第二章
加奈子は、子供の頃から負けず嫌いで何事も一番を欲した。
その甲斐あってか、加奈子はスポーツも勉学も学内では常にトップクラスの成績で、しかも容姿端麗。クラスメイトだけでなく、学校の先生からも将来を期待されており、一際注目されていた。
加奈子は、そういう注目を浴びることを好んだ。
いつものように部活を終えた加奈子がお腹を空かせて帰宅する。
「今日、夕ご飯何?」
「ボルシチよ」
母の
「ボルシチ? どこの料理?」
「ロシアね」
聡子は料理が得意で、最近は外国の料理を作るのにハマっているらしい。
「あっ、それより加奈子、あんた来年高三よね? 大学とか学部とかどうすんの?」
聡子は食事の準備をしながらダイニングテーブルの椅子に座っている加奈子に尋ねた。
「帝都大学の医学部に決まってるでしょ」
加奈子は、そんな愚問してくるなと言わんばかりの形相で答えた。
「あんた、何怒ってんの? 怖いわねー。まぁ、あんたの性格なら帝都大と言うとは思ってたけど、そもそも医学になんか興味あったっけ?」
「あるよ」
加奈子は無愛想に答えた。もちろん嘘である。人を助けたいという理由ではなく、単に優越感に浸りたいだけであった。
「へぇー、あんたが人を助けるの? 珍しいこともあるもんね」
聡子は、加奈子の性格から考えて、嘘を言っていると気づいているかのような口調で言い、ボルシチをテーブルに運んできた。
※※※
翌年加奈子は、宣言通り帝都大学医学部に合格した。
しかし、そこで挫折というものを味わう。
帝都大学医学部と言えば、優秀な学生が集まる日本屈指の名門大学だ。
高校時代は優秀だった加奈子も帝都大学医学部では中番くらいの成績。いくら勉強してもなかなかトップクラスにはなれない。上には上がいる。
昔のような賛美はもうここでは得られない。加奈子はそれを不満に思った。
次第に、自分はこの社会に必要とされてないのでは、という根拠のない疑念を抱くようになる。
何か違う。自分は称賛されうる存在だ。
加奈子は注目を求めた。
加奈子は、その持って生まれた自身の美貌に目を付け、より一層磨きをかけた。医学生とは思えない格好で大学に出向き、わざと注目を浴びたりもした。
皆の視線を浴びるのが加奈子には快感だったのだ。
もはや大学内では有名人。もちろん、男性からもモテ、次々と虜にする。
しかし、そろそろ男にも飽きてきた。
次に加奈子は権力に魅力を感じるようになる。
医学部の教授たちを次々に誘惑。全てが自分の意のままになる気がした。
そして加奈子は、一人の男性に狙いを付けた。
男性の名前は、中林建雄。帝都大学病院の勤務医であり、彼の父は、日本屈指の民間病院の院長。いずれ彼もその座に着くだろう。
教授の妻も悪くはないが、もう散々
そして、いとも簡単に建雄を手に入れる。
※※※
結婚後、しばらくして加奈子は妊娠、出産した。
子供が高校生になり、子育てが一段落したある日――。
建雄は少し言いにくそうに話を切り出した。
「加奈子、オレやっぱり大学に残ろうと思う。研究がしたいんだよね。そっちの方がオレに向いていると思うんだ。給料もそんなに悪くないし、生活には支障はない。どう思う?」
「――そう、いいんじゃない」
加奈子は、作り笑いをしながらそう言い放った。
加奈子は薄々勘付いていたのだ。
建雄は民間病院の院長などに興味がないことを。彼は根っからの研究好きだ。
加奈子は、『院長の妻』という肩書きが夢物語になると思うと、建雄に対して少しずつ憎悪を抱くようになった。
加奈子は、異常なまでもその肩書きに執着していたのだ。
やがて、それが殺意に変わってしまう――。
※※※
建雄は、毎週日曜日の昼過ぎにウイスキーを飲む。
銘柄は知っている。そこに毒物を入れ、死に至らせる。
殺意を抱いてから加奈子は、適当な理由を付けて建雄の働く帝都大学病院によく行くようになる。
基本的には部外者は入れないが、加奈子の美貌も甲斐あって、建雄の職場の同僚たちはいつも歓迎ムードだ。
そうして何度が足を運んで毒物を物色した。
医学の知識がある加奈子は、体内で時間と共に生分解される毒物を見つけた。
これで解剖されても証拠は残らない。
しかもこの毒物は、はじめは眠気が襲い、死に至るまでには時間がかかる。よって、それまでは完全に眠っているようにしか見えない。
だから、ウイスキーを飲んだ後、建雄は眠くなり寝室に行くか、一階のリビングのソファーで寝てしまうだろう。
子供は余程のことがない限り寝室や建雄の書斎には入らない。ソファーだとしても寝ているとしか思わないはずだ。
それに子供はほとんどの時間を自分の部屋で過ごす。おまけに思春期なのか、父親には興味がないようだ。
完璧に違いない。
――決行日の前日。
家族で食事中、加奈子は唐突に話を切り出した。
「明日、私、朝からちょっと出掛けるから。多分夕方には帰ってくると思う」
「えっ、そうなんだ。何処に?」
建雄は、加奈子の顔を覗きながら珍しいそうに聞いた。
「あっ、ちょっと、デパート」
「そう。気をつけて行っておいで」
「あなたは何する予定?」
「オレはいつものウイスキーでも飲んでのんびりするよ」
加奈子は確認も込めて聞いた。これで明日決行できる。
一方子供は、夫婦のやりとりには無関心なようだ。
手塩に育てた子供が、母親の動向に興味がないとは少々加奈子もイラつきはしたが、今回はむしろありがたい。
建雄が眠りについた後、加奈子はウイスキーに毒物を入れた――。
――決行日の日曜。
予定通り、加奈子は朝九時過ぎに家を出た。夕方五時くらいに戻ってくればいいだろう。
これで私が疑われることはない、加奈子はそう思った。
しかし、家に戻ってくると予想外のことが起きていた。
リビングは血だらけで、建雄は何者かに殺されていたのだ。
加奈子が茫然と立ちすくんでいると、背後に人の気配を感じた。
娘が笑みを浮かべながら立っていたのだ――。
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