第3話

「最近の若者って、すげえのな」

「何の話」

山田と幸田は、夕飯の買い出しのため、商店街を歩いていた。

「いや、見ろよあれ」山田は車道を挟んだ、向こう岸の歩道を指さした。「怪しそうな男と、制服の男」

幸田が言うとおり見やると、確かに何か訳がありそうな二人が話しているのが見えた。混ぜるな危険、という言葉が頭に浮かぶ。

地べたに置いたちゃぶ台の前の男は、灰色のパーカーを着ていた。座り、フードを被っているため、顔も身長もわからない。不気味、というのが印象だった。

対して立ったまま話しかける制服の男は短髪で、真面目そうな印象を受けた。いや、素直そう、と言うべきか。

「怪しい主教の、勧誘にも見える」

「ああ、見えるな」

山田は、パンパンに膨らんだレジ袋を指に引っ掛けるように、持ち歩いていた。その日も、幸田の家で鍋を突く予定だったのだ。

「え、今日も来るの」

「だって。捕まえてやんねえと」電話越しに山田がそう言ったのは、2時間ほど前のことである。

前の番は、雪だるまを作り上げた後、夜食を近所のモックに買いに行き、その帰りはレンタルビデオショップで映画を借りた。

少年が怪しげな博士の発明で過去に跳ぶという、有名らしい映画は予想以上に面白く、結局三部作全部を一晩を消化することになった。

夜ふかしの末、次の日昼に目覚めた彼らは驚きの光景を目にすることになる。

それは山田が幸田の部屋を出たすぐに発見された。

「おい、幸田、出てこい」と荒っぽく呼ぶ。幸田は眠たい目をこすり、ついていくことにした。事件は幸田の暮らす、安アパートの直ぐ前で起こっていた。

「これ、誰が」山田はかんかんだった。

雪だるまが破壊されていたのだ。


近所の子供の仕業だろうに、と山田には言ったのだが、頑なに聞こうとしなかった。

「いや、誰か犯人がいるはずだ。俺の傑作を、許せねえ」

山田は、芸術には人一倍敏感な男であった。

しかしやはり、と幸田は反論した。が、こうなった山田は止められない。これは、昔から二人の中では常だったので、更に反論が来るだろうことを、幸田は了解していた。

「わかったよ。じゃあ」そう言って山田はスマホの天気予報を幸田に向けた。「賭けだ。これで明日も壊されてたら、犯人がいるってことだろ。賞金は…そうだな、鍋の代金でいいか」

天気予報によると、今晩も大雪らしい。

二人とも賭けには負けないだろうと考えていたので、鍋の材料にはそこそこ高い肉が用意された。


「昨日のあれ、3までなのか。もうちょっと、大事に見ればよかった」

「ちょうど昨日のお前に教えてやりたいな」

「全くだ」

鍋がぐつぐつと煮えてきたのがわかる。蓋の丸い小さい穴から、湯気が吹き出しているのが見えた。

「そろそろ」そう言って山田は蓋に手をかける。

湯気の塊が飛び出し、良い茶色をした牛肉が彼らを迎える。

「やっぱり冬だから、毎日鍋でも飽きないよな」

「待てよ幸田。これ、味付け替えたらすき焼きにもなるんじゃね?」

「今からでも間に合うか?」

「任せろ、醤油とみりん、あと砂糖もってこい」

「了解。生卵も、だな」

幸田が冷蔵庫に走る。

すき焼きを終えた彼らは、アパートを出ることにした。

「別に顔まで同じにしなくても」

「いいんだよ。犯人も人間なんだ。同じものがあったほうが、罪悪感、感じるだろ」

よいしょ、っと山田が抱えた雪を雪だるまに貼り付ける。そこから削っていくこだわりがあるようだった。

「子供がいちいち壊したやつの顔、覚えてるかな」

「犯人だっての」

やがて、できた、と山田がない汗を拭う。

「凄い。昨日と寸分違わぬ形、位置、大きさ、向きだ」

「だてに美大受かってないぜ」

更にこだわりたかったのか、山田はわざわざつけた鼻を、雪玉で落とそうとしていた。「これがアートだ」などとよくわからないことを呟いている。

「よし、じゃあ、これが明日犯人に壊されていたら」

「お前がすき焼き代を払うんだ」

3月の雪はその名前によらず、どんどん強くなる威勢を見せ始めた。




「あら。昨日の帰りには壊れていたのに」

そう言って広河原敦子は駅へと向かう足を一時停めた。「それにしても、かなり精巧に作られているのね」

敦子が体を動かしたりしてその雪だるまをじっくりと見つめていると、背後のアパートから二人の青年が飛び出してきたのだった。敦子はその様子に不信感を覚え、警戒する。

「犯人ですか」そう失礼に言葉をぶつけてきたのは青年の二人の背の低い方だった。

「おい、辞めなって。別に普通に歩いてる人だろ。すいませんね、朝から」もう片方がそれを制する。その様子に、クラスの仲良く話しかけてくれる女子生徒を思い出す。

「犯人、って。何かあったんですか」敦子は生まれ持っての正義感から、失礼な言葉の不快感などはもう、犯人、という物騒な言葉に流されていた。

「昨日もここ、通りました?」背の低いほうが聞く。

「ええ、通りましたけど」

「朝?夕方?」

「どっちも。朝には壊れてて、夕方には壊れてましたよね」

二人の青年は顔を見合わせた。「やっぱり」と声が上がる。

「それが、どうかしたんですか?」

背の低い方は、「僕は、山田という者で」背の高い方を指さして、「こっちが幸田」と紹介した。「実は、雪だるまを壊した犯人を探していて」

幸田は不満そうだった。「だから、子供の仕業だって」などと呟いている。

「そうですか。いや昨日も、あんなにきれいな雪だるまがあったものですから。時間をループしちゃったのかと思いましたよ」

「壊した人とか、見てませんよね?」

「いや…見てはいませんけど。そもそもこの近辺は、いたずら心で雪だるまを壊すような小さな子は、住んでいないじゃないですかね。あなた達みたいな、学生ばかりがいるイメージだけど」

「なるほど」山田は思案顔だ。「じゃあ、犯人に手加減する必要はありませんね」

敦子は苦笑いをした。「ほら、困っているだろ」幸田が制す。

敦子が腕時計を見やると、もう電車の時刻が近かった。

「じゃあ、私、これで。あなた達は、大学生?」

「高校生最後の春休みです」

敦子は微笑んだ。「そう。じゃあ、楽しんで」


慣れないが走った甲斐もあり、敦子はなんとか電車に間に合った。無事、ショートホームルームの始まる少し前、教室に到着する。

その日は、敦子に話しかけに来る生徒はいなかった。別に彼女がなにかしたとかいうわけではない。天気のようなものだ。来る時は来る、来ない時は来ない。そんなことに一喜一憂するほど、教員経験が浅いわけではない。

チャイムが鳴る。

「きりーつ、気をつけ」


「礼」

京子が何やら怒っているようだ、と感づいたのは今日の朝のことだ。様子がおかしかったのは昨日からで、言葉数が極端に少ないのだ。その時に気がつけばよかったのではないか、と言われればそれまでである。ただ、そのときはお腹でも痛いのかと、無神経に心配していただけだった。

「おい、赤川」後ろの男子の声に、はっとする。「プリント、回してくれよ」

「昨日は寝ていたくせに」

「寝てねえ、思案してたんだ」

へえ、と雑にプリントを後ろに回す。

何がいけなかったのだろう。学校帰り、塾帰り、2日連続のモック、寝る前のライン、全てを高速で、頭の中で再現していく。

その中で、一つの思い出が引っかかる。


学校帰りのことだった。

灯は自転車を押し、京子は学校の最寄り駅までの道を歩いていた。毎日帰りは駅で別れるのが習慣となっていた。

「…ねえ、灯。あんたに聞くのは無駄なのかもしれないけれど」京子は少し話しにくそうに、そう言った。「灯は、恋、とか、してるの」

「え?なんて」普段の声と比べて明らかに小さかったので、聞き取るのが難しかった。

「だから、恋」

「鯉?」灯は手でヒレのマネをし、口をパクパクさせる。

「違う、恋。ああ、あんたに聞いたのは無駄だったかも」

「エル、オー、ブイ、イー、の?」「そうよ。それ」

んんん、と灯は考えるふりをする。「してない」

「意外でも、ないけど」

「てか、この学校で恋しろ、というのも無理のある話よね。男子は全員妥協ライン。そのくせ、女子の顔面偏差値は無駄に高いんだもの」

「いや、私はそうは思わないけど」

「え、まさか好きな男子でもいるっていうの?」

「いや、そういうわけでは…」「だよね。だとしたら、京子に視力検査でもしてもらっていたとこだよ」

京子は、はは、と苦そうに笑っただけだった。


絶対あれだ、と灯は教室の端の方の席で頭を抱えていた。なるほど、京子は私に恋愛相談をしたかったのだ。

しかし、と考え直す。これは厄介だ。今更話をぶり返しても、更に鬱陶しく思われるだけだろう。灯はテストの点こそ良くはなかったが、そこまで人の気を考えるだけの心は持っていた。

よし、と心を決める。ジュースでも奢ってやろう。

それで気が収まるのなら、安いものだ。ショートホームルームはとっくに終わっている。席を立ち、自販機へと走る。




赤川が勢いよく椅子を後ろに下げて立ち上がったので、椅子が机に当たり、大きな音を立てる。城田忠則は驚き、寝不足に突っ伏していた顔から「ひっ」と情けない声が漏れた。文句でも付けてやろうと顔を上げ、赤川を目で探すが、もうすでに、教室の外に走り去って行ったようだった。

また顔をうつ伏せにする。

真っ暗になった視界で、昨日のことを思い返した。


「よくぞ来てくれた。よし、とりあえず、制服を受け取りに行こう」怪しい件の男はそう言って、地べたのちゃぶ台を抱えた。

「持ちましょうか」

「いいんだ。それより」男は城田を見た。「オオサワビルは知っているか」

ビルの名前にしては、よくありそうな名前だ。「知りません」

「私達の事務所に当たる場所だ。ついてきたまえ」

怪しい男は城田の前を歩いた。歩くたびに鳴るカランコロンという音に目線を下げると、彼は下駄を履いているようだった。

聞こえないように、「変な人だ」と城田は呟く。

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ペンローズ 川野ほとり @kawamorz

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