オーダー・メイド 後編

 とっぷりと日が暮れた夜の街に、 酔っ払い達の喧噪が響き渡る。

 繁華街に近い通りでは仕事を終えた者達がエールを呷り食事を摂るといった光景が広がり、昼間とはまた違った賑わいを見せている。

まだそんなに遅い時間ではないというのに、道端で酒瓶を抱えていびきをかく者もちらほら見受けられた。


 酒場が立ち並ぶそんな通りを、二人の人影が歩いていた。

 とは言っても実際に歩いているのは厚手の外套を着てフードを被った小柄な一人で、 もう一人の男は力なく項垂れてフード頭に肩を貸され、半ば引きずられるような形で歩いていた。

 そんな二人組を気に留める者はどこにもいない。酔っ払いをその連れが運んでいる光景など、ここでは大して珍しくもないからだ。


 そんな二人組はある酒場へと入って行く。そこもまた、この辺りでは珍しくない大衆向けの酒場だ。


「おー、こっちだこっち」


 中に入ると店の奥の方から声がかかった。そちらを見ると、小さなテーブル席に窮屈そうに収まる大男が一人、フード頭に向かって手を振っている。

 そのテーブルに転がる空の酒瓶を目にしたフード頭は、 小さく溜息を吐きながらも近づいて行く。


「もうこんなに飲んでるんですか」


 フード頭が発した声は高く、澄んでいた。フードから零れた白髪が揺れる。

 フード頭──元傭兵のメイドは、目の前に座る自分の元・上司、傭兵団団長へと冷ややかな視線を浴びせた。


 だが団長はその視線をどこ吹く風とばかりに受け流し、 新しい瓶に手を伸ばす。この程度の目線はとうの昔に慣れているという体だ。

実際、傭兵団に彼女が居た際はこれ以上の視線と罵詈雑言を毎日のように浴びていたのだ。何度泣かされたなど覚えいない。それに比べれば今の視線など挨拶代わり、いっそ懐かしいという感慨すら浮かぼうものだ。


「酒場で飲まずにどこで飲もうってんだよ。周りが酒飲んでる中でミルク舐めること程惨めな気分に浸れるもんはねえぞ」

「いつも惨めったらしく鼻水垂らしているのが貴方でしょう。それに、私が言っているのは話をする予定があるのにその前から飲んでいることに対する注意です。しばらく会わないうちにとうとう小さな脳みそも腐りましたか? またゾンビの方が頭が働きそうですね」

「あ、はい、すいません」


 余裕の態度は絶対零度の声音の元に一撃で崩れ去った。フードで顔が隠れていたので雰囲気が掴みにくかったが、どうやら彼女、相当に機嫌が悪いらしい。いつもの針を刺す様な罵倒どころか今の機嫌では釘を打たれかねない。それも精神的にではなく物理的に。

 椅子に座ったた彼女へと、団長は恐る恐る声をかける。


「な、何か飲むか?」

「この店で一番度の強い物を」

「いや飲むのかよ」

「何か文句が?」

「ウッス。何でもありません」


 団長はその場から叫んで店員へと注文を告げつつ、これはヤバいと思考を回す。どう見ても今までの付き合いの中で最も機嫌が悪い。流石に酒を飲んでいたことに対しここまで怒りを顕にすることもないだろう。

 そもそもの話、彼女は毒舌だし怒りっぽいと誤解されやすいがそんなことはない。むしろ感情は平坦で、普段の言動は素のままの態度に他ならない。

 そんな彼女がここまで感情を揺さぶられている原因として考えられるものは……。


「あー、旦那のことなんだが」

「はい、あの愚図主人のことですね」


 団長の予想は不幸なことにも的中してしまう。彼女の感情を動かせるものとして第一に上がるのは、旦那……彼女の主人である。彼と関わりを持ち始めてからの彼女は大きく変わったし、団長はそれが良いことだと思っているが今回はタイミングが悪い。何せ、今からその旦那のことについて話をしようとしているのだから。

 話をしなければならないが、 その話のどこかで彼女の逆鱗を踏むかもしれない。そんな恐怖から現実逃避するべく、団長は先程から気になっていたものへと話を逸らす。


「と、ところでそいつは何なんだ? 今日はお前一人で来る予定だったよな」


 そう言ってメイドの隣の席に置かれテーブルに突っ伏す男を指さす。言葉の通り今日は彼女一人で来るという話だったし、男の顔にも見覚えがない。実際、話の内容を考えると部外者を連れて来るはずもないので気になってはいたのだ。


「例の話の件です。お客様ですよ、あの人への」


 ピリ、と空気が張り詰めた。瞬きする間に先程まで発されていた怒りが鳴りを潜め、代わりに現れたのは鉄面皮を被った冷酷な女だ。

 団長もまたその言葉に反応する。表面上の動きは変わらないが意識が切り替わった。ここからは真剣な話だと察し、手指の僅かな動きで周囲の席に座る者達──一般客へと偽装された傭兵団員達に警戒の指示を出す。

 店の反対側で飲み続ける本物の一般客の注意がこちらに向いていないことを確認し、酒を持って来た古馴染である酒場のマスターにチップを渡す。初老のマスターは静かに領き厨房の方へと戻って行った。これでしばらくの間、ここには人が近付かない。

 密会を行う際、どこか隠れた場所へ向かおうとすると逆に感付かれることがある。この場所を選んだのは店主との信頼関係があることと、人混みの中での会話というのは聞き取り辛く、気にしている者が少ないからだ。周囲の席は団員によって埋められているため、もし離れた席の会話に聞き耳を立てようとすれば団員の誰かがそれに気付く。

 隠したいことがある時、逆に堂々とした態度を取るのも一つの手だ。少なくとも、この場にいる関係者以外、誰もこんな場所で大っぴらに密談が行われているなどとは思っていないのだから。


「……そいつが例の客、ねえ。随分早くねえか? 客ってんならどれだけ早くても半年は後に来ると思ってたんだが」

「どうにも待ちきれなかったようで、まあ十中八九独断専行でしょう。行動がおざなりに過ぎます」


 そう言ってメイドはテーブルに突っ伏したまま動かない──ピクリともしない男の首元に触れる。そこにはよくよく注意しないとわからない程細く尖った針が刺さっていた。

 団長はそれが何かを知っている。針使いである彼女が好んで使う暗器。その先端に塗られている物は毒。

 命を奪う類の物ではないだろうが、男の状態を見るに恐らく彼女がよく使う、一日の間身体の自由を奪う物だろう。 身動きが取れない間も意識だけが覚醒したままになる恐ろしい毒だ。男からすれば手足を縛られ、猿轡を噛まされた状態で捕虜になるよりも悲惨な状況を作り出されているのだから。

 とはいえ先のメイドの口ぶりで正体は察している団長としては、一切同情する気はないのだが。


「それにしたってな、こんな早くから刺客を送って来るなんざ正気の沙汰とは思えねえ」


 突っ伏している男、その正体はメイドの主を狙った刺客だ。

 彼女は己の主人に一発喰らわせた後、馬車の後ろを尾けて来た刺客を昏倒させ、さも酔っぱらいを介抱するかのように装いここまで連れて来たのだ。

 刺客が来るだろうということは団長としても予想していた。だが言葉の通り来るのが早すぎる。

 彼には今、国中の注目が集まっている。もしそんな状況で彼が死んだとなれば、それが単なる事故であったとしても暗殺であることを疑われる状況だ。

 だからこそ、警戒しつつもまだ猶予があると考えていたのだが……。


「あー、どこの手の者かわかってるのか?」

「ノン・ペポット」

「……マジかよ。最悪の想定が当たっちまったじゃねえか」


 大貴族の名前が出て来たことに団長は頭を抱えるが、そこに動揺の色は見られない。最悪の想定ではあったが、逆にそれが想定内であったということだ。

 呪術師を捕らえた後、腑に落ちないことがあったメイドを含む傭兵団が独自の調査を開始した結果、あまりにもきな臭い情報に行き当たってしまった。


 それは呪術師の行動と軍の行動についてのことだ。事件の当日、かなり大規模なバザーが開催されていたが、そこで警備に当たっていたのは街の衛兵ばかり。国軍の駐屯地が近くにあるにも関わらず、兵士は誰一人として務めていなかった。


 一応は街のイベントであり、 国が関わる様な案件でもなかったのだが、そこに違和感があった。 呪術師が紛れ込んでいたが故の後付けの違和感かもしれない、だが彼女達が直感に従い情報を集めた結果、指揮権を持つ兵士の一部に急な配置変更の通達が下されていたことがわかった。

 それ自体は何の変哲もないことではある。が、それを受けた兵士の人選は、短い間とはいえその部隊が動けなくなる者が選ばれている上、タイミングが悪すぎる。事件が発生するほんの少し前にそんな命令が下されていたのはいくら何でもおかしいだろう。


 そこで疑念は確信へと変わった。実行犯である呪術師以外に、裏で手を引いていた者がいると。

 そこから調査を続けていく内に、容疑者としてペポット卿の名が挙がった。 呪術師対策の全権を握っていた人物であるのだから、軍の動きをそれとなく誘導することや情報を渡すことも簡単にできる人物として。


 だが、国有数の大貴族が大犯罪者と裏で手を組んでいる、などという話が事実であれば大変な事態になる。その為、この予想は外れていて欲しいというのが団長の願いだったのだが、それは叶わなかったということだ。


「根拠は? 言い切るってことは当然あるんだろ?」

「今日、あの人がペポット卿の邸宅に招かれたことは聞いていますね?」

「ああ、報告で聞いてる。怪しいとは思ってたし監視も向かわせたが……何かあったのか!

「ご主人様が毒を盛られました」

「は? ……はあ!?」


 軽く口に出された衝撃的な内容に、団長は思わず声を上げる。それからこれが密談であることを思い出し慌てて周囲の様子を窺うが、喧噪のおかげでこちらに注意を向けている者はいなかった。


「何を騒いでいるんですか。そんなにお馬鹿さんでしたか? 私がいなくなって数ヶ月でこれとは、一年後には穀潰しになってしまいそうですね」

「騒ぎもするわ! 毒って、旦那は無事なのこよ!?」

「無事じゃなかったら私がここにいるわけないでしょう。馬鹿みたいじゃなく本当の馬鹿でしたか」


 言われて初めてそのことに気付く。彼女がここにいる以上彼は無事に決まっているではないか。

頭に血が上っていたことを自覚した団長は浮かせた腰を再び椅子へと落ち着けた。


「……説明はしてくれるんだろうな」

「ええ、 もちろん」







 一部始終をメイドから聞いた団長は唸っていた。完全に、自分達の認識が甘かったと言わざるを得ない。


「……まさかそんな場で酒に毒を盛って来るとは」

「そもそも、最初から殺意がだだ漏れでした。あそこまで剣呑な雰囲気で何事もなければ逆に不気味です」


 あの部屋に入った時、まず彼女が感じたのはペポット卿から主へ向けられた殺意であり、そこで振る舞われた酒には毒が混ぜられていた。主自身は殺意にも毒にも、微塵も気が付いていなかったが。

 昔は暗殺に良く使われていたらしく有名な物なのだが、 現在はその原料となる植物が国内で製造・所持を禁止されているものであるため、国内でその毒を所持している者は即犯罪者扱いとなる劇物だ。

 遅効性の毒であり、摂取した者の内臓をゆっくりと犯すのだが死に至らしめることはできずにそのまま消える。だが百パーセントの確率で何らかの重篤な病を併発させる性質があり、知らず知らずの内に弱らされていた体では病に対抗できず病死してしまうという、非常にいやらしい代物だ。 毒が直接の死因ではない上、病を発症するまでに一月近く時間を擁する為暗殺だと特定されにくい、正に暗殺にうってつけの毒だったという。


 もっとも、現在では初期症状から毒であると判断できる様になり、解毒剤も作られているので早い段階で処置をすれば問題なく毒は除去できる。

 それでも数日経てば危険なのだが、今回は初期症状が出るどころか、飲んだ直後にプロの腕によって対処されているので万が一にも問題は起きないだろう。僅かな匂いと酒の濁りから毒の種類を見抜いたメイドの、神がかった処置の賜物だ。


「ただお前、解毒の為とはいえ旦那の腹殴りつけるとか……」

「それが一番効率的ですから」


 澄まし顔で答えるメイドに団長は言葉もない。

 消化されきる前に吐き出させる為とはいえ、主の腹に拳を打ち込むメイドなど聞いたことがない。


「同時に針も打ったのでそろそろ効いてくる頃でしょう。念の為に解毒剤の類も携帯しておいて正解でした」


 言葉通り、彼女が主へと拳打を放った際、同時に治療用の針も突き刺している。

 毒は確かに人を殺せるものだった。こういった事態を見越して、正体を伏せたままあの場にいた彼女の存在がなければの話だが。


 彼女は暗器使いであり毒使いでもある前に、治療師だ。本来は針と葉によって人体を癒すことを得意とし、針による暗器術も毒の調合もその知恵と経験、類まれなる敏捷性によって得た副産物に過ぎない。

 事実、現在屋敷では毒が体内を回るどころか普段より具合の良い体に戸惑いながら業務をこなしている主がいるのだから、その腕の程が窺える。むしろ毒より殴られた腹の方が痛んでいる状態だ。


 彼女は人体を知り尽くしている。それは針一本で治療をこなす程に。

 故に、その壊し方も知っている。 未だ倒れ伏す男の体が、 それを証明しているように。

 身内ではあるが怖い女だと、そう再認識しながら団長は口を開く。


「だがよ、いくら何でも手口が短絡的すぎやしないか。とても軍略家として知られた人間が取る行動だとは思えねえ。何も考えてない馬鹿が衝動で起こしたもんだろ、こんなのはよ」

「それで合ってますよ」

「は? 合ってるって、何が」

「ノン・ペポットは短絡的で何も考えていない愚かな豚です」

「……何て?」

「失礼、豚は過分に過ぎる評価でした。ドブネズミ……いえ、蛆虫あたりが適切なところですね」

「そうじゃなくてよ……あのペポット卿だろ? 戦争負けなし、最高の戦略家で有名な」

「あれは虫です。何も考えていませんよ……

「……そういうことかよ」


 苦々しく呟いた団長に、メイドは沈黙を以て答える。


「裏に誰かいる……いたってことか」

「でしょうね。あの虫にそこまでの知性はありません。それでムキになって凶行に及んだわけで、本当に知性の欠片も見受けられませんね。よくぞ今まで本性を隠せていたものです」

「もしかしたら、呪術師の件でその誰かから見放されたのかもな。で、後ろ盾をなくして逆恨みと……なあ、確かペポットが当主になったばかりの頃に最初の犯行が起きたんだよな。おまえ、先代当主の死因って覚えてる?」

「知っていることを人に聞かないでください。調査の際にあなたも聞いたでしょう」

「ああ。内臓の病気、だよな」

「ついさっき話題にしたばかりですね」

「わかってるから言うな。頭が痛くなる……」


 どんどんきな臭さが増してきた。

 つまり、 先代ペポット卿の死は毒による暗殺。 犯人は現当主のペポット卿……と裏にいる何者か。呪術師の犯行は何らかの大きな権力によって成立していたもの、という可能性が高いことになる。

 目的は不明だし、誰がそんなことをしているのかもわからない。 しかし大貴族が一〇年以上前から傀儡になっていた可能性、犯行を止められる人間がいなかったことから問題の根の深さが窺える。

 下手をすると、他国の侵略作戦という可能性もある。少なくとも一傭兵団の手に負える事態ではない。


「というわけで、どうです。あなた達は手を引きますか?」

「それはねえよ……旦那にゃ恩があるんだ。俺達はゴロツキみてえなもんだが、あの人を見捨てる程腐っちゃいねえ」

「それを聞いて安心しました。私としましても脅しの手間が省けるので助かります」

「マジおっかないな、おまえ」

「とりあえず、私の方で何人か信頼できる人間に当たってみます。相手がどこまで手を伸ばしているかわからない以上、今回のことを大きく触れ回るのは悪手でしょうから」

「こっちでも当たってみるが、おまえのアテはあるのか? メイドとしての交友関係とか?」

「珍しく察しがいいですね、その通りです。カム・ロード様には特によくしてもらっています。他にも信頼できる方が数名程」

「冗談で言ったんだが……カム・ロードっておまえ、そっちも大貴族様じゃねえか。 どうなってんだよ」

「ご主人様の友人です。虫への牽制としてよく来てくださっています」

「仮にも貴族を虫呼ばわりするおまえが恐いよ。っていうか何で旦那の友人とおまえが親しげなんだ」

「いいメイドというのは、 人を惹きつけてやまないものです」

「いや、そんなしてやったりみたいな感じで言われても何一つわからないし、 第一おまえ新米だろうが」

「メイドとは時間によって完成するものではありません。魂によって体現されるものです!

「つまりおまえから旦那への魂の愛?」

「葬儀の様式に拘りはありますか?」

「殺すこと前提で話してんじゃねえ!」


 真顔で宣うメイドに怒鳴り返し、団長は一息つく。そのまま未開封の酒瓶へと手を伸ばすと二つの器に中身を注いだ。


「ほら、ご要望のきっつい酒だ。堅苦しい話はここらでいいだろ。旦那の護衛にゃ何人か向かってるから、おまえも飲め」

「いただきます。ああ、あとはついでにこの男を引き取ってもらえませんか」

「いいけどよ。どうすんだこいつ。ろくな情報持ってるとも思えないんだが」

「尋問の練習にでも使ってください。あの子達もまだ実践には慣れてないでしょう」

「ああ、それだよそれ。おまえが抜けるとか誰も思ってなかったから引き継ぎでバタバタしてんだ。連中から俺に突き上げが来る始末だぞ、どうしてくれる」

「傭兵稼業なんていう、いつ誰が死ぬかわからない職でそんなことを言う人間の怠慢でしょう、厚かましい。今度会ったら再教育が必要ですね」

「いいなそれ、やってやれ。ただ今日は俺の鬱憤晴らしに付き合えよ。勘弁してくれって言っても飲ませ続けてやるからな」







「すいませんもう勘弁してくれませんか……」


 数刻後、そこには縮こまって詫びを入れる団長の姿があった。

 テーブルの上には空になった酒瓶が一〇本以上並び、噎せ返るような酒精が立ちこめている。

 それらを一人で飲み干したメイドは顔色こそ変化がないものの、目が完全に据わっていた。

 彼女はウワバミである。酒に滅法強いだけでなく、多少の酔いなら自分自身に針を打つことで簡単に醒ましてしまう。故に、酔った姿を見ることなどほとんどない。

 だが、 今は強烈な酒を短時間に大量摂取したことでタガが外れている。団長ですらかなり昔、一度しか見たことがないという程の泥酔っぷりだ。


「問題ありません」

「いや、 でもよ……」

「問題ありません」

「はい……」

「ともかく。本当にあの人はですね──」


 この調子で、話を切り上げようとしても同じことの繰り返しだ。今後の摺り合わせも終わり、団員達が周囲の警戒をしてくれているとはいえ、この気の抜けっぷりは異様に過ぎる。

 そしてその口から出て来る言葉は全て主への愚痴である。よっぽど憤りがあったのか流れる罵倒は留まることを知らず、団長は自分に向けられたものではないと知っていながらも身を固くしてしまう。


「──それで、何であの状況で話を遮るんですか。大馬鹿野郎じゃないですか。絶対疑われるに決まっています」


 あの席での最後、主人は唐突に席を触れた。 恐らくそれが原因で毒に気付いたのではないかと疑われ、事が露見する前に口封じとして刺客が送り込まれたのだろう。

 実際は少しも毒の存在に気付いていなかったくらいだし、ペポット卿が凶行に愚行を重ねる結果にはなっているが、主の身が危険だったのは確かだ。

実際、彼女が気付いていたから良かったものの、 刺客は屋敷に入り込む準備を整えていた。あのままでは次の日の朝には物言わぬ体になっていたことだろう。

 かといって、メイドが刺客を仕留めたことが最善手かと言えばそれも違う。刺客が戻らなければ暗殺が失敗したということが相手に伝わってしまう。そうなれば新たな手を打ってくることに疑いはなく、相手のバックに誰がいるかわからない状況ではこちらも迂闊に反撃へと転じることはできない。


 このような状況に陥ったのは主があの様な話の切り方をしたのが原因だ。あんな態度、普段ならばありえなかっただろう。そう、普段ならありえないことだ。

 そして、主人が普段通りの行動を取らなかった理由など、団長も、何より彼女自身もわかりきっていた。


「主人が使用人を庇うなんて、本当に何を考えているんですかあの人は」


 普通は逆でしょうと一人ごち、新しい酒瓶へと手を伸ばす。


 あの時、主人が席を立つ直前にメイドへと酒が勧められそうになっていた。毒入りの酒が、だ。

 どういうつもりでメイドにも手をかけようとしたのかはわからない。主人憎しの思いから周りの人間を巻き込もうとしただけかもしれない。

 ただ、それは主の手によって止められた。 自分にだけでなく、彼女にも殺意が向いたからだ。

 彼にはそういった感覚がある。 自分自身に向けられた感情にはひどく鈍感なのだが、他人へと向かう感情は見逃さない。


 その感覚は先の呪術師捕縛の際にも現れている。呪術師の足音や挙動がおかしかったのは確かだろう。だが、周りの人間──一般人だけでなく衛兵や傭兵団など、注意深く周囲の様子を窺っている人間すらそのことに気付かなかったのだ。何より、相手は何らかの後ろ盾があった状態はあるが、一〇年以上に渡り追跡の手を掻い潜って来た犯罪者なのだ。


「異常なんですよ。あんな違いに気付くのも、警戒している相手に気付かれず周りの人間を避難させることも」


 そう、何の心得もない一般人が、犯行前にその存在に気付くことなどありえないと言っていい。 彼は今まで誰も気付かなかった程に小さく隠された害意に唯一気付いたのだ。


 その生物として異常と言えるほどの感覚は今回、 メイドへと向けられた敵意を鋭敏に感じ取った。だからあの場をすぐ離れたのだ。彼女に害が及ばぬ様に。


「一番の問題は、あの人が自分の安全に無頓着なことです。他人の危険に対しては人一倍敏感なのに、自分に迫る危機にはまったく気付かない。生物として欠陥品もいいところ、守り辛いことこの上ない性質です」


 それは本人からすれば自覚しづらい感覚らしく、おそらくは何となくメイドに負の感情が向けられた程度のことしかわかっていないだろう。その程度のことであんな真似をしたのだ。

 彼女もそれはわかっている。わかっているからこそ、自分の為にそんなことをした主に怒っているのだ。


 彼女は主が毒を飲む様を見ていた。決して楽観的な判断などではなく、苦渋の決断ではあったが、守るべきものが害される瞬間をその目で見なければならなかったのだ。あの場でそれを止めようものなら、状況が悪くなる一方だとわかっていたから。

 だがその屈辱に満ちた決断は主の手により意味のないものとなった。それも、メイドに少しばかりの悪意が向けられたという、それだけの理由で。


 そんな行動を取った主に腹が立つし、そんな行動を取らせてしまった自分自身に腸が煮えくり返る思いだ。

 だが、一番頭に来ているのはその行為に対して喜びを感じてしまった自分自身だ。

 こんな感情を彼女は知らない。妙に頭の中を占領してやまない靄がかかったその感情を振り払うために酒を伸り、怒りの声を吐き続ける。そうしないと頭が沸騰しそうだから。


 団長はその様子を見ながら気づかれないほど小さく溜息を吐いた。本人は気付いていないのだろう。愚痴の様な、怒りを含ませているつもりだろう言葉は、聞いている側からすればもはや惚気にしかなっていないことに。

 感情に翻弄される彼女の様は微笑ましく、今の状況を解決すれば主と二人、その気持ちに名前をつけてしっかり向き合うこともできるはずだ。

 そうして、これから先面倒なことが起きても彼女と主人ならば案外この調子で乗り切ってしまうのかもしれないと、自分も酒を呷りながら、明日の二人へと思いを馳せた。




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