オーダー・メイド
櫂梨 鈴音
オーダー・メイド 前編
「おはようございます、愚鈍なご主人様。 とっくに朝食が出来ていますがこのままでは冷めてしまいます。食材に申し訳ないのでお身体の調子に関わらず今すぐ食事になさってください」
「……おはようございます。いい朝ですね」
朝の身支度を整え自室を出るなり放たれた
悪態の主はと言えば、常日頃変わらないメイド服と無表情で軽くお辞儀をしている。
頭を上げる動きに合わせて短く整えられた白髪がサラサラと流れる様子は、見ていて涼しげで気分がいい。
頭を上げるとそのまま踵を返し食堂へと歩いて行く、その自分より頭二つ分は小さな背中を慌てて追いかけた。
「本日の予定ですが、午前中にロード様が御目見えになられることに変更はありません。ですが午後にぺポット卿から邸宅への招待が新しく入っています。何でも親交を深める為に食事でもどうか、と」
「あのペポット卿から? それまた急な……」
「はい。そもそも今まで顔を合わせた事もほとんどありませんでしたし、また木っ端貴族であるご主人様の存在自体あまり気にかけておられなかったのではないかと思われますが」
「木っ端貴族って……、事実ですけど」
「それで、どうなさいますか?」
「参加しますよ。ペポット卿からの誘いとなると断りようがありませんし」
「御主人様にしては英断かと。それでは了承の返事と準備を進めさせていただきます」
「ははは……」
そんな会話を続ける内に食堂に着き、彼女が開けた扉を通り中へと入る。自分で開けたい気持ちを押さえるのには未だ慣れない。
テーブルの上に置かれた皿にはまだ湯気を立てる料理が並んでおり、食欲をそそる匂いを放っていた。
席に着いて食事を始めると、横から淹れたてのコーヒーが差し出される。毎度のことではあるがこうも人に世話されてばかりだと落ち着かない。
「あの、やっぱりこういう──」
「駄目に決まっています」
「……まだ何も言っていないんですが」
「何回同じやりとりをしたと思っているんですか。どうせまた人に任せてばかりだと落ち着かないとでも言いたいんでしょう」
「うっ……」
見事に図星を突かれ言葉に詰まる。確かに何度も同じ事を言ったし、同じ回数だけ断られていた。
「はあ……。何度も申し上げた通り、御主人様は木っ端とはいえ貴族です。使用人がいる状況で主自ら雑務を行うなど、人に見られでもしたら事なのですよ。最悪、使用人の教育もできない無能のレッテルを貼られかねません。まあそれは事実ですが」
「耳が痛い……。それはそうですけど、せめて誰もいない時くらいは」
「駄目です。普段からしていない事が人前で急にできるとでも? ご主人様のような貴族の振る舞いに慣れていない平民上がりの者なら、特に」
「……はい」
あくまでも表情を崩さない彼女相手ではどう足掻いても勝ち目がないと悟り、 吐こうとしたため息を食事と共に呑み込んだ。
◆
この国にある呪術師がいた。
その呪術師はあらゆる場所で無作為に呪毒を撒き散らし、虐殺を行っては悪辣極まりない輩であり、十余年に渡り国中で被害を出し続けた大犯罪者だった。
当然国は呪術師を捕らえる為の対策をとっていたが、被害に遭った地域は呪毒で荒れ果てた地と死体が残されるばかりで手がかりがまるで残されていないこと、犯行が行われる場所も時間も規則性がなく予測がつかないことから、誰がどの様な手法を用いて犯行に及んでいるのか突き止めることができなかった。
そういった事情から件の呪術師はあらゆる追跡を逃れ、犯行を重ね続けていたのだが。
つい数ヶ月前、ある者の手により捕らえられた。
その報せは瞬く間に方々へと知れ渡った。なにせ今までどれだけ手を尽くしても尻尾すら掴めなかった存在、その手掛かりを得るどころか捕らえてしまったというのだから。
今までかの犯罪者が出した死者の数は優に五〇〇人を超える。そのおぞましさと恐怖から、ようやく人々を解放した英雄が誕生したのだ。
被害者の遺族や呪術師を追っていた者、新たな犯行の報せに怯える一般人から果ては国王までもがその英雄を褒め称えた。
そして今、国中から英雄と呼ばれる者が何をしているのかと言えば──。
「あっははははははははは! 全然似合ってなーい!」
慣れない礼服に身を包み、思いっきり爆笑されていた。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか……」
「いやあごめんごめん。つい、ね」
笑いすぎたのか、目尻に浮かんだ涙を拭いながらカムは言う。
向かい合って座る彼らの前に、メイドがそっとティーカップを置いた。それに礼を告げてから改めて相手に目をやる。
彼が貴族になる前からの友人であるカムは由緒ある家柄の貴族である。
商談を重ねるうちに何故か気に入られたらしく贔屓にしてもらっていたし、屋敷を持った今では自らやって来て商談の傍ら雑談に興じることが増えていた。
彼としてもカムの貴族とは思えない程の親しみやすさは心地良いものだったし、客人であると同時に友人でもあると思っている。
「だってあまりにも服に着られているもの。やっぱり君には合ってないね」
「自覚はありますけど、そこまでひどいですかね」
「ああ、ひどいよ。君もそう思うだろ? メイドちゃん」
「はい。この世で最も着こなしに向いていない主人であると思っています」
「嘘ぉ!?」
「ご主人様、どれだけ体を張って笑いを取りに来られるのですか。私としましても毎日笑いを堪えるのに必死なのですが」
「そんなこと思ってたんですか!?」
メイドが一切表情を変えず発した言葉に思わず顔を覆う。鉄面皮の下でそんなことを考えていたとは驚きだ。というか普通に立ち直れない。
「いやー、やっぱりいいね。すごくいい。君達を見てると飽きないなあ」
「恐縮です、 お客様」
「うちにも君みたいな面白い子がいたらいいんだけどね。どうかな、短期間でいいからうちでも働いてみない?」
「お客様、冗談は壊滅的な服のセンスだけにしてください」
「……やめておこう。思っていたよりきついものだね」
苦笑いを浮かべたカムは、咳払いをして場の空気を仕切り直すと屋敷の主に話を向ける。
「まあ、服についてはまだ慣れていないだけなんじゃないかな。時間が経てば相応しい所作も身に付くだろうし、違和感もなくなるよ」
「そう言ってもう何ヵ月も経ちましたからね。未だにこう言われると先が思いやられますよ」
「おいおい、君は二〇年以上かけて身に付いた動きを簡単に変えられると思っているのかい? 少なくとも数年は見てもらわないと」
「それはそうなんですが、あと数年は笑いものにされると思うとやっぱり気が滅入りますね」
「ふふっ。貴族というのも面倒なものだろう? 英雄様」
「僕は英雄なんかじゃありませんよ……」
「けれど世間はそう言ってる。それは君を取り巻く状況を鑑みても疑いようがない事実だよ。つまり私の目に狂いはなかったってことさ!」
そう言って片目を瞑ってみせる美丈夫に諦めを込めた視線を投げる。
彼は自身を英雄だなんて、これっぽっちも思っていなかった。自分にあんなことができたのは周りの人間に恵まれていたからであって、そこに自分は必要じゃなかった。
それに何より。
「英雄と言うなら、僕じゃなくて実際に呪術師を捕らえた彼女の方ですよ」
「もちろんそれも承知してるさ。彼女達を抜きにあの大捕物を語ることなどできないからね」
でもやっぱり君こそが英雄だと思うんだよ、と苦笑するカムは無視する。そしてメイドに目を向けるが、自分に関する話題だというのに表情は少しも動いていなかった。
そう、彼は直接呪術師を捕らえたわけではない。きっかけを作ったのは彼で間違いないし、そこは自分でも否定する気はない。だが実行したのは彼ではなく、メイドだ。
もっとも、当時の彼女はメイドではなく──傭兵だったのだが。
王国でもそこそこ名の知れた傭兵団に彼女は所属していた。まだ貴族でも英雄でもなく、一介の商人であった後の主人は付き合いの長いお得意様であり、事件当時に依頼を受けて彼の護衛を務めていたのが彼女達だった。
その仕事の最中に彼が呪術師の存在に気付き、傭兵団と協力して捕縛に当たったというのが事件の大まかな概要である。
だが、なぜか世間一般には彼が呪術師を捕らえたという話ばかりが出回り、傭兵団の活躍を知っている人間が少ない。そのことが彼は不満だった。
その為、国から爵位や報奨金を与えられた時、傭兵達に自分に何かして欲しいことはないかと話を持ちかけたのだが、彼らは酒が欲しいというくらいで金銭などは頑として受け取らなかった。
曰く、『真っ当な仕事の代金は受け取っている上、自分達も報奨金自体はもらっている。活躍のおかげで傭兵団の名もかなり売れた。更に労いの酒までもらったのにこれ以上を望もうものなら罰が当たる』と。
そこまで言われては彼としても引き下がるしかなく、ならばせめて良い酒を飲んでもらおうと酒場を貸し切り宴を開いたのだが、その席で一人だけ酒以外の物を求めた者がいたのだ。
それが元傭兵・現メイドの彼女であり、では彼女が何を求めたのかと言うと、それはメイドになることだった。
『傭兵稼業も危険なものですし、そろそろ引き際だとは思っていたんです。ちょうど良いタイミングです。安全で割の良い仕事を探していたので使用人として雇ってください』
と、いつも通りの無表情で言われた時は思わず飲んでいた酒を吹き出したものだ。それは同じ席を囲んでいた傭兵達も同じで、酒場の一角から汚い噴水が上がった事を覚えている。
突然のカミングアウトに場は騒然。もちろん彼女を止める者もいたが意思は変わらず、彼としても要望を言って欲しいと言った手前断る事ができずに、そのまま彼女の退団と再就職は決まってしまった。
まあ、彼としては悪い話というわけではなかったのだ。 仕事のツテで幾人かは使用人の当てもあったものの、まったく知らない人間より顔見知りの方が安心できる。身の回りのことは自分でできるし、屋敷の管理を任せられればそれでいいという考えもあって承諾したのだが、その考えは良い意味で裏切られた。
「彼女、何でもできちゃうんですよね……」
「ああ、このお茶は実にうまい。メイドちゃん、おかわりをもらってもいいかな」
そう言ってカムがティーカップを空にするタイミングぴったりに、メイドはおかわりの準備を整えていた。いつの間に近付いて来たのかもわからない程の静かな動きでテーブルの横に立ち、洗練された所作でカップにお茶を注ぐ様は美しいと言っていい程だ。
カムは注がれたお茶の香りを楽しみ、実に美味しそうに口に含む。
実際、彼女の淹れたお茶は美味しい。様々な美食を口にした貴族が夢中になる程にだ。
当初は屋敷の管理と掃除くらいを頼もうとしていたのだが、彼女は万能だった。
掃除どころか屋敷内の仕事でできないことはほぼなかったし、仕事の帳簿やスケジュール管理、果ては貴族のマナーや社交場での立ち振舞いまで完璧にこなす様は、どこからどう見てもエリート・メイド。とても元傭兵には見えない洗練された仕事ぶりである。どこでそんな技能を身に付けたのか不思議なものだ。
少し、多少、かなり主に対して口と態度と視線が冷たいきらいもあるが、そこはそれ。今までの関係がある。
傭兵時代から変わりない態度には安心こそ覚えるが不快感はない。むしろ今から恭しく丁重に扱われる様になるなど考えることもできないし、公の場でこれ以上なく従順な使用人へと変貌する様を見ていると恐怖から寒気がする。なので今くらいの接し方がちょうど良い塩梅だった。
唯一欠点が挙げるとするなら、それは料理についてのことだろう。
別に下手というわけではないが、彼女の作るものは栄養と日保ちすることを第一に考えた旅をする際の保存食の様なものが多く、普段の食事にはあまり向いていなかったのだ。
初めて料理を振る舞ってもらった際には
それ以来、料理は他の使用人が担当することになっている。
「まったくもって羨ましい限りだよ。ここまで素晴らしいメイドさんに出逢えることなんてそうそうないぜ?」
「ええ、僕にはもったいないくらいの人です。恩を返すつもりがお世話になりっぱなしで申し訳ない」
「はは。優秀すぎるのも困りものだねぇ。その分しっかりと労ってあげなよ。彼女、一人暮らしだろうし何かと物要りだろう?」
「いえ。ここに住んでもらっているので問題はありませんが……そうですね。給料以外にも何か渡せたらいいんですが……」
「うんうん。それがい……ちょっと待って」
ピシリ、と朗らかに談笑していたカムが凍りついたように停止した。
「ここに住んでるって、誰が?」
「あれ、言ってなかったですかね。メイドさんがですが」
「……それは、何かい? この屋敷の中に使用人が泊まれる部屋がある、ということかい?」
「いえ。彼女、宿屋暮らしだったそうなので雇う時にここに住まないか提案したんです。部屋ならいっぱいありましたから、好きな場所を選らんでもらって」
「…………ちなみに、その部屋はどこに?」
「え、えっと。僕の部屋の向かいですが。その方が仕事がしやすいから、と……」
「………………なるほどなるほど」
カムはしばらくの間、今の会話の間も無表情を崩さなかったメイド──十人中十人が美人だと認めるであろううら若きクールビューティー──とその主人を交互に見ていたが、やがて真顔で呟いた。
「──もげろ」
「何が!?!?!?」
お客様、そろそろお時間です。とくだらなそうにメイドは告げた。
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