オリビアとアメリアの不思議な壁

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

オリビアとアメリアの不思議な壁

「お姉ちゃん、いた」


 アメリアは、川辺に座って本を読んでいるオリビアを見つけて声をかけました。そろそろ、おうちでお母さんが晩ごはんを作ってくれる時間だからです。


「もう帰ろうよ」


「もう少しだけ」


 オリビアは、熱心に本を読んでいます。


「お姉ちゃん、本が逆さまだよ」


「うん」


 これを読んでいる人にだけ教えてしまいますが、オリビアの読んでいるお話は、最後にペットの黒猫が死んでしまいます。オリビアは、それがどうしても嫌だったから、逆さまに読んでいるのです。


 ぐう、とお腹が鳴きました。アメリアのです。オリビアはもう少し本を読んでいたかったのですが、お姉さんなので本を閉じました。


「あっ!」


 川辺から立ち上がろうとして、ずるり、と足が滑りました。あぶない!と咄嗟にアメリアが手を掴みましたが、ずるずると川が近づいて、ドボン、と二人とも落ちてしまいました。


※ ※ ※


 ぷかり、と体が浮いたことを二人は不思議に思いました。いいえ、浮いたのではありません。黒くてテカテカした島が水の中から浮かび上がって、二人を持ち上げたのです。


「ここ、どこなのかな」


 アメリアは、ぐるりと見渡して言いました。川はどこかへ消えてしまい、どこまでもどこまでも続く大きな水たまりの上です。


「この島、動いてるね」


 オリビアが楽しそうに言いました。アメリアは不安そうです。島に揺られていると、だんだん眠たくなってきました。いい気持ちです。


※ ※ ※


「おはよう、アメリア」


 オリビアの声で目が覚めました。あれれ?ベッドの上です。壁も天井も、みんな木でできた部屋の中。ベッドと、テーブルと、オリビアの座っている椅子。それだけしかない、小さな部屋です。


「水たまりは、島は、どこへいったの?」


 アメリアの質問に、オリビアはテーブルの上に置いてある青いコップを指差して、ここだよと言いました。


「きゃっ!」


 コップを覗き込んで、アメリアはぞわわと肌がつぶつぶになりました。半分ほど注がれた水の中を、てかてかした黒いゴキブリが泳いでいたからです。


「この子がコップの端まで運んでくれたんだよ。そしたら、体が大きくなっちゃった」


 大きくなったのか、それとも今までが小さかったのか、どちらでもいいのですが、それよりも、アメリアはゴキブリの上で眠っていたのかと思うと、気持ちが悪くて仕方ありませんでした。


「うちのペットを、それも命の恩人を気持ち悪いだなんて、随分と失礼な人間だ」


 アメリアの考えていることが分かるのでしょうか。それとも、顔にそう書いてあったのでしょうか。どちらでもいいのですが、それよりも、コップの裏からのそりと出てきた亀がそう言って怒っている方が大きな問題です。


「ごめんなさい。でも」


 やっぱり気持ち悪い、とアメリアは思いました。


「やっぱり気持ち悪いだなんて、外の人間はいつも失礼なやつばかりだ。足が遅いくせに!」


 亀の怒りは収まりません。


「ゴキブリは、お前たちよりずっと速く動けるんだぞ! だから、お前たちよりずっとずっと偉いのに!」


「足が速いと、偉いの?」


 オリビアがニコニコしながら尋ねました。すると、亀は得意気に言います。


「そりゃあ、そうだ。ワシなんて、このテーブルの端から端まで半日かかるが、ゴキブリはたったの三秒だ。偉いに決まってる」


「確かにそう言われれば、偉いかもしれない」


 オリビアがフンフンと感心していると、亀はすっかりご機嫌が治ったようで「たまには外の人間にも話のわかるやつがいるもんだ」と嬉しそうです。アメリアは、話を聞くなら今だと思いました。


「私たち、外の世界に帰りたいの。出口はどこかしら」


「なんだ、あんなつまらないところに帰りたいのか」


「つまらないかな?」


「少なくとも、ワシからすれば、他に喋る亀がいない世界なんて退屈で仕方がないわい」


 それはそうかもしれないな、とアメリアは思いました。でも、アメリアは外の世界で待っているお母さんの顔が頭に浮かんで、急に恋しくなりました。お母さんの作ってくれる、じゃがいものたっぷり入ったクリームシチューを思い出すと、今にも涙が出そうです。


「亀さん、私の妹をいじめないで」


 オリビアが頬を膨らませて怒ると、亀は甲羅の中に首をすぼめて隠れました。


「わかった、わかった。そこの扉から外へ出な。その先、出口は自分で探すんだ。まったく、泣く子には勝てん」


「ありがとう、亀さん。足の速いゴキブリさんにもよろしくね」


※ ※ ※


 ドアの外は、長い長い廊下でした。右を見ても、左を見ても、どこまでも廊下が続いています。そして、十歩おきに色の違う扉が並んでいます。さて、どの部屋に入ったら帰れるのか、さっぱりわかりません。


「にゃあ」


 二人が途方に暮れていると、どこから来たのか、仔猫が黒い毛並みをオリビアの足に擦り付けてきました。


「わあ、かわいい」


 オリビアは屈んで頭を撫でようとしましたが、仔猫はすぐに離れて、トコトコと廊下を歩き始めました。


「にゃあ」


 振り返って、ひと鳴き。それからまた五歩進んだところで振り返り、「にゃあ」。


「なんだか、呼んでるみたい。ついていってみようっと」


 オリビアは楽しそうですが、アメリアは心配そうです。


「お姉ちゃん、黒猫は魔女の使いだよ」


「うん、外の世界だとそうかもしれない。でも、中の世界だと違うかもしれないよ」


 お姉ちゃんの好奇心には勝てません。二人でついていくと、黒猫は黄緑色の扉の前で歩みを止めて、にゃあと鳴きました。


「ここなの?」


※ ※ ※


 入ってみると、ベッドも、テーブルも、クローゼットも何もない、さっぱりとした部屋です。その代わりに、正面に黄色い扉が、右手に青い扉が、左手に紫色の扉がありました。


「扉の向こうに、また扉」


 アメリアがため息をつくと、仔猫が天井に向かって「にゃあ」と鳴きました。見上げると、白くて大きな「球」がふたつ並んで浮かんでいます。球はゆっくりとオリビアたちの背の高さまで下りてくると、ギョロリと黒目を開きました。大きな、大きな目玉です。


「やあ、ひさしぶりにお客さんが立ち止まってくれた。うれしいな」


 アメリアは、目玉のどこから声が出ているのか不思議に思いました。オリビアは、ぷかぷか浮かんでるのはなんだか気持ち良さそうだなぁと思いました。


「ここは見ての通り、何もない、ただの通り道にある部屋さ。何もないから、ここに住んでいる私のことなんて誰も気にしないで、みんなせかせかと次の部屋へ通り過ぎていってしまうんだ。そこへいくと、君たちは立ち止まったばかりでなく、天井までしっかり見上げて私をのことを見つけてくれた。そこまでこの部屋に興味を持ってくれる人は、なかなかいないよ。そういえば、前に立ち止まってくれたお客さんは……」


 よほど嬉しかったのでしょうか。口がなくてもよく喋ります。


「あの、お話の途中でごめんなさい。私たち、外の世界へ帰りたいのだけれど……」


 アメリアが遠慮がちに話しかけると、目玉は「ああ、ごめん。あんまり嬉しくって、つい」と苦笑いをしました。目玉だけなので表情は分かりませんが、たぶんそうです。


「外から来た人には、この屋敷はあまり居心地がよくないだろうね。私たちだって外の世界は住みづらいから、よくわかるよ。私も昔は外で暮らしていたのだけれど、なかなか人と話が通じなくて困ることが何度も……ああ、すまない。またお喋りに夢中になってしまったよ。そうそう、出口だったね。外の世界に出るには、女王の庭園へ出ないといけない。幸い、私の友人が庭へ続く部屋に住んでいるから、そこまでの順路を教えよう。まず、君たちから見て右の扉に入るんだ。そうしたら、次の部屋でだいだい色の扉に入る。それから……」


 初めはフンフンと真剣な表情で聞いていたオリビアでしたが、「次は紫色、その次は桃色、そのまた次は……」と、いつまで経っても終わらない説明に、だんだん最初の方の色がわからなくなってきました。


「ええと、最初に右の扉に入って、それから黄色の……」


 オリビアのうろ覚えの答え合わせに、目玉は左右に首を……いや目玉を振りました。


「ノーノー、右の扉の後はだいだい色。それから……」


「緑、黄、紫、桃、水色、最後に赤ね」


 アメリアがあんまりスラスラと言ったものだから、目玉は大きく目を見開きました。まぶたが無いのでよくわかりませんが、たぶんそうです。


「えへん、アメリアはすごく頭がいいの。私のじまんの妹よ」


 お姉ちゃんに褒められて、アメリアは少し照れくさそうにうつむきました。


「それにしたって、たくさん部屋があるのね」


「ああ、そうさ。外の世界に住む人の数と比べたらうんと少ないけれど、君たちの通う学校なんかよりは、ずっと多くの人がここで暮らしているんだ。もっとも、彼らには私たちのことはあまり見えていないようだがね。とはいえ、見えていたとしても……ああ、いけない。またお喋りが止まらなくなってしまいそうだから、早く行っておくれ」


「うん、ありがとう」


「いってきます!」


 二人は目玉に手を振って、右の扉を開きました。


※ ※ ※


 電灯の点いていない、暗い部屋です。


「アメリア、足元に気を付けてね。何か落ちてるかもしれない」


「うん」


 オリビアが先に歩きます。右手でアメリアの左手を握って、左手は壁について、そろそろと。仔猫は毛が黒いので、いるんだかいないんだかわかりません。そのうち、だんだん暗闇に目が慣れてきて、うっすらと部屋の様子が見えてきました。


「なあんだ」


 さっきの部屋と同じで、何もありません。何か踏んづけたら大変だからと、ゆっくり摺り足で歩いていましたが、どうやらそんな心配は無かったようです。そのまま壁沿いに進んでいると、手にドアノブの感触がありました。


「あっ、扉があったよ!」


「でも、暗くて色が分からないね。この部屋、電灯は無いのかしら」


 カサカサ。


 アメリアの頭の上で何か音がしたかと思うと、急に部屋がパッと明るくなりました。


「まったく、これでいいのかい?」


 パサパサと羽音を立てて飛んできたのは二匹のコウモリでした。一匹は立派なヒゲをたくわえて、もう一匹はきれいなイヤリングをしています。どうやら夫婦のようです。天井には、ベッドやテーブルが逆さまに張り付いていました。


「こんな昼間に来客とは非常識じゃないかね。いったい何時だと思ってるんだ」


 昼に寝て、夜に起きるのがコウモリです。それに気が付いたアメリアが「ごめんなさい、コウモリさんが住んでるなんて知らなくて」と謝ると、「あなた、そんなに怒らないで。知らなかったんだから、しかたがないじゃない」と、奥さんコウモリが許してくれました。オリビアたちが事情を話すと。


「ふむ、女王の庭園へ行くのか。そのだいだい色の扉の先はただの倉庫だから、遠慮しないで入るといい。うちと違ってね」


「ありがとう! 今度ここへ来たら、入る前にノックするね」


 そう言って、オリビアたちは元気よく扉の向こうへ出ていきました。コウモリ夫婦は二人を見送ると、また天井のベッドへ戻っていきました。


「外の世界から来たにしては、物分かりのいい子たちだったわね」


「そうだな。……しかし、あの部屋から庭園に行けたっけな?」


※ ※ ※


 聞いていた通り、扉の先は木箱がそこら中に積まれた倉庫でした。二人が自分の背よりも高く重ねられた箱の迷路をあっちへこっちへと歩き回っていると、木箱の隙間に緑色の扉が見えました。


「あったよ!」


 オリビアが嬉しそうに言いました。お姉ちゃんが喜ぶと、アメリアも嬉しくなります。さて、次の部屋は。


「そうそう、ちゃんとノックしないとね」


 コンコンと扉を叩くと、中から「むにゃむにゃ、どうぞ」と返事が聞こえました。緑色の部屋には、寝言で話すおばさんがいました。それから、黄色の部屋には暑がりの太陽が。紫色の部屋には、集めた瓶の王冠に埋もれて暮らすおじいさんが。桃色の部屋には、恥ずかしがり屋で姿を見せない、結局最後まで誰だかわからなかった人がいました。どの部屋にも全然違った人が住んでいましたが、ちゃんとノックをして挨拶をすれば、みんなオリビアたちを歓迎してくれました。


 そして、水色の扉の部屋へ入ります。この先は、いよいよ最後の赤い扉です。


※ ※ ※


「誰もいないね」


「うん、すごく静か」


 真ん中にレコードプレーヤーが一台置いてあるだけの、がらんとした部屋です。奥には、赤い扉が見えました。あの向こうが、目玉の言っていた庭園に続く部屋なのでしょうか。二人が扉へ向かおうとすると、突然、プレーヤーがジャアン!と大きな音を立てました。あんまり大きな音だったので、オリビアとアメリアは思わず両手で耳を塞ぎました。


「やあやあ、女の子がふたり、騙されたぞ」


 ひとりでに回りだしたレコードから、雑音混じりのぼやけた声が聞こえてきました。


「ケケケ、あのウソつき目玉の言うことを聞くなんて、馬鹿だなぁ」


 大きな声のプレーヤーに、アメリアはムッとして言い返します。


「どうしてそんなことを言うの? 目玉さんは親切で教えてくれたのよ」


「ケケケ、あいつの言うことはいつもでたらめさ。ウソだと思うのなら、そこの赤い扉をくぐるがいいさ」


「言われなくたって、そうするわ」


 ツン、とそっぽを向いてアメリアたちは赤い扉を開きました。すると、そこは何もない、けれど見覚えのある部屋でした。天井を見上げても誰もいませんでしたが、そこは間違いなく、あの目玉の部屋でした。二人は、元の場所に戻ってきてしまったのです。目玉さんは、私たちにウソをついたのかな、どうしてかな、そう考えれば考えるほど、アメリアは悲しい気持ちになりました。


「だいじょうぶだよ。目玉さんはウソなんてついてないよ」


 オリビアが笑顔で言いました。


「私、目を見ればわかるんだ。あんなに大きな目だったら、絶対だよ」


「うん」


 とは言うものの、ふりだしに戻ってしまった二人は、また行き先を失くしてしまいました。


「にゃあん」

 

 長いこと静かについてきていた仔猫が、急に鳴きました。初めてここに来た時と同じように、また天井の方を向いています。すると、頭上の板がパカリと外れて、天井裏から大きな二つの目玉がフワフワと降りてきました。


「なんだい。昼寝してるうちに戻ってきたのかい」


 目玉が不思議そうな顔……いや、目玉をして言いました。やっぱり、ウソをついているようには見えません。


「あのね、あなたの言う通りにしたら、ここへ戻ってきちゃったの」


「うーん、おかしいなあ。それじゃあ、順番をもう一度おさらいしてみようか。まず、あの右にある灰色の扉に入るだろう?」


「えっ?」


 アメリアは、変だなと思いました。


「あの扉は、灰色じゃなくって青色だよ」


「なんと、君たちの世界ではあれを青色と呼ぶのか。むむむ、これは他の色も確かめてみないといけないぞ」


「私たちの髪は銀色よ」


「ほほう、それは私にとっては金色だね」


「土は茶色をしているわ」


「ふむふむ、土は水色ではないのだね」


 三人はよく話し合って、お互いに見えているものを知りました。知ってしまえば、もう間違えることはありません。


「それじゃあ、今度こそいってきます。目玉さん、道を教えてくれてどうもありがとう」


「いやいや、こちらこそ。今まで、どうしてみんなと話が合わなかったのか、やっと分かってすっきりしたよ。どうもありがとう。気を付けて行ってくるんだよ」


※ ※ ※


「この向こうね」


 最後の扉を開くと、また暗くて長い廊下に出ました。けれど、今度は目の前にドアノブが付いていない扉が一つあるだけでした。オリビアが軽く手で押すと、簡単に開きました。


 おしゃれな壁紙が貼られた、大きくて立派な部屋です。天井には綺麗なシャンデリアがキラキラと輝いています。


「やあ、いらっしゃい」


 二人を歓迎する声が、足元から聞こえてきました。どうして足元かと言うと、そのヒゲのおじさんは逆立ちをしていたからです。


「こんな格好で失礼、とは言わないよ。なにしろ、これが僕の一番お気に入りの体勢だからね。僕は、逆立ちに誇りを持っているんだ」


 そう言って下ろしてきた右足で、首元の蝶ネクタイを器用にピン、と伸ばしました。


「キミ、扉を閉めておいてくれるかな。その間に、僕は歓迎の紅茶を入れよう」


 扉を閉めに行って、アメリアは内側にもドアノブが無いことに気が付きました。その代わりに両開きだったので、これなら逆立ちしたままでも、足で押すだけで簡単に開け閉めができそうです。


「うちの自慢の茶葉なんだ」


 テーブルの上に並べたティーカップの取っ手を左足でつまみ、右足で掴んだティーポットを傾けて紅茶を注ぎます。


「あの……」


「分かっているさ。女王の庭園へ出る方法だろう?」


 アメリアは聞きたいことを先に言われて驚きました。そんなに顔に出ているのかしら、と少し恥ずかしくなって、両手で頬を押さえました。


「協力するとも。女王は、自分たちはここへ押し込められた可哀想な者たちだとしきりに訴えているが、僕は自分の意志でここに住んでいるからね。もちろんここは住み心地がいいが、外の世界だってそんなに悪いことばかりじゃないのは知っているさ。ほら、紅茶が入ったよ」


 左足から、温かいティーカップが足渡されます。喉が乾いていたのか、オリビアはごくごくとあっという間に飲み干しました。それを見て、アメリアもおそるおそる口をつけます。


「……あっ」


「どうだい、美味しいだろう? それはそうさ。足で入れたって、お茶の味は変わらない。もし変わったと言うのなら、それは飲んだ人の気の持ちようさ。さて、出口へ案内しよう」


 おじさんは右手を少し持ち上げて、コンコンコン、と床を三回叩きました。すると、カチリと何かが外れた音がしました。


「入ってきた扉を開けてごらん」


 言われた通りにすると、さっきの暗い廊下が、茶畑の広がる明るい庭園に変わっていました。


「女王の庭をこっそり借りて、茶葉を育てているんだ。なあに、あいつはいつも怒ることばかりに忙しくて、気付きやしないよ」


 その庭園に真っ先に飛び出したのは仔猫でした。また、ついてこいと「にゃあ」と鳴いています。


「ありがとう、おじさん!」


 オリビアが仔猫に続きます。アメリアも追いかけます。扉を閉める前に、おじさんに言いました。


「ありがとう。……それから、紅茶、美味しかったよ」


※ ※ ※


 茶畑を抜けると、大きなお城が見えました。中には女王がいるのでしょうか。二人は気になりましたが、いつも怒っている人に近付くのは怖いことです。仔猫も、お城を避けるように走っていきます。ところが不思議なことに、走れば走るほどお城に近付いていってしまいます。気が付くと、二人は城門の前にいました。


「あんたたちだね、外から来たのは」


 ぱちくりとまばたきをする間に、女王が目の前に現れました。


「外の人間はいい匂いがするからすぐに分かるよ、まったく!」


 オリビアたちの倍はあろうかという大きな体に、燃えるような真っ赤なドレス。大人が寝そべったくらいまで広がったスカートをひるがえして近付いてくると、二人はすっかり女王の影に隠れてしまいました。相手は大きいうえに、怒っているのです。怖いに決まっています。けれど、アメリアは勇気を出して言いました。


「私たち、外の世界に帰りたいんです」


「自分から来ておいて、よく言うよ。あたしらを見たくないからってここへ追いやったのは、外の世界の連中じゃないのさ」


 そう言われても、二人にはなんのことだかわかりません。


「私は、またお母さんのクリームシチューが食べたいの!」


「何がクリームシチューだい。あたしは、牛の乳を飲むと体中にブツブツができて痺れるんだ!」


「お母さんに会いたいの……」


「何がお母さんだい。あたしは、子供の頃に捨てられたんだ!」


 アメリアと女王の言葉は、真ん中で見えない壁にぶつかって、向こう側まで届きません。オリビアは、どうして何も無いところに壁があるんだろう、と不思議に思いました。


「世界に、中も外もあるのかな」


 足元を見ると、仔猫が城門の壁でガリガリと爪を研いでいます。オリビアは、そっと壁を両手で押しました。


「あっ!」


 ぐらり、とお城が揺れました。お城だけではありません。空が、雲が、一緒に揺れて、だんだん大きな揺れになって、とうとうバタリと向こう側へ倒れてしまいました。その向こうにあった景色は、見覚えのある川辺でした。


「やれやれ、なんてことするんだい。まったく」


 女王が呆れた顔で言いました。オリビアは、てっきりもっと怒られるかと思っていたので、ホッとしました。女王は、ふう……と気の抜けた様子でため息をつきました。すると、まるで風船から空気が抜けるように、その大きな体はみるみる縮んでいきます。真っ赤なドレスも、いつの間にかよれよれのエプロンに変わっていました。


「あたしだって、本当は外の世界でみんなと仲良くやりたいのさ。でも、このベニヤの壁一枚が、なかなか分厚くてね」


 ポンポンと腰を叩いて猫背になると、すっかり普通のお婆さんです。


「ほら、さっさと行った行った。あんたたちには、こんな壁はどうってことなさそうだからね」


 しっ、しっ、と追い立てられた二人に、黒い仔猫がついてきました。オリビアが、嬉しそうに抱き上げます。


「お姉ちゃん、その子どうするの?」


「今日からうちの子だよ」


「うん」


 オリビアとアメリア、二人の世界に新しい家族が増えました。ふたりは、早くおうちに帰って、お母さんのクリームシチューを食べたいなぁと思いました。


-おしまい-

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オリビアとアメリアの不思議な壁 権俵権助(ごんだわら ごんすけ) @GONDAWARA

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