第13話 【十三】


「……若さま……」


 甘美な陶酔感に、全身がふるえた。

 

(一の臣……褒美……)


 あどけない寝顔の前で、必死に平静をよそおう。


(やはり…………稀代の人たらしだ)


「おぬしに褒美を、か。かわゆいことをおっしゃる」


「はい」と、大野は短く答えた。


 それ以上なにか言おうものなら、極限まで高まった感情があふれ、醜態をさらすのは確実だった。


(罵詈雑言を浴びせた軽輩おれを、若さまは変わらず『一の臣』と……)


 感情をもてあます少年を、老臣はしずかに見まもった。


「すなおで、おやさしいところが若さまの美質。

 たしかに殿のおちいさいころにくらべれば、かなり残念な面もおありだが、すくなくとも大御所さまよりは、はるかに……」


「大御所さま?」


「おや、聞いたことはないか? 大御所さまはご幼少のみぎり、カニを踏み潰し、鶏を撲殺する遊びに興じられ、ひそかに『蟹鶏公方』とささやかれていたと」


「カ、カニや鶏を!?」


「想像するだけで身の毛がよだつ。

 なんでも、世の中には、か弱きものを虐待することでおぼえる興奮が、淫欲と似た快楽に感じる者がおるとか。

 大御所さまの常軌を逸したご多淫を思えば、あながちまちがった説とは言えぬ気も……」


(生ある小動物を殺し、興奮……快楽……)


 鳥肌がたった。

 先代将軍は、大野には理解不能な嗜好を持っているようだ。


「わしは……ひとりの武士としては、ご自分の好物をみなに気前よく分け与え、百姓たちの助命を訴えて倒れる御子にお仕えできてしあわせだ。

 たとえ、あの三佞人のような破格の加増をされたとしても、大御所さまの下で働きたいとは思わぬ」

 

 山川は、会津武士として絶対に言ってはならない言葉を、サラリと言い放った。


 かつて無抵抗な小動物を殺して愉しんだ家斉は、将軍位を息子にゆずった後も実権を手放さず、愛妾にねだられるまま理不尽な領地替えの命令を出し、おもねる近臣ばかり取り立て、いまだに多くの妻妾と淫行にふけり、湯水のように金を使いつづけている。


 子どものころ、ちいさな生き物が苦しんで死んでいく姿に快楽しか感じなかったように、酒井や百姓たち――下の者の痛みや苦しみには目もくれず、まつりごとを私し、強権をもてあそぶ老人。


 もし、自分の主君がそんな人物だったら?

 生涯、そんな男に仕えなければならないとしたら?


 顔を強ばらせる少年に、山川はちらりと視線をはしらせた。


「のう、大野、おぬし、己がめぐまれているとは思わぬか?」


 意表をついた問いかけに、大野は面食らった。


「そ、それは?」


「おぬしはなにかというと、『昌平黌に通いたかった』と不平ばかり言うておるが、はたしておぬしはそれほど不遇か?」


「い、いえ……」


「わしに言わせれば、相当めぐまれていると思うぞ?」


「めぐまれて?」


「そうではないか。たしかに殿は通学を約束なさったかもしれぬ。

 だが、殿とてすべてを予見できるわけではない。

 ご自分が半年も早く召還されることも、若さまがおぬしを気に入り、号泣して外出を阻止なさることも知らずに約束されたのだ。それをいつまでも言いつづけるのはいかがなものか」


「……おっしゃるとおりにございます」


「考えてもみよ。おぬしが師事する渡辺崋山殿は当代一の識者であり、大蘭学者ではないか」


 渡辺は蘭学・画だけでなく、若きころは昌平黌で武士の基礎学問・朱子学を修め、のちには佐藤信淵から農学農政学を学んでいる。


「それにな、来月よりは安積艮斎殿が講義にきてくださることとなった」


「あ、安積先生が!?」


 安積艮斎は、昌平黌を代表する大儒者・佐藤一斎の高弟で、いまは駿河台の小栗豊後守邸の一隅を借りて、『見山楼』という私塾を開いている。


「うむ。安積殿は多くの門人をかかえる多忙な身ゆえ、そうたびたびは通っていただけぬが、時間のゆるすかぎり来てくださるそうだ」


「この屋敷に安積先生が?」


 望外すぎる朗報に思考が追いつかない。


「安積殿は、渡辺殿とは佐藤一斎先生門下の相弟子で友人同士。こたびは渡辺殿の依頼を椿殿が仲介してくださり、実現の運びとなった」


「そのような御縁で……」


「また、先日お運びくださった松崎慊堂こうどう先生は、昌平黌における渡辺殿の恩師。

 先生は捕らえられた愛弟子のため、ご老中の水野さまあてに病身をおして建白書を提出なさった。

 水野さまは渾身の書に深く感じ入り、おかげで渡辺殿は減刑され、謹慎処分ですんだのだ」


 どうやら渡辺が会津藩邸ここに入るまでには、容敬だけではなく、多くの人たちの懸命な尽力があったようだ。


「これほどの大儒が来てくださるのも、わが殿が渡辺殿を庇護し、田原の実家を援助しているため。

 ご友人がたはそのことに恩義を感じ、当家に便宜をはかってくださるのだ」


「わかっております」


「わかっておるなら、おぬしもいいかげん大人になれ!

 いつまでも手に入らぬものばかりを歎くのではなく、おぬしがあたりまえだと思うておるものが、むしろ他者から見れば垂涎の的なのだぞ?

 松崎慊堂・渡辺崋山・椿椿山・安積艮斎……昌平黌にも引けをとらぬ、すばらしい教授陣ではないか?

 かような方々の講義が聞けるなら、乳母でも傅役でも、よろこんで務めようと申し出る者はいくらでもおるわ」


「……はい……」


「そして、これらはすべて、おぬしが若君の近習をしていればこそ、受けられる余得。

 己がどれほど恵まれているか、いま一度かえりみるがいい。それに……」


 山川は一瞬ためらったのち、ふたたび言葉を継いだ。


「これは言うまいと思うていたが、殿が渡辺殿を侍読になさったはおぬしのためなのだぞ?」


「それがしの?」


「殿は、若さまのせいでおぬしが通学できないことを、ひどく気にかけていらっしゃった。

 殿ははじめ、あの学習室でご自分が渡辺殿から画を習い、教授料名目で支援をしようとなさっていたのだ。

 ところが、渡辺殿も強情でな。画の指導という、いかにも見え透いた申し出を断られた。

 なれど、おぬしが通学を断念したと聞き、『若者から学問の機会を取りあげてはならぬ』と、侍読を引き受けてくださった。

 まぁ、侍読となられたことで、いままで固辞していた支援も、『月並銭なら』とようやく承諾してくださり、殿としても一年越しの懸案が解消されたというわけだがな」


(そういうことか)


 渡辺がこの屋敷に来たのは約一年前。

 そして侍読になったのは、この正月明けから。

 なのに、囲い屋敷の中には学習室に使える部屋がすでに用意されていた。

 それがどうも腑に落ちなかった。


 つまり容敬は、実家への資金援助を渡辺が素直に受け取らないだろうと見越して、謹慎部屋隣室を教場に使えるよう、あらかじめ設計しておいたのだ。


「若さまは満四歳。まだ読み書きも満足におできにはならぬ。 

 いくらご嫡男とはいえ、そのような御子に、渡辺殿ほどの大学者をつける必要があろうか?

 芝には日新館教授もおるし、読み書きだけなら、わしやおぬしでじゅうぶんではないか?」


「たしかに、それがしも入学するまでは、父に読み書き・四書五経を習いました」


「であろう? 若君侍読というは建て前。そうでも言わねば、また西郷たちがうるさいでのう」


「建て前……」


 家老の西郷らは、山川だけでなく、藩主の容敬がなにかしようとするたびに文句をいう。

 当然、渡辺を引き取るときも、強硬に反対したらしい。

 もし、教授料として支払われる金が、家臣のための支出だと知れたら、大さわぎになるのはあきらかだ。


「すべては、おぬしら若い藩士によい学問の場を作ってやりたいというお考えからはじめられたこと。

 そのお心も知らず、不満ばかり言いつのるおぬしは、幼児おさなごと同じだ」

 

「殿が……学問の場を?」


 そんなことが……?

 一家臣への贖罪の念から学問所を作った?

 わが殿が……おれのために……?


「さようなこととは存じませず……」


 大野は目の前の老臣にむかって、深く頭を下げた。


(おれは……めぐまれている)


 心底そう思った。


 容敬のような開明的で慈悲ぶかい主君。

 幼いながら下のものを思いやれる若君。

 そして、厳しく、だが親身になって導いてくれる山川や椿たち。


 それなのに、自分はこの僥倖に感謝するどころか、不平ばかり鳴らして。

 

(なにを学んできたのだ、おれは?)


 藩校では優秀・逸材とみなに称賛されていたのに、実際に社会に出てみたら、自分には見えないものだらけ、足りないことだらけ。

『日新館一の秀才』――誇りにしてきたこの肩書きが、いまはひどくむなしく思えた。

  



 東側の襖がしずかに開き、退出した御殿医がもどってきた。

 

竹瀝ちくれきとレンコン湯をお持ちしました」


 竹瀝は切った竹をあぶったとき出てくる油で、熱さましに効く。

 また、レンコンも熱に効果があり、皮ごとすったレンコンの節にショウガ汁をくわえた湯は、大野も子どものころ飲まされた覚えがある。


「つぎにお目ざめになられましたら、これを飲んでいただきましょう」


「そうだな。よう眠っておられるゆえ、わざわざ起こすまでもなかろう」


「はい、いまはそのほうがよろしいかと」


 小声で答えた御殿医は、褥の反対側に座り、薬の載った盆をわきに置いた。

 

 それを見届けた山川は、大野をふり返り、


「おぬしはもう下がれ。今宵は泊番ではなかったはず」


 山川が言うように、今日は朝番だったが、一連の騒動でこんな時間になってしまったのだ。


「なれど、ご家老……」


「どうした?」


 躊躇する少年に、山川は不審そうな目をむける。


「若さまが袴を……」


「袴?」


 見ると、大野の袴を金之助がしっかりにぎっている。

 さっき掴まれたらしい。


「ははは、おぬし、よほど気に入られたようだな」


 噴き出す老臣に、弱々しくほほえみかえす少年。


「しかし、ムリに外せば起きてしまわれそうだのう」


「今宵はここにおりまする」


「よいのか?」


「たぶんご不快(病気)ゆえ、お心細いのでしょう」


 とは言ったものの、大野はここに――金之助の傍にいたかった。

 なにしろ、子どもはかんたんに死んでしまう。

 さっき目の前で倒れたあの姿が脳裡に焼きつき、このまま勤番長屋に帰っても、眠れないような気がした。


「おぬしがよければかまわぬが。では、わしは役宅に帰るゆえ、なにかあったら呼べ」


 そう言い残し、山川は足音をたてないよう気を使いながら、そっと座敷から出ていった。



 山川と入れ替わるように、ふたりの小姓が入室してきた。泊番の同僚だ。

 大野はかるく会釈し、これまでの経緯を伝えた。


「ほう、今宵は大野といっしょか?」

「ふふ、それは助かる」


 ホッとしたように笑い、大野のとなりにすわる先輩たち。


(そうか)


 いままで大野は、先輩たちに長時間の近侍を不当に押しつけられていると思いこんでいた。

 しかし考えてみれば、大野が学習室に行っているあいだの穴を、この先輩たちが補助してくれていたのではないか。

 近習の仕事は主君に近侍するだけでなく、一日の行動予定に沿った準備・連絡・調整・後始末など、見えないところでの作業も多い。

 大野が若君の傍にいるあいだ、先輩たちは裏でそうした段取りをととのえてくれていたのだ。

 だが、彼らはそれについて、ひとことも言わなかった。 


(そのおかげで、おれは……)


 自分が学問をつづけられた陰には、無数の支えがあったのだ。

 

 主君にめぐまれ、上役と師にもめぐまれ、同僚にまでめぐまれ……。

 だが、自分はいまのいままでそれに気づいていなかった。


(なさけない)


 思索にふけりながら、無意識のうちに袴をつかむ手をぼんやりなでていた。


「ぐふふ」


 若君が不気味に、しかしやけに満足そうに笑った。


(……!?……)


 もう一度もみじのような手をなでなで。


「ぐふぐふ」


(なぜだ?)


 ふと、自分が幼いころ、熱を出して寝こんだとき、母が一晩中手をにぎってくれたのを思いだした。

 苦しくて目覚めると、そこにはいつも母がいて……。 

 いや、物心ついてから故郷を離れるまで、自分の傍にはいつも両親がいた。


 だが、金之助のまわりにいるのは他人だけ。

 容敬は金之助の父であると同時に、何万人もの生活を背負う大藩の領主。

 息子のために時間を割きたくとも、ままならぬ身だ。


 だとしたら、実母ばかりか乳母からも離された不安な夜に、子守唄を歌ってくれる近習がいたら、毎晩いてほしいと願うのも当然ではないか?

 そんなささやかな望みを、単なる『わがまま』と決めつけてしまっていいのだろうか?


「乳母でも傅役でも、よろこんで務めようと申し出る者はいくらでも」


 老臣に言われた言葉がよみがえる。

 

 たしかに、日々一流の学者から学ぶことができるなら、どのような勤めも苦にならないという好学の士はいくらでもいるはず。

 なのに、自分はその厚遇をありがたいとも思わず、違約をうらむだけだった。


 ならば……そろそろ主家から受けた御恩を返すべきではないのか?

 渡辺崋山の友人たちのように。


(添い寝……か)


 金之助の乳母の言葉を反芻する。

 さっきは屈辱のあまり憤慨したあの提案を。


(ひと月くらいなら)


 大野の心はふしぎなくらい凪いでいた。


 ――若さまが安眠できれば、みなが助かる――


 毎夜寝かしつける苦労がなくなる同僚が。

 睡眠がとれ、病がちな身体が改善されれば、殿や傅役の山川さまが。


 おれが一時いっとき不自由をがまんするだけで。


 ためしに、袴をにぎる手を両手でつつんでみる。

 やはり子どもはうれしそうにニンマリ。


(おれにできる……いや、おれにしかできないやり方で恩返しを……)

 


 小さな決断をした少年のまわりには、一月のつめたい夕陰がひろがりはじめていた。



 * * * * * * * * * * * * * * * * 


○天保十二年 閏一月七日  大御所・徳川家斉 病没 享年六十九 


○ 同 年  閏一月三十日 喪が発せられる


○ 同 年  五月十六日  川越藩養嗣子・松平斉省 病没 享年十九  


○ 同 年  六月初旬   庄内の百姓出府につき、南町奉行所の詮議はじまる


○ 同 年  七月十二日  月番老中堀田正篤より三方国替え停止が通達される


○天保十三年 四月十四日  酒井忠器、騒動の責任をとり隠居 忠発、襲封 




○嘉永五年  二月十日   会津藩主・松平容敬 病没 享年四十七


○ 同 年 閏二月十五日 容敬世子・容保、襲封 若狭守から肥後守に転任

          大野冬馬 小姓頭就任にともない百石の加増 高士となる



  ――なお、越訴による処刑者は無し――



                    【了】



[高士:会津藩では三百石以上の上級藩士は『高士』と呼ばれ、特に重んじられた]


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天保十二年 辛丑 一月 岩槻はるか @totopomu

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