第二章
続編の王子様
アクアスティードの馬車は、マリンフォレスト王国の特産である木を
夜の月明かりを浴びて、珊瑚はきらりとほのかに光る。
王族の馬車ということもあり、外装も、内装もとても気品があった。
自分の前に
ティアラローズは彼のことが気になって仕方がないのだ。
こんな重大イベントだというのに、何を話せばよいのかまったく頭に
ティアラローズは仕方なく、この世界が
──どうして私は、続編が発売する前に死んでしまったのか。
いいえ、せめて
今、ティアラローズの
どうして悪役令嬢ポジションであるティアラローズへ
アクアスティードの登場という、ゲームとまったく
──自分ひとりで
再び、ちらりとアクアスティードに目をやる。ティアラローズは本当に、気付かれないように……こっそりと見たつもりだったのだが、しっかりと
気付かれてしまったことにばつの悪い思いをしながらも、「申し訳ありません」と謝罪をする。
「私が好きでしているのだから、なにも謝る必要はないよ。むしろ、気にかけてもらえるなんて光栄だ」
「いえ、その……。アクアスティード殿下は、女性の
ティアラローズが恥じらいをもって微笑み、告げた言葉にアクアスティードは少し
けれどすぐに
「そう言われるということは、私も少しは期待していいのかな?」
「あ……っ!」
アクアスティードの熱い
令嬢に人気が高いアクアスティードの
「あの……」
「うん?」
「アクアスティード殿下は、なぜ私に……?」
求婚をしたのですか、とは恥ずかしくて言葉を続けられなかった。下を向くティアラローズは、耳まで赤くなっているのだから。
そんな状態を見かねてか、アクアスティードはこれまでの
「……いつも、図書館の窓からティアラローズ嬢が読書している姿を目にしていたんだ」
「え? あ、もしかして図書館裏のですか?」
「そう。
「か、かわいい……?」
アクアスティードが言うように、ティアラローズは時間があれば図書館裏の木陰で本を読んでいた。
それは将来
どうして図書館を使わないのかといえば、スイーツを食べながら読書をしたかったからだ。外の木陰であれば、お
前世でも、現世でも、ティアラローズはお菓子が大好きだった。何かを
加えてほかの生徒もいないため、自由に楽しい時間を過ごすことが出来る。
──見られていたなんて、恥ずかしい。
歴史書や外国語など、勉強のために本をたくさん読んだ。しかし同時に、
いったいどんな顔をして本を読んでいたのだろうと思い返して、恥ずかしさが
「
「……っ! わ、忘れてください!!」
アクアスティードの言葉があまりにも恥ずかしく、ティアラローズは両手で自分の顔を
しかし、すぐに顔を覆った手をアクアスティードに解かれた。「それは無理」と言いながら、金色の瞳がティアラローズだけを見つめる。
ティアラローズの指に自分の指を
「あ……」
「せっかく
「……っ!!」
「そ、その……見られていたなんて、思わなくて」
「いや──私も、
「でも、君はハルトナイツ王子の
「!」
ハルトナイツの婚約者であり、ラピスラズリ王国の王妃を約束された身。それがティアラローズだ。
そのため、アクアスティードは
当初の予定通り、一年の留学期間を終えたら国に戻り、ティアラローズのことは忘れようと……そう考えていた。
だが、アクアスティードにとっての転機が
断罪イベントが行われた卒業パーティーだ。
この機を利用しない手があるだろうか?
「まさに
「…………アクアスティード殿下」
優しくティアラローズの
──こんなことを言えば、ティアラローズ嬢に
けれど、それほどまでに貴女が好きだと伝えたい。
「
王太子である自分が、一人の女性を必死に見つめて、婚約者の男から
ドン引きされても無理はないと、アクアスティードは思う。
しかし、そんな不安な気持ちを
「そんなことありません。一人であそこに立っていた私にとって、アクアスティード殿下の存在はとても心強かったです」
たとえ自分が悪くないとわかっていても、やはり
そんな時に、自分を助ける声。それがどれほど心強く、
背後から聞こえたアクアスティードの声に、いったいどれほど救われただろうか。
独りぼっちのあの場所で……。
──
思考回路を閉ざさなければ、どんどん顔が赤くなってしまう。さすがにそんな姿を彼に見せる勇気はなくて、
「アクアスティード殿下とは、夜会で一度ご
「そうだね。私は夜会にはあまり参加せずに、出てもすぐに帰っていたからね」
夜会という社交の場でほとんど顔を合わせなかった二人。そのため、アクアスティードとティアラローズがまともに話をするのは今が初めてなのだ。
ほとんど初対面に近いというのに、
「不安はない? あそこにいた令嬢に、いろいろと言われていただろう」
心配するアクアスティードの言葉。少し考えて、不安はないと結論を出す。
あの自分勝手だったアカリに何を言われても、傷ついたりはしない。ティアラローズの言葉はどれも正当な主張であったのだから。
それに、
「……そうですね。ですが、不安はないです。今後の話し合いなどはあるでしょうけれど、わたくしとしては、こうして屋敷に戻れるだけでとても嬉しいです」
「そうか。ハルトナイツ王子が追放とまで言うから、少し驚いていたんだ。まぁ、もし追放するというのであれば──私が
その真剣な眼差しを見る限り、
いっきに加速するティアラローズの
そんなはずはもちろんないのだけれど、それほどまでに心臓の音は大きかった。
思わず「からかわないでください」と言えば、アクアスティードからは「本気だったんだけどな」と、ストレートな言葉が返ってくる。
──うぅっ、恥ずかしい!!
どうしてこの王子様は、こんなにも恥ずかしいことを平気で言ってくるのだろうか。
乙女ゲームのキャラクターだから? それとも、本来の性格だろうか。
「……それはそうと、ティアラローズ嬢。デートにお
次はティアラローズの手の
近いうちに帰国しなければならないため、時間にあまり
もちろん、それについてはティアラローズも承知している。それゆえ、アクアスティードが本気でかかってきたら
けれど、それを嬉しいと思ってしまう自分もいた。
「はい。もう学園は卒業しましたし……
婚約者がいて、卒業後に結婚をする令嬢は一年間の花嫁修業をするのがこの世界の通例だ。しかし、ティアラローズは婚約が
今後の予定はすべてキャンセルとなる。
なるほどと
「そうか。なら──……三日後で、どうだろう?」
「はい。よろしくお願いします」
「よかった。では当日、迎えに行くから待っていて」
おそらく明日はアクアスティードとアレクサンダー国王の会談。さらに翌日は、ティアラローズが国王に呼ばれるだろう。
ティアラローズのことを最優先に考えて、
それに、準備をする時間も必要だ。
顔を赤くしながらも、
──馬車に二人きりなんて、このまま連れ帰ってしまいたいな。
思考回路がどんどん、彼女で
自分はこんな性格だったろうかと苦笑しつつ、アクアスティードはティアラローズへと再び視線を向けた。
赤く染まった
アクアスティードがそんなことを考えているとは、ティアラローズは
そしてふと、疑問が浮かぶ。
──続編でもあるこの世界には、続編のヒロインはいないのだろうか?
ゲームの発売前に死んでしまったティアラローズは、まったく情報を持っていないため、存在していたとしてもわからないだろう。
攻略対象者ですら、アクアスティードのみの発表だったのだ。ヒロインなど、とてもではないが情報が開示されていない。むしろ開示されない可能性の方が高い。
あくまでメインは、攻略対象キャラクターなのだから。
──アクアスティード殿下は、本当に私でいいのかな?
今は自分に夢中なアクアスティードも、続編のヒロインが出てきたらその女の子に夢中になってしまうのではないだろうか。……ハルトナイツのように。
そんな不安が頭をよぎり、ティアラローズの胸が不安に
「ティアラローズ嬢?」
「あ、いえ……。その、アクアスティード殿下が私を好いてくださっているのが、
だって、続編にもヒロインがいるはずだから。──などとは、口が
ティアラローズの不安が伝わったのか、アクアスティードは安心させるように微笑む。
そして
「そんなに疑われていたなんて、
「……っ!!」
ふわりと、アクアスティードの
「可愛い。……けど、残念。
アクアスティードの唇が離れたのと同時に、馬車がゆっくりと止まった。
そっと小窓から外を見れば、そこはティアラローズの
だが、アクアスティードは意味深に微笑むだけで何も言わない。
顔を赤くしながらも、アクアスティードにエスコートされ屋敷へと
卒業パーティーから二日後、ティアラローズは父親であるクラメンティール侯爵と共に国王へ
応接室へと通され、声がかかるのを待つ。落ち着いたアイボリー色で統一された室内は、とても上品だ。
自分は悪くないとは思っていても、王太子であるハルトナイツに婚約破棄を
もしかしたら、卒業パーティー後にゲーム補正があったかもしれない。
──登城した
もしかして、今からでも自力で逃げた方がいいのだろうかと考える。
どんどんとマイナス方向へと思考が落ちていき、ティアラローズの顔は曇っていく。
「どうしたんだ、ティアラ。心配せずとも、私が傍にいる」
「お父様……」
「
「いいえ。わたくしは気にしておりません」
怒りをあらわにして顔を
父を攻略するなら、先に娘を攻略するのがいい──。そんな
「まぁ、いい。婚約期間に、殿下の
「…………」
ふんと鼻息を
ここは屋敷ではなく、王城であることを父は理解しているのだろうか……。ティアラローズは
女官の用意した紅茶を口にして、運命の時を待った。
赤く
長い
その
──でも、どうしてこんな所に来たのだろうか?
国王に呼ばれ、父親と一緒にこの場所へと連れてこられた。
歴代の王たちの肖像画が飾られるこの廊下は、王宮の
まったく理由がわからず、ティアラローズは不安に首を
「……歴代の王たちの後を追い、今は一番後ろに私の肖像画が飾られている」
「ええ。もちろん存じていますよ」
ゆっくりと口を開いた国王に
先ほどまでの父親の顔ではなく、王の
国王は壁のあいたスペースに手をついて、どこか遠くを見ている。そこにはいずれ、王太子であるハルトナイツの肖像画が飾られる。
「ティアラローズ嬢は、ここへハルトナイツと来たことがあるね」
「は、はい。幼い
いくつの頃だっただろうか。学園へ入るよりも、ずっと前。
「確かあれは……私とハルトナイツ殿下が十
十六歳のティアラローズとハルトナイツが婚約をしたのは、
初めて幼い二人が手をつなぎ、
その際に、ハルトナイツがティアラローズをこの
自分の父親であるアレクサンダー国王の肖像画を
あの頃は可愛かったのに、どうしてあんなお馬鹿に育ってしまったのですかハルトナイツ様。と、言えたらティアラローズはどんなに楽だっただろうか。
「……ここに、自分の肖像画が飾られるのだとはしゃいでいたかい?」
「は、はい。
「そうか」
国王は目を細め、
国王はゆっくりティアラローズへ向き直り、まだ見ぬ肖像画の場所に手を触れた。
「だが、ここにハルトナイツの肖像画が飾られることはない」
「え──……?」
「ティアラローズ嬢。この
「……っ!」
謝罪の言葉と共に、深く腰を折った。国王が、ティアラローズへ深々と頭を下げた。
肖像画を飾らないということは、ハルトナイツから王位
その事実に息を?み、しかし何を言えばいいかわからず父に目をやる。が、その瞳はすべてを承知していることを物語っていた。
──お父様が、今日のことをご存じないはずなかった……。
でも、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「陛下、お顔をお上げください! 陛下がわたくしに
王族の、しかも国王陛下に頭を下げさせるなど──たとえ国王が悪くとも、ティアラローズは
「
「いいえ。わたくしこそ、もっとハルトナイツ殿下とお話をすればよかったのです」
「本当に、話せば話すほどティアラローズ嬢は
ハルトナイツに歩み寄ろうとしなかった自分も悪いのだと、自分自身にも非があるのだと国王へ伝える。
横で父親がそんなことはないという顔をしているが、今は気にしている場合ではない。
そして国王の言った言葉について尋ねる。
「あ、あの……」
「うん?」
「ハルトナイツ殿下の肖像画をここに飾らないというのは……」
「本当だ。ここにハルトナイツは
さすがにそれでは、
しかし、ティアラローズは今回の
「わたくしもハルトナイツ殿下も、まだ十六です。特にハルトナイツ殿下は、これからご成長されるでしょう」
「……本当に優しいのだな。パーティーであれほどのことを言われたというのに、まだ息子を気にかけてくれるのか。だが、これは私の決定だ。
「……かしこまりました。わたくしは、陛下のお心に従います」
何度も国王に進言するのは、失礼にあたる。ティアラローズは了承の
ほかの決定
しかしそんな
「時にティアラローズ嬢。アクアスティード王子のことはどう考えているのだ?」
「えっ!?」
ティアラローズは突然の問いかけに、思わず声をあげてしまう。慌てて口元を押さえるが、後の祭りだ。かなり
加えて、不意打ちのようなその質問に、ほんのりとティアラローズの?が染まる。
──どうしていきなりそんな話になるの!?
もちろん、アクアスティードのことは好きに決まっている。前世でキャラクターイラストを見たときから
遠くから
もしかして、続編のゲームが始まっているのかもしれないと──そんな考えが、脳裏をよぎったこともあったほどだ。
慌てて父親へと視線を向ければ、「そうだなぁ」と頷いている姿が目に入る。国王を止めて欲しかったのだが、無理だと
「私はティアラの意思を尊重するが、アクアスティード殿下はもうすぐ帰国なさるからな。正直、どう思っているんだ?」
「お父様……。アクアスティード殿下は、わたくしにはもったいないお方ですわ」
「ふむ。つまり、嫌いではないということか」
──なんだか、二人共とっても楽しそうなのだけれど。
「ティアラローズ嬢とハルトナイツの婚約は、正式に破棄されている」
「そして、アクアスティード殿下からは、正式に婚約の申し込みをいただいている」
「……っ!!」
あまりにも早い展開に、思わずよろめいてしまう。正式に婚約を破棄するだけでも、通常は一ヶ月以上の時間が必要だというのに。
それが、
しかも、父親が告げたのは正式な婚約の申し込み。間違いなくアクアスティードが裏で手を回して婚約破棄を行ったのだが、ティアラローズはそんなことに気付かない。
「正直、私はハルトナイツよりもお似合いだと思ったんだ。卒業パーティーのあの場で、ティアラローズ嬢を
「そして何よりも、ティアラのことを好いてくださっている。ティアラがよければ、このまま話を進めるが……。まぁ、すぐに決めろなどとは言わないし、アクアスティード殿下もお待ちくださるそうだ」
どこか楽しそうな父親と国王の様子に、どっと
「……お
続けるティアラローズの言葉に、「もちろん」と父親は頷いた。
時間がないため先に婚約の申し入れこそしているが、それはクラメンティール侯爵への誠意だ。決していい加減な思いではないのだと、行動で示している。
そんなアクアスティードの姿勢も、クラメンティール侯爵には好印象だった。
国王も大きく頷き、「幸せになってくれ」と言葉を
まるで自分の娘を思うようなその言葉に、ティアラローズは胸が熱くなる。
よき王であるアレクサンダーが治めるこの国とは、きっと離れることになるだろう。
まだ婚約の返事をしてはいないが、ティアラローズはそう思った──……。
国王との面会は無事に終わり、ティアラローズは自室でぐったりとしていた。
夕飯のデザートには大好きなケーキを食べて、紅茶を飲んだ。入浴もいつも以上にゆっくり時間をかけたので、体はほかほかで気持ちがいい。
可愛らしい装飾品とレースの多い部屋は、ティアラローズのお気に入りだ。家具は木製を好んで使っているため、全体的に柔らかい雰囲気に仕上がっている。
ソファには、いつでもゆっくりできるように大きなクッション。それをきゅーっと抱きしめて、もふもふとした
「……でも、これでゲームは終わりよね。この後は、
首を傾げてみるが、しかし答えはわからない。
国外で生活するつもりだったけれど、このままではアクアスティードに嫁ぐという可能性が高そうだ。
──でも、アクアスティード殿下は続編のメインキャラクターだ。
自分が
どうしようと、くるくる頭の中で悩みが混ざっていく。ゲームのこと、自分のこと……アクアスティードのこと。
彼のことを考えると、どきどきした。
「……やだ、わたくしったら。確かに、アクアスティード殿下の公式情報が出た時は、好みのキャラクターだったからはしゃいだけど」
懐かしいなと思い返しつつ、プレイ前に死んでしまったことがやはり
ティアラローズとしてこの世界に生を受けて、今まで生きた
日本人として、生活していたプレイヤーの記憶がある。
両方の記憶があるなんて、不思議。そう思いつつも、彼女はティアラローズであり、ただの恋する女の子でもあるのだ。
「そういえば、ヒロインのアカリ様もアクアスティード殿下のことがお好きみたいだったな……」
このゲームの攻略キャラクターではないのに、どうしてアクアスティードへ走りよったのかがいまいちわからなかったのだ。
──もしかして、権力が好き?
そうであれば、彼女がとった行動にも
「ううん。でも、そんなヒロインは
仮にも、自分だって前世では
「……とりあえず、今日はもう
そう自分に言い聞かせ、
「──え?」
いったい何の音だろうかと、部屋の中を
飾ってある絵画がずれてしまったとか、小物が
原因がわからず首を傾げていると、もう一度コンという音がした。今度ははっきりとその音源がわかり、ティアラローズは窓へと向かう。
──誰かが小石でも投げていたずらをしている?
どうやら窓に何かが当たっているらしい。
「……え?」
──アクアスティード殿下?
窓の外にいたのは、卒業パーティーで自分に求婚をした張本人、アクアスティードだった。
どうして隣国の王太子がこんなところにいるのだとか、護衛もつれていないのだとか、気になることはたくさんあったけれど──それよりなにより、胸が高鳴った。
「アクアスティード殿下!」
「こんばんは、ティアラローズ嬢。今夜は月が
ティアラローズを助けてくれた時と同じ優しい笑顔で、
どうして、なぜ、彼がここにいるのか。もちろん、会いに来てくれたということはわかったけれど、こんな嬉しいイベントは乙女ゲームにだってなかったのだ。
にやけないように、両手で必死に?を
窓を開けてバルコニーに出れば、アクアスティードはすぐ横にある木を登り、ティアラローズの下までやってきた。
出来るだけ冷静に対応しなければと、体が緊張する。
「ど、どうしてこのようなところに、しかもお一人で……?」
「いきなりで申し訳ない。でも、どうしてもティアラローズ嬢にお見せしたいものがあってね。さすがに、夜の訪問はクラメンティール侯爵も許してはくれないだろう?」
だから、そっと
「いきなりだったことは、もちろん謝罪させていただく」
「いえ、そんな……」
これ以上、王族に頭を下げられては身が持たないのではないかと思う。どうしてこんなにも、みんな頭を下げるのか。
許されたことにほっとしたアクアスティードは、すぐに本題へ入った。
「ティアラローズ嬢は、
「もちろんです」
「よかった。今日は、それを見せたくて来たんだ」
──え?
アクアスティードの言葉に、ティアラローズの頭が
妖精の星祭り。
ゲーム『ラピスラズリの指輪』のエピソードで、ヒロインが親密度の一番高いキャラクターと見ることの出来るイベント。
空一面にきらきらと星が降りそそぐそれは、
──でも、それを一緒に見ることが出来るのはヒロインと攻略対象者だけのはず。
間違っても、続編のメインキャラクターであるアクアスティードと体験できるイベントではないはずだ。
それに、一番の問題として……今日は、妖精の星祭りイベントの日ではない。
「ええと、今、ですか?」
「時期ではないけれど、妖精の力を借りてね」
にこりと微笑んで、アクアスティードはバルコニーの手すりを背にして夜空を見上げる。
アクアスティードの祖国マリンフォレストには、森、海、空の妖精が暮らしている。その妖精たちが年に一度、夏の日の夜に星を降らせるのだ。
見ることが出来るのは基本的にマリンフォレスト王国ではあるのだが、ラピスラズリは隣国にあたるので場所によっては見ることが出来る。それが、ゲームのイベント。
──妖精が力を貸すなんて、すごい……。
やはりゲームのキャラクターということもあり、アクアスティードはそつなく何でもこなすのだ。整った容姿も、
どんな人だろうと何度もイラストを見て想像した。彼はまさに、ティアラローズにとって理想の王子様だ。
今はそのすべてが、自分へと向けられている。
アクアスティードのダークブルーの髪は夜に溶けるようで、どこか
これで、どきどきしないなんて、そちらの方がどうかしている。
そんなに見つめないで欲しいと、願うように思う。
「妖精よ──……」
アクアスティードが右手を上げると、さぁっと心地よい風が
「ティアラローズ嬢、お手を」
「……は、はい」
すっと、アクアスティードの左手が差し出され、ティアラローズはゆっくりと自分の手を重ねる。
引き寄せられ、バルコニーの手すりを背にする形で隣に並ぶ。
どきどきして、
「女の子が、こんな
「あ、ありがとうございます……。ですが、これではアクアスティード殿下がお
気遣いはとても嬉しいのだが、相手は王太子。ティアラローズよりも、よほど風邪を引いてはいけない人物なのだ。
頑張って気を遣ってみるが、アクアスティードは首を振ってそれを受け付けはしない。自分の愛しい女性が寒そうにしていて平気な男が、どこにいるだろうかとその顔が告げている。
「私は
「いいえ。わたくしは、えと……嬉しいですから」
申し訳なさそうに言うアクアスティードに、正直に言葉を返す。これは気遣った言葉ではなく、本心だ。
アクアスティードのキャラクターは大好きだったのだ。求婚されるという展開に加え、妖精の星祭りイベントを一緒に見ることが出来て、嬉しくないはずがない。
「ティアラローズ嬢……」
「は、はい──?」
そっと口元を押さえて、ティアラローズの名前を呼ぶ。戸惑いつつも返事をすれば、彼の視線が彼女を
大きく息をはいて、アクアスティードは彼女の
「──どうしよう、ティアラローズ嬢。……私も、すごく嬉しい」
ティアラローズの言葉をそのまま受け取ったアクアスティードは、嬉しいのが自分だけではなかったということに
嫌でなければいいなと思っていたのに、嬉しいと言ってもらえるなんて。これは、張り切らないわけにはいかないだろう。
「あ……っ! わたくし、その……」
どんな反応を返せばいいかわからないようで、ティアラローズはわたわたと手を振った。そんな姿は可愛いだけなのだけれど、彼女はそれに気付かない。
耳まで赤くして
「空を見てごらん」
「そら──……うそ、すごい。綺麗」
彼女の口から
すべては、喜んでもらって笑顔が見たいというアクアスティードの考えだ。
少しでも好きになってもらえたらいいという……下心もありはするけれど。
「よかった」
妖精の星祭り。
ゲームと違い、実際はこんなにも感動出来るイベントだったのか。その幻想的な美しさに息を?み、夢中で夜空を見上げた。
雲がとても速く動き、カーテンがさっと開くように星たちを見せる。雲のなくなった夜空では、踊るように星が流れた。
流れ星とも少し違う。くるくると回るように、ぴかぴかと
──これを、アクアスティード殿下が行ったというのだろうか。
そうだとしたら、すごいという一言につきる。人間が出来るとは思えない所業を、彼は自分のためにしてみせてくれたのだ。
「すごい、すごいです。アクアスティード殿下……っ!」
ぱっと、横にいるアクアスティードへ笑顔で話しかける。
星空がすごいです、と。けれど、そんな星空よりも、優しく嬉しそうに微笑むアクアスティードに驚いた。
彼の笑顔が、イベントスチルとかぶったのだ。星降る夜空を背景にして、そっとこちらに手を伸ばそうとしている瞬間。それが、スチルの各キャラクター共通
まさに今、彼はティアラローズに手を伸ばしていた。もちろんその手はそのまま伸ばされて、優しく彼女の髪を
「あ……っ」
甘い
すべてを包み込むようなアクアスティードの大きな手に触れられたところが、くすぐったい。
「ティアラローズ嬢に気に入っていただけて、よかった」
アクアスティードは、嬉しそうに微笑む。
宝物を扱うように、優しく、
視線が絡み合うように重なって、視界にはアクアスティードの金色の瞳しか映っていない。
静かな夜空の下で、どきどきと心臓の音だけが聞こえるようだ。
──どうしよう、
何か言わなければと思うのだけれども、何も言葉が出てこない。
自分のためだけに、星を降らせてくれたアクアスティード。喜んでもらえたことが嬉しいと笑うアクアスティード。
だから、気付いた時には言葉が出ていた。
「アクアスティード殿下。もしよろしければ、紅茶を
「ティアラローズ嬢……。さすがにそれは、ご
初めに部屋へ入らないと告げたのは、アクアスティードだ。誘われたからといって、はい喜んでというわけにはいかない。
ティアラローズもそれに気付き、恥ずかしくなる。自分から部屋に男性を招き入れるなんて、令嬢のしていいことではない。
──はしたないと、思われてしまったかしら。
けれど、一度誘ってここで引くのもなんだか
「なら、ここはどうでしょう? わたくし、ティーセットを持ってきます」
「そこまで言われては、受けないわけにはいかないね。ぜひ、お願いするよ」
くすりと笑い、アクアスティードは了承する。
彼女との仲を接近させたいのだ。断る理由なんて、なにもない。
急いで自室へと戻り、いつでも飲めるように用意されているティーセットの準備を始める。もちろん、スイーツを準備することも忘れない。
「ええと、紅茶と、マドレーヌにしよう。それからマカロン。少し冷えるから、
侯爵令嬢とは思えないなれた手つきで、整えていく。
アクアスティードに喜んでもらうことを考えながらだったため、あっという間に
「お待たせしました、アクアスティード殿下。寒くないですか? 何か羽織れるものもご用意しますね」
すぐにもう一度戻ろうとするが、アクアスティードに不要だと断られる。ならばせめて上着を
……実はさきほどから、アクアスティードの
自分の
ごまかすように紅茶を差し出して、ティアラローズはバルコニーの奥に設置してあるソファをアクアスティードに
「こんな場所があったんだね」
「はい。晴れた日は、ここでよく読書をしているんです」
このバルコニーは、ティアラローズの自室に
角を曲がってしまえば、部屋からは見ることの出来ない秘密の空間が出来上がる。
「なんだか、いけないことをしている気分になる」
「……っ!!」
二人並んで座ると、アクアスティードがそっとティアラローズの肩を抱き寄せた。
寒いから、紅茶を飲みながら少し雑談を。そう考えていたので、あまりにも急な甘い展開にどうしたらいいのか頭が真っ白になる。
──やだ、恥ずかしい!
こういう時にどうすればいいかなんて、ティアラローズにはわからない。
きっと自分も
──本当に、いけないことをしているみたい。
恥ずかしさか、緊張か。はたまたその両方だろうか。ふるふると
「これが、ティアラローズ嬢のお気に入り?」
「あ、はい……。アクアスティード殿下のお口に合えばいいのですが」
「いただくよ」
そっと紅茶に口をつけて、「
「これは、蜂蜜かな?」
「そうです。体に優しいから、好きなんです」
蜂蜜はスイーツに合い、
用意したマドレーヌとマカロンを勧めようとして、しかし現在の時刻を思い出して口を
ティアラローズ自身は構わず食べるのだが、アクアスティードは夜に甘いものを食べないような気がしたのだ。
しかし彼に、視線でどうしたの? と、問われてしまう。
こんな
「マドレーヌとマカロンを用意したんですけど、もう遅い時間だったのを思い出して……。アクアスティード殿下は、このような時間にお菓子を
「ああ、そんなこと……。ティアラローズ嬢が用意してくれたんだから、もちろんいただくよ」
ティアラローズが手に持っていたマドレーヌを受けとって、アクアスティードはそのまま口に含む。しっとりとしていて、蜂蜜が入った紅茶によく合う。
──無理してないかな? 大丈夫かな?
すぐに食べたのを見て、気を遣われているのではと心配になってしまう。けれど、美味しそうにしている姿を見て、気に入ってもらえたのは確かだと安心する。
スイーツは、食べる人を幸せにするのだ。
誰かと一緒であれば、それはさらに倍増していく。
「よかった。わたくし、マドレーヌも大好きなんです。ふわっとしているのに、どこかしっとりしていて。紅茶にも、ココアにも、色々な飲み物に合いますから。いつもここで新作のスイーツを
「ティアラローズ嬢は、本当にお菓子と本が好きだね」
「あ……。すみません、わたくしったら。はしたないですわね」
口元に手を当てて笑うアクアスティードを見て、やらかした! と、
スイーツが大好きすぎて、実は
というよりも、なぜ隣国の王太子にこのようなお菓子トークをしてしまったのかと悔やまれる。
もちろんそれは、アクアスティードが好意的だからつい甘えてしまうということ。ゲームのキャラクターなので、普通の人よりも親近感があるからだろうが……。
「そんなことはない。お菓子のことを話すティアラローズ嬢はとても可愛いし、ずっと聞いていたいくらいだ」
「うぅ、そんなに甘やかさないでくださいませ……」
もっと話してもいいよと、ティアラローズを覗く金色の瞳が語りかけてくる。
けれど、そんなことをしてしまうと止まれる保証がない。
ティアラローズの大好きだった乙女ゲームとスイーツ。しかし乙女ゲームは、この世界では絶対にプレイできないのだ。
スイーツにティアラローズの比重が
──もしかしてもしかしなくても、アクアスティード殿下はスイーツよりも甘いのかもしれない……。
いや、間違いなく砂糖
頭に浮かんだ結婚ということばに、知らずと?が染まっていく。ちらりとアクアスティードへ視線を向ければ、いつでも微笑みが返ってくる。
間違いなく、蜂蜜よりも、砂糖よりも、ずっとずっと甘い。
そんなティアラローズを楽しそうに見つめるのは、もちろん金色の瞳だ。
──耳まで赤くして、可愛い。
もっともっと甘やかして、彼女の思考を自分でいっぱいに染め上げたい思いに
早く、私の腕の中に落ちてきて。可愛い人……。
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