最終章


 美花は、母の希望に応えるべく必死に勉強した。

 勉強は美花にとって苦ではなく、むしろ好きなほうだ。それ故、母の教育熱心ぶりもそこまで美花にとっては負担ではなかった。


 父は大学病院の勤務医、母は医学部卒業。両親揃って医学に詳しい。そういうこともあり、美花自身も医者になりたいと思っていた。その夢が、より一層美花の勉学に対する意欲を駆り立てたのだ。


 しかし、毎日、国語や英語や数学などありふれた教科に取り組んでいるうち、だんだんとそれらに嫌気が指してきた。

 新しい知識に飢えていたのだ。

 スポンジが水を吸収するように、美花も多くの知識を得たいと考え始めた。

 医学について詳しく知りたい。


 両親にその事を言うと「まずは大学受験に専念しろ」と相手にされない。そう言われれば言われるほど、医学に対する興味が大きくなっていった。

 

 父からは書斎への立ち入りは禁止されていたが、医学に対する好奇心に勝てずに部屋に入ってしまう。

  

 部屋の書棚には医学関係の書籍が沢山並べられていた。

 数冊パラパラとめくってみる。内容は難しかったが、高校では習わないその知識の宝庫に非常に興味を惹かれた。


 その頃から父の目を盗んで書斎に頻繁に入るようになる。医学の知識も日毎に増えていく。その中で、美花は、人の『死』に対して異常な興味を持ち始める。


 次第に『死』を見てみたいと思うようになる。


 そんなある日――。


 美花は、深夜の物音に目を覚ます。

 自室のドアをゆっくり開けると、向かいの父の書斎に母が入っていくのが見えた。しかも何かを持っているようだ。

「こんな夜遅くに何を?」美花はそういう疑念を持ったまま耳を澄ませた。


 ガラス戸を開ける音がする。おそらく、酒類が入っているガラスショーケースを開ける音だろう。

 お酒でも飲むのだろうか? 美花は不思議に思いつつもじっと母が出てくるまで待った。


 ガラス戸の閉まる音がした。そろそろ出てくる。

 予想どおりに母が書斎から出てきた。でもなんかいつもと違う気がした。


 母が寝室に入ったのを確認し、美花は書斎に入った。

 ガラスショーケースを調べると、あるウイスキーに目が留まった。

 微量ではあるが、白い粉が液体の表面に浮遊していたのである。時間と共に白い粉は沈み始めた。

 この白い粉はなんだろう? 

 ウイスキーの瓶をショーケースから取り出し匂いを嗅いだ。強烈なアルコール臭にむせてしまう。そうこうしているうちに白い粉は完全にウイスキーに溶けてしまった。

 美花は何かワクワクしてきた。何か面白いことでも起きる予感がしたのだ。

 

 翌日――。


 美花は、昼過ぎにいつものカフェにランチでもしながら勉強するために支度した。それが終わると、出かける前に一杯だけ水を飲もうと一階のリビングに向かう。

 リビングのドアを開けると父がソファーで寝ているのが目に留まった。でもなんとなく違和感を覚えた。左腕と左脚がだらりと床に垂れ下がり、生きているような感じがしなかったからだ。


 ――白い粉。美花の頭にそれがよぎった。


 もしかして死んでいる? 興奮気味に父の口元に耳を近づける。しかし、予想に反して、寝息が聞こえてきた。

 寝てるだけか……。落胆しつつ美花は玄関に向かった。

 母の靴が見当たらない。そう言えば昨日出かけるとか言っていたのを思い出した。

 千花の靴はある。どうせ部屋でゲームか絵でも描いているのだろう。

 双子の姉は大学受験をどうするのだろうか、と言う疑問を浮かべながら美花は家を出た。


 カフェに着くと不運にも満席だった。本屋で少し時間を潰して戻ってきても席は空いてなかった。今日は家で勉強しようと、コンビニに寄って昼食を買う。


 家に着くと、浴室からシャワーの音がする。昼過ぎにシャワー? 脱衣場の扉を少し開けると、千花が入っていた。しかも浴室は少し赤みががっている。

 不思議に思いつつ、扉を締め、リビングに向かった。

 リビングのドアを開けた瞬間、頭のてっぺんに雷が落ちたような衝撃が走る――。


 寝ていたはずの父が血だらけで死んでいたのだ……。

 

 一方、千花はシャワー中。しかも浴室は赤く染まっている。

 動機は分からないが、千花が殺したと直感した。


 美花は、興奮しながら死体の写真をスマホで撮った。特に傷口を念入りに。その傷跡からおそらく包丁で指したのだろうと推測した。

 そろそろ、千花が出てきそうだ。

 美花は慌ててキッチンから包丁を持ち出し、玄関にある自分の靴を持って自室に向かった。


 自室に着くと、写真と包丁を見比べながらこう言う風に傷がつくのかと感心した。ノートを広げ、その様子を細かく分析し、死因をノートに書き記した。

 これだけで人は死んでしまうんだ。美花は驚いた。


 暫くすると階段を上がってくる音がした。千花だ! どこに行く気だ? もしかしたら私の帰宅がバレたか? いや、靴もちゃんと部屋まで持って来た。バレてはないはず……。万が一、バレていたら私も殺されるかも知れない。その時はこの包丁で殺してやろう。


 ドアを少し開け、その小さな隙間から息を凝しながら覗いた。

 千花がこっちに近づいてくる。やばいと思ったが、千花は向かいの父の書斎に入っていった。美花は、千花が何か袋のようなものを持っているのに気がづいた。

 

 昨日と同じ、ガラスショーケースの扉が開く音がする。一体何をしているのだろうか? 

 色んな想像をしながら待っていると千花が書斎から出てきた。袋には何か入っているようだ。


 ちょうどその時、玄関のドアが開いた。母が帰ってきたようだ。

 暫くすると、千花は一階に降りて行った。

 リビングから千花と母との激しい言い合いが聞こえる。


 その合間に美花は書斎に入った。ガラスショーケースの中にあるはずの酒類がごっそりなくなっている。これを持って行ったのか。でも何のために? 美花にはその目的が全く思い当らなかった。


 依然二人のやりとりは続いている。その声が書斎にまで響いて聞こえているのだ。その会話にじっと耳を傾ける。

 なにやら千花は『作品』とか『宴』とか言っている。そのために父を殺したのか? 

 美花は嬉しくなった。双子でありながら容姿以外の共通点がなかったが、千花も人の『死』に関して何かしらの関心があると思ったからだ。『死』を通じての美花と千花の共通点。

 さらに千花は、『死』に対して芸術的要素を抱いている。実に興味深い。

 この『宴』とやらに自分も参加したい。『死』を直接体験できる絶好の機会だ。居ても立っても居られなくなり、美花は自室に包丁を取りに戻り、リビングに向かった。


 リビングのドアにはめ込まれてあるガラス部分からそっとその様子を伺う。

 千花の背後が見える。

 徐々に千花の手が袋の中に入っていく。そしてワインとワインオープナーを取り出し、母を殴った。

 千花は笑いながら血で何かを描いている。

 美花も何か嬉しくなり必死で笑いを堪えた。最期に千花自身の死もその作品とやらに加えてあげよう。そして自分はその死を大いに学ばせてもらおう。


 作品が完成したのか、千花がリビングのドアに近づいてくる。

 千花がドアを開けると同時に、美花は笑みを浮かべ、包丁を彼女の腹に思いっきり刺した。

 千花は驚いた様子で目を見開き、しかし声は出さずに静かに息絶えていった。


 美花は、その光景が記憶から消えないうちに例のノートに記録した。それから泣いた声で警察に通報した。

 サイレンの音が近づいてくる。

 美花はなんとも言えない充実感に浸り、薄ら笑いを浮かべた。

 

 多くの刑事が家になだれ込む。

 女性刑事は泣きじゃくる美花を慰め、優しく抱きしめた。

 刑事は美花の証言通り千花による犯行と断定。被疑者の自殺という形で処理をした。


 あれから二六年――。


 美花は、帝都大学病院の教授の職に就任した。『死』についての探究。夢を叶えたのである。

 

 そして、リビングでウイスキーを嗜む。休日の愉しみである。 

 

 真っ赤なで描かれている家族の絵を眺めながら――。

 

 


 

 

 

 


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狂人の宴 椎名稿樹 @MysteryQWorld

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