第6話ヴァンホース

 陽射しがくっきりと地面に影を描く。しかしその足は大地を踏んでいない。ブレイヴ体になったマユラは、ストリームを形成しながらも翔けらず、空中に静止した凪の状態にあり、足は滞留するストリームを踏んで二十センチほど浮いている。木刀を青眼に構えて、見つめる先はもう一つの宙に凪ぐ影。師匠の志摩であった。

 マユラはストリームを噴かせる。軽い翔け出しだが、それでも普通体の人間では、全力で走ってついてこれるかぐらいのスピードである。剣を構えながらこの速度を出せるというのがブレイヴ体の大したところだとマユラは思った。

 志摩は動かず、凪いだままマユラを待ち受けた。両者の距離は三四十メートル、それが瞬く間に縮まる。マユラは一直線に正面から当たるのではなく、ストリームの軌線を少し膨らませて、わずかに斜めを取って打ちにゆく。獅波新陰流では、右に拳一つずれての打ち込みに利が有るとしていた。もちろん向かい合えば、こちらが利を取りに行けば相手にも利を晒すことになるので、対等の試合や実戦では、そこは技を巡らせての噛みあい、駆け引きとなるのだが、指導の立ち合いで、志摩は凪いだまま、マユラに利を渡している。それでも、ストリームで翔る勢いのまま当たるマユラの打ち込みは。難なく躱された。更に巻き込む動きで志摩を捉えての続けざまの打ち込みも、かすりもしない。しかも志摩は避けているだけなのに、圧が半端なく、ストリームを堰き止められそうになる。スピードは落としても流れは止めないのが、ストリームタイプの戦い方だ。ストリームは流れであり、流れを止められたら死に体である。

 マユラは志摩の圧に抗してギリギリにストリームを流すが、遂に志摩が木刀を一振りしてマユラの木刀を弾いた。マユラはひっくり返ってブレイヴも消えたが、木刀は痺れるような衝撃とともに飛ばされそうになるのを、なんとかこらえて握っていた。サムライが刀を手放すのは、命を手放すに等しいと教えられていた。

「立て、もう一番だ」

「お願いします」

 マユラは立ち上がって一礼すると、木刀を構えた。

 ブレイヴ体での組み打ち稽古を五番続けたが、マユラは一度も志摩に木刀を使って防がせる事が出来なかった。志摩は躱すのみで、それでいて遮二無二打ちかかるマユラの木刀をかすらせもしない。木刀を使うのは一番終える時の一振りのみで、その一振りに、マユラはいつも、手もなくひっくり返されるのだった。

「今日はこれまでだ」

 志摩が稽古の終了を告げて、

「ありがとうございました」

 マユラは一礼して稽古を終えた。内心もっと稽古をつけてほしかったが、そうしたことを口にするのは許されていない。修行においては全てを師にゆだねて、師の指導の内容が、質量ともに今の自分には最適なのだと信じなければならない。それが出来ないのなら、つまり師の指導を信じられないのなら、師弟の関係を解消するしかない。アナハイムのシリウスの館に来て三ヶ月。マユラは本格的な指導を受ける中で、当初あったヤンチャな部分も、かなり矯正されていた。

 稽古が終わると、周りからざわめきが起こった。ここはシリウスのグラウンド。ブレイヴ体での組み打ち稽古は姉弟子のレリアや、居合わせた他のジョブの人たちも見物していた。別段秘密にすることでもなく、マユラも他のジョブの稽古や試合を何度か見物している。

「もう少し頑張れよ」

 という声もあれば、

「オーガだって斬る志摩先生だぜ。あれだけやれりゃ上出来だろう」

 と言う者もあった。

 レリアは少し複雑な心境だった。マユラがシリウスに来て三ヶ月足らず。師匠に軽くあしらわれるのは当然であるが、それでも当初と比べるとストリームもしっかりして動きも機敏さを増し、太刀筋も鋭くなっている。まだまだレリアの方が実力は上だが、しかし、その上達のスピードを自分の場合と比べてみると、明らかにマユラの方が速い。弟弟子に才能があるのは喜ぶべきかもしれないが、競争心を刺激されて心中穏やかでいられないのは、剣士という者の因果な性というやつだ。

「彼、筋がいいね」

 レリアの横に来て声をかけたのは、同年代、十代半ばの少年だった。

「まだ、海のものとも山のものともよ」

「だけど、この短い期間で、動きはずっと良くなっている。今度、手合わせを頼もうかな」

 少年の名はカシアス・ゾーイ。ソードマスター、ベン・リュード師門下のフェンサーだ。

「あなたの相手には、まだ早いわよ」

「それじゃあキミが相手してくれる。もっともキミとなら、剣なんて無粋な物を持って向かい合うより、どこかの茶店でお茶したいね」

 そつなく誘うカシアスは、顔立ちルックス平均以上の好男子で、シリウスの内外で、モテ男子として通っている。

「あいにく私は、レベルアップ、強くなることだけに執着している、無粋、武骨一辺倒のサムライ女子。お茶なら他の子を誘ってよ」

「キミみたいな美人がそんな心境だなんて、もったいないぜ」

「余計なお世話よ」

 レリアはにべもない。

「レリア」

 志摩に呼ばれた。

「はい」

 レリアはカシアスには一顧だになく、師のもとに小走りで行く。

 志摩は一人の男と話していた。シールドソードのマスターザルティア師の弟子で、実技指導を任されているクルツ・リヒテルという若者だ。レベルはB3、レギュラークラス上位の使い手である。既にマユラは師から離れていて、近くに姿はない。

「リヒテル君と話したが、タムと試合をしてみないか」

「よろこんでお受けします」

 二つ返事で引き受ける。

「タムをなめてかかると、痛い目をみるぞ」

 リヒテルの忠告に、

「なめてなんていません。実力伯仲の相手との試合こそ、ワクワクするというものです」

 レリアは相手を立てながらも、表情に自信を示す。

 タムというのは、歳はレリアと同じ十五歳だが、体格は既に並みの大人以上、背丈は長身の志摩にわずかに及ばないぐらいだし、胸板の厚みはバルドス並みのレスラー級の体格。タム・スミオが本名だが、皆はタムタンクと呼んでいる。

 二人は二十メートルほどの距離を取って向かい合う。志摩とマユラの立ち合いの時と違い、頭には革製のヘッドギア、グローブをはめて、胴には緩衝材を詰めた胴着、足にはレガースと、各種防具を付け、竹刀を手にする。伝統的に竹刀と呼ばれているそれは、稽古で使われる模擬刀。割り竹の芯を厚手のゴムでくるんだ一メートルほどの棒で、弾力性があり、大きなケガをさせないための、工夫の道具である。志摩とマユラのときは、実力に相当の差があったので、志摩がマユラをあしらう形で、防具もなく木刀で安全に立ち合えたが、実力差のそれほどもなく、且つ本気の立ち合いとなれば、そうもゆかない。

「レリア、安心しろ。その綺麗な顔には傷一つつけないでやる。性格ブスが顔もナニになったら、いよいよ、嫁の貰い手ないもんな」

 タムの言葉を、レリアはフフンと鼻先で笑う。

「アンタの腕じゃ要らぬ気づかいというものよ。私の方こそ、アンタの頭がそれ以上悪くならないように、頭を打つのは控えてあげる、って、今さら意味ないか」

 レリアも返す。打ち合う前の挑発は、これも試合の一部というものだ。

 二人はブレイヴ体となって飛んだ。レリアはわずかに前傾、構えは斜め上段に、ストリームを噴かせて滑るように翔る。タムは右手に竹刀、左手に木製の盾を構えたシールドソードのスタイルで、スプリントタイプ。ブレイヴ体となってエアを履き、大きな体が駿馬のスピードで走る。三十数メートルの距離が、二秒後には竹刀を打ち合うほどに詰まっていた。ストリームが鋭く弧を描き、盾を巻き込む動きから旋風を裂いたレリアの竹刀が、盾越しにタムの面を襲う。強烈な打ち込みだったが、タムは素早い反応で防いだ。続けざまにレリアの竹刀が盾を打つ。盾の防御は確かに固いが、盾で受けさせているうちは相手の剣は来ない。手数で圧倒して相手に攻める機会を与えず、増水した川が堰を切るように防御を崩して痛撃を与えるのが、レリアの狙いだ。もちろんタムも、一方的にやられるつもりはない。水平方向に強いストリームタイプの調子をくじくのは、縦方向のジャンプである。タムはジャンプを織り交ぜた疾走でレリアの剣先を外して、態勢を立て直そうとする。レリアもそこは執拗に懸らず、大きく弧を描いてストリームを流して一旦離れる。再びぶつかると、レリアの打ち込みはやはり強く、タムは防戦一方となる。ブレイヴファイトは超人的な機動力を駆使した戦いで、二人もストリームとエアでグラウンドを縦横無尽と駆けまわるが、レリアの攻勢にタムの押される展開は変わらない。

「タム、でかい図体してビビってんじゃない。盾を引き付けるな、前に出せ」

 リヒテルが檄を飛ばすが、横で聞いていてマユラは、

——アイツには無理だろう——

 と思った。

 レリアの動きにいま一つ対応しきれていない。エアで跳ねての挙動も、図体の割には軽々としているが、どこか動きに粗雑さがある。反応はいいが、体のさばきも剣や盾の扱いも雑なのだ。力押しが効く相手には、体力と腕力で推して行けるが、レリアのような機敏な動きと鋭い打ち込みを合わせ持つ相手には、受けに回ると凹みが大きく、攻めの機会に出が遅れて、それが一方的に守勢立つ要因だ。

 バシィ、レリアの竹刀がタムの肩を打ったが、審判である志摩とリヒテルに反応はない。シールドソードはアーマー設定で、実戦ではミスリルアーマーか鎖帷子で防護されている部位で、普通の打ち込みではダメージを与えたと認められない。

 やられたと思ったタムは、アーマー装備の設定を心強く思い、次は俺がと攻めにはやる心に防御が甘くなった瞬間、バシィ! 首元に、レリアの竹刀が鳴り響く。

「それまで、レリアの勝ち」

 今度は、リヒテルがきっぱりとレリアの勝利を告げた。

「アーマー設定だから、まだやれるんじゃないですか」

 タムが抗議したが、

「馬鹿野郎、実戦であんなの食らったら、首がとんでるわ」

 リヒテルに一喝された。

「やっぱレリア、強いな」

「タムは、もうちょっと頑張れなかったのかな」

「あの打ち込みをしのぐのは大変だぜ」

「レギュラー近いって、ウワサだからな」

 見物人たちのそんな話を横に聞きながら、マユラは、自分だったらタムに勝てたかと考えた。レリアには勝てないが、タムならやれそうに思えた。確かにあの力は要注意だが、雑な動きには付け込めそうだった。

 レリア、は試合を終えて師のもとに帰ったが、志摩の顔は、いささか渋かった。

「もっと早く終わらせろ」

 師の叱声に、レリアは直立不動だった。

「さっきのは、もっと早く終わらせられる試合だった。勘はいいのだが、慎重に過ぎるのは、以前のクセが抜けきっていないからかな」

「違います」

 常に、師に対しては礼節を守っていたレリアが、珍しく、強い口調で否定した。

「そうか」

 志摩は、別段咎める色もなかった。

「慎重さは必要だが、それも過ぎれば命取りになる。サブリナは、レベルはA10ぐらいだが、手強さはAレベル上位、しっかりある。アイツの強みは踏み込みの速さと、付け入りの鋭さだ。迅速な踏み込みで敵の動きの急所に鋭くつけ込み、その判断も早い。まあ、実戦で磨いたアイツと、実戦は未経験のおまえを比べるのは酷かもしれないが、とにかく、サムライは攻めのジョブだということを忘れるな」

「はい」

 レリアは殊勝な面持ちであった。

「まあ、頭のいいおまえなら、これ以上くどくど言う必要もないだろう。小言はこれぐらいにしておいて、全般的な評価はレギュラー合格だ」

「ありがとうございます」

 レリアは深々頭を下げた。

「これまでの修行に、修羅場仕事が付いてくるだけ。そんなにありがたがることでもないぞ」

「先生に認めてもらえた事が嬉しいのです」

「そうかい」

 志摩はニコリともせず、タバコをくわえて火をつける。

「rレリアさん、やったね!」

 祝意を伝えたつもりのマユラだったが、

「やったねじゃないわよ」

 レリアからは厳しい声が返る。

「先輩が昇格したんだから、おめでとうございますぐらい言いなさい」

「おめでようございます」

  かしこまった言葉が、言い慣れてなさそうなマユラに、

「ったく」

 舌打ちしたそうなレリアであった。

「根は素直なやつだ、おいおいに指導してやればよい。それより、今日はこれからアナリストのところへ行け。おまえなら、Bレベル取れるはずだ」

 Bレベルからレギュラーということになっているが、それはおおよそ目安であって、最終的には師の判断だ。Cレベルでもレギュラーになれる者もいれば、Bレベルに上がっているのに、レギュラーになれない者もいる。前者は、センスがあってスペック足りてない。このタイプは、すぐにレベルも追いついて、さらに駆け足でレベルアップしてゆくことが多い。後者は、スペック足りているけどセンスがイマイチで、実戦に出すのは危ぶまれるというやつだ。こちらはその後、なかなかレベルが上がらず、万年Bレベル底辺となるパターンだ。

「ついでにマユラも連れていってくれ。登録がまだなのだ。ふたりの名は、今月の登録・更新者名簿に載せて、アナリストの事務所に送ってある」

 というわけで、マユラたちは昼過ぎには、アナハイム市の北区三番街と言われるあたりを歩いていた。

「高いビルもいっぱい建っているし、やっぱ、都会だよな」

 アナハイム市の街並みに見とれるマユラに。

「きょろきょろしないでよ、こっちまで田舎者に思われるじゃない」

レリアは迷惑顔であった。

「だけどレリアだって、どうにかすると、山出しのイモ姉ちゃんに見られかねんぞ」

 そう言ったのは、十五にして既に大男たる体格のシールドソード、タム。通称タム。タンクであった。。

「どこがよ」

「その、すぐにキレかかるところが、いまいちイケてないというのさ。そこへゆくと俺なんかは、粋でいなせシティーボーイって奴よ。今に女の子寄って来るぞ」

 自惚れるタムに、

「いやいや、女の子逃げてるじゃん。ゴリラ野郎がしょい過ぎだっちゅーの」

 遠慮なくツッコむのは、同じくシールドソードのルディー、マユラがシリウスで迎えた最初の朝、ゲストルームのベッドで心地よく寝ていたのを、ぞんざいな口調で起こした、あの赤毛である。

「アナリストの事務所に行くときには。レベルアップしているかもって期待で、いつもワクワクなんだけど、ツレがこのスカ男どもじゃ、ワクワクも半減ね」

 もう一人の遠慮のないもの言いは、カレン、フェンサーの少女だ。

「カシアスやリロイ、イリアスなんかが一緒だったらよかったのに」

「イリアスって魔導師の」

 イリアスは、マユラがシリウスにきて、最初に親しくなった仲間だった。その後マユラはサムライの修行と、それ以上にシリウス内にある学校の勉強が大変で、あれ以来一度も顔を合わせてなく、不意にその名を聞いて反応したのだ。

「彼、元気にしているの」

「元気なはずよ。彼の場合、外の魔道学校に通っていて顔を合わせることもあまりないけど、病気をしたって話も聞かないし。もし病気してたのなら、献身的に看病してあげるんだけどな。ああいうインテリ、タイプなのよね」

「インテリなんぞ、いざとなったら頼りにならんぞ。やっぱ、傭兵は腕だぜ」

 ぐっと力こぶを作って、腕っぷしを自慢するタムを、ハハッとカレンは鼻で笑った。

「さっきレリアに負けといて、よく、腕っぷしだなんて言えるわね」

「あれは、たまたまだ。次は勝つ」

「いいようにあしらわれまくっていたくせに、なにがたまたまよ。アンタになら、私だって勝てるわよ」

「馬鹿言え、お前にまで負けるかよ」

「あら、軽く見てくれるじゃない。言っときますけどあたしはフェンサークラスでは、カシアスに次いでクラス二位なんですからね。筋の良さではあんたより上よ」

「カシアスだと、あのにやけ男がなんだってんだ。俺は・・」

「往来で言い合いはみっともないぜ」

 ルディーが止めた。アナハイム市の通りに人の波は絶えないが、こちらを振り向く人は少なかった。都会の雑踏は忙しく、誰かが路上で騒いだぐらいでは流れを止めない。

 和気あいあいとも言えないこの五人が、アナハイム市の大通りをなんで連れ立って歩いているかと言えば、マユラとレリアは志摩の言いつけで、アナリストなる人物のもとへ行くことになったが、他の三人も、アナリストの事務所に送った、今月の、登録・更新者リストに名前が載せてあって、それなら一緒に行ってこいということになったのだ。単独行動は、トラブルに遭ったとき、知らせることもできないので、シリウスでは原則、レギュラー以下の者を一人では出さないのだ。

「アナリストって何者だい」

 マユラが聞くと、

「魔道師だよ」

 ルディーが答えた。

「ある、一つのスキルに特化した魔道師だ」

「魔道師って、なんかされんの」

 マンガや低俗冒険読物から仕入れた、魔道師についてのおどろおどろしいイメージも、カムラン老人と親しくなったり、イリアスも魔道師目指して学校に通っていたりして、大分薄れているマユラだったが、それでもまだ、得体の知れないものという感覚は抜け切れていない。

「行けばわかるわ」

 とレリア。

「みんなで行くんだ、そうビクビクしなさんな」」

 からかうタムに、

「知らないことを聞いただけだろ。怖がってなんかいないぜ」

 反発するマユラだった。

「ガキども、ちょっと待てや」

 いきなり呼び止められ、男が五人近づいて来た。服を着崩したなりの、ガラの悪そうな連中だった。質の悪い企みを含んだような目つきで、全員が剣や短剣を腰に差し、見るからにまともな稼業の人間ではない。

「なんすっか」

 こういうときには体の大きなタムが表に立つ。チンピラどもも、レスラーのような体格のタムが出てくるとビビるのだが、

「野郎にゃ用はない」

 男たちはぞんざいにあしらってビビりもしない。確かに、向こうは全員帯剣しているが、こちらは全員丸腰だ。シリウスでは、指導しているマスターからの帯剣許可がなければ、剣を装備して出歩いてはいけないのだ。このメンバーの中では、レギュラーをもらったレリアは、当然帯剣帯刀の許可も得ているが、今日のことで用意出来なかった。そして他の面々は、残念ながら帯剣の許可はまだもらっていなかった。

「おいおい、おっさんたちが女の子にナンパかよ。アンタらの対象年齢は、あと十歳ばかり上だろう」

「ガキが、でかいからって、いっぱしの口たたきやがって。俺たち誰だと思ってんだ。このアナハイムじゃ、泣く子も黙るモルドフ一家よ」

チンピラの一人が凄むのを、

「ガキ相手にむきになるんじゃねえ」

 連中の兄貴分らしい、サングラスをかけ、派手な柄のシャツの上に、薄手のジャケットを肩に引っかけたなりの男が、𠮟りつけた。

「仲間が乱暴な口を利いてすまない。なにもお嬢さんたちをナンパしようってんじゃないんだ。似た年格好の捜し人がいてね、素性さえ教えてくれればいいんだ」

「俺たちは、レギオンシリウス所属の。ファイター見習いです」

 ルディーがしゃしゃり出て答えた。

「シリウスのもんかい、それならID持っているだろう、見せてくれないか。いや、女の子だけでいい」

男は、早速と、胸元からIDを取り出そうとしたルディーを止めた。

「おい、見せてあげろよ」

 ルディーに言われて、レリアとカレンは気が進まぬながらも、なりゆき上仕方なしと、胸元からIDを取り出した。それは長方形のカードで、角に開けた小さな穴に細い鎖を通して、兵士の認識票のように、首に掛けるようになっている。二人はIDを胸の前に提示する。シリウスでは、首に掛けたままのID、いや、IDに限らず、ネックレスでも飾り紐でも、首に掛けたままの物を人の手に触らせるのは、危険なことだと教えられている。

「足止めさせて悪かったな」

 IDを確認すると、男たちは離れていった。。

「このメンバーの最上位者は私よ。私がリーダーなのになんでしゃしゃり出るのよ。おかげであんな奴らに、ID見せる羽目になったじゃない」

 レリアが文句を言うのに、ルディーは肩をすくめ、

「あいつらはモルドフ一家だったんだぜ」

「それがなによ」

「モルドフ一家は、裏の世界じゃ、ランドール伯爵の直参で通っている」

「・・・」

 レリアの表情が曇った。

「ランドール伯爵、おー、怖い怖い」

 カレンは汗ばむ陽気に、両手を合わせて、凍えるようなしぐさをした。

「大げさだなぁ」

 あきれるマユラに、

「あんたも、ハイアットって貴族の屋敷が、何者かに襲われたって事件は、聞いたことあるでしょう」

 カレンは切り返した。

「うん、何日かその話題で持ち切りだったもんな」

「当主以下、その家族、家来、使用人に至るまで、百数十人皆殺し。表向きはヴァルムやヴァルカンからなる流しの凶賊の仕業ってことになっているけど、本当はランドール伯爵が手下にやらせたって、もっぱらのウワサよ」

「俺も、そのウワサは聞いた」

 とルディー。

「なんでも、伯爵の手下には凄腕のサムライがいて、伯爵に敵対する人間を、片っ端から始末するんだとさ」

「そんな奴、なんで警察は、捕まえないんだよ」

「警察のお偉いさんも、ランドール伯爵の腹心らしいぜ」

「マジかよ」

 さすがにマユラもうそ寒いものを感じる。

「アナハイムじゃ、ランドール伯爵といったら魔王級のヤバさよ」

 カレンの言葉に、

「安心しろよ、そんな大物と俺たちが関わり合うことなんてないさ」

 タムは楽天的であった。

「それもそうだ」

 ルディーはうなずき、

「それによ、伯爵のとこの人斬りが次に狙う相手は、もう決まっているってウワサだぜ」

「誰がやられるんだ」

「アナハイム市長が危ないって、もっぱらのウワサぜ」

「滅多なこといわないでよ」

 レリアがいきなり、硬い声音で遮った。

「こんな往来でそんなことを言いふらして、誰かに聞かれて密告されでもしたらどうするつもり」

「なにも特別なネタってわけじゃな。あちこちでウワサされていることさ。誰も、気にも止めやしないぜ」

 ルディーはちらりとあたりに目をやる。相変わらず人の行き来は絶えないが、少年少女が少々物騒なことを話しているのを、たとえ小耳に挟んだとしても、それを聞きとがめるようなそぶりの者は一人としていなかった。

「そうだとしても、人の命に関わることを興味本位でウワサするなんて不謹慎よ」

 そう言うと、レリアはさっさと歩き出した。

「なによアレ。ただの世間話じゃないの」

 カレンは、レリアの後ろ姿に顰蹙の面持ちだった。

「元はいいとこのお嬢さんだっていうし、お堅いのさ」

 ルディーも鼻白んだ顔だった。

「今さらそんなこと鼻にかけられてもね」

「さあ、行くぜ。もたもたしてたらリーダーのヒステリーが爆発だ」

 促すタムだったが、マユラが小首を傾げているのを見て、

「どうしたよ」

「いや、ランドールって、どこかで聞いた気がして」

「そりゃあ有名人だ、どこかで聞くだろう」

「いや、そういうのじゃなくて・」

「わけのわからないこと言ってないで、行くぜ。今度アイツがカンシャク破裂させたら、おまえが矢面に立てよ」

 タムにせっつかれて、気がかりもうやむやにマユラも歩き出した。

 アナリストの事務所は、古沼のほとりに建つ古民家などではなく、繁華な通りに面した小さなビルの二階で、マユラをほっとさせた。もっとも、アナハイムの市内に古沼など、あろうはずもないが。そこは法律家や税理士の事務所といってもいい構えで、しかし看板も表札もなく、初めて訪ねる者は、大いに戸惑うであろうと思えた。

 レリアがドアをノックした。

「シリウスから来ました」

「開いている、入りたまえ」

 中に入るとキレイに整理整頓された部屋だった。接客用の丸テーブルと椅子。奥には黒檀のデスク。壁には仕事関係と思われる、書籍の詰まった本棚。反対側にはファイルの詰まったキャビネット。ファイルの背表紙はマユラたちには読めないルーン文字。書棚の本も八割はそうだ。そして、奥の黒檀のデスクには中年男性。黒髪の白人だが、そこには白いものも目立つ。面長の顔に髭をたくわえ、銀縁メガネ、そしてなぜか白衣を着ていた。

「お邪魔します」

「やあレリア、久しぶりだね」

 男はデスクを離れて来客を迎えた。

「相変わらずキレイだね。おっと、カワイ子ちゃんがもう一人か、キミは・・・・」

「カレンです。レリアほど美人じゃないから、覚えていないかもしれないけど、私もここに来るのは、これで五回めよ」

「そうじゃないんだ。レリアは妻、いや、元妻だ、三年間に離婚したからね。おっと、離婚の理由は聞かないでくれよ」

 いやいや、あらかじめ断るまでもなく、誰もそんなこと興味ないのだが。

「レリアは、その、元妻の若いころに似ているというか、そっくりでね。こうして見ていると、十代の頃の彼女を思い出す。そういうわけで印象が強く残っていただけで、カレン、キミも十分かわいいよ。それと、男子が三人ね」

 マユラたち男子はほんの一言で片付けて、男はキャビネットに歩き、ファイルケースを一冊取り出した。

「二日前にシリウスから届いた、今月の登録・更新予定者のリストだ。これには十人の名が記載されているが、シリウスさんはそこのところ大雑把だから、残りの五人もそのうち来るだろう。更新九名で新規さんが一名。本日来たのは、レリアとカレン、で、キミは」

「ルディー・ロドスです」

「うむ、あるな。デカいの、キミは」

「タムです」

「タム・スミオだね」

「オレ、これでここに来るのは六回めで、半年前にも来てるんですけど、オレの時でこんな体格の奴、あまりいないでしょう」

「そういえば。前にも見たことがあるような・・・」

——ケッ、女の子しか記憶に残らないのかよ、エロオヤジ——

 タムは内心吐き捨てる。

「で、キミは・」

「マユラです」

「新規登録の人だね。私はアナリストのヨーゼフ・ライトだ」

「なにをするんですか、というか、何をされるのですか」

「なにも。ただ、君たちの生体波動を測定、分析してスペックを割り出しレベルを判定する。分析するからアナリストだ」

「魔道師と聞いたけど、どうして白衣を着ているのですか」

「私はエンジニアのつもりでいるのだよ。錬金工房の技師も、医者や科学者も白衣を着ているだろう。もっとも、これは私の個人的な趣味であって、他のアナリストも皆こうだというわけではない。趣味と言えば、絵本などでは魔道師の衣装の定番となっている、あのローブというやつ。あれは何だか、暗黒時代の妖術師みたいで、どうにも好きになれんのだよ。さて、無駄話はこれぐらいにして、仕事に取り掛かるとしようかね」

 アナリストのライトは、奥にあった金庫から黒い箱を出してテーブルに置いた。

「これはなんですか」

 マユラが珍しそうに眺めるその箱は、高さ十五センチに、二十センチ×三十センチのの、大きな弁当箱を三段重ねたぐらいの大きさで金属製。黒塗りで何箇所か金色で文字か記号が記されていたが、ルーン文字であろうか、マユラの見たことないものだった。そして、横長のスロットが一ヶ所ある。

「レコーダーだ。データを保存する機械がよ。我々、訓練されたアナリストにしか扱えない」

「へー」

 マユラは理解も半ばに機械に触れようとして、

「おっと、気を付けてくれよ、繊細な機械だからね」

 ライトに注意された。

「三千ユーロの保険がかけてあるが、もし壊したりしたら、保険屋はキミの尻を、一二ヶ月椅子に座れなくなるぐらい蹴りとばすだろうよ」

 三千ユーロと聞いて、マユラはおっかなそうに手を引っ込めた。

「それじゃあ始めようか、IDを出して」

 マユラ以外の四人は、首に掛けていた細い鎖を外して、胸元からIDと呼ばれるカードを出した。

「じゃあ、レリアくんからだ。そこに立って、楽にしてていいからね」

 ライトは半眼となり、そしてマユラにも、何かがライトの中で起動したのが感じられた。

 魔道師が術構築する時の波動に似ているが、術波動が空間的な広がりを持っているのに対し、それはアナリストの頭と手に集中していて、まるでライトの頭の中に機械が入っていて、そのスイッチが入った感じだった。ライトはレリアに手をかざして、手のひらが何かのセンサーになったかのようだった。

「修行頑張ったね、キャパ大きくなっているよ」

「本当ですか」

「うん、時間にすると三十分ぐらいだ。練度も上がって、物理抗力、瞬発力も上昇している。ただ、サイマッスルは、伸び幅が小さい。伸びてはいるのだがね」

「レベルは上がりました」

「B10には十分到達している」

 志摩の予想通り、レリアはBレベルに上がれるようだ。

 レベルはC10から始まって、CⅠの上がB10。一般的にB10から標準戦闘能力を満たしているとされる。ちなみに、B1の上がA10で、ここからがマスタークラス。さらにA1の上がA・AA・AAAと続き、それからSレベルはS・SS・SSS、よなる。これらA1より上の数字の付かないレベルをナンバーレスといって、超一流の代名詞である。ナンバーレスもAレベルならともかく、Sレベルともなれば、伝説的存在である。

 ライトはレリアのIDを手に取った。IDには3センチ角の顔写真があって、

「髪型は、前のが似合っていたと思うが」

  ライトの指がレリアの写真に触れると写真が変わった。しばらく前のレリアの顔が、今のレリアの顔になったのだ。

「どうやったんですか」

 マユラは、手品でも見たように驚いた。

「それをキミに分かるように説明したら一時間ぐらいかかるからね、こういう事が私たちの仕事だと理解してくれ」

 体よくあしらい、ライトはIDをレコーダーなる機械のスロットに差し込んだ。レコーダーは鎖を付けたままIDを吞み込み、一二分ガシャガシャやっていたが、

静かになってIDを吐き出した。IDのデータは上書きされていて、レベルの表示はB10になっていた。IDをレリアに返すと、アナリストはレコーダーの記号に触れて念じるような顔になり、しばらくして元の顔に戻った。

「次、カレンくんね」

 カレンもレベルアップしてCⅠになった。そして、キャパがいくら増えたのとか、練度がどうとか。サイマッスルがどうしたとか饒舌に説明したが、ルディーには、

「アップなし。C⒉変わらず。精進が足りん」

 で、終わり、タムには、

「C⒉変わらずだな」

 で済ます。

「ちゃんとみたのかよ」

 と、食い下がる。

「しっかり見た」

「女の子にだけ甘くしてるんじゃないのかよ」

「失敬な奴だな。分析には、私情を挟んではいけないことになっているのだ。人に文句を言う前に、もっと精進したまえ」

 𠮟られて、タムはふてくされた顔となった。

「最後キミ、新規登録の人だったね」

 マユラが呼ばれた。

 面白くもない顔で、さっさとこんなとこ出ていきたそうにドアの近くに立ったタムは、大きな背中を壁にもたせ掛けて、どうせマユラもすぐに終わるだろうからと、ここを出たあとのことを考えた。このところカフェもご無沙汰で、ちょっと寄りたいところだがあいにく持ち合わせがない。いや、いつもないのだが、さて、誰の懐を当てにするかと、思案を巡らせた。レリア、堅物でしまり屋のアイツに、コーヒー代おごらせるのは至難の業だ。カレンは、自分の他にもう一人イケメンがいたら、財布のひもも緩むだろうが、このメンツではな、などといい気なものである。マユラが金を持っているとは思えず、当てになるのはルディーしかいない。二十エキュ(一エキュ一ユーロの百分の一)でコーヒーを出す店を知っているので、ルディーが一ユーロ持ってたら全員分のコーヒー代が出るし、もし、もう一ユーロ持ってたら、ハーフサイズのホットケーキも付けられると、ルディーが聞いたらビックリの胸算用を巡らせて、ふと見ると、アナリストは、マユラに手をかざして、何やら小首を傾げている。マユラには手間をかけているが、新規登録だからなと思った。

「どうかしたのですか」

 レリアが声を掛けると、

「何でもない」

 と答えたが、声に動揺があった。

「もう一度やろう」

 アナリストは再び分析の作業を始め

「おお出た、これだ」

 声にはいつにない安堵の響きがあった。しかし少しすると、怪訝な表情となった。やがて分析を終えてマユラから離れ、例のレコーダーなる機械に触れる。一連の作業を終えてからマユラを見つめ、やがて笑った。

「すっかりだまされたよ。街の不良のような尖ったところもなく、ちょっとおっとりしているようで、傭兵には向いてないように思えたのだが、、どうしてどうして、街の不良どもなんかより、よっぽど飛ばしている」

「はあ・・・」

 話の飲み込めないマユラ。

「マユラが、どうしたのです」

「マユラ君は、キミたちより、先んじているよ」

「?」

「既に実戦を経験し、人も殺している」

「そんな!」

 レリアをはじめとして、にわかには信じられない表情の面々。

「我々にはわかるんだよ。レベルの判定をするには、単に経験値の総量を計ればよいというものではない。経験値の質や溜まり方など、君たちが思っている以上に、細かいところまで分析できる。それが出来てこそのアナリストだ。日々の修行でコツコツ積み上げた経験値か、実戦でガッツリ稼いだ経験値か区別はつく。汗の沁みた経験値か、血の付いた経験値か、わかるんだよ」

「本当かよ。本当に人をヤッてるのかよ」

 タムの問いに、

「一人だけだよ。それも果たして人間かどうか、化け物みたいな奴だったんだ」

「私の見立てでは、一人ということはないのだがね」

 アナリストの言葉に、マユラは意外な表情となる。あの時、グルザムの術を食らったみたいで急に意識が無くなり、気がつくとグルザムの手下たちが倒れていた。その後でグルザムを斬ったので、マユラが意識を持って斬ったのはグルザム一人なのだが、あの場に居合わせたエレナとカムラン、そして、エレナの弟くんまで、手下どもを斬り、おまけにグレッグを追い払ったのも、マユラだと言った。それを聞いたときは、エレナに案内された剣の祠で手に入れた、鬼神退治の英雄の刀に宿る、英雄の御霊、英霊が助けてくれたのだぐらいに思って、そんなに深く考えはしなかった。しかし、今アナリストの話を聞いて、妙に胸騒ぎを覚えるマユラだった。

「責めているのではないのだよ」

 アナリストは内省するようなマユラの表情を、トラウマを刺激したのではと勘違いして言った。

「むしろ感心している。十代もほんの半ばのそんな年で、既にあれだけの経験値を得ている。スペックも申し分ないし伸びしろも十分、まさにドラフト並というやつだ。ドラフトが何かは知らないが、世間ではよく、そんな言い回しをするだろう。将来有望の、期待の逸材というわけだ」

「はあ・・・」

 マユラは漠然とした面持ちだったが、他の四人は驚きの隠せない顔だった。女の子に甘めな他は、全般的に辛口で知られるこのアナリストが、誰かをこんなに褒めちぎったなんて、見たことも聞いたこともない。気に入られている上に実力十分のレリアでさえ、ここまで褒められたことはない。

「レベルはCⅠだ。」

「マジで、いきなり置いてきぼりかよ」

 ルディーはぼやき、タムは心中穏やかでなく、カレンも啞然とし、レリアの表情も少々複雑だった。

僕のIDは」

「IDは、レコーダーの中のデータを帝都の本部に送って、本部で作成される。手元に届くのは、早くても一ヶ月半、遅いときには丸々三ヶ月なんて、こともある。気長に待つことだ。以上で君たちの登録・更新の作業は終了した」

「ありがとうございました」

 五人は礼をいってアナリストの事務所を出ていった。

 一人になったアナリストは、落ち着きのない様子で、レコーダーを置いたテーブルの周りを用もなく歩き回っていたが、ふと立ち止まり、視線はどこでもなく、自分の内面を見詰める表情だった。

「私の能力がおかしくなったのではなく、アレは、ちょっとした気の迷いがもたらした錯覚に違いない」

 一人のオフィスで、知らず心の中のつぶやきが声に出る。

「ちゃんと仕事はできたし、あの少年だって、二回目にはおおむね正しいアナライズをしている。だから、彼を最初にアナライズした時に感知した、あの途方もないスペックは、昨夜の酒がもたらしたところの間違い、錯覚というやつであろう。うん、深酒が過ぎたかもしれん」

 アナリストは、自らを納得させるように一人ごちた。

「それにしても、間違えるにも程があるというものだ、あんな少年に、こともあろうにSSクラスの能力を感知するとは、晩酌も、控えたほうがよいかもしれぬな」

 アナリストは、自嘲し、力なく首を振った。

 アナリストの事務所を出て通りを歩いていると、

「やいマユラ、俺たちにコーヒーとケーキをおごれ」

 だしぬけにタムが言った。

「いきなりわけのわからないこと言うなよ」

「登録の初回でCⅠもらったんだ。友人にコーヒーやケーキをふるまったってバチは当たらんぞ」

「そぷだ、こっちC⒉で足踏みだってえのに」

 ルディーもぼやく。

「知らないよ。文句だったら、あの、アナリストのおっさんにいえよ」

「こうなりゃ、実戦に出て殺しまくるしかないわね」

 カレンが物騒なことを口走る。

「そうすりゃ、あたしたちもドラフト級よ」

「だけど、まだレギュラー取れなくて、実戦に参加させてもらえないのに、どうやって殺しまくるのさ」

 ルディーの問いに、

「さあね」

 カレンは投げやりに答えた。

「レベルを上げるには実戦が一番だが、実戦に参加するにはレベルが足りん。ジレンマだぜ」

 悩まし気なタム。

「地道に修行を励むしかないわよ」

 レリアの声には何の屈託もなかった。最初は、後輩に追い抜かれるのかと、複雑な心境にもなったが、それも今はふっ切れた。マユラが剣豪や剣聖になるならばそれもよし。自分は自分の目指すところに向かって努力するだけなのだ。

「コーヒーの一杯もおごってもらわないと、このままではで俺たちの気がすまん」

 タムはしつこい。

「金ないよ」

「おごりたい気持ちはあるが、金はないか」

「いや、どっちもない」

「ルディー、立て替えてやれ」

 マユラの声は聞かぬふりのタム。

「やだよ、返済能力なさそうなだし」

 そんなやり取りをしながら歩いていると、向こうから人波を押しのけるようにして、十数人の一団が来る。いや、彼らが押しのけるのではなく、彼らの行く先で往来が割れるのである。人々は関わるのを避けるように道を譲るが、さぞやコワモテの地回り、ゴロツキかと思いきや、十代の若者たちで、それもどこかの学校の制服らしいのを着ているが、ブレザーにスラックスも仕立が良く、帯剣をした、育ちのよさそうな、良家の子弟の一団である。

「ヤバい、騎士学校の連中だ。避けてやり過ごそうぜ」

 タムが言った。

 マユラも、往来を我が物顔に押しわたる態度は鼻持ちならなかったが、騎士学校のことは聞いて、いたので、難を避けるが上策と従った。ドラッグストアの前に佇んで、歩道に幅を利かせて通る連中を避けていたが、

「おい、元学友だぜ」

 生徒の一人がレリアに目を止めた。ぞろりぞろりと制服帯剣の一団が、ドラッグストアの前に流れて足を止める。

「レリア久しぶりだな」

 人の悪そうな含み笑いとともに声をかけたのは、レリアは知りもしないが、マユラがアナハイムに到着した日の夜、路地裏の広場で、スラムの少年を鞭で打っていた、ラルフという名の少年であった。

「二年前までは俺たちとともに、栄えあるアナハイム騎士学校の生徒だったのに、今じゃ傭兵見習いか。落ちぶれたくはないものだぜ」

「騎士学校にいたときには優等生ぶっていたくせに、見る影もないわね」

 女生徒が意地悪そうに言った。

「だけど、傭兵も板についてきたんじゃないのか」

「地が出たのよ。騎士学校にいたときにはごまかしていただけ。所詮、私たちと同等の品格なんて、望むべくもないから、野良犬の群れに入って、すっかり馴染んだのね」

「エミリー、かってのクラスメートなのだぞ、励ましの言葉でもかけてやったらどうだ」

 その少年は美形だった。態度は尊大にして、彼が言葉を発すると、仲間たちには控える気配があった。

「あら、ディノったら、裏切り者の娘にまで優しいのね」

 エミリーは。媚びるような視線を向けるが、ディノは無表情にスルーして、

「レリア、あいさつぐらいしろ」

 命令口調であった。

「久しぶりね」

 ディノの手がサッと上がって、レリアの頬を打つかに見えて、寸前で止まった。レリアはまばたきもせず、水のように澄んだ表情であった。

「その頬を打ったとしても、キミは彫像のように眉一つ動かさないのだろうね。そういうところが好きなんだ。ただし、キミはもう学友でもなく、ただの庶民なんだからさ、貴族に対するタメ口はいただけないね」

「これからは、気をつけます」

 口調は丁寧だが、水のように清ました挑戦的とも見える表情はそのままのレリアに、

「フフフフフッ」

 ディノは、微かな笑みをたたえながら、レリアの頬を撫でるようにして手を引いた。

「それでそいつらは、キミの仲間かい。うどの大木にチンピラに、はすっ葉女か、やれやれ」

 うどの大木と言われてタムは気色ばんだが、

「こちらは、ランドール伯爵様のご子息、ディノ・ランドール様よ」

 レリアの紹介に、大きな体が肩をすくめる。ランドール伯爵にまつわる恐ろしいウワサを、少し前に聞いたばかりだ。

「彼はタム、それにルディー、カレン、シリウスの仲間たちよ」

「シリウスだと、野良犬どもの巣穴にしては、大層な名前だぜ」

 ラルフが笑った。

「デカいの、ケンカしたいのなら受けてやるぜ。ランドールの名に遠慮することはない。きさまが本気でかかってきたとしても、料理するのはたやすいのだ」

 ディノの挑発に、うっかりのるほどタムも愚かではない。大きな体がうつむいて、この場をやり過ごそうとしている。

「格別ご用がございませんのなら、これで失礼させていただきます」

 わざとらしい敬語だが、レリアの声にも表情にも、敬意のかけらもない。

「その突っ張った態度は、もしかしてアイツをあてにしているのか。もしや、まだ付き合っていたりしてな」

「そんなはずないわ」

 ディノの探るような言葉に反応したのは、レリアではなくて、エミリーだった。「彼だって、クラスメートだから仕方なしに付き合っていただけよ。もう学友の生徒でもないのに、付き合ったりするものですか」

「そんなにむきになるところを見ると、お前もアイツに惚れているのか」

「私が、あんな平民出に、よしてください。あんなの相手にしませんわ。私はただ、騎士学校の生徒がこんな女と付き合っているとしたら、学校の名誉に関わると思っただけです」

「彼女の言う通り、私は騎士学校の誰とも付き合ってないわ」

「そうか、どうでもいいことだがな。行けよ」

 レリアは合図をするように、チラッと仲間たちを振り返り、歩き出した。

 やれやれと気詰まりから解放されたタムは、

「おい、ゆくぞ」

 後ろにいたマユラを振り返ると、マユラはドラッグストアの店先い立ててあった、雑誌販売用のスタンドから、マンガ本を一冊取って開き、それがまたツボにハマったらしく、ばか笑いを噛み殺した顔で読みふけり、タムの声も聞こえない様子だった。

「オイ」

 タムに肩を叩かれてようやく振り返る。

「なに」

「なにじゃない。立ち読みなんかしやがって、オヤジに怒鳴られるぞ」

 ドラッグストアに目をやると、店主がガラス戸の向こうで渋い顔をしているが、出てくる様子はない。

「騎士学校の連中がいるから、遠慮してるのさ」

「じゃあ、礼を言わなきゃね」

「ハァ、お前、俺たちがさんざんこき下ろされてたの、聞いてなかったのかよ」

「全然、なんか言われたの」

 マユラはマンガ本をスタンドに戻した。

「なに、ごちゃごちゃやってんのよ」

 カレンのヒステリックな声に、

「まあいい、ゆくぜ」

 タムは歩き出し、マユラも続いた。

 四人かと思っていたら、タムの大きな体の後ろから、現れたマユラに、騎士学校の生徒の一人が目を止めた。

「オイ、待てよ」

「なんですか」

「もしかして、おまえ、あの時の奴じゃないのか」

 マユラを呼び止めたのは、ラルフだった。

「あの時って」

「とぼけるな、この顔に見覚えがないとは言わせないぞ」

「うーん、どこにでもある顔過ぎて、思い出せないけど」

「ふざけやがって。ディノ、こいつ、あの時の野郎だぜ」

「ああ、そのへらず口の叩き方は間違いない」

 ディノも、何やら剣吞な光を目にたたえる。

「アンタの顔は、覚えているぜ。そんなに綺麗な顔をした男を見るのは、あの夜以来さ」

「やっと白状しやがったか」

 威丈高なラルフに、

「白状とは人聞きが悪いぜ」

 マユラはさも心外そうに言い返す。

「こっちは、なにも悪いことをしたわけでなし、白状もしらばっくれるないぜ」

「おまえ、レリアの仲間か」

 ディノが問う。

「シリウスのサムライマスター、志摩ハワード先生門下で、マユラだ。レリアさんの弟弟子になる。キミは、ディノとか呼ばれてたよね」

「おまえ、なんかに名乗るのももったいないが、ディノ・ランドールだ」

「名前なんて、減りゃしないよ。ん、ランドールって」

 マユラはタムの袖を引っ張り、耳元に小声で聞いた。

「あの、ヤバいランドール伯爵とかの、親戚か何か?」

「息子だってよ」

 タムに耳元で怒鳴られて、

「声、でけぇよ」

 マユラは鼓膜がビリビリして耳をほじくる。

「ったく、とんでもないトラブル抱えやがって、一体なにをした」

「なにもしてないよ。この人たちが弱い者イジメしているのを止めただけさ」

「我らは、この街の、風紀と衛生を守っていたのだ。貴様は愚かにも、それを妨害したのだ」

 ディノが声を荒らげる。

「でも、終った話だよね。あの場で済んだことになってるはずだけど」

「そうはいかん。おまえの後ろにレリアがいたとなると、また、話は別だ」

「あの時は、まだレリアさんに会う前だけど」

「それも事実かどうか、怪しいものだ。とにかく付き合ってもらうぞ」

「わかったよ。どこへだって付き合うさ」

 相手がアナハイムに絶大な権勢を誇る、ランドール伯爵の息子とあっては、逃げて片が付くというものでもなく、さっさとけりをつけてしまおうというのがマユラの考えだった。

「マユラ」

 レリアは心配そうに声をかける。

「大罪を犯したってわけじゃなし、心配することないですよ」

 マユラはそんなに深刻にもとらえていないが、そういう常識が通じないのが、ディノであり、ランドールなのだと、レリアは危ぶんだ。

「用があるのはコイツだけだ。おまえらは行っていいぜ」

 追い払うようなラルフに、

「私はリーダーなの。仲間に対する責任がある。同行させてもらうわ」

 断固として言い放つレリア。

「リーダーとともに行くぜ」

 タムが続き、

「一緒に行くわよ」

 カレンは仕方なし、

「オ、オレも行くぜ」

  ルディーもしぶしぶだった。ランドールとの悶着に巻き込まれるなどまっぴらだが、一人だけ帰ったらなにを言われるかわからない。

「カレンは帰って、このことを団長に報告して」

「了解、じゃあね」

 リーダーの命令ならば大手を振って帰れるので、カレンは即座に答え、皆に手を降ると、一人歩き出した。

 ルディー、は自分に振ってほしかったがような顔で、離れて行くカレンを見送った。

 ランドールの屋敷へゆくのかと思ったら、連れて行かれたのはアナハイム騎士学校だった。

 州立帝国アナハイム騎士学校は、高さ五メートルの塀で囲まれていて、塀に沿って歩いても。一周するのに一時間では到底足りぬ。マユラたちは正門ではなく、いくつかある裏門の一つから入った。そこにも門番は立っていたが、ディノの顔を見ると、部外者のマユラたちも黙って通した。

「入るのは初めてだが、、さすがに広いよな」

 タムはあたりを見渡して感嘆する。

 シリウスもグラウンドや体育館を抱えて、普通の学校並みの広さはあったが、ここはまた、桁違いであった。マユラは、連れてこられた経緯も忘れて、目を丸くしいた。レリアは元騎士学校生だったらしいので、懐かしさや、様々な思いもあるはずだったが、それを顔に出すことはない。ルディーは、まるで縄張りの外に出てしまった小動物のようにおどおどしていた。

 裏門から入った数百メートル先に、大きな建物が建っていた。騎士学校の校舎で、マユラたちは後ろから見ていたが。灰色で、角の立った形が切り出した石のようだった。

「あんな石の建物に閉じ込められて勉強させられるなんて、ゾッとしないね」

 マユラはタムにつぶやき、辛気臭そうに三階建ての校舎を眺めた。

 ディノたちは、校舎裏の一画に連れて来た。元騎士学校の生徒だったレリアには、彼らの意図が分かる。ここは校舎の裏にあって人目に付きにくく、生徒や教官たちにもあまり用のない場所だ。今まで、門番以外の学校関係者や、ディノたち以外の一人の生徒とも出会ってなく、ディノたちにとっては、気に食わない奴を連れてきてはボコる、格好の場所なのであろう。

「おまえのせいで、一人の生徒の将来が断たれた」

 ディノの言葉に、

「何のこと?」

 マユラはまったく思い当たらない。

「おまえに剣を掠め取られたアイツだ」

 それならマユラにも思い当たるところはある。アナハイムに来たその夜、路地裏の空き地で、ディノたちがスラムの少年たちをイジメているのを見たマユラは、止めに入ったのだが、剣を抜かれたので、今でもそうだが丸腰だったマユラは、ディノたちの仲間の中の、ちょっととろそうな少年の腰から、ストリームで翔けて剣を拝借したのだった。

「彼がどうかしたの」

「剣を奪われるとはあまりにもふがいないので、あのあと鍛えてやったら、身体を壊して退学したのだ」

「鍛えたのかリンチしたのか知らんけど、それってアンタたちがやったことであって、オイラにゃ全然関係ないけど」

「そうはいくかよ」

 アナハイム騎士学校の生徒は、良家の子弟のはずだが、ラルフは因縁つけるゴロツキのごときガラの悪さだ。

「確かにアイツは、小貴族の親が見栄で無理やり入学させただけの、元々見込みのない奴だったが、それでも貴族の端くれだ。おまえのような市井の虫けらが、その人生を台無しにして、いいってもんじゃないぜ」

「で、どうするの」

 自分たちがボコボコにしておいて、人に責任を転嫁する、あまりに無理筋の難くせに。マユラは言い返す気力も失せていた。

「決闘をしろ」

 ディノであった。

「おまえたちだって。たとえそれが野良犬のごとき傭兵であるにしても、とにかく剣で身を立てる稼業を志しているのだろう。ならば剣にて決着をつけるのに異存はあるまい」

「待ってよ」

 レリアがたまらず口を出す。

「小さなことでしょう。謝らせるから許してよ」

「敬語を使えと言ったぞ」

 ディノはそこを咎める。

「私もとうにすれっからしよ、そんなガラじゃないわ。そんなことより、いきなり決闘はあんまりだわ。第一私たちは武器の装備を許可されてなく、戦うことは禁じられているの」

「それはおまえたちの組織の事情だろう。俺たちの知ったことではない」

 ディノは突き放す。

「そんな」

「だったら聞くが、もしヴァルムやヴァルカンに襲われたら、おまえたちは戦闘が許されていないので、黙って殺されるか。剣でも落ちていればそれを拾って、目いっぱい戦闘を試みるであろう」

「確かにね」

 マユラもこれには同意する。

「マユラ!」

 レリアは余計な合いの手に厳しい声を放ち、ディノに転じて、

「だけどあなたは、ヴァルムやヴァルカンじゃないわ」

「人間同士も戦うだろう。第一、おまえらがなろうとしている傭兵とは、そう言う職業であろう。ここで決闘するのが嫌だというのなら、傭兵なんかやめて、小間使いや下男奉公でもしろ。なんならウチで雇ってやろうか」

「だれが、てめぇんちの下男になんかなるかってんだ。決闘にビビる腰抜けは、シリウスには一人もいないんだ」

 マユラは啖呵を切り、

「よくぞ言ったぜ」

 とタム。しかしルディーのやつは、住み込みで、月に三百もくれたらなどと考えていた。

「志摩先生の言いつけを破るつもり」

 レリアが咎めるが、

「守りたいけど、降りかかる火の粉は払うしかないよ」

「まだ、降りかかる火の粉と決まったわけじゃないわ」

「レリア、諦めろ。そいつだって武人の意地だ、折れはせぬ」

「だけど、マユラにゃ剣もないぜ。丸腰の人間と戦うのが、騎士の流儀かよ」

 タムが質すと、

「剣ぐらいくれてやる。野良犬にはもったいないぐらいのやつをな。そいつはサムライとして戦い、俺は騎士として戦う。では、支度があるので一旦失礼する」

 ディノはどこかへと歩いてゆき、

「そいつらが逃げないように見張っとけよ」

 仲間たちに言い置いて、ラルフも彼に続いた。

 レリアは、ディノの性格を知っているだけに、不安は拭えない。タムも、顔には出さないものの、最前から胸騒ぎがしていた。ルディーは、月に三百もくれたら御の字だけど、などと考えていて、当のマユラは、これが至って楽天的だ。何しろアナリストの事務所ではレベルCⅠに認定されて、才能を高く評価されたのだ。何が来ようと適当にあしらってやるぐらいに思っていたが、しかしすぐに、自分がいかに世の中を知らず、CⅠなど大したものではないと、思い知ることになる。

「ディノからの贈り物だ、受け取れ」

 先に戻って来たラルフが、剣を投げてよこした。

 マユラは受け取り、それを眺める。鉄環で締めて補強した木製の古鞘に、柄は革巻き、鉄板を切り抜いただけみたいな、無装飾の八角鐔が付いている。抜くと両刃の剣だった。刃渡りは七十数センチ、いわゆる定寸、標準的な長さであったが、身幅は五センチと広いブロードソードで、全体的な形は笹の葉に似ている。黒ずんだ地鉄に白い直ぐ調の刃紋が縁取るように焼かれている。ミスリル無垢なら、この大きさでもそんなにずっしりとはこないが、これは手に余るほど重い。ミスリルに鋼を混ぜた、混ぜ物鍛えだからだ。地鉄にギラギラと、混ぜ物特有の肌目が表れている。混ぜ物鍛えは安打ち(粗製品)の代名詞のように言われているが、マユラは悪くないと思った。マユラに刀剣の鑑識眼など皆無であったが、一目見て気に入った。重いし、両刃というのも刀と勝手が違う。また、志摩のミスリル一文字を見た時のような、ゾクリとした感じもしないが、これはこれで、実用十分といった出来だ。

「コレ、くれるの。やったー」

 マユラは単純に喜んだが、レリアには悪い予感しかしない。

「ディノっていい奴かも」

 剣を腰のベルトの間に差し込みながら、能天気にのたまうマユラに。

「そんあわけないだろう」

 タムがツッコむ。

 ディノが戻ってきた。装いも改めて、ミスリルのフルアーマーに身を身を鎧い、顔も仮面のようなフェイスガードで防護されていて、どこにも打ち込めるところがない。これだけでもビックリなのだが、何よりマユラが驚いたのは、ディノの跨る馬であった。そう、ディノは騎乗して戻ってきたのだ。それもただの馬ではない。いや、それを馬と呼んでいいのかも分からぬ。とにかくマユラの初めて見るもので、全体的なフォルムは馬なのだが、頭部は龍に似ていた。獅子鼻で牙のある大きな口は草食獣のものとは思えない。体高は馬と同じぐらいだが、背中から足にかけて、ブロンズ色のウロコに覆われている。

「なに、アレ」

「おまえ、ヴァンホースも知らないのかよ」

 タムがあきれる。

「ヴァンホースって聞いたことないけど」

「田舎育ちじゃ無理もないか。いいか、騎士の騎乗するのはヴァンホースなのだ。ヴァンホースあってこそ、騎士は最強のジョブなんだ。普通の馬は斬られたら倒れてしまい、機動力のあるブレイヴファイターとの戦闘には使えない。だが、ヴァンホースは、そこいらのフェンサーの斬りつけなど蚊が刺したほどにも感じない」

「確かに、固そうな鱗をしているね」

「おまえが想像しているより、何倍も固い。エルフのスナイパーの貫通アローも弾いてしまうぐらいだからな。そしてアイツがブレイヴ体になったら」

「ええ! あの馬ブレイヴ体になるの」

「人間以外にもブレイヴ体になれる生き物はいるぜ。ヴァンホースとか、ドラゴンとかさ。ヴァンホースがブレイヴ体になると、気装甲という防御フィールドを発生させて、下手に近づけば弾かれるってことだぜ。フルアーマーだけでも勝ち目ないのに、ヴァンホースになんか乗ってこられたら、おまえが百万回逆立ちしたってどうにもならん。ここは潔く土下座でもして、許してもらうんだな」

「嫌だよ」

「俺の話聞いてなかったのかよ。そんな剣一本で、どうにかなる相手じゃないんだぜ」

「マユラ、悔しいのは分かるけどさ、どんなに悔しくても、メシ食って寝れば忘れるさ。でも、死んでしまったらメシも食えんぜ」

 ルディーが、処世訓めいた忠告を口にする。

「ヴァンホースなんか引っ張り出してきて、どういうつもり」

 レリアが、鞍上のディノに食ってかかる。

「俺はナイトとして戦うと言ったぜ。これがナイトの正式兵装だ」

「でも。それじゃあ・・・」

「なんだ、勝ち目が無いか。最初から分かり切ったことだ。サムライだかなんだか知らん、三流ジョブの傭兵ごときが、我ら武門のエリートたるナイトに、敵うはずもないのだ」

 ディノは傲慢に言い放ち、

「だが、どうしてもそいつの命を取らねば済まぬということもない。土下座して、謝るなら、腕の一本ぐらいで許してやってもいい」

「悪いこともしてないのに謝れるかって。そんなに土下座が見たけりゃ、カエルでも捕まえてきやがれ」

「虫けらが、潰されなけりゃわからないか。試合開始だ、全員さがれ。レリア、お前もだ」

「待ってよ」

 レリアはディノに懇願して、マユラに向き直る。

「今すぐディノに謝って。土下座でもなんでもして許してもらうの。先輩としての命令よ」

「あいにくだけど、その命令は聞けないぜ。僕が死んだら、志摩先生に感謝していたと伝えてよ」

「バカ、なにカッコつけてんのよ」

「レリア、さがれ」

 タムも言った。

「こうなったら、マユラの意地を見届けてやろうぜ」

「アンタ、何言ってんのよ。死んじゃうのよ」

「レリア、、俺たちは傭兵なんだぜ。今日マユラの身に起こったことが、明日、俺たちの身に起こらないとは限らないんだ」

「レリアさん。迷惑かけるかもしれないけど、やられちゃったら、死体は拾って帰ってよ」

 マユラがそこまで覚悟を決めていると知って、レリアも、もう見守るしかないと思った。

「武運を」

 祈りの言葉をかけて、レリアはタムとともにさがっていった。

「奴に逃げられないように注意しろ。逃げようとしたら斬っていいぜ」

 ラルフは指示をとばしながら、仲間たちとともに散る。

 サッカーができるぐらいの空間に一人と一騎が対峙して、一方には騎士学校の生徒たちが十数人と散らばって、マユラが逃げて来たら切り捨ててやろうと身構え、反対側は五メートルはあるコンクリートの塀。

 マユラとヴァンホースに跨るディノとの距離は三十数メートル。

「まず、剣をくれたこと、礼を言っとくぜ」

「倉の隅に束ねてあった中の一本だ。礼を言われるほどの物ではないが、貴様の死出の手向けには丁度よかろう」

「なんにしたって剣はいいさ。一本腰に差してりゃ、ドラゴンでも倒せる気分になれる」

「単純なやつめ、現実を思い知れ」

 ディノは剣を抜き放ち、ヴァンホースを走らせた。普通の走り出しだが、突如、馬とドラゴンを掛け合わせたようなヴァンホースの体から、陽炎のようなブレイヴの波動が湧き上がる。

「これは!」

 ストリームを噴かせたマユラは、人間のものよりずっと強い、ヴァンホースの滾らせるブレイヴに目を瞠った。下手に当たれば弾きとばされるとタムは言ったが、ままよと、マユラは斬りかかる。爆風を浴びたような圧に飛ばされたものの、何とか体勢は崩さない。ストリームの乱れた軌跡をすぐに整える。ブレイヴの圧も強力だが、ヴァンホースの体も固い。まるで鉄の塊で、どれほどの傷を与えたという手応えもない。ヴァンホースに歯が立たないとなるとディノを倒すしかないが、アイツもフルアーマー、どこをどう切っていいのやら・・・

 などと考えていると、ディノが襲いかかってくる。マユラを馬蹄にかけんとヴァンホースを駆り立てて迫り、馬上から斬りつけてくる。ディノの剣はミスリル製で、細身だが刃渡りは一メートル近くあり、それを斬るというよりも突くに近い剣さばきで、馬上から斬り下してくるのだ。ストリームを駆って離れようとするが、ヴァンホースは意外に小回りが利き、たやすくは離れさせぬ。頭上から五月雨の如く浴びせてくるディノの剣を、しのぎにしのいで、どうにかヴァンホースの体側をかすめて離れる。

 固いしスピードはあるしで、付け入る隙が見いだせない。どうしたものかと考える余裕など与えずヴァンホースは迫り、マユラは懸命のストリーム、必死の剣技で耐えしのぐ。

「ちょこまか動きやがって、だが、これで終わりだ」

 ヴァンホースの動きがマユラを吞み込み、馬上から叩きつける剣は防ぎようもない。まさに絶体絶命のその一瞬、マユラの姿がヴァンホースの影に吸い込まれた。いや、吸い込まれたのではない、すり抜けたのだ。マユラは瞬間体を倒して。ストリームに乗った体が地面すれすれを滑る、あの、ストリームタイプ特有の魚が泳ぐような動きで、ヴァンホースの腹の下をくぐり抜けたのだ。しかしこれは、タイミングがコンマ一秒でもずれたら、ヴァンホースの蹄に体を砕かれる決死の業前であった。

「やっぱり、やりやがる」

 感嘆するタムの横で、レリアは唇を噛んだ。あの場で、自分にあれが出来るかと自問して、たぶん出来ないと自答する。

「コイツ、悪あがきが過ぎるぞ」

 ディノはいらだちの声で、仮面のようなフェイスガードに覆われていて、その表情はわからないが、さぞやへその緒を噛みちぎっているにちがいない。

 とは言え、マユラが圧倒的に不利な状況に変わりない。ストリームで翔けながらあ、打開の策を思案するマユラの背に、不意に何かが取り付いた。

 遠くで見ていたレリアの目には、燕のような飛影が、マユラの背後へ征矢の如く流れたかに見えた。距離もあり、マユラもストリームで翔けるなかの一瞬のことで、ハッキリとは見てとれなかったのだが・・・

「なに!」

 突然背中に取り付く何かに、マユラは驚きの声を上げる。

「前の敵に集中して、私は味方よ」

 女性の声だった。

「キミってフェアリー」

 マユラはディノの動きに注意を払いながらも、謎の声に話しかける。

「そうよ、あなたを助けたいの」

「なぜ」

「一つにはランドールが嫌いだから。それと、あなたの戦う姿がけなげだから、なんとかしてあげたいと思ったの」

 そんな話をしている間にも、ヴァンホースのを駆るディノの迫り、ストリームに乗って翔ける飛燕の剣士と、強甲鉄騎のぶつかり合い、剣光散らせてまた離れる。ヴァンホースの怒涛の圧迫と、その上から降るディノの剣を、なんとか切り抜けたマユラだったが、これはさすがに、あと何度もしのげそうにない。

「助けてくれるの」

 期待を込めて謎の声に聞くと、

「大したことは出来ないけどね」

 ややガッカリの返事である。

「「なにができるの」

「魔道師のまね事ぐらいね」

「キミ、術が使えるの」

「バカにしないでよ。フェアリーにだって、術を使える者ぐらいいるわよ」

「バカにしてないよ。友達にフェアリーがいてさ、そいつは術とか使えないから、フェアリーはそんなものだと思ってたのさ」

「そんな無能と一緒にしないでよ」

「それなら一発、アイツにかましてよ」

「術効果は身の丈に合ったものよ。そして、ヴァンホースのブレイヴの波動は、大概の術効果をかき消すときている。まあ、私の術なんか、竜巻に向かって、マッチ一本投げつけるようなものよ」

「あの、バケモノ馬、固い上にいろいろついてやがる。こうなりゃディノをヤルしかないか」

「言っとくけど、ディノを殺したら、あんたは確実に死ぬわよ」

「・・・」

「向こうがあなたを殺す気でも、あなたが彼を殺したら死罪は免れない。伯爵家のご子息と、平民の身分の格差よ」

「ったく、どんな無理ゲーだよ」

「ここは、穏便に去るしかないわね」

「逃げるにしても、騎士学校の連中が立ちふさがるだろうから、穏便にってわけにはいかないよ」

「それも賛成出来ないわね。騎士学校の生徒との刃傷沙汰は後々面倒だし、それに、すぐにディノが後ろから来るわよ」

「だったらどうするの。塀を跳び越えろとでも」

「そう、それ」

「あんな高い塀、ブレイヴ体でも無理だよ」

「踏み台を使えば、なんとかなるんじゃないの」

「踏み台って?」

 ヴァンホースに跨るディノの猛然と迫って来て、鉄騎の怒涛の攻撃をどうにかやり過ごし、ストリームもフルスロットルに引き離す。

「イヤイヤ無理でしょ。快く踏み台になってくれそうにないし」

「男は度胸、正面から飛び込むのよ」

「アイツの長剣に、真っ正面から身を晒すことになるぜ」

「ヴァンホースのブレイヴの内側なら術も効く、一発かましてやるわよ」

「百回ぐらいリハーサルしたいぜ」

「チャンスは一回よ、塀の近くに誘導して」

 塀際にストリームを流してディノをおびき寄せる。そして、反転、そのままストリームを流して真っ正面からディノにぶつかるかに見えて、マユラは両足を揃えて膝を曲げる。スキージャンプの選手が、ジャンプ台を滑り降りる時のような(もっともこの世界に、そんな競技はまだないのだが)姿勢でぐっとストリームを絞り急減速。ストリームタイプは、スプリントタイプのような即座のジャンプが出来ない。ジャンプをするには、両足を揃えて膝を曲げ、ストリームを絞って減速して、揚力を溜める必要がある。そして。より高いジャンプをするには溜めの間も長くなる。ここがストリームタイプの泣き所で、ジャンプの到達点は、ストリームタイプの方が若干高いのだが、これだけの事前動作が必要となると、相手に読まれてしまい、実戦では使えないのだ。ストリームタイプが水平方向に展開が速くも、垂直方向の動きを苦手としている由縁である。

——それぐらいしか手がないのは分かるが、正面で仕掛けるとは馬鹿な奴——

 ディノはフェイスガードの下で笑い、ジャンプして来たマユラを切り捨てるべく、剣を振りかぶる。

「キミ、名前は」

「カオルよ」

「マユラだ。生きていたら、また会おう」

 マユラは跳んだ。溜めの割には高さのない、どうにかヴァンホースの頭を越えて、ディノに斬りかかれるぐらいの高さ。ディノは余裕で、一秒後にはマユラを死体にすると確信した。ヴァンホースの頭を越えて飛び込んで来るマユラへ、今しもミスリルの剣の閃きと化す、その刹那であった。ディノの視界が黒く塗りつぶされた。ブラインドの術効果。カオルがかましたのである。突然視界が閉ざされると、さしものディノも動揺した。こんな事は初めてである。うろたえて振り下ろす剣には冴えがなく、ガッツと剣の嚙み合う感触。その時不意に視界が戻った。ブラインドの術効果は一二秒か、しかし眼前にマユラの姿はなく、

「失礼」

 取り清ましたような声とともに。頭上に圧力を感じ

、「なに!」

 フェイスガードの下で目を剥くが、さらにぐっと頭を押し下げられ、次の瞬間、その力が無くなった。とっさに振り仰いだディノは、騎士学校の塀のてっぺんに左手をかけて、ぐっと体を引き上げて、登り切るマユラを見た。マユラは塀の上に立つと、右手の剣をこれ見よがしに天に掲げ、そして、塀の向こうに消えたのである。 マユラが消えても、ディノはしばし、その姿勢でいた。怒りと屈辱の金縛りにあっていたのだ。

——アイツ、この俺を踏み台にしやがった。こともあろうに、この、ディノ・ランドールの頭を足蹴にして跳びやがった——

 ディノにとって、それはあってはならない事だった。自分が人を踏み台にしたことははあっても、誰かの踏み台にされたことはない。もし、そのような者がいたとしたら。きっと生かしておかなかったろう。

 怒りに我を忘れていたディノが気づくと、騎士学校の仲間たちからレリアたちまで、全員の視線が自分に集まっていた。屈辱の場面を見られた。レリアたちはもとより、学友たちまで、この場にいた全員を、斬ってしまいたかった。

 ディノは、ヴァンホースを歩かせながら、

「なに、ぼさっとしてやがる」

 声を荒らげる。

 すぐさま、仲間の生徒たちが駆けつける。

「アイツを捕まえろ。いや、おまえたちには無理だ。ウチの家来に、俺が絶対に捕まえろと命じていたと伝えるのだ」

 二人ばかり、エアで走っていった。

「野郎、案外着地に失敗して、塀の外で足首骨折するか捻挫するかして、唸っているかもしれないぜ」

 ラルフがやってきて機嫌をとる。

「そうだといいがな」

 ディノはあてにしていない顔だった。

 レリアは、実に鮮やかな軽業を見た心境だった。マユラはディノを正面に迎えて、急減速して、足元に揚力を貯める。そしてジャンプ。流れるような一連の動きは、正面過ぎてディノに斬られてしまうかと思っていたが、瞬間ディノの剣がひどくあやふやなものになった。まごついたような振りで、それにマユラは剣を合わせて、空中で一回転してディノの頭上に降りた。マユラは最初のジャンプで揚力を使い切ってはなく、ディノの頭上で、一秒足らずの溜めの後、残していた揚力と合わせて最大限のジャンプを放った。ヴァンホースに跨ったディノの高さ分プラスで、塀のてっぺんに手が届いたのだ。それにしても、あの数瞬、ディノの動きはひどく生彩を欠いたものに、レリアの目には映った。ブラインドの術は、墨のようなものを吹き付けたりするのではなく、術を被った者の視覚に働きかけるだけなので、外から見てブラインドの術を被っているかなどはわからないのだ。ディノは、アナハイム騎士学校では一二の秀才、まあ、二番手なのだが、とにかく剣技、馬術、ともに優秀で、たやすく相手に頭上を取らせることはない。いつものディノなら、マユラは斬り払われるか、叩き落とされるかしていたはずだ。そして跳躍するマユラから何かが離れていった。あれは、フェアリーのようだったが、羽がキラキラしていなかった。

「ヤバい、こっちに来るぞ」

 ルディーが、怯えた声をあげる。

 ディノは、レリアたちへとヴァンホースを歩かせる。兜の中に収納されるフェイスガードを上げると、あらわになった顔は、怒りの形相だった。ルディーは、すっかり縮み上がり、タムも警戒の表情、レリアは超然としてディノを見返す。

「レリア、きさま」

 鞍上から怒鳴ったディノが、抜き身を片手にヴァンホースから降りた。

「あの、マユラとかいうクソは、おまえの弟弟子だったよな」

「クソね。でも、アンタよりはマシなクソよ」

 レリアは平然として、屈せぬ表情だった。

「なめやがって」

 ディノは剣を振りかぶり、一本の百合を切るが如く、レリアの細身を手にかけようとした、その時だった。

「なにをしている」

 毅然とした響きの声が、ディノの動きを制した。そして近づく颯爽たるたたずまいに、レリアの頬は、微かに紅潮するのであった。






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