D.A.R.K.G.R.A.Y.

唯月希

D.A.R.K.G.R.A.Y.



Projekt;A.L.I.C.E.

“injured”


D.A.R.K.G.R.A.Y.(ダークグレイ)




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Scene0 - M.E. on a “Garden of Missing Person”


真っ白い部屋で時を刻み続ける時計は、時針をもたなかった。



真っ暗闇の中の螺旋。

上も下も。

果てはなかった。



彼女はどこまでも、欠けていたんだ。




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Scene1 - Me-on Kirishima ”Deprivation"



 天井から雨の滴り落ちる放棄された廃工場で、私は二人で泣いている。

「ごめんね、ごめんね。未和奈。私のせいで…」

 恐怖と罪悪感がないまぜになってしまって泣きじゃくる私を、彼女は優しく撫でてくれる。

「ううん。いいの。未央音。あたしが、勝手にやったことだから」

 冷静に、泣きじゃくる私を馬鹿にしているのかとつい思ってしまうような冷静さで、天井から漏れてくる雨に濡れて隠れる程度の涙を流しながら、長門未和奈はそう告げる。

「あなたのためなら、あたしはいいのよ。未央音」

 その言葉にハッとして、うつむいて泣いていた顔を上げると、それが目に入った。

 倒れて動かなくなっているそいつと、放り投げられた鉄パイプ。

 濡れていく制服のひどく冷えた温度に気がついた時、私は未和奈の言葉とは、真逆のことを思いついてしまっていた。



 私の名前は、霧島未央音。いたって普通の高校一年生、そのはずだった女子である。

 普段は偏差値もまあそこそこの高校に通い、同級生と同じように授業を受け、他愛もない話で盛り上がり、周囲と馴染む程度におしゃれもして、遊びもしていた。

 しかし、私には何かが違って見えていた。

 それが、時折時間も構わずに繰り出すせいぜい二、三時間の一人散歩の所為なのかは知らなかった。そんなことをする人は大勢いるし私だけが特段変わっていたことをしていたのかと言われれば、そんなことはない。しかしその所為で、私はたぶん世間一般のいう「普通」からは外れて、少しだけずれて、そのおかげで、違って見えていたものの正体を自覚した。

 ある散歩の日。

 近くの廃工場で月を眺めていた私は、都市伝説に出会ってしまった。

 それは浮いていた。

“ねえあなた。このセカイがうそだとおもったことはなくて?"

 真っ白い肌。

 幼い容姿。

 女の子が、浮いていた。

“姫様、今日はお二人もスカウトされるのですか?"

 その声はまるで直接脳に響くように聞こえたが、誰が喋っているのかわからなかった。

“あら、ピーター。こういうひもよくってよ?”

“お体に触りませぬよう"

“だいじょうぶ。かえったらかわいがってもらうもの"

 宙に浮く女の子は、左右に視線を振りながら答える。それでわかった。左手に抱えたくまのぬいぐるみと、右に浮く木偶人形が、どうやらその会話の相手らしかった。

 なぜだか私はそれを、わかってしまった。

“ほらみなさい。このこ、もうあなたたちのことをりかいしたみたいよ"

“左様ですか。では、よしなに”

“ええ。でもこれはわたくしにごほうびがひつようです。ラツェル、かえったらおいしいこうちゃとクッキーをおねがい"

“かしこまりました"

 おそらく、ぬいぐるみが答えた。

"ねえあなた"

 それまで人形とぬいぐるみに振られていた視線が、私を捉える。

”セカイが、うそだとおもったことはなくて?”

 答えるまでもない。その言葉はどうやら、私の違和感(いわかん)を的中させるものだった。

「ど、どうしてそんなことを」

 目の前の不思議な存在に狼狽することはなかったけれど、言い当てられたことに驚いていた。

“このセカイにあるほほんとう。たったひとつまみのさとうみたいなあまいほんとうに、つれていってあげましょう"

 ぐわ、という効果音でも付きそうな勢いで彼女は私に接近して、唇に軽くキスをした。

“ふふ。きょうはいいひね、みおん。あしたは、あなたにもっとすてきなであいがまっていることをねがって"

 そう言うと、一方的に意味不明なことを告げた彼女は消えていった。

 そして私の中にひとつ、衝動が生まれてきていた。




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Scene2 - Me-on-a Nagato ”An Prisoner apple"




 嫌な夢。

 真っ暗な空間なのに、自分の足元と道は見える。

 真っ暗なところに立っている、螺旋階段。上も下も、終わりは見えなかった。

 終わりを忘れたそいつにいじめられているような感覚に陥ったあたしは目を覚ました。

 そうしたらそいつは、それに出てきて、勝手に何か言って、勝手に消えていった。

 あたしは、賢くない。

 バカでもないけど。

 そんな頭でも、今の現実っていうものが、どれだけくだらないかも、あたしなりに知っているつもり。

 もういっそ、世界にメイク落としをかけてやりたい。きっとその辺で人が死んでいて蛆が湧いている。

 何かの映画か何かで見たことのある光景だけど。

 嘘っぱちに固められて、でもそれを続けるしか、今の世界を今のまま維持することができない。

 自分に嘘をついて、その嘘で生き続ける世界。

 誰かがいれば、こんな考えを持たずに、違った生き方をしたのかもしれないけれど、あたしは孤独なのだと思う。



 長門未和奈は、生まれてすぐ母親を失い、父親はそれからすぐに女と消えた、らしい。

 粗暴な親戚に引き取られて適当に育てられたあたしは、中学進学と同時に一人で放り出された。

 それでもなんとか卒業した時、父が女に刺されて死んだと聞かされた。

 何も思わなかった。

 そして今のあたしは、高校に入ったばかり。

 これを、たった十五歳にあたしが孤独と思わなかったら、もっとたくましく生きている。

 目覚めた時、あたしは部屋にほとんど裸で寝ていた。

 眠りを絶ってくれたのは、カーテンの空いた窓から差す月明かり。

 そこにぼんやりとそいつが現れた。

“ねえあなた。おさとうはすき?”

「生クリームのが好き」

“ふふ。おくさないのね。ねえあなた、キスはおすき?”

「…美少女なら」

“わたくしは、どうかしらね?"

「んー…まあ合格かな」

“では、キスをしましょう"

「でもあんたは外に浮いてる。できないよね」

“そんなことなくってよ"

 すいと移動して窓をすり抜けて部屋に入ってくるくせに、触れる唇は明らかに唇。

 なにこいつ。

“ふふ。ようこそ、わたくしのおしろへ"

 言い残して彼女は消える。

 もう何がなんだかわからない。

 ぼんやり月を眺めていたら、少し肌寒くなってきた。

 ブランケットを引っ張り出す。

 テーブルの上には食べかけの弁当と飲み物も飲みかけで置いてあったけれど、捨てる気にも食べる気にもならない。

「朝でいいや」

 うつ伏せになると、必要ないところまで膨らんだ胸がフローリングの床に熱を奪われて、こっちは少し心地がいい。

 襲うように膨れ上がる眠気にあっさりと敗北して、あたしはまた夢に帰る。

 それでも、唇の熱と、得体の知れない衝動は忘れさせてくれなかった。



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Scene3 - Me-on Kirishima ”Replay"


 不思議な女の子の訪問から一夜明けた日。

 滞りなく授業を終えた、その帰り道。

 いつもなんとなくつるんでいる友人からカラオケに誘われたけれど、昨日のことがあってどうしてもそういう気分になれずに、用があることにして断った。

 そんなに遠方の学校に通っているつもりはなかったけれど、自宅の最寄駅から五駅程度離れているため私は電車通学だ。

 終業後、割と一直線に来たというのに、ホームには同じ学校の制服の生徒も少なからず見受けられた。

 線路を二本挟んだ向こう側も同様だった。

 アナウンスが、ほぼ同時に両方のホームに電車が到着する旨を告げてきた。

 乗り口に近いところに陣取り直して電車を待っていると、向こうのホームが見えなくなるギリギリのところで、エスカレータからホームに到着した一人の女子生徒が目に入った。なぜだか少し気になったけれど、ただそれだけ。

 その、はずだった。

 電車に乗り込むと、ラッシュの時間帯でもないので空いていた。景色を眺めたくなった私は、乗り込んだのとは逆の窓際に立つ。

 すると、おそらく先ほど電車到着の寸前にホームに登ってきた女子生徒が反対側の電車の同じところに陣取ったようだった。

 目があって、ドアが閉まる。

 それからはよく覚えていないのだけれど、おそらく一駅いったところで反対方面の電車で引き返し、元いた駅に戻ってきていたのだろう。

 自宅とは反対方向、通学時に乗る方面の引き返すために乗ってきた電車が、先ほどと同じように反対側のホームの電車とほぼ同じタイミングで目の前を走り去っていくと、そのホームに、彼女がいた。

 私は、少し息が切れている。

 けれども構わず、ホームから改札に続く階段を駆(か)け下(お)りる。

 改札階に降り立つと、少し遅れて彼女も降りてきた。

 眼が、逢う。

 それだけで、よかった。

 思い出された、昨夜の少女の予言めいた言葉。

 私たちの出会いは、月夜に浮かんだ女の子との出会いに比べて劣(おと)るけど、それでも少し不思議だった。



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Scene4-Me-on a Nagato ”Kind of sins"




 同じ学校だったこともあって、あたしたちはそれから自然と多くの時間を過ごすようになった。

 最初からわかってたからかもしれない。

 霧島未央音が、長門未和奈と一緒であるということが。

 孤独はないかもしれない。けれど一人で。

 世界を疑ってはいないかもしれない。けれど嫌いで。

 誰かを始めから求めていたのかもしれない。けれど、できなくて。

 だから、その告白は早かったんだ。

「ねえ未和奈。ちょっと話があるんだ」

 ある日の帰り道に、未央音が言い出した。

「じゃあ、どこか寄る」

「あ、うん。でもできれば、人が少ないところ」

「じゃあ、うち来れば」

「…いいの?」

「どうせ、あたししかいないし」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 少し遠慮する素振りを見せるけど、素直にうちに来た。

「一人暮らしって、いいなぁ」

 未央音がぼそりと口にする。

 周囲に人がいて、場合によっては家族がいて、それでも独りと感じる人にとっては羨ましいんだろな。でもそういう人が勢いとかで一人暮らししちゃうと、危ないから勧められない。

「うちなら、ときどきまってっていい」

「本当?!嬉しい!」

 こういう時の未央音は少し子供っぽかった。

「それで、話って」

 あたしは、別に面倒でもなんでもないけど、気になったからかな。切り出してみた。

「あ、うん。未和奈、空に浮かぶ女の子って、あったことある?人形とかぬいぐるみ連れてる」

「うん。キスされたけど、それが何?」

「やっぱり!じゃないかって思ったんだ。…ねぇ、それから、したいことっていうか、なんかこう、やりたいこと増えてない?」

「うん」

「そうだよね!よかった」

 安心したように笑顔になる未央音。けれど、あたしにはわからない。

「なんでよかった?」

「もしかして同じじゃないかなーって思ってて、それが当たったからかな」

「ふーん。ってか、そんなの当たり前じゃない?」

「当たり前?」

「うん」

「なんで?」

「あたしは、未央音を最初に見た時に、この人なら混ざれるって思ったんだけど」

 そう。

 それぞれが互い違いの電車に乗って、けれどそれでも目があった。戻ってみたら、そこにいた。

 それはあたしにとって、あの時はわりと当たり前に感じられたんだ。

「…なにそれ」

 未央音は気分が落ち込んだのだろうか。何か悪いこと言った?

「そんなのずるい」

 なぜかそれがたまらなかったらしい。

 両膝を抱えるように座っている未央音は、声が震えて、両目から光が漏れる。涙みたいだ。

「一気にそんなところに行くなんて、ずるいよ。私だって色々思っていたのに」

「ふーん」

 面倒だ、振り回されたいのなら、最後までぶん投げられたらいいのだ。キミに責任はないのだから。

 少しだけ涙している未央音の頬に手を当てて、親指で唇をなぞって、一瞬キスをする。

「…え…?」

 反対の手でくるぶしに触る。

 正確には、そことアキレス腱の間の窪み。

 体の温度を、大きく左右する足首は、きっと心の温度も振り回す。

「動かないで」

 触れている指が発光する。

 これが、多分魔女と言っていいあの浮遊する女の子にもらったキスの結果。

「何、これ」

 未央音が唖然とする。

「どう?キモチイイ?」

「すごい。ぽかぽかする」

 使って自覚する、あたしの手品の効果を。

 あたしは、心が少し痩せた気がした。

 あたしの中にある希望を、少しだけ未央音に渡した。

 これがきっと、彼女と会った理由で、未央音との出会いだ。

「…ねえ未和奈。忘れたいと思う記憶はある?」

 ひどく優しい未央音の言葉。

 でもあたしは、キモチワルイ。




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Scene5-Me-on Kirishima”Give and XXXX"



「ねえ未和奈。忘れたいと思う記憶はある?」

 告白、そんなつもりだった。

「忘れたい?…なくはないかなー」

 思い当たる記憶は、あるみたいだった。

「そう。ねぇ、なら、制服の上、脱いで」

「ん?うん」

 何か疑うような素振りは一切見せずに、未和奈は制服の上着を脱ぐ。

 いちいち、仕草が小鳥みたいで私は少し混乱する。

「脱いだよ。どうするの?」

 そういう彼女は、思ったよりも無防備だった。

 想定外。制服の上半身と一緒に、キャミソールまで脱いでしまっている。

 つまり上半身だけ下着姿。

 初めて目にする他人のあられもないちぐはぐな様子に、あたしは少し緊張する。

「…髪」

 無視する。自分の中のそんなことは、無視する。

「どっちかに寄せてもらっていい?」

 未和奈の髪は胸に届くかどうかのところまで伸びている黒髪だ。なので私は、目的を達するために、彼女を知るために、そう願いを口にする。

 無言で、片側に髪を寄せる。

 部屋の天井に備え付けられ、煌々と光るLEDが照らす彼女の首元は、真っ白で、今にも溶けてなくなりそうな気さえする。

「ちょっとだけ痛むかも」

「え?」

 疑問は遅い。

 私は、彼女の耳の下、あご骨を甘噛(あまが)みした。

 目を瞑る。最後に視界に入るのは、私を見下すように私の目を見る彼女の目。

 無言。

 少しの空白があって、彼女はそうしなければならないように目を閉じるだろう。そうしたら、全部終わる。

「…ありがとう」

 彼女が私に施したように、そのキセキの時間は終わった。思った通り。目を開くと、彼女は目を瞑っている。

 口を話すと、噛んだところがほんのり赤い。

 血の通う証だ。

「え。なにをしたの?」

「ふふ。ねぇ未和奈、忘れたいと思う記憶はある?」

「んー。…ないかな」

 そうだ。

 これこそが、私の持つキセキ。

 彼女の記憶を食べてしまう。

 それでいて、私には、その瞬間がリアルタイムだった時の感覚と共に移植される。

 苦しかったね、未和奈。

「もう大丈夫よ。私が、あなたを救ってあげる。未和奈」

 痛みは、彼女にもらった希望をじわじわと侵食しはじめている。



 それから、私と未和奈はお互いのキセキを認め合った。

 嫌なことがあったら食べてあげる。

 その会話を録音して、終わったら再生する。そうして彼女に聞かせれば、受け入れてくれる。

 そうして得た痛みを、彼女が与えてくれる、希望で癒して。

 私たちは、光も影も共にした。

 白と黒の勾玉みたいに、希望も絶望も、苦痛も快楽も、夢も希望も、全部はんぶんこ。

 嘘っぱちのくそったれな世界に、私はこれで反抗できた気がしていたんだ。

 浮遊する少女の言葉。

“このセカイにあるほんとう。たったひとつまみのさとうみたいなあまいほんとうに、つれていってあげましょう"

 それって、彼女のことだったのだ、と、思うくらいに。

 私はそんな出会いに心酔して、時間を費やして、なくてはならない存在に祀り上げていく。




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Scene6 - Me-on a Nagato ”Reject"


 

 その日は、雨だった。

 出会いからしばらく経って、普段はあたしの部屋だったけれど、時折未央音の部屋に行ったり、そういう交流が始まってしばらく経ってからのことだ。

 未央音が好きな景色を見せてくれるという話になって、あたしは学校が終わってから未央音とともに、部屋とは逆の方向の電車に乗っていた。

「ねぇ未和奈。雨は嫌い?」

 突然の質問。

「うーん。いつもじゃないけど、好きではないかな。なんかの理由で泣きたくなったりしたら、ちょうどいいんだろうけど」

「濡れちゃうの?」

「たぶんね。そんなことになったことはないけど」

「そっか」

「未央音は?」

「私はね、好きなんだ」

「ふーん」

「なんか、冷やしてくれるのがね」

「暑いの?」

「そうじゃなくて。クールダウンっていうか?熱くなりすぎるなよーって感じがする」

「熱くなりすぎるな、かぁ」

 わからないでもない話だ。何事も過ぎるのは良くない。

「そういえば、ね」

 思い出したように未央音がぼそりと言う。

「この前、ポカポカをもらった時」

「うん」

 あたしたちはもうすでに、はじめて未央音がうちに来た時のような手品の応酬をすでに何回か経験していた。

「結構、興奮してなかった?」

 …なにそれ。

「そんなことないよ」

「嘘だぁ。ちょっとほっぺ赤かったし、息が熱かった」

 どういうこと。

「…人を異常者みたいにいうのは違うと思う」

 電車は目的の駅への到着が間も無くであることを告げる。あたしはなぜだかイライラした。

 人を、いたって普通の行為で、なにもいやらしさなんてない行為で興奮する変態みたいに言わないでほしい。

 もしかしたら、その手品を、あたしはいつの間にか神聖なものとしてみていたのかもしれないと思ってしまう。

「そんなこと言ってないよ」

 未央音はあたしがイライラしているのを察知していないのか、しれっと普通に言ってのけた。

 電車は減速していく。

「あたしは!」

 自分の声にはっとする。

「そんなに、勝手に狂ってない」

 到着した電車のドアが開いて、人々が乗り降りをし始める。

「いい。もう」

 あたしは未央音を置いて、電車を降りる。追いかけて未央音(みおん)が降りてくる気配はしたけど、あたしは振り返らない。

「未和奈!」

 あたしを呼ぶ声は、雑踏の中ですごく小さく聞こえたけど、振り返らない。

 あたしたちだけの特別を、そんな風に普通に当てはめないで欲しかった。

 そこだけは、それだけまるで聖域(せいいき)みたいに、大事にしてきたつもりだったのに。

「…未央音(みおん)のバカ」

 勢いで電車を降りたせいで傘を忘れてきてしまった。

 この駅の地理なんて、未央音の家への道ぐらいしか知らなかった。

 けれど、一直線にそこに向かうのも違うなぁ、と思って、あたしは未央音の家の方面に向かう出口とは反対側の出口で雨宿りする。

 未央音と鉢合わせするのが、なんとなく気まずい。

 悪いのは、あっちなのに。

 一方的に、喧嘩してしまった。

 後悔が、ぞわぞわと大きくなっていく。

 突き放したように言いたいことだけ言い捨てて置き去りにするほどのことじゃなかった気もする。

 けれど、そうしてしまった。

 あたしは、未央音なら違うと、信じていたのかもしれない。

 見つからないようにチラチラと未央音の自宅に近い方の出口を覗いてみる。

 何度目かで、肩を落とした未央音がとぼとぼと歩いていく背中が目に入った。後ろ姿でも、間違えるはずはない。

 ちょっとだけ覚悟したあたしは、けれどすぐに声をかけることができずに、離れて後ろをついていく。

 雨は上がりかけなのか、弱くなっていて助かった。

 道はわかっているから、あとを尾けるとは言えないくらいの長い距離を開けてついていくと、どんどん人通りが減っていく。

 未央音の自宅は、駅からちょっと遠い住宅街にある。徒歩での最短距離だと、途中で古い廃工場の脇を通るのだ。

 だから、人通りも決して多くはない。全くないわけじゃないんだけど、その日は、時間帯のせいもあってかあたしと未央音とその間を歩く人影一つくらいだった。

 しばらく行って、廃工場に差し掛かると、未央音はその工場に入っていく。

 何度か通ったことはあったけど、まさか入れるとは知らなかった。

 すると、間を歩く人影も、その工場に入っていく。

 …ん?

 ちょっとだけ不審に思ったけど、あたしは様子を見ることにした。だだの女子高生ですらするする入っていけるのだ。物好きな人が公園のように出入りしていても、不思議ではない。

 しかし。

 外で様子見をしていると、少しだけ雨が強くなってきて、そう思った瞬間。

 薄く、悲鳴が聞こえた。

「未央音!?」

 それしか、思い至らなかった。

 中に駆け入って、すぐに見つけた。人目につきにくいところで、さっきまであたしと未央音の間を歩いていた人が、制服の未央音を押し倒して跨っている。

 気が動転すると同時に、あたしは切れていた。

 無言で走り出して、手近な武器になりそうなそれを手にとって、後頭部目掛けて思い切りスイングする。

 低く重い音と一緒に、それを握る手元に鈍い痺がきて未央音の上に跨る人影はゆっくり倒れていく。

 あたしはそれを投げ捨て、未央音の手を無理やり引っ張って、そいつから離れる。放棄された工場にも屋根はあるのに、そこはちょうどひどい雨漏りの滴るところだった。

 天井から雨の滴り落ちる放棄された廃工場で、あたしは未央音を軽く抱きしめる。

 喧嘩したはずなのに、悪いのはあたしなのに。

「ごめんね、ごめんね。未和奈。私のせいで…」

 恐怖と罪悪感がないまぜになってしまって泣きじゃくる未央音を、あたしはできる限り優しく撫でてみる。

「ううん。いいの。未央音。あたしが、勝手にやったことだから」

 泣きじゃくっている本人からしたら、馬鹿にしているのかと思われるのも構わず、あたしができる最大限の冷静さで、穴の空いた天井から漏れてくる雨に濡れて隠れる程度の涙を流しながら、あたしはそう声をかける。

「あなたのためなら、あたしはいいのよ。未央音」

 その言葉にハッとしたのだろうか。未央音はうつむいて泣いていた顔を上げると、その目を見開いた。

 その視線を追うと、倒れて動かなくなっているそいつと、放り投げられた、鉄パイプが転がっている。

 濡れていく制服が、かすかな体温も奪っていくそのひどく冷えた温度に気がついた時、未央音は泣き腫らしても泣き続ける目をしたまま、あたしの首をなぞってきた。



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Scene7 - Me-on Kirishima ”Absolute ego is take your answer"



 わけがわからなかった。

 電車で未和奈にひどいことを言ってしまって、初めてそっぽ向かれて落ち込んで、トイレで嘔吐して。

 一人でもう帰ってしまおうと思って、歩いていたら、つい廃工場に入ってしまった。

 雨の当たらないところでぼんやりしていたら、男が駆け寄ってきて引き倒されて、犯されかけた。

 もう、いい。

 そう思って特に抵抗する気も生きなかったけど、その手が、胸に触れた時に、彼女の顔が思い出される。

 この前ぽかぽかをもらった時、興奮していた気がした。私は、彼女のその顔が好きだった。

「い、やだ!」

 もがく。

 それまでのおとなしい私の様子から一変したように見えたのだろう。男の乱暴が少しだけ的を外し始めると、そいつが変な音ともに倒れて、そこに彼女がいた。

 呆気にとられている間に彼女に腕を取られて、男から引き離されて、優しく抱きかかえられる。

 そこでやっと涙が出てきた。

 朦朧とした頭で、何を会話したのかは定かじゃない。

 けど。

「あなたのためなら、あたしはいいのよ。未央音」

 そう言われた時に、何かが外れた。

 ゆっくりと、首を触って、傾けて。

「ねえ、私のものになってよ」

 間髪入れずにアゴ骨に噛み付く。

「え、未央音?」

 ゆっくりと食べる。

 彼女の、長門未和奈の、男を鉄パイプで殴った記憶は残して、その理由だけ消去する。

 これで。

 あと一つ。

 ゆっくり口を離す。

 彼女の眼の前には、恐怖を顔面にたたえた私の顔がある。

「ねえ未和奈。希望を頂戴。すごく、すごく怖かったの」

 記憶を食べたあとで、朦朧としている彼女の手が、ゆっくりと私の足首に添えられて、光る。

 これで、いい。

 これが、望みだったのかもしれない。

 流れ込んでくる心の熱。

 私の恐怖はどんどんほぐされていって、世界はまるで、いいことしか起きないみたいに思えてくる。

 足元の光が収まると、私は未和奈に告げる。

「ねえ、あれ、見て?」

 私が指差す先には、彼女がぼんやりと覚えている理由なき暴行の結果が打ち捨てられている。

 男の周囲は雨によって滲む赤い池。

「あ…ああ…」

 未和奈が、後悔と恐怖に蹂躙されてズタボロになっていく。

 希望を、私に渡した後だ。その効果は絶大だった。

「大丈夫。私がついてる。私しか見てないから。絶対誰にも言わない」

 嘘っぱちの共犯。

「み、未央音…」

 逃げたかった、のだろう。

 そこで、彼女の意識は闇の螺旋に落ちていく。

「…ふふ」

 穏やかな笑いが、止まらない。

 それから私が彼女を介抱するために、家に連れて行こうと立ち上がると、

 一番大きい工場の入り口に、そいつは立っていた。

 雨の中で傘もささずに、赤いフードをかぶってキャリーケースを引いている。

「うまいことやったみたいだけど、こういうことはそうそう続かないよ」

 見られて、いた?

 でも、何があったのかなんてわかるわけがない。

「あ、あなた何」

「食べて奪って。上手な悪い人。まあいいや」

 私の問いかけも無視して、続ける少女。

 脇から銀色の銃のようなものを取り出して、一言。

「穿て」

 すると音もなく倒れている男の胴体に大きな穴が開く。

「ミーちゃん」

 今度はガチ、とキャリーケースのロックが外れる。すると真っ黒なその隙間から、真っ黒な何かがガバリと飛び出して、倒れた男をその倒れている地面ごと食べるようにして根こそぎ持っていく。

 すぐにバックに吸い込まれるようにしてその黒い影は消えるが、またすぐに出てきて、地面だけ綺麗に吐き出してぴったりと元どおりに修復してしまった。

 人だけが、ない。

「じゃあね、モノクロのお嬢さん」

 そう言うと、キャリーケースを引いてどこへともなく歩いて消えた。




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Scene8 - Me-on a Nagato “Yet,I’m alone in the DARK"


 あの雨の日は、あたしをどん底に叩き落した。

 あたしと未央音の会話を覗いて、二人を襲おうしていたらしい男を、あたしは鉄パイプで殺してしまった。

 それは、見つかってしまったら終わる行いだ。

 人を、殺してしまった。

 あたしは極力、変に思われないように未央音以外の人間との接触を絶って暮らしていた。

 そうしないと、どこから何が言われるかわからない。

 誰が見ていたかも知れない。

 その日、あたしは未央音と一緒学校から帰っていたけど、途中ではねのけてしまって、一人で家に戻った。

 自己嫌悪だ。

 毎晩毎晩。

 一人で眠るたびに蘇る。

 鉄パイプから両手に伝わる頭蓋を叩きのめした鈍い痺れが、眠りを切断する。

 ただただ、すり減らすだけの心。

 手堅くなったあたしは、唯一話せる未央音に打ち明けて、泣きついてしまった。

 すぐに自己嫌悪に陥って、また未央音から逃げ出してしまった。

 この状況を打破する方法が、殺人しかないのだったら、もしかしたら人を殺してしまうかもしれないほどに。

 その記憶に、あたしは追い詰められている。

 そうして、制服のまま。

 あたしは床に寝転がって下唇を噛んでいる。

 かろうじて充電ケーブルを挿したスマートフォンが、ぶいぶいと何か告げるけれど、画面を見る気にはならない。

 眠ってしまえ、と思っていると、頭上から声がした。

“あら、あらあら。これはいけないわ"

 いつぞやの、浮いている女の子。魔女だ。

“なぜそんなに濁っているの?"

 すいー、と床に寝転がるあたしの目の前に移動してくる。

「仕方ないんだ。あたしが、してしまったことだから」

"あの子は、助けてくれなかったの?”

「助けてくれる。けれど、そうじゃないと思う」

“…気付いていないのね"

「何に」

“あの子の魔法が、なんだったか思い出してごらんなさい"

 いたずらっぽく言われるその一言に、あたしはムッとするけれど。

 未央音の魔法。

 それは、記憶を、食べ…

「…嘘だ」

“それはどうかしら。聞いてみたことがあるのかしら?"

「…信じたくない」

“それは、信じつつある人の言葉ね"

 あたしは魔女の口車に乗せられてみる。

「だって、そんな、なんで」

“思い出してごらんなさい。その時を"


 「ねえ未和奈。あたしのものになってよ」


 今は、どんな状況だ。

“気づいたのね。ふふ"

 微笑んで、すーっと、天井に溶けるように消える。

 そう、なのかな。

 だとして、あたしは。

 すると、インターフォンが来客を告げた。

「未和奈。いるのかな。大丈夫?」

 未央音だ。

 意を決する。

 あたしは起き上がって、制服を整えて、玄関のドアの、鍵(かぎ)を開ける。




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Scene0 - “.”



真っ白い部屋で時を刻み続ける時計は、時針が欠けている。



真っ暗闇の中の螺旋。

それは、始まりと終わりを、欠いている。



白と黒の、螺旋の契約は、寄り添っても混ざることはない。

終局を謳う呪い。



 そうして二人の物語は、雨に濡れ、涙に乱され、血に飢えて、立場を入れ替えながら、中途半端に時を刻む時計の針の回転に沿って、螺旋を上下にめぐり、めぐる。

 明けない夜はない。

 しかしそこには、沈まない太陽もまた、存在しない。





Will be continued….














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