狂人の宴

椎名稿樹

第一章


 私はついに念願の夢を叶えた。


 殺人である――。

 

 ソファーで寝ているところを襲ったのだ。

 首元を包丁で一突き。傷口からは、湧き出る温泉かのように血潮が噴いた。身体はピクリとも動かなかった。おそらく即死。


 壁や天井には、ある種のアート作品が、血飛沫ちしぶきによって描かれた。

 美しい。

 そういう感情を抱きながら、私は、視線の先にある死体を見つめた。


 右手にはまだ血糊のついた包丁を持っている。

 真っ赤な血が、包丁の先端から一定の間隔で床に滴り落ち、少しづつ血溜まりができ始めていた。


 私はゆっくりしゃがみ、死体の頭のてっぺんから足の指先まで舐めるように観察した。

 目は見開き、口は半開きだ。

 左腕と左脚は、ダラリとソファーから垂れ下がり、もはや本来の機能を果たしていない。

 

 それにしても不思議だ。

 人間という生き物は、これほどまでにあっさり死ぬものなのか?

 たった一撃でこの有様だ。実に呆気ない。


 私は死体の上乗っかり、何度か飛び跳ねた。

 何だろうか、この高揚感は。

 確か犬は、相手の上に乗ることによって、自分の力を誇示すると聞いたことがある。何となくその感覚も分からなくもない。


 それに、愉しい――。

 

 私は死体の上で仁王立ちになり、その醍醐味を全身で味わった。

 ひと満足すると、私は、幼い子供が飛び跳ねるように、死体から床に着地し、キッチンへと向かった。


 シンクの横には洗い終わったウイスキーグラスが置いてあった。

 察するにあの死体は、酒を飲み終わった後、グラスを洗い、ソファーの上で眠ってしまったのだろう。

 私は、横目でグラスを見つめながら、スポンジに洗剤をつけ、包丁を丁寧に洗った。


 次は自分自身も洗わなければ。血飛沫がついたままだ。私は浴室に向かった。


 脱衣場に着くと、すぐに血がついた服を脱ぎ捨てた。

 もう血は完全に乾き切っている。

 浴室に入り、シャワーの蛇口をひねる。シャワーの温度で体に付着した血が溶解。浴室の床は瞬く間に真っ赤に染まった。


 全身をきれいに洗い終わり、最後に浴室を掃除した。

 髪を乾かした後、肌についた透き通るような綺麗な水滴をバスタオルで優しく拭き取る。

 私は服を着替え、脱衣場から出た。


 死体の転がるリビングに改めて入ると、鉄を触った時に、指に残るような匂いが充満していた。シャワーを浴びたせいで血の匂いに対する適応力がリセットされたのだろう。

 私は思わず換気扇をかけた。


「さて、次は何をしようか?」

 私は死体に語りかけた。もちろん何も返答はない。


 この死体は、酒を飲み終わり、気持ちよく寝ていたところを私に襲われたのだった。

 

 あっそうだ、愉しませてもらったし、お詫びに宴でも開催してあげよう。


 腐る程飲ましてやるよ――。



          ※※※



 さて、酒を調達しなければ。

 死体が使っていた部屋にたくさんあるはずだ。


 リビングのドアを開け、私は壁を手でなぞりながら階段に向かった。


 階段を上がってすぐそばの部屋がそうだ。


 ノブを回し、中に入る――。


 部屋の中はしっかり整理整頓されている。

 

 入って右側の壁際に、豪華なガラスショーケースがある。その中にワインやウイスキーなど、洋酒がずらりと並べられている。

 そこから適当な酒を、あらかじめ用意していた布製の袋に入れた。


 そういえば、ワインオープナーも必要だ。ガラスショーケースの中には見当たらない。しかし、きっとこの部屋にあるはずだ。


 ショーケースに対して左側――つまり部屋の一番奥――そこにデスクがある。木製の立派なものだ。ここにあるだろう。私は目星をつけた。


 部屋とは違い、デスクの上は紙で散らかっている。おそらく『論文』というものだろう。如何にも大学の研究者という感じがする。

 一番上の引き出しを開けた。

 ビンゴ!

 ワインオープナーを手に取った。

 

 部屋の出口に戻る途中、右手側の壁一面の書棚を眺めた。

 難しい医学系の書籍がたくさんある。タイトル自体、さっぱり意味が分からない。

 医学の研究者が刺殺されるなんて、間抜けだな。私はそう思い、部屋を後にした。


 行きと同様に、壁を手でなぞりながら階段に向かう。


 階段に着き、降りようとした瞬間、玄関のドアが開いた。


 ――どうやら、帰ってきたようだ。


 夫の死体をリビングで発見したらさぞかし驚くだろう。

 いや、その犯人が自分の娘だと知ったときの方が強烈かも知れない。

 しかも私はまだ高校生。


 面白くなってきた。私は母の悲鳴が聞こえるまで階段の上で待つことにした。


 宴は、大勢の方が愉しいからな――。



 


 

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