第54話 操り糸

「で、話を戻しますけれど……」


 キエラはクエリに水の入ったコップを手渡すと、再び俺の前に腰掛ける。クエリは冷水をグイっと一気に飲み干して、ふぅーと唸るように息を吐く。


「サーシャさんを見失ったのは、クレムノ湖の遊歩道辺り、で合っていますか?」


「そのはずです」


「……どうでしょう。とりあえずこれから見に行ってみますか。もしかしたらその辺の草むらの中で寝ているかもしれませんし」


「ちょっと! 他人の妹をなんだと……」


「さあさあ、準備してください。玄関でお待ちしていますから」


 クエリは少し文句の声を上げたけれど、キエラは取り合わずにスタスタと部屋の外へと出て行ってしまった。クエリは少しばつの悪そうな表情でこちらを睨み、


「……さっさと準備して! 直ぐに出発します!」


とキンキン声で叫んだ。



 慌ただしく場所を移動して、昨晩サーシャとはぐれた辺りに到着する。キエラは随分と場慣れした指揮官のような様子で、


「とりあえずこの辺りに手掛かりがないか探りましょう。三人で手分けして、ただしあまり距離を離さないように。レイルさんが見たという謎の人形もまだ徘徊している可能性はありますから」


と声を上げた。


 俺は素直に指示に従ったが、クエリはなんだか不満顔である──恐らくは一刻も早く駆けだして、妹を探し回りたいに違いない。


「警備部の暇な人間を無理やり連れてくればよかったかしら」


 クエリは湖へと続く遊歩道を歩きながら、ボソリと呟く。けれどもキエラは首を振って否定する。


「……もし仮に、この失踪に例の"呪いの人形"が関わっているのだとしたら、あまり良策ではないでしょう。あのサーシャさんが手こずる程の手練れが相手だとすれば、警備部の人間を連れてくるのはむしろ無駄に被害を出すだけです」


「あの連中じゃ歯が立たないって? 中々言うじゃない。フェリたちが聞いたら悲しむわね、きっと」


「事実ですからね。……それにしても"呪いの人形"、ですか。こんな忙しい時に面倒な話です」


 キエラはふう、と重い溜息を漏らしながら、雑草の生えた地面を睨みつけて歩き回っていた。


 三人で湖の周りをぐるりと一周歩いたけれど、サーシャ本人はもちろん、手掛かりになるようなものさえ何一つとして出てこなかった。


「戦闘を繰り広げたような形跡もありませんね。彼女が何を目撃したのかは分かりませんが、それを追ってここではない何所かへと向かった、と考えるのが妥当でしょうか」


「でも、あの子は通信機を持っていたはず。どんな展開になったにせよ、今まで一度の連絡も寄こさないというのは不自然。やはり何か良くないものに巻き込まれて……」


 クエリは自分自身の発言に顔色を悪くしている。


「やはり、レイルさんが見たという"人形"を捕まえてみるしかありませんか。うん、それが一番の近道な気がしますね。……どうでしょう、何かその人形について覚えていることはありませんか? 些細なことでもいいんですが」


「うーん……」


 そうは言われても、俺は奴のデザインの悪趣味さ以外に印象は殆どなかった。奴と相対した時間はほんの僅かであり、じっくり観察するほどの余裕もなかったのだ。


「そもそも論としてですが、その徘徊する人形騒ぎは、俺たちがここに来る前から噂になっていたという話です。目撃情報はきまって夜で、この湖の畔に集中している。……根拠のある話ではないですが、奴としても何か意図があっての行動なのではないでしょうか?」


「ふむふむ」


 キエラは顎の下を撫でながら遠い表情を浮かべる。俺はさらに言葉を続けた。


「夜中にこんな場所を彷徨う理由なんて俺には分かりません。が、奴に明確な目的意識があるのなら……」


「……今夜もまた、そいつが姿を現す可能性はある、と言いたいのですね?」


 キエラの言葉に俺は頷いた。傍で黙っていたクエリは湖の水面を刺すような視線で睨みつけて、


「上等だわ。ここいらで待機して夜を待つことにします。……覚悟しなさいよ。サーシャに何かあったら、粉末以下にまで切り刻んでやるんだから……」


と物騒なことを独り言のように言った。


 夜になったら再び捜索を再開するという話でまとまり、俺たち三人は一旦駅前通りの方へと戻ってきた。通りに着くなりクエリが、どこかに行く用事がある、と言って突然の離脱を求めた。三時間後に再集合するという取り決めをして、俺たちはクエリと分かれた。


「喫茶店にでも入りますか? まだ夜までには時間がありますし」

 

 その場に二人きりで残されると、キエラが通りの店を指さして提案した。否定する理由もなかった。俺はクエリとともに、落ち着いた雰囲気のコーヒーショップの扉を潜った。


「……それにしても、これほど深刻な話になるとは。ある意味では、ケイスさんの読みは当たっていたというわけですか」


 テーブルに座るなり、キエラは深刻そうに溜息を吐いた。


「確か、そのケイスという人がこの調査を依頼したんでしたっけ」


「そうです。あの人は、『リーベルンの手が掛かった何某かが既にエントリアに忍び込んでいて、何やら良からぬことを考えているのでは』と主張していました。私自身半信半疑だったのですけれど……」


「それはつまり……」


 俺は生唾をゴクリと飲み込みながら聞き返す。


「……この"呪いの人形"の騒ぎ、リーベルンの連中の仕業だと?」


「あくまで可能性の話ですが」


 キエラはわずかに目を細めて、小さく頷いた。


 

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