オーダー・メイド 終編

「おはようございます、愚鈍な御主人様」

「……おはようございます」


 つい昨日聞いた言葉とまったく同じ言葉を投げかけられ、彼は扉を開いた状態で固まった。

 朝起きて妙に調子のいい体に首を傾げながら部屋を出てみれば、そこには本日が休養日だったはずのメイドが立っている。


「あの、今日は休みだったはずでは」

「少々都合がありまして、本日も勤務させていただきたいと思います。よろしいですか?」

「いや、 急ぎの仕事もありませんし、いつも働いてもらっているのでこんな日くらい休んで」

「よろしいですね?」

「よろしいです……」


 あまりにも簡単に折れる主人。これではどちらが主なのかわからない。


「でも、本当に大丈夫ですか? 最近は働き詰めだったし、体が休まっていないんじゃ」

「問題ありません。疲労は取れましたので」

「……わかりました。 でも、 今日の分の休暇は今度しっかりと取ってくださいね!」


 健康第一ですから、と宣言する主に、メイドは軽い礼を以て返事とした。







 書類の上をペンが走る音が執務室に響く。主が働いている横ではメイドが書棚の掃除を行っていた。

 珍しい光景だな、と思った。普段であれば、彼が仕事をしている最中に彼女が掃除を行うことはない。 主の目が届かない所で行っているのか、彼が足を運ぶ場所は常に清掃が行き届いているのだ。


 だからこそ、何かがあったのかもしれないと思った。休みの予定だったのに今日も働いている、というのも予定を遵守することがモットーな彼女の行動としては違和感がある。


「御主人様」


 そんな風に考え事をしながら仕事をしていた為、話しかけられた時の反応が遅れた。

 慌てて顔を上げると、いつも通り無表情なメイドがこちらを窺っている。


「あ、すいません。少しぼーっとしていて。何でしょうか」

「そろそろ休憩なされてはいかがでしょうか。もう昼時ですので」


 言われて窓の外を見てみれば、確かに日が中天へと差し掛かっている。思っていたより長い時間考えこんでしまっていたようだ。


「いえ、もう少しだけ書類を片付けてからにします。予定よりも遅くなってしまっているので」


 少しばかりの罰の悪さを覚えなが返答する。彼女の休日を潰しておきながらこの体たらくとは情けない。

 いつもより強い罵倒が返ってくるだろうなと思い身構えていると、思いもよらない言葉が投げられた。


「かしこまりました。それでしたら少々お待ちください。軽食をお持ちいたします」

「あはは、ですよね……。えっ」


 いつもの調子で返答した後でおかしさに気付き声を上げた時には、メイドは既に部屋を出ていた。

 しばらくの間呆然と閉ざされた扉を見つめていたが、ハッと我に返る。


 異常事態だ。


 こちらのミスで仕事が遅れている状態で、彼女からの罵倒が一つもない?

 そんなことあるはずがないだろう!


 あまりの事態に停止していた思考が回り始め、事態の深刻さを理解する。

 こんな状況で彼女の口から罵倒が出ない状況など、数年の付き合いの中で一度もなかった。緊急事態でありエマージェンシーであり天地の崩壊を示す予兆であると言っても過言ではないだろう。

 いや、そもそも彼女は本物のメイドなのだろうか。偽物、いや、そこまで言わずとも何かしらの精神攻撃を受けている可能性が……待て! もしやここはまだ夢の中なのでは? それなら納得だ。現実でこんなことが起きるはずがないのだから!


「何てことだ、不吉の予兆どころの話じゃない。早く起きないと……とりあえず頬をつねって……」

「何をなさっているのですか?」

「うおぉっ!?」


 背後からかけられた声に飛び上がり、その勢いで足を打って転げ回る。痛い、夢じゃなかった。

 いつの間にか戻ってきていたメイドが、オープンサンドが載った皿を片手にこちらを見ていた。 主を助け起こそうとする動きはない。そこはいつも通りで痛みに耐えながらも安心する。……主としてその反応が正しいのかは、彼の名誉の為にも触れないでおく。


「は、早かったですね……」

「いえ、それなりに時間はかかったと思いますが」


 となると、思っていたよりも呆けていた時間が長かったのだろうか。無理もない。仕事が遅れているのにお叱りがないなどという異常事態──


 仕事?


「あっ」


 立ち上がって書類を見る。当然ながら、メイドが立ち去った時から一文字たりとも進んでいない。

 後ろからメイドが書類を見ているのがわかる。彼の背中を冷や汗が流れた。

 仕事を進めておくと言いながらこの有り様。今度こそ罵詈雑言の嵐が降り注ぐだろうと身を固くする彼だが、またしてもその予想は外れた。


「もしかして体調が優れませんか? 一旦休憩なさってください」


 返ってきた言葉に彼はいよいよ混乱の極みを迎える。この状況で悪態の一つもないなど、普段の彼女からすればありえない。南国が一夜で雪国に変わったかのようなひどい違和感を覚える。

 偽物、というのは流石にないだろうが、それでもメイドがいつもと違う行動ばかりとっているのは確かだ。

 もうしばらく様子を見るべきだろうか、しかし。


「あー……。メイドさん、何かありました?」


 正直に聞くことにした。その言葉を受けて彼女は整った眉をほんの少しばかり動かす。

 腹芸は似合わない。そもそも、別に何かを探りたいわけではない。聞いてみて、何もなければそれでいいのだ。


「何か、とは 」

「いえ、さっきから普段と違う様子だったので気になって……。僕の思い過ごしならいいんですが、心配になったというか」


 心配。そう、彼は心配をしていた。

 彼もメイドの普段の悪態で傷つかないことはなくもなくはないが、その言葉は正論であるし、それが彼女なりの不器用な気遣い。いわゆる信頼の証であることもわかっている。彼女が遠慮なく毒を吐く相手など、主人の知る限りでは彼女がいた傭兵団団長を始めとする二、三人程度であるから、苦言をもらうと少しばかり嬉しいのだ。まるで主人がマゾであるかの様な言い方ではあるが。


 だから、今日の一歩引いた、正しく従者の様な態度は心配になるし、不安になる。自分が何か、 彼女からの信頼を裏切る様な真似をしてしまったのかと。それを考えるととても恐い。

 メイドはこれもまた彼女にしては珍しいことではあるのだが、しばし言葉に詰まっている様子だった。だがそれも短い間で、少しして口を開く。


「……ご主人様」

「は、はい」

「昨夜は、申し訳ございませんでした」

「………え!?」


 メイドはそう言って深々と頭を下げた。それに面食らうのは主だ。今まで見たことのない行動に慌てふためいて言葉を返す。


「え、ど、どうしたんですか!? 昨日!?」

「……あれは、使用人としてあるまじき行為でした。主人に対し暴力を振るうなど、あってはならないことです」


 その言葉で思い出す。そうだ、昨日屋敷に帰って来た際、彼女から強烈な一撃をもらっていた。 もしかしてずっと気にしていたのだろうか。それで様子がおかしかった?


「如何なる罰も受ける所存です。どうぞ、何なりとお申し付けください」


 頭を下げたままのメイドの顔は見えない。だが、いつも感情を浮かべることのない顔が、今この時泣きそうに歪んでいるのではないかと思ってしまうのはなぜだろうか。

 そんなメイドの姿を見て、彼は一つ深呼吸した。


「メイドさん」

「はい」

「体調が悪いとかじゃないんですね?」

「はい。……えっ」


 メイドは予想だにしていなかった言葉に思わず顔を上げる。二人の視線がぶつかった。


「良かった……。いつもと様子が違ったので風邪でも引いたんじゃないかと思いました。これで一安心です」

「あ、いえ。体調は良好ですが」

「なら何も問題ないですね。すいません、食事を持ってきてくれたのにお待たせして、いただこうと思います」

「あ、はい……いや、お待ちください」

「このオープンサンドおいしいですね。鶏肉がいい味を……」

「そうではなく!」


 彼女の大声に食事の手を止める。メイドはひどく混乱した表情をしていた。今日だけで、かなりの数見たことのない彼女の姿を見ただろうと主は思った。


「な、なぜお叱りにならないのですか! 私は貴方に手を上げたんですよ!」

「何故と言われても、怒る理由もありませんし……」

「理由なんて、 決まり切って……!」

「だって、僕を助ける為だったんでしょう?」


 何でもないことの様に放たれた言葉に、今度こそメイドは絶句した。

 メイドが主人を助けた。それは事実だ。あの場で行動していなければ毒はゆっくりと彼の体を蝕んでいただろう。だが彼はそのことを知らないはずだ。 だから、彼からしてみればあの場で起きたことは『突然メイドに殴られた』という、ただそれだけの出来事のはずなのだ。


 なのに何故、主人は助けられたと口にするのか。その答えは単純に過ぎる。


「だって、メイドさんはいつも僕を助けてくれるじゃないですか」


 暴論と言うには純粋すぎる、一途な信頼。ただそれだけが答え。


「いつも怒られてはいますけど、全部正しいことで、僕の為に言ってくれてるんだなってわかりますし、実際そのおかげで助かってばかりです。逆に僕の方が迷惑をかけているんじゃないかって心配なくらいで……。それに、メイドさんは今までどれだけのことがあっても僕に手を上げなかったでしょう? だから、あれも絶対意味があることなんだろうって」


 まあ、叩かれる程怒られる様なことをしていたなら、それはそれで仕方ないと思いますし、と主人は苦笑する。メイドはそれを見て呆れるべきか否か悩んでしまった。

 この主人は人が好すぎる。以前から思っていたことだが今回はより強くそう思う。


 妙なところで勘が働くこともあるし、無意識であれ主人なりの理論があるということはわかる。だがそれでも、これだけのことがあって尚、傷一つない信頼を向けるなど意味がわからない。人が好いなどという地点を飛び越えて甘ちゃんだ。よくこれで商人などという駆け引きの世界に飛び込み、破産もせずやってこれたものだ。


(いや……だからこそ、と言うべきなんでしょうか)


 メイドは昔傭兵だった。別にそれが悪いことだったとは思っていないが、多少なり世界の暗い部分を見てきた自覚はある。それは主人も理解していることだ。

 だがそれでも、今回のようなことがあっても、彼は善性を失わない。

 主人は守ることを恐れない。止めた後のリスクを考えて、主人が毒を呷る様を見ていたメイドとは違い、僅かでも彼女に危害が及ぼうとした瞬間に行動する程に。


 客観的に見て正しいのはメイドの方だろう。彼女もそれは疑っていない。実際、主人はまったく毒の存在に気付かず、直感で大貴族に無礼を働いているし、そんな行動を取らなければ刺客が送り込まれることもなかったのだから。


 それでも、その行動を眩しいと思ってしまった。


 すぐに助ける備えをしていたとしても、目の前の主を助けなかった自分を、汚い生き物だと思ってしまうくらいには。

 そんなくだらない感傷で打撃などという、普段ならありえない手段で解毒を行ってしまったし、あれからずっと胸の奥に何かがつかえて苦しかった。だけど、黙り込んだメイドを見て慌て始めた主人を見ると、くだらない考えだったなと思ってしまう。


「あ、いや、あれ、僕まずいこと言いました……? じゃ、じゃあ罰としてお願いです。いつも通りのメイドさんに戻ってください! これで全部チャラです。どうですか!?」

「……お願い、ですか」


 命令ではなくお願い。主から使用人に対する罰だというのにそう来たか。つくづく貴族に相応しくないと思うが、つい口元が緩んでしまう。

 主人は優しい。それは弱さではあるだろう。 だけど得難い強さだと思うし、かけがえのない価値があると信じている。

 だからこそロード卿も、 商人達も、 団長も彼に力を貸しているのだろう。

 なら自分はどうするべきか。答えはとうの昔に決めていた。


「まったく、ご主人様はどうしようもない愚図ですね」

「ひどい。けど、ああ。やっぱりその方が落ち着きます」

「……本当にどうしようもないお方ですね」


 その後に続くべき言葉は胸に秘め、メイドは優雅なカーテシーを決める。


「注文を承りました。ご主人様。これからもどうぞ、愚鈍で無様な貴方様のお側に」


 主人からは見えない顔は、花が咲いた様な笑顔だった。
























 と、話がここで終わっていれば綺麗だったのだろうが、もう少しばかり続きがある。

 食事を再開して鶏肉のオープンサンドを手に取った主が、こんなことを言い始めたのだ。


「あ、考えてみればこれで釣り合いは取れてましたね」

「何がでしょうか」


 唐突によくわからないことを口走った主に、メイドが疑問を呈する。それに主はこう返した。



「メイドさんの手作り料理っていう最高のご褒美をもらったんです。罰どころか、僕がお礼をしなきゃいけませんね」



 先程とは違う理由でメイドが固まった。彫刻と見紛う程の見事な直立不動っぷりだ。

 少しして再起動し、錆ついた蝶番の様な首の動きで主を見る。


「……今、何と?」

「え、メイドさんの手作り料理を食べられる僕は幸せ者だな、って」

「……何故、私が作ったと?」


 この屋敷の料理は基本的にメイド以外の使用人が作っている。 そうでないと流石に人手が足りないし、何よりメイドが少しばかり料理が苦手だったからだ。

 だが彼女は仕事に対して真摯であった。前回の汚名を返上すべく、時間がある時は料理の練習をし、料理人並とはいかないまでも十分に美味しいと呼べる品を作れる様になっていたのだ。

 そして今日、食事の時間がいつもとずれていた為、 ちょうど調理場に他の使用人がいなかった、なのでメイドが簡単な品を作って持って来たのだが、主人にそのことは伝えていない。なので彼が知るはずもないはずなのだ。

 ……人並に作れるとは言っても完壁主義な部分がある彼女は、これを自分が作った料理だと言うつもりはなかったのだ。いずれプロ級の腕を手に入れてから披露する考えを持っていたので、この返答はかなり彼女のメンタルに響いている。


「メイドさんが作った料理ならわかりますよ」

「何故ですか」

「だってすごく美味しいですから」


 答えになっていない。なっていないが、メイドは胸の内に荒れ狂う感情を宥めるのに必死になっていた。哀れである。

 そして愚鈍な主はとどめを刺した。



「かわいくて仕事ができて料理も美味しい。メイドさんはいいお嫁さんになりますね」



 キャパオーバーだった。


「申し訳ありませんが急用を思い出したので失礼します」


 早口でそれだけを告げると、メイドは一迅の風と化して部屋を飛び出した。熱練の兵士の淀みない動きである。

 主はポカンとした顔でそれを見送る。一体何事だろうか、彼女の横顔が赤く染まっていた気がするが……。

 そのまましばらく考えて、一つの可能性に思い至った彼は呟く。


「……結婚の話を出したの、セクハラだったのでは……!?」


 メイドと対照的に青い顔をいた主人にツッコミを入れる者は、残念ながらこの部屋にいなかった。







 王国の歴史書に、大貴族がクーデターを企んでいたという事件が記されている。

 その貴族は裏で他国と手を結び、あろうことか呪術を用いて大量殺人を王国内で手引きし侵略の準備を整えていた。だが、クーデター直前にそれに気付いた者達がいたのだ。

 彼らは手を結びその計画を阻止することに成功した。協力していた者達は貴族に傭兵団、一介の商人に市井の人々と、統一性のない人員であったという。そしてその中心には貴族とは思えない程に頼りなく思える優男と、彼に付き従うメイドがいたと言うが……それはまた、別の話。



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オーダー・メイド 櫂梨 鈴音 @siva_kake_mawaru

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