オーダー・メイド 中編

「到着致しました」


 声と同時に馬車の扉が開く。御者に礼を告げながらメイドと共に座席から降りた。

 降りてすぐ目の前に広がる邸宅は彼の屋敷の数倍はあろうかという感容を誇り、客人達を見下ろしている。

 彼の屋敷も広いものではあるが、流石にここと比べれば見劣りするだろう。

 大きさだけではない。外の装飾から庭の観葉樹一本一本までが、派手ではないが確かな技と手間暇をかけて維持されている様を見れば、その主がどれだけの財産と人材を手にしているかが窺える。

 屋敷の入口から使用人と思われる若い男がこちらに一礼した。


「急なことにも関わらずようこそおいで下さいました。主に代わりお礼申し上げます」

「いえ、とんでもない。私の様な若輩者に声をかけて頂けるとは光栄です」

「そう言って頂けると幸いです。早速ではございますが会食の準備ができています。このまま中へお通り下さい」


 こちらです。と使用人が振り向き玄関に向かい歩き始める。

 その案内に従いながら、自分の背後にいるメイドのほとんど音を立てない歩みを確認しそっと息を吐いた。

 手の平がじっとりと汗ばんでいることを自覚し、 想以上に緊張している自分に表情は変えず心の中で苦笑する。


 無理もないことだろう。彼らがこれから会おうとしている人物はこの国の中でも最上に近い地位に立つ大貴族、ノン・ペポットなのだから。








「いやはや、まったくもって光栄だよ。今国中で名を馳せる現代の英雄とこうして話ができるなんてね!」

「は、はあ、どうも。ありがとうございます」

「はは、そんなに緊張せずとも、今日はただ食事をする為に誘っただけだ。君の事情も把握しているつもりだし、堅苦しいことなど気にせずどんどん飲んでくれたまえ!」


 声に合わせて先ほどの使用人とは別の使用人──若く美しい女性だ。それも複数人いる──が、彼のグラスに果実酒を注ぐ。つい先程までの緊張は何の為だったのかと思うほどの歓迎ぶりだ。

 この場に座る柔和な顔立ちとふくよかな体をした人物、 ペポット卿はとても大貴族が若造に取るものとは思えない、 気さくな態度で彼を迎え入れてくれた。


 広い食堂には鼻孔を刺激する匂いを放つ手の込んだ料理と多種多様な酒が並べられ、客人をもてなしている。

 その品々を勧められるまま口に含み、芳醇な香りを楽しみながらも目の前の人物について思考を巡らせる。


 ノン・ぺポット。彼は建国時から続くペポット家の現当主だ。初代国王の縁者の血を引き継ぐ家系であり、現在もなお王家に次いで高い地位を持つ血族の長である。

 また血統だけでなく軍事方面においての力は凄まじく、貴族の中でも群を抜いており、国から個人で軍隊を所有することを許された唯一の人物でもある。

 彼自身が武芸に秀でているわけではないが、その分軍略に優れておりペポット卿が軍を動かした時、作戦は悉く敵の動きを読み必ず成功すると言われている。そのため国の防衛に最も貢献している者と呼ばれ名声も高い。


 そんな人物が、なぜ近頃少しばかり名を馳せただけの若造にこれ程興味を示しているのかという話なのだが、その理由は既にペポット卿の口から語られていた。


「本当に、君には感謝してもしきれないよ。我々ではどうやっても捕らえられなかった呪術師から国を守ってくれて、本当にありがとう」

「いえ、私だけの力ではとても……。多くの人に協力していただいた結果であって、私自身ができたことなど微々たるものでしかありませんでした」

「そう謙遜しなくともいい。君がどれだけの命を救ってくれたか、それはこの国に住む者なら誰もが知るところだ。君は間違いなく、英雄と呼ばれるに相応しい人物だよ」


 笑みを浮かべてそう言うペポット卿に、彼は礼でもって答えるしかなかった。

 そう、彼がここまでが歓迎されている理由は、 呪術師を捕らえた功績を評価されているからだ。

 もちろんそれは評価されて然るべきことではあるが、ペポット卿に関してはもう少しばかり別の事情がある。

 というのも、 彼こそが大規模に行われていた呪術師捜索を始めた最初の一人であり、また呪術師によってもたらされた惨劇の、第一の被害が発生した場所こそが彼の領地だったのだ。


 十数年前、彼が家の当主となったばかりの時期。この邸宅からそう離れていない街中で、最初にして最大の事件が起きてしまった。

 何の変哲もない昼下がりに、街の一角で人が倒れた。そこからはあっという間で、最初の一人が倒れた場所を中心として周りの人間が次々と倒れていったらしい。彼らは皆一様に悶え苦しみのたうち回った。

 被害はその場を中心に徐々に拡大し、逃げ遅れた者、助けようとした者も同様の道を辿った。


 遠巻きにそれを目撃していた者が、周りに異常を伝えることができたのは不幸中の幸いだっただろう。

慌てて逃げた人々は何とか生き延びることが叶った。だが報告を受けた衛兵が場に駆け付けた時には、そこは淀んだ瘴気が漂い、辛うじてヒトガタに見える醜悪な肉塊が転がるだけの地獄と化していたという。


 当然その事件は即座にペポット卿の耳に伝えられ、街は封鎖された。被害者の数は五〇人余り。 すぐにその場から離れて生き残った者の中に被害者はいなかった。逆に、被害者は全員が物言わぬ骸と化したということでもある。

 その後、瘴気を払ってからの調査でこれが呪術による事象、人為的な災害であることが判明した。


 それを知ったペポット卿は激怒し、自らの兵で捜索隊を結成した。自分の領民に手を出したことを後悔させてやると息巻いて捜査の指揮を取ったのだ。

 だが下手人は見つからず、それどころか各地で新たな被害が発生し始める。

 国を挙げての捜索の際も、最も人材が多く、かつ最初に対策を取った貴族ということでペポット卿中心に活動は続けられた。だが必死の捜査を嘲笑うかの様に被害は増えていき、彼らの士気も低下していった。

 誰もが半ば心折れていた、そんな時だった。ある青年の手により、呪術師が捕らえられたという報せが届いたのは。


「恥ずかしい話、私もほとんど諦めかけていたんだよ。なにせ一〇年以上に渡り、追い続けて尻尾も掴めなかった相手だ。これ以上追っても無駄なのではないかとね。だから君には本当に感謝しているんだ」

「もったいないお言葉です。私としてもあの呪術師の話は幼い頃から聞いていましたから。平和を守る一助となれたことを嬉しく思います」


 その言葉に頷きながら酒を呷ったペポット卿は、英雄に乾杯、と軽くグラスを掲げた。その言葉にむず痒い感覚を覚えながらも 、彼もそれに倣って乾杯、と続ける。


「ところで、だね。ずっと気になっていたことがあるんだが聞いてみてもいいかな」

「はい、何でしょうか」

「なぜ君は呪術師を捕らえることができたのかな。報告書で大筋は把握しているんだが、少し分からない点があってね。どうやってあの悪辣な犯罪者を捕らえたのか、ヤツを追っていた者として是非知っておきたい」


 今までの柔和な雰囲気から一転、ひどく真剣な面持ちでそう告げるペポット卿に、彼も居住まいを正す。


「わかりました。私から話せることであれば、何なりと」

「ありがとう。では早速で申し訳ないが、私の知っていることと、君が実際に取った行動を照らし合わせたい。当時、君は街中で呪術師を発見した、と聞いている」

「間違いありません。あの街で行われていたバザーに売り手として参加していた時、偶然発見しました」

「そこでまず疑問なんだが、なぜその人物が呪術師なんだとわかったんだろうか。ヤツに関する情報は一切なかったはずだ」

「いえ、私も最初から呪術師だとわかっていたわけではないのです」

「と、いうと?」

「その人物……呪術師が、客として妙な行動をとっていたので最初に警戒し始めただけでした」

「妙な行動というと怪しげな品でも使っていたのかい? だが、そんなことをしていたなら今まで人の目に触れなかったはずがない」

「ええ、怪しいと言っても、最初は違和感があるという程度のものでした。バザーを見に来たにしては目線の向きがおかしかったんです」

「目線の向き……」

「はい。普通であれば商品や人に目を配るでしょう。でもヤツはそういった物をほとんど見ていなかった。目線の向かう先は、 それぞれの店の奥や出入り口の位置ばかりを気にしていたんです」


 あれは強盗が犯行前に現場を確認する仕草でした。と彼は語る。


「出口を確認して逃げやすいルートを確保しようとする動きです。ただこれから通る道を確認するにしてはそれ以外の物に注意を払っていないし、何より雰囲気が剣呑すぎた」

「随分と、確信を持った言い方をするね。剣呑な雰囲気と言っても見てわかるようなものだったら周りから警戒されるんじゃないのかな。そう思った決め手でもあったのかい?」

「足、ですね」

「足?」

「足音がまったくしなかったんです。それだけじゃない。足跡がどこにも残らなかった。明らかに痕跡を隠そうとした動きでした」

「それは……確かに、怪しさを感じるには十分すぎる。しかし、普通そこまで気が付くものかね」

「癖の様なものですね。 商売をしていると誰がどの様な品を求めるのか意識する様になるので、いつの間にか人間観察をするようになっていまして……」

「それが高じて今回の件に繋がったわけか……。 いや、勉強になった。我々では見落とすだろうな、それは。何より、堂々とそんな場をうろついているなどとは思いもしなかった」


 溜息を吐いて肩を落とすペポットだが、彼としても同じ気持ちだった。確かに怪しい人間だと思いはしたが、そんな危険人物とまでは予想もしていなかったのだ。後から相手の正体を知った時は驚きのあまり腰が抜けるかと思った。

 後の説明は簡単だ。衛兵と周りの商店に話を伝えてそれとなく周囲の人間を逃がし、彼が雇っていた傭兵達が呪術師を抑え込んだ。

呪術師は囲まれた際に抵抗しようとしたが、いくらなんでも近接戦のプロである集団には敵わず、そのままあっけなくお縄についた。その際、所持していた魔導具から正体が発覚し、今に至るというわけだ。

 一通りの説明を終えると、ペポットは大きく息を吐いてまた酒を呷る。


「なるほど……。きっかけこそ偶然だったかもしれないが、君のおかげで被害を出さずに済んだことは事実だ。改めて感謝を告げさせて欲しい」

「もったいないお言葉です。ただ……」

「何か気にかかることがあったのかね?」

「英雄と呼ばれるべきは私ではなく、あの場にいた人達全員だ、と思ってしまうのです」

「……ふふ。その言葉が何より英雄然としていると思うが」

「いえ、 そんなことはありません。協力してくれた商店や衛兵の方々、傭兵団の方がいなければ、あんなことはできませんでした。特に──!?」


 彼女の助けがなければ、と後ろに控えるメイドを指そうとした時、そのメイド本人から絶対零度の視線が突き刺さる。

 余計なことを言うな、と全身からプレッシャーを放っているのが目を向けずともわかった。


「と、とりあえず私から説明できることは以上です。問題などなかったでしょうか」


 背後からの圧に負け、無理矢理に話を繋ぐ。ペポット卿は少し不思議そうに彼とメイドを見たが、特に言及することはなかった。


「ああ、非常にいい話を聞けたよ。 ありがとう。 礼を告げるべき身だったというのに、また借りを作ってしまったね。礼というには全く足りないが、ここからは堅苦しい話などなしだ。存分に食事を楽しんで欲しい」

「あ、あはは。もう十分すぎる程楽しませてもらっていますが」

「そうかね? なんなら後ろの使用人にも酒を振る舞おうか」

「──いえ、お誘いは嬉しいのですが、本日はそろそろお暇させていただこうと思います」


 そう言うと彼は返事を聞かずに席を立った。あまりに急な話題の変化にペポット卿が慌てる。


「い、いやいや、まだ料理も酒もある。もう少しばかり歓談を……」

「申し訳ありませんが、失礼します」


 話を遮るかの様に一礼し、踵を返す。無礼なことこの上ないが、先程までの温和な表情が消え、能面と見紛うほどの無表情を張り付けた青年の変化に、ペポット卿もその従者も何も言えない。

 まるでここが自分の屋敷であるかのように、堂々とした歩みで既にメイドが開けていた扉をくぐると彼は姿を消す。

 最後にメイドが優雅な礼をし、その扉を閉める。


 後には沈黙と、甘い匂いだけが残された。







 帰りの車内にて、青年は頭を抱えていた。


 ……やってしまった。

 取り繕いようもなく盛大にやらかした。

 今頃ペポット卿は激怒しているだろうか。いや、間違いなくしている。

 木っ端貴族が国内有数の大貴族の逆鱗に触れたとあっては、今後どうなることかわからない。報復冷遇没落、嫌な想像ばかりが頭の中を駆け巡る。

 顔を青白くする主に、向かいの席に座るメイドが救いをもたらすかのごとく声をかけた。


「愚味だとは思っていましたが、ここまでとは思っていませんでした。愚かなるご主人様」

「グフッ」


 追い打ちだった。

 血を吐く様に悶える主人には頓着せず、メイドの口撃は続く。


「まったく、上に顔を売る絶好の機会を自ら棒に振るとは大したものですね」

「ガッ」

「余程先のことが見えていないようで、その目はガラス玉か何かですか?」

「オグッ」

「自分の手柄だけ報告して満足する俗物。その思考、もしやご主人様は人でなく猿なのでは?」

「ギャッ」

「何の成果も出していないどころか話した相手に悪印象を残して去る……貴族どころか商人としても失格ですね」

「ミッ……」


 完全なオーバーキル。か細い悲鳴を残し息絶える主人に、ダメ押しとばかりに侮蔑の視線が注がれる。


「……それで、実際なぜあんな切り上げ方をしたのですか。あのまま話を続けていけば問題などなかったでしょう」

「いえ、それは……」

「……話す気がないなら結構です。所詮私は使用人。主に対し口出しすることはありません」


 いや今めちゃくちゃ罵倒してましたよね、というツッコミを飲み込む。どうもかなり機嫌を損ねてしまったらしい。無表情ではあるが隠しきれない威圧感が発されている。以前は気付き様もなかったが、 共に生活したこの数ヶ月でわかる様になったことだった。わかったからといってできることが増えるわけではないが。


 そうこうしている内に自分の屋敷へと帰りついた。馬車を降りて伸びをしながら、今日片付ける予定だった仕事をしなければと頭を切り換える。 やってしまったことはやってしまったことだ。今更気にしても仕方ない。それより明日に繋がることをしよう。

 そうやって気合を入れた彼にメイドは──


「ご主人様、失礼します」

「え、なゴバァ!?!?!?」


 強烈なボディブローを繰り出した。


 拳を受けた体が浮き上がる程の衝撃。あまりにも流麗なフォームで放たれた完璧なるストマック・ブロー。

 狙い違わず主の胴体、その中心へと命中した拳は、その細身のどこから捻出されたかもわからない強烈なパワーによって胃の中身を逆流さ


 しばらくお待ちください☆


 数分後、そこには地に伏し痙攣する主人と、それを見下すメイドという何とも言い難い光景が生まれていた。一部モザイクが必要な箇所もあるがそこは見逃してもらいたい。

 横たわったまま、彼は力なく問いを投げる。


「な、なぜ……?」

「端的に言って、ムカついたからですね」

「そんな……」

「では、仕事も終わったことですし私は失礼します。明日は非番なので今日は戻りません。仕事の連絡などなさらないようご注意ください」


 そのままメイドは去っていく。後には哀愁漂う一人の青年のみが残された。






























「──私の主に、随分ナメた真似をしてくれる」





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