エピローグ

 静かに瞳を閉じた刹那。

 急に体が宙に浮かび上がり、驚いた一花は慌てて手足をバタつかせる。


「な、なに!?」

「周りも見ずに飛び出すなんて、無鉄砲な女だな」


 恐る恐る目を開くとシースルーのベールのせいで視界が悪いが自分が何者かにお姫様抱っこされているのだと知った。

 下を見ると先程轢かれそうになったトラックが、スピードを落とし少し先の畑に突っ込んで止まっているのが小さく見える。


「あなた、だれ……」

 状況が把握できないまま間抜けな声を出して顔を上げた。

「オレはこの村を守護する妖魔だ」

「守護する妖魔? それって、さっきみせられた白蛇じゃなくて?」

「あれは使い魔。オレはオマエと対等な立場。オマエだろ、この村の新しい退魔師候補は」


 この男も妖魔だったなんて。警戒した一花は咄嗟に暴れる。

「離してください! わたし、なりたくないんです。退魔師になる自信もないしっ」

「バッ、暴れるな。落とされたいのか」

「ひゃっ!?」

「っ――」


 もがいた一花は落ちそうになったところを、妖魔に抱きなおされなんとか助かった。

 暴れた弾みで顔を隠していたベールがはらはらと落ちてゆくのを見て冷や汗が流れる。

 ここで暴れるのは自分に分が悪いと察し、ちょっぴり気まずい気持ちになりながら妖魔の様子を窺ったのだが。


 その瞬間――切れ長の瞳に見つめられ一花の心臓が跳ね上がる。

 吸い込まれそうな紫水晶みたいな瞳に漆黒の髪。一花はその浮世離れした美しくも男らしい顔立ちに状況を忘れ一瞬見惚れてしまったのだが。

「……あの?」

 そんな自分以上に、妖魔が一花の顔を見つめてくるので居心地が悪くなる。


「一花?」

「へ?」

 自己紹介もしていないのに、彼に名前を呼ばれて一花はきょとんとした。

「なんで、わたしの名前知ってるの?」


 聞くと美青年は拗ねるようにムッと口を噤んだ。

「オレのこと忘れてるとか、最低」

「そんなこと言われても……はじめましてだと思うのですが」

 ぎこちなくもう一度顔を見てみる。


 こんな美青年、知り合いにいたなら忘れるはずがないと思うが、やはりまったく記憶になかった。

「……ホントに覚えてないのか、オレのこと。いや、他人のそら似か?」

 綺麗な顔が少しだけ悲しげに曇った気がした。


 その瞬間、一花の心の中がざわついた。

 なぜ自分がこんな気持ちになるのか分からない。けれど目の前にいるこの人に悲しい顔をさせたくなくて、その一心で気が付けば青年の頭を撫でていた。


「……暁ちゃん」

「っ!」

 どうして彼の名前を知っているのか自分でも分からない。

 そして一花は訳が分からぬまま、暁斗に抱きしめられていた。きつく。


「――っ名前」

「え?」

「もう一度、呼んで。オレの名前」

「……暁ちゃん?」

「もっと」

「暁ちゃん」


 先程自分の口を突いて出た名前を繰り返すと、顔を綻ばせた暁斗が頷いた。

「やっと見つけた。もう、逃がさない」

 戸惑いされるがまま、暁斗に苦しいぐらいに抱きしめられる。

 その時ふと一花は、気配を感じ抱きしめられたまま顔をあげた。

 晴天の空高く、小さな雲に似た白い塊が浮いていたので驚いて目を丸くする。


(白い……ヒヨコ?)

 白いヒヨコは何も言わずにまるで役目を終えてあるべき場所へ帰るような、そんな穏やかな目をして空の先へと消えていった


 一瞬の出来事だったが、見知らぬヒヨコが消えてしまうと、少しさみしくて切なくて、一花は自分の感情に戸惑う。


 ――この人の言うとり、わたしはなにか大切な思い出を忘れてしまっているの?


「気が付いてるか。さっき言ってた白蛇は雅だ。オマエが急にいなくなったあの後、雅を倒した小五郎は相応の月日をかけて罪を償えと雅を使い魔にしたんだ。そして一花の遺言だからって、オレと手を組んでお伽村の退魔師になった。それから代々続いてる」


「なんの話かさっぱり……」

「思い出したのは、オレの名前だけ?」

「……うん」

「そう……オマエが急にいなくなって、今度会ったらどれだけ文句言ってやろうかとか、消えた事情を説明してもらおうとか、色々考えてたのに。なにを聞いても無駄なんだな」


「ごめんね……」

 申し訳なさそうに眉目を曇らせた一花を見て、暁斗は少し悲しそうにしながらも、もう責める言葉は口にしなかった。

「もういい」

 暁斗の表情が和らぐ。なにか吹っ切れたように。


「こうして、再び会えただけで報われた気がするから」

 そう言って暁斗は一花を再び優しく抱きしめた。

 長い腕が大きな身体が、一花を包み込む。


「小さいな。一花って、こんなに小さかったんだ」

「そんなに小さくはないと思うけど」

 わたしが小さいのではなく、あなたが大きいんだと言いたくなったが、見覚えのない青年のぬくもりがなぜか懐かしく思えて、一花も無意識に彼を抱きしめ返していた。


「ずっと想ってた。オレを信じると手を差し伸べてくれたあの瞬間から」

「それって、どういう?」

 胸の奥がざわつく。彼の言葉も眼差しもまるで愛の告白をされてるみたいに感じるから。

「どんな女に会っても、オマエのことが忘れられなかった」

 暁斗は一花の耳元に顔を埋め吐息がかかる距離で囁く。 

「もう、子供扱いなんてさせないから。覚悟してろよ」

「ひゃっ!」

 そのまま耳朶に軽く口付けられ、一花は声にならない悲鳴を上げた。


「ふ~ん、これぐらいで赤くなるんだ」

「なっ」

 なんだその余裕ぶった顔はと抗議してやりたくなるけど驚きすぎてできない。


(なに、この状況。なんでこんなことに)


 すると暁斗はそんな一花を可笑しそうに見つめ。

「不服なら、過去の自分の行いを悔やむんだな。今さら遅いけど――もう逃がさないから」


 愛おしそうに囁かれたら、なにも言えなくなった。

 悔しけれど本気で逃げる気になれないでいるのは、無性に居心地が良いせいだ。彼の腕の中が。


「あの……言い忘れてたけれど、助けてくれてありがとう」

 

 一花の言葉に彼は嬉しそうに笑う。

 なぜだか分からないけれど、それが嬉しくて一花もつられて微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

窮地の事態ですが王子様が迎えに来てくれません! 桜月ことは @s_motiko21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画