カエル姫と黒の魔術書

楠 冬野

2章 白と黒の攻防

第10話  白の進軍

           -10-


 仇の名を呼ぶと同時に異変が起こった。イアンは砦の外に起こった轟きと恐らくは喊声かんせいであろう雄叫びによって敵の進軍を知った 。


「イアン殿!」

 看守の大男が危機を告げる。目の前では赤い髪の女が剣を担ぐようにして構えていた。半歩下げた左足、布きれから窺えるふくらはぎの緊張は力を溜めていることを示す。

 彼女の姿勢は直ぐにでもイアンの命を刈り取れることを伝えてきていた。二つ名を持つ剣士の一撃を躱す自信など無いが、このような場面すら乗り切れぬようでは先はない。イアンは気圧されまいとしてダリアの目を睨み返した。


「ボルグ! ここはいい。お前はバンフィード達の元へ向かえ!」

 イアンは促した。しかしボルグは戸惑いを寄越す。彼は猛者との修羅場を放ってはおけないと牢屋の中に踏み込もうとしていた。見かけによらず義理堅い男だ。だからこそ私事に付き合わせて死なせるわけにはいかない。彼は再度強い口調でボルグにこの場所から去るように行った。


 言葉を吐き捨ててボルグは動いた。躊躇いを残すその足音を背中で聞き次の行動へと移る。イアンは思い切りテーブルを蹴り上げた。

 宙に浮いたテーブルが目の前で両断されると、別れ落ちた木板の隙間からダリアの顔が現れる。よもやこのように分厚い板を紙でも切り裂くように易々と絶つとは。手に持つのは凡庸な剣だ。なまじの兵士ではこうも出来まい。恐らく敵は取り憑いた者の技量さえも扱うことが出来るのだろう。


「まるで曲芸だな。恭也」

 話しかけるも、相手は何も応えなかった。端から話す気など無いのか、それとも身体を操ることは出来ても話すことは出来ないということだろうか。

 どちらにしても敵はイアンのことを知っているはずだ。どのような手品かは知らないが気配から察すればダリアを操っている者はファラデーで間違い無いはずだ。


「う、ううう……」

 動きとは別に表情に苦悶を見せるダリア。口から吐き出される呻きには抗う彼女の意志が見えた。


 釣り合いの取れない心と体。面倒だと言わぬばかりに右腕が髪を掻きむしり女が動いた。赤い髪が空を流れると縦と横に二回ずつ剣が走った。イアンは切っ先を追わずに相手の肩と柄の動きを見て剣の軌道を測った。

 素早く女の懐に潜ったイアンは背中を相手に預けて剣を持つ手を押さえ込んだ。


「ダリア、まだ意志は保てるか?」

「うう」


 歯を食いしばるダリアは、頭を震わせながら僅かに頷いてみせた。


「上等だ。頼りにしている。もう少しだけ踏ん張ってくれ」

 イアンが言うと、ダリアの眼が呆れるように笑う。

 


「上手いじゃないか、恭也、歴戦の剣士の力をここまで扱えるとはな。それでもダリアの真の力から思えば然程でもないようだが」


 皮肉を言いながら、イアンは女の手首を返そうと腕に力を込めた。が、思ったよりも力が強い。勿論、相手を取り押さえる事に関しては力だけが物を言うのではない。人体というのは、柔よく剛を制するではないがある種のコツを覚えれば相手の力を利用しながら意のままに操作することが出来る。その技術をイアンは日頃の鍛錬から会得している。それでも、何とか手元を押さえて剣を振り落とそうとするが腕はビクリとも動かなかった。



「おい、ダリア、一騎当千の剣士だかなんだか知らんが、お前、いくら何でも力持ちすぎるだろう」

「う、うう」


 ダリアの眼が不服を語る。その彼女の表情とは裏腹に、女の身体は機敏をみせあっという間に剣を持ち上げた。反動を受けて身体を浮かせてしまったイアンの背中に蹴りが見舞われた。イアンは突き飛ばされそのまま向こうの壁に正面から激突させられてしまった。


 背中が肺を押しつぶすようだった。開いた口が渇いた呻きを漏らすと束の間呼吸が止まる。意識が飛びそうになった。それでも身体中を駆け巡る闘争心は直ぐに急場を立て直す。


 イアンは目を大きく開き女と向き合った。睨み付ける目が敵を見定めようとすると間髪を入れずに剣撃が降ってくる。歯を食いしばって。イアンは女の目を覗き込みながら銃を構えた。定まった銃口に構うことなく女の剣が降ろされる。横飛びで転げるように剣を躱した。剣がイアンの身体ギリギリを掠めて石畳を打ち火花を散らす。


「お前……」

 イアンは確かに気迫を込めて銃口を向けていた。それが真に殺気でなくても、銃を知る者ならば射線は避けて当然であろう。それでもダリアの身体を操っている者は躊躇することなく踏み込んできた。


 拳銃を見ても無反応で動く女。恐怖をみせないその態度が示しているのは。

 ダリアの身体など替えの効く入れ物くらいにしか思っていないのか、あるいは……。

 イアンは女の足下に向けて引き金を引いた。銃声に驚いた女が慌てて飛び退く。


「お前は何者だ?」


 どうやら敵は銃の存在を知らないようだ。女の驚く様は如実にその事を示しているのではないか。

 しかし――確かにこいつは初対面で俺のことを「オオミネ」と呼んだ。


 イアンが名乗ったとき、ダリアもバンフィードも「オーミネ-」と不慣れなイントネーションで名を復唱した。恐らくそれがこちらの世界では一般的な聞き取りなのだろう、しかしファラデーだけはあちらの世界そのままの「大峰」を口にしていた。なので、ファラデーなる者が、てっきり変装した院瀬見いせみ恭也きょうやであるか、あるいは――旧知を語っていたダリアの話しぶりからするとファラデーはこちらの人間で間違いないだろう。恭也が操っている線が強い、と思っていたのだがな……。


「なるほどね。そうか、そうだろうよ、これは難事件だ。ならば真犯人が捜査線上にすんなりと顔を出すはずがない。ミステリーでもそうだし、実際の捜査でもそれは同じ」

 イアンはニヤついて独りごちる。


「う、ううう」

 ダリアの呻き声を聞く。その目に促されるイアン。女が動くと同時に銃を構え狙いを付けた。


「威嚇だけとは思わないことだ。この距離なら思うところに当てられる」


 迷うことなく射撃した。が、――マジか!

 女は軽々と射線を見切って体を捌いた。目の前で身を翻して銃弾を避けた。

 イアンの攻撃を躱した女が赤い髪を振り上げるようにして顔を上げる。ニタリと気色の悪い笑みを浮かべながら。


「クク、クククク……」


 含み笑いながら、女が飛び出し袈裟懸けに剣を振り下ろした。イアンは咄嗟に後退った。熱を感じた頬から滑るようにして血が流れ床に落ちる。

 女の声色が変わったことに気付く。これは少し不味いことになったかもしれない。


「ダリア!」名を呼ぶと目が僅かに動いた。「ダリア、意識を指輪に集中させろ!」

 指示するが、呻きのような返答はなかった。


 兵士を自殺させた者がダリアの中に潜んでいることは見えていた。(カエル姫にも見えたいたようだ)敵が白の魔術書に通じていることも感じていた。だからイアンはダリアをこの場所に連れてきた。


 ダリアの人差し指にはめられた黒水晶の指輪は言葉通りのお守りである。黒の女神の加護を受けられると聞いていた。敵が白に関する力を行使しているのならば対抗するためには黒の力を借りるのが良い。ダリアのこともきっと守ることが出来るだろうと考えていた。だが……。


「こうも思惑を外されるとはな」


 じっとりと手に汗を握る。イアンの目の前で、見る間にダリアのうねる赤髪が根元から白に染め上げられていく。それはおそらくダリアの身体の完全支配を意味している。

 院瀬見恭也の手掛かりを得るどころか、窮地に立たされてしまった。


「アイデアは良かったと思いますよ。見知らぬその武器にも驚かされた。しかし詰めが甘いですね」

「ファラデー、で、いいのか?」

 尋ねると白髪の女が微笑を浮かべた。


「指輪には確かに黒の力がある。だが、あなたには使えない。あなたはまだ、その魔術書の力を十分には扱えない」

「だから、あえて放っておいたと」


 やはり只者ではなかった。イアンは白髪の女の向こう側に抜け目のない優男、ファラデーの姿を見ていた。


「観念して黒の魔術書を渡して頂けませんか?」

「目的は、魔術書だったか。てっきり姫様の方だと思っていたのだがな」

「おやおや、あの場所では、目的は魔術書であると言い切っていたのに?」

「さて、そんなことを言ったかな?」

「食えない人ですね」

「それはお前だろう。言っておくが俺は魔術書など知らん。ダリアの身体を返してとっとと失せろ」

「おいそれとは語りませんか。やれやれ」


 呆れる仕草を見せた女は、徐に切っ先を己の喉元に突きつけた。


「……お前」

 イアンは厳しく相手を睨み付けた。


「この様なことは本意では無い。あなたが黒の魔術書を渡してくれるのなら解放しましょう」

 女は僅かに剣を滑らせた。本気を見せるためだろう。

 彼女の首筋から滲み出た血が白い首筋に細い赤の線を描いた。


「好きにしろ。俺にその女を助ける義理はない。仮に助けたいと思っても差し出す物もない。俺が求めているのは仇の男のみだ」


 言い切ったところで白髪の女が眉根を寄せた。

 相手の手札を無効化して優位を作る。その上で要求を呑まず、こちらの要望を伝える。


 ネゴシエーションに必要なことは、相手の意図を正確に理解すること、戦略を持って事を運ぶこと、そして演出。意図の全ては分からない。戦略と言うほどの筋書きはないが企てはある。演じるくらいはやってみせよう。だまし合いなら慣れている。相手が脳筋バカでないならば駆け引きは出来るだろう。この際に、僅かでも情報は引き出しておきたい。


「仇ですか……。それは?」

「仇が誰だか話したところで、お前に分かるのか? 俺の代わりに国中を探してくれるとでもいうのか? そんな保証がどこにあるんだ。もういいか? 俺にはお前達に狙われる理由がない。国政だの姫様だのにも関わりが無い。その女にもな」


 イアンは、白髪の女に背を向けた。賭けである。そのまま出入り口方へと歩き出した。


「素直に渡せばよいものを。まあ良いでしょう、今回は所詮は様子見。時間はある。策を練り直して出直してきます。だが行き掛けの駄賃に森の女王とこの砦は潰させていただく」


 読み通り手詰まりのようだ。理由はまだ分からないが、どうやら相手にはイアンを殺すつもりはない。人質も無意味になった。強引に何らかの手段を用いて黒の魔術書も奪うことも出来ないようだ。


「勝手にしろ」

「この女の命もついでに」

「お好きなように」

「黒の魔術書の所有者が、さも冷酷であるとは愉快。以後、面白きことになるでしょう。楽しみだ」

「黒の魔術書など知らん」

「あなたに、白の気配が感じ取れるように、白にもまた黒の気配を感じ取ることが出来る。逃げられやしない」


 ――言うものの、ファラデーには、黒の気配を感じ取ることは出来ない。そうだろう。お前では無理と言うことだろう。


 女の呻き声を残して白の気配が去った。振り返ると剣に胸を貫かれて眠るダリアの姿が横たえていた。イアンはゆっくりと遺体に近付いていきダリアの骸を抱き上げた。「すまなかったな。お前を巻き込んでしまった」いってイアンはダリアの胸から剣を引き抜いた。


「……よもや、殺されるとは思わなかったぞイアン」

 ダリアが、イアンの腕の中で目を覚ます。


「あいつの趣味が首を断ち切ることではくてホッとしている」

「おい、今更、悪い冗談はよせ」

「悪い、正直なところ賭けだった。すまないと思っている」

「……」

 ダリアの細めた目がイアンの目を覗き込んだ。


「痛みはないか?」

「あ、ああ」

 と答えたダリアが身体の具合を確かめる。我が身の無事を確認して問題ないと目配せをしてきたのだが……目と目を合わせハッとした彼女はイアンの腕の中から逃れるようにして立ち上がった。


「どうかしたのか? どこか痛むのか? すまない。俺も初めてだったからな、上手く出来たのかどうか――」

「だ、だ、大丈夫だ。どこにも不具合はない」

「そうか」

「それよりも、あれだけのことで良かったのか? 仇とやらのことは……」


 ダリアの問いにイアンは頷いて答えた。

 確証といっていいだろう。ファラデーの目的は魔術書だった。何らかの形で白の魔術書と絡んでいることも窺えた。

 彼はイアンを殺さなかった。情けではないだろう。おそらく所有者を殺せなかったのではないか。ならば、院瀬見恭也は生きている。主犯なのか傀儡なのかは分からないが、ファラデーを辿れば必ずや仇敵に辿り着く事が出来るはずだ。


「それは、おいおいになるだろう。先ずは生き延びねば話にならない。助けてくれ、ダリア」

「仕方が無いな」いってダリアが微笑を見せる。つづけて「私はこれで一度死んだ。黒の力で生まれ変わったと思えば気分もいい」


 ダリアの顔は晴れ晴れとしていた。彼女は少女のように佇み柔和な笑顔を見せ左手を持ち上げた。いつの間にか、人差し指にあった指輪が薬指で光っていた。あちらとこちらの風習が同じと言うことはないだろうが……。


「ダリヤ、その指輪、外れたのか?」

「知らないな。どうなのだろうな」

 ダリアが破顔する。


「お、おい」

「それよりも、急ごう。白の軍勢は精鋭揃いだ。戦況は甘くないはずだ」

 イアンは駆け出すダリアの背を追った。迫るのは初めての戦場だった。

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カエル姫と黒の魔術書 楠 冬野 @Toya-Kusunoki

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