第40話 ルンボボが踊る





 その噂がはやり始めたのは、長かった夏も終わり、ようやく夕暮れが涼しいと感じられるようなった頃。

 他の噂と同様、それは一瞬で広がった。

 つまり昨日までは誰も知らず、話のネタになることもなかったのに、今日はもうクラスの全員が知っていて、登校すると朝からどのクラスでもその話一色……みたいな。

「ね、ヒサちゃん、聞いた? ルンボボの話」

 六年一組の教室に入った途端、隣の席のウーちゃん(本当は浦和さん)が目を見開いて声をかけてきた。

「ああ、昨日の夜スマホでちょっと見たけど」

 ウーちゃんは噂好きだ。そのルンボボについてわたしが新たな情報か、あるいは少しでもいいから体験談を持っていないか、確認したかったのだろう。しかしわたしが知っているのも、他の大多数と同じ、スマホに流れてきた情報だけだ。

 それは怖がるべきなのか、笑うべきなのか、よく分からない話だった。

 眠る時に、ルンボボという言葉を心の中で唱えてはいけない。特に繰り返すのは危険だ。繰り返しているうちに奇妙な音楽が聞こえてきたら、もっと危険。

 そして……ベッドやふとんの周りで、誰か大勢の人が踊っているような気配がしてきたら、完全にアウトだ。

 心の中で百回ルンボボを言ってしまった時、その人は連れ去られてしまう。

 どこへ連れ去られるの? なぜ百回? 分からない。

 そして……なぜ「ルンボボ」??

「そっかぁ、ヒサちゃんも知ってるの、その程度かぁ」

 ウーちゃんはあからさまに、こいつ使えねえ、という表情になり、さっさと別の登校してきたばかりの子のところに行ってしまった。

 わたしはため息をつきながら椅子に座り、下ろしたランドセルから取りあえず筆記用具を机に出した。

 ウーちゃんは悪い子ではないが、利用できる子とできない子、同じ子でも利用できる時とできない時で、はっきり態度が違うのが、ちょっと苦手なところだ。

 今回だって、ウーちゃんも本当は「その程度」しか知らなかったと思う。もしウーちゃんがもっとたくさんのことを知っていたら、そのうちの一つくらいは、絶対わたしに言うからだ。

 まだ知らない人に小さな情報を渡して、どう、あなたの知らなかったことを知ってるあたしって凄いでしょ、と上から見下ろして優越感にひたるチャンスを、彼女が見逃すはずがない。

 でもまあ、いいか。

 席に着くと、だんだんそんな気持ちになってきた。

 もともとわたしもネットの情報をかき集めるほど噂好きではないし、友達がたくさんいて、黙っていても情報が集まってくるほど社交的な性格でもない。ウーちゃんが情報を求める方が無茶なのだ。

 わたしはただ寝つきが悪くて、毎晩寝る前に一時間くらいはベッドで寝返りを打っているというだけの、大人しい普通の小学六年生に過ぎないのだから。


 すぐに、「心の中で唱える」というのが問題だということが分かってきた。

 スマホで読んだ日の夜は、あまり気にも留めなかったが、翌日の夜ベッドに横になると、学校での大騒ぎを思い出して、「ルンボボ」という言葉が頭の中で回りだす。口で言うのなら黙っていれば済むことだが、心の中は全く制御できなかった。他のことを考えようとすればするほど、すぐにまた「ルンボボ」が侵入してくる。

 いいじゃない、別に。ただの都市伝説なんだから。

 自分に言い聞かせてみたが、まったく気が楽にはならなかった。体も頭も疲れているのに、余計に目は冴えてくるのだ。本当に寝つきが悪くて嫌になる。

 寝返りを打ったわたしは、とうとうもう一度明かりをつけて、一番苦手な社会科の教科書を読むことにした。以前、難しい本を読んだら眠くなったことが何回かあったからだ。

 もともと苦手な漢字の川や平野の名前を無理やり覚えようとしていると、確かに眠くなってきた。バサッという音に目を開けると、ベッドの横に教科書が落ちている。時計を見ると、もう深夜と言っていい時間帯。急いで明かりを消した。

 ルンボボ……

 目をつぶると、また頭の中にその言葉が侵入してくる。

 もう何度唱えただろうと考えると、また嫌な気分になってきた。本当にいい加減寝ないと、明日の授業で居眠りしてしまう……

 どこか遠くで、何かの曲が流れている気がした。

 楽しくて、ノリのいい、明るい感じの曲だ。

 どこかで以前聞いたことがある、ような……

 何度も繰り返し聞いた、ような……

 でも、そういえば急に聞かなくなった。

 どうしてなのかは、知らないけど……

 そして―後々考えればとても運のいいことに―わたしは眠ってしまったらしい。


 翌朝、その曲がなんだったか少し思い出したわたしは、そのことを教室でウーちゃんに言ってみた。

「CMの曲?」

「たぶん。みんなが騒ぐから寝る前にルンボボが頭から離れなくなっちゃって……そうしたら……遠くから、ずいぶん前に何度も繰り返しテレビで流れてた……何のCMかは思い出せないんだけど、その曲が聞こえてきた気がするんだよね」

「そのCM曲がルンボボって歌ってたの? それともCMの商品がルンボボ?」

「ううん。違うと思う」

 ウーちゃんはがっくりした様子で机に頭を乗せ、わたしを見た。

「何それ……もー、関係ないに決まってるじゃん。たまたま思い出しただけだよ。あ、それより」

 ウーちゃんはいきなり頭を上げ、わたしに顔を寄せた。

「聞いた? 連れ去られた人、とうとう出たらしいよ」

 ドキッとする。少しだけ。

「関西の方の話らしいけど。どこかの高校生が、面白半分で『じゃあ俺寝つき悪いから、本当に何か曲が聞こえてくるのか、誰か踊りだすのか、実験して実況してやるよ』って、寝る時にふとんの前にスマホをセットして、枕元の小さなライトだけつけて、ルンボボを唱えながら寝たんだって。……翌朝なかなか起きてこない息子を、お母さんが部屋に起こしに行ったら、ふとんには誰もいなくて、トイレにもどこにもいなくて、大騒ぎになった。で、警察がその時実況されていた動画を入手して、見てみたら……


 薄暗い部屋の床に、たくさんの人の足のようなものが動いていたらしい。しかも普通の歩くような動きではなく、何かダンスのステップを踏んでいるような感じだったそうだ。

 しかし私が気になったのは、その前だった。噂どおりなら、踊る足より前に、何かの音楽のような音が流れているはずだ。それは私が聞いたCM曲と同じなのか。

 同じなら……連れ去られた高校生の話も本当なら、わたしは昨夜、結構危ないことになっていた……ということになる。

 気分が悪くなってきた。

 とにかく家に帰ってから、その高校生が実況したという動画をスマホで探してみた。

 見つからない。作り話?

 そう思いながら検索していると、ようやくその実況の感想を綴っているらしい書き込みを見つけた。ウーちゃんの話の元ネタになった書き込みかもしれない。いくつかウーちゃんの話と重なるところがあったからだ。


―え、何この音? 音楽?

 どこから聞こえてくるんだ?

 何の曲?

 さっきまで全然静かだったよな。

 実況見ながら、スマホで別の友達とそんなやり取りをしていたら、寝ていたタツミがいきなり苦しそうな表情になって、目を開いた。ダメだ、止まらない、と言いながら両耳を手で塞いで、その手で耳をバンバン叩いて、最後には部屋から逃げようとしたのか、いきなり立ち上がりかけた。

 タツミは転ぶようにふとんに仰向けに倒れた。再度起き上がろうとしたみたいだが、何かに押さえつけられたみたいに、ふとんに貼りついて動けないみたいな感じで、両手足の先だけをバタバタさせた。

 でもまだこの時は演技だと思って、俺も他の奴らも、結構笑ってたんた。

 演技うまいじゃん、スゲー、とか言って。

 それから、初めて怖くなった。

 暗がりの中でたくさんの足のようなものが、タツミの周りに見え始めたからだ。足のようなものはぐるぐる回りながら、ダンスするようにステップを踏んだ。何かの音楽はまだ続いていた。その曲に合わせて。


 ボ、ボボボ、ボ、ボー、ボーボ―――――


 何か喉の奥から震えるような声が響いてくる。声が画面からではなく、自分の頭に直接響いていることに気づいて、ぞっとした。

 タツミはずっと汗をだらだら流して、上を向いたまま目だけギョロギョロまわりに向けていた。息の音がぜーぜー聞こえて、口をパクパク動かしていたが、声はでないようだった。ただ何と言っているのかは、なんとなく分かった。

 た・す・け・て

 それから、うまく説明できないけど、とにかくタツミの体に異常が起きた。

 変な表現だけど、まるで溶けて、ふとんと一体化するような……そんな感じでゆっくり、ふとんに染み込んでいったんだ。最後に顔面だけが布団の上に残ったけど、その顔面も、皮膚が流れ落ちて、目玉が陥没して、鼻の骨も沈んで……最後まで残った口も、歯ごと崩れるように……唇は最後までパクパク動いたまま……

 警察には仕方なく、このことを話したけど、信じるわけないよな。俺はもう、誰にも言わない。拡散もしない。見たヤツは全員そうすると思う。係わりたくないんだ。忘れたい。

 でも無理だ。

 あれから俺は、ずっとイヤホンでガンガンに曲を流しながら生活している。そうしないとまたあの曲が、足音が、耳に響いてくるからだ。頭の中に直接響いて、一日中消えないんだ。この音に引きずられたら、また頭の中で、あの言葉を繰り返してしまう。あの言葉。

 あと何回で、百回になる?


 これだ、と思った。

 ボ、ボボボ、ボ……

 わたしが遠くから聞いたのも、なんとなく記憶にあるCM曲も、こんな感じの曲だった。それにしても、ふとんに染み込むって一体……

 書き込みの後には読んだ人の大量の質問が続いている。その中にあった一行に、目が吸い寄せられる。


―ボ、ボボボ、ボーってこれ、昔、数日だけ放送された駄菓子のCMの曲じゃね?



「ごめーん!」

 翌日学校に行き教室に入った途端、ウーちゃんがそう言いながら寄ってきた。

「何が?」

 言いながら、わたしは眠いのを我慢してランドセルを下ろし、椅子に座る。

「昨日ヒサちゃんが言ってた曲のことだよ。あれやっぱりCMの曲かもしれないって。昔の何かお菓子のCM」

 さすがにウーちゃんは情報が早い。

「だからさ、ヒサちゃんもう一回今夜その曲聞いてみてよ。そしたらもっと思い出だすかもしれないじゃん。お菓子の名前とか。なかなか覚えてる人が少ないらしいんだよね」

「ええっ!」

 冗談じゃない、と思った。昨夜もなかなか眠れなくて、ルンボボのことも考えたくなくて、ずっと社会科の教科書を開いて、ようやく寝たのに。

「無理だよ。怖いもん。そんなに知りたいなら、ウーちゃんがやってみたらいいじゃん」

「あたしふとんに入ると、すぐ寝ちゃうんだよね」

 心底残念そうにウーちゃんは言った。正直、うらやましい。とにかく絶対無理と言ってその時は拒否したのだが、よほど名案だと思ったのか、ウーちゃんはその後授業が始まっても、休憩時間になっても、「ヒサちゃんだけが頼り」とか、「真実は目の前にあるよ」とか、調子のいいことを言ってきた。本当にウーちゃんの噂好きにはうんざりする。

 というわけで結構怒っていたのだが、さすがに五時間目の算数の授業が始まると、何も言ってこなくなった。算数の先生は質問魔で、算数が苦手なウーちゃんはいつ当てられるかと毎回ビクビクしているのだ。

 ほっとした。それと同時に、寝不足と給食を食べた直後のせいもあって、強い眠気が襲ってくる。

 暗い森の中で、数人の子供たちが丸くなって、何かを覗きこんでいた。

 ジュースだ。森のジュース。中心にいた魔法使いの女の子が何かをつまみ上げる。


―さあ、この白い粉をジュースに振りかけてみるよ。ほーら、泡立ってきた。膨らむ膨らむ、どんどん膨らむ!


 緑のジュースは信じられないほど大きく泡立ち、丸い泡のおいしそうなボールになった。囲んでいた子供たちが歓声を上げる。しかしこれで完成ではない。おいしくするには、踊らなければならないのだ。そう。あの歌に合わせ、皆でステップを踏みながら。


 ボ、ボボボ、ボ、ボー、ボーボ―――――

 

 それにしても、足音がうるさい。踊っているのは数人の子どもなのに、まるで大勢の大人の足が力任せに地面を叩いている感じなのだ。


 ダン、ダダダンッ、ダダッ、ダダッ!

 ダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!


 うるさい! うるさい! 痛い!

 慌てて目を開けた。真下に見えた教室の床に、大量の泥だらけの足が見えた。わたしの足を踏んで動いている。踊っている!

「ぎゃっ!」

 思わず悲鳴を上げて立ち上がった。

 目の前に算数の先生がいて、呆れ顔でわたしを見ていた。


 眠れない。

 眠るのが……怖い。

 あれだけ寝つけないことに悩んでいたのに、今は眠気さえ怖かった。またあの足が見えたら……

 まだ幼稚園児だった頃、わたしは、この……たぶん炭酸を使ったのだと思う……不思議なお菓子が欲しくて、テレビに繰り返し映るCMを一生懸命見ていた。ほんの数日で放送されなくなったので、この駄菓子の名前もCMを見たことさえ、忘れてしまっていたけれど。

 ……でも、なぜ放送されなくなったんだろう。

 なぜ今になって、都市伝説として復活したんだろう。

 算数の先生にわたしだけ出された宿題を学校で済ませ、帰宅してみると、リビングでつけっぱなしのテレビに映っていた情報番組までが、とうとうこの都市伝説のことを報道していた。

『小中学生に大流行! ルンボボって何?』

 大きな文字が画面の右端に踊っている。

 若い女性レポーターが通りかかった小中学生を呼び止め、ルンボボを知っているかと尋ねている。

 もちろん全員うなずく。中には妙な音楽を聞いたとか、連れて行かれそうになった友達がいる、と真剣な表情で話し始める子もいる。

「本当に連れていかれて消えてしまった、という話もネット上ではまことしやかに囁かれていますが、番組ではとうとうそれが事実だと断定するような情報は得られませんでした」

 そうなんだ……

 少しほっとした。やはり、ふとんに吸い込まれて消えたなんてありえない。作り話だったんだ。

 でもすぐに疑問がわく。じゃあ算数の時間に聞こえた曲は何? 足元で、一瞬泥だらけの足が踊っていたのが見えたのも、夢?

「では、このルンボボの話はすべてウソなのでしょうか。ただの根も葉もない都市伝説なのでしょうか。……それが、そうでもないようなのです」

 レポーターがわざとらしく画面をじっと見る。

「ルンボボ、と寝る時に心の中で唱えていると、何かの音楽が聞こえてくると言われています。その音楽は、昔の何かのお菓子のCM曲に似ている、という噂もあります。それなら、テレビ局が収蔵する過去の膨大な量の番組データを調べれば、これかもしれないという曲が見つかるかもしれません。我々番組スタッフは総力を挙げて探しました。そしてついに、それらしいCMを発見したのです!」

 心臓が跳ねるのが分かる。

 画面がスタジオにもどると、いつもは笑っていることの多い司会者が、酷くまじめな表情で話し出す。

「確かに私たちはそのCMを発見しました。しかしその全てをここで放送することはできません。それは何年も前のこととはいえ、わずか三日で放送中止となった、問題のCMだからです。ではどこが問題だったのでしょう。このCMには出演者が商品の菓子を囲んでみんなで曲に合わせ、面白おかしく踊るシーンがあります。この曲と短い歌詞……実はこれ、実際に存在する、今は無人となった小さな島の古い呪術〈ルンボボ〉に使われていた曲と舞踏の資料映像をもとに作られたものでした。島を冒瀆していると、放映が始まった当日、すぐに元島民から抗議があったそうです。そのことと関係があるのかどうかは分かりませんが……その後わずか二日の間に、CMに直接かかわった三人のスタッフや俳優が何の前兆もなく、次々失踪したのです。大騒ぎになり、CMは即中止。その後、他の出演者やスタッフがどうなったのかは……分かりません。当時どういう状況だったのか、私たちは他の出演者や関係者に聞きたかったのですが、一人も連絡がつく人はいませんでした。……では、準備ができたようです。CMの最初の五秒間、音声だけをお聞きいただきます」

 画面がスタジオから切り替わり、古い映画を流す時のようなカウントダウンの画面になった。

 5……4……3……2……1……


「ボ、ボボボ、ボ、ボー―――――!」


「ヒッ……!」

 わたしは思わずテレビから飛び退き、反対側の壁まで下がった。

 映像が流れている! 音声だけのはずなのに。しかもCMの出だしではなく、あの奇妙なダンスを踊っている、まさにその映像!

 すぐに映像は途切れた。急に画面に映った司会者も焦った様子だ。

「す、すみません! 何かの手違いで……間違った映像が……えー、ではもう一度、音声のみの」

 プッ……

 画面が黒くなった。振り返ると、キッチンにいたはずの母が、眉をひそめながらテレビのリモコンを持っていた。

「なんだか気味悪いわねえ。どうしてこんな気味の悪いものが子供の間で流行るのかしら。どうせあんたも友達とこんな噂で盛り上がってるんでしょ。さっさと部屋に行って宿題やりなさい」

 宿題はもう学校で済ませた、と言ったが不機嫌な母に部屋へ追い立てられる。

 本当は一人になりたくなかった。また〈ルンボボ〉のことを考えてしまうから。それにしんとした部屋に一人でいたら、眠くなってしまうかもしれない。

 スマホで音楽を聞こうとすると、ウーちゃんから何度もメッセージの送信があったことに気づいた。

〈ヒサ、大丈夫? さっきの番組でルンボボやってた。だんだん怖くなってきた。だって、一人も連絡つかないなんて〉

〈ヒサ、生きてる?〉

 仕方なくわたしは、生きてるよ、と返信した。

〈でも、もうこの噂にかかわるのはやめる〉

〈だよね。怖いよね〉

 ウーちゃんは珍しくわたしに同調したが、それは怖いのと同時に、知りたいことは全部番組から分かったので、これ以上わたしに何か頼む必要がなくなったせいだろう。

 それにしても何年も前に流されたCMの曲が、どうして今になって、都市伝説として復活したのか。

 スマホで好きなグループの曲を聞きながら、考えてしまった。

 特に記憶に残るような曲ではなかったはずだ。わたしだって、お菓子のせいで曲はなんとなく記憶にあったが、その名が〈ルンボボ〉とは知らなかった。

 もしかしたら誰かがわざと流したの?

 誰かって、誰?

 思いつくのは、最初にCMが放送された時、抗議したという元島民だ。抗議がすぐ聞き入れられなかった後、この元島民が怒って、何かしたのかもしれない。〈ルンボボ〉が関係者の頭から消えなくなるような本物の呪術。だから……関係者が全員姿を消したとか。

 ……「全員」? 

 そうではないかもしれない。

 番組は誰も連絡がつかなかったと言っていただけだ。ウーちゃんは〈ルンボボ〉に興味津々だが、寝つきが良過ぎて、自分が連れ去られるとは全く思っていない。そんなふうに、関係者の中にも連絡がつかないというだけで、生き延びた者もいて……そして、今になってそのことに元島民が気づいてしまったとしたら?

 この唐突に現れた〈ルンボボ〉という都市伝説はもしかしたら、その生き残りに対する、逃がさないという元島民のメッセージかもしれない。わざといろいろな情報を流して小中学生に流行させ、テレビ番組が古いCMを放送するところまで行き着くよう仕組んだ……とか。

 いや、それどころか、流れないはずのあの映像が流れたのは、もしかしたらあの番組スタッフの中にその元島民がいて……

 そうだとしたら、酷い。

 なぜならその元島民は、CMを見てしまった何の関係もない小中学生まで〈ルンボボ〉の呪いに巻き込まれるかもしれないことなど何とも思っていない、ということだから。遠い昔に忘れていたはずのわたしの記憶は、今では鮮明そのものだ。他のことを考えようとすればするほど、心の中で〈ルンボボ〉がどんどん膨らんでくる。

 ダメ。考えてはダメ。

 たぶんこの言葉は、回数が大事なのだ。心の中で繰り返すほど、あの曲とあの踊りを引き寄せてしまう。

 ほら、いつの間にか好きな曲の歌詞が、あの声に変わる。

 金属的なドラムの音が、あの足踏みに変わる。


 ボ、ボボボ、ボ、ボー、ボーボ―――――!


 ハッとしてわたしは暗闇の中で身を起こした。

 もう日が暮れて、部屋の中は真っ暗だった。わたしは部屋のベッドの端に座ったまま、いつの間にか居眠りしていたらしい。まだ耳鳴りのように、頭の中にあの声と足音が響いている。

 とにかく明かりをつけようと、ベッド脇にある棚のリモコンに右手を伸ばす。

 異変に気づいた。

 部屋の隅の暗がり。白い壁紙なのでそれほど暗く見えないはずなのに、今は暗い洞窟かと思うほど真っ黒に見える暗がり。そこに何かがじっと立っている。

「ひ……っ!」

 気づいた途端、体が動かなくなった。逃げたいのに、せめて明かりをつけたいのに、指一本動かない。

 最初に見えたのは二本の黒っぽい足だった。二本の足が床を踏んで立っている。でも胴体の部分がよく見えない。目を凝らして、やっと見えてきた。

 人体を覆うような大きな木板の面だった。CMでは丸い盆のような面だったが、今目の前にあるのは、縦一メートル以上はありそうな長方形の板に、歪んた波紋のような輪が幾重にも広がる、奇妙で不気味な面だ。じっと見ているとぐるぐると回る波紋に酔って、目まいがしてくる。

「ボ、ボボボ、ボ、ボー、ボーボ―――――?」

 その面が言った。何かを問われている気がした。

「ボ、ボボボ、ボ、ボー、ボーボ―――――?」

 再び問われた。少し言い方がきつくなった気がする。でも何を答えていいのか、分からない。怖い。全身からベタベタした汗が噴き出してくる。あのベッドに貼りついたまま動けなくなっていた高校生と同じだ。あの人もきっと答えられなかったんだ。

「ボ、ボボボ、ボ、ボー、ボーボ―――――!」

 今度の声はもっと威圧的で、断定的だった。もうわたしが答えられないことが分かったのた。

 ダンッ!

 ベッドの周囲で、いきなり足音が鳴った。

 ダン、ダダダ、ダッ、ダダ、ダダダダダダッ!

 ダン、ダダダ、ダッ、ダダ、ダダダダダダッ!

 いつの間にか、わたしは大量の踏み鳴らす足に囲まれていた。どれも同じ面、同じ歪んだ渦巻き模様の面を身につけて、足を踏み鳴らしながら少しずつわたしに迫ってくる。視界が歪んだ渦巻きでいっぱいになり、自分が立っているのか、座っているのか、足元が下なのか上なのか、ここが自分の部屋なのか、それとも夜空にでも浮かんでいるのか、全部わけが分からなくなってくる。

 ぎゃっ!

 ベッドに置いたままだった左手の下が、いきなりゼリーになったように滑った。顔は動かせないまま、慌てて目線だけをそちらにずらす。

 ゼリー状になって溶け始めているのは、わたしの手の方だった。溶けてベッドのシーツに貼りつき、染み込んでいる。手がベッドに沈んでいく! 

 イヤだ。誰か助けて! 助けて!

 ふと見ると、わたしの両足もスリッパごと溶けだして、床に沈みそうになっていた。

 ゴボッ!

 いきなり膝まで床下に沈んだ。わたしはバランスを崩し、左手をベッドに突っ込んだまま、顔面から床に倒れ込んだ。

 ダンッ、ダダダダダダダッ、ダンッ、ダダ、ダダダダダダッ

 床が波打つほどの足音が、両耳のすぐそばで響き続けている。

 うるさい、うるさい! 痛い、痛い!

 顔面が溶けて痛い! 目が溶けて、目玉が床下の暗闇に落ちていく。口が溶けて歯が抜け、暗闇に沈んでいく。もうないはずの目を上向けると、またあの歪んだ渦巻きが襲ってきた。吐き気がする。途切れのない、出口のない、永遠の渦巻き!

 ダンッ、ダダダダダダダッ、ダンッ、ダダ、ダダダダダダッ

 ダンッ、ダダダダダダダッ、ダンッ、ダダダ……

 音が少しずつ遠ざかる。耳も落ちてしまったからだ。遠ざかる足音はなんとなく喜んでいる気がした。もう逃げられない私という獲物を得て、喜んでいる。

 闇を落下していく私の目玉が、暗黒の底に何かを捉える。

 とてつもなく巨大な、蠢くもの。それがゆらりと闇の中を浮上し、私という獲物をすべて呑み込もうと、闇そのもののような大口を開く。

 落ちてしまった耳が、低い震えるような音を拾う。


 ぼおおおお…………ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……


 あれが……まさか、るんぼぼ……?

 わたしは闇の中で溺れていた。逃げたかったが、いくらもがいても浮上できなかった。肺が膨らもうとするけど、何も入ってくるものがない。窒息する。死んでしまう。呑まれてしまう。お母さん、ウーちゃん、誰か、助けて、助けて……!


 どうして……

 あたし何も、CMと関係ないのに。何も悪いことしてないのに。


 ドンドンドンッ!


 いきなりそれまでとは違う、明確にドアをノックする音が遠くで聞こえた。

「久子! 久子! さっきの音は何なの?」

 母が大声でわたしの名前を呼んでいる。それと同時に、一気に私は光に向かって浮上し、肺に空気が流れ込み、五感が蘇ってくるのを感じた。

「おがっ……た……っ」

 お母さん、助けて。そう言いたいが、口がうまく動かない。

「久子!」

 母が再度叫ぶと、さらに視界が鮮明になってきた。

もしかして、名前? 名前が大事だったの? 最初に尋ねるような言葉を掛けられた時、名前を言っていたら大丈夫だったの?

 ドアを開けて入ってきた母が、わたしを見下ろして息を呑む。

 その時わたしは倒れたまま目を見開き、手足を上に突き上げて、踊るように痙攣していたそうだ。



 ルンボボの都市伝説は、他の多くの噂と同じように、ある日突然消えた。

つまり、昨日まではクラス中その話一色だったのに、今日登校してみたら、もう誰も話さず、話そうとしても、ねえそれよりさ、と別の話題にすり替えられてしまう、みたいな。ウーちゃんも、それまでの執着が嘘のように、今朝もお父さんがトイレからなかなか出てくれなかった、という何度も聞いた話を、また口をとがらせて報告してくる。

 でも、わたしには……終わっていなかった。

 CMにかかわった人がその後どうなったのかは、もうわたしにはどうでもいいことだった。問題はあの呪術が、わたしの部屋に、まだ残っているということなのだ。

 あのルンボボが何かを問いかけているように聞こえた時、本当に名前を答えたらよかったのかどうかは、今も分からない。呪術について調べると、呪いを掛けられそうになった時、絶対に自分の名前を知られてはならない、という説明もあるからだ。名前を知られると魂を奪われ、操り人形になってしまうこともあるらしい。

 幸いネット上には、ごくわずかだが、わたしと同じような状況の人もいて、そういう人と情報を交換すると少し救われる。

 わたしはもう絶対、昼間にうとうと寝たりしない。

 夜寝る時は、寝るギリギリまで大音量の音楽をイヤホンで聞き、苦手な社会科の教科書を読む。深夜になってどうしても起きていられなくなってから、気絶するように寝る。

 でないと今も部屋の隅に残る小さな暗がりが、また広がってくるからだ。私が心の中であの言葉を繰り返し始めるのを、あの暗がりは、今もじっと待っている。

 だから、いくらウーちゃんに顔色悪いよと心配されても、今夜も明かりをつけたままの部屋で、わたしはずっと……






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

目が覚める、怖い話 @AMI2001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ