カウンター席にて
男の言う通りのタイミングで、店長は現れた。男の事を知人だと説明したところ、店長は微笑んで頷いた。開店時間には少し早い。だが男を外で待たせるのも悪いので、店に入ってもらう事になった。
店に入ると、男は「おすすめの飲みやすいコーヒーを」と注文した。男が座った席は萩原さんの指定席の隣。萩原さんがこの後来るから、と言いたげな座り方に見えてしまう。今日ほど、カウンター席のお客に居心地の悪さを感じた事はない。
「どうぞ、オリジナルブレンドです」
店長が入れたコーヒーを僕はテーブルに置く。男は窓際に佇む三毛猫の置き物に目をやっていた。そのつややかな表面、今にも動き出しそうなフォルム、そしてガラス玉で出来た黄色の眼からは、どことなく
「窓から見えてたあれ、木彫りでしょうか。見事ですねえ」
「……ありがとうございます」
答えるのに一瞬の間を必要とした。男には未来が見える。それを知っているだけで、全ての言動が予知されているのではと錯覚する。能力がそこまで万能である筈がないのに。
そうだ、たとえ未来が見えているとしても、それが何なのだ。別に未来を操作しているってわけじゃない。不安に思う必要はないんだ。僕は必死にそう言い聞かせる。
開店時間。他の客が入って来て、店長はそちらの対応を始めた。男と僕に気を遣ってか、オーダーも自分で取りに行ってしまう。手伝いに行こうとすると、目配せでやんわり拒否された。今さら知人と言ってしまった事を後悔しても、もう遅い。
男はおもむろにコーヒーカップを口に運んだ。両手を温めるようにカップを包み持ち、じっくりと、味わう。
「コーヒーには詳しくないが、香りが大変良いね。飲みやすい」
男は満足そうにコーヒーを飲み進める。特に何か語ろうとする気配はない。ここに来た理由がある筈なのに。
いたたまれなくなって、僕は俯いたままぼそりと呟いた。
「そろそろ、用件を伺ってもよろしいでしょうか」
僕の声が聞き取れなかったかもしれないと、男の様子を上目で伺う。すると苦笑気味の男と目が合った。顔から火が出るようだ。僕は思わず、手近にあったソーサーを手に取り拭き始める。
「ふふ、用事なんかありませんよ。本当に会いにきただけなんですから」
そして沈黙が流れていく。大変気まずい。用事があると言ってくれた方が、まだましだった。
柄にもなくそわそわしていると、男はその顔から笑みを消し、口を開いた。
「私はね、面白い未来が好きなんです。それを『見て』、結果が合っているか見届ける。それが生きがいと言ってもいい」
そう言って、男は目を見開く。特別変わった目をしているというわけではないのに、何故かその瞳から目が離せない。石化の魔法なんてものがあったとしたら、こんな感じなのかもしれない。
「さて、君の生きがいは、一体何だろうね?」
その問いかけに、僕は答えられない。「ない」と言うのは何だか癪だし、違う気がした。だが「これだ」と自信持って言える事も思いつかない。「見る」能力は確かにアイデンティティの一部だが、事件に首を突っ込む事は好きじゃない。ただ、萩原さんが色々持ってくるから仕方なく……。
そこではたと、今の質問の違和感に気づく。
「何だい?」ではなく「何だろうね?」という聞き方。そこには、まるで僕が答えられない事を見越していたかのような含みが感じられた。
いけない、また能力の事を意識してしまう。肩に余計な力が入る。
「冗談だよ」
男の表情が、不気味な微笑みに戻った。思わずほうと一つ、息をつく。この男を真顔にさせてはいけないと本能が告げる。不気味な笑顔でいてくれた方が、まだ緊張せずに済む。
「君は何だか危うい感じがするから、ついからかいたくなってしまうんだ。許してほしい」
そう言う男の笑顔は、相変わらず気色悪かった。
「そうだな、失礼をしたお詫びと、大変美味しかったコーヒーに敬意を表し、忠告を一つ」
男はそっとカップを置く。いつの間にか、中身は空になっていた。
「このカップを洗う時は気をつけた方がいい。まとめて洗ったりせず、真っ先に片付ける事をおすすめするよ」
男は満面の笑みでそう言った。確信を持ったその言い方――間違いない。能力を使ったのだ。今、ここで。
何が「見えた」のか、僕は聞かなかった。きっと何かの拍子にカップが割れる未来なのだろう。僕が洗って片付け、棚にしまうまで気にかけていれば済む話だ。そう、ただそれだけの、簡単な事。
そうだ。
たとえ未来を見透かされているとしても。
誰にも、僕の未来を操らせはしない。
こわばっていた肩が、少しだけ楽になった。
「またコーヒー、飲みに来ていいかな?」
席を立って代金を支払う時、男は僕にそう言った。どことなく嬉しそうに見える気がするが、多分僕の気のせいだ。
「どうぞ、是非またお越しください。お待ちしてます」
僕は精一杯の強気な笑みで頷いた。
◇
充分気をつけていたせいなのか、結局そのカップは割れなかった。一日を終え、萩原さんが来なかった席と棚にしまったカップを、交互に見つめる。何となくほっとしている自分が、そこにはいた。
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