくなるわ」


 もし止めなければ、会長様の妄想はどこまで膨らむのだろうか。


 カジノの本場はラスベガスだが、このニューヨークでも楽しめる。

 しかしそこには重大な問題がある。


 俺達は未成年だ。

 法律で認められている正規のカジノには、もちろん年齢制限がある。

 いくらフォーマルで身を固めても、旅券などの身分証の提示を求められたら言い逃れはできない。


 交渉次第では、見学程度なら許可してもらえるかもしれないが、賭けへの参加は認められないだろう。

 こればかりは、フレイさんでもどうにもできない。


 カジノはならず者の無法地帯ではない。

 むしろ高所得者達の娯楽施設なので、格式が高く公正に運営されている。

 そこには政府側も含め様々な関係者の利権が絡んでいる。


 一応、法律の外側にある裏カジノに、いくつか伝手つてがある。

 かつて俺は、ローズかあさんの情報を集めるために、できる限り多くの資金が必要だと焦っていた。

 当初はまだエージェントとしての報酬も少なかったこともあって、安易に裏カジノに手を出してしまった。


 単純な確率論に基づけば、試行回数が多くなると、必ず客側が損するのが賭場のシステム。

 スロットやレースなんかでは運の要素が大きく、賭ける側による介入が難しい。

 一方で、ルーレットやカードはディーラーとの対決なので、そこにつけ入る隙がある。

 視線や呼吸から相手の意図を盗み取ることは、戦いでの駆け引きに通ずるものがある。


 非番の時は裏カジノに繰り出し、荒稼ぎを重ねる度に、出禁できんの店が増え続けていた。

 しまいには、イカサマだと喧嘩をふっかけてきたやからを返り討ちにして、とうとう組合のブラックリストに入れられてしまった。


 というわけで、この街で会長を連れて行けるカジノはない。


「会長、カジノは大人になってからです。また次の機会にしましょう」


 言葉を発した直後に、これは禁句だったかもしれないと後悔した。


 会長には俺に明かしていない秘密がある。

 テトラドの会で対立した時に、彼女は『長くない』と漏らしていた。

 九重院で1度追及を試みたが、あからさまにはぐらかされてしまった。

 そんな彼女の前で未来の話をすることは、軽率だったかもしれない。


「お姉さんはもう立派なレディーよ」


 会長の地雷は踏んでいなかったようで、内心ホッとした。


 彼女は口さえ開かなければ、美しい淑女しゅくじょに見えなくもないが、その思考回路は斬新ざんしんと評すべきか。

 それとも残念と評すべきか。


 どちらにせよ、会長とカジノに行けばトラブルの予感しかしない。

 どうにか諦めてもらえないだろうか。


「無理ですよ。年齢は誤魔化せません。それに資金に余裕がなければ、待つのは破滅のみです。そもそも熱くなりやすい会長はギャンブルに向きません」

「やだもん」


 自称レディーの会長様は、頬を『ぷぅー』っと膨らませている。


「可愛く言っても駄目ですよ」

「やだもん」


 聞き分けの悪い無邪気で可愛い少女を演じているが、その中身がわがままな暴君であることを俺は知っている。


「駄々をこねても、無理なものは無理です」

「やだもん。やだもん。やだもん」


 昨晩のお馬さんごっこで取り戻した彼女の機嫌はすでにリセットされている。

 喜怒哀楽の豊かな会長様は、様々な感情を見せるのに忙しくて、過去を振り返ることはあまりない。

 今ここで何か魅力的な代案を提示しないと、カジノを諦めさせることができない。


 高速で頭を巡らせていたら、状況が大きく変化する。

 見知った顔の男性を先頭に、こちらに近づくスーツの集団が現れる。

 他のホテル客達は自然な流れで、退去するように誘導されていく。


 俺はすぐに姿勢を正す。

 こちら側から先に挨拶をしようとしたら、『不必要』との目配せを受けた。

 要請に従い、なり行き見守ることにする。


「ちょっと後輩君。私の話を聞いているの!」


 脇の甘い会長は、まだ周りの変化に気づいていない。


 そしてグレーのダブルスーツを着こなした壮年の紳士が口を開く。


お嬢さんレディー。カジノハ無理デスガ、カジノビルノ最上階デ、夜景ヲ観ナガラ、ディナーハ如何イカガカナ?」


 いつも俺と話すときはエイ語だが、会長に合わせて堅くぎこちないニホン語。

 おそらく急遽きゅうきょこの演出ために練習をしたのだろう。


「後輩君。この人って……ステイツの副だいと、」

「あぁー! 違います。こんなところにいるはずがないじゃないですか。会長が想像した人物に似ていますが、その遠縁の方ですよ。ニホンにいたら西洋系の顔は見慣れないので、区別できなくても仕方ありません」


 咄嗟とっさの出任せで、強引な言い訳になってしまった。

 それに対して、会長は少し首を傾けている。


「うーん。そっか、後輩君が言うなら、そうなのよね」


 信じてくれたのか。

 それとも信じたことにしてくれたのか。


『どうかね、フヨウ。直接顔を会わせるのは随分と久しぶりのことだし、夕食くらいご馳走させてくれ』


 なまりがなく、聴き取りやすい標準的なエイ語。

 いつもの彼ならば、俺のことをマックスの愛称で呼ぶが、会長の手前伏せてある。


 俺は立場上、この老紳士の意図に乗らなければならない。

 命令ではないようだが、反対する明確な理由がない。


「会長。こちらの御仁は、以前にフレイさんと俺が助けたことがあって、それ以来親交があります。せっかくのご厚意なので受けませんか」

「後輩君の顔を潰す訳にもいかないものね。お姉さんは聞き分けがいいのよ」


 さっきまで、『カジノ、カジノ』と駄々をこねていた自分のことを棚に上げて、よくそんな言葉を口にできるな。

 まぁ、彼女が素直に従ってくれるのはとても助かる。


 ***


「後輩君。外がキラキラよ。まるで星空の中にいるみたいだね」


 会長にしては平凡な感想かもしれないが、その形容はなかなかに的を射ている。

 ニューヨークの夜景は、他の都市とは異なる。

 高い場所から眺め下ろせば、華々しい光の世界が広がるのが、近代都市にありがちな夜景。

 しかし高層ビルの多いこの街では、光が立体的に広がる。


 宿泊しているホテルの部屋もそれなりに高層階だが、道路を挟んだ先に同じ高さの建造物があって、あまり奥行きを感じられなかった。

 一方で知り合いの老紳士が用意した展望席は、周囲の建物よりも頭ひとつ抜けていた。


 夜になっても眠ることのないビル群が、不規則な模様を描いている。

 最下層では光の粒が走っている。


 この高さだと、人の姿はまったく見えない。

 車のヘッドライトですら1台では足りず、数台分がまとまって初めてここまで届く。

 たくさんの輝点が生まれては、消滅してを繰り返している。


「やっぱり、こういう場所だと、言いたくなる定番のフレーズがあるわよね」


 何だろうか。

 会長の前振りに対して、俺には心当たりがない。


「見ろ! 人がゴミのようだ!」


 台無しだ。

 何の漫画の影響だろうか、会長のセンスは俺には理解できそうにない。


 俺達が案内されたのは、夜景が有名で、さらに鉄板焼きを売りにしている超一流の三つ星高級レストラン。

 しかし一般客に明かされているのは下のフロアまで。

 ここはVIP限定のテーブル。

 厳密には先に着席を済ませている男性こそが特別。


 食事の誘いを受けてから、会長と俺はホテルでフォーマルの衣装をレンタルした。

 すぐに無難なスーツを選んだ俺に対して、会長は衣装部屋で、大分はしゃいでいた。

 結局、彼女が選んだのは濃い紫色のドレス。

 派手さはなく、落ち着いた衣装のおかげでいくらか大人びて見える。


 正方形のテーブルのそれぞれの辺にある椅子は4つ。

 ナプキン、ナイフとフォークカトラリー、グラスも4組ずつ用意されている。

 60代の紳士とその夫人が隣に座り、残りは会長と俺の分。


 紳士のすぐ後ろで左右に陣取るのは、ダークスーツ姿の鍛え抜かれた2人のボディーガード。

 さらに彼と夫人との間には通訳も兼任しているニホン語が堪能な女性秘書が1名。

 さらに見えないところに、武装した護衛を複数人控えさせている。


 紳士の正体は、会長が言おうとした通り、ステイツ副大統領。

 だけどフレイさんや俺は別の呼称を使う。


 ミスター。

 名もなき非合法部隊の最高監督者。


“ミスター”と単独で用いた場合、この業界ではステイツ大統領を意味する。

 一方、軍で上官へ親しみを込めて、ミスターの敬称を使うこともある。

 俺達は後者の意図で用いている。

 ミスターの隠語で、副大統領を指し示すとは誰も思わないだろう。


 俺達の組織のトップは大統領ではなく、歴代の副大統領が担当してきた。

 理由はいくつかあるが、大きくは2つ。


 1つ目は、安全保障の観点から、戦力の指揮権の分散が求められていた。

 災害やテロ、クーデターなどで大統領の身にもしものことがあり、警察や軍が機能しないような事態では、この国No.2のミスターが、少数精鋭の魔法部隊を率いて、初期対応に努める。

 そして平時では、もし彼が俺達を使って反乱を起こしたとしても、軍や警察の前では数の暴力によって数日で制圧されてしまう。

 よくできた力関係だな。


 2つ目は、大統領はこの国の顔なので、後ろ暗いことは少ない方が良い。

 俺らの任務の大半は法律に触れるし、組織の存在そのものが国際協定違反。

 大統領も実態を把握はしているものの、もし活動が明るみになった場合、全てミスターの独断による裁量だったというシナリオにする段取りになっている。


 これらの体制は、R党とD党のどちらが行政の長になったとしても、前任の副大統領から引き継がれることになっている。

 俺らの存在を政治的な駆け引きに利用しないことは、明文化されていなくても、暗黙のルールになっている。

 あくまでステイツの利益のために活動する。

 組織結成以来、大統領、副大統領らは一生この秘密を守り抜いてきた。


 夜景ばかりを観ていては、食事が始まらないので、適当なタイミングで会長を席へと誘導する。

 テーブルの角を挟んで隣に座る俺達だが、自然と俺がミスター側で、会長がその夫人側。


 料理の注文はミスターが事前に済ませており、牛肉をメインディッシュとして迎えるためのフルコース。

 彼は未成年のこちらに合わせて、料理に合うノンアルコールをオーダーしてくれた。


 食欲旺盛おうせいの会長様だが、テーブルマナーに心配がないことは、これまでに何度かコース料理を一緒して確認できている。

 凛花先輩の仕込みなのか、ナイフやフォークの扱いは安心して見ていられる。


 前菜、スープそしてポワソンへと食事が進む中、最初は俺とばかり話していた会長に、夫人が少しずつ歩み寄る。

 味の感想から調理方法へと、上手に会長の興味を引き出して会話をリードし始める。

 通訳を担当する秘書も夫人と会長の間で休みなく働いている。

 ニュアンスや抑揚までしっかりと伝えているので、会話にぎこちなさがない。


 夫人は裏の仕事とは無関係で、会長がステイツにとってどのような立ち位置なのかは知らないはず。

 それでも社交の場で活躍するだけあって、ミスターの仕事をしっかりとサポートできている。


 結果として、自然に俺はミスターとの会話が増える。

 盗聴の心配がないことは確認してあるが、言質を取られないように上手に言葉を選ばなければならない。

 この場で裏の事情を知るのはミスターと俺の2人だけ。


『あなたが顔を見せるなんて、こんな大胆なことをする必要があったのですか』


 通訳の手がこちらまで回らないので、もちろんエイ語。


『どうしても彼女を。世界が注目する人物がどんなものなのか、この目で確かめておきたくてな』


 ステイツは会長を守る側にBETした。

 それは当分の間、変わることがないと思っていた。

 しかしミスターの判断いかんによっては急変するかもしれない。


『感想をお聞きしてもよろしいでしょうか』


 ミスターは魔法使いではないし、フレイさんのような現場指揮の才もない。

 しかし大物政治家だけあって、人を見る目に優れている。

 それは単純な嘘を見抜く力ではなく、相手の本質に触れる。

 顔付きや声色、姿勢や仕草によるプロファイリングだけでも強力だが、直接会って言葉を交わせば、より深くを暴くことができる。

 隣に座る夫人は、ただの世間話をしているように見えて、実態はミスターのために会長から情報を引き出しているのだ。


 そして彼は判定を自身の中で下している。


『人より秘め事が多いようだが、悪意に染まっていないことは救いだな。感情を真っ直ぐに表現する言葉は、とても気持ちが良いし、節々に見せる影は他者の保護欲を刺激する。多少の狙いはあるのだろうが、処世術しょせいじゅつ範疇はんちゅうで済むレベル。後は、私よりも魔法に詳しい君らの方が分かると思うが、本当に人間なのか疑いたくなる不思議なモヤモヤを感じる』


 大方の感想は、俺と一致していて安心した。

 一点、違いがあるとすれば、魔力を解放していない会長は、魔法使いとは分からないどころか、強者としての気配もない。

 彼はそのことを不思議だと評したのだろうか。


 ミスターの語りはまだ続く。


『しかし本人にそのつもりがなくても、世界に変革をもたらす人物というのは存在するものだ。彼女がその器なのか判断は保留にする。まだ若いので、周りの環境次第ではどちらに転がるか分からない』


 九重紫苑は、魔法公社中心の膠着こうちゃくした今の世界を変えるかもしれない人物。

 彼女自身が望んでも望まなくても、周りが無視してくれない。


『彼女のことを、どのようにするつもりですか』


 任務を続ける上で、必要のない感情かもしれないが無視はできない。

 ミスターとの会食は早計だったかもしれない。

 もし彼が会長の存在を危険と判断して、害するならば俺は、


『フヨウ、そう怖い顔をするな。ここは自由と平和を掲げる国。当然、客人には何事もなく帰れるように、旅の無事を祈っている』


 つまり今は手を出さないということか。

 それとも逆を意味するのか。

 ミスターの本意は見えないが、詭弁きべんでしかないことは分かっている。


 会長を将来のリスクとして考えるか、それとも利用できる協力者と考えるか。

 後者を支持したいが、ステイツに対等な関係を認めさせることはとても難しい。

 ミスター自身に強引な考えがなくても、交渉を有利にするために、彼女の急所を抑えることを主張する勢力がいてもおかしくない。

 この国で、自由と平等の恩恵を得るための代償はとても大きい。


『今のステイツに魔法公社と戦争する余力はない。たとえ精霊王の契約者への対抗手段を手にしたとしても。たとえ相手が歴史の浅い新興の公社だとしても』


 つまり戦力が整えば、事を構えることもありうる。


 会長は強力な魔法使いであるだけでなく、第5公社の副長でもあり、精霊殺しの武具を多くストックしている。

 もし彼女らが他の公社と将来対立することを想定しているならば、ステイツ側が介入する可能性もある。


『ギリギリまで状況を見極めて、絶対に負けない手を指す。それが私のやり方であり、ステイツのやり方だ』


 じわじわと詰めて、開戦のときにはくつがえることのない戦力差を作り上げる。

 ステイツが負けることなどあってはならない。

 もしテトラドで暴走した“魔法狩り”が彼女を圧倒したことを報告すれば、上層部はすぐにでも行動を起こすかもしれない。


 俺が会長から得た情報を報告する度に、彼女はステイツに対して不利になる。

 立ち位置を忘れるつもりはないが、会長が悲しむ結果にはなって欲しくない。

 しかし安易に国を裏切って二重スパイになったとしても、目の前のミスターを出し抜くことができると思えない。


 もし第5公社が他の公社と同等な戦力を蓄え、発言力を得ることができたなら、ステイツをはじめとした各国とは独立した存在になれるかもしれない。

 だから今はまだ従順でいるしかない。


『ところで君の方こそ、随分と彼女に肩入れしているようだが、魔法狩りともあろう者が、れたのか』


 この程度で動揺は決して見せない。

 しかしそれがあまり意味を成さないことは分かっている。

 俺の会長に対する態度が、護衛として近づくために演出しているものならば、拍手喝采はくしゅかっさいだが、実際はそうではない。

 戦闘担当の俺はそれほど器用でない。

 おそらくミスターでなくとも見抜けるはず。

 むしろ素直に認めた方が楽。


『彼女のことを、友人として、異性として、好ましく思っていることは否定しません。それでも現状、任務に支障は出ていないはずです』


 これで無粋な詮索に対して、口をつむぐことができる

 さらに“魔法狩り”の離反というカードが天秤の上に載れば、ミスターもこの問題により慎重になるだろう。


 俺が会長の傍にいたい理由は任務だけではない。

 もちろん一時の感情に振り回されている訳でもない。


 ローズかあさんが残した“第5の精霊王”という言葉。

 第5公社に契約者がいるのか内情調査を終えていない。

 副長の地位にある九重紫苑との関係をまだ切ることはできない。


『そこまで深く思い詰める必要はない。未成年の君を組織に置いているのは、その実力とこれまでの功績を高く評価しているから。この国に魂や忠誠を捧げることまでは求めていない。私だって君らの青春までも取り上げたいとは思わない。むしろこれまで女性に興味を示さなかった君のことを心配していたくらいだ。しかし……足元だけはすくわれるなよ』


 耳心地の良い言葉を並べているが、額面通りに受け取るつもりはない。

 ミスターが公明正大で人格者な政治家であることは否定しない。

 しかし俺達の存在を黙認しているような人物でもある。

 ステイツ公共の利益のためならば、道徳や倫理を捨て去る。

 だからこそ無用な対立は避けたい。


 とりあえず九重紫苑を巡る処遇は現状維持のようだ。

 ミスター個人としての彼女に対する心証もそれほど悪くなかった。


 味を楽しむ余裕がなくても、コース料理は前へと進む。

 ソルベーで口の中をリセットして、メインディッシュのステーキを半分ほど食べ進めた頃に、ミスターが先ほどの会話を引き継ぎつつも、新たな話題に触れた。


『私としてみれば、かねてよりフヨウには将来的に、パトリシア嬢と結ばれてもらいたいと思っていたのだがね』


 パティか。

 彼女の名前は久しぶりに聞いた。

 最後に会ったのは半年ほど前だったかな。


『何のご冗談を、パティと俺は最悪の相性です。俺は大分酷いことをしてしまいました。彼女には愛想を尽かされて、しばらく会っておりません』


 パティは一時期、頻繁に俺のことを訪ねてきては、奇襲を仕掛けてきていたが、成功した試しは1度もない。

 もちろん全て完膚かんぷなきまでに返り討ちにしてきた。

 ニホンへ赴くしばらく前から随分と静かだったせいで、すっかり忘れていた。


 パティも政府指揮下の非合法な魔法使いだが、俺とは部署が異なる。

 しかし仕事でブッキングしたことがきっかけで、一方的に絡まれることになった。

 ステイツでの交友関係の中で、俺と最も年齢が近いこともあって、こちらも大人げのない対応をしてしまったと今では反省している。


『フヨウは一部の女性に好かれることを、もっと自覚して行動すべきだ』


『一部の』という物言いが気になるが、ミスターがリップサービスで言っているとは思えない。

 俺の周りにいる女性は、普通とは程遠い人物ばかり。

 その代表格が横で幸せそうに肉を頬張ほおばっている。

 東高の生徒会のメンバーにしても、ステイツで知り合った面々にしても、普通とは言えない。


『パトリシア嬢はまだ子供だからな。思春期を迎えたからなのか、最近は会うたびに見違えるほど様変わりしている。今はニホンで言うところの、ツ、ツ、ツンデレとかいうものなのだろう。今日だって私が君と会うと話したら、来たがっていたぞ』


 ミスターは人を見る目には優れているが、男女の機微についてはどうなのだろうか。

 夫人の方へと視線を流してみるが、軽く微笑まれた。

 彼女の反応を見る限り、ミスターでも女性の扱いは満点ではないようだ。


 男が女性のことを理解することなんて、傲慢ごうまんなことなのかもしれない。

 やはりミスターが言うような、パティと結ばれる光景は想像できない。


 俺の率直な本音としてみれば、パティがこの場に来なくて良かったと思う。

 会長との相性は最高と最悪の2択しかない。

 どちらに転がっても犠牲者第1号になるのは俺。


『さて、君にはひとつお願いがある』


 メインディッシュを食べ終えた頃に、ミスターが唐突に話題を変えてきた。


『フレイには気をつけろ。今回の件で、彼女にとってあまりにも有利にことを運びすぎている。もちろん現場の君が優秀であることは、十分に評価しているつもりだ。そのことを加味したとしても、何かが不自然』


 会長の評価にしても、パティについても世間話でしかなかった。

 今回の件というのは、もちろん九重紫苑を巡る一連のこと。

 ステイツ上層部では、強硬派と穏健派に分かれて、政治的に対立している。

 フレイさんは穏健派であり、護衛として派遣する筆頭に俺を指名した。


 ミスターも穏健派寄りだが、中立の立場を貫いている。

 たとえばアックスらによる暗殺部隊が送られたとき、承認はしなかったが、反対もせずに黙認した。

 あの時はカウンタースナイプに成功し、最後には俺が直接手を下す結果になった。

 これだけでも穏健派が優勢になっていたが、第5公社の概要や、精霊殺しの剣の情報を得たことで、九重紫苑とは長く付き合うべきだという意見が増している。

 さらにテトラドの会で、俺が人工契約者についての研究成果を奪取したことで、情勢は大きく傾いた。

 強行派の中でも、九重紫苑と争うことは後回しにすべきという主張が出始めている。


 穏健派にとって喜ばしい結果になってはいるが、現場担当の俺からしてみれば、いくつもの偶然によって導かれたようなものだと思っている。

 一歩間違えれば、異なる結果になり得る場面はたくさんあった。

 フレイさんによるサポートは的確だが、太平洋を挟んだ大陸から描いたシナリオ通りに全てを誘導することは不可能。

 そもそも会長との今の関係だって、彼女の気まぐれで始まったようなもので、フレイさんは関与していない。

 今回ばかりはミスターの思い過ごしだろう。


『フレイは職務上、私以上に裏の世界に顔が利く。独自の協力者が多いことも承知している。それでも他の指揮官達との実力は拮抗しており、こう何度も都合が良い展開になるとは思えない。彼女には何か別の思惑があるのかもしれない』


 これはフレイさんと俺を仲違いさせるための牽制けんせいだろうか。


 フレイさんや俺のような魔法使いは軍属ではないので、階級もなく、ミスターの直轄ちょっかつになっている。

 それはたとえ政権が変わったとしても、新たな副大統領が必要だと判断すれば、その意向に従い続投される。

 俺は現政権になってから、フレイさんにスカウトされた。

 しかし彼女自身は、どのような経緯で配属されたのか知らされていないが、先代以前から今の仕事をしている。


 効率的な職務遂行のために指揮系統として、フレイさんの方が上司になっているが、ミスターの直轄として彼女と俺の地位は対等。

 通常組織の上下関係と何が違うかと言うと、俺には常にミスター以外に対する命令拒否権がある。

 もちろん拒否権を発動して、ステイツに不利益が生じた場合、フレイさんか俺のどちらかが抹消されることになる。

 そのため余程のことがなければ行使できない。


 ミスターはどこまで本気でフレイさんのことを疑っているのか。

 もし彼女が今の状況を意図して作り出したのだとしたら、第5公社の関係者と内通しているくらいでなければ不可能だ。


 少なくともフレイさんが今回の案件について、俺に全ての情報を明かしていないことは確か。

 ニホンに入った時点では、会長らが土の精霊王と戦ったことを黙っていた。

 生徒会メンバーの経歴についても裏をとってあるようだが、余計な先入観を与えないためという理由で、ほとんど知らされていない。

 おそらく第5公社のことも、俺が報告するより以前に掴んでいたのだろうし、より詳細に知っているはず。

 これらの処置は今回の任務に限ったことではない。


 実働隊の俺には、余計な考えで判断を鈍らせないためにも、彼女は必要な情報を厳選している。

 だから秘密があっても、それだけではフレイさんを疑う材料にはならない。


『私は用事があるので、デザートは2人で楽しんでくれ。他にも何か追加で注文したければ自由にして構わない。車は手配しておくが、いくらでも待たせていいぞ』


 ミスターは俺の返事を聞かずに、話題を打ち切った。

 あえて反論をさせないところが、フレイさんに対する疑念を植え付けるのには、効果的なタイミングだと判断したのだろう。


 こんな夜に用事があるのだろうか。

 ミスターの立場上、昼夜を問わず忙しいことは当然だし、次の朝のスケジュールに合わせて今から出発する必要があったりするのかもしれない。

 もしかしたら気を利かせて、デザートくらいは会長と2人きりにさせてくれたのかもしれない。


 しかし事態はそんなに甘くなかった。


 ミスターらが退席する際に、夫人が俺に向けて、『頑張ってね』と不穏な言葉を残したのだった。

 すぐにその意味を知ることになる。


「ところで後輩君。Missパトリシアとは、どなたかしら」


 ミスターとの会話を聞かれていたか。

 エイ語で話しながらも、言葉は選んでいたつもりだったが、面倒な単語を拾われたものだ。


 さっきまで夜景と料理で機嫌が良かったはずの会長様だが、今は怒りモード。

 笑顔を浮かべてはいるが、表情筋ががっちりと固まっており、声色は静かで平淡。


「こちらでの友人ですよ」


 今は正直に答えるしかない。

 何が地雷か分からないので、情報は小出しにする。


 嘘をついても見抜かれる可能性があるし、どこまで聞き取られたのかまだ分からない。

 少なくともミスターと俺が重要な話をしている間は、夫人が会長の注意を引いていた。

 それに会長のエイ語能力は乏しい。

 もしかしたら指輪の騎士達の能力の中に、翻訳なんて変化球があるかもしれないが、魔法を発動していた気配はなかった。


「そっか。お姉さん少し心配していたけど安心したわ。後輩君にはステイツにも仲の良い男友達がいたのね」

「いえ、男友達ではなく、」


「男友達なのよね!」


 俺が否定している最中に会長が被せてきた。


 パトリシアの名は、一般的に女性の名前だろ。

 数秒前に彼女自身が、Missと付けていた。


 会長は俺とパティの関係を気にしているのだろうか。

 どうせ任務中に彼女と会うことはないのだし、男友達ってことにすれば納得してもらえるだろうか。


 いや。

 ミスターの話によると、パティは俺がニューヨークに来ていることを知っている。

 可能性としてはとても小さいが、もしかしたら久しぶりに奇襲を仕掛けてくるかもしれない。

 彼女に1度補足されたら、その能力から逃げ切ることはできない。


「パティは、」

「パ、パティー!」


 また地雷だったか。

 そんなに過剰に反応しなくてもいいものを。

 ニホンでは珍しいかもしれないが、こちらでは初対面でもファーストネームどころか、愛称を許してくれる人は多い。

 東高でもクラスメイトのリゼットは、初めて話した際に、リズの呼称で構わないと申し出てくれた。


「彼女は女性ですよ」

「か、かのじょー! 後輩君に元カノがいるなんて聞いていないわよ!」


 エイ語のガールフレンドに恋人の意味があるのと同じように、ニホン語の彼女にも交際中の女性を指す使い方があることは知っている。

 しかし今の文脈で会長の誤解はあまりにもやり過ぎだ。

 しかも勝手に過去のものにされている。


 聞く耳を持たず、落ち着きのない会長だが、これはわざとやっているな。

 今のピリつく空気だって彼女が意図して作り上げた演出。


 おそらく俺が答えを間違えなければ、すぐに彼女の機嫌は好転させられる。


「しっかり話したことありませんでしたが、俺は異性とお付き合いした経験はありません。それに会長以上に(わがままで、浮き沈みが激しくて、突拍子もなくて)心揺さぶられる相手と出逢ったことはありません」

「またまた~。お姉さんのことが大好きだなんて~」


 会長様の表情が緩くなり、見るからに喜んでいる。

 それにしても相変わらず、曲解が激しいな。


 俺達が打ち解けたのを見計らって、給仕の方がデザートを持ち込んだ。

 白い食器の上に、バニラジェラートにメロンが添えられていた。


 肉の塩気や脂が残った口には、より冷たく、より甘く感じた。

 食べ進めることで徐々に慣れてきたら、ジェラートの単体の甘さは控えめで、温度も解けないギリギリで、あっさりしていると感じられた。


 コース料理を食べ終えたけど、ミスターは追加注文を許可していた。

 一応会長の意見を伺ったら、


「お米が足りないわね。それともラーメンでもいいわ」


 という訳で女王様は、ガッツリと炭水化物をご所望だ。

 レストランが用意しているメニューの中に、パンやパスタはあったが今の会長の気分とは違うのだろう。

 試しに給仕に相談したら、シェフが適当に見繕みつくろってくれることになった。


 ものの数分で、こんがりと焦げ目の付いたチーズリゾットが出てきた。

 初めて嗅ぐ人はこの独特な匂いを警戒するかもしれないが、1度経験した者ならば鼻腔からでも、濃厚な味が分かる。


 美味しそうに食べる会長に釣られて、俺も1人前を食べきってしまった。


「やっぱり、最後はデザートよね」


 という訳で、ジェラートをおかわりすることになった。

 注文する際に会長様は指を3本立てたが、もちろん3人枚の意味だ。


 そして毎度のことながら、ホテルに戻ってからが大変だった。


「後輩君……眠れないの」


 もちろん会長様からのお誘い。


 今晩はトランプで彼女の相手をすることになった。

 カジノに行けなかったこともあって、ブラックジャックやポーカー、バカラなど。

 俺がディーラー役を務めて適度に勝たせていたのだが、会長が真剣勝負を申し出たので、本気で相手した。

 結局俺の勝率8割といったところだろうか、直情的で熱くなりやすい彼女はギャンブルに向かないことが証明できた。


***

『あとがき』

ミスターをステイツ大統領だと予想した読者はいたと思いますが、さすがに副大統領だとは読めなかったと思います。

彼のモデルになった人物は特にいません。


前回、芙蓉の味方としての立場を表明していたフレイですが、ミスター曰く何か画策しているようです。

彼女は芙蓉の母の指輪の騎士だった軍神の弟子です。

覚えている読者は少ないかもしれませんが、プロローグで彼女はローズと内通しておりました。

一方で前回“もう計画は私の手を離れてしまっている”と語っています。


さて、ローズは芙蓉に背負わせてしまった運命を肩代わりしようと、九重紫苑を抹殺するために現在暗躍しております。

これまでに登場した彼女の陣営は、フレイ、ダニエラ、高宮時雨そしてHigh Princessハイプリです。

芙蓉がローズに立ち向かう際に、彼ら彼女らがどちら側に付くかで状況が大きく変わることでしょう。


次回でステイツ編最後です。

舞台を変えて、ナイアガラの滝の観光。

もちろん今回の前振り通り、芙蓉のステイツでの友人のパトリシアこと、パティが乱入します。

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