エピローグ
あの過去と決別した日から、実に三か月が経った朝。
未だに咲乃は、尾張の城にいた。掃除や紫から回される仕事をこなして、ついでに継続して城の部屋を間借りしながら暮らしている。
もちろん咲乃は出来るだけ早く去ろうとしていたのだ。一応目的は達成していても旅の者だし、城を間借りするのだって普通は最低限であるべき行為である。だから、トクさんの腱が治り次第城を立ち去るつもりでいた。
の、だけど。
「腱は自然治癒はかなり難しいだなんて思わなかったな」
「切れたのが腱同士ならともかく骨と離れてたら自然治癒しないんだってさ」
そういうわけで、そもそもの問題としてトクさんの治療が長引いていることが一つ。
咲乃が斬った腱はともかく、元々鍛冶とかで既に切れていた腱まで見つかったからそれも治療することになり、気が付けばリハビリを含めて全治約一年という塩梅になってしまった。想定外すぎて、医師の診断を聞いた時にはそれはもう驚いたものである。
「呪詛の方はどうなんだよ?」
「そっちは割と順調。トクさんが貴人で助かったってところかもしれないね」
トクさんがあの短刀に込めていた呪詛は半端な量ではなかったらしい。応急措置は施したものの、解けきれていなかった茨木童子の呪詛と噛み合って悪性が倍増したのだ。そのせいで傷だとか精神のどうこうといった事情を無視して衰弱していたのである。
それは城の陰陽師や咲乃の不断の努力で何とか峠自体は超えることができた。今は、魂に絡みついている呪詛をゆっくり丁寧に解いていっているところだ。
だが、そのせいもあってか、しばらく霊振器を作っていないにも限らずトクさんの髪の毛は白いままなのだが。
「だがまあ、あんなに角を戻すのを嫌がるとはなぁ……」
「桔梗様の一喝があっても渋っていたもんね……あの時はお手数をおかけしまして」
呪詛に対抗するのに貴人である特性が必要なのだから、その要素を強めることは治療の観点から見ても大切なことだ。そして神気を身に受けられるということもあって角を戻す提案をしたのだが、これをトクさんは酷く嫌がった。
その提案をした時には腱が治りかけていたのもあって、多少の騒動にさえなりかけたのである。
まあ、事態を聞きつけた桔梗が一喝することで場を治めたのだが。ついでに荒っぽく角を治して去っていった。そのせいでしばらく頭が上げられなかったし、多少の無茶な仕事も必死になって受けて回ったのは記憶に新しい。
そう、今は咲乃が働き、そのおかげで城に置いてもらえているという、旅のころとは逆転したような状況になっているのである。
「で、その病人を気に掛ける英雄様は今日もお仕事に駆り出されるってね。私も滞在が伸びやがったし、勝手に護衛の仕事は続いてるし……」
「その呼び方やめてよ……言われるたびになんかドキッてしちゃう」
茨木童子を十五の巫女が倒した、という話は即座に火ノ国中を駆け巡った。
しばらくは新聞の取材申し込みが絶えなかったし、
例祭の後祭の剣術大会出場にかこつけた果し合い希望や襲撃ヘの対処は、今も隣で護衛をしてくれている緋凪に一任されていた。そういう意味で言えば、この一件で一番迷惑をかけたのは緋凪かもしれない。
そしてその栄誉を宗司がこれ幸いと利用しない訳もなく。多少の調整や内容の選別はされているものの、咲乃は西へ東へとあらゆる仕事に駆り出されていたのだ。そして行く先々で英雄様、鬼を倒した巫女、と畏敬を込めて囁かれるのである。
……正直、とても辟易していた。
「お団子食べたい。縁側で日向ぼっこしながらさ。周りにぶわーってたくさん並べて好きに食べ散らかしたい……」
「気持ちはわからんでもないが、そんなことをしてたら宗司さんと紫さんに二刻は笑顔で叱られるだろうな。今お前を一番利用している二人がそんな姿は許さんだろ」
「ああああああ……お団子……!」
例祭で巫女を務めていた他の四人のうち、熱田神宮所属の紫以外はとっくにそれぞれの国に帰っている。彼女たちも彼女たちで界隈では有名な巫女で年中引っ張りだこらしく、国に帰ってすぐにまた別の仕事場に出かけているのだとか。
だけど、そんなことをしなくて良かった……正確には、しなくていいように色々とねじ込んだのが紫と宗司である。
熱田神宮や名護城の面々からしたら、今話題の巫女との繋がりをアピールしないわけにいかない。ということで、公事に関しては宗司が、巫女関連の仕事に関しては紫が付き添うことになったのである。
それはつまり、さらなる仕事の増加も示しているわけであり……。
泣き言を連ねて叶に送ったら「自慢ですか?」と言われてしまうし。
お仕事モードの宗司と激務がしたいなら代わるよ? と言いたくて仕方無かった。
「この後は馬車で甲斐まで行って妖怪退治だっけか」
「うん……別に私、妖魔専門の巫女でも退魔士でも陰陽師でもないのにぃ……!」
いくら泣き言を言おうがしょうがない。
少なくとも、行かないという選択肢だけは無いのだから。
「まあ、せいぜい頑張ろうや。昨日はようやく、桔梗様とトクさんが長話できたんだってな?」
「そうなんだよね。はあ、そういうの聞いたら頑張らない訳にいかないもんね」
トクさんにしてもらったことを、今なら何とか返していける。それが嬉しくて、そのおかげで今日も激務を頑張れるのだ。
馬車に乗り込んで、あの日から完全に担当になったらしい宗司の側仕えに説明を聞きながら空を旅する。
風にあおられたのか、馬車が少し揺れて、腰に佩いている二刀がカチャリと音を立てた。その柄を撫でて、次の未来の展望をそっと心の中で唱える。
これが一段落したら、絶対一緒にあの村に帰ろうね。そしたら神社を直すから見ていてねお母さん、お父さん。
その声に応えるように、二刀に流れる霊気が撥ねた……気がした。
◇ ◇ ◇
「んー、できた! どうかな、私の記憶よりはおっきく作ったと思うんだけど……」
「まあ、大きさは上だな。果たしてこんな辺境の神社がこんなに大きくてどうするんだって話だが」
「それはそうだけど。これから来る人も増えるかもしれないし、やっぱり豪華にしてよかったと思わない?」
「ようやくお前の英雄様な話題も下火になった所じゃねぇか。ちったぁ休め」
「えー……それはやだなぁ。まだ休む気はないよ?」
「ちゃんと二人で、この神社を切り盛りするって決めたんだから!」
さてさて、二人がその後どうなったかは……また、別の話。
桜花の巫女、職務を忘れて仇討の旅に出る。 棗御月 @kogure_mituki
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