GPU
私はファーストクラスのシートで思い切り手足を伸ばす。離陸して飛行が安定するや否や、キャビンアテンダントが魅力的な笑みを浮かべながら、何か召し上がりますか、と聞いてきた。シャブリ・グラン・クリュを置いているか尋ねると、ヴォーデジールがございますとの返事。うなづくとすぐにお持ちますとキビキビと立ち去った。
私の監視の為にエコノミークラスに乗っているだろう日本の警察職員はどのようなサービスを受けているのだろうか? まったくご苦労なことだ。
しばらくはデスクワークに甘んじなければならないかもしれない。しばらくで済むかどうか。新たな偽装の為の時間と費用をかけることを局が良しと判断するかは未知数だ。今回のミッションは思わぬところで頓挫したが、既に十分な数の品は確保できた。私の履歴に傷はつかないはずだ。
私に課せられたのは新型のSAMに搭載するGPUの確保だった。4Kカメラの映像を元に自動で目標を追尾するミサイルに、これからは世界中のパイロットが恐怖することになるだろう。熱源追尾式を躱すためのフレアやレーダーをかく乱するチャフやステルス性能も無用の長物となる。
発想は素晴らしかったが、我が国の映像処理用プロセッサには少々荷が重かった。無ければ他所から調達すればいいのだが、物がモノだけにそう簡単に輸入することができない。そこで目を付けたのが、沢田コーポレーションだった。
沢田コーポレーションは、主に公共機関にPCを納入している企業である。仕様書の記載が甘い事を逆手にとって、明記されていない部分にバルク品を最大限投入した品で価格競争を勝ち抜くセコい商売をしている。上層部は最新のGPUに小細工を施して見かけ上は分からないようにして沢田コーポレーションの格安PCに搭載、新興国向けの商品として輸出し、第3国経由で我が国に還流させる計画を立てた。
社長の沢田を落とすのは簡単だった。未成年を使ったハニートラップにかけ、証拠の映像を示すとあっさりと軍門に降る。定期的に餌を与え続けたのも功を奏したのだろう。監視役として派遣された私の従順な犬になった。一度だけ、私に不埒な行為を仕掛けようとしたが、躾の効果は抜群だった。それ以降、ミス浦賀と呼ぶ声には恐怖が混じるようになる。
うまく行っていたプロジェクトに影が差すようになったのは沢田が原因だった。カモフラージュの為にも本業は今までどおり行ってよいとしていたのが仇となる。事業拡大の為に新たな自治体に乗り込む際に議員に賄賂を贈ったことを知った時にはもう手遅れだった。
以前から納入していた業者からも金を受け取っていた強欲な議員は、沢田の提示した金に目がくらみ、従前の業者へ予定価格を漏らすことをやめた。結果として、沢田コーポレーションが受注。日本の司法機関の注意を引くこととなってしまった。私は激しく沢田を叱責する。動揺した沢田の行動に不信を抱いたのが沢田が手足として使っていた本澤営業部長だった。
元々、本澤は技術畑出身だったためか、私たちのカラクリに気づき、自分もそのおこぼれに預かろうとする。小銭で満足していたうちは目をつぶっていたが、要求が過大なものとなっていったことで、私は本澤の排除を決めた。本澤は人の良さそうな見かけに反して中々に強かであり、沢田の贈収賄の証拠も密かに手にしていることが分かる。
決定打となったのは、本澤が沢田に対して、愛人の譲渡まで要求するようになったことだった。このことは重要。まだ、私の偽装がばれておらず、あくまで首謀者は沢田であると信じていることが伺え、そこまで暴露される前に始末する必要が出てくる。本澤の挙動が怪しくなってきたこともあり、本澤の運命は決まった。
誤算だったのは、日本の司直が沢田を逮捕したこと。別件で逮捕して、本件を立証する証拠集めをするところまでやるとは想像できなかった。それは祖国の警察にこそ似つかわしい。私は急いで店じまいをすることにした。ただ、大口の商品が船で出荷されるまでは見届ける責任がある。そして、あの警察官2人の訪問を受けた。
いかにもベテランといった年配の男とまだ大学を卒業したばかりと思わせる若い二人が現れても、私は別に動揺はしなかった。キッチンの引き出しには私を護る切り札が入っている。私は幸薄い日陰の女という偽装ぴったりの演技をする。若い方は完ぺきに騙せた自信があったが、年かさの方の目つきは気になった。
日を開けず何度も再訪する山形という青年は、礼儀正しく好ましい感じで、その相手をするのは苦痛ではなかった。私は既にミッションが完了しつつあり、この青年の存在を否定せずに済むことを喜ぶ。私はプロで感情に流されることはないが、それでも、この青年が不幸な事故にあうことを望みはしなかった。
私が育むことができなかった純真さやひたむきさを内包する山形の瞳に宿る感情に気づくのに時間はかからない。平穏な人生を送るのなら、この山形はかなり理想に近いパートナーになるに違いない。ただ、残念ながら私にはそのようなものを望むべくもなかった。
そして、山形が現れ、いつもとは異なる表情で語りだしたときには、図らずも胸のうちにあった微かな感情の熾火が再び燃え上がりそうになる。山形からの全身から誠意があふれ出していた。警官としてではなく一人の男としての決意。
「どうか真剣に考えてください。私はあなたのことを」
私はそのセリフを最後まで言わせなかった。人差し指で山形の唇を押さえる。若々しい感触と温もりが指先に伝わった。その一瞬を堪能する。私は地獄の坩堝が口を開けるのを回避するために、心の奥底にある気持ちに冷水を浴びせて鎮火した。
一晩考える時間を欲しいと言って、山形を返した後に、大急ぎで荷物をまとめた。全てを持ち帰ることはできないにしても、高価な品は出来る限り持ち帰りたい。それらは時により私の安全を買う代価となりえるのだ。
翌日、警察官二人が現れ、私は微かな不満を抱いた。できれば、私からの贈り物は山形一人に受け取ってもらいたかったからだ。しかし、そのような感傷はすぐに消し去って私は二人と相対する。私は不幸な女の演技をやめて、本澤を消した後に沢田から取り上げた沢田の贈収賄の証拠を二人に提示した。哀れな少女たちの画像を使うつもりはない。もうこれ以上傷つける必要はないだろう。
「もちろん知ってます。指示を出した相手の名前を忘れるわけがないでしょう?」
本澤の死について聞かれ決定的な言葉を放つ。本澤殺害指示の自供だった。警察業界では自供することを「うたう」と言うらしい。目の前の男たちは、憂い顔をやめた囲い者のうたに驚愕を隠せない。
「山形さん。私のことを守ってくださるのよね。だって、あなた、私の事を愛しているのでしょう?」
できるだけ蓮っ葉な感じで嘲るように山形に言葉の矢を放つ。そう、これでいい。これで彼の中で浦賀美佳という女は消えるはずだ。
「それじゃあ」
別れの言葉を発して、スーツケースを持ち上げ、家を後にする。迎えの車に乗って、大使館に向かった。
回想から現実に戻り視線をあげるとキャビンアテンダントを目が合った。すぐに笑顔を作り寄ってくるのを手で制する。ファーストクラスの客だから享受できる作り物の笑顔。私は打算によらない笑顔を手に入れることはできるのだろうか? 視線を動かすと機内の明るさを反射する窓に幻影が一瞬浮かぶ。それを打ち消すように私はゆっくりと目を閉じた。
-完-
愁いを知らぬ鳥のうた 新巻へもん @shakesama
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