田中和美のケース その2:5
昼はシャムハザに『エンダルガラ料理』という謎の世界の料理を出す店に連れて行かれた。
お土産は日本に持って行けないので、ショッピングはまねごとだったが、いろいろな国(世界?)、いろいろな種族の人が経営する店を巡るのも楽しかった。
夕方頃に送還ゲートで送り返されるのが決まって、じゃあ後はなにをして遊ぼうかとルドラがタブレットのようなもので調べものをしていたら、相談所に高野の妻がやってきた。
「帰ることに、したって聞きました」
「あ、はい。親身になってくれて、ありがとうございました」
なんだか顔つきもしゃっきりしている和美を驚いたように見返して、高野の妻は微笑んだ。
「帰るなら、ひとつ頼まれてくれないですか」
「はい?」
問い返すと、高野の妻は藍色の風呂敷に包まれた、本らしいものを和美に差し出した。
「高野が、こっちに飛ばされてきた時、懐に入っていた日記です、本人はもう、これがあるのも忘れているみたいだけど。これを、いつか機会があったら、高野の家族に渡して下さい」
「日記……」
「高野が蕎麦にこだわるのは、日本の家族と揃って食べた、最後のものだからです」
真面目な顔でそう言われ、和美は思わず高野の妻を見返した。
「戦争に行く前にもう、高野には奥さんと、子どもがいました。別れの時に、彼らと一緒に食べた特別なものが、蕎麦なんです。その特別なものを、私にも食べさせたいと思うほど、高野には大切な記憶なんです。……その日記には、島で兵隊として生活を記録する中、残してきた家族を思っていることが、ほぼ毎日のように書かれています。人間の寿命を考えたら、奥さんはもう亡くなってるかも知れないけど、子どもたちはまだ生きてるかも知れない。もし可能なら、それを、高野の家族に渡してあげて下さい」
風呂敷のつつみを開くと、だいぶ痛んではいるものの、はっきりと形の残った手のひらほどの大きさのノートが出てきた。ぱらぱらとめくると、ノートの半ばまで、びっしりと文字が綴られている。当時の文字は形が違いすぎて、同じ日本人の和美にも明確に読めるわけではないが。
裏表紙には、高野の名前と、日本での住所と思われるものが記入されている。自分で読むのは無理でも、ネットで調べたり、歴史の先生に相談しながら解読していくのは出来そうな気がした。
「でも、お土産とかは、持って行けないんじゃ……」
「それは持って行けますよ」
それまで黙って様子をみていたリカルドが、穏やかに言った。かなたも一緒に頷いている。
「和美さんは、こっちの世界に来るときに本を一冊持ってきていましたよね。シュムリさんにあげた」
「あ……うん」
「ゲートを通ってきたときと、同じ程度の持ちものであれば、一緒に送還することができます。ぜひ、持っていってあげてください」
「うん……判った」
和美は頷くと、風呂敷に本を包み、大事そうに抱えこんだ。
「やってみます。何年かかっても、かならず高野さんの……日本のご家族に、お届けします」
「よろしくお願いします」
高野の妻は、深々と頭を下げた。こんな風に真剣な頼み事をされるのは、多分生まれて初めてのような気がした。
和美が元の場所に戻ったのは、いなくなったのとほぼ同じ時間だった。本を抱えて歩道に倒れていた和美を、巡回中の警官が見つけて保護してくれた。
都合良く気を失っていたのは、かなたに頼まれてルドラがちょっと細工してくれたからだ。
いなくなった和美と入れ替わりに『タケナカカズエ』が現れていたことでも、ちょっとした騒ぎになっていたようだ。
和美は、医者や両親の質問には、『白い光に包まれたのは覚えてるけど、あとはよく判らない』と一世一代の演技を貫いた。
周囲はそのうち、「車にぶつけられて意識がなくなった所を連れ去られたのかも知れない、怪我もなく、無事に戻ってきて良かった」と勝手に推測しはじめて、連絡もないままいなくなったことを咎められることはなかった。
なんとかぎりぎりで地元の大学に入れた和美の部屋には、今も、風呂敷に包まれた高野の日記が、百均で買ってきた蓋付きの箱に入れられて置いてある。
暇を見ては図書館やネットを使って文字を解読してきたが、大学で民俗学の講師に相談したところ、昭和初期の記録を専門に調べている教授に会わせてもらえることになった。
ひょっとしたら、高野の家族についての手がかりに、ぐっと近づけるかも知れない。
その同じ棚には、遅咲きのルーキーとして今世間を騒がせている、テニスプレイヤー『竹中一恵』を特集した雑誌記事が一緒に保管されている。
謎の失踪の後、驚異的な実力を身につけて戻ってきた竹中は、今や次のオリンピックも夢ではないというところまで上り詰めていた。
召喚された先で、テニ……『ラー・ハット』の過酷な訓練を受けてきた成果だと思われるが、未だに話す機会は無い。
『一度、異世界間転移に遭遇すると、その世界に縁が出来るといいます』
別れ際に、かなたが言っていたことを、和美は今も思い出す。
『二度あることは三度あると言いますし、ひょっとしたらまた、お会いできる機会があるかも知れないですね』
そうならいいなと、今は素直に思う。いつその時が来てもいいように、和美が真っ先に頭にたたき込んだのは、だしをとるために必要な素材の製法と、手順だった。
急に料理に興味を持ち始めたので、両親には驚かれたが、自炊が出来るのは悪いことではないし、最近はだしの取り方を実践する意味で味噌汁にもはまっていて、これが好評だったりもする。
化学や科学の知識もあの頃よりは格段に身についている。歴史も一般常識以上のことは学んだし、今度はシュムリを喜ばせるような会話が出来るだろう。
本屋の帰りに、あの交差点を通るたび、ちょっとわくわくしてしまう。地元の大学に決めたのも、あの交差点がまたハイパティーロとの接点になるのような気がして、離れたくなかったからだ。
今日も誰かが、ハイパティーロで保護されているのかも知れない。もし再び自分が訪れたとしても、かなたは、きっと変わらない小ささと笑顔で迎えるのだろう。
「いらっしゃいませ、ハイパティーロ旅行相談所へ、ようこそ!」
異世界トラベルコンサルタント ~ハイパティーロ旅行相談所へようこそ!~ 河東ちか @chika
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