手負いの感情

 わたしは彼女のことだけはとしていて、それてもやっぱり彼女に惹かれて。どうしようもなく胸を焦がされて、気持ちを揺り動かされて。結局、最後の最後で勇気なんて出せやしなくて……。


 それで、終わり…ということにしたかった。学生の頃の泡沫の夢、わかいがゆえの気の迷い……という安易なオチにしたかった。










「おっはよ〜。元気?」

「その顔見たら元気萎んだ」

「あはは。冗談きついなぁ」

 彼女はわたしとそういう関係になることはなく、別にいい感じの女性を見つけてそちらとよろしくやっている。わたしとはただの腐れ縁で、気のおけない友人で、会社の同僚だ。

 わたしが彼女に恋心を抱いていたことを知っているのは、今のところ世界中でただひとり、つまりはわたしだけに留まっている。

「今日からコーヒーメーカー入ったんだってね。1年契約だっけ?」

 愛用のマグカップを傾けながら、彼女は言う。中身はそのコーヒーではなく、彼女が持ち込んだティーパックの緑茶だ。

「そう。よくやるよねホント」

 士気が上がるとかそういう理由らしいけど、リモートワークのほうがずっといいよね。わたしは冗談めかして言い、彼女も破顔した。俗にいう「ちょうどいい距離感」というやつだが、距離は所詮距離なのであって。

「んじゃーね。そろそろ私戻るわ、班の朝礼始まっちゃう」

「はーい。お達者で」

「お互いがんばろーう」

「おー」

 気の抜けた檄を飛ばし合い、わたしはわたしの仕事に戻った。



 昼休み。カフェスペースに陣取って、例のコーヒーメーカーで淹れたカフェオレと昼食のコッペパンを貪る。他の人の姿は見えない。おそらく皆して、今度の大きめの案件につきっきりなのだろうが、翻ってペーペーのわたしに回せる仕事などたかが知れている。

「……」

 やることもなく、スマホで動画を見ていると、世界から取り残されたような錯覚を受ける。


 と。

(お)

 メッセージアプリが、新着メッセを受信する。差出人は彼女。

『ごめん! 午後からの仕事手伝ってくんない?』

 絵文字とともに、そんな文面が踊る。

『埋め合わせがあるなら』

 と返信。15秒と待たずにレスポンス。

『マジ!? ありがとう!! 埋め合わせ絶対するから!! 愛してる!!』

 ――愛してる、か。

 その文字列を見た瞬間に、なぜか、ぎゅう、と胸が締め付けられた。

 ああそうか、わたし。

「笑えるね」

 ホントに。

「――まだ諦めきれてないんだってさ」

 他人事みたいに言って立ち上がる。

 今ここにに人が来てなくて、本当によかった。

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一日一本千字宣言 参径 @1070_j3

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