第55話 夜に紛れて

 夜になるまではあっという間だったように思う。


 キエラの口から不穏な単語が出てくるたびに、俺は妙な焦燥感を覚えていた。一刻も早くサーシャを探しに行きたい、今すぐにでもあの不気味なウサギ顔に再戦を挑みたい──高々数日喋っただけの俺がこれほど焦っているのである。姉であるクエリにとっては落ち着かないどころの話ではないだろう。


 約束の時間になって、俺たちは再び駅の前に集合する。どこで何をやっていたのか分からないが、クエリは多少落ち着いた様子で駅前広場に佇んでいた──背中まで貫通しそうな鋭い眼光は健在ではあったけれど。


「常に周囲を警戒しながら、集団で行動しましょう。視界も暗いですし、万が一と言うこともありますから」


 再び湖畔周辺まで戻ってくると、キエラが落ち着き払ってそう言った。彼女は徐に抜刀し、その白色の刀身を観察するように眺めた。


「レイルさんが昨晩見た謎の人影……状況から推察するに、サーシャさんの失踪と何らかの関係があるのでしょう。重要な手がかりになり得ます。是非とも捕まえて、彼女の手掛かりをつかみましょう」


「いいわ。原型が分からないくらいにボコボコにしてやるから」


「……捕まえるんですよ? 大丈夫ですよね? カッとなって山ごと吹き飛ばしたりしないでくださいね」


「大丈夫よ。あなたこそ本気になって、私たちごと微塵切りにしないでよ?」


 クエリはフン、と息を鳴らしながら、同じく腰の剣をゆっくりと抜く。俺は物騒な発言に苦笑いしながら、躊躇いがちに黒の剣を抜いた──オスローやチリンの聖剣の威力を目の当たりにした後である。二人の持つ代物がどんな類のものかは分からないが、さながらダイナマイト二つに囲まれているような不安感だった。


 昨晩の急展開とは打って変わり、事態は中々進展を見せなかった。剣を構えて臨戦態勢を保ちつつ、湖周辺をさ迷い歩く。しかしお目当ての謎の人形は、今宵は中々姿を現さない。


「昨日姿を見せたから、今日はナシ、ということもあるのでしょうかね」


 捜索開始から二時間ほどが経って、キエラはボソリと呟いた。


「目撃頻度的には三日に一回程度ですからね。十分あり得る話でも……」


「許されないわ、そんなこと! さっさと姿を現しなさいよ!」


 俺の言葉を遮って、クエリが声を荒げる。


「しかし、あらゆることが謎ですよね。どこから来て、どこへ行くのか、歩き回っている目的もさっぱりです。噂を聞くに、普段は歩き回っているだけのようですし。……ケイスさんの説は、そこが謎なんですよね。リーベルンの連中が呪いを吹き込んだ代物を、無意味に徘徊させておく理由がない」


「考えたって無駄です。どうせろくでもない考えで動いているのでしょうから」


と、突然クエリが歩いていた足をピタリと止めた。俺もキエラもびっくりしてクエリの方を見たが、彼女は虚空を眺める猫のような表情で静止している。


「何か見つけたんですか?」


「……いる」


 クエリがそう呟いたので、俺は彼女の視線の先をじっと見る。湖畔から少し離れた森の入り口辺り──俺は必死に目を凝らしてみるが、風に揺れる木々の陰影以外何も見分けることは出来なかった。ちらと見るとキエラも険しい表情で闇の中を睨んでいる。想像するに、彼女も何も見えていないのだろう。


「相変わらず視力がいいんですね。……本当にいるんですか?」


「確かにいる。今度は『ウサギ』ではないようだけど」


 クエリは視線をある一点に固定したまま、遊歩道を外れてゆっくりと歩き始めた。たちまち空気に緊張感が走る。俺はゴクリと喉を鳴らしながら、キエラとともに彼女の後をゆっくりと付けて行った。


「本当にいたわね。でも一体、何をしているのかしら……?」


 数分ほど歩くと、クエリが再び立ち止まった。その位置からは、流石の俺にもようやく"奴"の存在を確認することが出来た──何かが闇の中で蠢いていた。相変わらず輪郭は判然としないが、少なくとも人のような形状を持っていることは分かる。


「本当に"呪いの人形"なのでしょうか? 周辺住民だったりしませんかね」


 キエラは目を細めながら闇の中を見つめている。クエリは呆れたような表情で、


「ハッ、こんな時間に『クマ』の被りものをして歩き回っている周辺住民がいるなら、むしろさっさと叩き切ったほうがいいと思うわね」


と声を潜めて言うのだった。


「どうします? このままゆっくり近づいて行って、三人で包囲するとか……」


 俺は慎重を期してクエリに提案する。しかしクエリは僅かに苦笑して、


「そう上手くいけばよかったけれど。……あいつ、私たちに気が付いたみたい」


 クエリは抜刀した剣を水平に構えなおした──恐らくは彼女なりの戦闘態勢なのだろう。交戦の予感。俺も剣を中段に構えて、剣の柄を強く握りしめる。


「……来る!」


 クエリが叫んだ。俺の目も辛うじて状況を理解していた──森の入り口に佇んでいた影が、こちらに向かって凄い速さで走り寄ってきている!


「二人とも援護をお願い! 私が正面から行く!」


 クエリの勇敢な声が夕闇の中に響き渡る。キエラはその一言で全てを了解したようで、静かな表情で正面を見つめている。一方俺の動揺は収まらず、緊張感に震える剣先を宥めるのがやっとのことだった。


 

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呪いの力で生き返った少年が聖剣使いの少女たちに挑むようです 赤河令 @akorei

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