第2話

灯は気を使ったのか、少し声をひそめる。

「広河原のお相手なんだけど、ちょっと変わってるらしくて」

変わってる。灯は、補足した。「変わってる、って言っても、悪い意味じゃなくて。…いや、悪い意味なのかな?」

「どういうことよ」京子はその言い回しに、少し不信感を覚えた。

「いや、ほんとに聞いた話なんだよ?それが…」「それが?」

「霊能力者、らしくて」

「レーノー緑茶?え?なんて」

「霊能力者。お祓いとか、変なアイテム売りつける、あの」

京子は少しばかり、驚いた。しかしそれを灯に悟られるのが癪だったので、顔には出さないように注意したのだった。

「まあ、変なアイテムかどうかは、わからないけど」

灯は続けた。

「霊能力よ。もしこの世界に、概念を具現化する装置があるなら、間違いなく『胡散臭い』の体現だわ」

「まあ、確かに」

「どうせ広河原、騙されてるのよ。いつものほほん、ってしてるし」

「でも、なんで?そんなに細かいところまで」

灯は手元のスマートフォンを持ち上げる。

「最近はSNSで、なんでもわかるのよ。担任の結婚相手も、次の模試の答えだって」




へっくしょん、と可愛くもないくしゃみが出てしまった。少なからず同棲して長い、彼氏の前だったので、地歴公民科の高校教師、広河原敦子30歳は反省する。

「ごめんなさい。可愛くもないくしゃみしちゃって」情けなさに、思わず口を衝いて出る。

「逆に萌える、と言ったら」

「結果オーライ、といったところかしら」

そうか、と短い返事が返る。

「同棲始めて長いけどさ」長夫がいつもの調子で、話しかける。敦子はこたつの上に置いたコーヒーが熱いのか、息を吹き、冷ましていた。「結婚したら、何かが変わるのかな」

「それ、提案した本人が言う?」敦子は笑って、薬指の指輪を見つめる。

「単純に疑問なんだ」長夫はみかんを剥いていた。「あ、長夫。上から派なんだ。私も」

「そこで、疑問なんだけど」長夫がみかんを剥き終わる。「半分ちょうだい。大きい方、なんて言わないから」長夫はみかんの大きい方の片割れを、敦子に差し出した。「ありがと」

「で、疑問なんだけどさ」長夫はもうどうでも良くなっていた。「みかんとコーヒーって、組み合わせとしては、どうなの」

敦子は首を傾げる。「どうだろう」そうして手元のコーヒーと半分のみかんを見比べた。

「考えてもみなよ。みかんとコーヒーだよ」

「でも、みかんとチョコは相性いいじゃない。オレンジチョコ、とかあるし。あと、チョコとコーヒーも相性いいでしょ?コーヒーとみかんも、きっと合うわよ」

長夫の疑問は晴れなかった。「じゃ、例えばさ」少し考えた後で、こう続けた。「例えば君に、高校の頃に仲の良かった友達がいるとするだろ」

「わざわざ仮定にしなくても、います」敦子は頬を膨らませた。

「それぞれ違う大学に進んでから疎遠になったその子は、ある日君をカラオケに誘うんだ。『もしもし私だけど。今すぐ、駅前のジョンカラ来れる?』ってさ」

「まあ、仲良かったんだし。行くよね。思い出話とか、楽しそう」

「君はその声や口調に懐かしさを覚え、すぐにカラオケに向かう。『〜番の部屋にいるからね』とラインが届き、やがて君はその部屋のドアを開ける」長夫は一泊溜めて、こう言った。「彼女は、新しい大学の友達を二人連れて、その部屋にいたんだ」

うっ、とその光景に、敦子が呻く。「それは、きつい」

「友達の姿は何ら変わっていなかった。しかし彼女を呼ぶあだ名も、その友達と一緒に使う謎の語尾に君は違和感を感じる。疎外感を感じる」

「リアルだなあ」そう言って敦子はみかんを頬張った。

「君はみかんに同じことを、してやれるのか?」

敦子は両手を合わせた。「降参です」そしてコーヒーをすすった。

長夫は自分のみかんを一口で食べた。そして敦子の飲んでいたコーヒーをすすった。

「つまり、俺が何を言いたいかというと、君はいいやつだから、友達の友達とも、結局うまくやれる、ということだ」

「は?」思わぬ主張に、敦子は驚く。

「この組み合わせ、意外といける」長夫が笑った。

つられて、敦子も笑ってしまう。

「さっぱり、わからない」


「そういえば長夫、あんた副業やってるって噂聞いたけど」

「副業?俺、そんなに暇じゃないよ」

「なんか、駅前の商店街で、ちゃぶ台地べたに置いて座ってるって」

「物乞いを副業に、って」長夫が笑う。「尖った啓発書かよ」

「あれ?じゃあ、勘違いかな」敦子はホッとしたような顔をした。「いや、知り合いから、『彼氏が、道端でお札売ってたよ』なんて言われたものだから」

「ひどい風評被害だ」

「でも」敦子は長夫を指差す。「小説家なんかより、そっちのほうが似合ってるかも」

「ひでえな」長夫は、口元を歪めた。

「何がひでえって、俺だってそう思うもの」

そこまで広くないマンションの一室に、二人の笑い声が響いたのは、深夜一時を過ぎた頃だった。


敦子はショートホームルーム開始のチャイムの少し前に教室に着くようにしていた。

「センセー、今日はクマすごいですね」

生徒と話すのも教師の仕事である、そう捉えていたからだ。

そう生徒に言われた敦子は、目を指でさすった。

「昨日、コーヒーを夜に飲んじゃって」

「睡眠不足は肌に良くないですよ」

「嘘。荒れてるかしら」

どうでしょうね、と生徒の一人が笑う。

「そういえば」その日敦子に話しかけていたのは女子生徒二人組だった。二人が一緒にいるところをよく見るので、仲が良いものと敦子は認識している。「先生、結婚するの?」

もう片方が慌てて制する。「ちょ、やめなって灯」

「えー、いいじゃん。もう、皆知ってるんだからさ」

「でも、まだ噂だし…ほんと先生、朝からすいません」

敦子は首を振った。「いいのよ」別に隠してるつもりはなかったし、と続ける。

「えー、じゃあ先生、あれ、本当なんですか?」

京子が灯の口を塞ぐ。「ちょっと、それは、まじでだめ」

やめろよー、という声とともに、灯は先生の元から、京子の手により連行されていった。

チャイムが鳴る。

「起立、礼」




「しゃす」

このように朝から気のない礼を日課としているのは、窓側最後列、城田忠則だ。

浅く頭を下げ、椅子を引き、座る。いつもこのタイミングでであくびが出る。

「今日は雪が積もってるので、はしゃいで校舎に雪玉とか持って入らないように」

小学生でもあるまいし、と城田は思った。

「そういえば先生、駅まで歩いてる途中、大きな雪だるま見たわ。なぜか、鼻が落ちてて、可愛くて」

城田の頭の中は、いや、全国の男子高校生の頭の中と言うものは得てして悩みで一杯なものであるのだが、例にもれず彼もまたその一人であった。

「城田?」城田の前の席の女子がプリントを回していることに気が付かないほど、彼の悩みは深刻であったのだ。

「ん?ああ、ごめん」

とりあえずプリントを受け取り、彼はまた思考の渦に引きずり込まれる。

彼は、プライバシーの観点から、本人の実名を出すことは憚られるが、恋をしていた。クラスの女子だ。

きっかけ、というほど確かな節目はなかった。委員会が同じになり、連日遅くまで共同作業をしているうちに、いつのまにか、というやつだ。

彼は彼女と交際をしたいと考えていた。しかし、彼女には元々多くの人と話す傾向がある。自分は所詮その中のワンオブゼムにしか捉えられていないのではないか。城田はそう考えていた。

彼女をデートに誘おう、そう決めたのはつい最近のことだ。

しかしさらなる壁が、彼を襲う。財布的事情の問題だ。

城田は軽音楽部に入っていた。部長がアクティブな思考の持ち主なので、遠征や月々のライブで、小遣いが容赦なく飛んでいく。

その中でデート台を捻出したい、そう考えていた城田は、日々スマホアプリや自分の足で、効率の良いバイトを探していたのだ。学校でバイトは禁止されていたので、教師に見つかりにくい、というのも条件としてあり、見つけることは困難になると思われていた。

「時給2000円?」彼がそのバイトを見つけたのは、また彼に会ったのは、偶然の出来事であった。帰り道の商店街で、道端にちゃぶ台を置く怪しげな男がいたのだ。

「そう、2000円は固定で、仕事の出来によっちゃ、上がってくよ」

「何か危ないことでも?」

「保証はできないな。君自身の素質や、運がかかってくる」

男は怪しかったが、悪い人間には見えなかった。していることの割に、着ている服はきれいなスーツだった。それが怪しさを助長しているのかもしれないが。

「考えさせてもらってもいいですか」怪しさはあるものの、時給2000円、という触れ込みには惹かれるものがあった。

「いいね。年齢は?」

「17。高校二年っす」

「よし。じゃあ、明日もここにいるから。返事、聞かせてね」

「わかりました」


「時給2000円?」

「どう思う」

「どう、って。アウトでしょ。売られるぞ、春を」

城田は友達に相談することにした。この学校は規則でアルバイトを禁じられているものの、その網をかいくぐっているものもかなり多い。友達も、その中の一人だった。

「売春って。俺、男子だぞ」

「世の中にはいろんな人がいるからなあ。でも、売春だったらもっと高くてもいいか」

「確かに」

「仕事内容とかは聞いたのか?」

「なんか、おばけが、どうこう」城田はモゴモゴと話した。

「おばけ?余計に、怪しい…、いや?」しかし、友達はそこで考え込む。

「どうしたんだ」

城田は首を傾げた。

「意外とありなのかもしれない、と思って」

「え?」

「例えば、お前が風俗店の怪しい男だったとするだろ。前から歩いてくるのは、筆舌に尽くし難い程の女の子だとする。お前は、どう声をかける」

「『お姉さん、可愛いですね』とか?」

「まあ、そう入るよな。その後、どう仕事内容を説明する」

「『ただスキンシップをとっていただくだけの、高潔なお仕事です』はどう」

「そうなんだよ」

「何が」

友達はここまで説明したのにわからないのか、と言うようにため息をついた。

「普通やばい仕事ってのは、いいものに見せて勧誘するものなんだ」

城田は納得する。「なるほど」

「隠してない分、お前のそのバイトは、信用できるところがあるのかも」


城田はついに部活を休み、商店街の門をくぐった。昨日と同じところに、彼はいる。

「おお、高校生君。覚悟は決まったのか」

城田は息を飲む。あの子をデートに誘うのだ、と心を鼓舞した。


「決まりました」




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