訣別の朝



 翌朝、日が昇るより少し前。

 こんな早くに目が覚めたのは、昨日疲れて寝落ちたせいで普通寝る時間よりだいぶ早かったからかもしれない。秋も本番ということでかなり肌寒くなっている。

 だが、咲乃の朝のやる事は変わらない。頭全体に水をかぶり、火産霊の札で乾かす。温かさのありがたみを感じながら外に出る準備を整えて、今日だけは緋凪を起こさない。


 昨日はだいぶ迷惑を掛けちゃったから、今日はゆっくり休んでもらいたいな。きっと、緋凪が起きるころには終わってると思うから。


 咲乃は一つ一つ丁寧に自分の巫女装束の帯を結び、身を引き締める。城の人の大半が今日はしていないだろう戦いのための装束を身に纏い、二刀の点検までした。

 既に咲乃の意識はこの後の事に向いている。


 だから。


「……」


 布団の中の親友が起きていることに、最後まで気が付かなかった。



◇ ◇ ◇



 咲乃が部屋を出た時間に少し遅れて、トクさんも目を覚ましていた。

 昨日城で胸を貫かれて以来の記憶がない。あの時に気を失ってからずっとそのままだったのだろう。そして、尾張にいることは街の外の景色で分かった。

 誰かが全てを終わらせたのだろう。自分が倒れている間に、胸の治療までして。


 どうやら自分が城にいることもわかった。今自分が纏っている浴衣も確かこの城の側仕えたちの物だったはず。自室ではないようだが、しっかりと処置をしたうえで寝かされていたあたり最低でも客人として扱われているに違いない。


 そしてそんな事より、自分が眠っていたところに置かれていた一通の手紙に視線が向かう。

 特に他にやる事も無いからと手紙を手に取り、そこにある見慣れた字の文章を読んでいく。


『決闘希望。東門よりでた街の外で待つ』


 宛名も自分の名前すらない。だが、その手紙が誰からの物かはすぐに分かった。

 そして、淡々と自分の戦装束を身に着けていく。鍛冶師でも霊振器技師でもない、一人の戦う人間としての装備を。

 内帷子を着込み、手甲と脛あてを着けて、手製の霊振器武器をいくつも懐に持ち込んだ。そして得物の大棍を掴み、ゆっくりと点検をして問題が無いことを確認。その他にも自分の荷物を持って、乱した内装を整えてから部屋を出る。


 部屋から出てすぐの壁に桂木が背中を預けていた。


「……驚いたな。裏切り者のお前の事だ、なんやかんやと逃げ出すのかもしれないと思ったんだが」

「だからわざわざこんな時間から見張っていたのか? ご苦労なことだ」

「はん、皮肉が言えるくらいには回復したのか。流石は様だよ。俺たち人間とは体の出来が違う」

「俺も半分は人間だ」


 そうでなければ、十一年前のあの夜に折った自分の角がまだ治っていないなんてことになるわけがない。まあ、今も一応角自体は葵紋の袋に入れて持ち歩いているものの、また生えるとも治そうとも考えていないのだが。

 城から出るために昇降機へと向かう背中に、その様子に構わず声が投げ続けられる。


「俺はあの子の師匠だ。名乗ったことも自分からそう呼べと言ったこともないから一応だが。お前と比べても過ごした時間も少ない……だけどな」

「……」

「あの子を……咲乃をこれ以上傷つけてみろ。その時は、楽に死ねると思うなよ」


 言いに来たのはそれだけなのだろう。本当に行くのかどうかの見張りは、そのついでに違いない。

 本当なら返答なんてする気はなかった。だけど、なぜかこの時は自然と口が動いて言葉を紡いでいた。


「……可能な限り俺の最善を尽くすさ。そのためには俺がどうなろうと構わない」


 なんせ俺は、この十一年を。あの夜からこの後の数刻まであるかという時間を。


 この旅の全てを──咲乃の手で殺されるためだけに、そのためだけに生きてきたのだから。



◇ ◇ ◇



 街の外は、薄い霧に覆われていた。昨夜の遅くまで降っていたらしい桔梗の雨のせいだろう。季節の事も相まってかなり肌寒いが、草原に立つ咲乃の体は一度として寒さに震えなかった。


 トクさんはちゃんと来てくれるかな。そもそも手紙、読んでくれたかな。……読んでないかも、しれないなぁ。


 そんな事を考えつつ、それでも来ることを本気で疑ってはいなかった。あの親であり兄の堅物は、約束やお願いを一度も破ったことがないから。


 ──ほら、足音が聞こえる。


「こんなところに呼び出しか、咲乃」

「おはよ、トクさん。傷も呪詛もだいぶ良さそうだね」

「ああ。お陰様でな」


 あの状況で致命傷をどうにかできたのも、呪詛に対抗できたのも咲乃一人だとわかっている。

 そして咲乃の方も、あの程度では応急処置にしかならない事は知っていた。その後で処置はされているのだろうが、それでもこうして立てていること自体が異常なのも分かっている。

 そして、それが貴人の血が混ざっているからだということも。


「ねえ、聞いてもいい?」

「ああ」

「──十一年前のあの夜、お父さんとお母さんを斬ったのは……トクさんなの?」

「そうだ」


 あんまりにもあっさりと、己が咲乃の旅の目的であると……斬ると決めた仇であると認めたのだ。

 分かっていたとはいえ。察していたとは言え。心構えはしてきていても。

 それでもなお、激情が心の中を駆け巡る。


「どうして? どうして私のお母さんたちを斬ったの?」

「そうでなければ護れなかったからだ。あの夜神社にいた人間が護りたかったものがな」

「それは、お母さんたちを斬ってでも、神社が燃えてでも護りたかったものなの?」

「ああ」


 きっと、それが何かを聞けば答えてくれるだろう。でも聞く気にはなれなかった。

 咲乃はここまで聞いてもやっぱり、小さいころからの決意は……両親を斬った相手を自分の手で斬るという願いは揺らがなかったのだから。

 それを感じ取ったのだろう。トクさんがおもむろに大棍を手に取る。


「それより、お前が俺を呼び出した用件は違うだろう。──刀を取れ、咲乃」

「うん」


 お互いに武器を構えて、僅か数メートルだけを挟んで向かい合う。術で体を強化できる二人にとってこの距離は、ほとんど最接近状態と大差ない。

 蒼愛を構えた咲乃と、大棍を構えたトクさんがお互いに僅かに様子をうかがって。


「行くよ!」


 地を蹴り、一瞬のうちに肉薄してお互いの武器を打ち付けあう。甲高い音と共に二度、三度と交錯しては離れを繰り返す。咲乃は術を、そしてトクさんは仕込んでいた霊振器を投げながら牽制をする。

 これまでの中で、幾度となく交わしたやり取り。ともすれば言葉より交わしたかもしれない、二人の……二人だけのコミュニケーションだ。

 桂木が剣術の師匠なら、トクさんは戦闘術全般の師匠と言える。実戦の駆け引きや呼吸、注意することはトクさんから……トクさんと戦った無数の経験から学んだ。

 故に。お互いの手の内が手に取るようにわかるのである。


「やっぱり強いなぁ。鬼を相手に大立ち回りできたくらいだし、当然かもだけど」

「……あの時は若かったからな。死に物狂いだった」


 ならどうしてお母さんたちを……と言いかけて言葉を飲みこむ。

 式神を四体創り出して襲わせ、その間に術を練り始めた。トクさん相手に稼げる時間は僅かだろうけど、それでもあるのとないのとではずっと違う。

 案の定、式神たちは一撃一殺で沈められている。片腕で持った棍棒を雑に振り回しただけで対処されているあたり咲乃の攻撃は全て見切られていると思って間違いない。


 だからこそ、全力で力押しに出るのだ。からめ手で勝てるだなんて微塵も思っていないから。


「火行、金行、木行、連環──」


 金属粉と無数の木々が呪符から生まれては火に転じていき、加速度的に火力を増していく。火の粉を散らし、三枚の呪符を中心に極大の火球へと成長していく。

 そこにさらに木行符を足すことで術が変化を迎えた。


「変質か。自分の特異なイメージと合わせることで術を強化したな」

「私の目に焼き付いているのは、この姿だから」


 火球が成長し、木の姿へと変わっていく。一本の大樹となり、そこから芽吹くは無数の桜。

 そう、咲乃は故郷の景色を僅か一部……幾度も夢に見た燃え盛る桜の大樹を再現したのだ。

 あの夜に燃えたのは何も神社の建屋だけじゃない。秘境のような場所にあるには大きな神社を全焼させた火は当然、周囲の森も大なり小なり焼いている。

 その姿を。離れの地下からなぜか見えたあの夜の光景をここに呼びだした。咲乃の知っている火で一番強いのは、この姿だから。


 炎の花弁が霧を晴らしながら宙を舞う。


「……名は、あるのか? この術の名は」

「ないよ。今作ったばっかりだから。……でも、これが終わったらつけてもいいかも」

「つけるべきだな。そうしたらこの後もお前を助ける術になる」


 それ以上は交わす言葉もない。花弁が集まり、巻き上がり、巨大な渦となって襲い掛かる。

 トクさんは懐から五つも霊振器を取り出して防御膜を張り、単純な霊気の放出までして何とか押し返そうとしながら炎に包まれていく。

 術と膜は拮抗していたが、だんだんと防御膜自体が焼かれることで徐々にその均衡は崩れていった。


「ぬぅ、これは……!」


 火とは燃え移るものだ。たとえそれが術で生み出された偽りの物であっても。咲乃の創り出した炎は防護膜に、そこに内包されている霊気を燃料に燃え続ける。

 もしこの術を妖魔に使えば、死ぬまでその体を燃料に燃え続けるだろう。


 戦うことを目的に生きてきた咲乃という少女を知っていれば「らしい」と思うかもしれないし。

 それでも彼女が巫女であれば「有り得ない」と言われるかもしれない……まさしく象徴になるかもしれない術だ。名前を付けろと言うのも分かるだろう。

 そして、それを瞬時に判断して名前を付けた方が良いと言ったトクさんに驚きと嬉しさを覚える。


 そんな渾身の術も、少女をよく知っている男にかかってしまえば──


「燃えている火を消すには、可燃部分を火と離してしまえばいい……つまり、防護の術に触れたのなら術を解除したら火は消える」


 その言葉の通り、トクさんはただただ防護膜の術を解いた。燃えていた火種自体が消えてしまえば燃えることはできない。単純であり実戦で気が付くのは難しい事を、あっさりとトクさんはやってのけた。

 咲乃より頭一つ分以上大きいその体は、今も壁となって目の前に立ちはだかっている。


 でもね、トクさん。

 トクさんが私をよく知ってるみたいに、私もトクさんの事をよく知っているんだよ?


 だから、この術をあっさり対処することなんて……分かってるんだよ。

 結界を解けば対処できるなんて簡単な対処法のある術を何の意味もなく使う訳ないでしょ?


 術の炎が消えた瞬間に咲乃はを投げた。トクさんから城攻略の時に受け取っていた、呪詛塗れの短刀を。

 肩口に突き刺さったそれは即座に効果を発揮して、大量の呪詛でトクさんの体を縛り付ける。


「最初から、これを狙って……!」

「これで、終わり!」


 トクさんが呪詛に込めていた効果の大半がの物だ。それはつまり、身体強化や治癒の効果も消えるのだ。その上から強力な呪詛を流し込まれれば、当然体の自由は奪われる。

 立つので精いっぱいになったトクさんを前に、迦錺を構えた咲乃は。


 構えた、咲乃は。


 ……それから一歩も動けなかった。


「……どうした咲乃。何をしている」

「……っ!」

「お前の仇だぞ。お前が一生をかけて討つと決めた仇敵が目の前で死に体になっているんだぞ。己のするべきことを成せ」


 そんな事は分かっている。事実、腕と理性は振り上げた腕を降ろそうと命令を出していた。

 両親を斬った相手を倒せと命令を出していた。

 だけど心が、それを否定する。


「何のためにお前を鍛えたと思っている。何のために旅をしてきたと思っている……!」


 それは偏に、自分のいなくなった後の世の中を生きていけるように──



「なら、そんな大切な人を斬らせないでよ!」


 少女の心が弾ける。

 一歩前に出て。


「これからも私といてよ……私、分かんない事ばっかだよ。まだ私といてよ!」

「何馬鹿な事を……!」


 少女の苦悩をトクさんは知っている。憎悪の深さも当然、知っている。

 だから、少女の言っている意味が分からなかった。


 だから、少女が刀を振るっても死んでいないことが……不思議で仕方なかった。


「……動けないでしょ? 四肢の腱だけを斬ったの」


 あっさりと迦錺を鞘に納めて、掛けられた呪詛を解き始めた咲乃を見る目は困惑に満ちている。この十一年でもあまり見たことがない顔を見ることができて、咲乃は満足げな顔をしていたが。

 ようやく日が昇ってきた野原に、いくつかの足音が聞こえる。


「……ったく、だから泣かせるなっつっただろうが」

「すまんな、我が不肖の息子だ。家出したかと思えばこんな可愛らしい娘を連れて戻ってくるわ、その目的がその娘に殺される事だわ……全く恥ずかしい」

「咲乃、そういう時は腕の一本くらい貰うものだぞ」

「師匠、桔梗様、緋凪……!」


 結局みんな、この二人の思惑とこの結末なんて最初から分かっていたのだ。

 だから全員、呆れたような笑顔を見せている。


「私もいますよ、咲乃さん。そこの危なっかしいお兄さんは術なんて使わずにゆっくり療養してもらいましょう」


 桔梗の後ろにいた宗司がそう言って、式神と共に持ってきていた担架を広げてトクさんを乗せる。


 さて、これからどうしようかな。

 それを考えるのも旅の醍醐味だよね、と考えながら城に向かって歩き始めるのだった。




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