第5話 「オイ、いい加減にしろよ……」と元勇者は怒りを露にした

 異世界から無事に日本に転移したことが分かった怜士は、シルヴィアを伴って緑地公園を出ることにした。


 見知った場所に転移できたのは、まさに僥倖だった。また、この地から自宅まではそれほど遠い距離にないため、簡単に帰宅できることも怜士にとっては有難い話だった。「聖女と一緒だと、良いことが起こるんだな」と極めて暢気に考えた怜士だが、ここからは彼にとって頭を悩ませる、苦行の時間となった。




「レ、レイジ様! 馬もいないのに、勝手に動き出しました! 何ですか、この速さ!?」

「シーッ! もう少し静かに!」


 看板を発見した地点から道沿いにさらに歩き、緑地公園の最寄りの停留所でバスに乗車したが、異世界人のシルヴィアにとって、ここから先の見るもの成すことの全てがカルチャーショックに値する。つまり、シルヴィアは騒がしいのだ。


「レイジ様! 凄いです! これだけの速度でありながら揺れは僅か。座席もフカフカです!!」


 怜士が魔法を見て驚いたように、シルヴィアも科学技術に触れて驚きを隠せないようだ。


(隠して欲しいな、その驚き。まあ、気持ちは分かるけどさ。仕方ないことだとは思うよ? でも、とにもかくにも、今のシルヴィアは目立つんだよ、メチャクチャ……)


 召喚の祭壇から無理矢理ついて来たシルヴィアの今の服装は、淡いピンク色のドレスだ。頭には王女の証である光り輝くティアラ。首元には聖女の象徴であり、高い魔力を秘めている水晶をあしらった白銀のペンダント。女優やモデルも裸足で逃げ出すほどに端麗な容姿。どの要素も、現代日本では目立って仕方ないのだ。数少ないバスの他の乗客の視線はずっとシルヴィアに注がれている。


「ね、ねえ、シルヴィア? 他に人がいるからもう少し落ち着いて……」

「さて、これは何でしょうか?」


 怜士がシルヴィアを落ち着かせようとしたその時、彼女は不意に手を伸ばした。


「ああ、それはダメだ!!」


 シルヴィアの手を怜士は力強く握った。


 彼女が伸ばした手の先には、バスの停車ボタンがあった。危うく、降車する羽目になるところで、怜士は溜息を漏らした。誤操作ということで謝ることもできたが、現代に戻り、ただの高校生に戻った元勇者に、その度胸はなかった。




「何とか暗くなる前に戻って来れたか、懐かしいぞ、我が家よ……」


 怜士は目の前にある家屋を見上げながら言った。彼をよく見ると、目は潤み、鼻をすすっている。


 これこそ、怜士が幼少期から暮した自宅なのだ。異世界で過ごした月日は二年。かつてこれ程までに家を空けたことは無い。未だ十代の彼にとって、今回の帰還は実に感慨深いものだったのである。


「さて、問題は二年も行方を眩ませていたことだ。きっと警察沙汰になってるだろうな。母さんにどんな顔して会えばいいんだよ……」


 門をくぐるだけという所で、怜士は悩んでいた。


 高校生が突如として消えたのだ。家族や友人、その他にも多くの人間に迷惑を掛けたことは容易に想像できる。先程までは「家に帰る」ということに全ての意識が向いていたが、どの面を下げて親に会うべきか、全く考えていなかったのだ。


 ふと、横にいるシルヴィアに目をやると、彼女も何か考え込んでいる様子だ。


「ん? シルヴィア、どうかした?」


 心配になり、怜士は声を掛けた。


「はい、レイジ様のご家族にどのようにご挨拶をすればいいものかと考えていました」


 怜士はここでようやく、イレギュラーな存在について思い出した。それがこのシルヴィアだ。


(ああ、そうだ。そうだよ……)


 彼女のことを何と説明すればよいのか、全く考えつかない。異世界人のシルヴィアを放り出すなど、もっての外だ。怜士自身がどうにかして面倒を見るしかない。しかし、戸籍も何もかもが曖昧な彼女をどう扱えばいいのか、一向に答えが出ない。自宅の前で悩み続けていると、背後から声が聞こえて来た。


「ママー、お姫様~!」

「そうね、お姫様ね。とっても可愛いけど見ちゃダメよ! あれって、特殊なプレイかしら……」


 小さな子どもとその母親が通りかかり、怜士とシルヴィアを見てあらぬ誤解を招いているのだ。正真正銘のお姫様であることに間違いはないのだが。


 この他にも、コソコソと話しながら通り過ぎる人間が何人もいる。


「う~ん、仕方ないな。シルヴィア! とりあえず家に入ろう!!」

「は、はい!」


 勇者や聖女という崇高な存在へ向けられる視線や声援にはある程度慣れているが、今は全く状況が違う。




 怜士は周囲の視線と話し声に耐えられなくなり、シルヴィアの手を取って、自宅の門を開けたのだった。


「た、ただいま帰りました~」


 待ちに待った二年越しの帰宅。ドアを開けた怜士のその第一声は間の抜けたものだった。


 靴も脱がず、シルヴィアとともにその場に立ち尽くしていると、廊下の奥の部屋から女性がひょっこりと顔を出した。


「う~ん? 何よ、怜士。そんな所に突っ立ってないで、さっさと上がればいいじゃない。それより、今日は少し遅いのね」


 女性の正体は怜士の母親である志藤真奈美しどう まなみだった。


 真奈美はそう言って、すぐに部屋に戻っていたが、それを見た怜士は冷静ではいられない。


(ななな、何で、平然としているの!? 息子が二年ぶりに帰って来て『今日は少し遅いのね』って、おかしいぞ! あれか、新手のお仕置きか!?)


 冷や汗を流す怜士を見て、シルヴィアは苦笑するほかなく、どう声を掛ければいいのかさえも分からなかった。


 すると、奥からドタドタと大きな足音が響き、真奈美が玄関へと走って来た。


「れれれ、怜士! あああ、アンタ、その女の子は!?」


 血相を変え、慌てた様子の真奈美は、シルヴィアを頭から足先までまじまじと見ている。


「ああ、えと、この子は、その……」


 混乱している怜士が言い淀んでいると、真奈美の方が先に言葉を発した。


「アンタ、高校二年生にして、や~っと、彼女を家に連れて来たのね!!」

「ハ、ハァ!? 何言ってんの!?」

「照れるな、照れるな、息子よ~!!」


 真奈美は勝手に勘違いをしたようで、これも母親としての性さがだろうか。一人息子の初めての彼女に興奮を隠せないようだ。


 怜士は年甲斐もなく興奮する母親の様子に呆れ、何も言葉が出ないようだ。すると、シルヴィアが怜士の袖を引っ張り、小声で話し掛けて来た。


「あの、レイジ様、“カノジョ”とは一体?」


 シルヴィアがいた異世界で「彼女」という言葉は、所謂「恋人」の意味を含まず、ただの人称代名詞に過ぎない。故に、シルヴィアは怜士の母が何を言っているのか理解できなかったらしい。


「ああ、彼女っていうのは、男性と交際関係にある女性、簡単に言うと、“恋人”のことを指すんだよ」

「ここ、恋人!!」


 途端にシルヴィアの顔は驚喜の色に染まった。


 怜士は、母親に事情を説明しようとすると、シルヴィアが目を輝かせながら真奈美に向かって話し掛けた。


「初めまして、私、シルヴィア・グランリオン・マルテールと申します。私、レイジ様の“彼女”です!!」

「ちょっとシルヴィアさん!?」

「あら、やっぱり!! ていうか、何? 外人さん? 髪、キレイ! 肌、超白い! 超が十個は付くくらいの美人じゃない!! 分かった、怜士! アンタはこの娘の弱みでも握ったんでしょ!? そうじゃなきゃ、アンタなんかが付き合えるはずがないわ。このろくでなしの馬鹿息子がっ!! 死にさらせ!!」

「何故、息子の善の心を信じない!?」


 シルヴィアの肯定で真奈美はシルヴィアを怜士の恋人だと思い込んでしまったようだ。今のところはそういった関係ではないため、怜士は説明を使用するが、真奈美は途中から、不釣り合いな二人を意識し、実の息子をろくでなし呼ばわりしている。


「よ、弱みを握るなど、そのようなことはありません。私は心の底からレイジ様をお慕いしております! そう、心は鷲掴みにされています!!」

「ええっ!? そうなの!? そうか、超強力な催眠術でそういう風に思い込ませているのね……!!」

「そんな馬鹿なっ!!」

「……ていうか、その恰好で様付けさせるなんて、一体アンタはどういう趣味の強要を!?」

「オイ、いい加減にしろよ……」


 怜士は真奈美を落ち着かせ、シルヴィアの口を塞ぎ、一度リビングへ向かうことにした。


「ん? どうしてシルヴィアと母さんは言葉が通じて会話ができる?」


 ここに来て漸く、怜士は「会話の成立の不思議」に気付いた。




 落ち着いた怜士とシルヴィアはソファに座り、真奈美は三人分のお茶を入れている。


 これから怜士はこの二年間のことを正直に話すつもりでいる。当然、信じてもらえないような話だが、シルヴィアがここにいる以上、多少は信憑性が増すだろう。時間が掛かっても、自分の親には真実を知ってもらいたいと怜士は考えていた。


「はい、緑茶よ」


 真奈美が湯飲みを置き、二人とテーブル越しに向かい合うように座ったところで怜士が口を開いた。


「母さん! 二年も勝手に行方を眩ましていてすみませんでした。とても心配と迷惑を掛けたのは分かっているつもりです! ただ、その前に俺の話を聞いて欲しいんだ!!」


 立ち上がり、頭を下げてつらつらと謝罪と反省をする怜士を見て、真奈美は口をポカンと開け、怪訝そうに我が子を見た。


「……アンタ、どうしたの? 何を言ってるのよ? 頭でも打った? 病院、行く?」

「え?」


 怜士は、真奈美の言葉が理解できず、下げていた頭を上げ、真奈美を見た。


「二年も行方を眩ますって、アンタ今日も普通に学校に行って、ただ帰って来ただけじゃない。本当にどうしたのよ……」

「うん? いや、だって俺は……」


 噛み合わない話に怜士も疑問を抱き、さらに言葉を紡ごうとしたところで怜士の目に壁掛けカレンダーが映った。


「へ? 二〇一九年、五月……?」


 流れているはずの二年という時間が流れていない。これが何を意味するのか、怜士は理解が追い付かず、間の抜けた顔でただただ固まることしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

帰って来た元勇者のRe:START 水穂 史 @may-say

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ