緋凪の本気



 崩れ落ちる体を何とか受け止めてすぐにあお向けに寝かし、治癒の呪符を掴んだだけ張り付けて霊気を叩き込む。

 既にトクさんを貫いた刀は血に還り、そこには無い。なぜだか追撃もしてこない。

 だが、そんなには意識が全く向かないほどに咲乃の意識は目の前だけに向いていた。


「トクさん! トクさん! しっかりして!」

「……即死せなんだとは驚きだな。物理的な損傷はともかく、込めた呪詛はその程度の効果では収まらぬはずだが。種族が違うだけはあるか?」


 茨木童子の言葉は咲乃に届かない。一心不乱に治癒を進める咲乃の耳には入っていても、理解するだけのリソースが割かれていないのだ。

 血が止まらない。張り付けた呪符がすぐに赤に染まり、効果を無くして剥がれていく。それを継ぎ足していくが、呪詛とやらのせいか中々効果を発揮しないのだ。そのせいで一刻も休まりそうな時がない。

 忙しく手を動かす咲乃を尻目に、緋凪が警戒をしつつ疑問を投げる。


「なぜ彼だけを不意打ちした?」

「因縁があったから、と言うしかなかろうな。銀八が滅んだのは奴の未熟だが、奴の過去の失敗の原因を担っているとなれば落とし前はつけねばならんだろう。これでも部下思いなのでな」


 何を言っているのか、正直緋凪にはあまりわからなかった。ただ、咲乃たちが戦ったあの銀八とやらの弔いの一環なのだろう。過去の因縁の清算という意味もあるのかもしれない。

 少なくとも、これ以上の不意打ちをする気はなさそうなのは分かった。警戒を止めるなんて愚は犯さないが、時間は出来たと判断して咲乃に問いかける。


「咲乃、容体は?」

「良くない。血が止まらない。体力が急激に落ちてるせいで瘴気が完全に毒になってる……! 早く瘴気がないところに連れて行って、それで……!」

「落ち着け。そんで、私たちがどうしたらいいか言え」


 ようやく落ち着きを取り戻してきた咲乃が、必死に頭と手を動かしながら次善策を考える。

 さっき報告した通り、トクさんの怪我自体は何とか止血できなくもないのだ。というか本来ならとっくに傷自体はふさがっている。

 問題は掛けられた呪詛の方だ。治りを阻害してダメージを与え続けている呪いがあるせいで治癒するそばから術式ごと肉体が傷ついていくし、そのせいで体力が低下している。体が傷つけば当然半ば体そのものである霊気は上手く動かなくなるし、そうなれば当然瘴気の毒性に対応できなくなるのだ。

 大江天城には、一般人ではおおよそ歩けないほどの妖気が渦巻いている。その状況は悪くしか働かない。


「トクさんだけ送り返します! 時間を稼いでください!」

「できるのか?」

「……やります!」


 幸いと言っては何だが、入る時に結んだ糸玉は切れることなく続いている。これを辿ればまず間違いなく城から脱出は出来るに違いない。

 だが、問題はいくつもある。確実なのは咲乃が城の外まで連れていくことだが、そうなった場合まず確実に咲乃がここまで戻ってくることはできないだろう。そしてそうなった場合、戦闘技術は申し分なくても相性の問題上緋凪と桂木だけで茨木童子は倒すことができず、結果的に儀式は防げなくなってしまう。

 かといって式神に任せておくには、使える余力も安心感も無さ過ぎるのだ。最悪、城にいる妖怪の目の前で式神が倒されてそのままトクさんは放置される可能性さえある。


 結局、結論としては誰かがトクさんを城の外まで送り届けなくてはならないということだ。咲乃は無理だから、消去法で緋凪か桂木の二択。

 どちらに頼むか悩む間もなく、桂木が決断をする。


「俺が連れて戻る。お前らで茨木をどうにかしろ」

「どうにかって……!」

「難しい事なのは正直四人の時でも変わってねぇ。そんで、少なくとも茨木の意識ではお前ら二人にしか戦う権利なんて用意していないつもりだ。つまり、この不意打ちは因縁の清算だけじゃなくて端から俺の排除も目的なんだよ」

「……っ!」

「癪だが奴の思惑に乗るしかないんだ。とっとと応急処置を終わらせてそいつをよこせ」


 つっけんどんな言い方だが、これでも桂木なりの優しさと信頼が込められているのが伝わってくる。

 お前なら、二人いれば、鬼にだって勝てるだろう。他のどんな奴が無茶と言おうがきっとできる。だから、この役目は俺に任せろと、そう言っているのだ。

 不器用で口下手な師匠なりの激励を受け取った咲乃は、ありったけの治癒符を張り付けて大き目の式神に乗せた。


「お願いします。城の外に出たら呪いの進行はだいぶ遅くなると思いますから、早めに名護城の術師たちに診せてください」

「おうよ。じゃあ、また後でな」


 そうやって、遊びの待ち合わせでもするかのような気軽さで桂木は手を振って部屋を出ていった。残っているのは咲乃と緋凪の二人。

 蒼愛を抜き戦闘態勢を整える巫女と、とっくに準備万端の武闘士が伝説の鬼の前に対峙する。


「さて、千年単位で久しいが名乗りでも上げてみせるか? 若き勇士たちよ、遠き日の最恐の頭目に名を捧げてみせよ」


 常に上から語る鬼たちに挑戦する二人は、決してその言葉で揺れたわけではないのだろう。

 ただ、そうすべきだと思ったが故に彼女たちは名乗りを上げる。


「──桜巫女、笹暮咲乃。私の因縁を晴らすべく貴女の前に立ちます。その首級、貰い受ける」

「──呉家門下筆頭弟子、呉緋凪。友の悲願のためにお前を打倒させてもらう」


「京の鬼集団の頭目、茨木童子。我が盟友の復活のため、あの夢想を再び実現せんがため──ここは譲らぬ」


 それぞれの得物を強く握り直す。

 さらに張り詰めていく雰囲気の中で誰かが僅かに畳を、木張りの床を踏みしめた音が響いて。


 それが開戦の合図になった。



◇ ◇ ◇



 先に仕掛けたのは、術という飛び道具を持っている咲乃だった。

 左手の袖口から放たれた火は龍の姿になって一直線に茨木童子へと向かう。


「笑止──!」


 その程度では足止めにもならないのだろう。まるで見えていないかのように一直線にその火に飛び込み、傷一つつけないまま突破をしてきた。

 咲乃からしても、今の一撃で決まるだなんて到底思っていない。開戦の号砲以上の価値を持たせる気はない。

 突っ込んでくる茨木童子に対抗するように、緋凪も拳を握りしめて真っ向から殴り掛かる。


「火術八陣、緋天無双──オラッ!」

「ぬぅ、人の身でこれほどの力を出すか!」


 緋凪の一族は武術一家だが、決して体術のみではない。むしろ、術による柔軟な強化をしたうえで烈火のごとく攻めるというのが持ち味の流派だ。

 火術八陣によって背中に炎の八角形が投影され、あらゆる感覚を極限まで強化する。

 そして緋天無双によって肉体を神霊をモデルに強化。

 この二種で即座に伝説の鬼とさえ打ち合えるだけの膂力と頑健さを手に入れた緋凪は、単純な力押しという点で既に茨木童子と競る……否、場合によっては超えている。


「だが、それだけではどうにもならんぞ!」

「わーってんだよ! 所詮私は時間稼ぎだ!」


 力押しで勝てるのなら、かの頼光四天王が苦戦なんぞするはずがない。神便鬼毒酒で自由のほとんどを奪われてなお戦い、持ちこたえた上で逃げてさえみせたのが茨木童子なのだから。

 貞光や金時と伍すると評されたのはその力だけ。人間でありながら伝説に残っている四天王に、技術で勝てているだなんて緋凪自身も思っていない。

 それでも前に出て打ち合うのは、偏に言った通りの時間稼ぎのために他ならないのだ。


 緋凪が猛烈に茨木童子とやり合っている間に、咲乃は淡々と術を用意してた。

 これが彼女たちの基本戦術。咲乃が状態を整えて勝てるようになるまで、緋凪は前衛に徹していればいい。


「はは、不遜、昔なら──いや、現代であっても無謀すぎるぞ! 憎き綱でもあるまいに、我と単身でやり合おうなど!」

「なら超えりゃあいいだろうが! 正直綱がどれほど強いかなんて知らんが、もう強くなることだけはねぇからな!」


 英雄に向けての侮辱とも取れなくないその言葉に、しかして茨木童子は楽しそうに笑うのみ。いつの間に迦一人称が我になった事にも気が付いていないらしい。

 武闘士相手に武器を使うのは無粋、とでも言いたげに素手で打ち合っている。未だに反動の流血は止まっていないにもかかわらず、だ。

 牽制に次ぐ牽制、そして僅かに見えた隙に飛び込んでは避けられ、離されては追いつく。道場では聞こえないような、手甲と素手のぶつかり合う鈍い音が上段の間に響き渡る。


「クハハハハハ、貴様、武術だけなら金時にも勝るやもしれん! 滾る!」

「うるせぇ、潰れろ!」


 緋凪の術はさらに数を増やし、背後の術式からは腕が作られていた。言うなれば阿修羅のような姿だ。

 経験と地力で勝てないのなら手数を増やせばいい。見たことのない攻撃であれば経験は関係ないと言わんばかりの気迫で。

 時折差し込まれる咲乃の手助けの術や式神の助けもあって、何とか戦線を保つことには成功している。これ以上は下げられないという位置を割ったことは今のところはない。

 だが、そのことが負担や被害が少ないということではなく。


「どうした、腕が減ったのならその分足せばよかろう? それとも術の腕では我と戦えぬか!」

「散々破壊して折ったくせに、よくもまぁぬけぬけと……!」


 避けきれなくなってきた負傷は、一つを許せば加速的に増えていく。既に砕かれた術の腕は数知れず、それでさえ受け止めきれなかった攻撃を防いだ左腕は既に三度折れていた。

 負傷していても誤魔化せる術を使って、その上で咲乃の治癒を受けているから何とかなっているに過ぎない。

 そして、そんな事は分かっていても煽ってしまうほどに、茨木童子は楽しんでいた。


「ほれ、呆けていると次は右腕を貰うぞ。その次は足だ」

「させねぇ!」


 まともに受け止めるやり方から受け流し重視に方針を変える。攻撃のダメージを流し、できる限りの無効化をすることで時間稼ぎに集中したのだ。

 時間さえあれば、咲乃の治癒符が最低限は回復をしてくれる。そうしたら自分の術だけで誤魔化しながら戦える。そのためには、何においても時間が必要だ。

 故に、珍しく緋凪が習得している身体強化ではない術を使う決意をした。


「茨木童子、お前に私の一門の切り札の一つを見せてやる」

「ほう?」


 緋凪の体を包んでいた火炎が四つに分かれ、空中を漂いながら広がっていく。

 そして、その日は徐々に明確な形を取り始めた。


 四方を護る神を象った、四体の甲冑を纏った将軍の護衛が現れた。

 ただの術ではない。巫女でない人が神気を宿した眷属を召還するという、極めて異例で特異な術を緋凪は使ったのである。


 決着はまだ、遠い。


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