第三章


 私は、母の悲鳴を愉しみに待っていた。

 しかし、一向に聴こえてこない。仕方なく二階から一階のリビングに向かった。


 リビングのドアノブに手をかけ、いつも通りに開ける。

 茫然と立ち尽くす母の背中が見えた。ドアが開く音に、母は気づいていない様子だ。


 私は夕食の献立を聞くような感じで、母に声をかけた。

「どうかしたの?」

 母は体を一瞬ビクンと震わせ、私に振り向いた。

「ど、どうかしたって……。い、いったい、なにが起きたの?」

 母は凄く動揺しているようだ。


 私は冷静に答えた。

「あー私がお父さんを殺したのよ。ソファーで寝てたところを包丁でね。即死したっぽい」

「えっ……なに言ってるの?」

 母は、私の言動に対して驚きを通り越し、もはや理解不能になっているようだ。


「何って言われても、殺したのよ、お父さんを。それだけよ」

「何で、そんなことを?」

「んー、殺したかっただけよ」

「それだけ?」

「そうよ。何か問題でも? だってお腹が空いたら何か食べるでしょ。眠くなった寝るでしょ。だから、殺したくなったから殺した。ごく自然でしょ」

 私は満足げにそう言った。


 ――リビングに沈黙が走る。


 それを遮るように私は言葉を発した。

「何か言ったら?」


 あれほど動揺していた母であったが、徐々に平静を取り戻している感じがする。私にはそう見えた。

 それにしても、一体何だろうか? この奇妙な感じは。私は、息を凝らして俯いている母をじっと見つめた。母の肩が少しであるが上下に揺すれている。もしかして……笑ってる? 

 私がそういう疑念を抱き始めたとほぼ同時に、母は聞こえるか聞こえないかのギリギリの声量で言い放った。


「まだ子供のくせに――」

 予想外のセリフだ。今までの困惑ぶりとは打って変わって、母は笑みを浮かべている。


「何笑ってんの?」

 私は、母の不気味な変貌ぶりに興味を抱き、その理由を聞いた。


 母は、頭の悪い愚かな人間を見るような目つきで私を見据え、答えた。

「あなた今、殺したって言ったわよね? 違うのよ。もう死んでたのよ。私が殺したの。ウイスキーに毒を入れてね。だからね、千花ちかはもう死んでるお父さんをただ刺しただけ」


 私は、母が何を言っているのか分からなかった。

「はっ? どういうこと?」


 母は淡々とその経緯を説明し始めた――。


 どうやら動機は、母が抱く父への憎悪。しかし、そんなことは私にはどうでもいい。

 自分の中で様々な感情が生まれ、それらがすべて怒りに変わっていく。

 今は宴の最中である。宴は愉しくないといけない。折角母をこの宴に招待し、フィナーレに壮大なを完成させようと考えていたのに。

 私に怒りの感情を抱かせた行為は到底許されない。


 そんな私を他所に、母は声を震わせながら続けた。

「でもいいわ。千花が殺したって事にしといてあげるわ。毒って言っても、体内ではもう完全に分解されているから、私がったって言う証拠はもうないわ。しかもあんたはまだ高校生。罪もそんなに重くはならないだろうしね。あぁー私って運がいいわ。千花もこの方がお望みでしょ」


 私は、母のその言葉に呆れ、声を出すのに二、三秒要した。

「私を売るわけ? あんたの娘よ!」


「娘? こんなイカれた娘なんて要らないわ。私がどんな思いであなたを育てたと思ってるの?」

「育てた? 違うわ。お母さん自身のためでしょ。私のやりたいことはさせてもらえず、ずっと勉強ばかり。お父さんも私のことに興味を示さない。いつも仕事優先。私は医者になんて興味はないのよ! 二人とも私にその道に進んで欲しいだけ。あんたたちのエゴよ! それにあんたもイカれてる。自分の夫を馬鹿な理由で殺したのよ」

「うるさい! 子供には関係ないことよ。じゃー美花は? 同じように育てたのにあなたとは全く違う」


 美花……。私の双子の妹だ。一番比べられたくない存在。


「話をすり替えないで。美花は関係ないでしょ。私と違って美花は勉強が好きなのよ。双子だからって何もかも一緒な訳ないでしょ。美花は医者になりたいようだけど、私はずっと画家になりたかったのよ。でもあんたもお父さんも否定した」

「否定? そんな記憶ないわ」

「……覚えてもないのね。まだ私が小さかったとき、家族みんなの絵を描いた。確か日曜だったわ。あんたにそれを見せたら『絵を描く暇があったら勉強しなさい』って言った。お父さんには『今は忙しいから後にして』と言われた。でもウイスキーを飲んでたのよ!」

「……」

 母は何も言わない。私の目には知らずのうちに涙が溜まっていた。


「千花、あなたの為なのよ。絵を描いたって食べてはいけない。美花はそれをしっかり理解してちゃんと勉強してくれているわ。何であなたは私の気持ちにたてつくの! 私の言う事を聞いておけばいいのよ」

「そういうのが目障りなのよ。私の人生は私が決める。毎日毎日うんざりしてたのよ。でももういいわ。あんたも私のの一部になる予定だったから」

 私はそう言いながら袋にゆっくり手を入れ、新品のワインボトルとワインオープナーを取り出した。

 

 母は私の行動を目で追った後、さっきまでの強い語気が嘘かのように弱々しく、かつ唇を震わせながら声を発した。

「な、なにをするつもり?」

「――宴の準備よ」

 

 私はそう言いながらワインボトルで母の頭を殴り、倒れた母の首にワインオープナーをぶち刺した。

 さっきまで生きていたせいか、父の時よりも勢いよく血飛沫ちしぶきが吹き出した。それはまるでホースの先端を押さえた時にみられる勢いそのものだった。


 次に私は、袋からウイスキーを取り出し、半開きの父の口にそれをぶち込んだ。口から溢れたウイスキーは、まるで滝のように頬を伝い、床にへと滴り落ち、すっかり粘度をもった血溜まりとゆっくり混ざり合った。


 リビングは、まるで宴会場かの如くアルコールの匂いが充満――。

 ワインと血の赤、そしてそれらが混ざり合った赤。それらにさらにウイスキーの琥珀色が混ざり合う。

 この自然が作り出した色で壮大なアートを壁に完成させよう。

 私は両手を使い、一心不乱に創作に取り組んだ。


 ――完成だ。


 あとは美花の帰りを待とう。

 双子でありながら私とは全く異なる価値観を持つ。勉強好きな美花にも宴に参加してもらい、アートの偉大さも学んで頂こう。

 私は大いに笑った。


 まずはこの血まみれの体を洗わなくては。本日二回目のシャワー。

 私は浴室に行こうとリビングのドアを開けた。


 えっ……。

 お腹の中央部に一瞬鋭い冷たさを感じた。腹に包丁が刺さっている。


 薄れゆく意識を失う中、私の瞳には笑顔の美花の姿が映り込んだ……。




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