4:私の魔法で出来ること
締め切った部屋の中に生暖かい風が吹いてくる。
少し獣臭のする風からは、憎しみや嫉妬が伝わってきて肌がピリピリと痛む。
窓の外からは、糸のように細く痩せ過ぎた月が見えている。
この時間なら店を閉めてから行ったほうがいいかな…。少なくとも人間のお客様は来ないと思うし。
扉にナナカマドの飾りをつけてから戸締まりをする。
獣の臭いがする風が渦巻く部屋の真ん中に赤と黄色に彩られた大きな風切羽根を投げると、渦の真ん中からキレイな木造の扉がニョキニョキと床から伸びてきた。
この扉は、
「…急がなきゃいけないみたいね」
扉を開くと、強く引っ張り込まれる感覚と目眩で頭がぐるぐるする。この感覚はいつまでたっても慣れない。
一瞬のような数分間のような体が内側からひっくり返されてかき混ぜられるような感覚が終わって目を開くと、目の前に大きな建物が見える。自分の背後には立派な鉄で出来た門があって、大きな四角い建物の横には広い運動場がある。
「あらあら…てっきりみどりちゃんのお家に呼ばれると思ってたけど、夜の小学校なんてすごいところに呼ばれたわね」
キラキラと光る
獣の臭いと、肌を刺すような悪意が徐々に強くなる中、丸い池と花壇がある中庭が見えるところまでたどり着いた。
「あやかちゃん、わたしは怒ってないから…それを返して…お願い」
声が聞こえたので暗闇の中で目を凝らすと、少し離れた場所で肩に小鳥を乗せたみどりちゃんが、同年代くらいの女の子と向き合っていた。
「ちょっと隠しただけじゃない!それなのに泥棒呼ばわりするなんて酷い!お前が悪いんだろ!私が悪いって言いたいのかよ」
「ちがうの。ただ、それは大切なものだから」
「私が悪いって言いたいんだな!わたしが死ねば許してくれる?ねぇ!お前も死ねよ!こんなもの見せびらかすのが悪いんだよ!死ね」
みどりちゃんの目の前にいるあやかと呼ばれた女の子は、小さな腫れぼったい目を釣り上げて叫ぶようにすると腕を大きく振り上げた。
あやかは、そのまま手に握っていたブローチを地面に叩きつける。ブローチの中央に嵌められたビー玉くらいの大きさの緑色の石がキラリと光って硬い音を立てた。
「あ…」
叩きつけられたブローチを拾おうとして地面に両手をついたみどりちゃんの柔らかそうなお腹を、あやかの振り上げられた足が命中してめり込む。
無防備に蹴られたお腹に手を当てて
「あやかちゃんのこと…悪いなんて言ってないよ」
「ばっかみたい。お母さんは失敗しておかしくなっちゃった!わたしはお母さんに殴られてつらいのになんでお前は私を泥棒っていうの?絶対見つからないって思ったのにお前は私を疑ったじゃん!私が悪いのか!死ねば良いんだな?死んでやる!」
みどりちゃんの言葉は届いていない。周りであたふたと困ったように飛んでいた
それと同時に、地面に落ちたままのブローチをあやかが再び手にとって持ち上げる。
周りの温度がグッと下がり、肌に鳥肌が立ったと思ったら、まだ幼いふくよかな子供であるはずのあやかの背中から、黒と紫が混ざりあったような炎が噴き出し始めた。邪悪な魂や悪を司る
あれはなに?ブローチに嵌められた石が原因?
もうバレたって構わないと、隠れるのを諦めて走って近付いていくと、赤い小鳥も私に気がついてこっちへ向かってくる。
「ねぇ、話を聞いて…」
「死んでやる!お前ばっかりずるいんだよ!」
止める暇もなく、癇癪を起こして翠の宝石を飲み込んだあやかを、黒と紫の炎が突風を巻き起こしながら飲み込んだ。
「みどりちゃん!こっちにおいで」
呆気にとられているみどりちゃんの手をしっかりと握る。
そのまま引き寄せて彼女をしっかりと抱きしめた。
身に付けているヒイラギのお守りが私達を守ってくれることを信じて、みどりちゃんを抱きしめたまま頭を低くして屈み込んだ。
ゴウっと音がしていたのが嘘みたいな静寂が訪れたので頭をあげてあたりを見回す。
中庭の木々は枝が折れ花壇に咲いていた花は茶色に変色をして枯れ、ガラスにもヒビが入っている。ネックレスにつけていたお守りは仕事を終えたと言わんばかりに、黒ずんで地面にぽとりと落ちた。
「え…なに…これ」
自分の友人だったものが黒と紫の炎はゴムのようなヌメリを帯びた物体に変わってうごめいているのを見て、みどりちゃんは言葉を失って立ち尽くす。
みどりちゃんが驚くのも無理はない。私も正直動揺してる。
まさか、こんなところで悪魔が生まれるのを見るとは思わなかった。
「…ったく。ただのお守りのつもりが低級悪魔退治になるとはなぁ」
悪態をつきながら、小鳥の姿からいつもの姿に戻った
「だから人間に
痛みを与えられた猫のような悲鳴を上げた悪魔が、体から鋭い棘のようなものを伸ばす。
「ただの人間にも
「は、はい」
「…チッ。じゃあ規約を付け加えとけ。ガキに魔法は厳禁だってな」
「子供、口コミを広めてくれるからうちの店では大切なお客様なのよ?」
「
悪魔が吐き出した無数の棘を、
低級悪魔が生まれたことにはびっくりしたけれど、悪魔の存在は驚異というわけじゃない。だから、胸に抱きしめた少女が不安にならないように穏やかな声を意識して、
「それに…なにかあったときのために貴方がそばにいてくれるんでしょう?」
彼はフンと鼻を鳴らして乱れた髪を両手で撫でて整えると、再び咆哮をあげた悪魔へ炎をまとった拳を振り上げた。
「…それが俺の役割だからなぁっ!行くぞ」
悪魔に向かっていく
「あの…あやかちゃんは…どうなるんですか…」
「そうねぇ…。命だけは助かると思うけど」
ここまでされて、まだ友達の心配を出来る少女の優しさに驚きながら、私は真実を答えあぐねた。
殺さないことは出来る。でも、もとに戻せるかどうかは少し難しい問題だった。私の魔法で悪魔になった人間を弱らせて眠らせることは出来るけど人間に戻すことは出来ないし、
「魔法で…助けられないですか…?」
「彼女のことを助けるのは…私の魔法では無理なの…」
嘘を付くのは、私の魔法の力が弱まるからできるだけしたくない。私の口から言えるのは一つの可能性の示唆だけ…。
「…あなたには素質があるから教えてあげる。あの子が飲み込んだ翠の石はね、すごい量の魔力が閉じ込められていたの。多分、あなたのおばあさまは魔法使いだったんじゃないかしら」
あんな高密度の魔力が込められたものを、持っていたのだからきっとみどりちゃんの祖母は凄腕の魔法使いだったにちがいない。
母ではなく、孫に宝石を渡したのは、きっとみどりちゃんに才能があったからだと思う。だから、戦いは
「魔法はね、人間の欲に反応するの。だから、正しく使わないと大変なことになる。あなたなら、悪魔になった人間を癒やす魔法を使えるようになるかもしれない」
「魔法を、正しく…使えば、あやかちゃんとまた話せる?」
「その可能性はあるわ。ただ…話せたからって仲直り出来る保証はないけれど」
大きな目から真珠のような涙の粒が浮かび上がる。涙をそっと拭ってあげるとみどりちゃんは、牙の並んだ悪魔の口元に拳を振るう炎を全身にまとった
「
メリメリと肉が裂ける音と共に、ネバネバした悪魔の体から飲み込まれたブローチを
「こいつはどうする?喰っていいのか」
「ううん、眠らせてあげて。この池の下あたりがいいかな…」
土埃をあげて倒れた悪魔はみるみるうちに小さくなり、子供くらいの大きさの黒い石に変わっていく。
素手で土を掘り返して深い穴を中庭の池のすぐそばに掘った
「解放される時が来るまで…ここにあの子を眠らせておくね。あなた以外はあの子のことを明日から忘れるから、騒ぎにもならない」
「そ、そんな…私に…できるかわからないのに…」
「無理なら無理でいいのよ。だってあなたと私たちしかあの子のことは覚えてないもの」
悪魔が消えて、戻ってきた
銀色の粉は記憶を奪う
鳥の姿になった
そんな幻想的な風景を見ながら、私はみどりちゃんに話を続ける。
「最初の一歩は手伝ってあげる。魔法を使える仲間が増えるのは嬉しいことだもの」
真剣な顔で友達が埋まっている場所を見たみどりちゃんは、私の言葉に声を出さないまま頷く。
新たに決意を固めた小さな魔法使いの肩を軽く叩いたところで、ちょうど小瓶を空にした
もう時間は0時を回っている。
両親に黙って家を抜け出してきたみどりちゃんを部屋に無事に送り届けた私達は、店に戻ってやっと一息ついた。
「
「…オレはこのためにお前に作られたんだ。
乱れた髪を両手で持ち上げて整えながら、
「それに…あんたの師匠の骨を喰ったのに、師匠の魂を呼び戻せなかった。失敗作のオレに出来るのは、悪いものを壊すことだけだ」
階段を先に登っている彼の表情は見えない。悔しさの滲む声で師匠のことを話される度、私の心は軋むように痛んでしまう。
「死者の殻をかぶった何かが出来てしまうから…死者の復活を願ってはいけない。わかっていたのに誘惑に負けた私が馬鹿だっただけよ」
老いた師匠を失って狂気に飲まれた私がしてしまった過ち。それで作り出してしまったのが
「いつか、貴方を解放するから、それまでは私のそばにいてね、
「…まぁ、いつか、な」
階段を登りきって灯りも付けないまま部屋に向かう。寝室に付くなり寝具に横たわった
羽久乃魔法道具店 小紫-こむらさきー @violetsnake206
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