決着と崩壊と
緋凪が必死で時間を稼いでいる間、咲乃の準備は順調に進んでいた。
この城が儀式術ようであることを利用した祭礼術に呪符をふんだんに使った大規模攻勢術。丁寧に手順を踏んで発動された神懸りと、蒼愛・迦錺に潤沢に送り込まれた霊気。咲乃が準備できる限界を目指して、入念に行われていた。
霊気を二刀に送り込んでいく度に温かい力を感じる。包み込んでいるような、そっと見守っているような安心感があるのだ。
そして、それは一概に錯覚とは言えない。
目を閉じている咲乃は気が付いていないだろうが、蒼愛からあふれ出した蒼の霊気が薄い膜になり体を覆っている。そして、鞘に収まっている迦錺から溢れた赤い霊気が全身から立ち上っていた。
咲乃がやろうと思ってしていない以上、これは確かに蒼愛の意思とも呼べる
蒼愛が咲乃を護り、迦錺が立ちふさがる敵を倒す。それは何の比喩でも結果論でもない、純然たる事実なのだ。
「咲乃、まだか! そろそろ限界だぞ!」
「もう少しだけ、もう少しだけ待って!」
式神を召喚しようとして、その手を止める。この戦いを終えた後に五体満足である可能性はかなり低い。むしろ、指一本動かないくらいに疲弊しているだろう。
その時に脱出に使える式神の形代が無ければその時点でお陀仏になってしまう。空中の霊気でも起動できる式神の形代は、可能な限り残しておくに越したことはない。
式神を使わなくていいならその分の霊気が他の事に使える。故に、咲乃はさらに神懸りを一段階強めることにした。
もうあの時のように制御を失ったりしない。完全に使いこなしてみせる。
「…………ッ!」
精神が軋みを上げる音が聞こえる。神を降ろしていながら理性を保とうとする蛮勇に戒めでもしようとしているのかも、なんて考えてしまうほどに辛い。
でも、きっと理性を失ったら勝てないから。
この一回だけ、無理を通させてください。
その願いが届いたわけではないだろう。暴れそうになっていた神気が安定し始め、体にゆっくりと馴染んでいく。
緋凪の方も佳境を迎えていた。
呼び出した四体の眷属は既に何度か形が崩され、それでも何とか決定的な破壊だけは避けている。そのおかげで出来た時間を使って腕を最低限修復した後は自分も戦線に復帰し、むしろ積極的に打ち合ってさえいた。
その粘りのおかげもあってか、何度か茨木童子に拳を叩き込むのにも成功している。意外と細身な体に反して強靭過ぎる肉体は鈍い音で撥ね返されてはいるものの、ダメージが無いことは有り得ないだろう。
「普通の人間なら百人はとっくにぶっ飛ばせてるはずなんだがな……。強すぎだろ、お前」
「格が違う酒呑こそいたが、我は仮にも鬼の頭目だぞ? 弱いはずが無かろう。だいたい、強いというのならお主も大概であろ? 我とこれほどに打ち合っただけでも英雄に祀り上げられるぞ」
「興味ない、ね!」
緋凪にしてみれば、打ち合ったとは言っても倒したとは言われなかったことの方が気になってしょうがない。暗に「お前では勝てない」と言われているようなものだからだ。拳を打ち鳴らし、震脚までして戦意が衰えていないことを主張する。
そしてその戦意に応えるように、茨木童子も戦装束を翻して幾たびかの突進をした。さっきまでは使っていなかった血の武器で眷属をいなし、そして本体は緋凪との肉弾戦を展開する。
それを見た緋凪は、後ろにいる咲乃の準備がもうすぐ整うことを感じて眷属を爆発させた。目の前の敵を相手に、これ以上余力も意識も割けないからだ。
「ぶっ飛べ!」
「お主がな!」
正面からぶつかり合った拳が僅かに押し合い、骨が折れる音が聞こえて。
これまで大丈夫だったのがおかしなくらいにあっさりと、そしてある種当然のごとく緋凪の方が吹き飛ばされるのだった。
既に体を強化していた術は途切れている。今負ったダメージを回復することだけに体が集中したせいで強制的に解除されたのだ。そのせいで一気に虚脱感が襲い、体勢を整えることもできないまま後ろへと飛んでいく。
着地の衝撃を覚悟したが、それは大丈夫だった。何とか準備を整えた咲乃が受け止めたのだ。
「ありがとう、緋凪。治癒符がもう無いから治すのは無理だけど、あとは休んでて」
「クソ悔しいけど、任せた……」
それが限界だ他のだろう。最後の言葉を残して気絶し、自動で展開された術が最低限の力で治し始めるのを確認して、茨木童子に向きなおる。
「整ったようだな。さあ、やろう。邪魔する者もいない。お前の仇はこの私だ。そして私はお前を倒せば悲願がかなう。これほど分かりやすい状況もなかろう?」
「そうですね。私の家族を、あの神社をめちゃくちゃにした貴女は許しません。そして今、あの時と同じように尾張の皆を不幸にしようとするのは許せません。──だから」
迦錺を最初から抜き、その聞い先を突き付けて。
「ここで討滅します。過去の遺物は、過去に還るべきですから」
「言ってくれる!」
瞬間、霊気を吸って赤く輝く大太刀と血色の刀が甲高い音を立てて打ち合う。鍔迫り合いにはならず、即座に離れては近づいて一瞬のうちに何合も刃が交錯した。
伝説の鬼をしても技量が互角。奇しくも両者同じ、勝利だけを求めた喧嘩殺法だけに一度として同じ手順が存在しない。
フェイントも足払いも拳も使う。僅かでも相手に先じて一撃を打ち込むためだけに。
「地に芽吹くは萌ゆる木々、空に輝くは落ち逝く凶星、天魔を祓い給え!」
「しゃらくさい!」
準備していた術式が起動し、地面から伸びたいくつもの木々が茨木童子を貫かんと迫る。囲うように攻め立て、咲乃自身も攻撃に参加し、それでなお捉えきれない。それでも構わないと言わんばかりに打ち出された極大の火球が着弾し、迫っていた木々ごと茨木童子を燃やした。
だが、それでなお届かない。燃え盛る業火の中でなお鬼は酷薄に笑う。
「金行、水行、変転……破っ!」
金気で水気を呼び、怒濤となった水流で押し流しにかかる。
この土地を治めているのは桔梗だ。その膝元で生み出した、神気の混ざった水流ともなれば鬼にとってはこの上ない毒になる。普通の川を泳げる鬼でさえ、この水では全身が上手く動かなくなってしまうだろう。
だが、その常識の埒外にあるのが茨木童子だ。
「温いぞ。この五倍は生み出してみせよ」
銀八がしていたように、刀を勢いよく振り下ろして立っていた地面ごと水流を立ち割った。触れたら毒の水も、当てられなければしょうがない。
だが、その茨木童子を避けるように進んだ水は当然地面の業火に当たるわけで。
「む、これは……!」
「水壁、転じて──岩戸封じ!」
蒸気となって立ち上った水が茨木童子の周囲を厚く取り囲む。そして即座にその水から土気を呼んで変転、岩の室を創り出して閉じ込めた。神気が宿った炎と水から生み出された岩の壁だ。普通の人にとっては只の岩壁でも、鬼には触れられない障壁となる。
術の準備していた最初からこれを狙っていたのだ。
ただの術では茨木童子を傷つけることも封印することもできない。ましてやここでは妖気が溢れているのだ。神懸りで集まった神気を全て賭してでもこの空間から離れさせる必要がある。
今、岩室の中では神気が溢れかえっているはずだ。城を作って疲弊し、緋凪ともやり合った茨木童子には中にいるだけで致命の攻撃になる。
そして、これが少なからず神気の宿った岩室なら。これを岩戸と見いだせるのなら。
強固な封印をさらに築けるはずだ。
「疑似置換、天岩戸……!」
呪符を貼りつけて術を行使したとたん、尋常じゃない勢いで神気と霊気が持っていかれた。そのせいで神懸りが解けてしまったほどだ。
だけどその価値はあったに違いない。部屋の中にある管を流れる妖気は鳴りを潜めているし、少しずつ増していた本能的な危機感も今は収まってきている。城や妖気と引き離されたせいで術と茨木童子の繋がりが切れた、もしくは劇的に弱まったのだろう。
このままいけば、統率も供給も止まったこの城は崩壊する。
当然、神気に囚われた茨木童子も巻き込まれて消えるはずだ。
「これで、終わり……!」
術が苦手な咲乃にしては珍しくこの決着を選んでいた。普段なら勝った実感があるからし技量も高いが故に刀での決着をする咲乃だが、この際関係ない。肉弾戦を予想していただろう茨木童子の裏もかけたはずだ。
普段と違うせいですっきりは出来なくとも、決着がつくのなら──
ピシリ。
岩が、術が割れる音が響く。
「なめるな、小娘……!」
怨嗟の声が響く。この程度では終わらぬと、地獄の底から這いあがるような気迫が咲乃の感覚を突き刺す。
有り得ないと思った。ぶっつけ本番の術ではあっても間違えたところや手落ちは何一つ無かったはず。そして、常識を度外視してさえあの状況からの復活は無理のはずだ。
その思考を真っ向から否定するようにさらに音が響き、岩室に巨大な亀裂が生まれた。
「我が悲願を、あの夜より続く我が後悔を……この程度と見縊るな……!」
張り付けた呪符が割かれ、術式が崩壊していく。詰め込まれていた神気を押し出しながら、全身を己の血色に染めた鬼の手がその隙間から突き出て壁を崩していく。
反射的に咲乃も戦闘の態勢を取りはしたものの、蒼愛と迦錺から逆に霊気を貰わなければいけないほどに体は疲弊していた。
そして、気が付けば岩室は半壊し……中から血濡れの鬼が姿を現した。
美しさも優雅さも頭目としての余裕もない。ただただ暴力の化身として、天災とも称されるその力を振るうことしか頭には無さそうだった。
「しっかりと柄を握れ。その憎き二刀を向けてみせろ。でなければ戦う価値さえない」
「憎き、刀?」
「憎いぞ。当然であろう? 取り逃がした得物の魂が入った武器だ。死してなお我が子を護る姿を見せつけられれば憎くしか思えぬ」
茨木童子は今、何と言ったのだろうか。死してなお我が子を護る、と言わなかったか?
なら、この二刀に封じられている霊は、魂は、咲乃の──
「一撃だ。お互い限界が近いだろう。次の一撃で、決着だ。貴様の首を撥ねて、あの狂った貴人の前に晒してやろう」
「狂った貴人……って……!」
「もしや、今気が付いたのか? 皮肉なものよな。その刀の魂も、自らを斬った相手に封じられては浮かばれまい」
……今更気が付いたこと、聞きたいことは沢山ある。だけどそれを今は飲みこんで、迦錺を構える。
茨木童子の言う通り、次の一撃が両者が放てる最後の一撃に違いない。──ここで、負けるわけにはいかない。
同時に地を蹴り、お互いへと肉薄する。
「──死ね!」
「これで、終わりです──!」
茨木童子の血刀は、蒼愛の壁に遮られて届かず。
咲乃の迦錺は確かに、その首を断ち斬った。背後で倒れる胴体と、離れた首が空中を舞い。
「ああ、酒呑──」
そして、鬼は愛しい鬼の名を零しながら──妖気に解け、無へと消えていった。
咲乃は倒れそうになるのを意思で我慢し、最後の力で周囲の妖気をかき集めて浄化、なけなしの霊気を練り上げて懐の式神を起動する。そこで体が力を失い、前のめりに倒れていって。
それを誰かが受け止めてくれたのを感じて、咲乃は意識を手放した。
◇ ◇ ◇
咲乃が再び目を覚ました時には、既に街のすぐ近くまで来ていた。
どうやら、朦朧としていた意識で呼び出したのは獅子の式神だったらしい。咲乃と緋凪の二人を乗せていてなお余裕のある感じでのっしのっしと歩いている。
「気が付いたか」
「あ、緋凪……」
「城は崩壊して、もちろん茨木童子がやろうとしていた術も当然不発だ。……よくやったな」
弾かれるようにして振り返ると、猿投山は元の姿を取り戻していた。
あの妖気が常に溢れている城も、季節感の狂った木々もそこには無い。ただありのままの姿でそこにある。
そのことがとても嬉しかった。
「んで、私は寝る。疲れた」
「え!?」
「あと、鬼どもを殲滅したせいでこの辺の気が僅かに狂っているらしくて、その調整のために桔梗様が雨を降らすって言ってたぞ。んじゃ、それの対処もよろしく」
「え、あ、本当に寝てるし……もー!」
獅子の式神はかなり大きめだ。二人を乗せて悠々と歩けるくらいなのだから当然かもしれないが。
この式神は折り紙のような感じになっていて、胴体の中はがらんどうの空間になっている。少しだけ回復した霊気を使って獅子の背中からその内側に緋凪を取り込んだ。
そして、それと同時に言っていた雨が降り始めて。
戦闘になる事がしっかり周知されていたからだろう。
街道を歩く人は咲乃たち以外にはおらず、どうやら源治たちも引き上げた後のようで、完全に周囲から他の気配はなかった。
それを認識したせいで、どこかでつっかえていた物が消えて。
「う、あぁ……」
ぽつり、ぽつりと雫が降り注ぐ。道の脇の葉を濡らし、木々を湿らせ、咲乃の頬を流れていく。
心の中を名前にならない感情が渦巻く。思考がどうしても纏まらなくて、吐き出し方も分からなくて。どうしたらいいか、何をしたらいいかもわからなくて。
ただただ、冷たい雨に混ざった熱い雫が……流れ続けた。
……何分そうしていたのだろうか。
吐き出し方の分からなかった涙はいつの間にか止まり、それに合わせて心もゆっくりと固まっていく。何をするのか、心が決まっていく。
目元が泣き腫れていないかを気にする余裕が出てきたあたりで城下街の関所にたどり着いた。話は通っているようで、顔を見た瞬間にさしたる確認も手続きもなく中に通される。
そして対応してくれた門番に、ふと気になっていたことを訪ねた。
「あの、トクさん……ええと、鬼に呪われて担ぎ込まれてきた人ってどうなっていますか?」
「ん? あー……どうなっていたかな。少し待っていてくれ、部下に確認させてくる。……にしても、不遜な偽名を名乗るものだ」
「不遜、ですか?」
「ああ。……もしかしてお嬢ちゃんは山奥で育っていたりするのかい?」
「はい。世情には詳しくなくて……」
それでか、とでも言いたげに納得した様子だ。
親切にもどういうことか教えてくれるらしい。
「ええと、今この火ノ国を治めている一族はわかるかい?」
「徳川様ですよね。維新の後で、功績を認められて治める許可を貰ったというのは知っています」
「そうだね。じゃあ、徳川っていう名前は重要な名前になるっていうのはわかるかい?」
「はい。他の人は使えなくなったりしそうです」
たとえ悪戯でも徳川姓を名乗る人はいないだろう。嘘として成立しないくらいに知れ渡っている名前なのだから。
「まさしくその通りでね。川のつく苗字は当然多いから規制とかはほとんどしようが無い。でも、徳の字はなかなか使われないと思わないかい?」
「そうですね……ということは、まさか……」
「
……むしろ、こうやって教えてもらったおかげで咲乃の疑念は回答を得てしまった。
それほど重大で慎重になるべき常識を桔梗様や宗司、そして何より本人が知らないはずがない。何より、それを名乗っていながら誰一人として苦言を言わなかったのだ。
なぜなら言う必要が無いから。間違いを訂正する必要がない……否、正しいが故に正す所など存在しなかったからに他ならない。
咲乃は一瞬目を伏せて、それから門番に二つの頼み事をした。
「手紙を書きたいのです。名護城にいる人宛に書くので、紙と筆を貸していただけませんか? それと、安価で泊まれる宿があれば紹介してほしいです」
「ああ、わかった。すぐに用立てよう。城に手紙を持っていきついでに案内もするから、少し待っていなさい」
そして、持ってきてもらった紙にトクさんへの文章を書いていく。手紙とは言っても、ほんの数行なのだが。
書き上げてから門番にわたして城に送ってもらった。これで問題なく届くだろう。
その後、案内してもらった宿で布団に倒れ込んで──泥のように眠るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます