カフェオレとカレーライス

 常連客が一人増えた。

 男は週に一回程度、喫茶店に現れるようになった。曜日や時間帯は定まっていないのだが、萩原さんがカウンター席にいる――つまりは「依頼」抜きで飲食しに来ている――タイミングで現れる事が多かった。

 店長に確認したところ、僕がバイトに入ってない日には男は現れないらしい。休みを教えているわけでもないのに。率直に言って気味が悪い。

 そんな感じで、今日も男は現れた。


「またお前か」

「ふふ。左隣、いいですか?」

「嫌だと言っても座るんだろうが」


 萩原さんはすっかり不機嫌だ。コーヒーがまずくなったと愚痴をこぼす。いや、コーヒーに罪はないだろう。


「カフェオレを」


 僕は黙って頷いた。

 男は苦いものが好きではないらしかった。ここのコーヒーは苦くないと男は言うが、僕はこっそり観察して気づいていた。男の気色悪い笑みが、コーヒーに口をつけた時だけわずかに歪むことを。砂糖とコーヒーフレッシュを入れればいいものを、男はかたくなにブラックで飲む。それがコーヒーの一番美味しい飲み方だから、とでも言いたげに。

 一度、オーダーを聞く前にカフェオレを作った事があった。今日はサービスしますのでこちらを試してみてください、と出したところ、いたく気に入ってしまったらしく、以後のオーダーは必ずカフェオレになっている。

 ミルクを温め始め、そしてカレーライスを萩原さんの前に置く。萩原さんがここで食べるものはこれしかない。


「ほう、美味しそうですね、カレー」

「……まあ、ここのは美味いな」


 仏頂面のまま萩原さんは頷く。カレーを仕込んでいるのは店長なのだ、不味いわけがない。

 具は大きめで、肉、野菜たっぷり。ベースこそ市販のカレールウだが、そこに隠し味となるスパイスを入れ一晩熟成させる事で、独自の旨味を引き出している。まかないでたまに食べるのだが、これがまた美味しい。お陰で他の店のカレーが食べられなくなってしまった。


「では、私にもカレーをください。カフェオレと一緒でお願いします」


 男のオーダーに、僕はまた黙って頷いた。こちらが何か言うたびに一々面白そうな顔をする男が癪で、ここ最近は黙って頷くのみで答えている。

 萩原さんは僕と男の顔をしげしげと見つめていたが、やがて意地悪い笑みを浮かべた。


「何だ、ワタル。こいつと以心伝心にでもなったのか?」

「冗談でしょう」


 間髪入れず答える。顔が引きつるのがわかった。萩原さんはくくくと笑い、カレーを一口頬張った。


「まぁ以心伝心は冗談としても、お前ら、俺が思ってたより仲良いんだな」

「どうしてそういう話になるんですか」

「だって最近のワタル、こいつがいても平然とした顔してるから」


 萩原さんの指摘に、内心どきりとする。こういうことはよく見ているから、萩原さんにも油断が出来ない。


「僕は元から平然としてます」

「嘘つけやい。前は縄張りに入られた猫みたいになってたじゃねぇか」


 萩原さんの言葉に、男は笑いをこらえるように肩を震わせる。気持ち悪い笑みはそのままなので、こらえきれているのかはなはだあやしい。


「そうですね、良い例えだと思います」

「何でだろうな、お前にそう言われると寒気がする」


 憎まれ口ばかりだが、萩原さんだってここ最近は警戒心が薄れていると思う。僕を冷やかす時の二人の連携プレーには目をみはる。そんなところで底意地の悪さを互いに共鳴させなくてもいいだろうに。


「僕、そんな顔、してました?」

「あーしてたしてた。でも最近はそうでもない。何というか、開き直った感じがするな」

「……それは、あるかもしれません」


 僕は素直に頷いた。

 最初は、未来が見える男の底の知れなさに恐怖していた。それは確かだ。けれど何度か会っているうちに気づいた。この男の能力は、決して万能ではない。

 男の未来予知らしき発言は何度かあったが、当たる事もあれば、外れる事もあった。男が前に言っていた言葉を思い出す。


「面白い未来を『見る』のが好きなんです」


 つまり、そうでない未来はあまり当たらない、という事なのではなかろうか。そういう結論を出したら、いつのまにか緊張しなくなっていた。

 ふと、疑問が頭をかすめる。僕の能力は、本当に過去を見ているのだろうか?


「私が来るのがご迷惑でないなら、何よりです」


 男は相変わらず、本当かどうかもわからない笑みを浮かべている。絶対、友達いなくて会社でも孤立してるタイプに違いない。いつでもスーツ姿でここに現れるのが、何よりの証拠。

 ……僕も、そんなに友達いる方じゃないけれど。だからと言って、必要以上にこの男と仲良くする気なんかない。そもそも、この男と出会うきっかけとなったのは殺人事件なのだ。相入れない存在である事は明白だ。

 油断ならない相手なのは変わらない。いつこちらに牙を向くかもわからない。それでも、今ここでは喫茶店のお客だ。だから僕はウェイターとして淡々と接する。そのかわり、敵に回った時は容赦しない。僕と萩原さん、二人の力の全てで叩き伏せる。この男に、陰惨な事件を起こさせはしない。

 そう心に決めながら、僕はカフェオレとカレーライスをカウンターに置いた。ミルクとコーヒー、そしてカレーの香りが、奇妙な三重奏を奏でていた。

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ある喫茶店にて KEN @KEN_pooh

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