おかえりなさい ~待っていた駄菓子屋~

賢者テラ

短編


 街の小さなおもちゃ屋さん

 おもちゃだけじゃなくって、駄菓子やちょっとした文房具も売っている

 僕ら子どもの憩いの場所だった

 毎日のように友達と通った

 数百円のおこずかいを握って行くそこは天国だった

 今日は何をしようか

 クジを引いて一等の大きなモデルガンを狙おうか

 小さな小さなカップめんを買ってお湯を入れてもらって食べようか

 十円のコーラの飴玉を買う

 包み紙に『当たり!』の文字



 こういう店って、おばちゃんの店員が多いのだろうけど

 なぜかその店の店番はいつも若いお姉さんだった

 お姉ちゃん、当たったから飴玉もうひとつもらうね

 あらおめでとう 良かったわね

 お姉さんはきれいなひとだ

 何でこんなお店をやっているのだろう

 僕は大きくなったらこんな人をお嫁さんにしたいなぁと思った

 そんなことを考えながら引いた飴玉

 さすがに次はハズレだった



 友達が自慢話をした

 この前さ 駄菓子屋さんで万引きしたんだ

 エッ

 アイス二本。ゼンゼン楽勝

 この頃、僕らの世界はおかしなことになっていた

 友人の間で万引きがはやっていたのだ

 悪い事なのに

 成功した子は 成功した回数の多い子は英雄扱い

 僕はなんだかおかしいと思ったけど

 一方で何だか取り残されたような気がしてね

 本当に良く分からないモヤモヤした気分だったなぁ



 いつものようにおもちゃ屋に行く

 今日はなぜか僕一人だ

 あら いらっしゃい康平ちゃん 今日は一人?

 うん

 店番のお姉さんはニッコリと微笑む

「ゆっくり見てね。私奥で用事してるから買うもの決まったら呼んで」

 お姉さんは、僕たちのことは信用しきっている

 だから万引きなんてゼンゼン警戒していない

 それどころか、僕らがいても奥の部屋に引っ込んで用事はするし

 椅子に座って熱心に文庫本に目を走らせていたりする

 お姉ちゃんこれちょうだい、って言ったらやっと

「はぁい。ありがとね」 と僕らを振り返るほどの警戒心のなさ



 悪魔がささやいた

 ものはためしだ

 なぁに たった数百円のものを取ったからってどうってことない

 お姉さんが生活に困って食べていけなくなることなんてない

 今また奥に引っ込んじゃってるよ

 チャンスじゃないか

 このスリル 普通じゃ滅多に味わえるもんじゃないぞ——



 僕はその声に抗えなかった

 目の前の五色ボールペンとロボット型消しゴムをつかむ

 レジカウンターにお姉さんがいないのを確認する

 そして、大あわてで半ズボンのポケットに押し込む

 心臓がドキドキ バクバク

 やったか!

 得も言われぬ、達成感。

「……康平くん?」



 僕は後ろを振り返った

 お姉さんが、悲しそうな顔をして立っていた

 僕はその場に凍りついた

 み、見られた?

 なんであの時素直に謝れなかったんだろう

 なんで僕らを大事にしてくれてた、優しいお姉さんを裏切ったのだろう

 僕はダッシュで店の外に飛び出した

 頭が真っ白になった

 ただひたすら、全力で駆けた

 だいぶ走ってから、後ろを振り返った

 お姉さんは、追いかけては来なかった



 次の日から僕はあのおもちゃ屋に寄り付かなくなった

 誘われても行かない

 ヘンなやつ 付き合いワリいなぁ

 事情を知らない友人は顔をしかめる

 もちろん友達になんか自慢できなかった

 戦利品は、こっそり捨てた

 まったく得した気にはならなかったから

 見るだけでお姉さんの悲しそうな顔を思い出したから

 僕はおもちゃ屋に相変わらず通う友達に聞いた

「お姉さん、僕のこと何か言ってた?」

「いいや。何でそんなこと聞くんだ?」

「そう。何も言ってないならいいんだ」

「ああ、そういえばー」

 僕は心臓がドキリとした

「な、なに?」

「康平君、最近来ないけどどうしたのかな? って」

「で、何て?」

「オレはさ、最近忙しいみたいで誘っても来ないんだよ、って言ったら——」

「言ったら?」

「そう。寂しいね、って」



 お姉さんは友達だけでなく家にも学校にも何も言わない

 僕はそれからも普通に暮らした

 そのうち歳月は流れて

 僕は小学生から中学生になり、高校生になり——

 家の事情で隣の市に引越しをした

 そのうち、この子ども時代のほろ苦い思い出も忘れた



 僕は、フラフラと夜の街を歩く

 会社帰りの、ネクタイにスーツ姿

 今日、会社がえらいことになった

 ここ最近騒がれていた食品偽装問題

 ウチは大丈夫と思っていたのに——

 二日前、新聞を見てビックリした

 社が名指しで、スクープ報道されていた

 今日の午前中、緊急記者会見が開かれた

 社長が『申し訳ありませんでした』と頭を下げる

 浴びせられるおびただしいフラッシュの光

 まるでわが社の運命を象徴しているかのようだった

 


 ……終わりだ

 きっと、一週間以内に倒産を宣言するだろう

 今日わが社のお得意先が一斉に契約解除を申し入れてきた

 もうあんたのとこの商品は扱えない、と

 僕はこれからどうやって生活していけばいいのか

 職が見つかるだろうか

 今の社にいたという事実は消せない

 そして職が見つかっても給料はまた初任給からになるだろう

 大打撃だ



 僕自身は偽装はあずかり知らない問題だ

 きっと上の人間と現場でのやり取りだろう

 広報宣伝部にいた僕は何も知らなかった

 でも、僕は彼らを責められない

 そう

 僕にだってそういう心はある——



 今まで封印されていた記憶がよみがえった

 せっかく抑圧し、忘れ去ることに成功していたのに

 子どもの頃、おもちゃ屋でやった万引きのこと

 それを鮮明に、まるで昨日の事のように思い出した 



 周囲の風景を見て気付いた

 フラフラとほうけたように歩いていたから、とんでもない場所にいた

 これは僕が小さい頃住んでいた町

 ここからもう少し歩けばあのおもちゃ屋だ

 僕は、これには何か意味があるような気がした

 時を越えて、カミサマが僕に謝る機会を与えてくれたのじゃないか

 なぜかそう思った

 もう、あの店は残ってないかもしれない

 残っていたところで、あの店番のお姉さんはもういないだろう

 別の人が店をやっているだろう

 でもいいんだ

 僕はとにかく、あそこへ行くんだ

 そこで何をすべきかは、『何か』 が教えてくれる——



 あった

 残っていた

 僕の時代とは、お店の外観が少し変わっていた

 もう夜の9時前だから、さすがに閉店間際のようだ

 おばさんが外に出してあるガチャガチャを中にしまいこんでいる

「あのう——」

 そのおばさんは振り向いた 

「えっと、もう閉店になりますが……何でしょう?」

「実はですね、僕は——」



 まぁおかけなさいな、と椅子を勧められた

 おばさんと向き合った僕は、小学生の頃の万引きの話をした

 話しながら、涙が出てきた

 まるで、僕の心はあの頃に戻ったようだ

 ごめんなさい、ごめんなさい

 忘れ去った気でいたけど

 きっと心のどこかで引っかかっていたんだと思うんです

 それが今になってやっと分かりました——



 おばさんは、僕を見て言った

「……康平、くん?」

 30年あまりの時間が、逆戻りした

 確かに、年をとってしまっているが——

「お、お姉……さん?」

 ここにいてくれたんだ。

 まさか、お姉さん本人に謝ることができるなんて!

 神様ありがとう

 僕らは抱き合った

「今まで本当に、ゴメンナサイ」

 おばさん、いやお姉さんは涙を浮かべて言ってくれた

「お帰りなさい。よく来てくれたわね、謝ってくれてうれしい——」

 僕の背中をポンポン、と優しく叩いてからお姉さんはこう言った

 これで、もう思い残すこともないわ——



「お姉さん…!?」

 おもちゃ屋の中を、まばゆい光が満たす

 七色の光線がレーザーのように飛び交う

 そのこの世のものとは思えない光の中で

 お姉さんは昔のきれいな若い姿に戻っていた

「さようなら康平君。元気でね」

 光の中で、お姉さんは手を振る

 だんだんその姿は小さくなっていく

 その光が目を開けていられないほどに輝きを増した時

 僕はあることを悟った

 そしてすぐにそれは証明された



 光が消えた時

 僕がいた場所は、何もない真っ暗な廃屋だった



 次の日、僕は周辺で聞き込み調査をした

 それで分かったこと

 お姉さんは死んだ

 まだ30にもならない前に病気で

 それ以来、店は廃屋

 一応不動産屋に広告は出しているが、買い手が付いていないまま 



 僕は貯金全部をはたいてそこを借り、駄菓子屋を開いた

 今の時代、子どもには受けないかもしれないと心配はした

 でも、やらずにはいられなかった

 お姉さんの遺志を継ぐんだ

 それは、万引きした申し訳なさの表れか

 僕を待ち続け、ゆるしてくれたことへの感謝の表れか

 いざ開いてみると、店にはそれなりに客が来た

「おじちゃん、これちょうだい」

 小さい子どもたちが、小銭片手にやってくる

 僕はうれしかった

 お姉さん

 これからは、僕が子どもたちを見守っていくからね——



 やはり万引きをする子もいた

 話せば、涙を流して分かってくれる子もいた

 ばれたのが損をしたという程度の感覚で、ふてくされる子もいた

 でも僕は、とがめずに微笑む

 追いかけずに、待つ

 僕ら大人が子どもに手本を示さねば

 確かに、怒ることも罰を与えることも必要だ

 でも子どもが大人の行いを見て自ら反省するのでなければ

 心から自分が悪かったと非を認めるのでなければ



 僕は待とう

 子らが帰ってくるのを

 待つ姿勢を子らに示そう 

 そして戻ってきたならいつでも迎えてあげよう

 あのお姉さんと一緒に



『おかえりなさい』

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おかえりなさい ~待っていた駄菓子屋~ 賢者テラ @eyeofgod

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