第二章 

続編の王子様


 とうの展開だった卒業パーティーの帰り、馬車の中はとても静かで、落ち着いていた。

 アクアスティードの馬車は、マリンフォレスト王国の特産である木をもちいて作られている。そうしよくにも同様のさんが使われていた。

 夜の月明かりを浴びて、珊瑚はきらりとほのかに光る。

 王族の馬車ということもあり、外装も、内装もとても気品があった。やわらかいクッションを用いられているため、乗っていてもしんどうは気にはならない。


 自分の前にすわるアクアスティードをちらりと見て、しかしすぐに視線を外す。ずかしくて直視出来ないというのが、正直な気持ちだろうか。

 ティアラローズは彼のことが気になって仕方がないのだ。

 こんな重大イベントだというのに、何を話せばよいのかまったく頭にかばない。プレイ出来なかった続編の王子様が自分の目の前にいるというのに……。

 こうしやくれいじようとして、コミュニケーション能力には自身があったはずなのにと気落ちする。

 ティアラローズは仕方なく、この世界がたいになっている乙女おとめゲーム『ラピスラズリの指輪』の今後──続編について考えることにした。


 ──どうして私は、続編が発売する前に死んでしまったのか。

 いいえ、せめてしようさいが公開されるまで生きていられなかったのだろうか。とてもくやしい。

 今、ティアラローズのがんぜんゆうに座すアクアスティード王子は、『ラピスラズリの指輪』続編のメインこうりやくキャラクターだ。

 おどりしたいくらい嬉しいのだが──あやしまずにはいられない。

 どうして悪役令嬢ポジションであるティアラローズへきゆうこんしたのだろうか。

 アクアスティードの登場という、ゲームとまったくちがう展開に、正直ティアラローズの頭の中は大混乱している。

 ──自分ひとりでなやんでいるよりも、アクアスティード殿でんと話した方がいいかな?

 再び、ちらりとアクアスティードに目をやる。ティアラローズは本当に、気付かれないように……こっそりと見たつもりだったのだが、しっかりと微笑ほほえまれてしまった。

 気付かれてしまったことにばつの悪い思いをしながらも、「申し訳ありません」と謝罪をする。

「私が好きでしているのだから、なにも謝る必要はないよ。むしろ、気にかけてもらえるなんて光栄だ」

「いえ、その……。アクアスティード殿下は、女性のあこがれの的でいらっしゃいますから」

 ティアラローズが恥じらいをもって微笑み、告げた言葉にアクアスティードは少しおどろいた顔をした。

 けれどすぐにみが深くなったのに気付き、ティアラローズは自分が口にした言葉にはっとする。これでは、アクアスティードに好意を持っていますと告げているようなものだ。

「そう言われるということは、私も少しは期待していいのかな?」

「あ……っ!」

 アクアスティードの熱いまなしとともに向けられた言葉は、ティアラローズの胸にひびく。

 令嬢に人気が高いアクアスティードのがおを自分にだけ向けられて、平常でいられるほど人間は出来ていないのだ。どきどきする胸を手でさえ、小さく深呼吸する。

「あの……」

「うん?」

「アクアスティード殿下は、なぜ私に……?」

 求婚をしたのですか、とは恥ずかしくて言葉を続けられなかった。下を向くティアラローズは、耳まで赤くなっているのだから。

 そんな状態を見かねてか、アクアスティードはこれまでのいきさつを話してくれた。


「……いつも、図書館の窓からティアラローズ嬢が読書している姿を目にしていたんだ」

「え? あ、もしかして図書館裏のですか?」

「そう。かげで読書をして、表情をくるくる変えているわいい君を見つけた」

「か、かわいい……?」

 アクアスティードが言うように、ティアラローズは時間があれば図書館裏の木陰で本を読んでいた。

 それは将来おうとして恥ずかしくないように、様々な、それこそ教師が教えない知識を得るためだった。

 どうして図書館を使わないのかといえば、スイーツを食べながら読書をしたかったからだ。外の木陰であれば、おを食べ、紅茶を飲みながら読書が出来る。

 前世でも、現世でも、ティアラローズはお菓子が大好きだった。何かをがんるには、お菓子はひつと言っても過言ではない。

 加えてほかの生徒もいないため、自由に楽しい時間を過ごすことが出来る。そばにいるのは、じよのフィリーネだけだった。

 ──見られていたなんて、恥ずかしい。

 歴史書や外国語など、勉強のために本をたくさん読んだ。しかし同時に、れんあいの話なども読んでいた。

 いったいどんな顔をして本を読んでいたのだろうと思い返して、恥ずかしさがげる。穴があったら入りたいというのが、今のティアラローズの心境だろう。

な顔をして本を読んでいるかと思えば、次のしゆんかんには顔を赤くして照れたり。涙ぐんでいる時なんて、きしめたくて仕方がなかったのに」

「……っ! わ、忘れてください!!」

 アクアスティードの言葉があまりにも恥ずかしく、ティアラローズは両手で自分の顔をおおう。恥ずかしくて、とてもではないが顔を見せられない。

 しかし、すぐに顔を覆った手をアクアスティードに解かれた。「それは無理」と言いながら、金色の瞳がティアラローズだけを見つめる。

 ティアラローズの指に自分の指をからめて、やさしく顔からはなしていく。

「あ……」

「せっかくいつしよにいるんだ。もっと顔を見せて?」

「……っ!!」

 あまい声で、ささやくように微笑まれる。

「そ、その……見られていたなんて、思わなくて」

「いや──私も、のぞくようなかたちになってしまって申し訳ないと思っている。でも、毎日のように木陰で読書をする貴女あなたに、私は日に日にとりこになったんだ。それはもう、自分でも驚くほどに」

 いとおしそうにティアラローズの手をつつみ、「本当だよ?」と言葉を続ける。

「でも、君はハルトナイツ王子のこんやくしやだった。さすがに、他国の王族の婚約者をうばうことなんて出来ないからね」

「!」

 ハルトナイツの婚約者であり、ラピスラズリ王国の王妃を約束された身。それがティアラローズだ。ちがっても、けつこんどころか婚約の申し込みすら出来ない。

 そのため、アクアスティードはまんをするつもりだったと言う。


 当初の予定通り、一年の留学期間を終えたら国に戻り、ティアラローズのことは忘れようと……そう考えていた。

 だが、アクアスティードにとっての転機がおとずれた。

 断罪イベントが行われた卒業パーティーだ。

 この機を利用しない手があるだろうか?

「まさにぎようこうだった。このチャンスをのがしてはならないと、私も必死だったんだ」

「…………アクアスティード殿下」

 優しくティアラローズのかみれながら、ちよう気味に言葉をつむぐ。

 ──こんなことを言えば、ティアラローズ嬢にきらわれてしまうだろうか?

 けれど、それほどまでに貴女が好きだと伝えたい。

かつこうわるいだろう?」

 王太子である自分が、一人の女性を必死に見つめて、婚約者の男からうばれる機会をうかがっていたのだ。

 ドン引きされても無理はないと、アクアスティードは思う。

 しかし、そんな不安な気持ちをいつそうしてくれるのもティアラローズだ。


「そんなことありません。一人であそこに立っていた私にとって、アクアスティード殿下の存在はとても心強かったです」

 たとえ自分が悪くないとわかっていても、やはりきんちようはするし、ティアラローズの中にはどこかに大きな不安があった。

 そんな時に、自分を助ける声。それがどれほど心強く、うれしいものだったか。

 背後から聞こえたアクアスティードの声に、いったいどれほど救われただろうか。

 独りぼっちのあの場所で……。

 ──! これ以上思い出したら、恥ずかしくてけてしまう。

 思考回路を閉ざさなければ、どんどん顔が赤くなってしまう。さすがにそんな姿を彼に見せる勇気はなくて、あわてて話題を変える。

「アクアスティード殿下とは、夜会で一度ごあいさつをさせていただいたきりでしたね。なので、とても驚きました」

「そうだね。私は夜会にはあまり参加せずに、出てもすぐに帰っていたからね」

 夜会という社交の場でほとんど顔を合わせなかった二人。そのため、アクアスティードとティアラローズがまともに話をするのは今が初めてなのだ。

 ほとんど初対面に近いというのに、ふんはとても落ち着いていて、せまい馬車の中はとても心地ここちよい空間になっていた。

「不安はない? あそこにいた令嬢に、いろいろと言われていただろう」

 心配するアクアスティードの言葉。少し考えて、不安はないと結論を出す。

 あの自分勝手だったアカリに何を言われても、傷ついたりはしない。ティアラローズの言葉はどれも正当な主張であったのだから。

 それに、かのじよの友人であるほかの令嬢も、だんからアカリに対していい感情を持ってはいなかった。これからも、仲良くしてもらえるという安心がティアラローズにはあった。

「……そうですね。ですが、不安はないです。今後の話し合いなどはあるでしょうけれど、わたくしとしては、こうして屋敷に戻れるだけでとても嬉しいです」

「そうか。ハルトナイツ王子が追放とまで言うから、少し驚いていたんだ。まぁ、もし追放するというのであれば──私がさらってしまおうかとも思ったけれど」

 悪戯いたずらたくらむように笑いながら、アクアスティードがティアラローズの髪を手に取って口づける。

 その真剣な眼差しを見る限り、じようだんだとはとてもではないが思えない。

 いっきに加速するティアラローズのどうが、アクアスティードに聞こえてしまうのではないだろうか。

 そんなはずはもちろんないのだけれど、それほどまでに心臓の音は大きかった。

 思わず「からかわないでください」と言えば、アクアスティードからは「本気だったんだけどな」と、ストレートな言葉が返ってくる。

 ──うぅっ、恥ずかしい!!

 どうしてこの王子様は、こんなにも恥ずかしいことを平気で言ってくるのだろうか。

 乙女ゲームのキャラクターだから? それとも、本来の性格だろうか。

「……それはそうと、ティアラローズ嬢。デートにおさそいしたいのですが、お時間をいただけませんか?」

 次はティアラローズの手のこうにそっと口づけ、アクアスティードがアプローチする。彼の留学期間の一年は、もうすぐ終わりを迎えるのだ。

 近いうちに帰国しなければならないため、時間にあまりゆうはなかった。

 もちろん、それについてはティアラローズも承知している。それゆえ、アクアスティードが本気でかかってきたらげられないとも思った。

 けれど、それを嬉しいと思ってしまう自分もいた。

「はい。もう学園は卒業しましたし……はなよめしゆぎようとして、ハルトナイツ様の下へ通うということもなくなりましたから」

 しようしつつ、「時間はたくさんいています」と続ける。

 婚約者がいて、卒業後に結婚をする令嬢は一年間の花嫁修業をするのがこの世界の通例だ。しかし、ティアラローズは婚約がとなるためその必要がなくなった。

 今後の予定はすべてキャンセルとなる。


 なるほどとうなずき、アクアスティードは日程の提案をする。

「そうか。なら──……三日後で、どうだろう?」

「はい。よろしくお願いします」

「よかった。では当日、迎えに行くから待っていて」

 おそらく明日はアクアスティードとアレクサンダー国王の会談。さらに翌日は、ティアラローズが国王に呼ばれるだろう。

 ティアラローズのことを最優先に考えて、しゆんにスケジュールをはじき出した。

 それに、準備をする時間も必要だ。りんごくの王太子ととつぜんのデートでは、ティアラローズも困ってしまう。


 顔を赤くしながらも、りようしようの返事をするティアラローズはとても可愛いらしい。図書館の窓からそっと見ていた毎日が、まぼろしのように思えるほどに。

 ──馬車に二人きりなんて、このまま連れ帰ってしまいたいな。

 思考回路がどんどん、彼女であふれていく。

 自分はこんな性格だったろうかと苦笑しつつ、アクアスティードはティアラローズへと再び視線を向けた。

 赤く染まった?ほおりんのようで、いつまで見ていてもきる気がしないなと……彼女に聞こえないくらい小さくつぶやいた。


 アクアスティードがそんなことを考えているとは、ティアラローズはつゆほども思わない。

 そしてふと、疑問が浮かぶ。

 ──続編でもあるこの世界には、続編のヒロインはいないのだろうか?

 ゲームの発売前に死んでしまったティアラローズは、まったく情報を持っていないため、存在していたとしてもわからないだろう。

 攻略対象者ですら、アクアスティードのみの発表だったのだ。ヒロインなど、とてもではないが情報が開示されていない。むしろ開示されない可能性の方が高い。

 あくまでメインは、攻略対象キャラクターなのだから。

 ──アクアスティード殿下は、本当に私でいいのかな?

 今は自分に夢中なアクアスティードも、続編のヒロインが出てきたらその女の子に夢中になってしまうのではないだろうか。……ハルトナイツのように。

 そんな不安が頭をよぎり、ティアラローズの胸が不安にれる。

「ティアラローズ嬢?」

「あ、いえ……。その、アクアスティード殿下が私を好いてくださっているのが、いまだに信じられなくて」

 だって、続編にもヒロインがいるはずだから。──などとは、口がけても言えないが。

 ティアラローズの不安が伝わったのか、アクアスティードは安心させるように微笑む。

 そしてばされた手が、ティアラローズの前髪に触れて髪を揺らす。

「そんなに疑われていたなんて、ひどいな。こんなにもティアラローズ嬢が可愛くて好きで仕方がないのに」

「……っ!!」

 ふわりと、アクアスティードのくちびるがティアラローズの額に落とされる。ほんの少しだけ触れたそれは、言葉以上にティアラローズの鼓動を加速させた。

「可愛い。……けど、残念。とうちやくしたようだ」

 アクアスティードの唇が離れたのと同時に、馬車がゆっくりと止まった。

 そっと小窓から外を見れば、そこはティアラローズのしきだった。どれだけタイミングを見計らったのかと、そう驚いた目で彼を見る。

 だが、アクアスティードは意味深に微笑むだけで何も言わない。

 顔を赤くしながらも、アクアスティードにエスコートされ屋敷へともどったのだった。




 卒業パーティーから二日後、ティアラローズは父親であるクラメンティール侯爵と共に国王へえつけんするため登城した。

 応接室へと通され、声がかかるのを待つ。落ち着いたアイボリー色で統一された室内は、とても上品だ。

 めつに国王と会うことなどないティアラローズは緊張し、朝から表情をかたくしていた。失礼のないように髪を整え、ドレスはせいな落ち着いた色合いのものを選んだ。

 自分は悪くないとは思っていても、王太子であるハルトナイツに婚約破棄をわたされ、国外追放を告げられたのだ。

 もしかしたら、卒業パーティー後にゲーム補正があったかもしれない。

 ──登城したたんに取り囲まれてろうに……という考えものうをよぎった。

 もしかして、今からでも自力で逃げた方がいいのだろうかと考える。

 どんどんとマイナス方向へと思考が落ちていき、ティアラローズの顔は曇っていく。

「どうしたんだ、ティアラ。心配せずとも、私が傍にいる」

「お父様……」

だいじようだ。ティアラには、今回つらい思いをさせてしまったね。よかれと思っていた殿下との婚約が、逆にティアラを傷つけてしまうとは」

「いいえ。わたくしは気にしておりません」

 怒りをあらわにして顔をゆがめる父親に、ティアラローズはあわてて「大丈夫」だと告げる。

 だれが見ても明らかなほどに、クラメンティール侯爵は娘をできあいしている。この国の貴族であれば、知らない者はいないのだ。

 父を攻略するなら、先に娘を攻略するのがいい──。そんな鹿なことを言いだす貴族もいたほどに、有名な話だった。

「まぁ、いい。婚約期間に、殿下のほんしようがわかってよかったというものだ。あんなやからに、私の可愛いティアラをとつがせるわけにはいかないからな」

「…………」

 ふんと鼻息をあらくし、ハルトナイツがいないのをいいことにいろいろと口にする。

 ここは屋敷ではなく、王城であることを父は理解しているのだろうか……。ティアラローズはあせるが、この国の権力者である父に言ってもだろうと口は開かなかった。

 女官の用意した紅茶を口にして、運命の時を待った。




 赤くごうじゆうたんは、ティアラローズの足音をいとも簡単に吸収する。

 長いろうかべは色とりどりの花や、歴代の王たちのしようぞうかざられている。現在の国王はハルトナイツの父親でもあるアレクサンダーだ。

 そのとなりには、きっとハルトナイツの肖像画が飾られるようになるのだろう。


 ──でも、どうしてこんな所に来たのだろうか?

 国王に呼ばれ、父親と一緒にこの場所へと連れてこられた。

 歴代の王たちの肖像画が飾られるこの廊下は、王宮のおくまったところにあり、滅多に人がくることはない。加えて、立ち入るには王族の許可が必要な場所だ。

 まったく理由がわからず、ティアラローズは不安に首をかしげる。

「……歴代の王たちの後を追い、今は一番後ろに私の肖像画が飾られている」

「ええ。もちろん存じていますよ」

 ゆっくりと口を開いた国王にあいづちを打つのは、クラメンティール侯爵だ。

 先ほどまでの父親の顔ではなく、王のかたうでしようされているさいしようの──ラピスをたまわった侯爵としての顔がそこにあった。

 国王は壁のあいたスペースに手をついて、どこか遠くを見ている。そこにはいずれ、王太子であるハルトナイツの肖像画が飾られる。

「ティアラローズ嬢は、ここへハルトナイツと来たことがあるね」

「は、はい。幼いころに、一度だけ……」

 いくつの頃だっただろうか。学園へ入るよりも、ずっと前。

「確かあれは……私とハルトナイツ殿下が十さいの時でした」


 十六歳のティアラローズとハルトナイツが婚約をしたのは、たがいが六歳だった十年前。その後何度か両親を交えて会いはしたが、二人で遊ぶというようなことはなかった。

 初めて幼い二人が手をつなぎ、じやにお城を探検したのが十歳の時。

 その際に、ハルトナイツがティアラローズをこのかいろうへ連れてきて、王たちの肖像画を見せてくれたのだ。

 自分の父親であるアレクサンダー国王の肖像画をまんし、さらにその隣には自分の肖像画が並ぶのだと胸を張ってほこっていた。

 あの頃は可愛かったのに、どうしてあんなお馬鹿に育ってしまったのですかハルトナイツ様。と、言えたらティアラローズはどんなに楽だっただろうか。


「……ここに、自分の肖像画が飾られるのだとはしゃいでいたかい?」

「は、はい。へいのことも、とても誇らしげにお話しくださいました」

「そうか」

 国王は目を細め、なつかしそうに口元をゆるめる。幼い頃のハルトナイツのことを思い出しているのだろうと思い、ティアラローズはそれ以上何も言わずにひかえる。

 国王はゆっくりティアラローズへ向き直り、まだ見ぬ肖像画の場所に手を触れた。

「だが、ここにハルトナイツの肖像画が飾られることはない」

「え──……?」

「ティアラローズ嬢。このたびは、そくが大変申し訳ないことをした。すまなかった」

「……っ!」

 謝罪の言葉と共に、深く腰を折った。国王が、ティアラローズへ深々と頭を下げた。

 肖像画を飾らないということは、ハルトナイツから王位けいしようけん?はくだつするということだ。

 その事実に息を?み、しかし何を言えばいいかわからず父に目をやる。が、その瞳はすべてを承知していることを物語っていた。

 ──お父様が、今日のことをご存じないはずなかった……。

 でも、今はそんなことを気にしている場合ではない。

「陛下、お顔をお上げください! 陛下がわたくしにあやまる必要など、ございません!!」

 王族の、しかも国王陛下に頭を下げさせるなど──たとえ国王が悪くとも、ティアラローズはとしない。慌てて顔を上げるようにお願いするが、しかし国王はすぐには顔を上げず、ゆっくり十秒は待ってから視線を戻した。

かんだいな心、感謝する。……今回の件、詳細はこちらでしっかりと調べさせた。ティアラローズ嬢には本当に辛い思いをさせた。本当に、申し訳ない」

「いいえ。わたくしこそ、もっとハルトナイツ殿下とお話をすればよかったのです」

「本当に、話せば話すほどティアラローズ嬢は息子むすこにはもったいないな」

 ハルトナイツに歩み寄ろうとしなかった自分も悪いのだと、自分自身にも非があるのだと国王へ伝える。

 横で父親がそんなことはないという顔をしているが、今は気にしている場合ではない。

 そして国王の言った言葉について尋ねる。

「あ、あの……」

「うん?」

「ハルトナイツ殿下の肖像画をここに飾らないというのは……」

「本当だ。ここにハルトナイツは相応ふさわしくない」

 さすがにそれでは、ばつが重すぎるのではないか。ティアラローズはそう考えるが、国王の意思は堅いようでひるがえすことはない。

 いつかいの貴族の、しかも小娘であるティアラローズの意見が国王に聞き入れられるとは思えない。

 しかし、ティアラローズは今回のがいしやだ。本人が必要ないと主張しようとしているのだが、国王も父親も厳しい表情をくずしはしない。

「わたくしもハルトナイツ殿下も、まだ十六です。特にハルトナイツ殿下は、これからご成長されるでしょう」

「……本当に優しいのだな。パーティーであれほどのことを言われたというのに、まだ息子を気にかけてくれるのか。だが、これは私の決定だ。くつがえすことは、決してない」

「……かしこまりました。わたくしは、陛下のお心に従います」

 何度も国王に進言するのは、失礼にあたる。ティアラローズは了承のむねを伝え、国王へ礼をとった。この話はもう終わりでいいと、そう意思を示したのだ。

 ほかの決定こうに関しては、後ほど屋敷で父親にかくにんをすればいい。いそがしい国王の時間を、ティアラローズばかりがどくせんするわけにはいかない。

 しかしそんなづかいもむなしく、国王は続けて口を開く。

「時にティアラローズ嬢。アクアスティード王子のことはどう考えているのだ?」

「えっ!?」

 ティアラローズは突然の問いかけに、思わず声をあげてしまう。慌てて口元を押さえるが、後の祭りだ。かなりどうようしてしまった。

 加えて、不意打ちのようなその質問に、ほんのりとティアラローズの?が染まる。


 ──どうしていきなりそんな話になるの!?

 もちろん、アクアスティードのことは好きに決まっている。前世でキャラクターイラストを見たときからねらっていたのだ。嫌いなはずがない。

 遠くからながめていた以前に比べて、今はとてもきよが近い。そのため、どう反応すればいいのかわからないときもある。

 もしかして、続編のゲームが始まっているのかもしれないと──そんな考えが、脳裏をよぎったこともあったほどだ。


 慌てて父親へと視線を向ければ、「そうだなぁ」と頷いている姿が目に入る。国王を止めて欲しかったのだが、無理だとさとる。

「私はティアラの意思を尊重するが、アクアスティード殿下はもうすぐ帰国なさるからな。正直、どう思っているんだ?」

「お父様……。アクアスティード殿下は、わたくしにはもったいないお方ですわ」

「ふむ。つまり、嫌いではないということか」

 ひかえめなティアラローズの言葉をって、クラメンティール侯爵はいい笑顔で頷く。隣では国王も「ほぉ……」と、嬉しそうに声を出して笑った。

 ──なんだか、二人共とっても楽しそうなのだけれど。

「ティアラローズ嬢とハルトナイツの婚約は、正式に破棄されている」

「そして、アクアスティード殿下からは、正式に婚約の申し込みをいただいている」

「……っ!!」

 あまりにも早い展開に、思わずよろめいてしまう。正式に婚約を破棄するだけでも、通常は一ヶ月以上の時間が必要だというのに。

 それが、そくじつ。どれだけじんそくに処理を進めたのだとさけびたいしようどうにかられた。

 しかも、父親が告げたのは正式な婚約の申し込み。間違いなくアクアスティードが裏で手を回して婚約破棄を行ったのだが、ティアラローズはそんなことに気付かない。

「正直、私はハルトナイツよりもお似合いだと思ったんだ。卒業パーティーのあの場で、ティアラローズ嬢をかばい、前をえたアクアスティード王子はよき王になるだろう」

「そして何よりも、ティアラのことを好いてくださっている。ティアラがよければ、このまま話を進めるが……。まぁ、すぐに決めろなどとは言わないし、アクアスティード殿下もお待ちくださるそうだ」

 どこか楽しそうな父親と国王の様子に、どっとつかれてしまう。……もちろん、アクアスティードの申し入れはこの上なく嬉しいと思うけれど。

「……おこころづかい、感謝いたします。わたくしが今お返事をしても、アクアスティード殿下はよしとされないでしょうから。改めて、お話しさせていただきます」

 続けるティアラローズの言葉に、「もちろん」と父親は頷いた。

 時間がないため先に婚約の申し入れこそしているが、それはクラメンティール侯爵への誠意だ。決していい加減な思いではないのだと、行動で示している。

 そんなアクアスティードの姿勢も、クラメンティール侯爵には好印象だった。

 国王も大きく頷き、「幸せになってくれ」と言葉をおくった。

 まるで自分の娘を思うようなその言葉に、ティアラローズは胸が熱くなる。

 よき王であるアレクサンダーが治めるこの国とは、きっと離れることになるだろう。

 まだ婚約の返事をしてはいないが、ティアラローズはそう思った──……。




 国王との面会は無事に終わり、ティアラローズは自室でぐったりとしていた。

 夕飯のデザートには大好きなケーキを食べて、紅茶を飲んだ。入浴もいつも以上にゆっくり時間をかけたので、体はほかほかで気持ちがいい。

 可愛らしい装飾品とレースの多い部屋は、ティアラローズのお気に入りだ。家具は木製を好んで使っているため、全体的に柔らかい雰囲気に仕上がっている。

 ソファには、いつでもゆっくりできるように大きなクッション。それをきゅーっと抱きしめて、もふもふとしたかんしよくを楽しんでいた。

「……でも、これでゲームは終わりよね。この後は、つうの生活になるのかしら」

 首を傾げてみるが、しかし答えはわからない。

 国外で生活するつもりだったけれど、このままではアクアスティードに嫁ぐという可能性が高そうだ。


 ──でも、アクアスティード殿下は続編のメインキャラクターだ。

 自分がせいに選ばれるという未来が、どうしてもおもえがけなかった。

 どうしようと、くるくる頭の中で悩みが混ざっていく。ゲームのこと、自分のこと……アクアスティードのこと。

 彼のことを考えると、どきどきした。

「……やだ、わたくしったら。確かに、アクアスティード殿下の公式情報が出た時は、好みのキャラクターだったからはしゃいだけど」

 懐かしいなと思い返しつつ、プレイ前に死んでしまったことがやはりやまれる。


 ティアラローズとしてこの世界に生を受けて、今まで生きたおくがある。

 日本人として、生活していたプレイヤーの記憶がある。


 両方の記憶があるなんて、不思議。そう思いつつも、彼女はティアラローズであり、ただの恋する女の子でもあるのだ。

「そういえば、ヒロインのアカリ様もアクアスティード殿下のことがお好きみたいだったな……」

 このゲームの攻略キャラクターではないのに、どうしてアクアスティードへ走りよったのかがいまいちわからなかったのだ。

 ──もしかして、権力が好き?

 そうであれば、彼女がとった行動にもなつとくは出来る。アクアスティードやハルトナイツ本人ではなく、王太子という身分にりよくを感じている可能性も十分ある。

「ううん。でも、そんなヒロインはいやだなぁ」

 仮にも、自分だって前世ではヒロインプレイヤーとしてこのゲームをプレイしていたのだ。もやっとしてしまう気持ちが胸の内に込み上げた。

「……とりあえず、今日はもうてしまおう」

 そう自分に言い聞かせ、しんしつへ向かおうとしたとき、コンという軽い音に足を止めた。

「──え?」

 いったい何の音だろうかと、部屋の中をわたす。

 飾ってある絵画がずれてしまったとか、小物がたおれてしまったのだろうと思っていたけれどそんな様子はない。

 原因がわからず首を傾げていると、もう一度コンという音がした。今度ははっきりとその音源がわかり、ティアラローズは窓へと向かう。

 ──誰かが小石でも投げていたずらをしている?

 どうやら窓に何かが当たっているらしい。しんしやだったらぐに人を呼ぼうと決めて、ティアラローズはそっと窓から外を見る。

「……え?」

 ──アクアスティード殿下?

 窓の外にいたのは、卒業パーティーで自分に求婚をした張本人、アクアスティードだった。

 どうして隣国の王太子がこんなところにいるのだとか、護衛もつれていないのだとか、気になることはたくさんあったけれど──それよりなにより、胸が高鳴った。

「アクアスティード殿下!」

「こんばんは、ティアラローズ嬢。今夜は月がれいですね」

 ティアラローズを助けてくれた時と同じ優しい笑顔で、あいさつをされる。すぐさましゆくじよの礼を返すが、頭の中は大混乱だった。

 どうして、なぜ、彼がここにいるのか。もちろん、会いに来てくれたということはわかったけれど、こんな嬉しいイベントは乙女ゲームにだってなかったのだ。

 にやけないように、両手で必死に?をさえた。

 窓を開けてバルコニーに出れば、アクアスティードはすぐ横にある木を登り、ティアラローズの下までやってきた。

 出来るだけ冷静に対応しなければと、体が緊張する。

「ど、どうしてこのようなところに、しかもお一人で……?」

「いきなりで申し訳ない。でも、どうしてもティアラローズ嬢にお見せしたいものがあってね。さすがに、夜の訪問はクラメンティール侯爵も許してはくれないだろう?」

 だから、そっとしのんできたという。さすがにそれは、マナーがいいとは言えないのではないだろうか。

 まどいつつアクアスティードを見れば、「部屋に入れてなんて言わないから」と微笑んだ。

「いきなりだったことは、もちろん謝罪させていただく」

「いえ、そんな……」

 これ以上、王族に頭を下げられては身が持たないのではないかと思う。どうしてこんなにも、みんな頭を下げるのか。

 許されたことにほっとしたアクアスティードは、すぐに本題へ入った。

「ティアラローズ嬢は、ようせいの星祭りを知っている?」

「もちろんです」

「よかった。今日は、それを見せたくて来たんだ」

 ──え?

 アクアスティードの言葉に、ティアラローズの頭がいつしゆん真っ白に染まった。


 妖精の星祭り。

 ゲーム『ラピスラズリの指輪』のエピソードで、ヒロインが親密度の一番高いキャラクターと見ることの出来るイベント。


 空一面にきらきらと星が降りそそぐそれは、げんそう的で乙女の夢がたくさん詰まっている。うるわしいスチルはファンにとても人気があった。

 ──でも、それを一緒に見ることが出来るのはヒロインと攻略対象者だけのはず。

 間違っても、続編のメインキャラクターであるアクアスティードと体験できるイベントではないはずだ。

 それに、一番の問題として……今日は、妖精の星祭りイベントの日ではない。

「ええと、今、ですか?」

「時期ではないけれど、妖精の力を借りてね」

 にこりと微笑んで、アクアスティードはバルコニーの手すりを背にして夜空を見上げる。

 アクアスティードの祖国マリンフォレストには、森、海、空の妖精が暮らしている。その妖精たちが年に一度、夏の日の夜に星を降らせるのだ。

 見ることが出来るのは基本的にマリンフォレスト王国ではあるのだが、ラピスラズリは隣国にあたるので場所によっては見ることが出来る。それが、ゲームのイベント。

 ──妖精が力を貸すなんて、すごい……。

 やはりゲームのキャラクターということもあり、アクアスティードはそつなく何でもこなすのだ。整った容姿も、ゆうしゆうな頭脳も、ばつぐんの運動神経も。

 どんな人だろうと何度もイラストを見て想像した。彼はまさに、ティアラローズにとって理想の王子様だ。

 今はそのすべてが、自分へと向けられている。

 アクアスティードのダークブルーの髪は夜に溶けるようで、どこかはかない。けれど金色の瞳はぐにティアラローズを見つめてくるから、すきがない。

 これで、どきどきしないなんて、そちらの方がどうかしている。

 そんなに見つめないで欲しいと、願うように思う。

「妖精よ──……」

 アクアスティードが右手を上げると、さぁっと心地よい風がく。彼の声に呼応するかのように、さわさわと木々も揺れた。

「ティアラローズ嬢、お手を」

「……は、はい」

 すっと、アクアスティードの左手が差し出され、ティアラローズはゆっくりと自分の手を重ねる。

 引き寄せられ、バルコニーの手すりを背にする形で隣に並ぶ。

 どきどきして、うすのカーディガンをきゅっとにぎりしめる。そうすれば、「寒いでしょう?」と、アクアスティードが自分の上着をそっと羽織らせてくれた。

「女の子が、こんなおそくにうすはいけないからね」

「あ、ありがとうございます……。ですが、これではアクアスティード殿下がおを引かれてしまいます」

 気遣いはとても嬉しいのだが、相手は王太子。ティアラローズよりも、よほど風邪を引いてはいけない人物なのだ。

 頑張って気を遣ってみるが、アクアスティードは首を振ってそれを受け付けはしない。自分の愛しい女性が寒そうにしていて平気な男が、どこにいるだろうかとその顔が告げている。

「私はきたえているから大丈夫。心配なのは、ティアラローズ嬢の体調だけだ。疲れてもいるだろうに、ごういんでごめんね?」

「いいえ。わたくしは、えと……嬉しいですから」

 申し訳なさそうに言うアクアスティードに、正直に言葉を返す。これは気遣った言葉ではなく、本心だ。

 アクアスティードのキャラクターは大好きだったのだ。求婚されるという展開に加え、妖精の星祭りイベントを一緒に見ることが出来て、嬉しくないはずがない。

「ティアラローズ嬢……」

「は、はい──?」

 そっと口元を押さえて、ティアラローズの名前を呼ぶ。戸惑いつつも返事をすれば、彼の視線が彼女をらえる。

 大きく息をはいて、アクアスティードは彼女のかたぐちに少しだけ頭を寄りかからせる。体重はかけずに、ほんの少しだけ、触れるかもしれないというもどかしい距離。


「──どうしよう、ティアラローズ嬢。……私も、すごく嬉しい」

 ティアラローズの言葉をそのまま受け取ったアクアスティードは、嬉しいのが自分だけではなかったということにあんした。

 嫌でなければいいなと思っていたのに、嬉しいと言ってもらえるなんて。これは、張り切らないわけにはいかないだろう。

「あ……っ! わたくし、その……」

 どんな反応を返せばいいかわからないようで、ティアラローズはわたわたと手を振った。そんな姿は可愛いだけなのだけれど、彼女はそれに気付かない。

 耳まで赤くしてうつむく姿を見て、申し訳ないと思いつつもくすりと笑ってしまう。?が緩むのを、止められない。

 すように空へ視線を向けて、ティアラローズをゆうどうする。

「空を見てごらん」

「そら──……うそ、すごい。綺麗」

 彼女の口かられたかんたんの声に、ほっとする。

 すべては、喜んでもらって笑顔が見たいというアクアスティードの考えだ。

 少しでも好きになってもらえたらいいという……下心もありはするけれど。

「よかった」


 妖精の星祭り。

 ゲームと違い、実際はこんなにも感動出来るイベントだったのか。その幻想的な美しさに息を?み、夢中で夜空を見上げた。

 雲がとても速く動き、カーテンがさっと開くように星たちを見せる。雲のなくなった夜空では、踊るように星が流れた。

 流れ星とも少し違う。くるくると回るように、ぴかぴかとてんめつするように。まるで星たちが互いに会話を楽しんでいるような、そんな光景ががんぜんに広がっていた。

 ──これを、アクアスティード殿下が行ったというのだろうか。

 そうだとしたら、すごいという一言につきる。人間が出来るとは思えない所業を、彼は自分のためにしてみせてくれたのだ。

「すごい、すごいです。アクアスティード殿下……っ!」

 ぱっと、横にいるアクアスティードへ笑顔で話しかける。

 星空がすごいです、と。けれど、そんな星空よりも、優しく嬉しそうに微笑むアクアスティードに驚いた。

 彼の笑顔が、イベントスチルとかぶったのだ。星降る夜空を背景にして、そっとこちらに手を伸ばそうとしている瞬間。それが、スチルの各キャラクター共通こうもくだった。

 まさに今、彼はティアラローズに手を伸ばしていた。もちろんその手はそのまま伸ばされて、優しく彼女の髪をでる……。

「あ……っ」

 甘いいきが、ティアラローズから漏れる。髪に触れられて、ぴくりと肩が揺れた。

 すべてを包み込むようなアクアスティードの大きな手に触れられたところが、くすぐったい。

「ティアラローズ嬢に気に入っていただけて、よかった」

 アクアスティードは、嬉しそうに微笑む。

 宝物を扱うように、優しく、ていねいに。甘いみつのようだと、ティアラローズは思う。

 視線が絡み合うように重なって、視界にはアクアスティードの金色の瞳しか映っていない。


 静かな夜空の下で、どきどきと心臓の音だけが聞こえるようだ。

 ──どうしよう、まれてしまいそう。

 何か言わなければと思うのだけれども、何も言葉が出てこない。

 自分のためだけに、星を降らせてくれたアクアスティード。喜んでもらえたことが嬉しいと笑うアクアスティード。

 だから、気付いた時には言葉が出ていた。

「アクアスティード殿下。もしよろしければ、紅茶をれさせてください。私のお気に入りを準備します」

「ティアラローズ嬢……。さすがにそれは、ごえんりよします」

 初めに部屋へ入らないと告げたのは、アクアスティードだ。誘われたからといって、はい喜んでというわけにはいかない。

 ティアラローズもそれに気付き、恥ずかしくなる。自分から部屋に男性を招き入れるなんて、令嬢のしていいことではない。

 ──はしたないと、思われてしまったかしら。

 けれど、一度誘ってここで引くのもなんだかさびしい。そう思い、室内の中でなければという考えが脳裏をよぎる。

「なら、ここはどうでしょう? わたくし、ティーセットを持ってきます」

「そこまで言われては、受けないわけにはいかないね。ぜひ、お願いするよ」

 くすりと笑い、アクアスティードは了承する。

 彼女との仲を接近させたいのだ。断る理由なんて、なにもない。


 急いで自室へと戻り、いつでも飲めるように用意されているティーセットの準備を始める。もちろん、スイーツを準備することも忘れない。

「ええと、紅茶と、マドレーヌにしよう。それからマカロン。少し冷えるから、はちみつを入れてみよう」

 侯爵令嬢とは思えないなれた手つきで、整えていく。

 アクアスティードに喜んでもらうことを考えながらだったため、あっという間にたくが終わった。

「お待たせしました、アクアスティード殿下。寒くないですか? 何か羽織れるものもご用意しますね」

 すぐにもう一度戻ろうとするが、アクアスティードに不要だと断られる。ならばせめて上着をへんきやくしようとするも、「着ていて欲しい」と言われてしまう。

 ……実はさきほどから、アクアスティードのかおりが気になって仕方がないのだ。

 自分のにおいではない服になれなくて、そわそわしてしまう。

 ごまかすように紅茶を差し出して、ティアラローズはバルコニーの奥に設置してあるソファをアクアスティードにすすめる。

「こんな場所があったんだね」

「はい。晴れた日は、ここでよく読書をしているんです」

 このバルコニーは、ティアラローズの自室に?つながっている。しかし、角部屋になっているため同じようにバルコニーもくの字型に設置されているのだ。

 角を曲がってしまえば、部屋からは見ることの出来ない秘密の空間が出来上がる。

「なんだか、いけないことをしている気分になる」

「……っ!!」

 二人並んで座ると、アクアスティードがそっとティアラローズの肩を抱き寄せた。

 寒いから、紅茶を飲みながら少し雑談を。そう考えていたので、あまりにも急な甘い展開にどうしたらいいのか頭が真っ白になる。

 ──やだ、恥ずかしい!

 こういう時にどうすればいいかなんて、ティアラローズにはわからない。

 きっと自分もうのが正解なんだろうが、まだ婚約者でも、ましてやこいびと同士でもない。

 ──本当に、いけないことをしているみたい。

 恥ずかしさか、緊張か。はたまたその両方だろうか。ふるふるとふるえるティアラローズに、アクアスティードは優しく耳元で囁く。

「これが、ティアラローズ嬢のお気に入り?」

「あ、はい……。アクアスティード殿下のお口に合えばいいのですが」

「いただくよ」

 そっと紅茶に口をつけて、「しい」とめてくれる。

「これは、蜂蜜かな?」

「そうです。体に優しいから、好きなんです」

 蜂蜜はスイーツに合い、のどにもいいので重宝している。

 用意したマドレーヌとマカロンを勧めようとして、しかし現在の時刻を思い出して口をつぐんでしまう。この時間に、甘いものを出すのはどうだろうかと。

 ティアラローズ自身は構わず食べるのだが、アクアスティードは夜に甘いものを食べないような気がしたのだ。

 しかし彼に、視線でどうしたの? と、問われてしまう。

 こんなけにお菓子を勧めるなんて、どう思われてしまうだろうか。どれだけお菓子を食べるんだと、あきれられてしまわないだろうか。

「マドレーヌとマカロンを用意したんですけど、もう遅い時間だったのを思い出して……。アクアスティード殿下は、このような時間にお菓子をがったりはされないですよね?」

「ああ、そんなこと……。ティアラローズ嬢が用意してくれたんだから、もちろんいただくよ」

 ティアラローズが手に持っていたマドレーヌを受けとって、アクアスティードはそのまま口に含む。しっとりとしていて、蜂蜜が入った紅茶によく合う。

 ──無理してないかな? 大丈夫かな?

 すぐに食べたのを見て、気を遣われているのではと心配になってしまう。けれど、美味しそうにしている姿を見て、気に入ってもらえたのは確かだと安心する。

 スイーツは、食べる人を幸せにするのだ。

 誰かと一緒であれば、それはさらに倍増していく。

「よかった。わたくし、マドレーヌも大好きなんです。ふわっとしているのに、どこかしっとりしていて。紅茶にも、ココアにも、色々な飲み物に合いますから。いつもここで新作のスイーツをためしたりしながら読書をしていたんです」

「ティアラローズ嬢は、本当にお菓子と本が好きだね」

「あ……。すみません、わたくしったら。はしたないですわね」

 口元に手を当てて笑うアクアスティードを見て、やらかした! と、こうかいする。

 スイーツが大好きすぎて、実はしやべり始めるとなかなか止まらなかったりするのだ。アクアスティードに引かれてしまっただろうか。

 というよりも、なぜ隣国の王太子にこのようなお菓子トークをしてしまったのかと悔やまれる。

 もちろんそれは、アクアスティードが好意的だからつい甘えてしまうということ。ゲームのキャラクターなので、普通の人よりも親近感があるからだろうが……。

「そんなことはない。お菓子のことを話すティアラローズ嬢はとても可愛いし、ずっと聞いていたいくらいだ」

「うぅ、そんなに甘やかさないでくださいませ……」

 もっと話してもいいよと、ティアラローズを覗く金色の瞳が語りかけてくる。

 けれど、そんなことをしてしまうと止まれる保証がない。

 ティアラローズの大好きだった乙女ゲームとスイーツ。しかし乙女ゲームは、この世界では絶対にプレイできないのだ。

 スイーツにティアラローズの比重がかたよってしまうのは、いたし方ない。

 ──もしかしてもしかしなくても、アクアスティード殿下はスイーツよりも甘いのかもしれない……。

 いや、間違いなく砂糖よりもごくあまに違いない。今の段階でこれだけ甘いのだから、結婚なんてした日には溶かされてしまいそうだ。

 頭に浮かんだ結婚ということばに、知らずと?が染まっていく。ちらりとアクアスティードへ視線を向ければ、いつでも微笑みが返ってくる。

 間違いなく、蜂蜜よりも、砂糖よりも、ずっとずっと甘い。


 そんなティアラローズを楽しそうに見つめるのは、もちろん金色の瞳だ。


 ──耳まで赤くして、可愛い。

 もっともっと甘やかして、彼女の思考を自分でいっぱいに染め上げたい思いにられて仕方がない。

 早く、私の腕の中に落ちてきて。可愛い人……。


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悪役令嬢は隣国の王太子に溺愛される ぷにちゃん/ビーズログ文庫 @bslog

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