11話 答え合わせと『理由』
葵羽は霞に皆の視線が注目するのを見ていた。
中也も、中也の母親と弟も、陸上部員やその後ろの大人たちも、もちろんカラスも含めてその場の全員が霞の言葉を待っていた。
「『どうしようもない』とかそんな抽象的なことを言っていてもしょうがないわ。問題を明確にしないと」
霞が指を一本上げる。
「まず『推薦取り消しによる高校の学費』」
二本目。霞が少しずつ集団から離れていく。
「『リハビリをする環境』」
三本目。
「『今後の陸上にかかる費用』。実績が出せないので、プロや大学の推薦をとるのは難しい状況」
霞が状況を整理していく。しかし葵羽にはどれも『どうしようもない』ことに思えた。
「中也のお母さんが稼げるお金にも限りがある。かといって借金するのも中也は耐えられないでしょう?」
中也がうなずく。
「だから返還不要の支援が必要」
確かにそんなものがあれば全ての問題は解決だ。だが、そんな都合よく世界はできていない。陸上でなくても、中也と同じような状況に陥っている人間は大勢いるはずだ。
「ここで現在、中也が持っているものを確認してみる」
霞が中也を指差す。
「俺が持っているもの? ……金はねえし、脚も今はダメだ。まだ大した実績も上げられていない。やっと今年、全国に出られるところだったんだから」
「は? あるでしょ?」
葵羽も考える。中也が持っているもの。返還不要の支援を得られるような武器になるもの。そんなものがあるだろうか。
霞が中也を中心に、校庭にいる人々に向けてデジカメを向けた。
パシャリと。
「『物語』よ。中也には『物語』がある」
霞の言葉を葵羽は咀嚼しきれない。カラスを見ると珍しくこちらを見ていた。目で問いかけるが、彼はにっこりと笑い返してくるだけだった。
「不断の努力を続けてきた少年を襲った悲劇。しかし彼の仲間、そして家族の誰もが少年の努力を見ていた。だから彼らは願った。少年が走り続けることを。努力し続けることを」
歌うように、霞が説明を続ける。その場の誰もが観客だ。
「彼は努力を続けた。皆の支援を受けて。皆の気持ちを背負って」
風が吹く。まるで世界が霞のための舞台装置になったかのようだ。霞の白トレーナーが膨れ上がった。
「そして今日、彼はここに立っている。オリンピックの舞台に。日の丸を背負って」
ニヤリと。葵羽は霞の笑みを初めて見た。獰猛な、獅子の笑み。それは挑戦の狼煙だった。
「そんな『物語』の主人公。中也が主人公になることができるのなら、『どうしようもない』問題はあっさり解決する」
自信満々に言い切る霞。中也が疑問を投げる。
「……どういうことだよ?」
「今どき普通に広告を売ったってモノは売れないのよ。だから企業は『物語』を求めている。そしてそれは企業だけじゃない」
霞の言葉を受けて、一人の男が前に出てきた。奥の方にいたスーツのおじさんだ。
中也の前に立つ。
「……こんばんは。理事長をやっている斎藤だ」
「……理事長? なんで……」
「……中也くん。我が校は君を支援し続けることに決めた。学費も引き続き免除。さらに陸上部でのリハビリ環境をつくる」
「……は?」
葵羽は驚く。そして見た。理事長がチラチラとカラスの方を窺っている。
――渡くん……、何したんだ……。
「これで一つ目と二つ目の問題はクリアね」
霞の言葉に、中也の母親が口を手で覆う。涙が見える。
なぜ学校が中也の支援をするのか。霞のプレゼンから考えるに、学校の宣伝の一環にするということだろう。『ヒーローの不遇の時代を支えた母校』として有名になれば、未来の陸上選手の獲得に好影響を与える。
しかし、そのためだけに学校が動くだろうか。おそらくカラスと霞が何らかの行動を起こした。言うことは言ったという雰囲気でそそくさと集団の後ろに戻る理事長の姿に、
――脅迫したって言われても驚けないな……。
葵羽は『請負屋』の仕事の強引さを改めて実感する。
「そしてもう一つの問題。ぶっちゃけ重要なのはこっちね」
そうだ。高校の学費やリハビリがどうにかなっても、推薦を受けられなければ中也は陸上を続けられない。良い環境に進もうと思えば、なおさら資金が必要だった。
「よし、ここからは僕が入っても良いのかな?」
自身に満ちた、ジャケット姿の男。髪をオールバックにし、肩で風を切って歩くその男を葵羽は初めて見た。陸上部員の群れから「カッコいい……」という声が聴こえる。
「はじめまして、スポーツブランド『caMelus』運営会社の代表、藤堂裕也です」
葵羽の知らないブランド名。陸上部員たちも特別反応している様子はない。有名な会社ではないのかもしれない。
「実は今、我が社の広告塔になるべき人材を探していてね」
「……広告塔……ですか……?」
いきなり現れたビジネスマンに、中也がキョトンとした反応を見せる。しかし葵羽は理解できた。先程の霞のプレゼンに結びつく。
「僕らのブランド『caMelus』はその名の通り、ラクダをイメージしたブランドだ。どんな辛い環境でも、目標に向けて着実に努力を重ねる姿。アスリートたちの苦しい旅のパートナーになる。そんな想いを込めた」
男・藤堂は、まるで某スマホメーカーの発表会のプレゼンのように手を広げた。
「中也くん。君の話は聞いた。だからお願いさせてほしい」
母親と共に地面に座っている中也と目線を合わせるためか、藤堂が膝をつく。
「中也くん。僕らのパートナーになってくれ。君の努力の日々を、僕ら『caMelus』と共に送ってほしい」
それはスポンサーの立候補だった。おそらく新興のスポーツメーカーである『caMelus』が考えたプロモーション戦略。すでに有名な選手ではなく、これから努力を重ねていく未来の日本代表を支援する。その『物語』に自分たちの商品を登場させる。
わかりやすいストーリーだ、と葵羽は思った。霞から説明を受けていたこともある。
大人の思惑。藤堂は誠実そうな男ではあるが、とはいえ一つの企業のトップ。合理的な計算をしているはず。
しかし、藤堂が中也に伸ばす手は蜘蛛の糸だ。
「三つ目ね」
霞が短く告げ、中也に視線を送る。
まだ呆然としている中也。母親と弟と顔を見合わせ、少しずつ現実を受け入れていく。
「…………!」
あまりに苦しい闘い。自らの夢見た道を断念するために、つまらない理由を並べた。必死に目をそむけた。自分を騙した。
葵羽は見ていた。中也が嗚咽を漏らす。泣きながら藤堂の手を掴む。両手で、縋るようにその手を握った。
その糸の先にある物語はけっして平易なものではない。これから中也は数多の苦難を乗り越えなければならない。
それでも、中也はきっとその全てに耐えられる。
第二希望を選ぶための孤独な闘いは終わり。
第一希望を掴むための闘いが始まった。
●
葵羽はカラスと共に帰路についていた。
あの後、校庭は高校男子に特有の盛り上がりに包まれた。霞はデジカメでその様子を撮っていた。しかし唐突に飽きて帰ると言い出したので、カラス・葵羽と共に事務所に帰ることになったのだ。
去り際、中也が仲間の輪から抜けてきて、
「ありがとう」
と三人それぞれに言ってきた。
カラスには普通に、葵羽には嬉しそうに、霞には恥ずかしそうに。
そうして中也と葵羽たちは別れた。
今は事務所からの帰り道。カラスが葵羽を送ってくれている形だ。
「ねえ、渡くん」
呼びかける。カラスが無言で葵羽を見る。
「……あなた達は、何をしたの?」
聞いた。霞とカラスが動いたおかげで中也は陸上を続けることができた。そのことはわかったが、具体的に何をしたのかわからない。
「何を知りたい?」
カラスが聞き返してくる。
「まず、あのスポーツブランドの社長はどこから出てきたの?」
「藤堂さんはあの高校のOBだよ。言っていたとおり、広告塔になる高校生を探していたんだ」
「どうして渡くんたちはそれを知ったの?」
「あの高校を外から観察していたら、藤堂さんがいるのを見かけた。ほら、学校に入るために入校許可証を探していたときに」
「……あー。でも藤堂さんが『caMelus』の人だとかはどうやって?」
「『caMelus』の紙袋を持っていたからわかりやすかった。紀さんも見たはずだよ。紀さんが中也くんを会っていた日だから」
「え? えー、見たかなー?」
見ていたとしても、その時点の葵羽は『caMelus』を知らないのだから覚えているか怪しい。
「というか渡くんはあのブランド、知ってたんだね? 有名?」
「藤堂さんが独立して最近立ち上げたブランドだからまだ有名じゃないよ。でも資本はしっかりしてるし、ポジショニングも上手い。きっとこれから有名になるよ」
「ふーん。よく知ってるね」
「調べたから」
「? 調べたって、学校の課題かなにかで?」
葵羽とカラスは経営学部だ。しかし、返ってきた答えは葵羽の予想を裏切る。
「あの高校の関係者で、今回の件に役立つかもしれない人物についてはすべて調べた」
「え!? 今回のために!?」
「うん。理事長についても調べていたら、いろいろとお金に関してきれいじゃないところが見つかったから」
――それで脅したんだ……。
「……なるほど。でも藤堂さんはよく協力してくれたね」
「そこからは霞と一緒に」
なにげにカラスが霞の名を呼ぶのを初めて聞いた。
――霞って呼んでるんだ……。
「霞がいろいろ写真とかノートとかインタビュー内容とか整理していたから。藤堂さん的にはいろいろと手間を短縮できてちょうど良かったんだと思うよ」
『ノート』というのはあの大学ノートのことだろう。そんな所でしっかり役立っていたとは。
「私と中也が一緒に帰ったときには何をしてたの?」
「家庭状況の確認、順くんからの情報収集、中也の部屋の探索」
「……お母さんは……?」
「順くんを通じて、すでに会って話していた。理事長とか藤堂さんのことはまだ伝えてなかったけど」
「陸上部の人たちが方針を変えたのは?」
彼らは霞の聞き込み時、「中也の意思に任せる」という方針だった。
「彼らを縛っていたのは集団心理だ。一人を崩せばどうとでもなる」
なんとなく、前に出て話していた200メートル走の選手だと思った。
葵羽の質問が途切れ、夜道に相応しい沈黙が訪れる。
ゆっくりと情報を整理する。
結局、霞とカラスは葵羽以上に状況を把握し、中也の心情を理解し、解決までの道筋まで構築してみせた。そしてわかる。その実行の多くを、葵羽の隣を静かに歩く青年が担当していたのだ。
――……でも……。
一つ、葵羽の心に引っかかることがあった。
「……あれでよかったのかな?」
中也が陸上を続けられることは良かった。彼の嬉し涙を見て、葵羽も喜んだのだ。しかし、
「中也は、これからすごいプレッシャーを感じるよね……?」
きっとそれは大きな重圧。仲間、家族、それ以上に大きな組織からの期待。日本代表になれば感じることになるのかもしれないが、『なってからのプレッシャー』と『必ずならなければならないプレッシャー』はその種類が違う。
カラスは黙っていた。そのまましばらく歩く。
これまでよく答えていた方だ。葵羽の家の前に着き、カラスに礼を言う。
「送ってくれてありがとう、渡くん」
カラスは立ち去らない。黒い沼のような瞳でじっくりと葵羽を見ている。
数秒その状態が続き、カラスが重く口を開いた。
「……霞は、『理由』が必要だと言っていた」
「『理由』?」
「中也は必死に『陸上を辞める理由』を集めていた。何十個も。中也はあの性格だから『やりたい』だけじゃ自分を納得させられない」
わかる気がした。河川敷で泣き崩れた中也に、藤堂さんが手を差し伸べても拒否したかもしれない。
「仲間の本音、家族の応援、学校の支援、企業の支援。中也が陸上を『続けるべき理由』を持つために必要だったものだ」
だとしたら。
「中也にとってはそれは重圧じゃない。今後の彼を支えていく『理由』になるんだ」
腑に落ちた。
『理由』を得た中也。その事実が、ぐにゃりと葵羽の心に入ってきた。
もう一度カラスに礼を言って、家に入る。
母親はすでに寝ているようで、葵羽にかけられる声はない。手を洗い、うがいをする。泥のように崩れそうな身体を引きずって、自分の部屋に入る。ベッドに倒れ込む。
――きっと、私には『理由』がないんだ……。
まもなく訪れた睡魔に、葵羽はただただ身を任せた。
●
霞は燃え上がりそうになる身体を引きずりながらベッドに倒れ込んだ。
――疲れた。
カラスの奴はいつも通りあっさりしていたが、霞はそうもいかない。何度か危ないシーンもあった。一度は轢かれかけたのだ。
もしカラスが藤堂を見つけていなかったら。理事長が不正をしない清純な人間だったら。歯車が一つ狂えば、今日の中也の選択はあり得なかったかもしれない。
この数日、霞の心を支配していた泥がゆっくりと消えていく。
うつ伏せから仰向けに姿勢を変え、額に浮かぶ汗をぬぐいながら天井を眺める。
――でも、まだだ。
泥は一つではなかった。まだ残っている。
――明日は、葵羽にご褒美。
克己から葵羽に『依頼人の選定方法』が伝えられる。彼女はまだ覚えているだろうか。彼女にとってショックなことがいろいろとあったはずだ。霞たちからすれば、それらの出来事はなくてはならないことではあるが、やはり心配になる。
――どうなるんだろう?
霞の事実を知った葵羽がどのような反応をするのか。カラスの見立てでは、まだ危険はないとのことだ。しかし怖い。
その恐怖はもう何度目かもわからない。けれど全く慣れそうにない。
息苦しい。
それでも身体は疲れていて、睡魔が霞を誘ってくる。
抗おうとするが、白い沼に引きずり込まれた。
そうして、少女は今晩も夢を見る。
哀しい哀しい、夢を見る。
●
とべないカラスと墜ちたイカロス 秋瀬ともす @tomosuakise
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